零崎討識の人間感覚   作:石持克緒

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お久しぶりです。石持克緒です。

本来ならこの「殺人鬼と邂逅して恐慌(3)」は今年の一月末に投稿する予定だったのですが、諸般の事情で遅れてしまい、本日更新となりました。

詳細については活動報告にて説明していますが、まあ色々あったという事です。

また、この更新と同時に別のオリジナル短編を投稿していますので、興味のある方は読んでいって下さい。






殺人鬼と邂逅して恐慌(3)

 

 

 

 また、少し昔の話をしよう。

 零崎嘴織(ぜろざきはしおり)頸織(くびおり)と出会ったのは、数年前のとある墓地での事であった。山間の小さな霊園で、一人の女性を弔っていたところだった。

 彼女の名前は、零崎日織(ぜろざきにちおり)

 殺人鬼が死亡する時、それは人間に殺された時だと相場は決まっているのだが、彼女の場合は違った。病死である。ある日突然彼女は倒れ、そのまま亡くなってしまったのだ。

 病院で死亡を確認後、病理解剖が行われたが、どうやら脳に腫瘍があったようで、腫瘍の位置が悪い上に肥大し過ぎていて、手術をしても取り除きようが無かっただろうとの事だった。全く苦しまずに逝けただろう事が、せめてもの救いだと担当した医師は言っていた。だが嘴織にとってはそんな慰めはどうでもよくて、むしろ殺人鬼が病気で死んでどうすると、やや呆れてすらいたが、とはいえ嘴織も殺人鬼で社会人だ。神妙な顔つきで諸々の手続きを済ませ、こうして葬儀を執り行うところまでこぎつけた。

 病死の上に葬式まで行うとはこれ如何に、と判然としない気持ちでいたが、日織が生前に残した遺言らしい言葉に、忠実に従ったまでの事で、嘴織の意思では無かった。嘴織としてはこれまで殺してきた相手がそうである様に、適当に放置されて自然の成り行きに任せればいいと、半ば本気でそう考えていたが、生前の意向を無視できる程非情では無いつもりだった。結果、この人気の無い霊園に埋葬する事になり、葬儀をする運びとなったのである。

「……全く、双識(そうしき)兄さんにも困ったもんね。人識(ひとしき)の奴なんて、放っておけばいいのに」

 一賊(いちぞく)の長兄と末弟の事を思い、嘴織は言う。

「餓鬼が真面目に参列する訳ないじゃあないの。元々そういう性格だし、そもそも殺人鬼だし、ねえ。ここに来てない零崎の方が真っ当だってえのに、本当、変な人……喪主なんてやるもんじゃあないわね。無駄に疲れるわ。あんたも死ぬ時は、変な遺言残しとくんじゃあないわよ。こんな面倒な役回りは今回きりだからね、頸織」

「……分かってる。迷惑かけたね、姉さんのせいで」

「本当よ。全く、金にならない仕事は人殺しだけにしてほしいわ――むしろマイナスだしね。喪主だから葬儀代はあたし持ちとか……金持ちのパトロンがいる癖して、みみっちいのよ。双識兄さんは万年スーツだから分かんないだろうけどさ、女の服って金かかんのよ。冠婚葬祭じゃあ、ちゃんとしたのを着なきゃいけないの。頸織、あんたはあんたで一着も礼服持ってないし――ああ、腹立つわ。経費って事にして氏神(うじがみ)に請求してやろうかしら」

「……それでそんな服着てるの?」

「何よ。国際情勢を加味した、グローバルなフォーマルファッションよ、これは」

 今日に合わせて嘴織は、頸織には黒いテーラードジャケットとワンピースを用意してやり、自身も服を新調した。

 白いチャイナドレスと下履きに加え、黒のパンプスに打掛と、和洋中が合わさった自慢の設えだ。長い髪も派手にならないようシニョンに纏め、葬儀における身嗜みのマナーを踏襲しつつ、礼服を新しいステージに押し上げたと、嘴織は自負している。

「……普段着をちょっといじっただけじゃん。そんなに威張れる事じゃあ……」

「日織の奴の悪いところは、しっかり受け継いでるんだね。あまり所帯臭いと病気になるって、昔から言ってきたのにさ……本当に死ぬとは思わなかったけど」

 嘴織は肩にかけた打掛から、ロングサイズの煙草を取り出して、マッチで火を点ける。紫煙を吐き出した後、足元を見て、呟いた。

「鬼も病気にゃ勝てないか……現実ってのは世知辛いねえ」

「そう思うなら、煙草は止めた方がいいよ。嘴織さんも、土の下で眠りたくなきゃ、そうするべきだよ」

「生憎、あたしは巷じゃあ、煙草屋の美人姐さんで通ってるんだ。煙草屋の女が非喫煙者なんてのは、客に対して示しがつかないでしょう?」

「面子の為に不健康になるの? 何だか変な感じ」

「煙草屋じゃあなくても、煙草を止めるつもりはないよ。健康だろうと不健康だろうと、例えあたしが肺癌になったとしても、癌で死ぬ前に人殺しで死ねば僥倖ってだけさ。満足して死ぬ、それが零崎の一番の死に様さね」

