こんにちは。石持克緒です。
昨日予告していた通り、後編を投稿致します。
個人での学習は見識が独り善がりになる、という意味だ。
思えば
身体能力では人識は討識に引けを取らない。なのにここまで人識が押され、討識に追いつめられるに至ったのは、ひとえに技術力の差だろう。
討識の剣術には古流の技が多い。その技術をどう蒐集しているのかは不明だが(一般に、その流派の門下生でもなければ、実利的な技は教授されないからだ)、それらは人識の知識にはない動きだ。
自身の知らない技を仕掛けられる事ほど、恐いものはない。
(俺と討識さんの違い)
(多分そーいうとこなんだろうな)
人識の殺人技能は、伝授によるものではなく、実践の中で研磨された技術だ。故に、もし熟練の軍人や拳法家と、その腕前を比べた場合、
独学には限界がある。
(無知は罪、か)
(確かに、俺の知識はあんたにゃ及ばねーだろうさ)
しかし、である。
人識を無知とするなら、この魑魅魍魎の『暴力の世界』に身を置くこの小柄な少年は、すでに死んでいなくてはおかしい。
この激流の海域の真っ只中に、ただ浮いているだけのクラゲの様な存在の人識は、クジラの如く巨大で強大な生物に飲み込まれて終わりだ。人識よりも優れた身体能力を持つプレイヤーは普通にいるし、人識よりも優れた戦闘技能を持つプレイヤーも唸るほどいる。人識は人識で、確固とした技能、自分だけの武器を備えていなければ、荒波の中を生き残ることは出来ない。
零崎人識は、零崎討識よりも、あらゆる面で劣っている。
「――でも、俺にも技はあるんだぜ?」
クラゲの毒に似た、人識の武器。
討識も把握していない、人識の知識。
しゅっ、と。
音が空気を裂いた時。
討識の動きが止まった。
「……!」
刀を振り上げていた討識の動きが止まる。
それを確認して、人識は後退して距離を取った。
「……何とか、間に合ったか」
人識は、ふうと胸をなでおろし、危機を脱したことに安堵する。
「まったく、傑作にもほどがあるってもんだぜ。親戚同士の喧嘩ぐれーで、お互いマジになっちまってよ」
人識は言う。
「おかげで、
零崎人識の奥の手。一賊の誰も知らない伏せ札。
それが
「おっと、無理に動かねー方がいいぜ討識さん。そっから先はどうなっても保証出来ない」
糸。
繊維を長く平行に揃え、撚りをかけたそれは、見た目通りにしなやかで、そして見た目からは想像も出来ないぐらいの強度を持つ。
戦闘においては、主にトラップの補助具として扱われることが多いが、この糸そのものを武器にする『
しかしその応用力故に、非常に繊細なテクニックと高度な力学理論を必要とし、それらを習得するには多大な修練と経験を積まなければならない。曲弦糸使いのプレイヤーとして活動し始める頃には、人生のピークを大幅に過ぎている、なんてことも十分にありえる可能性であるからか、この技術を扱う人間は、極一部の天才に限られている。
「……けっ」
討識は言った。
「これがテメエの奥の手か?」
討識の表情に、動揺はなかった。
それに若干の違和感を覚えるが、人識は構わず答えた。
「まーな。つっても、そんな胸張って言えるもんじゃねーけどな。ちびっとだけ心得があるってだけでさ。趣味じゃねーんだよ、こういうのは。ところで、あれだ。あの発煙手榴弾? で、あってるか? ありゃ模型か何かか。煙が出ねーってことは、多分そうなんだろうけど」
言って人識は、周囲を確認する。
(よし)
(これぐらいあれば、もう十分)
人識に曲弦糸を教えた『
しかも先の攻撃では時間がなさ過ぎた。曲弦糸を数本、刀身に引っ掛けて動かせない様にするのが精々で、とてもじゃないが討識を直接拘束する事は出来なかった。
「……ああ。ありゃあ中身は水だ。本物と同じ重さだけ入ってる」
「やっぱな。一つは本物だから、残りも本物だと思い込むって寸法か。すっかり騙されちまったぜ」
だが、時間を稼げば問題はない。ほんの数秒、人識が喋ればそれでいい。
その間に、人識は糸を周囲に張り巡らせた。
