小学四年生の時。
討識――
父親、といっても母親の再婚相手、つまりは義父という訳で、直接の血の繋がりは無いのだが、その男を刺したのは事実だ。
事故ではなく。
殺意を持って、刺し殺した。
暴力団といった後ろ楯も無い矮小なチンピラの父親は、シングルマザーの母親のヒモとなり、狭いアパートに転がり込んで同棲を始め、そのまま結婚。なんて、短い文章で表せてしまうぐらいに、スピード婚であったらしい。
こんな風な結婚が裏付ける様に、お互いに頭が悪く、何も考えておらず、そしてあらゆる事に思いを巡らす事も無い夫婦であった。これまたスピーディーに家庭は崩壊し、父親は母親に暴力を振るい、母親もそれを当然である様に暴行を受けていた。そして、その被害は、打気にも及んでいた。
夫婦が再婚して数ヶ月後。
普段通りに親子に怒鳴り散らし、殴る蹴ると暴れた父親は、何かの弾みでボルテージの閾値を超えた。
床に転がっていた一升瓶を拾い上げ、打気の頭を目掛け、殴りかかったのだ。
その時。
打気のボルテージも、閾値を一気に超えた。
殴られて吹っ飛んだ打気がぶつかった衝撃で、流し台の扉が開いた。
そこに掛けてある出刃包丁を掴み、一升瓶を降り下ろす前に、切っ先を左胸に突き刺し。
引き千切る様に傷口を切り開き、そして荒々しく包丁を抜いて。
血飛沫を頭から浴びた。
心臓から吹き出る赤黒い血液は、思っていた以上に熱かった。
殺すつもりはなかった。
と、言うつもりはない。思った事も無い。打気からすれば、それは当然の報いであり、義父からすれば、相手が悪かったに過ぎないからだ。
運が悪かったに過ぎないからだ。
相手に殺人鬼の素質があり、殺人鬼の性質を覚醒させてしまった。それが、義父の敗因であり、原因。
それから、である。
それから現在に至るまでの八年間。
高遠打気――零崎討識は、人を殺し続けている。
今時らしく、だるだるに着崩したウィンドブレーカー。衣擦れの音が気になるが、
問題は別の要素だ。
虚の得物に対抗できる武器が必要だ――いや、コピーとはいえサブマシンガンがあるのだから、対抗どころか本命も本命なのだが、しかし、虚の戦闘力が弾丸を避けられるレベルであるのならば話は違う。避けられるのならば、虚は『
「まあ」討識は自室のクローゼットに収納されている武器から、一本の日本刀を取り出す。「とてもそうだとは、微塵も思えねえけどな」
これ一本で十分に事足りる。推論通りならば、十全に斬れるはずだ。
推論で結論を言うならば。
後目虚は強くない。
弱くはないが、強くもない。暴力の世界によくいる程度のレベル。
それが討識の見解だった。
「その見識の甘さ。利用させてもらうぜ」
マンションを出て、暫く夜道を歩く。自宅から学校の距離は、歩くには少し遠く、日本刀を持ちながら歩くには、かなりしんどい距離である。しかし、凶器を持ちながら公的な移動手段を採るのは、愚かを通り越して馬鹿としか言いようがないし、自動車やバイクといった脚を所持してもいなかったので、穏便かつ隠密に移動するには、結局、歩くしかない。
とはいえ、一般人に見つかるのもまずい。
人影も物音もない住宅街を、夜の帳に紛れて進む。
(バイクでもあればいいんだが)
(バイクどころか免許もないしな)
裏の世界に通ずる討識の事、偽装された運転免許証を手に入れる伝など、腐る程ある。が、そういった不正――なんという失笑も漏れない冗談なのか――を、討識の姉である頸織は、決して許さなかった。
