零崎討識の人間感覚   作:石持克緒

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あけましておめでとうございます。石持克緒です。

年始年末休暇を利用して筆を取り、ようやく第五話完結です。

書くこと自体は決まっていたのですが、なんだかんだで年が明け、自分の遅筆さを改めて自覚しました。

筆が遅すぎる作者でありますが、今年もどうぞよろしくお願い致します。








殺人鬼と邂逅して恐慌(4)

 

 最強の格闘技は何か。と、問われた場合、思い浮かぶものは何であろうか。

 ボクシング、柔道、総合格闘技といった、競技人口が多い格闘技だろうか。競技者が多いという事はそれだけ実力を持つ者が多く、また技術も洗練されている。リングや畳の上だけでなく、路上における喧嘩においても応用が利き、汎用性が高いというのも強さの基準点になるだろう。この様な点において、打撃、投げ、関節技と幅広い技術を持ち、競技人口も多い総合格闘技等は、強い格闘技の典型と言える。

 では逆に最弱の格闘技は何か、と問われた場合、思い浮かぶのは何であろうか。

 前の基準点を軸にすると、競技人口が少なく、技が形式的で応用に欠けるものとなるだろう。古より伝わる技ははたして近代格闘技に通用するのか、ロープに囲われたリングの上で発揮されるのか。こうした視点から見ると、一般に弱いと判断される格闘技や武術は、案外多かったりする。

 相撲は弱いと見なされる競技の一つに数えられている。

 理由は相撲独自のルールからであろう。足の裏以外が地面または土俵の外に着くと敗北、という極端に限定的なルールで行われる相撲は、相手を押す、転がす、体勢を崩すといった技に特化している。仮に総合格闘技やそれに準じたルールにおいて相撲の技のみで戦う場合、相対的に相撲の技には決定力が欠けると言われている。

 では実践において、喧嘩においても相撲は弱い格闘技なのだろうか。

(勿論、違う)

(力士は路上でこそ、喧嘩においてこそ強い)

 これが頸織(くびおり)の見解だった。

 そもそもフィジカルが段違いだ。幕内力士の平均体重は百六十キロ前後、その内体脂肪は約三十パーセントで、そこから算出される筋肉量は八十キロから九十キロ超と、パワーという面では他の格闘家の追随を許さない。また力士同士の立ち合いの衝撃は一トンを超えるとされ、体重の乗った突っ張りや張り手を胸部から上に貰う事からも、非常にタフネスに優れている。

 その上で体重移動が上手く小回りが利く為、近距離での移動が速い。特にぶちかまし等の直線的な動きは滅法速く、力士特有の超重量も相まって、組み技系の格闘家であっても、正面から迎え撃つのはまず不可能である。

(デカくて、硬くて、重くて、速い)

(これが喧嘩でどれ程有利な事か)

 相撲出身者がキックボクシングや総合格闘技のルールでの試合において目立った戦果が無いのは、そのルールによって相撲の持ち味が消されてしまうからだ。キックボクシングでは突っ張り(オープンブロー)張り手(インサイドブロー)が反則行為だし、当然投げ技も使えない。総合格闘技のルールは拓かれているものの急所への攻撃には非常に厳格で、頭突きを伴うぶちかましや、喉に手を押しつける喉輪(のどわ)は反則となる。突っ張りや張り手の使用は認められているが、眼に指が入る危険性が高く反則になりやすい。つまり『有効であるはずの技術が他の競技では使う事が許されない』というディスアドバンテージを、相撲は抱えているのである。

 ならば喧嘩ではどうか。リングでもケージの中でもなく、土やアスファルトの上ならどうか。

 急所への攻撃が許され、十全に力士のポテンシャルが発揮出来る状況ならば。

 相性が一気にひっくり返る。路上において、相撲は完全に強者の格闘技に変貌する。

(まあ、仕切ったのは個人的な興味からだけど)

(大相撲の力士でプロのプレイヤー、こんなレアキャラは味わわなきゃ損ってもんでしょ)