外灯、フェンスを中心に、糸を数十本。
後は人識の指先一つで、討識を瞬時に拘束出来る。
(奇しくも)
(
太刀使いの兄と、大薙刀使いの弟。
特に兄の方は、この展開を知ったらどう思うのか。
言うならば、零崎討識は一賊で最も卑怯な殺人鬼だ。賢知で勤勉で、獰猛で狡猾だ。
あの太刀使いなら、この男をどう評するのだろう。そしてこの、自らの末期に近い状況を見たら。
ありえないし意味のない仮定だが、想像すると、少しおかしく思えた。
「傑作だな」
と、人識は笑う。
対する討識は。
「……ああ、傑作だな」
同意した。
「傑作でしかねえよ――」
同意して。
ぶちん、と。
糸の張りが消えた。
「――この程度を奥の手扱いするとはな」
斬られた。
討識の刀は、一瞬の内に、振り下ろされていた。
「んなっ!?」
「甘えんだよ糞餓鬼が。俺と、この『
細い糸屑なんざ相手じゃあねえ。
討識はそう言って、右片手で刀を振るう。
「ちょっ……何で」
「何でバレてるのか、か? 簡単な事さ」
ぶちぶちぶちぶち、と張り巡らされた繊維が切断されていく。その振動を指先に受けながら、人識は後ずさる。
マズい。これは、非常にマズい。
「テメエは不思議に思わなかったのか? テメエが俺の部屋の階に上がってくるまで、俺が何も仕掛けなかった事に」
滅多矢鱈、滅茶苦茶に振り回しているのではない。糸が張られている位置を、正確に把握して斬っている。
外灯があるとはいえ、今は夜中だ。このマンションの周囲の建物に灯っている明かりを足したところで、張り巡らされた糸を視認する事は出来ない。視力に頼れない以上は別の感覚で把握している事になるが、それが何なのか、人識は分からない。
いや、気づいてはいる。感づいてはいるのだ。
現に一賊の中でも、同じ事が出来る殺人鬼がいるではないか。
(
(こいつ、
『
音楽家の殺人鬼である曲識は、その音楽センスもさることながら、それを支える聴覚も並外れている。
かつてあった『小さな戦争』と呼ばれる抗争の頃の話だ。
人識が聞いた話では、曲識は宙空から襲いくる攻撃を、カスタネット一つで迎撃した事があるのだそうだ。その空を切り裂き迫る武器を、曲識は鋭敏な聴覚で察知し、タイミングを合わせてカスタネットを叩き、その矮小な衝撃で、撃ち落としていたのだと。
その相手は『
奇しくも人識と同じ、曲弦糸の使い手。
そして、この戦いを討識が知っているのなら。
討識に同様の事が出来ても、おかしくはない。
「エレベーター」
討識は続ける。
「
「は?」
一人驚愕する人識に、さらに情報を追加する。
「何も不思議な事じゃあねえさ。このマンションは俺の持ち物だ。住民か否かを問わず、この建物に危険物が持ち込まれる度に、俺の部屋に所持品のデータが送られるようになってんだよ。テメエが持ってるナイフの本数、種類、形状。全部、俺の手の内だ。勿論」
この曲弦糸もな、と討識は言った。
つまり、人識がどんな武器を持ってるかなんて、最初から討識には筒抜けだったという訳だ。知られている以上は、その持ち主の戦略、戦闘方法も把握されてしまう。
思い返せば、討識の戦い方にも、違和感がある。最初の一手で罠を張る用心深さがあるにも関わらず、斬り合いとなると攻めに躊躇がなく、慎重さが薄かった。これは初めから人識の武装が把握されており、その全てに対処が可能だと、討識に判断されていたからだ。
曲弦糸の様な暗器の類であっても、使ってくると分かっているなら脅威ではない。それに人識の様な近接戦闘のエキスパートが、糸なんて取り扱いの面倒な得物をマスターしているはずはない。曲弦糸の習得は、他の獲物に比べ、異常な難易度を誇る。手先が器用な程度の人識では、絶対に不可能だ。
この勝負をけしかけたのは人識だ。
だが、人識の見識は甘い。
これは一撃先取の格闘戦ではなく、一報先取の情報戦。
この勝負は最初から、討識が情報により制していた。
「糞餓鬼。俺のところの前に、曲識さんの店に行ったんじゃあねえのか? あの店は壁に超音波を出す装置が埋め込まれてるだろう。じゃあ、俺の城にも何かしらの仕掛けが施されてるってえ、そう考えるべきだぜ」