零崎頸織。
数少ない、女性の零崎。
暴力の世界の住人であり、そして殺人鬼である以上、当然、まともな人格をしていないし、真っ当な人生を送ってもいない。
その割には、平々凡々な生活を夢見る、人格破綻者にして社会不適合者な姉。
人殺し以外の事は何もできず、掃除をすれば窓を割り、料理をすれば包丁を折り、洗濯をすれば洗濯機を壊す女。
見た目美人な見かけにそぐわない駄目女のくせに、卑怯卑劣を嫌うのは、誰の影響を受けたのだろう。
「……って、そんなの双識さん以外ありえねえか」
別に双識が汚い手段を忌避しているわけではないが(『
それは、何に起因するのか。
(『彼女は君に憧憬を抱いている』)
(『身近にいる『出来る他人』を象徴にしても、何もおかしくはないさ』)
「ふん……憧れ、ね」
くだらねえ、と切り捨てて、夜空を仰ぐ。曇っていて、星も月も見えない。
『学校内では人を殺さない』というのが、姉である頸織との約束、というか命令だった。
聞けば人識も、双識から似た様な事を言い含められていたらしく、正直な所、あの不愉快な餓鬼と同じ事を強いられていたと思うと、非常に腹立たしい。
まあ、既に卒業した今(籍はまだ残っているが)、もう関係ない。
これは、確定事項だ。
校門はシャッターで封鎖されていたが、それを一息で飛び越えて、グラウンドに向かうと、背の高い男が、仁王立ちをしていた。
先程と同じ得物を提げた、壮年の男。
「よう、ジジイ。元気そうでなによりだ」
「零崎討識」後目虚は、挑発に近い挨拶を無視し、討識を睨む。「本当に、来たか」
「あぁ? テメエが誘ってきたんだろうが。それともアレか? 双識さんを
「貴様の様な若僧よりは、マインドレンデルを殺す方が良いのは、確かだのう」
そう言って、虚は腰へ手を伸ばす。
「『大戦争』を生き延びた数少ない殺人鬼。殺した人数は千を下らんという触れ込み、害悪さで言えば、貴様よりも上であろう。大きい悪を排除すれば、人は死なんのだからな。貴様ら殺人鬼の毒牙にかかる者も、自ずといなくなろうよ」
「まるで体制に反逆する英雄だな」
「英雄ではない。必要悪、偽善である。大義の下の殺人が、善であるとは、儂とて思わん。しかし、悪ではないことは明確であろう。その罪が、赤の他人を助けるのだからな」
きぃん、と。
虚は刀を抜いた。
「そして、その大義と罪は、この後目虚が請け負おう。五十年に及ぶ、修練と研鑽を重ねた我が剣技。この刃にて、貴様らを斬り裂いてくれようぞ」
その刀は、討識の打刀よりも刀身が長く、その為に柄も長い。
日本刀という刀剣の分類の中で、圧倒的に大振りで、破壊力に長じた刀。
大太刀。またの名を
今宵の相手は、古今東西稀に見る『野太刀使い』の剣客だった。
(予想通りだが)
(第一の条件はクリア、か)
第一の条件。
それは
「……それが、アンタの主義か」
「左様」
「くだらねえ」
一蹴した。
虚の主義と主張と主体と主観を、蹴り飛ばした。
「人殺しに程度はねえよ」凶器を抜いた虚に対し、討識は構えもしない。「人を殺す奴は、程度も例外もなく、害悪で、最悪さ。俺も、双識さんも。そしてジジイ、アンタもな」
それどころか、右手で鞘の
「人の価値は他人には決められない。金銭に換算するなんざ、尚更できない。つまり、数字に変換できないレベルの損害を出し続ける俺達プレイヤーなんてのは、漏れなく悪人なのさ。アンタだって、幾人か、人を斬ってきただろう。その斬ってきた分の損害はどうやって補償するつもりだ? 人の命は補填が利かないんだぜ? なあ、