「……それじゃあ、日織姉さんはどうなのかな」

 プレート型の墓石を前に、頸織はしゃがみこんでいた。墓石には日織の戸籍上の名前と、何らかの格言らしい、日本語ではない文章が刻まれている。

「日織姉さんも言ってたよ。『零崎の殺人鬼にとって、死に様こそが生き様』だって。じゃあ、人殺しの私達が殺される事こそが、殺人鬼としての理想の死に方なら、病気で死んだ日織姉さんは、少なくとも立派な死に方じゃあなくて……つまり生き方も立派じゃあなくて……」

「……能天気なあんたも落ち込むんだねえ。面倒臭い」

 嘴織は煙を吹いて、言葉を続ける。

「病死が恥って訳じゃあないさ。健康管理が出来ない間抜けではあるけど、別にそれが本人の人生の大半を占めてたんじゃあないんだから、関係は無い。病気は病気、人生は人生、殺人は殺人。それだけだよ」

「でも、一賊の皆は、今日、ほとんど来てくれなかった。私達の、大切な家族が、死んだのに」

 嘴織は噤んだ。それは、嘴織にとっても思うところがあったからだ。

 病死は恥ではないが、名誉な事でもない。ただ、性質のままに人を殺す殺人鬼が天寿を全うするなんて、それは許されるのかというジレンマが、零崎一賊(ぜろざきいちぞく)にはあるだけだ。そのジレンマも決して大きな問題ではなく、各々の死生観を擦り合わせた際に生じる、単なる世間話程度のもので、あまり本気で考えるようなテーマではない。

 零崎日織は余計な人死にを出さずに死んだ分、零崎一賊でも評価の別れる存在となるだろう。それは仕方のない事だ。いい奴だったと悼むも、ろくでもない奴だったと蔑むも、各人の自由である。

 だが、零崎一賊は家族だ。

 流血で繋がる殺人鬼集団である。

 それがどうだ。尊ばれる行いではないとはいえ、親類の葬儀である。自分と同類、家族の死だ。それなのに、今日、参列したのは自分を除けば、たったの三人だけだった。

 零崎双識と零崎人識。そして、日織と姉妹であった、零崎頸織。

 日織の事をどう思おうが、それはどうでもいい。嘴織自身も、日織が死亡した、その事実そのものなんて、特に気にしていない。しかし縁者として、親類として、仮でも、義理でも、無理でも、日織の死を偲ぶのは、当然の行いだと、嘴織は考えていた。

 しかし、現に参列したのは、この四人だけだ。しかも、その内一人は、若さ故なのかどうなのか、いつの間にか逃げ出している。

 これには、嘴織も内心、落胆していた。

「……家族ってえのは、案外そういうもんなのかもしれないよ。いつでもどこでも仲良しこよし、ってえもんじゃあないのかもしれない。零崎一賊は家族で、人殺しの集まりで、皆が同類なんだけどさ、決して同一の存在じゃあない。全く同じな訳じゃあないんだ。だから、日織がいなくなった事を悲しむのも、そうしないのも、それぞれの自由。その悲しみを表明しないのも、また自由さ」

「そうかもしれない。ううん、多分それが正しいし、私も納得は出来る。今日、ここに来なかった事を、責めるつもりもない。けど……けどさあ」

「……まあ、言いたい事は分かるわ。あたしも、憤りが無いでも無いし。だからって糾弾する気も無いけど」

 恐らく零崎一賊という群れが、頸織の想像や期待とは異なっていたという事だろう。悲愴や落胆、色々な気持ちを、頸織は言語化して吐き出せず、飲み込めないでいる。そういうぐちゃぐちゃな感情を彼女は理解出来ず、そして理解されないという事を自覚してしまったのだろう。

 嘴織もまた、頸織の気持ちを汲み取れても、慰めるつもりは無かった。実際この一件に関しては、嘴織としては悲しさ半分怠さ半分といった感じで、厳密には面倒臭さが勝っているし、つまり今日参列しなかった連中と、心境としては同じだろう。

 嘴織は殺人鬼で、そして大人だ。

 頸織も殺人鬼で、けれど子供だ。

 二人の違いは、人生経験の差だ。蟠りを心に落とし込めるかどうか、それだけである。

 だから、大人として、嘴織はこう言った。

「餓鬼がごちゃごちゃ考えなくていいんだよ。あんたはあんた、日織は日織、他は他だ。零崎の他の連中に対して不満があるなら、あんたはそうしなきゃいいってだけの話だろ」

 慰めでも情けでも。ましてや叱りつけるでもなく。

 ただ、希望を言った。

「あんたはあんたなりに、家族を愛してやればいいんだよ」

 零崎一賊は、もしかしたら、家族としては、情の薄い集団なのかもしれない。

 でも家族を愛していない、なんて事は無い。

 そのはずだ。

「……La famille est un endroit où l'on peut être soi-même.」

「は?」

「フランス語だよ。そこに書いてある。日織の奴、洋書が好きだったろ。自分が死んで、運よく埋葬された時、この言葉を墓石に刻んでほしいって、そんな事言ってたんだよ」

「そうなんだ」

「まあ、言われたのは日本語だったから、辞書引いて調べたんだけどさ。洋式の墓に日本語じゃあ、格好がつかないから」

「……じゃあ、この文章、間違ってるかもしれないんだ」

「そう。らしいだろ?」

「……そうだね」

 所帯臭く薄幸で、地味でドジだった彼女。

 少なくとも、自分達は忘れない。

 零崎日織という殺人鬼がいたという事を、忘れない。

「さて、帰ろうか。生者は生者、死者は死者、殺人鬼は殺人鬼だ。いつまでもこんなところにいちゃいけない。辛気臭さが移っちまう」

「うん」

「――ああ、双識兄さんだ。捕獲出来たんだ。よし、帰りがけに焼肉食いに行こう。(びた)一文出さずに済ませようなんて、お天道様が相手でも許されないからねえ」

 