周囲に張った糸は、全て叩き斬られた。
完全に詰みだ。もう人識に、打てる手はない。
無知は罪、だった。
「そりゃ曲識さんとこはそうだったけどよ……ここが空港並みのセキュリティだとは思わねーじゃん」
「思えって話をしてんだよ。いつまでも行き当たりばったりで生きていけると思ってんじゃあねえ。ちったあ脳味噌使え」
「辛辣だな……」
「俺がテメエに優しい時があったか」
「ないけどよ……」
刀を振るい、討識が近づいてくる。
「さて、勝敗は一撃入れたら決するってえ取り決めだったな。逃げるなら今の内だぜ。逃がさねえけど」
お待ちかねの時間である。
そもそも逃げ切れるのだろうか。スピードでは互角でも、討識とは体格に差がある。歩幅が違う。それに即興とはいえ罠を仕掛けた手際を考えれば、逃走経路を逆算して罠を仕掛けるという事もやりかねない。その場合は階段のものとは違い、確実に殺傷力のあるトラップのはずである。
逃亡を妨害しつつ勝ちを決める。一石二鳥で簡単、討識らしい手口だ。
かといって、素直に一撃を貰う訳にもいかない。絶対にその一撃で自身を殺しにくる。数十分前は『俺が勝ったら片脚を貰う』なんて言っていたが、合理的であればそれを実行するのが零崎討識だ。殺せる機会があるなら即座に殺す。それもまた、討識らしいやり口である。
「……ちょっと待とうぜ討識さん。落ち着いて話をしよう」
「断る。この勝負は一撃入れなきゃ終わんねえんだ。話がしたけりゃ、一先ず一発分、大人しくしとけ」
「いやいや、もう俺の負けだからさ。降参。降伏するから終わりにしようぜ。マジで」
「そもそもテメエが提案した勝負じゃあねえか。約束を反故にするなって双識さんに教わらなかったか? 俺は姉貴に教わったぜ。ルールを破る奴はクズだってな」
「……それ『仲間を大切にしない奴はそれ以上のクズ』って続かねえか」
「生憎、俺はジャンプよりはマガジン派なんだよ」
聞く耳を持つつもりはないらしい。
どうにかして討識の殺意を削がなくてはならない。これまでの人生、命の危機なんて幾度もあったが、何だかんだでこれまで生き延びてきた。
なりふり構わなくていい。手が出ないなら足を出せ。足が出ないなら口を出せ。甘言でも暴言でも箴言でも、何でもいいから歩みを止めさせろ。
「……討識さんは」
そうして口をついたのは。
「討識さんは、どうして人を殺すんだ?」
傑作にも、戯言だった。
「……ああ? お得意の時間稼ぎか」
討識は足を止める。会話に応じた。まだ望みは繋がっている。
「時間稼ぎだろうが何だろうが、それは討識さんが始めに聞いてきた事だぜ? それもこれから本腰入れようって直前に。つー事はだ、それは討識さんが本当に聞きたい質問なんじゃねーのかよ」
正直、不自然ではあった。討識との関りはそう多くはないが、それでも戦闘中に意味のない言葉は吐かないタイプだとは理解している。そして結果的に、あの質問が戦闘に関係しなかった以上、戦闘に利用する為の駆け引きではなく、純粋な興味によるものだという推論が成り立つ。
「けど」人識は言う。「こういうのは質問してる側から、理由をいうもんだぜ。質問の意図はともかく、他人のプライベートに深く踏み込む問い掛けだ。そっちもそれなりのもん、覚悟を示してもらわなきゃ、晒す割に合わねーよ」
「これからくたばる奴に、言う必要があるのか?」
「ないだろうな。だけど俺を殺したら、永遠に答えは聞けない。手足を斬り落として拷問するって選択肢もあるが……宣言するぜ。そんな事されちゃ、俺は絶対に言わない」
「…………」
討識は無言で殺気を放ち続ける。
これが通らなきゃ、いよいよ八方塞がりだ。この世とお別れする準備をしなければならない。一応、悪足掻きはしてみるものの、それもまた討識の予想通りに対策されていて、結局は無駄な行為でしかないのかもしれないが、諦めて何もしないよりかは、やるだけやって死んだ方が、まだ気持ちよく死ねる。