甘ちゃんのお坊っちゃん。
生きるか死ぬか。
生かすか殺すか。
「ここはとっくに地獄の底なんだよ。ここに、片足でも突っ込んじゃあ、もうおしまいだ。善悪なんか存在しない。それが分からないんじゃあ、どれだけ歳くってようが、アマチュアで新参者で赤ん坊さ」
もういいだろう、と討識は柄を肩で弾き、鞘からも手を離す。重力に従って落ちる刀を左手で掴んで、親指を鍔に当てた。
「大人の誠意は結果を出すことだろ? 指導してやるよ、
殺人の流儀を教えてやる。
殺して、教えてやる。
「貴様……! 零崎、討識! 貴様、儂を……素人の餓鬼などと、儂を愚弄するか!?」
「当然だろう? 試験大好きな双識さんだって、アンタを『不合格』と断ずるだろうぜ。人間としても、プレイヤーとしてもな」
わなわなと怒りに震える虚に、討識は続けて、締める。
「始めるぜ、ジジイ。綺麗に醜態晒して死にな」
「殺人鬼が…!」
虚の眼光、使命感に怒りが混じり、より尖り鋭くなった剣気が、周囲を飲み込む。素人扱いされたことに、相当腹を立てた様である。
「その罪業、悔やみ苦しんで死ぬがいい」
(予想通り)
(煽りに弱い)
「真っ当過ぎんだよ……」
虚に聞こえないように呟く。
「双識さんからのハンデは、活かせなかったみてえだな」
「何ぃ?」
「いや、別に」
討識は足早に歩を進め、虚の間合いに近付いた。
「それじゃあ、零崎を始めよう」
◆ ◆
少し講釈をしよう。
今回、討識が手に取った日本刀は、分類上は『
長さは一尺九寸八分。メートル法で、約六十センチメートルに相当する。
対して、虚が使う『野太刀』。
大太刀とも呼ばれ、その名の通り、刀身が長い日本刀である。二尺九寸七分、約九十センチメートルを優に越えるものが多い。通常の刀の一.五倍から二倍以上もの長さがあり、近距離武器でありながら間合いが広く、かつ破壊力もある。
代表的な使い手は、戦国時代の武将、
その特徴の一つとして、『
剣道における八相の構えに近く、右手で耳の高さに刀を立てて、左手はそれに軽く添えるという姿勢だ。現代剣道では八相の構え自体、珍しいものとなったが、真剣を扱う場合では、中段や上段と共に、ポピュラーな構えである。示現流でなくとも、蜻蛉を使う剣客は多い。
虚の様に野太刀を使う場合は、特に。
「それじゃあ、零崎を始めよう」
蜻蛉に構える虚に対して、討識はすたすたと、歩いて間合いを詰める。
いや、間合いを詰めるなんて上等な表現ではなく、露骨に、ただ、歩いている。緊張や慎重のようなものは全くなく、普通に、虚に向かって、足を進めているだけだった。
左手に持った刀はまだ抜いていない。
生意気な餓鬼、というのが、虚が討識に持った第一印象である。
その次は嘗めている、だ。
腕はかなり立つようだが、若さ故か相当な礼儀知らずで、尚かつ軽薄な男。現代の若者そのまま、なんて表現がぴったり当てはまる。虚はこういった人間が、はっきり言って嫌いだった。
理由なく殺す殺人鬼。それを殺したところで、正義でも善でもないことは、虚も承知している。しかし、偽善の必要悪として、誇りを持ってこの立ち会いに挑んでいるのは確かだ。
その誇りを否定する人間が、嫌いな人格をしているのだから、腹が立たないわけがないのである。
野太刀の広い間合いに入った瞬間、その身を斬る。
虚には勝算があった。
