零崎討識の人間感覚   作:石持克緒

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 あけましておめどうございます。石持克緒です。

 年末年始をいかがお過ごしでしょうか。私は昨年末から風邪を引き、新年早々幸先の悪い年明けを迎えました。



 そんなこんなで第五話二部、更新致します。






殺人鬼と邂逅して恐慌(2)

 

 少し昔の話をしよう。

 某県某群のある武術道場は、江戸時代より続く古武術流派の一つであった。後目を継いだ男は若く、頑健な肉体と優れた技術を持つ強者であったが、高度な武芸者にのみ技術を伝授するという、時代の流れにそぐわない決まりを律儀に守り通した結果、門下生がいなくなってしまい、後継者がいなくなるという深刻な問題を抱えていた。

 この問題を縁故にする武芸者に相談したところ、彼が営んでいる道場は男子のみを跡継ぎとする掟があり、彼の子供は娘が一人いるだけであるから、今代で流派が潰えてしまう事が分かった。

 そこで二人は、それぞれの技術を保持し、伝承させる為に、二つの流派を統合し、新しい武術として再興する事にした。強さによらず、幅広く門下生を募り、他の流派や格闘技を研究し、研鑚を怠らない、現代に通用する武術を興す事にした。

 その証として、一人娘を男へ嫁にやり、生まれた子供を後継者として育てる事が決まった。

 

 茶酒美澱(ささかびおり)は、その新興道場の一人娘で、次期当主となるべく誕生した。

 

 美澱(びおり)は幼いながら、突出した身体能力を持っていて、特に膂力に関しては大人も敵わない程に力があった。また、スピードも、スタミナも、動体視力も、とても子供とは思えないレベルで優れており、その上で記憶力や再現性に富んでいて、教えた技をみるみる吸収し、生まれ落ちて数年、武術を始めて数ヶ月で、並大抵の強者では相手にならない程に成長した。

 だが、その神童には、ある問題があった。

 幼い一人娘は、非常に鈍かったのである。いや、拳足の速さや反射神経等は、申し分も無いのだけれども、こういう長所が、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 例えば、組手の際には、美澱は手を出さないどころか、相手の攻撃に対して防御をしない。捌きもしなければ避けもせず、ただ突っ立って、攻められるのみである。

 この時「防御しろ」と言われれば見事に受け、そして「攻撃しろ」と言われれば素早く制するのだが、あまりにも極端に受動的過ぎる。美澱は身体能力こそ人並外れていたが、意思決定に欠けていたのである――プログラム通りに動く機械の様に。

 

 ある日、事件が起こった。

 組手の最中、美澱が相手の眼球を突いたのである。

 命に別状は無かったものの、相手は片目の光を失ってしまった。当然、その責任は道場主である父親に向き、事態を重く見た父親は、収束するまでの間、道場を閉じる決断をした。

 この件を受けて、ようやく美澱の両親は意識した。

 愛娘は鈍いのではなく、人間性や倫理観、自然や道徳といった意識が、全く備わっていないという事に。

 

 そして翌日。

 この武術道場で、人が殺された。

 

 板間の道場の中央で、父親は死んでいた。

 脱衣所で蹲る様に、母親は死んでいた。

 道場の片付けを手伝いに来ていた門下生数人も、死んでいた。

 その日、この道場にいた人間は、皆残らず、死んでいた。

 ただ一人、幼い愛娘以外。

 茶酒美澱という、一人娘の神童を除いて。

 

 

 

 この一連の出来事の結果、この武術流派は完全に断絶、解体され、道場も取り壊される事になった。

 直後に一人娘は失踪してしまい、この一件について詳しい事実を知る者は、誰もいなくなった。当時の警察も、集団殺人と失踪事件が絡んだ、重大で悪質な犯行と捉えて捜査していたが、物的証拠や目撃証言、手掛かりはおろか取っ掛かりすら無い異様さから、捜査は難航した。もしかしたら、失踪した一人娘が、この惨状を引き起こしたのではないか、という想像を、警察組織も振り払いたかったが故に、なのかもしれない。

 一つ、事件前日に、一人の女性が道場を訪ねていたという証言はあったが、それが犯行と結びつくとは考えられず、またその人物を特定出来ず、捜査資料にファイリングされ、埋もれていった。

 そうして、大して成果は上げられず、事件は迷宮入りする事になった。

 

 

 

 後に、この事件について、零崎頸織(ぜろざきくびおり)はこう言っている。

 