 

 

 これが零崎頸織という殺人鬼に、影響を与えた出来事の一つ。

 姉妹の死と、その葬儀での一幕。頸織に最も近しかった、親類が亡くなった。

 この頃から頸織は独り立ちし、日本各地を旅して回る様になる。

 いつかどこかで落としたものを、探して回る様に。

 

 ◆   ◆

 

 集合的無意識。

 心理学における中心的概念で、人間の無意識の奥深く、深層に存在する先天的な構造領域である。

 人類は進化の過程で蓄積された経験から、人類全体で同様のイメージや常識、倫理といった知恵、それらを個々人が先天的に持ち合わせており、人間の思考、行動、判断は、その普遍で共通したイメージに影響される。例として、世界各地に存在する神話や民話、夢、空想は、その内容や構成は概ね一致しており、これらは人類が共通したイメージを、深層心理で保持しているからである。

 ユングが提唱したこの概念を零崎一賊に当て嵌めると、一賊の共通するイメージとは、無論『殺人』という事になる。しかし極端に異端な人殺し集団である零崎一賊の、つまりは異常者間の集合的無意識の発露として、零崎一賊の殺人鬼には、とある特殊能力があった。

 それは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()、というものである。

「一雨降るか。いや降らないかな。多分」

 頸織は空を見上げた。いっそ気持ちがいいぐらいの曇天で、灰色の雲がどこまでも続いている。

「雨が降ると面倒だなあ……出歩きたくない。早いとこ済ませなくちゃ」

 頸織は空気を吸って、歩みを進める。まるで野良犬がマーキングされた箇所を辿る様に、すんすんと空の匂いを嗅ぐ。

 特殊能力と言うと聞こえがいいが、要は第六感、直感である。特別な根拠も無く、本当に何となく、多分ここ辺りにいるだろうと当たりをつけると、それが当たっているという変な勘の良さを、対象が家族限定で発揮するだけの事だ。便利は便利だが、事前にアポイントメントを取ってから会うという当然の礼儀が、零崎でも通用している。なので宝の持ち腐れと言うか、実際そんなに役に立たない能力である。

 零崎双識はこの能力を、集合的無意識と同時に『狼の同属本能』と形容していたが、頸織としては格好つけ過ぎな表現だと思っている。勘の域を出ない察知能力に、無意識だの狼だの、無意味に修飾する意味が分からなかった。

 男ってそういうとこあるよねー、とか、そんな程度の認識である。 

 とはいえ今回に関しては、この能力が役立った。

 情報を集めるまでもなく、スムーズに相手の下まで行ける。

「しっかし汚いところだねえ。古くてぼろぼろの建物ばっか。土が腐ったみたいな匂いもするし、あんまり長居はしたくないなあ」

 繁華街から少し離れた住宅地。

 マンションやビルディングといった、背の高い建物の無い、古い住宅が立ち並ぶ地域だ。高い建築物といえば二階建てのアパートが精々で、後は軒並み平屋だ。ほとんどの建物が土壁や木造で、年数が経っていて劣化している。

 この辺りではこうした家屋が多く存在しているらしく、地域全体が都市の発展に置いて行かれ、皺寄せを押しつけられた様な、ドヤともスラムとも貧民窟とも呼べない、侘しくて嫌な雰囲気のする場所だった。

 この場所に犯人がいる。

 零崎の殺人鬼が、いる。

(ていうか、まあ)

(相手が殺人鬼でもなければ、私が探偵役なんて、出来るはずも無いけど)

 今回に関してはこの街では頸織以外に、一連の事件の犯人の下へ辿り着ける者はいなかっただろうが、探偵役としては力不足で分不相応だ。娯楽としては好きだが、能力的にも性格的にも、頸織はミステリには向いていないのである。

 だから頸織の推理というか、予想は稚拙だ。

 要点は三つ。

 強盗殺人であるにも関わらず、奪っているのは金品だけで、クレジットカード類には手をつけていない。カードの不正使用は足がつきやすいからとも考えられるが、恐らくは金銭的に困窮はしていても、それで豪遊しようとか、散財するつもりが無いのだ(仮にそういう性格の奴が犯人であったなら、とっくのとうに鴨枝能組(かもえないぐみ)は下手人を見つけ出している)。つまり生活費を得る為に殺しているのであって、より金銭を得るには財布の厚そうな対象から奪うのが効率が良く、それがこの街では極道者であっただけなのだろう。

 また、連続殺人に公安警察が動いているという情報が事実であるのなら、犯人の素性は政治的に深い関りのある人物か、国際的なテロリスト、過激な活動をする新興宗教団体――そして『(ころ)()』や『(まじない)()』といった、相応に危険な存在が犯人であると、公安は睨んでいる事になる。そして犯人がやっている事は政治的工作でも宗教的儀式でもなく、強盗殺人であるという点を見るに、政治犯やテロリスト、宗教家が犯人であるとは考えにくい。公安がどんな情報を掴んでいるのかは分からないが、警察機関が『暴力の世界』の存在を知らないはずは無いし、危険視しない訳も無い。だから消去法で考えれば、この事件の犯人は『暴力の世界』の住人、またはそれに類する存在であると公安警察は考えている、と思われる。