討識は数分、黙りこくった後。
「……それもまた、人間ってえ事か」
刀を鞘に納めた。
一先ずは様子を見るつもりらしい。
「質というか性というか、やっぱり人間てえのは生き汚い。どうしようもねえ奴らばかりだよ、どいつもこいつも。テメエも」
「手厳しくて毒のあるご意見どーも」
「勘違いしてんな。褒めてんだよ、これでも」
人識は驚いた。
褒める。そんなポジティブな単語が出るとは、思ってもみなかった。
「宗教家じゃあねえんだから、死をそう簡単に受け入れちゃあ駄目だ。死は救済でも何でもねえ。天国も地獄もねえし、ましてや魂の格が上がるとか……信仰深い連中がほざく言葉なんざ、気休めにもならねえ現実逃避さ。胡散臭くて反吐が出る」
前日に世話になっていた教会の人々が聞いたら、神前であっても怒り出しそうな侮蔑の数々だった。善意の塊みたいな神父には謝意を覚えるが、人識も別に神仏は信じていないし、信仰心も一般人並みに薄い。感謝はしても表しはしない。よって否定する意義も意思もなかった。
「人間は生き汚くて然るべきだ。嵐の中を這い蹲って、汚泥を掻き分けながら進んでいくべきだ。そういう意味じゃあ、テメエはいい人生送ってるよ。金無し宿無しの行き詰まりニート野郎」
「ぼろくそ言うな……本当に褒めてんのかそれ」
「褒めてんだよ。だって」
討識は言った。
「人識。テメエ、生きようとしてんじゃあねえか」
それは意外な言葉だった。
意外な言葉で、意図の読めない言葉だった。
「今一つ要領を得ないっつーか……うん、まあ……よく分かんねーんだけど」
「分かんねえだろうよ。分かりたくねえんだろうしな、テメエは。でもテメエの生き方は、つまりはそういう事だぜ」
討識はその場に胡坐をかいて座り込む。朱色の設えの刀は脇に置いた。どうやら交戦の意思は無くなった様だ。
一応、人識も座る事にする。その事実には安堵したが、人識の緊張の糸は、未だ切れない。
「そもそもテメエ、
「どうって……殺人鬼の集まりだろ。奇人変人狂人のごった煮闇鍋パーティだ」
「反論の余地なくその通りだな。じゃあ何で奇人変人狂人の殺人鬼共が徒党を組む? その必要があるのか? あるとするなら、その理由は何だ? テメエは答えられるか、人識」
「それは……あれだ。家族だからだろ」
人識は答える。だが基本的に、一賊の他の殺人鬼を家族として捉えていない人識に、この手の質問に対する見解は特になかった。よって、一賊内でのみ通る一般論で、お茶を濁す。
兄である双識曰く、殺人鬼とはあらゆる行いに殺人で応える人間を指す。当然、その性質故に他者からは理解されず、常に孤立し、孤独な存在である。
その孤独に耐えられなかった殺人鬼が、かつて二人いた。運命の悪戯か、その二人は出会い、同類と認め、手を組んだ。
『家族』と称して。
それが
「そうだな。零崎に属する者は家族だ。だが……それでいいのか? 家族で兄弟で親類で、それいいのか?」
「どういう意味だよ」
「……はっきり言っちまうと」
討識は言い淀み、口にするのを躊躇ったが、意を決して述べた。
「……所詮、俺達は赤の他人だぜ。血縁も血統も血脈も無え、ただ殺人者ってえ共通点だけがある、無関係の人間だ。零崎一賊ってえのは、独り者が寄り集まった、傷の舐め合いをしてるだけの集まりなんじゃねえのか」
それは、一種の禁句であった。
血縁ではなく流血で繋がる殺人鬼集団、と言えば聞こえはいいが、要は人殺しの経験がある事を条件とした、世から溢れた人間の寄せ集めである。
当然、誰もがそれを認知している。しかしそれを指摘する者はいない。家族の一員たる者、和を乱す事は許されないとでも言うかの様に。
「俺達は皆、連続殺人犯で、大抵の奴は大量殺人犯だ。俺達みたいな人間は世間一般から逸脱していて、人格が破綻している。殺人に対して抵抗感はおろか、罪悪感も優越感も劣等感も使命感も覚えない。ましてや幻覚も見てねえし、性欲なんざ論外だ。俺達は生来から空虚だった。人の胎から、何も持たずに産まれ出た存在で、それ故に独りだった。だからあれらは徒党を組んだ――独りきりを拒む為に」
