お久し振りです。石持克緒です。
年明けに後編を投稿……とか言っといて早三ヶ月、大幅に遅れてしまって申し訳ありません。
では、後編をお楽しみ下さい。
実際のところを端的に言うと、とある策師に別件で誘導された某組織が送り込んだ刺客という役回りなのだが、休が把握しているのは、この件での自分の役割だけだ。
何にでも首を突っ込む人間は早死にする。というのは小説やドラマでよくある台詞だし、実際に死ぬことはないにしろ、ろくなことにならないのは事実だろう。
しかし休がそういう背景や舞台裏を詮索しないのは、単に面倒臭いからである。知ったところで報酬が上がるわけでもないし、むしろ不利益になるのならば、わざわざ探る必要もない。
自分の生活とは関係ない。
朝に起きて、ご飯を食べて、夜に寝れれば、世はこともなし。
休はそういうスタンスの人間だ。
人殺しでさえも、ただ生活する上でお金が必要だからしているに過ぎず、むしろ学のない自分には向いている仕事だと思っている。
山で獣を殺すのと大差ない。
生きるために殺し、殺すことで生き延びる。
それが夢辻道休の殺人動機だ。
◆ ◆
「小娘がぁぁァァッ!早く我が鎗にかからんか!」
「まさか。そんなことっ、ありえないわっ」
騎士の振るう鎗を、紙一重で避ける。
ロビーで繰り広げられている戦いは、その繰り返しだった。
「まったく」休は軽く肩で息をしながら呟く。「本当に面倒な相手」
黒い巨馬に乗った騎士――
一つは体力。重い鎗と盾と鎧を付けて行動する以上、体力の消費は著しい。愛舐は馬に乗っているとはいえ、鎗を振り回し盾を振り
また、この巨馬も相当に規格外だ。重い装備を身に付けた重い人間を重い馬鎧を付けたまま、機敏で俊敏に動き回る。愛舐の手綱捌きが上手いのもあるが、それでも疲弊しないとは、はっきり言って異常だ。赤兔馬の子孫と言われたら信じそうになるほど、実に見事な馬である。
二つ目は反応速度だ。
「くっ……!」
左回りから右回りに方向転換。そして発砲する。
兜の隙間、視認用のスリットが目標。命中すれば、容易に方が付く。
「ぬぅんッ!」
愛舐は素早く盾を翳し、銃弾を防いだ。
金属の盾を片腕で軽々と扱い、着弾の前に防御する。並外れた反射神経と、それを阻害しない筋力を持って初めて可能となる行動である。
それでいて、愛舐は返す刀でランスを振るい攻撃することができる。それも素早く重い一撃だ。剣を振るうように連撃できるわけではないが、三メートルはある大きなランスの攻撃範囲は広い。剣ほど速くはないが、二発、三発と物理的に命中率の高い攻撃を重ねることができる。
加えて愛舐は背後を取らせない。愛舐が持つランスや腰に差している剣は、基本的に前方に攻撃するための武器だ。ならば後方に回れば安全圏内である。さらに相手が馬に乗っていれば、その安全性は高まる。騎乗における転回は難しいし、熟練者でも時間がかかるからだ。
嵌賀愛舐という超人の身体能力は、人間の枠を超えている。
(全くと言っていいぐらいに疲れないわね。獣みたいな体力して化物じみた筋力してるなんて、反則だわ)
(生まれてくる時代を、間違えている)
確かに、この嵌賀愛舐という男は、世が世なら輝かしき武勇を成し遂げられる人物と言っていいだろう。首魁を挙げ、武勲を貰い、寵愛を受け、栄光を讃えられるような、英雄的存在である。
惜しむらくは頭が悪いこと、否、頭が固いことか。
(他人の話なんて一切聞かないし)
(本当、面倒な相手)
とはいえ、中世だろうと現世だろうと、相手が猛者なのは変わりない。
それも戦争の歴史を覆すような実力の持ち主だ。
(結局、ハードスチールジャケットも通用しなかったし)
想定外の三つ目は、愛舐の防具の強度だ。
休が用いた弾丸は軟鉄に熱処理を加えて、貫通力を増したライフル弾だ。貫通力は徹甲弾と同程度であり、防弾できる素材も限られている。
また、歴史的に、盾や鎧は、銃に弱い。現在の防弾チョッキでも、ライフル弾を防ぐのは不可能だ。しかし愛舐の盾はその銃弾を通さなかった。ということは、金属製のそれは相応に厚く、相当に重いことを意味している。