 そしてなにより、この街の空気だ。

 頸織がこの街に入って覚えた違和感。それは殺人事件によって生まれた、街全体に蔓延る緊張感であったけれども、それだけでは無かった。緊張感の中に確かにある、けれども自分の様な存在にしか感知出来ないだろう特異な気配が、この街には漂っていたのだ。

(殺意)

(この街は殺意で覆われている)

 意識してしまえば、とても簡単な事。

 街中が殺意に満ちている。しかしどっぷりと濃密にではなく、ガスが薄く広がる様な、そんな微弱で薄弱な、それでいて独特な――頸織と同類の者が発する、特有の気配だ。

 具体的にこういう感じだ、と口頭で説明する事は出来ない。極度の色覚異常の人間が正常色覚者と色相について論ずるのが困難であるのと同じで、全ては個々人の尺度によるからだ。この感覚の詳細を語るなんて、零崎双識にも不可能である。

 だからこそ双識は、集合的無意識という表現を使ったのだろう。零崎一賊が家族間の捜索に優れるのは、殺人鬼の根本は皆同一であるからだ、という論法だ。自分と同属の気配を辿るのだから、行方を知らずとも対象を見つけるのは容易い。

 だけれども今回この様な事態に遭遇するまで、頸織は双識の弁に、まるでピンときていなかった。あーそういえば昔そんな事言ってたなー、といった具合で、この件で始めて頸織はこの察知能力を認識したから、発想に至るまで時間がかかり過ぎだと言えなくもない。

 正直、頸織は頭が悪いし、鈍感で無神経だ。戦闘以外のシーンで空気の変化なんて気にした事も無い。気配の特定に遅れたのは、(ひとえ)に頸織の経験不足と愚鈍さからきていたから、ヤクザよりも先んじているとはいえ、反省すべき事項である。

 ともかく、推理と言うよりこじつけに近い予想、客観的に見れば第六感によって、頸織は犯人に接触しようとしていた。探偵役でも刑事役でもなく、むしろ犯人役としてのシンクロニシティによって素性を看破したあたり、やはり頸織はそういう役回りではないようである。

「ふん、ふん、ふん。じゃん、じゃーが、じゃん♪」

 勿論、鈍感で無神経な頸織は、そんな些事は気にも留めず、むしろ機嫌よく歌いながら侘しい住宅地を歩く。

 急がなくてはとか、早いとこ済ませなくちゃとか、そう思っていたのは事実だけれども、歩いていくうちに段々と急ぐ気が失せていった。多分大丈夫だろうという持ち前の楽観的思考に、頸織は浸かってしまっている。新しい零崎がどんな奴なのか、完全に物見遊山だった。

「あ、犬だ。おーい」

 目の前の交差点を、犬が通過するのが見えた。左手はキャスターの壊れたキャリーバックを下げているから、右手でぶんぶん手を振る。

 淡黄色の犬はそれに気づいて頸織の方を向いたが、すぐに目線を外して通り過ぎて行った。

「むう、薄情な犬。そーいえば、犬って美味しいって言うよね……犬肉料理ってどんなんなのかなー。愛舐君、作ったりしてないかなあ」

 愛犬家が卒倒しそうな発言を呟きながら、頸織は進む。

 殺意がどんどん強くなっていく。犯人に近づいている証拠だろう。

 この殺意を発している零崎は、まず間違いなく金銭的に余裕が無いだろうが、それにしてもこの地域は酷い。人間が住んでいるだろう気配のある家屋もちらほらあるが、大抵は空き家で、ぼろ家で、あばら家だ。放置された年数が長過ぎたのか、自然に倒壊した様な廃墟もあるし、取り壊しが済んだものの隣接した壁に家屋の跡が写ってしまった建物もある。酷いところは木製の戸板が腐食しており、下半分に穴が開いている住居もあった。

 そうした荒廃の影響を隠そうとも誤魔化そうともせず、ただそのままに打ち捨てられた建築物と、その跡地ばかりが密集している。限界集落の様な交通の便が不自由でもないのに衰退しているこの地区は、文明の暗所とも言えた。

 その上で思い返せば、先程の犬にはリードも首輪も無かった。野良なのか放し飼いなのか、頸織には判断のしようがないけれど、成犬が単独でうろつき回る様な地区である。人間よりも犬を先に見かけるという不可思議さもあって、やはりここは碌な場所ではないだろう。

「コンビニもスーパーも無いしなあ。日用品とかどうしてんだろ。ん? バス停がある。バスは通ってるんだ。変な感じ……っと」

 街並みを観察していた頸織は、一棟のアパートの前で足を止めた。

 木造で二階建てのアパートである。一階につき二部屋、計四世帯分の部屋が確認出来る。しかし雨風に長期間晒されていたからか劣化と腐食が激しく、トタンの屋根はぼろぼろで、壁は罅割れが激しい上に色が落ちていて、不自然に白くなっていた。この地区の他の住居と同じで、とても人が住める状態ではない。

 前庭なのか駐車スペースなのか、自動車一台分ぐらいの広さがアパートの前に空いているが、その砂利混じりの地面は乾いていて、背の低い雑草が生えるばかりだ。土が瘦せているからなのかどうか、頸織には判断出来ないが、人の手が入っている訳では無い事は確かだろう。

 この木造アパートと空きスペースをぐるりと囲むように、一メートル程度の高さのブロック塀が立っている。開けているのは頸織が立ち止まった所だけで、出入口はここだけの様だった。