「人間を倒す為に力を鍛えて、人間を倒す為に技を学んで、人間を倒す為の心を持っていた。私は人を倒す為に生まれてきた。そして倒すべき人間が目の前にいて、結果的に死んだ。起こるべき結果、望まれている結果を、私は実現しただけ」

 人殺しの技を、人殺しに使っただけ。

 人殺しとなるべく、人を殺しただけ。

「何を思うも考えるも無い。は殺人鬼で、君は人間。ハナから違う生き物なんだから、無理して合わせる必要なんて無いんだよ」

 ただ

 ――――。

 

 ◆   ◆

 

 三ヶ月が経った。

 愛舐(あいなめ)と別れ、お土産に貰った英国騎士風三明治(サンドイッチ)(要は直火焼き塊肉サンド)も食べ尽くし、半日かけて繁華街へ歩き、仕事を探し、と色々と過ごして、牧場から遠く離れた某県某市に、頸織(くびおり)はいた。

 とりあえず腹ごしらえ、その後に仕事を探そうと、キャリーバッグを引き摺りながら、街を歩く。

「んん? うーん……」

 繁華街だから喧騒は付き物で、人混みも同様だ。その中に紛れて、頸織は歩みを進めるが、何故だか、妙な感じがする。

 違和感を覚える。初めて経験する、奇妙な雰囲気。けれどもこの空気感は知っているような、よく分からない感覚。

(記憶してるような、してないような)

(どーも落ち着かないねえ……)

 ごちゃごちゃした雑多な人間の群れの中だから、神経が昂っているのかもしれない。しかし基本的に市街地で活動する以上、人混みなんて見慣れ過ぎていて、今更、雑踏に混じったぐらいで暴走なんてしない。それに、自制が利くと認められているから、殺人鬼として独り立ちしているのだ。物見遊山な生活であっても、殺人衝動をコントロール出来ない様な半人前ではない。

「――ま、いっか。まずはご飯ご飯……」

 変な感覚は置いといて、先に食事にしよう。

 答えを出せない問題に構うのは、単純に時間の無駄だ。すぐに片付く問題から取りかかる方が賢い。つまり腹を満たすのが先決である。

 やや楽観的であるが、これが頸織の旅路における指針だった。兎にも角にも優先されるのは、食事と睡眠である。その次に重視するのは入浴と洗濯、三番目に娯楽だ。一賊の他の殺人鬼からは呆れられるだろうが、少なくとも頸織はそれで生活が出来ている。食事も睡眠もしっかり取っているし、無一文でなければお風呂も入っているし、洗濯だって街にいる間はする。だから、この方針を曲げるつもりは一切無かった。

「んーと、ホットミルクティーと日替わりパスタセット。大盛りで。あと、デザートにカスタードプリンとティラミスでお願いします。あ、やっぱコーンポタージュも追加で」

 テラス席のあるカフェレストランに入り、注文した頸織。こんな調子で散財しているから金欠になるのだと、零崎軋識(ぜろざききししき)あたりから説教されそうな行いだが、頸織は努めて気にしない。

 先に運ばれてきたミルクティーを口にしながら、雑踏を見やる。相も変わらず人々が行き交うばかりだ。

 普段から見慣れた光景で、何処に行っても見られる風景。こうした中に踏み入って、思うままに人間を殺せたら、さぞや爽快だろうなと、頸織は思う。

(というか、それは殺人鬼全員の望みだよね)

(私達は、どうしようもなく、時代に合ってない)

 暴力が公然と行われてきた時代。例えば織田信長だとか、いっその事、戦争の真っ只中みたいな時代に生まれたかった。今みたいに紅茶もパスタもデザートも食べられないけれど、戦場に出られれば人殺しは許容される。法規制も現代の様に厳しくはないから、殺人も発覚しにくいし、そういう世界の方が、恐らく零崎一賊は生きやすいと思う。上手くいけば権力者だとかに重用されて、忍者みたいな立ち位置に収まれるかもしれない。

「……いや、それは闇口(やみぐち)の役割か」

 主人の為に殺す主義、暗殺者集団『闇口衆(やみぐちしゅう)』。やっている事は、現代に生きる忍者そのままだから、戦国時代でも変わるまい。

 そうなると権力者に仕えるというのは、零崎一賊(ぜろざきいちぞく)の様な存在には、例え時代背景が変わっても、難しい様に思える。単純に兵士を求めるのであれば、匂宮(におうのみや)の様な武芸百般に通ずる殺し屋、特にその分家の連中が重宝されるだろうし、責問、拷問ならば墓森(はかもり)がいるし、処刑、刑罰ならば薄野(すすきの)がいる。他二名にしたって、何かしらの役回りで、起用される事だろう。