虚は高齢だが、かなり大柄な体格をしている。手足も長い。それに加えて、刀身の長い野太刀を使うのだから、その間合いは、討識よりも格段に広い。従って、殺傷圏内が狭い討識は、なんとか虚の剣撃を掻い潜り、攻撃する必要がある。
それは不可能ではない。何故なら、討識の脚は異常に速いからだ。
討識が双識を学校で斬りつけた時、二人が相対していた距離は、虚の目測で約五メートル。討識はこの距離を一瞬で詰め、双識に斬りかかったのだ。並大抵の脚力ではない。それが、討識の一番の武器だ。
飛び道具を持ち込んでこなかった以上、必然、討識はその脚力で飛び込む他ない。ならば話は簡単だ。飛び込んで来るのが分かっているのだから、間合いに入った瞬間、斬り伏せてしまえば良いだけである。
その為の蜻蛉である。重い野太刀を無理なく構え、かつ素早く攻撃するには、振り上げるというタイムラグの無い、蜻蛉に構えるのが都合が良いのだ。これで、体力勝負の持久戦にも対応できる。
しかし、討識は、その速さを使わなかった。
虚との距離を、ただ歩いている。
てっきり突っ込んでくるものと、そうでなくとも、その素早さでフェイントをかけ、攻撃のタイミングをずらすものだと思っていたが、これは予想していなかった。
とはいえ、討識が自分からやってくるという事実は変わらない。虚にできることは、来るべき時を逃さないよう、集中するのみである。
ふと、討識は足を止めた。
虚の間合いまで、あと、一寸。
「さあ」灰色の三白眼に、殺意が籠った。「いくぜ」
そして、一歩。
虚の間合いに入った。
「っ、キエエェェェエェッ!」
一閃。
虚の野太刀が走った。その剣閃は袈裟斬りに降り下ろされ、討識を肩から一刀両断せんと、残像を残して直線を描いた。
電光の如き剣撃。とても刀で受けきれるものではない斬撃だった。たとえ服の下に帷子を着込んでいたところで、忽ちそれごと斬り裂いてしまうだろう。
しかし、討識は斬られなかった。
虚の剣は、討識の体を素通りした。
「――――!?」
否、素通りはしていない。
当たっていないのだ。そもそも、間合いに入ってさえいない。
どころか、間合いに踏み込んだ時よりも、やや下がっていた。
剣術というよりも、古流柔術の動きだ。足元では進んでいるように見えても、膝から上は後退の動きをする。
間合いの外に出てしまえば、斬られないのは道理。
「――ぬぅおりゃあぁ!」
一太刀で仕留めることは敵わなかった。
ならば、二之太刀を放つまで。
降り下ろした刃を返し、討識の顎目掛けて振り上げる。
この技は、『燕返し』。
古流剣術に伝わる剣技。
直前の袈裟斬りは、必殺ではあるが、本命ではない。命中すれば御の字だが、相手は殺し名の第三位『零崎一賊』である。一撃で断つ気でいても、一撃で倒れる相手ではない。
ましてや、討識は一太刀目を避けはしたが、その重心は後方へ寄っている。回避するには厳しい体勢故、ヒットする確率は十分に高い。
しかし、その二の太刀も躱された。
虚の燕返しを、討識は後方へ飛び退いて躱した。重心が傾いている分、回避策としては自然で簡単。
そして簡単故に、読みやすい。
三之太刀。
これが、正真正銘の本命。
振り上げた刀を肩の高さに持ち、刃を背に返したまま、心の臓に向けて突き下ろす。
回避動作として飛び退いた討識は、超低空とはいえ、未だ宙空にいる。地に脚が着いていない今なら、どれだけ脚が速かろうと、避けられはしない。
仕留めた――――!