 その為に頸織は仕切った。力士相手に、相撲の型を取った。

 その興味が吉と出るか、凶と出るか。

「はっけようい……」

 頸織が右拳を草地に着け、一瞬。

「のこった――!」

 地面が抉られる程の足跡を残し、風雷鉾貢献(ふうらいぼうこうけん)の間合いへと突撃する。

 頸織の初手は立ち合いからの組み合い。風雷鉾自身は仕切っていないから厳密には立ち合いになっていないし、二人は仕切り線の合間よりも広く離れていたが、とにかく頸織は一手目として相撲を取ることを決めた。

 関取のフィジカルとテクニックを味わうには、相手の土俵で闘うのが一番良い。

 そうして一息で間合いを詰めた頸織の狙いは、風雷鉾の腰。力士の(まわ)しに見立てて、スラックスに巻かれたベルトを取る。

 これは力士の性能を知りたい頸織の興味であるが、しかし何の計算も無いわけでもなかった。頸織は風雷鉾よりも頭一つ分以上背が低いが、しかしその身体能力はトップアスリートの比ではない。歴戦の関取であろう風雷鉾とて、頸織より低く素早い者との取り組みは経験が無いだろうと、頸織は予想していた。

 結果として、その予想は当たっていた。確かに風雷鉾には、低く身構えている自分よりも低く高速で懐に潜り込めた相手との対戦は無かった。

 頸織の細い指が、牛革のベルトへ伸びる。

(取れた――)

 だが忘れてはならい。

 力士がリング上で弱いとされる理由は、相撲の技は反則行為になりやすいという一点のみである。

 ルールの無い戦いで相手の命を慮る必要の無い場合、相撲にはタックルに対し非常に有効な手段を有する。

 がつん、と頸織の頭が揺れたのは、指がベルトに触れた直後である。

「――がっは!?」

 後頭部を打撃されたと認識した時には、既にベルトは視界から消えていた。地面に叩きつけられ、頸織は強かに額を打つ。

「死ね」

 頭上で低い声が響くと同時、頸織は直感的に身を捩った。ここで決着をつけるなら、次の一手は一つ。

 どずん、と地面が揺れる。

 一瞬前まで頭部があった地面には、黒の革靴が突き刺さっていた。風雷鉾の体勢は力士の踏む四股(しこ)そのものであり、相手を仕留めるのに充分な体重が乗っていた事が分かる。

 頸織は錐揉みの様に転がって距離を取る。

 立ち上がった頸織の鼻からは、血が一筋滴っていた。

「いやあ予想外。やるどころじゃないわ。中々強いじゃん、風雷鉾関」

「……俺としては、素首落(そくびお)としで鼻血一つで済んでるのが予想外なんだが」

「へ? ああホントだ。ふんっ」頸織は手鼻で血を処理する。「気にしない気にしない。喧嘩してたら血ぐらい出るって。まあ私ってば、腕っぷしだけじゃなくて粘膜も強いからさ、あまり滅多な事じゃ血なんか出ないんだ。誇っていーよ、お相撲さん」

「……零崎一賊(ぜろざきいちぞく)ってのは、あんたみてえなバケモンばっかなのか? だとすると少しばかり面倒臭えんだが」

「バケモンとは失礼な。これでも私、十八歳の乙女なんですけど」

 そう言って頸織はダメージを確認する。脳の揺れは治まった。痛み、吐き気は無し。外傷は鼻血のみ、折れてはいない。続行可能だ。

「腕っぷしの強さは私が一番だけど、私より強いのなんか一杯いるよ。マインドレンデルさんも、シームレスバイアスさんも、ボルトキープさんも、ペリルポイントさんも、私より断然強いし、私より殺すからね。私の姉さんは私をあやせるぐらいには冴えてたし、煙草屋の美人姐さんはいつも油断できないし、あのちびっ子坊やは将来有望だし。私なんか全然バケモンじゃないよ」