 となると、殺人鬼という厄介者は、戦乱の世であっても雇用されない、勤める前からお払い箱な存在なのかもしれない。

 今と同じに。

「ま、いいけどね。今更」

 ウェイターがやってきて、パスタセットをテーブルに並べる。汁気のあるソースが絡んだバーミセリーにフォークを差し入れ、ぐるぐると回転させて巻き取る。大きなだまになったそれを、頸織は大きく口を開けて、口腔内へと押し込んだ。

(現代に合ってないし、昔であっても生き辛い)

(所詮、どんな時代でも、私達みたいのは日陰者なのかも)

 だからこそ、零崎一賊という集まりが生まれたのだろうけど。

 一人ぼっちになりたくない為に。

「……()()()()()()()()

 そこでふと、思い出す。

 成程、嵌賀愛舐(はまりがあいなめ)が言っていたのは、この事なのだろうのか。優れた観察眼がどうのこうの言っていた気がするが、だとすると、あの似非騎士の大言壮語も、あながち嘘では無いのかもしれない。

 愛舐への評価を少し改めたところで、デザートを食べ始める。人通りの多さは変わっていない。プリンを食べ終えて、ティラミスに手を伸ばした時、視界の端で、妙な動きを捉えた。

「あれは……」

 群衆の中、一般人の群れに溶け合わない三人組。三人共に派手で威圧的なジャケットとワイシャツ、高級品らしい金無垢のアクセサリーで着飾っていて、人通りが激しく、多様な様相の人間だらけの中でも、かなり浮いている。それが二、三十代らしい男性達で、全員がしかめっ面をして歩いていた。

(どーみてもカタギじゃない)

(街が妙なフインキなのは、あのおじさん達のせい?)

 怪しいが、確信はない。この街の妙な雰囲気なのも、単純に自分の気のせいなのかもしれないし、極道自体、繁華街にはいくらでもいる。不審人物がいるというだけで、その人物が元凶と断ずるのは、性急に過ぎる。

 とはいえ、怪しいと勘付いたのも事実だ。街の状況を把握する為にも、ここは動かなくてはなるまい。

「つけよう」

 ティラミスを一息に頬張り、租借し、ミルクティーで流し込む。金額を見ずに注文したので、仕方なく一万円札をテーブルに置き、キャリーバッグを持って、その場を後にした。味は上々だっただけに、そして金額以上の代金を払うのは惜しいが、急がなければ見失ってしまう。

(ヤクザの抗争? にしては、街に活気がある)

(物々しくない割に、危険な匂いがする。と言うのか)

 群衆を合間に挟んで、三人組の後を追う。

 会話をしている様だが、当然ながら距離があるので、その内容までは窺えない。頸織に読唇術の心得は無いので、その欠片も分からないが、遠目から彼らの表情を見る限り、何らかの焦りを感じている様だった。

 焦燥。焦慮。

 そして緊張の色。

 警察や機動隊の姿が見えないし、一般市民に緊迫感が伝播している様子も無い。となると、それ以外の理由、複数のグループ同士の衝突ではない何かが、彼等の間で起こっていると考えられる。

 つまり、勢力の内部で発生した問題。

 それも迅速かつ、秘密裏に処理しなければならない、重大な事件。

 それがこの街のヤクザ達を焦らせている。

「鬼が出るか蛇が出るか……だっけ? どうだったっけ? ……しかし」

 邪魔だなあ、コレ。

 そう呟いて後方に気を向ける。邪魔なのは、がらがらと引いているキャリーバッグであった。

 旅から旅へのお気楽ぶらり珍道中。荷物の中身は洋服や下着を数着、携帯食、防災用具数点といった、必要最低限の日用品、消耗品しか入っていないが、これが案外、嵩張る。だからある程度、容量のある鞄を選んだのだが、がらがらとキャスターを転がす音は、大き過ぎて、当然目立つ。それにスピードも出ない。人混みの中では尚更で、頸織はずるずると、三人組から引き離されていく。

 そして、最悪の事態が起こった。

「――あっ」

 ばき、と音がしたと思ったら、キャリーバックのキャスターが折れていた。

「あーあ……あーあー」

 完全にやってしまった。

 根元から折れてしまって、小さい車輪がアスファルトを転がった。これでは、普段の移動にも支障をきたしてしまう。頸織の旅を長年支え続け、まれに鈍器としても役に立った相棒であったが、どうやらここでお別れらしい。