虚は勝利を、討識の殺害を確信した。
討識の顔を見る。
端正な顔立ちと、灰色の三拍眼。
その目が、笑っている。
「――っ!?」
瞬間。
きぃん。
金属音。
いつか聴いた様な音。
そう、それは双識と討識が、互いの得物をぶつけ合った時に近い、けれども、それよりも幾分軽い――
「やっぱり」
ざっと、砂利と靴底が擦れ、バックステップを終える討識。
「強かあねえな」
討識は刀を抜いていた。
左手に鞘、右手に柄を握り、美しい刃を、月明かりに照らし。
そして。
野太刀の刀身、切っ先から三分の一が、
折られていた。
斬られていた。
「き、きさっ、小僧! い、いつ抜きおった!?」
「いつも何も、今さっきだよ。見えなかったか?」
見えなかった。
殺害対象である討識を、一瞬たりとも目を離さなかったにも関わらず。
「目に頼ってるようじゃあ、まだまだだぜ。まだまだ、全然、アマチュアもアマチュア、いい歳したお坊ちゃんさ。プロのプレイヤーなら、殺気と気配を肌で感じられなくちゃあな」
虚も、剣の道を長く歩んできた人間である。無論、攻撃の気配が読めない、なんてことはない。攻撃をする、その殺気は感じ取っていた。
だが、純粋に、抜刀の動きが、目に映らなかったのだ。
速さの次元が違う。
「宙に居ながらにして、光の如き高速で刀を抜き、我が野太刀の突きに合わせ、さらに斬鉄するだと……?」
それでも、虚は腑に落ちない。
「儂は見ていた。貴様が、マインドレンデルに、斬りかかる瞬間を。貴様は、その健脚を持ってして、あの男との間合いを詰めた。貴様の武器は、その脚の速さだ。ならば、宙空に居れば、地に脚が離れている以上、貴様はその速度を発揮できず、そして攻撃もできず……ましてや刀を折るなど、出来るはずがなかろう。何だ? 何をした? どの様な奇術と妖術を使ったのだ!?」
「何もしちゃいねえよ……奇術も妖術も魔術も幻術も。一切合切、何もしちゃいない。ただ刀を抜いて、刀を斬っただけさ。あえて言うなら、体幹の違いだろう。空中じゃあ回避は不可能とか聞くけどな、重心と筋肉の使い方によっちゃあ、意外と動けるし、案外力も込められるんだぜ」
ありえない。
だが、それを可能にするのがプロフェッショナル。
プロのプレイヤー。
「くっ……!」
折れた刀を討識に向けて放り投げ、虚は懐に手を伸ばす。手にしていたのは野太刀だけだが、忍ばせていた武器は、その限りではない。
が、それも遅い。
きぃん、と。
再び金属音。
同時に、虚の手首が落ちた。
「ぐぁ、ぐおおおォオオぉっ!?」
弾け飛んだ右手首を左手で抑え、痛みを堪えながら、応急的に止血する。
「見苦しい。さっきまでの威勢の良さはどこいったんだ?」
振り上げた刀を、虚の首元に当てる。自らの血液に濡れた刃は、赤色とは裏腹に冷たい。
虚は理解した。
折れた以上、野太刀は役に立たない。それを障害物として放り投げ、虚を突いての不意討ちへと繋げる間、その間、虚は瞬き一つとしていない。目を離していない。
それなのに、討識が刀を振り上げ、右手を切り取った動作を、虚は、捉えることができなかった。
見えたのは、攻撃したという結果だけだ。
結論は一つ。
零崎討識は脚が速い。
そして、
「ぐ……き、貴様は脚力と同等か、そ、それ以上の腕力を持っている、という、こと、か」
「正解だ。ようやく分かったなあジジイ。でも、これも遅かったな。分かってたら、また、別の攻め手もあったろうに」
通常、刀剣類は、ただ腕で振り回すだけでは、標的を斬ることはできない。一般の刀や剣の重量では、目標を破砕するには軽すぎるからだ。
足腰に力を入れ、その力を刀身に伝えることで、初めて斬ることが可能になる。
しかし、零崎討識は違う。
討識は、その細身ではありえない筋力を、スピードとパワーを兼ね備えて、持っているのだ。
腕力だけで、目にも止まらず、一刀両断できる程に。
「ぬかったわ……そ、それが、それさえ分かっておれば、この様な結果には……」
「ああ、もう少し違う結果だったかもな。まあ、それが分からないから、
「――」
違和感。
手首に走る、鈍く鋭い痛みの中、それでも聞き逃さず、感じ取った疑問。
『ヒントはいくらでもあったのに』。
ヒント? ヒントとは何だ?