「バカ強いクソ異常者の集まりだって言ってる様にしか聞こえねえ」

「そう? そうかもね。だから君は安心して私を殺していいよ。私も弟の為に君を、君達をきっちり殺す」

「……鴨枝能組(かもえないぐみ)矢木知會(やぎしりかい)の傘下だ。極道一門、全部を相手しようってか」

「掃除は片付けから、って日織(にちおり)姉さんから言われててね。弟に纏わりつくゴミは片すってだけの話」

 頸織は服の汚れを払い、そして構えた。

「家族は全力で守るのが零崎ってだけの話だよ」

 風雷鉾の廻しは少し遠いらしい。直接触れるには手間をかける必要がありそうだ。

 腰はやや落として左半身。左拳は肩口に、右手は胸元まで構える。

 左足が浮いたと思った頃には、既に頸織は動いていた。

 後ろ足で送り出された勢いそのままに拳を放つ(きざ)()き。

「――ッ」

 打撃系格闘術にて最速とされる技の一つがノーモーションで繰り出され、低い体勢の風雷鉾の鼻骨を叩く。

 頸織はそのまま右足で踏み込み、直突(ちょくづ)きを見舞う。肉を押す潰す感触はあるが骨を砕いた感じはしない。流石は力士、並大抵のプレイヤーよりは頑丈か。

 スイッチした体勢になった頸織は右ジャブを続ける。二発、三発と顔面を叩くが、風雷鉾の腕が動きを始める。

「おっと、」

 ジャブを捉えようとした腕をさらりと躱し、終いに風雷鉾の右腓腹部(みぎひふくぶ)を蹴る。鈍く衝撃が伝わるが、やはり折れない。

「っと」

 蹴り終わりを捕まえようとする風雷鉾の手をバックステップで避け、再び頸織は間合いを取った。

(いやはや危ない危ない)

(カーフキックは余計だったか、捕まるところだった)

 相撲を始め、柔道やサンボといった組み技系の格闘技を相手にする場合、脚を蹴られるという習慣が無い事から、ローキックが有効とされる。特に体重を支える脹脛(ふくらはぎ)を攻撃対象にするカーフキックは、蹴りの中ではモーションが小さい事からタックル対策にもなり、非常に有効であると言われている。

 また、組み技系の弱点として、速いパンチに対処がしにくいというものがある。やはり習慣的に打撃でペースを掴む事が無い為、刻み突きやジャブといった速度のあるパンチを貰いやすい。突きを打たれ過ぎて主導権を取れず、相手に流れをコントロールされるという状況は、組み技系としては避けたいシチュエーションである。

 とはいえ、組まれた場合打撃系の長所が消されるのも事実だ。多少のダメージは食らっても捕まえてしまえば勝ち、と考える格闘家は少なくないし、実際それは正解である。組み技系が嫌がる事をする頸織を掴もうとした風雷鉾の行動は、経験に基づいた勝率の高い判断だ。押し合い()し合いで負けるつもりはさらさら無いものの、頸織としても風雷鉾の腕力を軽んじる事は出来ないのであった。

(けど、風雷鉾も私の突きの速度には対応出来ていない)

(間合いを出入りして、アウトボクシングっぽく徹すればいけるか)

 パワーとタフネスは同格、テクニックは未知数となると、現時点で頸織が風雷鉾よりも間違い無く勝っている点はスピードだけだ。出入りを素早く、細かく行い、確実にダメージを負わせていくのが関取攻略の常套手段だろう。

 しかし風雷鉾は、()()()()()()()()()()頸織の蹴りで脚が折れないどころか、膝も落ちない程の耐久性を誇り、不意打ちに放ったミサイルキックに至っては、十字受けで防いでいる。四、五発も連打を加えれば別だろうが、風雷鉾も喧嘩巧者のプレイヤーだ。自らの弱点も、それを突かれる事も承知しているはずで、その上で対処をしないなどありえない。

(となると、別の弱点を突くのが正しいかな)

(これまでの流れから、プランは――)

 ごろごろと上空から雷鳴が響き、それと周囲の喧騒が混ざる。

 どうやら手下のヤクザは、あの子の対処に手間取っているらしい。戦闘中に視線を逸らせる程の余裕が無い相手なので、耳で聞こえる範囲の認識だが、そうみたいである。まあ日本国内で少年兵の様な存在(それも練度と殺意が妙に高い)を相手にする経験なんて無いだろうから、当然と言えば当然だ。とはいえ多勢に無勢であるのは違いないので、ヤクザが死傷を恐れず畳みかけたら、確保されるのは時間の問題である。そうならない為にも、風雷鉾との戦いは、早目に終わらせるべきであろう。