 周囲を見回すが、やはり距離が開いてしまったらしく、三人組も見失ってしまっていた。

 残念だが致し方ない。街の状況を探るのも大切だが、こちらの方が死活問題だ。頸織の財産は、全てこの中に納められている。荷物の楽な運搬は、何より重大な課題なのだ。

「やっぱ安物はダメかあ……接着剤でどうにかなるかなあ」

 予定変更、先に宿を抑える。

 今日はそこで休憩しながら、次の行動を考えよう。

 バッグを持ち上げ、踵を返して街を歩く。

 金欠の頸織が泊まれるところとなると、カプセルホテルか簡易宿泊所だろう。それかラブホテルか。だが、大抵の事に大雑把で粗放な頸織でも、プライベートを確保出来ないところは避けたいし、生理的に無理な場所で寝泊まりするのは嫌だ。無論、綺麗で清潔で壁が厚くて安い施設もあるけれども、そういう宿は稀である。ノープランの旅の弊害と言えるだろう。

(ラブホには泊まりたくないけど、他に見つからないなら、選択肢に入っちゃう)

(さて、どの辺にあるんだろうね)

 大通りには無さそうだった。となると裏路地か。

 キャリーバッグを翻して、小道に入る。

 日が差す道から、影の薄い道へ。人間の多い道から、猫の一匹も通らない道へ移る。

 その瞬間。

 

 ほんの僅かに、()()()

 

「――――」

 反射的に身体が動いていた。足早に進む。

 嗅ぎ慣れた匂いだ。

 以前から知っているし、つい最近も嗅いだ覚えがある。

 どくんどくんと早鐘を打つのは、速さを増し、駆け足になったからだけではない。

(この匂いは知っている)

(これが、変な空気の原因なの?)

 恐らく違う。原因は、その匂いではなく、元凶のせい。

 この雰囲気を作り出しているのは、血潮の匂いを撒き散らした、根源のせい。

「はてはてさてさて」

 路地を曲がった。

「面白くなってきたねえ」

 そこは袋小路になっていた。雑居ビルの合間に拓かれた、コンクリート造りの空地。

 ごみと埃と汚れに塗れた、日の指さない空間に捨てられていたのは、死体だった。

 血液の流れ出た死体。

 これが、原因の導因か。

「こうなりゃこっちのもんよ、多分。生きてる人間より、死んでる人間の方が接しやすいしね。こうして名探偵、零崎頸織は、事件究明の為、一人捜査を始めるのであった」

 死体を目の前にして、頸織はおちゃらける。殺人鬼に、死者への尊厳なんて無い。

 上半身に集中して血溜まりが出来ていたが、時間が経っているからか、大体が乾いていた。

 頸織は、堂々と硬い血溜まりをブーツで踏む。

 男性の死体だ。瘦せ型で、短く切りそろえられた髪は、生え際に剃り込みが入っている。身なりは赤いワイシャツに黒いスーツ、革靴。胸ポケットには銀縁のサングラスが覗いていて、総合的にファッションとしては、攻撃性が強い。

 喉元から左頸部にかかる大きな刺創が、致命傷と思われる。というか、それ以外に目立った外傷が無い。恐らくは、ナイフの様な鋭利な刃物を喉に突き刺し、そのまま頸動脈を斬り裂いたのだろう。しかし、切開した傷はかなり粗い。凶器を持っているとはいえ、少ない手数で殺せるとは、手慣れている事が窺えるが、一方で、戦闘の訓練を受けた者と考えると、いささか不自然に思える。

 不自然と言えば、この男、装飾品の類が無い。いや、高級品っぽいサングラスはあるが、指輪とか、腕時計とか、ネックレスとか、分かりやすい金品を身に着けていない。死体の足元を見ると、本革らしい財布が落ちている。中身を確かめると、札入れと小銭入れは、見事にすっからかんで、逆にキャッシュカード類は手付かずであった。強盗目的なら、普通は根こそぎ奪い取る。換金のあてが無かっただけかもしれないが、それは装飾品も同じ事だし、中途半端に金銭が残っているのは、どうにも不可解だった。

「んん? これは」

 ジャケットを捲ると、ワイシャツの上からホルスターを着用していた。形状から拳銃用だと分かるが、銃は納められていない。辺りを見渡しても、それらしい物は落ちていなかった。