その台詞は、まるで、戦う前から、討識の特性に気付くことが可能であったかのようだ。
だが、そんなことは――
「不可能では、なかった……?」
例えば、討識が体育館裏で、クラスメイトを惨殺した時。
討識はクラスメイトを、バラバラに断割したが、
「そう。ジジイ、
「……――」
「アンタ、言ったよな」
『あの様に惨たらしく殺す必要はあるまい』
『零崎双識に受けさせるだけの脚があるのだ、一太刀で斬り捨てればよかろうに』
受けさせるだけの、
「あの発言で、アンタは俺と双識さんがかち合うシーンを、どこからか見ていたことは分かる。しかし、その直前に、俺が同級生を惨たらしく殺したシーンは見ていないのも、ハッキリしたんだよ。アンタが見たのは、双識さんが現れた後からの流れだ。見ていたのなら、『脚』じゃなく『技』とか『速さ』とか、違う単語を使うはずだからな」
討識は、一息で人体を複数個に断割できる、速さと技術を持っている。それも虚の刀を斬った様に、下半身の力に頼らなくとも斬鉄できるスキルだ。卒業式の後、同級生を全員、バラバラに分割した場面を、虚が目撃していたのなら、討識の戦闘の肝が、脚ではなく腕にあるというのは、疑いようもないのである。
従って、速度において虚は討識に劣っているという推論も、容易く導き出せるのだ。斬撃の速さならば、虚も相当に速いが、強靭かつ柔軟な足腰によって加速された刃を、その腕力によってさらに加速させることが、討識には可能なのである。
これさえ分かっていれば、虚は対処の仕様も変えたし、そもそも討識との戦いは避け、双識と戦うという選択肢を選んだ可能性も、十分にあり得た。『自殺志願』と野太刀では、間合いの広い野太刀の方が、断然有利であるからだ。
とはいえ、討識と全く同じ情報を得ていた双識が負けるとは、想像すら出来ないが。
「見るべきシーンを見れなかったのが、一つ。加えて、見ていないことを示唆する発言をしてしまったのが、アンタのミスさ」
後目虚は強い。しかし、それは表の世界での話だ。
罪悪と罰則が付きまとう死生観が成り立つ市井、殆どの闘争はスポーツ化し、ルールが設けられるにつれて、戦いにおける情報戦の意味は薄れた。
だが、『暴力の世界』では、話が違う。
一つの傷が生死を分ける世界。一つのミスが死に繋がる社会。
虚には、プロのプレイヤーとしての意識が、圧倒的に不足していた。
「あの店、あの扉の前で、既に勝敗は決していた、だと……?」
虚は強い。しかし、討識はそれ以上に強い。
手合いが違いすぎる。
レベルが違いすぎる。
生きているステージが、戦っている舞台が、歩んでいる世界が、違いすぎる。
「ば、化け、物――」
「化け物? いいや」
殺人鬼だ。
そう、堂々と宣言した討識は、尋常ならぬ殺意に、並々ならぬ殺気に、満ち満ちていた。
殺人鬼。
殺したい。装飾も修飾もない、ただの殺害衝動に突き動かされる、正真正銘、人殺しの鬼。
「手が痛いくらいで泣きが入ったか? 手の一本二本、あろうが無かろうが、大して変わりゃあしねえだろうが」
「貴様……」
血が止まらない。当然だ、手首がすっぱりと、斬られているのだから。
負ける。
敗れる。
死ぬ。
殺される。
後目虚は、零崎討識に負けて死に、敗れ殺される。
「……貴様は何故、殺すのだ」
「ああ?」
「何故、殺すのだと、問うたのだ。 零崎討識。貴様程の実力ならば、貴様程の身体能力ならば、こちら側でも生きることが出来たはずであろう。脚光を浴び、羨望を向けられ、喝采を貰うことも、難くはないはずであろう。何故、貴様は人を殺す? 何故、貴様は、この世界にいるのだ? 答えよ。零崎、討識」