あれら。とは、零崎の祖とされる殺人鬼だろう。
零崎零識。
零崎機織。
『究極』と『絶対』の殺人鬼。この二人によって零崎一賊は結成され、この二人の下に、同じ性質の殺人者が集った。
討識もそうである。零崎頸織の弟として、一賊に加入した。
孤独から逃れる為に。
「俺も長らくそう思ってたさ。誰にも理解されない、無反応無感情な異常者の寂寥感を埋めるのは、自分と同類の奴だけだってな。一賊はそういう奴らの受け皿であって、単なるグループじゃあなく、家族として繋がって、心を満たそうとしてんだってよ。それを……」
また、口が止まる。滑りそうになった舌にブレーキをかける。
言うべき事とそうでない事。言葉を選んで喉を震わす。
「言われたんだ。理由のない殺人なんてありえない、殺人鬼じゃなくて人間みたいってよ」
「それは……」
「『日常を喜んで敵対を怒って、死別を哀しんで喧騒を楽しんで、そうして誰かとつるんで感情を持って生きている――弾かれて、はみ出して、外れて、はぐれていても、ましてや人殺しであろうとも、それは人間のあり方にしか、私には見えない』。そう言われて、思ったんだよ。零崎一賊、殺人鬼とは、一体何なのか」
「……成程な」
人識は納得した。
どうやら討識は、この数年で、相当に特異な人間に会っていた様である。『暴力の世界』における一線の向こう側と畏怖される零崎一賊を、そんな風に分析する人間がいるとは。
どこの誰だか知らないが、しかして、ある種の確信を突いた見解だと思った。この考えは、絶対に一賊の者には出せない。
零崎の殺人鬼とは、生来にして感情が希薄過ぎる。それは一賊の共通認識で、経験則である。
だがそれにしては、所属している殺人鬼は非常に個性的だ。まるで普通の人間みたいに、感情を露わにして生きている。
双識の様に、平和主義者を気取っていたり。
曲識の様に、音楽を心から愛していたり。
そして、討識の様に、他人の言葉に影響されたり。
自らの個性を誰にも憚らず、魅せて生きるその様は。
実に人間らしい振る舞いではないか。
一片の疑いようもなく、殺人鬼もまた人間ではないか。
――その殺人の経歴にさえ、目を瞑ればだが。
「零崎一賊とは心理的欠陥を抱えた殺人者同士のセラピーコミュニティ……って解釈か。随分とまあ、都合のいい解釈だな」
「都合がいいし、言い訳がましい擁護に聞こえるのは自覚してるさ。でも、実態はその通りだろう? 俺達は感情を有し、個性を見せびらかし、そして無差別殺人に歯止めをかけている。意識的に、人殺しを抑えている。状況証拠しかないが、零崎の殺人鬼とはそういうもんだと、俺は思う――しかし」
討識は一拍置き、そして続ける。
「本当にそれでいいのか。零崎一賊は、ある種の究極的なグループセラピーになっているのかもしれない。だが内輪の外、極々客観的に見れば、これは共済じゃあなく依存だ。依存であり、寄生でしかねえ。何故なら俺達は、生物から人間に近づいているのだとしても、人殺しを完全に止められていないからだ。殺人を抑制してはいても、犯さずにはいられない性質は変わってねえからだ」
「…………」
「『一賊に仇なす者は、一族郎党皆殺し』。このルールに、本当に真剣に取り組んでる奴がいるか? 心底相手を憎悪して殺しに行く奴がいるか? 絶対にいない。俺達は生命というものが、全ての命というものが、どうしようもなく軽くて、薄くて、小さっくて、儚いと知っている。知っているから、自分が特別だと感じていないから、生死に頓着しないし、決して生き長らえようとは思わない。でも俺達はその先、それを知ってなお、その先に進むべきじゃあねえのか。少しはマシな存在になる為に、超えていく必要があるんじゃあねえのか」
零崎零識と零崎機織の真意は分からない。
正しく同類の家族が欲しかっただけなのかもしれないし、その先を見据えていたのかもしれない。
だが結成した張本人である二人がいない今、零崎一賊の未来、将来は、自分達で決めなければならい。