「犯人がお金と一緒に盗ってった、か? うーん、どうだろうねえ……」

 現場検証としては、これぐらいだろう。もっとも、頸織は警察ではないので、調べようにも限界がある。

 警察ではないし、ましてや探偵でもない。

 しかし零崎として、大まかにプロファイリングは出来る。

「恐らく……これは」

 頸織は、この殺人の解答、犯人の正体について、おおよその見当がついた。証拠が無いので、当然ながら推測でしかないが、けれども、確信を持って言える。

「つまり、犯人は」

「――何モンだ、てめえっ!」

 怒声。

 薄暗がりの中、袋小路に怒号が響いた。

「…………」

 頸織は鬱陶しそうに、その声のした方向、この路地の曲がり角へ振り返る。

 その相手は、先程まで尾行していた三人組。いかにも極道らしい、厳めしい強面の男達であった。

「……何モンも何も、零崎だよ。私は」

 若干に興が削がれた。犯人は犯行現場に戻ってくる、と言うが、明らかにこの三人は犯人ではない。頸織としては、肩透かしを食らった気分になった。

「……あー、もしかして私がこのおじさん殺したと思ってる? そりゃー完全に誤解だよ。私は偶然、あくまでも偶然、ここに迷い込んじゃっただけでさ。ほら、こーんなか弱い女の子が、ヤクザ屋さんぶっ殺すなんて、無理無理」

「嘘を吐けっ! この状況で、殺した奴がてめえじゃない訳ねえだろ!」

「むむ……」

 確かに、この三人から見れば、限りなく怪しいのは頸織だ。袋小路に倒れる死体を、恐怖のきの字も無く弄くる少女が、全く無関係なんて事はあるまい。

「いやいやホントだって。状況からすれば、確かに怪しさ満点だけどさ」

「……どうします? 兄貴」

 叫んでた下っ端らしい男とは別に、冷静に指示を仰ぐチンピラ。その言葉を聞いた上役らしい男が、唸る様に口を開く。

「……女ぁ、本当に殺してねえのかい?」

「ホントもホント。神に誓ってホント。このおじさんは殺してない」

 …………。

 今、とてもマズい事をコメントした気がする。

 と、思った瞬間、上役の男は懐に手を入れた。それを見て下っ端二人も腹に腰にと手を伸ばし、それぞれが得物を抜いていた。

「あーあ……やっちゃってるねえ」

 二人は拳銃、自動式拳銃(オートマチック)のマカロフ。

 上役の男は白鞘に納められた、一尺程度のドスを手にしていた。

「あんた、殺しちゃいねえだろうが、無関係でもねえだろ。知ってる事、洗いざらい話してもらう」

「洗いざらい話すから、喧嘩はやめよう。大した事は知らないけど」

「信用出来ねえ。あんた、カタギじゃねえだろ。死体も、チャカも、ヤッパにも、全然ビビらねえ奴が、まともな訳がねえ」

「そりゃそーだ。だから、とりあえず怪我させて、ヤサで尋問しようって事か」

「あんたは蛇だ。傷でもつけなきゃ危険すぎる」

 言って上役の男は、二人に小さい声で指示を下す。自分がドスで突っ込む、後ろからぶっ放して援護しろ、と。

 数の利を活かした常套手段だ。シンプル故に、一人では対処しづらい。

「……話し合いで穏便に済ませた方が、安全で利口だと思うんだけどな。お互いに」

「……行くぞ!」

 それは開戦の信号ではなく、開始の符丁。

 右手に刃、左手で右手首を掴み、男は突貫する。確実に対象を刺す、殺意を固めた意思行動。

 その間に二人は構える黒い銃身をしっかりと握り、腰を入れて反動に備える。

 対する頸織は、出遅れた。

 気合の入った合図を聞いていながら、頸織は何の構えも、何の準備もしていなかった。彼女は一切合切、目の前の脅威に、何を用意もしなかった。

「いやはや……気が早いし荒いんだから、もう」

 それは当然。頸織にとって、この三人は脅威ではない。

 脅威ではないし、戦いでもない。

 頸織は言う。

「それじゃあ、零崎を始めよう」

 ドスの切っ先が後一寸、という瞬間、ようやく頸織は動いた。

 左脚を退いて腰を切る。それだけで男の突撃を躱し、同時に懐に入る形を作る。

 そして左脚を蹴り出し、拳を放つ。

「――――っ」

 その息遣いは、一体誰のものだったか。

 頸織のした事は、実に単純。蹴り足の勢いを乗せて、右正拳を繰り出しただけ。それは突きに威力を持たせる為の、格闘をかじった者なら誰でも知っている、基本的な攻撃動作だ。

 ただそれだけで、()()()()()()()