自分は死ぬ。その覚悟が、非常に遅蒔きながら、死の淵にいながら、ようやく、出来た。
最早、幾ばくもない命だ。
だからこそ、聞きたくなった。聞くべきだと思った。人知を軽く飛び越えながらも、光ではなく闇に生きる殺人者の動機を。
『理由なく殺す』殺人鬼の言葉を。
「殺す理由なんか無えよ。いや、無いって言うか、分からないな」
「分からない?」
「分からない。全くもって不明瞭、不明確、不明快。 それでも言葉にするなら、傾斜のきつい坂を、転がり落ちてる様なもの、かな」
坂を転がり落ちる。
それが意味するのは『止まれない』という事だ。
足を滑らせたか、背を押されたか。理由はともかく、
ブレーキは存在しないから、止まるまで転がり続ける。
死ぬまで、殺し続ける。
「――家族」討識は言う。「アンタさ、家族っていたか?」
「家族?」
「ああ。ファミリーってヤツ。よくマフィア映画とか任侠物とかで、出てくるだろう。ファミリーとか、兄弟とかさ。別に血縁なんか無いってえのに、何で奴らは、血縁関係で括るのか。まあ、単に結束を深める為なんだろうけどよ。けど、そういう風に括ったり、縛ったりしねえと、繋がりが保てねえって、本能的に分かってる部分があるんだと、思うんだよな」
今までの軽口から一転、急に真剣な口調で、語りだした討識。
「絆、とかな。零崎の殺人鬼ってのはさ、大概は元来一般人だったりするんだ。殺人は犯罪だ、場合によっては死刑にもなるよな。そんな凶悪な罪を犯したら、大抵の人間は罪悪感に苛まれる。一部の人間は、開き直って正統性を確立する。そして例外の人間は、何も感じない。一切、何も感じない。罪悪感は感じないし、開き直ることもない。戸惑いもしない。ただ、やっちまったなあって、思うだけさ。そういう人間は、壊れてる。自他共に認める程、壊れてるんだ。 でも、でもさ。そんな欠陥人間でも、理解されないのは、寂しいんだよ」
「…………」
「壊れてても、一般人だから。心は、強くないんだよ」
零崎双識も、零崎頸織も。
そして零崎討識も。
心は弱いから、群れを組んだ。徒党を組んだ。
理解できるから、受け入れてくれるから、家族になった。
「その内の例外も、思い付かないでもないけどな……。だけど、それでも、満足できない。充足できない。何かがないんだ。家族は得たけど、何かが足りないんだ――それを埋めようとするのが、殺人鬼。零崎なんだろうぜ。俺はそう思う」
何かを何かで埋め合わせる為に、人を殺す。
それが、殺人鬼の家族。
『零崎一賊』。
「……何が渇望を癒すかも分からぬというのに、殺し続けるというのか」
「ああ。殺す」
「それは、茨の道ではない。ただの不毛だ。殺し続けて、尚、見付からないのなら、それは、そんなものは無いという意味なのだ。しかし、貴様は、それでも、殺すのか?」
「殺す」
「異常者め」
虚は、そう断じた。断じる事しか、出来なかった。
虚には、討識の弁の一切が、理解出来ない。理解出来てしまえば、もう一般人とは言えないし、そして自分自身、こんな異常者でありたくはない。
だが、もしかしたら、そここそが、違うのかもしれない。
決定的なのかもしれない。
求めるものすら見出だしていないまま戦う事を、疑問に思わないという混沌の精神。
例えるならば、柔らかいゴム風船の中で、ライフル弾が跳弾している様なものだ。常に内部で爆発を繰り返しつつ、壊れはしても崩れはしない器と、高潔に偽善を謳う器には、越える事も出来ない壁が存在したのだ。
莫大な矛盾を許容している、脆弱で強靭な精神。
地獄の鬼に地上の人は敵わないのと同様、後目虚は零崎討識に敵わない。