ずっと親の庇護に甘んじている訳にはいかないのだ。
人間だから。
「人間ってえのは、最後には巣立つもんらしい」
討識は言う。
「いつまでも親類縁者に寄って集って、頼ってちゃあいけない。一個人として自立するべきだ。それが人間で――あるべき『家族』ってえ奴じゃあねえのかよ」
零崎一賊とは、寄り添い支え、傷を癒し、そして去っていく場。
人間としての感覚を取り戻し、人と成って社会に溶け込む為の一群。
これが討識の結論。
零崎の殺人鬼、そのあるべき姿。
「……だから『生きようとしている』か。そりゃそうだ、最初から死んでる様な殺人鬼に、そんな表現はないだろうしな」
「ああ、最後の最後、危機に瀕して出したのが曲弦糸なら、それ以上の手札はない。その上、土壇場で俺の興味を引きそうな言葉を口にした。戦闘とは違って、俺を説き伏せる算段なんざ発ってねえのにだ。それはつまり、殺す気の俺に対して、徹頭徹尾、全力で抵抗したって事だ。人識、テメエみてえな餓鬼は全面的に気に食わねえが、そこだけは評価に値する」
「そこだけか」
「そこだけだ。上げたきゃ働け。労働で金銭を稼げ」
「んな簡単にいくかよ……あー」
思い出した。そもそもこの勝負、五百万円の賞金がかかっていたのだった。
結果は歴然、五体満足ではあるが、ぐうの音も出ないぐらいの実力差で負けた。この分では脚は斬り取られそうにないので一安心だが、当初の目的は果たせずじまいである。
どうしたものか。ヒューストンへは、やはり密航する他ないのか。元々そのつもりではあったが、路銀が一切ないというのも心許ない。労働? 馬鹿な、官憲に身元がバレているのに働く奴がいるか。
結局問題は解決していないのを察したのか、討識は言った。
「……今なら、金を貸してやらねえでもねえ」
「え、マジでか」
「一端のプレイヤーとしては悪くない動きだった。ナイフの扱いや罠の張り方、状況判断は、数年前とは雲泥の差だ。テメエの成長具合に免じて、くれてやるよ。流石に五百万も出せる程じゃあねえから、減額させてもらうが」
「いや、そりゃありがたいけどよ……いいのか?」
「いらねえなら今から片脚もぐぞ」
「お心遣いに平身低頭して感謝の意に絶えません」
まだらに染めた頭を下げる人識。
「……ありがとな、討識さん」
「……けっ。礼なんざやめろ、気持ち悪すぎて怖気が走るぜ」
討識は立ち上がり、フェンスに結われたワイシャツを回収する。人識はそれを見て立ち上がり、短パンの尻をはたいた。
「つーか、討識さんも腕上げ過ぎじゃねーの? 予想以上に攻撃が入らなくて焦ったんだけど」
「言っただろう、人間は生き汚くて然るべきだってよ。この世界で生きるなら、レベルアップは当然の嗜みだろうが」
「意識高いな……」
「俺に言わせれば、他の殺人鬼の意識が低いんだよ……それもまた、一賊の弊害なんだろうけどな」
行くぞ、と討識は屋上の出入口に向けて歩き出す。
人識はその背中を追う。暗がりで見えにくいが、討識の背中は、決して厚くないまでも、鍛錬で発達した肉づきに見えた。
人識は知らなかった。嫌われているのは確かだが、それとは別に、討識は人識の事を正確に評価していたのだ。決して寄り添わず、けれども目を離さず、身内として正当に扱おうとしていたのだ。
その一環として、討識は学習する。
殺人鬼の道先は未知だ。どんな災禍が降りかかるか分からない。ならば、どんな災禍もその身で受け、耐えて、背負える様に、準備をしておくのは当然の事。
それが討識の考える、零崎一賊の殺人鬼であり。
そして、人間のあり方なのだった。
「そういえば討識さん」
「何だ糞餓鬼」
「俺に連れがいるって、言ったっけ」
「ああ? ああ、そりゃあな……」
考えたところで分からなかったので、素直に聞いてみた。
別に聞いたところで、今更意味はないし、討識も答えてくれるとは思ってないのだが、意外にも討識は、その質問に答えた。