 面白い相手だが、時間はかけていられない。決めにかかろう。

「雨も降っちゃうし、っね!」

 再び頸織から仕掛ける。定石通りに刻み突きが、風雷鉾の顔面を狙う。

 風雷鉾の腕が動いたのが見えたが、防御動作としては遅れている。意に介せず突きを走らせ、そして()()()()()()()()()()()

「――――ふっ」

 次いで頸織の身体が動く。突きを目隠し(ブラインド)に風雷鉾の脚を取りに行く。

 相撲の勝敗は土俵から足が出るか、足の裏以外が土俵に触れるかで決まる。つまり体系的に寝技が無いので、グラウンドに持ち込まれると弱い。

 勿論対策はある。喉輪や(かんぬき)(はた)()みや素首落としが有効である。しかしいずれも腰や腿を狙った、腰の高いタックルに対して効果があり、膝から下を取りに行く場合には低すぎて対処が出来ない。

 頸織が初手で素首落としを食らったのも、その原因は相撲を取ったからであり、つまりは腰の位置が高かったからだ。ならば単純、より低く仕掛ければこれらの対抗策は封じる事が出来る。

(狙いは風雷鉾の右脚)

(引き倒してマウントに持ち込めば殺せる――!)

 風雷鉾の太い腓腹部に指先がかかる。

 その瞬間、腰が浮かび上がった。

「何――」

 ()()()()()()()()()、と感じた時には投げられていた。

 力まかせにぶん投げられた頸織は反射的に受け身を取るが、背面を強かに打つ。

 体勢の低いタックルは喉輪や閂には有効だが、背面を大きく晒す以上、廻しを掴まれやすい。実践においてはボトムズやベルトを掴まれ、投げに繋がってしまう。そして投げられた先はリングマットではなくアスファルトや硬い地面、受け身が間に合っても全ての衝撃は殺しきれない。

(有力なのは四股、その次に蹴飛ばし!)

(なんにせよ距離を空けるが最善!)

 風雷鉾の波離間投(はりまな)げ、その次の一手を、頸織は予想していた。

 最有力候補は四股による踏み付けだ。これは先程の素首落としの次に放った技であるので、投げの次に繋げる一連の流れと考えられる。蹴飛ばしは単純に、この状況ならば最も出の速い攻撃で、全力であろうとなかろうと、確実にダメージを与えられる。いずれにせよ攻撃範囲の外に逃げるのが正解だ。

 はたして、風雷鉾の攻撃は四股だった。太く長い右脚が大きく上がる。

 頸織は先程と同様に転がって回避しようとする。一見無様でも、地に伏せている状態ならば転がるのが一番速い。格好を気にして勝てる相手でもない。

「っ!?」

 だが風雷鉾の読みは、頸織の上をいった。

 どずん、と落とされた右脚は、頸織が転がる先。

 か細い少女の肉体に跨る形。

「やっば……」

 仰向けの頸織の腹に巨漢が馬乗りになった。

 腹筋に力を込めて撥ね返そうとするが、一拍遅れた。超重量による圧迫感から逃れる事が出来ない。

「おっもいなあ、まったくもう……」

 繰り返しになるが、相撲に寝技は無い。しかしそれは力士にグラウンドが全く出来ない事と同義では無い。喧嘩における相撲の真価はここから発揮される。

 デカくて、硬くて、重くて、速い。

 そんな相手にマウントポジションを取られたら。

「……この絵面、結構犯罪的じゃない?」

「犯罪なんだよ、殺し合いなんだから」風雷鉾は嘲る様に笑う。「タップは無えぞ。潔く死んどけ」

「そりゃ」

 言い切る前に、風雷鉾は拳を振るった。

 大きく硬い握り拳が、小さい頸織の顔面に突き刺さる。

「あっが――」

 二発、三発、四発と連打を見舞う。

 口から、鼻から、額から、血飛沫が吹き出していく。

(なんか、あれだな)