内に抱えているものが違うから。
その刃に宿る力も、また、違う。
「さて、無駄話はおしまいだ。 いい加減、手首も痛いだろう。安心しろ。すぐにバラバラに解して、三途の川に流してやるよ」
討識は、刀をゆっくり振り上げる。
その時が来た。死ぬ時が現れた。
後目虚はここで死ぬ。
「……最後の、最期の、問いだ」
「…………」
「もしも渇きが無ければ。求めるものを、最初から手にしていたのならば、貴様は、人は殺さなかったのか?」
殺人鬼は即答した。
「分からねえよ」
言って、目の前の老人を、脳天から叩き斬り。
そして、豪快に。ぶつ切りにカットした。
◆ ◆
マンションの自室に戻ると、玄関の扉が壊れていた。
すわ泥棒か、いい度胸だぶっ殺してやると息巻いたが、しかし、その壊され方に、違和感を覚えた。
扉はツーロック式、シリンダーにはセンサーが通っており、持ち主の鍵にしか反応しない仕組み。扉自体もシリンダー自体も頑丈、至近距離から弾丸を撃ち込まれても凹まない。
そんなシリンダーが二つとも、外側から引っこ抜かれていた。扉の傍らに、ひしゃげた残骸が、細かい部品をくっつけつつ、転がっていた。
こんな強引な開け方、するのも出来るのも、思い当たる奴は討識の記憶には、一人しかいない。
修理費用の事は、一旦考えるのは止めた(敷金では賄われない。何故ならこのマンション自体が、自分の持ち物だから)。ドアノブを引いて中に入ると、見慣れない、けれども見知った靴が目に入る。
乱雑に脱ぎ捨てられた、女性物のスニーカー。
溜め息を吐いて、リビングに向かう。テレビから流れる、バラエティ番組特有の笑い声と、肉の焼けた匂いが漂っている。
そして、そのバラエティ番組を観ながら、焼けた肉を食べている女性は。
「ん? あ、おかえり」
「…………ただいま」
ポニーテールにした赤毛、大きい瞳が印象的。細い身体にTシャツとハーフパンツを通した女性。
零崎討識の姉、零崎頸織。
「どーしたの? そんなとこに突っ立って。久し振りのお姉ちゃんだよ? 飛びついて抱きついて来なさいよ」
「ふざけろ糞女」
「まーいいけど。じゃ、ゴハンでも食べようよ。そんな重そうな刀なんてほっぽって、姉弟水入らずさ。なんか冷蔵庫に美味しそうな肉の塊があったから、ステーキにしてみたよ。塩と胡椒しか振ってないけど」
「ゴミ箱に五キロはありそうな、焦げた肉があるんだが」
「そりゃー焦げちゃったし。棄てるでしょ……そんな目で睨まないでよ。怖いなあ」
ごめーんね、てへぺろ。
なんて反省の意識ゼロの謝り方を見て、討識はもう一度、溜め息を吐いた。
「これでも嫌いになれないってんだから、家族だよなあ……」
「何か言った?」
「何も言ってない」
とりあえず、当面の問題を片付けよう。
「んー? ねえ、討識。もしかして、そのゴミ箱に入ってるの食べる気? 流石にお姉ちゃん、それはオススメしないかなー」
「お前の口に突っ込んでやろうか糞が」
こうして討識は、無事に高校を卒業した。
この姉と双識が、自分の高校生活をバックアップしていたのだと考えると、なんだか釈然としないでもないが、しかし頸織に拾われていなければ、そもそも高校に通えてさえいなかったのだ。
少しの間だけ、本当に少しの間だけ、帰って来た姉の為に、尽くしてやるとしよう。
「ああ、討識」
「あん?」
「卒業おめでとう」
まずは、大食漢な姉の為に、ステーキを焼き直す。
討識は刀を置いて、包丁を手に取った。
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