 上下の可動域の限界を超え、首が見上げる様に背後に曲がり、その勢いで身体全体が吹っ飛んだ。

 派手で上質なジャケットを、コンクリートの地面で思い切り擦りながら、銃を構えた二人の下まで、仰向けにスライドする。

「ひっ――」

 頼れる兄貴分は一撃で、ほんの一瞬で、あっけなく死んだ。

 喉頭蓋まで裂けた喉から血が吹き出す。顔面は歯も顎もぐしゃぐしゃに砕かれて、顎関節も潰れたのか、ずたずたで血まみれの舌をだらしなく晒して、大きく開け広げられている。さらに衝撃の強さからか、丸くて潤んだ眼球が、ピンク色の眼筋を伴って、瞼から零れてしまっていて、もう本人の影も無い。

 まるで下顎だけ交通事故にでもあったかの如き有様は、人死という非常事態を、殺人という異常事態に陥らせた事を、端的に示していた。

 

 この女は、蛇じゃない。

 鬼だ。

 

 人間じゃない。

 相手にするべきじゃなかった。

 

 そんな事実を認識するより速く、頸織は動いていた。

「よっこいせ」

 一人の胸倉を掴んで、薙ぐ様に引っ張る。

 通常、見た目通りの華奢な腕では、大人の男を動かすなんて不可能だ。

 しかし、ぐいっとかけられた力は、まるで巨象を相手取った様に強烈で、あっさりと足を引き摺って、隣の男とぶつかる。

 その男は汚いコンクリートの壁まで吹っ飛んだが、掴まれたチンピラは強引に引き摺り倒され、強かに地面に頭を打ちつける。脳が揺れて視界がぶれたが、意識はまだ、辛うじて残していた。

 結果としては、意識は手放して、気絶していた方がよかった。

 頸織は大きく脚を上げていた。狙いは明確、踏みつけである。

 人体でも特に厚い踵骨を、腕の三倍以上の筋力を持つ脚部で、全体重を乗せて射出する蹴り技。

 シンプル故にダメージは絶大で、特に急所に食らった場合は、絶命もありうる為、大抵の格闘技では禁止されている攻撃だが、無論、喧嘩に反則は無い。

 男は反射的に、股を閉じ、腕を頭部に回して防御に入る。仰向けながらも身を縮めて、腹部に命中しても、威力を軽減するつもりだ。

「おりゃ」

 頸織が踵を落とす。読み通り、狙いは男の腹だった。

 だが、威力は人のそれでは無い。

 ブーツのソールの形に沿って皮膚が千切れ、肉が沈み、内臓を押し、ばきばきと骨を砕き、貫通するまで踏み潰した。文字通りに腹と背中がくっつき、男は口腔を通ってせり上がってきた血を吹いて、空きっ腹となった。

 悶絶する事も許されない壮絶な痛み。

 男は痛覚の赴くまま、絶叫する様に血液を吐き出し続ける。

 それを無視して、頸織は脚を引き抜き、最後の一人を見据える。

「あ、ああうあああぁ」

 男は逃げた。

 当然だった。この女の暴力は人知を超えている。

 ものの数秒で二人を惨殺された混乱から、マカロフを握り締めたまま、袋小路から駆け出す。

 手にしている拳銃を撃ちながら逃走した方が、逃げ切れる確率は高いのかもしれないが、そんな事は頭に無かった。ただひたすらに、強大な化物への生物的な本能として、全力で遁走する以外の選択が、思考の端にも浮かばなかった。

「こらこら。逃げちゃダメだって」

 それを見て、頸織は普通に距離を詰め、血濡れのブーツで、男の革靴の踵を踏んだ。

 突然、影が縫い付けられたかの様に、片足が地面から離れなくなったと感じた時には、男はうつ伏せに転倒していた。顔面を強く打ったが、痛みに悶えている暇は無い。

 一秒でも速く、ここから逃げなくては。

「いや無理でしょ。逃がすつもりなんて無いし」

 冷酷な宣告で、現実的な真実。あっさりと捕まって放たれた言葉は、思考を読まれたみたいに簡潔だった。

「んで、私いまだに状況が飲み込めてないんだけどさ。すこーし質問するから、ちょちょいと答えてくれないかな? あ、嘘はダメだよ。嘘吐きは泥棒の始まり、針を千本飲ますからね」

 踵から足を離し、倒れた背中に乗せる。これでもう、身動ぎ一つ出来ない。逃げようとした瞬間、仲間と同じ末路を辿るに違いない。

「私の質問に、しっかり正確に答えてくれれば、それでいいんだよ。ちゃんと本当の事を言っていれば、このまま踏み潰さないでいてあげる。今この瞬間に死ぬのと、全力で生き延びようとするのと、どっちが賢いのか。簡単な事」