(ここまで痛いのって、久しぶりな気がする)

 殴られながらも思考ははっきりしていた。気絶しようにも痛みで出来ないだけかもしれないけれど、考える事は出来る。

 グラウンド技術が無くとも馬乗りになる事は難しくない。ましてや相撲は相手を転がすのが本業、その前提は易々とクリア出来る。

 マウントを制した者の優位性は言うまでも無く、そして上に乗るのは百五十キロ以上の重量を持つ力士の身体だ。乗っかっているだけで脱出が困難であり、その分必殺性が増す。重い腕を振るい続けるだけで、相手を殺す事が出来るのである。

 素首落とし、四股、波離間投げ。

 自分の技術を深奥まで理解し、絶対の格闘術へと昇華する。相撲の弱点など百も承知、欠点を埋めるのは当然の義務だ。

 元大関、風雷鉾貢献は、相撲のスペシャリストにしてプロのプレイヤーである。生半可な実力で極道の若頭は名乗れない。

「がっ……」

 ぐちゃり、と粘性のある衝撃が、頸織の頭に響く。

 二十発は貰っているか、流石に視界が赤くなってきた。血が出るのも久しぶりだが、マウントを取られてぶん殴られるのは数えられる程しかない。

(こりゃ少し舐めてたかもなあ)

(あの子にいいカッコしようとしちゃってたかなあ、無駄にダメージ受けてら)

 風雷鉾の強さが予想以上だったのはともかく、それに特に手を打たなかったのは頸織のミスだ。一つのミスが致命的な隙を生む。この様な状況になるのは、至極当然の帰結だった。

(って言っても、私だって『零崎』だ)

(殺人鬼がヤクザに負けるなんて、あってはならない)

 風雷鉾貢献は強い。それは認めよう。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 恥も外聞も知らない、零崎頸織の本領を知れ。

 

 パウンドのラッシュの最中、頸織の右手が蛇の様に素早く動いた。

 狙いは自分の腹、その上に跨る風雷鉾の股座(またぐら)

 

「――おおっと。危ねえ危ねえ」細い手首を大きく硬い手が掴んだ。「未だに生きてるってのが驚きだが、油断も隙も無えな。勝ちの為に野郎の金玉を潰そうとはよ」

 男性の睾丸を掴み、握り潰す。精子の冷却の為に体外に露出しており、それ故頑強な筋肉や骨に守られていない器官への攻撃は絶大な効果を生む。強烈過ぎる痛みにより失神するものが大半で、最悪の場合は死亡する、男女の別や筋力の強弱に関わらず絶対的に強力な攻撃である。

 一方でその激烈な痛みは男性の誰もが知るところであり、その反応の苛烈さから女性の誰もが周知している攻撃だ。老若男女問わず知られている攻撃を警戒しない格闘技は皆無である。

「確かに玉潰されりゃマウントも崩せるだろうが、男でここを注意しねえ奴はいねえよ。当てが外れたな」

「……いや、そうでもないよ」

 そう言った頸織に、風雷鉾は驚いた。並の人間ならとうに死んでいるだろうぐらいに殴ったのだ、死ななかったとしても口が利けるような状態ではないはずだ。

 しかし重要なのはそんな事ではない。

「君、忘れてるんじゃないの? 路地裏の三人の死に方を、さ」

「何?」

「私ってさ、さっきも言ったけど、腕っぷしなら零崎で一番なんだよね」

 頸織の左手は、既に風雷鉾のある部位に触れていた。

 路地裏で殺された三人。

 一人は顔面を突かれ、一人は背中を踏み潰され、一人は頭部を蹴り飛ばされた。いずれも常識外れな人外の所業。

「仕方ない事だろうけど、もっと警戒しなきゃいけなかった。だから、この取り組みは」

 私の勝ち。

 そう言うと同時に

 

()()()()()()()()()

 

「あ、ああぁああああぁああぁあ!」

 野太い悲鳴が木霊する。血潮が地面に染み込んでいく。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 鬼の如き握力をもってして、皮膚と肉を突き破り、大腿骨も膝蓋骨も半月板も、全部纏めて圧潰していた。