「テメエ自身の生活の為なら、テメエは一人で何とかするだろうが。そうしないってこたあ、テメエが誰か囲ってるってえ予想はつくぜ」
首だけで振り返った討識の瞳が、月明かりのせいか、光ったように見えた。
清濁併せ吞み、綯い交ぜに掻き回した、灰色の瞳。
「テメエは一賊の誰より、人間に近いからな」
◆ ◆
仮の拠点としている教会への帰路の途中、人識は封筒の中身を覗いていた。
数えてみたところ、新品の一万円札が、二十枚入っていた。二十万円の臨時収入である。
これだけあれば、エコノミークラスぐらいなら、飛行機のチケットが取れるかもしれない。と思ったが、そもそも人識と伊織、二人共パスポートがなかった。結局のところ、アメリカのヒューストンへは、密入国で渡る他ない。その事に気づいた人識は、伊織と同じ思考に至った事に軽く落ち込んだが、気を取り直して今後の道程に考えを巡らせた。
とりあえず路銀は手に入った。使い方次第だが、しばらくは持つだろう。だが、私鉄でアメリカ行きの便がある国際空港へ行くとしても、問題はその後だ。最近の空港のセキュリティは厳しいと聞くし、どうしたものか。やっぱり海路の方が確実かもしれない。貨物船のコンテナに紛れれば何とかなるかも、いや伊織にそれが可能だろうか。義手をつけたばかりだし、そもそもスニーキングミッションが得意だとは思えないし……。
最悪、東南アジアからの密航船を襲うか。と考えていると、前方から人が歩いてくるのが見えた。女性である。青色の街路灯のおかげで見づらいが、やや特徴的で、目を引きやすい容姿であった。
青色の光で色彩は分からないが、恐らくは淡色のツナギを着ている。胸ポケットには軍手が差し込まれ、靴は黒のトレッキングシューズ。これだけなら工業系の作業員に見えないでもないが、持っているのは工具箱ではなく、薄汚い布に包まれた、細長い棒状の物体である。いや、詳しくないだけで棒状の工具もあるのだろうが、人識は経験上、その包みの正体に、見当がついた。
ライフル銃だ。遠距離に向けて銃弾を発射する、狙撃銃だ。
そしてそれを担いでいる女性は、端正な顔立ちで、有り体に言えば美人だったが、しかしお洒落さなんて要素は微塵もなかった。絹糸の様に細い黒髪は簡単にお下げにし、眉は細くて瞳も大きいが半眼と、良いビジュアルをより良く魅せようという気がない。他人の評価に一切興味がない、という性格を、簡潔で如実に表していた。
だが、確固としてそこに存在はするが、どこか不自然というか、幽霊の様な妖しさがあった。幽霊、怪異、妖怪。この住宅街のど真ん中よりも、田舎道や、山林を背景する方が似合う、幽鬼の様な神秘性を感じられた。
こんな超自然的な自然さを醸し出しながらも、不自然に容姿に気を使わない女性を、人識は見た事がなかった。
「……あら」
恐らく目に留まった時間は数秒もないだろうが、この女性は人識の視線に気づいた。
何をするかと思えば、近づいてきた。女性は何だかんだで目に留まる存在だが、人識は相当に目立つ容姿をしている。住宅街よりも繁華街が似合うタイプだ。そんな人識に、つかつかと無遠慮に近づく。この時点で、この女性も、やはり真っ当な人間ではない事が窺い知れた。
「………」
女性としては平均的な背丈だが、それでも人識よりは高い。
女性は上から人識の顔を覗き込む。
逃げる事は出来たが、人識はその場から動かなかった。この女性は明らかにプレイヤーだが、逃走を許さないほどに強い訳ではない。ただ、この女性から瞳を逸らしてはならない、そんな雰囲気が、そこにはあったのだ。
宿命というか、天命というか、運命というか。
逃げてはならない様な気がして、人識はそこに留まっていた。
「……あなた」
ようやく言葉を発した。と思ったら、予想外の言葉を口にした。
「その刺青、どんな意図があっていれているの?」
「はあ?」
神秘的な雰囲気のする彼女が、素っ頓狂な発言をした。
「何だそりゃ。どういう意味だ」
「意味はないわ。理解は出来ないけれど意味深長ではあったから、ただ気になっただけ」
「ええ……」