「ここだねえ。はてはてさてさて」

 敷地に入る。潜伏するとなると、やはり壁や扉がしっかりした部屋だろうが、はたから見ればどれも大差無い。集合的無意識、殺人鬼としての第六感に従って外階段を上り、奥の部屋へと向かう。

 二〇二号室と印字された扉には、南北(みなきた)という表札がかかっていた。頸織は壁に設置されていたインターフォンを押すが、チャイムが鳴らなかった。やはりと言うのか、電気は通っていないらしい。

 代わりに、頸織はどんどんどんと扉を叩く。

「南北さーん、いますかー? 市役所……市役所? あー、税金の件で来たんですけどー?」

 適当に思いついた嘘を吐きつつ、部屋の中の反応を探る。

 当たり前だが応答は無かった。物音すらしない。しかし殺意はしっかりと、この中から発されていた。

「南北さーん、入りますよー?」

 そもそも潜伏している奴が南北なんて名字だとは限らないのだが、頸織はお構い無しに土足で部屋に侵入する。キャリーバックは玄関に置いた。

 畳敷きの四畳半だ。トイレと押入れはあるがキッチンや風呂は無しと、立地条件を抜きしても格安そうな部屋だが、想像通りに部屋は荒れ果てていた。壁は変色している上に一部が崩れて外の景色が見えるし、畳も腐って破れてしまっている。雨風が凌げるだけ外よりはマシというだけで、内装も外観とおよそ変わりない。

 そして当然、部屋の中に人間はいなかった。頸織が勘違いをしているのでなければ、隠れられる場所は一つしかない。

(押入れ、だねえ)

(さーて。ご対面、ご対面)

 お気楽に、何の躊躇も無く、押入れの襖に手をかけると。

 

 頸織は狙撃された。

 

「――おっと」

 額を的確に狙った弾丸。それを首を傾けてあっさりと避けた頸織は、一気に襖を開く。

 そして再び発砲音。

 しかし頸織は押入れの奥で構えられていたワルサーP99を、左手で逸らして軌道を変えていた。結果、発射された弾丸は空を切り裂き、トタン屋根を貫いて消える。

「……そういえば死体から拳銃が抜き取られてたっけか。ま、それはともかく」

 頸織はワルサーを捻じり取る。そして聞いた。

「お坊ちゃん、名前は?」

「…………」

 その殺人鬼は――少年だった。

 酷く汚れた身なりだった。サイズの合っていないだぼだぼのトレーナー、色褪せたボトムズも擦り切れていて、ゴミ箱を漁って手に入れた様な、そんな生活を容易に想像させる。部屋が荒れているからか土足のままだが、その小さな運動靴は甲から底まで穴だらけだった。

 皮脂が浮いて変色した肌、瘦せ細って肉づきの薄い手足、伸びきっているものの欠けてぼろぼろの爪。元々癖のあるだろう髪は脂まみれでべたつき、その上でぐしゃぐしゃに荒れ、絡まってしまっている。

 その一方で眼光は異様だった。充血した三白眼、赤く染まった白目に囲われた灰色の瞳は濁りに濁り、まるで外の曇り空を映した様で、人らしい感じがしない。

 頸織はその眼を、その瞳を知っている。

 人殺しの眼だ。

 人殺しの、鬼の瞳だ。

「…………」

 少年は答えない。無言に徹し、頸織の顔面を見つめる。視線は細かく、忙しなく動いていた。

「隙を探してるね。どうしたら殺せるか、そう考えてる。けど無駄だよ。今の君の実力じゃ、天地がひっくり返っても私は殺せない」

 頸織は少年の襟足を掴んで、ぼろぼろの畳へ放る。少年は尻餅をついたが、体勢を立て直す。

 そしてすぐさま襲いかかった。低空、頸織のアキレス腱を狙い、何時の間にか握っていたペティナイフで突貫をかける。

「いいね。それでこそだよ」

 それでも頸織は慌てない。ベテランの喧嘩師で人殺しな彼女は、この程度では殺せない。

 足下を這うペティナイフの峰をブーツで踏んづけ、畳に埋め込む。劣化しているとはいえ畳に刃を切り入れるという人外じみた行為を見て、少年は思わずナイフを手放す。

 返す刀で頸織は大振りに左手で払い上げる。かち上げでもアッパーカットでもない、振り上げただけで、言うなればビンタに近い。

 それを少年は身を伏せて、かろうじて躱す――躱せた。手加減されている平手がぶうんと頭上を掠め、脂ぎった髪が一房泳ぐ。

 畳から顔を上げると、ブーツの爪先が止まっていた。

 砂と血の混じった匂いが、靴裏から香る。

「理性があるから鬼たりえる……ってのは双識さんだったっけ。そういう意味じゃ合格……や、不合格なのかな。少なくともライオンみたいのはお呼びじゃない」

 鼻先に突きつけたブーツを下ろし、頸織は再度問う。

「で、名前は?」

「…………」

「……はあ。なーんだかね」

 ワルサーを投げ捨て、キャリーバックを取る。

 同類とはいえ他人も他人、それも完全に実力が上の他者がいきなり現れたのだ。気が立つのも当然か。

 この小さい殺人鬼を組み伏せ、上下関係を理解させるのは簡単だ。でもそれが目的ではない。とりあえず敵意は取り除かなければどうにもなるまい。

 頸織はキャリーバックを開けて、荷物を探る。

「確かまだあったよね〜っと……あった」

 取り出したのはアルミの缶詰。

 蓋を開けて、中身を少年に見せる。

「食べる? お腹空いてるでしょ」

 入っていたのは乾パンだった。

 紅白のパッケージをした、保存性の高いビスケット菓子。これは金が無くなった際の非常食として、頸織が常備しているものであった。

「気は腹から、気が立つのは腹が立つから、腹が立つのは腹が減るから。って事で食べなよ――あっ」

 少年は両手で缶詰を引ったくり、飲み物の様に猛然と口へ流し込んだ。逆さにしているから小さな口に入らなかった乾パンはぼろぼろと零れ落ちていくが、そんな事は意にも介さない。