 揺れる頭で考える。男は、まだマカロフを手放していなかった。これで撃つか? いや、真後ろにいる相手に当てられる気がしないし、当たる気もしない。宣言通りに、自分は踏み潰されるだろう。ならば言う通りに情報を吐いてしまった方が、身の振り方としては正しい。そして組織を裏切ったから、この街を出る。敵前逃亡で追い込みをかけられる可能性――()()()()なら間違いなくやるだろうが、流石に国外に出てしまえば大丈夫だろう。今はやり過ごすのが、賢明で先決だ。

「……分かった。話す。だから殺さないでくれ」

「じゃあ最初の質問。この街、何だか変なフインキ……これじゃ感覚的過ぎるなあ。あー、この街で何か起きてるの? そこから教えて欲しいな」

 男は覚悟を決めて、情報を吐き出した。

「……この街は、俺達、鴨枝能(かもえない)組のシマだ。二年程前から、この街で殺しが起きてる」

「それは……君達のお仕事じゃなくて?」

「違う。分かってんだろ。俺達だって、無暗に人は殺せない」

「そりゃそうだ。しがらみとか、あるもんねえ。でも利益があるなら、そんなもんは飛び越すのが、君達って人種でしょ?」

「利益が無いなら手を出さないのも俺達だ。とにかく、この街の人間が、二、三ヶ月に一人のペースで殺されてる。ここみたいな人気の無い場所で、刃物で急所を一突き。そんで、金目の物を奪い取る。強盗目的の、手練れの殺しだ」

「ふーん。なら、君達が無関係である証拠は?」

「…………」

 男は言い淀む。が、数拍置いて、言った。

「……殺しの、最初の内は、一般人が被害者だった。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「へえ」

「こうなっちまったら、自衛が必要だ。てめえらの身は、てめえらで守んなきゃならない。だから俺達は、外回りの時は得物を持ち歩いて、必ず複数人で行動してる。どんなイカレ野郎か知らないが、奴さんは俺達が一人の時しか、襲わないみたいみたいだからな」

 成程、と頸織は独り言ちる。

 つまり、街は長期間に渡って警戒態勢であったという事か。このヤクザの言う事を信じるならば、街中は活気があるのに、妙に張りつめているのも頷ける。恐らく、連続殺人が起こっていて、その犯人が潜伏している、という噂も、街に広がっているのだろう。明らかな筋者が、厳しい面持ちで闊歩している事もあって、一般人の間でも、少なからず緊張感が伝わっているのかもしれない。

「じゃあ次の質問。そんな状況なのに、何で警察は動いてないの? 君達みたいなヤクザが大っぴらに動くのに、警察が警戒しない訳ないじゃん」

 変に緊張が蔓延っている割に、警察官の姿が見えない。この男の話を聞くと、それが尚更異様に思える。無視していい疑問ではあるまい。

「それは……」だが、男の返答は、期待とは外れていた。「分からない」

「分からない?」

「本当に分からないんだ。一般人が殺されてるうちは、当然、警察が捜査してたが、次第にしなくなった」

「何で?」

「だから、分からない」

「それは結論だよ。君達だって、警察にスパイぐらい忍ばせてるでしょ? そうじゃなくても、警察に垂れ込んでる奴を見つけて、締め上げるぐらいは出来る。判明してる情報を言えばいいんだよ。さもなきゃ」

 頸織は脚に、ほんの僅かに力を込める。

 頸織にとって、傷を負わせずに生物に触れる事は、かなり難度の高い所業だ。こうした尋問は大の苦手であったが、折角今回は上手くいっているのだ。頸椎粉砕により男性死亡、という事態は避けたい。

 両者にとって幸いにも、男は情報を持っていた。

「……詳しくは知らないが、捜査を差し止めたのは、本庁の幹部職員らしい。一連の事件資料を全部回収し、この街で殺人事件は起きていなかった、そういう事にしたとか」

「どうして」

「相当にヤバい奴が犯人だからだと思う。俺達の認識では、そうだった。財政界の大物の関係者とか、警察内部の人間だとか。それに、回収された捜査資料は、公安に持ち込まれたらしい。証拠は無いが、確かな筋からの情報だ。そうなると……」

「そうなると?」

「……ウチの組が、親元から離縁される可能性が出てくる。鴨枝能組は、矢木知會(やぎしりかい)の二次団体だ。複数の組員が殺されてる上に、公安、またはマル暴に情報が渡ってたら、十分な理由になる。仮に絶縁されなくとも、厳しい制裁は免れない。だから速やかに、内々で処理する必要があった」

「ふんふん、そういう事ねえ」

 ようやく合点がいった。この街の状況に、やっと理解が追いついた。

 この男の情報を信じ、公安警察が動いているとするならば、警察組織は秘密裏に、この街の調査している事になる。しかし、今もって行われている殺人事件に、表立った捜査はしていない。