「どっこいしょ!」

 その隙を逃さず、頸織は風雷鉾のワイシャツの片袖と襟を掴む。脚を絡ませて浮いた腰を腹筋で撥ね上げ、次いで怪物そのものの怪力で引き倒し体勢を回転させた。

 体勢は逆転した。

 細身の少女が、今度は逆にマウントを制した。

「しこたま殴ってくれたねえ……まあ、()()()()()()()()()()()()()()()

「う、ぐッ」

「私の全力全開って、大抵の人間は頭蓋が濡れ煎餅になって死んじゃうんだけど。君は何発で死ぬのかな」

 そう言って頸織は右腕を振り上げた。まだ血に濡れていない、これから血に濡れる拳を振り被った。

 対して風雷鉾はガードを上げた。太くて長い両腕で顔面と胴部を覆い、被害を最小限に抑えようとした。

 膝を破壊されているのに、よくも反応できたものだ。位置も立場も逆転されたにも関わらず諦めていない。その精神性は賞賛に値する。

 しかし、結果的にはそれは悪手だった。

 風雷鉾貢献は誘導されている。

「――!?」

 ぐるん、と首筋に腕が伸びた。事態を把握する頃には、風雷鉾の首は絞められていた。

 右腕を受け手の右肩ごと抱え込んで絞める肩固絞(かたがためじ)め。掛け手の腕と受け手の肩で両方の頸動脈を絞め、柔道や柔術の上級者なら十秒足らずで相手を失神させる。

 しかし、失神は試合での勝ちだ。

 戦闘では殺してこそ勝利。息の根があるなんて許されない。

「風雷鉾関」

 頸織は言う。

「結構いいとこいってたよ。そこらのプレイヤーじゃ全然相手にならない。でも私達はアスリートじゃない」

 少女の細い腕に力が籠る。

「死んだら次は無いんだよ。死なない為には殺すしかない。殺す為には、相手の言動なんて信じちゃダメだ」

 それは、マウントを取られた際のお互いの対応。

 そもそも風雷鉾がガードを上げた事自体、頸織の発言を無意識に信用した結果だ。頸織は殴り殺す様な発言をして、拳を振り上げたに過ぎない。その布石としてパウンドを自ら食らい続け、頸織は反撃に殴りかかると刷り込ませた。

 そして警戒しているだろう金的に無造作に手を伸ばす事により、左膝への注意を逸らした。零崎頸織の怪力は数時間前に殺した三人により証明されている。どこに触れられても必死になりうる存在が相手なのだ、右手を抑えた時点で左手も抑えなければならなかった。

「弟の前だから、ちょっといい格好しようとしちゃったけどさ。まあ、可愛い女の子のご愛敬って事で」

 風雷鉾貢献は強い。相撲の技術を知り尽くした、純然たるプレイヤーだ。

 しかし正真正銘に常在戦場の『(ころ)()』とは、零崎一賊の殺人鬼とは喧嘩の仕方が違う。

 自らを不利な状況に追い込んででも、相手を殺害する事にのみ注力する。

 それが殺人鬼の喧嘩の流儀だ。

「じゃあ、さようなら」

 ぐぎり、と太い肉から音が漏れる。

 元十両力士と殺人鬼の喧嘩、殺し合いでの立ち合いは、怪力無双の殺人鬼、零崎頸織の白星で幕を閉じた。

 

 ◆   ◆

 

「待て! そこまでだ!」

 風雷鉾貢献の頸椎に亀裂が入ったその時、見知らぬ声に水を差された。

「……はあ? 何よ」

 うつ伏せに肩固絞めを続けながら、頸織は顔を上げる。

 黒いスーツの男だ。どうやら風雷鉾が引き連れたチンピラの一人らしい。

若頭(カシラ)から離れろ! さもなきゃこのガキを殺す!」

 見ると、あの少年は数人のチンピラに組み伏せられていた。風雷鉾が同行させた手下は大体二十人程だった様に思えるが、頸織がざっと見たところ、今立っているのは七人ぐらいだ。少年を押さえつけているのを含めると十人弱、少年が殺せたのは半分にも満たない様である。