 その様子は正しく鬼だった。飽食の現代にあるまじき、一匹の飢えた餓鬼だった。

「落ち着きなよ、も〜。ほら水。口の中の水分持ってかれて、喉に詰まっちゃうよ」

 キャリーバックから、これも備蓄していたミネラルウォーターのペットボトルを差し出す。またしても奪い取られ、詰め込まれた乾パンを強引に水で流し込む。

 頸織は黙ってそれを見ていた。

(一人、なのかな)

(親御さんとかはいなさそうだけど)

 この空間に子供が一人きり、というのは不自然極まりないが、見るからに生活感のない部屋である。まず間違いなく氏名は南北(それがし)ではないだろうし、ここは自宅ではなく、ただ寝泊まりに使っているだけなのだろう。

 この部屋の有り様とこの少年の身なりを見れば、自分の推理は大体当たっているらしい事は理解したが、保護者がいない事は解せない。この子を恐れて離れたか、それともこの子に殺されたか。

(それなら私に近い)

(親殺しを経験してるなら、私に近い)

 この感じならそうなんだろうなと、頸織は直感的に察した。別に親や保護者を殺した殺人鬼なんて、一族では珍しくも何ともないのだけど、しかしこの子は自分にとって特別に思える。

 集合的無意識だとか共感性だとか、そんな難しい話ではない気がするが、上手く言語化できない。こんな事なら姉の言う通りにもっと勉強すればよかったと、頸織は少し後悔した。

「――食べ終わった? じゃあ、お話しようか」

 食べかすだらけの少年の正面に座る。脂と汚れに塗れて臭いがしたが、不思議と不快に思わなかった。

「名前は?」

 三度目の質問。

 少年は頸織の顔を見つめながら、呟く様に答えた。

高遠(たかとう)……打気(うちき)

「打気君か〜。年は? いくつになる?」

「分からない」

「そっか〜、分からないか〜」

 猫撫で声というか、柔らかい口調になっているのを自覚する。街中の子供を見ても殺害衝動しか湧いてこないのに、やはりこの子に対しては違う。

 殺意こそ薄れていないものの落ち着いてはきた様なので、頸織は今回の件の核心へ切り込んだ。

「今流行りのヤクザ殺しは、君がやったんだよね」

「…………」

「答えなくてもいいけど。君が殺したのは間違いないし、私も警察やヤクザの仲間にタレこむ気はないからね。動機も何となく予想してるし、多分理解もしてるし、一応受け入れられる。お金だって……私は持ってないけど、心配はいらないよ」

「…………」

「…………」

「…………」

 会話が止まってしまった。

 我ながら頼りにならなそうな言い方だな、とは思う。ある意味自分らしいが、信用どころか心配しかない発言である。答えないのも無理からぬ話だった。

「……あなたは誰?」

 微妙な気不味さに耐えかねた訳ではないだろうが、少年の方から質問してきた。

「私? 私は零崎頸織って言うんだよ」

 頸織は答える。そういえば名乗らせた割に名乗っていなかった。こういうところが自分の駄目な部分だなと、内心で自嘲した。

「零崎……」

「そう。変な名字だよね〜、後も先も無いって感じで。まあそれは置いといて、私は君にいくつか質問しなきゃならない。警察にもヤクザにもチクらないけど、君を保護するかは別問題だから。素直で正直に答えてね」

 頸織は灰色の瞳を見つめて、言った。

「お父さんとお母さんは?」

「死んだ」

「殺した?」

「お父さんは殺した。お母さんは死んだ」

「どうやって殺したの?」

「包丁で刺した」

「殺そうと思って?」

「殺そうと思って殺した」

「お母さんはどうしたの?」

「自分で死んだ」

「どんな風に?」

「お父さんを刺した包丁で首を刺して死んだ」

「お母さんは何か言ってた?」

「何も言わなかった」

「君に何も言わずに死んだ?」

「何も言わずに死んだ」

「君と一言も言葉を交わさず死んだ?」

「何も一言も言葉を交わさず死んだ」

 瞳は動かない。病的に濁った瞳は、頸織を捉えたままだ。

 問に間を開けず答え、答えに合わせて問いかける。初対面で同年代でもない二人の質疑応答は、合わせの演技をしている様に、何故か間髪入れる隙も淀みも無い。

 異常なやり取りだった。

 気持ちが悪い程に完璧で、簡潔で、完結していた。

「今まで何人殺した?」

「数えてない」

「今までどんな人を殺した?」

「分からない」

「どんな理由で殺した?」

「分からない」

「どんな方法で殺した?」

「色んな方法で殺した」

「殴ったり絞めたりするより、斬ったり刺したりする方が好き?」

「殴っても絞めても斬っても刺しても全部同じ」

「銃でも毒でも殺せれば同じ?」

「銃でも毒でも死ねば同じ」

「君が殺せない人はどんな人?」

「そんな人間はいない」

「私は殺せなかったのに?」

「…………」

 ここでようやく、少年は黙った。

 外で車が通る音がした。

「意地悪な質問しちゃったかな。ああ、気にする必要は無いよ。単純に私が君と同類で、私が君より強いってだけ。君みたいな小鬼に殺される程モーロクしちゃいないって、それだけだからさ」