 暴力団員とはいえ、一応は市民だ。警察には保護する義務がある。だが、その様な動きは無い。どころか、事件を止めようとは考えていない様にも見える。

 これが何を意味するか。

 頸織には、察しがついていた。

 殺人に適応した動作を有しているが、プロフェッショナルとは呼べない犯行。

 金銭目的なのは明らかだが、半端に金目の物を残し、けれども証拠は残さない不法。

 証拠は一切無い。だが完璧に、完全に確信を持って言える。

 恐らく、犯人は――

「――じゃあ、最後の質問」

 頸織は問う。

「君、痛いのは嫌い?」

「は?」

「好きか嫌いか、はいかいいえか、イエスかノーか。どっちって聞いてるんだけど」

「いや待て。どういう意図の」

「はい、さーん。にー」

 問答無用に、カウントダウンが始まる。

 ゼロになったら殺される。質問の意味は分からないが、とにかく速く答えるしかない。

「嫌い。嫌いだ、当たり前だろ」

「そりゃそうだ。痛いのは嫌。当たり前も当たり前、当然だよね」

 頸織はうんうんと、一人納得する。男はその仕草に、一抹の不安がよぎる。

「もういいだろ。俺は質問には答えた。だから」

「ああ、もういいよ。質問は終わったから。だから、そのお願いに応えてあげる」

 頸織は、背中に乗せた足を外す。

 そしてその足を、そのまま引いて。

「いーち。ぜろっ」

 ぐじゃり。

 大量の血飛沫と脳漿と共に、男の頭部は破裂して吹き飛んだ。

 頸織が放ったサッカーボールキックは、まさしくサッカーボールを蹴る様に男の後頭部に命中し、そしてゴールを決めるみたいに顎部から分離させ、ネットを揺らすかの如く勢いよく頭部を飛ばした。

 一瞬の出来事。男は、痛覚を刺激される間も無く死んだ。

「踏み潰さないとは言ったけど、殺さないとは言ってない。こーいうの、あんまし趣味じゃないんだけど、まあ仕方ないよね。当事者を生かしたままにするなんて、殺人鬼としてありえない」

 軋識さんに怒られちゃう、と言って頸織は、びくびくと痙攣する男の背中、ジャケットで血染めのブーツを拭う。一度付着した血と脂は、簡単には落ちない。お気に入りだったが買い替えなければと、頸織はある程度拭き取って、諦める事にした。

「お願い通りに、痛くない様に殺してあげたから、イーブンって事で。あ、いやブーツ汚したし、キャリーも壊れたしなあ。お昼ご飯もお金払い過ぎたし、どっちかっていうとマイナスかも――うん? あ、そうだ」

 頸織は死体を蹴とばして、うつ伏せから仰向けにする。

 ジャケットの懐を探ると、値段の張りそうなブランド物の長財布が出てきたので、その中身を確認した。

「犯人のせいにすればいいじゃん。私って、やっぱ頭いいなあ」

 長財布から一万円札を数枚抜き取り、ブルゾンに仕舞う。

 そして、他の死体からも金を抜き、財布を傍らに捨てた。

 その姿は、殺人鬼と言うよりも、追い剥ぎだった。人殺しの鬼ではなく、金の亡者であった。

 殺人鬼としての生き様も矜持も、何も感じさせない、その俗物そのものな所業を知られれば、一賊中から非難を浴びる事は確実だ。金欠とはいえ、強盗に走るのは、殺人鬼であっても印象が良くない。それが風来坊気取りの頸織ときては、尚更である。

 しかし、この場にいる殺人鬼は、頸織だけだ。心配は無用の長物である。

「よっし、当面の軍資金はゲット。じゃあ、行こうか」

 死体が四つ転がる袋小路を、頸織は後にする。

 頸織には既に、この事件の概要が見えていた。だが、この街の極道に手を出した以上、急がなくてはならない。面倒事は楽しくて好きだが、あまり大事になるのは嫌なのだ。

「はてはてさてさて、どんな奴かなあ」

 自由に、気ままに、人を殺す。

 怪力無双の殺人鬼、零崎頸織の旅路は、そういう雰囲気の、曖昧模糊でファジーなものだ。現在が良ければいい、未来の展望なんて考えない、そんな理由の無い一人旅だ。

 あても無く彷徨う、亡者の様な行進だ。

 けれど、今の目的地は決まっている。

 この殺人事件の犯人、その面前である。

 

 

 







 次回更新は未定ですが、出来れば今月末にしたいところです……。

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