人識は理解した。この女、所謂、残念な美人だ。
それまでの情緒が一気に消し飛び、テンションも下がった。途端に疲労感も押し寄せて、どうでもよくなった人識は、もう立ち去ることにした。
「用がねえならどいてくれ……もう帰る」
「それは失礼したわね。さようなら」
「はいはいさよなら……」
お互いに道を譲り、道路を渡り、角を曲がって、姿は完全に見えなくなった。
そのまましばらく歩いて、何の気なしに振り返った。当然だが、あの女性はいない。変な女だったな、と思ったが、考えてみれば自分の周りの女性は、大体が変な女だった。
頸織しかり、伊織しかり。昔なら匂宮出夢や西条玉藻もそうだし、最近ならあの赤い請負人もそうだろう。そういえばチューブトップにホットパンツでサンダルとかいう、露出度満点な敵もいた訳で、人識はこれまでの人生、思いの外、沢山の奇矯な女性に出会っていた事に気づいた。
「……女に振り回されるのが俺の人生って事なのか? ふざけんな。偶々、行きがかり上、仕方なく、関わってるだけだっつーの」
しかし、変な女だった。雰囲気だけは幽霊とか、妖怪のそれみたいだったのに。
まるで狐に化かされて、揶揄われた様な。
「――まてよ」
はっとして、手元を確認する。忘れていた、金の入った封筒を手にしていたではないか。
急いで中身を確かめる。あんな変な奴が、あんな距離まで近づいたのだ。目的があるとしたら、間違いない。それはスリだ。
封筒の口をぱっくり開けて、中を覗く。
二ミリぐらいの紙束が入っている。
引き抜くと、しっかり一万円札だった。
「……傑作だぜ」
もう考えるのは止めだ。
とにかく、今はヒューストンに行く方法を考えろ。話はそれからだ。
無理矢理にあの女性を意識の外に追いやり、方策を練る。もう人識には、それ以外の事を考える余裕が無くなってしまっていた。
それ以外の事。
例えば、恐らくはプレイヤーであるあの女性がこの街に――零崎討識のいるこの街にやってきたのか、とか。
奇抜な格好の人識に、どうして無警戒に接近したのか、とか。
明らかに人識の刺青よりも、その黒々と濁った瞳を見ていた事、とか。
零崎討識。あの男とその女性が、
そして結局、
そういう色々な事には考えを巡らさず、人識は帰路に就く。
そうしている内に、人識はあの女性の事を、すっかり忘れてしまっていた。
◆ ◆
こうして零崎人識は、何とか旅の資金を調達する事が出来たのであった。
当然、一文無しの人識に返済能力はない。だからこれはほとんど譲渡したも同然の貸し借りであり、討識も半ば手切れ金の様なつもりで、人識に貸している。返ってこなくてもいいから、その代わりに顔も見たくない。そういう意気で、人識に纏まった金銭をくれてやったのである。
そうして、零崎人識と零崎討識は、以後、接触する事はなかった。
人識がこの街に近づかなかったという意味でもあるし、討識もわざわざ探し出さなければいけない用件がなかったという意味でもあるが、もっと物理的に、出会う事そのものが、出来なくなってしまったのである。
橙色の暴力。
その桁外れに突出した、超絶な破壊に、零崎一賊は狙われて、壊滅する。
当然の様に、それには零崎討識も巻き込まれる。性質そのものが根本から異なる人識とは違い、限りなく人間に近づこうと足掻く討識もまた、殺人鬼であり零崎だ。零崎の姓を名乗る以上、この騒乱からは逃れられない。
人識は去る。
討識は残る。
それは討識が結論を出した時点ですでに決まっていて、ともすれば粗筋の様に書き記された、運命の一端であった。
人識と討識の邂逅。
それは零崎一賊が完全に壊滅するまで、もう一月を切っていた。
以上で第四話は終了となります。長らくお待たせしてしまい、申し訳ございませんでした。
次回更新は恒例の未定ですが、この作品を投げ出すつもりはありませんので、気長にお待ちいただければ幸いです。思い出した頃には更新されているはずです。
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