 あまり時間は残っていない。

 最後に聞きたかった事を聞いて、この問答は終わりにしよう。そう思って頸織は、再び質問をする。

「君のお父さんとお母さんについて」

「…………」

「君が殺したお父さんと自殺したお母さんについて。何で覚えてるの? 私達みたいな奴等ってさ、死んだ人間の事なんて一々覚えてらんないんだよね。人が死ぬのなんか当たり前なんだから、記憶してたらキリがない。君だって、殺したヤクザがどんな奴だったかなんて覚えてないでしょ? だから余程印象に残った人間じゃないと、その死に様は記憶出来ない。君がお父さんとお母さんの死に方を覚えてるって事は、それが君にとって大事な記憶だからだ」

 殺人鬼にとって人の死は生活の一部だ。起き抜けに水を飲むのと何ら変わりない。だから人の死を記憶しているという事は、それがその殺人鬼にとって特別な何かを内包しているはずである。

「で、それは何?」

「…………」

 無遠慮に不躾な催促をする頸織。

 少年はそんな事は意に介さず、淡々と答えた。

「分からない」

「分からない?」

「お父さんはいつもお酒を飲んでた。お酒を飲んだ後は殴られた。だから殺した」

「殺して、どうなった?」

「お母さんが泣いてた。お母さんは死んだお父さんの近くで叫んでた。お母さんはそこから動かなかった」

「それで?」

「お母さんが見た。お母さんが見た。お母さんが、ずっと見てた」

「それで?」

「お母さんがお父さんを刺した包丁を持った。お母さんは何も言わなかった。そのまま自分の首を刺して、お母さんが死んだ」

「…………」

「何で覚えてるのか、分からない」

 少年の表情は変わらない。無表情のままだ。

 頸織は木目の天井を見上げ、そして視線を戻す。

「じゃあ私と同じだ」

「…………」

「私も覚えてないんだよね。どうして私がお父さんとお母さんを殺したのか」

 零崎一賊に加わる様な殺人鬼だ、両親を殺したことに後悔なんて無い。

 しかし生みの親であり武術の師である二人と、その門下生達を殺した過去は、あれから十倍以上の人数を殺してきた今となっても、決して忘れることが出来ない事実であった。

 原初体験だからだろうか。いや、それだけではあるまい。人を殺せる力と技と心を持ち合わせていた自分が、臨まれていた成果を示した結果として覚えているのだとしても、人殺しに忌避感も高揚感も悲愴感も覚えない以上は、高々十人足らずが死んだだけの事に、どうこう思うも無い。

(だから、これが答えなのかな)

(嫌悪も興奮も悲哀も、孤独も、それらを超えた、それらとは違う何か)

 それがこの子を――高遠打気を気に入った何かこそが、答えなのかもしれない。零崎日織が死んだあの日、胸の奥で焦げ付いた何かこそが、零崎頸織という自身の始まりなのかもしれない。

「……お願いがあるんだ。君にとっても、私にとっても、悪くないお願い」

「…………」

 頸織は少年を抱きしめて、言った。

「私の弟になって」

 身なりも異臭も気にならない。そんな事はどうでもいい。ただこの少年が零崎として相応しい素質を備えているのとは別に、この少年が自分のそばにいて欲しいという思いが、身体の奥底から溢れて止まらない。

 忌避感でも高揚感でも悲愴感でも寂寞感でもない、頸織には言語化出来ない――言語化出来なかった何かが。

「……答えは後でいい」頸織は腕を解く。「今聞きたいのは山々だけど、もう時間がないみたい。必要だったのは確かだけど、やっぱり時間使っちゃった」

「…………」

「はい、コレ」

 頸織の手には、いつの間に回収したのかペティナイフとワルサーP99があった。それらを少年に握らせて、頸織は立ち上がる。

 頸織の赤毛が、火の様に揺れた。

「来た」

 アパートの外、前庭部分とブロック塀の周囲に停車する黒塗りの車。アルファードとかセンチュリーとかベンツとか、頸織にそれぞれの車種は分からなかったけれど、五台の自動車が小さな窓から確認出来る。それぞれのドアが開き、中からいかにもな筋者が群をなして現れた。

「二発撃ったしねえ、居場所がバレるのも当たり前か。にしても、女子供相手にぞろぞろとまあ……んん?」

 頸織が目を見張る。最後に車から降りた一際目立つ男が、極道の群れの中に現れたからだ。

 非常に大柄な男だ。身長は二メートル、体重は百五十キロにもなろうか。黒の長髪をオールバックにし、後ろ髪に結んでいる。肉の張った顔立ちで相対的に眼が小さいが、しかし眼光は鋭く、厳めしい。あんこ型の体型に合わせて設えたオーダーメイドのグレーのスーツは、色合いは地味ながらも仕立てが良く、容貌も相まって、この男の風格を引き立てていた。

 本名は分潟貢献(ぶんがたこうけん)。またの名を『風雷鉾貢献(ふうらいぼうこうけん)』。指定暴力団『矢木知會(やぎしりかい)』の二次団体である鴨枝能組の若頭で、元力士である。