「え~……全然殺せてないじゃん。当然皆殺しに出来るもんだと思ってたんだけど」

「グダグダ言ってねえで手ぇ離せぇ!」

「無駄だよ。もう死んでるし」

 頸織は絞めを解いて立ち上がった。風雷鉾の大柄な身体は力無く横たわったままで、首は鬱血しており、そして既に首は折れていた。

「私、絞め技で落とすのってちょっと苦手なんだよね、すぐ折っちゃうから。それにここまできて殺さない訳ないじゃん。人殺しなんだし」

「そ、そんな」

「そんなも何も無い。お互いアウトローで人殺しなんだから。それよりさ」

 頸織の顔は鮮血に染まっていた。額から口から鼻から、赤い血液が滴っていた。

 頸織はそれを両手で拭い、赤い血を払い捨てる。

()()()()()()()()

 ぽつりぽつりと、雨が降り始めた。

 風が吹いて、血濡れの赤毛が揺れる。

()()()()

 言うと同時に頸織の身体が動いた。瞬き一つにも満たないスピードで間合いを詰め、少年を組み伏せている四人の前に踊り出る。

「ま」

 話は聞かない。

 掌底で顎をかち上げる。顎と歯が砕け、頸椎は折れて咽喉が裂ける。

 始末した一人の頭部を掴んでもう一人の頭に叩き付ける。双方の頭蓋が砕けて混ざり、脳漿を吹き出して絶命した。

 拳銃を懐から取り出すが、銃口を向けた瞬間には腕が蹴り千切られる。続けて放たれた横蹴りは肋骨を砕き、ブーツのソールに合わせて陥没、リッターバイクで轢かれた様に吹っ飛ばされる。

 最後の一人は鉄槌が脳天に下る。鉞で断たれたが如く頭部が潰れて凹み、裂けた皮膚から血が湧いた。

 五秒もかからず四人を殺した。

 人殺しの鬼が、人を食らう様に殺した。

「零崎一賊に仇なす者は皆殺し。私の弟に手を出す人間は誰であろうと全員殺す。だから君達はここで死ね」

 返答はいらない。聞くつもりも無い。

 ここから先は戦闘では無く殺害、化物による蹂躙に過ぎない。

 

 ある者は頭蓋を剝がされて死に、ある者は咽喉を引き千切られて死に、ある者は心臓を突き抜かれて死に、ある者は脊椎を取り外されて死に、ある者は四肢を捻じ切られて死に、ある者は局部を蹴り裂かれて死に、ある者は肺を掴み潰されて死んだ。

 風雷鉾貢献と並び立つ実力の持ち主など鴨枝能組に複数いるはずも無く、人外そのものな膂力に成す術無く命を落としていく。

 血飛沫が舞い、悲鳴や絶叫が上がる地獄絵図が描かれるが、それらは全て風雨に搔き消されていく。

 

「あは」

 

 しかしそんな中、頸織の声だけが、風を切り裂いて響いていた。

 

「あははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!」

 

 それは哄笑だった。

 哄笑で歓笑で、嬌笑だった。

(何なんだろうね)

(これまで本当に沢山殺してきたけど、こんな気持ちになった事は無いや)

 経験の無い感覚だった。別に人間を殺したところでどうとも思わない。今更、という感じであるし、元より何も感じはしない。風雷鉾の様な強敵を殺す際は面白く思う事はあるが、実際のところ身体を動かすのが楽しいという様なもので、殺人なんてよく言えばスポーツ感覚でしかない。記憶している殺人だって両親と門下生達ぐらいだし、正真正銘、人命なんてどうでもいいのだ。

 今だってそうだ。風雷鉾を殺した後、この虐殺はただの後始末に過ぎない。立つ鳥跡を濁さず、という風にはいかなかった未熟者の尻拭いだ。

 でも、それも悪くないと感じている。

 それどころか嬉しいと感じてしまっている。こんな事、頸織の人生でかつてない出来事だ。

 

(あ、そうか)

(あの子がいるからだ)

 

(あの子がいるから、あの子を守れるからだ)

(弟を守る為に力を振るえるから、こんなにも嬉しいんだ)