 中学校卒業と同時に相撲部屋に入門。番付外の前相撲を全勝し翌場所で序ノ口に出世、『風雷鉾(ふうらいぼう)』の四股名を名乗る。圧倒的な強さで白星を重ね、たった四年で大関位にまで昇進。角界のホープとして、横綱の最年少昇進が期待されていた。

 しかし気の荒い部分が多かった風雷鉾は、相撲関係者とのトラブルが多かった。自身を馬鹿にした幕下力士三人を暴行し、引退を余儀なくさせる程の怪我を負わせる。この事件により傷害罪で逮捕されてしまい、力士を引退、角界から永久追放処分を受けた。

 その後、暴力団関係者と知り合い、その進めから鴨枝能組の構成員に加わる。気の荒さと腕っぷしの強さから頭角を現し、若頭の地位にまで上り詰めた。角界でも裏社会でも、顔の知れた存在である。

「あらら有名人。風雷鉾じゃん」

 そんな経歴の男だからか、記憶力に難がある頸織でも珍しく覚えていた。

「サイン欲しいなー」

 こんな感想が出るのは、本当に能天気としか言いようがないけども。

 実際、頸織はこんな状況を危機的だとは思っていない。武装したヤクザが百人いようと、鎗を持った愛舐(あいなめ)一人の方がよっぽど脅威だ。あの元力士は他の構成員とは別格だが、まあ問題あるまい。土俵の内と外、ルールの有りと無しとの強さは違う。

 頸織は少年の首根っこを掴んだ。

「私の弟になる前に、目の前の人間は殺しておこうか。キレイな身体になってから家族になろう……いや、お風呂に入れとか、そういう事じゃないからね? 立つ鳥……何だっけ? とにかく厄介事は片づけていこうって事」

 手伝ってあげるからさと言って、そのまま玄関の扉を開ける。

「とりあえずザコは殺しておいて」

 ()()()()()()()()()()()()

 ()()()()()()()()()()()()()()()

 具体的な指示も無く投げ込まれた少年は、一団のど真ん中に静かに着地する。その姿を見たチンピラは突然現れた汚らしい子供に動揺し、僅かに硬直してしまう。

「あたしの相手はこっち」

 頸織も動く。外廊下の鉄柵に足をかけて飛び降りた。中空で一回転しながら、両足を揃えて落下する。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「――ッ!?」

 気づかれた。頸織のミサイルキックを、風雷鉾は十字受けで防ぐ。がんっ、と金属音にも似た重低音が響き、肉と骨が軋む。

 頸織は十字受けを足場に飛び上がり、余裕を持って着地する。雑草だらけで邪魔くさいが、まあ問題あるまい。

「はっはー。やるねえ君。私の蹴りで骨も折れない奴は久しぶりに見たよ」

「……あんた、何者だ?」力士特有の低い声で、風雷鉾は言う。「見た目通りの女の力じゃねえどころか、格闘家でもありえねえ力だ。堅気じゃねえっつうか……本当に人間か?」

「失礼だねえ、君は。こんな可愛い女の子を捕まえて。ま、確かに堅気じゃないし、人間でもないけどね。私は零崎頸織。人殺しで、殺人鬼だよ」

 頸織は名乗った。

 風雷鉾はその発言に、眉を顰めた。

「『殺し名』……零崎一賊か」

「おっ、知ってる? あんまりヤクザ界隈じゃ知られてないんだけどね。()()()()()()()()()()にゃ、私達の知名度なんて無い様なものなんだけど」

「……ああ知ってるさ。人を殺す事しか能が無い、外道の中の外道って事はな」

「返す言葉が無いねえ、うん。そういう事だから、さっさと殺されてくれないかな。時間は有り余ってるけど限りがある。あの子には色々と教えてあげなきゃいけないんだ」

 風来坊の背後で喧騒が響く。少年と舎弟達の捕り物――否、殺し合いだ。化物じみた殺気の中、怒声と銃声が混じり合うなんて状況が、戦場でないはずが無い。

「……狙いはあの餓鬼か」

「勿論。私の弟になるんだから」

「じゃああんたの監督不行き届きだ。あの餓鬼があんたの弟なら、あんたが責任を取れ」

 そう言ってグレーのジャケットを脱ぎ、風雷鉾は構える。

 腰と膝を前傾に落とす独特な姿勢。相撲の仕切りをベースにしているが、両手ともに地に着いていないし、どちらかと言うとレスリングのフォームに近い。競技性の強い相撲を、実践にブラッシュアップしているのが見て取れる。

「殺してやる」

 流石は極道。相手が零崎一賊と知って尚、明確な殺意を向ける。

 覚悟を決めれば死人と化す。鴨枝能組若頭、風雷鉾貢献は十二分に喧嘩師で、プロのプレイヤーであった。

「……へえ。ヤクザ屋さんの割に結構やるじゃん。それとも君が、風雷鉾関が特別なのかな」

 一方の頸織も腰を落とす。しかしそれは風雷鉾の構えよりも深い、もっと言えばより本来の風雷鉾の構えに近い。

 左拳を地に着き、風雷鉾と眼を合わせる――つまり。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「それじゃあ、零崎を始めよう」

 極道と殺人鬼の戦い。

 力士と喧嘩師の戦い。

 それは二人の立ち合いを持って、本件の結びの一番となった。

 

 

 

 

 







次回更新は今年末までに……できたらいいなあ。

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