 

 自分の周りには誰も居なかった。

 家族はいるけれど、愉快な人達だけれど、心を全て曝け出す事は出来なかった。

 でもこの子は違う。

 運命の出会いだ。出会ったばかりだけれど、何の根拠も無いけれど、この子がいるだけで喜びを覚える。

 この子が自分の家族だ。

 自分の家族を守るのが、こんなにも嬉しくて、笑ってしまうぐらいに嬉しくて、どうしようもなく嬉しくて仕方ない。

 

 

 

「――大丈夫? 怪我は無い?」

 全員も全員、殺しも殺して。

 大粒の雨が降り注ぐ中、一方的な虐殺は終わった。血飛沫が辺り一面に舞い散り、黒塗りのベンツやブロック塀に塗り付けた鮮血を雨粒が薄める。

「も~、あれぐらいのレベルなら全員殺せないとダメだよ。折角ピストルとナイフ持たせてあげたのに、まだまだだなー。まあご飯もまともに食べてない様な生活だったから、仕方ないかもしれないけど」

 鍛えてあげなきゃダメだなー、なんて軽く言う頸織の手は血塗れだった。粘性のある赤色は、水に濡れても簡単には落ちない。

 屈んで、べったりと赤い手を差し伸べる頸織は、笑顔だった。

 対する少年は無表情だった。だが充血した眼は大きく開き、灰色の虹彩に縁取られた瞳孔は頸織の顔面を捉えている。雨で身体が冷えたのか、身体は僅かに震えており、変色した肌から血の気が引いた様な、生気を削がれた反応を示していた。

「寒い? 冷えちゃったかな、こんなに震えちゃって。よし、早いとこホテルでも見つけてお風呂入っちゃおう。それでご飯食べてテレビ見て、あったかい布団で一緒に寝よう」

 頸織は震える少年を抱き寄せて、言った。

「大丈夫。私が守ってあげるから」

 軽い、骨と皮だけの汚い男児を抱えて立ち上がる。

 悪鬼羅刹の膂力からは信じられない程に優しく触れる頸織の表情は慈愛に満ちていて、まるで聖母の様に少年を抱き締めた。

 少年の震えが止まる。

 頸織は今日の寝床を探して、少年を抱えたまま、雨の中を歩き出した。

 

 ◆   ◆

 

 この後、頸織は自分の荷物が入ったキャリーバックを回収し忘れた事を思い出して、雨の中殺害現場にUターンするという醜態を晒す。

 早々に自分のお間抜けさ加減を少年に理解させた、言わば今後の生活を暗示した洗礼となってしまったのだけれど、それはともかく、頸織は少年を保護し、自身の弟として育てる事に決めた。

 かつての姉が、自分に対してそうした様に。

 名前をあげて、鍛え育む事に決めた。

 こうして少年は零崎討識(ぜろざきうちしき)と名乗り、武道家として鍛錬のノウハウを知っている頸織の手解きもあり、討識は急速に実力をつけ、殺人鬼として独立した。小中高と学校にも通い、その最中に商才を発揮させ、経済的にも自立した青年となり、一賊の中でも一目置かれた存在となる。

 零崎頸織は討識の住処を拠点とし、落ち着いた。気ままで呑気な性格は相も変わらず、日常生活で討識に多大な迷惑をかけながらも、討識と共にいる。たまにふらっと旅行に行ってしまうけれども、それでも弟のそばにいて、彼の成長を見守っている。

 

 そして数年後、頸織は自分よりも遥かに強力な存在と相対する。

 それが切欠で物語は収束へと進み、零崎一賊を、零崎討識を巻き込む戦いへと発展する事になるのだけれど、勿論この時の二人は、そんな事を知る由も無く。

 人殺しの頸織と討識は、まるで人間の家族のように暮らしていく。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、頸織は姉として、ただ見守っていくのであった。

 

 

 

 

 







ということで頸織と討識の出会い、第五話完結です。

次回は休さんについて書きたいと思っています。

誤字脱字等がありましたら、ご連絡ください。

感想も頂けたらありがたいです。

読んで頂き、ありがとうございました。
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