恐らくは鎧や兜、籠手や脛当てにいたるまで、同様に厚く重いはずだ。つまり、嵌賀愛舐は飛び道具に対して、絶対の耐性を持っているに等しい。
得物がライフルだけの休には、隙がなければ勝てない相手なのだ。
しかし、愛舐に隙はない。
背後を取るために動く。だが、愛舐は素早く手綱を捌き、それをさせない。銃弾を放ちタイミングを図ろうとも、盾で防がれる。
お返しにランスが振るわれ、それを休は紙一重で躱す。
三十分間、延々とその繰り返し。
体力勝負の一発勝負。そんな戦いに、休は追い込まれていた。
(とはいえ)
(この馬には、付け入れるはず)
隙があれば付け込む。隙がないなら作る。
愛舐に隙はなくとも、駆る馬には付け入れる。
馬は知能が高く、体力もある生物だが、全体的に警戒心が強く、臆病な性格であることが多い。一度恐怖を覚えたことは生涯を通じて避けようとするし、騎手が強制させるとその場で膝をついで動かなくなったり、騎手を置いて逃げ出したりすることさえある。
中世では、戦場に駆り出された馬が銃声に怯えて、騎手の命令を聞かなかったという例もある。
勿論、愛舐の黒馬は銃声ぐらいでは怯まない。それはこの攻防で証明されている。
それならば、馬自体を狙い撃てばよいだけのこと。
(狙いは右前足の膝)
(馬から降ろせば、少なくとも機動力は半減する)
愛舐は騎士である。騎士としての流儀に則るならば、馬に乗っている限りは、攻撃手段はランスのみだ。
さらに馬上の攻撃は、乗っている馬が重要になる。例えばこのビルの扉を吹っ飛ばしたランスの一突きは、大部分は馬の性能によるものだ。馬の体力とスピードが最高の状態であることが、騎士の実力を底上げするファクターなのだ。
よって、愛舐を馬から降ろすことができれば、愛舐を攻略する難易度は下がり、殺害する容易さが上がる。
そして、その種は蒔いてある。
「えぇい、こそこそちょろちょろ動き回りおって! 鼠か貴様は!?」
「失礼ね。若い女性相手に、鼠だなんてっ……」
ランスの直撃を避けて、休は後方に飛び退いた。
愛舐の攻撃を躱し続けた結果、一階ロビーは惨状となっていた。壁や床、柱が破壊されて、コンクリートの瓦礫が辺りに散乱している。死体の山が瓦礫の山に潰され、血の海だった床が捲れて、灰色の荒野のような有り様だ。
「しかし、解せないわね」
休は身の丈ほどの瓦礫に乗り、呼びかける。
「貴方ほどの人間が、こんなところにいるなんて」
実際のところ、全く疑問に思っていない(思いたくもない)。動き回ったおかげで少し疲れたため、一休みしたかっただけだ。
普通なら、これは好機と見て攻め込む。しかし、騎士を自称する愛舐は話に応じる。
騎士道を重んじるならば、動かない相手に攻撃は仕掛けない。
「ぬぅッ!?どういう意味だ、貴様!」
「どういう意味もなにも」息を深く吸い込み、ゆっくり吐き出す。「そのままの意味よ。貴方のように強く、目立つ人間が、どうしてここにいるのか。疑問に思うのは当然だと思うけれど」
息を整えるための時間稼ぎ。そのために吐いた嘘にしては、よくできていると休は思った。
この男、自分自身に関することなら、嬉々として話すだろうし。
「ふむ!よかろう、答えてやる!」馬を止める愛舐。「我が『
「…………」
大きく出たなあ、と休は思ったが、それが自身の推測を確信させた。
この男は褒めると調子に乗る。
「ではッ!まず、なぜ我輩が五人組殿と知り合ったのかというと――」
長くなりそうだったので、聞くのをやめて、思索することにした。
調子に乗るのは都合がいいとしても、この男の身体能力は、やはり脅威だ。なるべく確実に、黒馬の脚を潰したいところである。
(かなり時間も使っちゃったし)
(ぱぱっと片付けていきたいのだけれど)
普通に考えて、
とはいえ、絶対ではない。ここで退いて、もし五人組三十五郎が生きていたのなら、報酬の一千万円はパアだ。それに、こうした副業の信用にも関わる。食い扶持が減るのは、今後の生活によくない。逃げていようがいまいが、捜索はするしかないのである。
そして、それ以上の懸念がある。
先に入った男が、五人組三十五郎を殺害する可能性だ。
(面倒臭いのは間引いてもらおうとしたわけだけれど、もっと面倒臭いのがいたわけで)
(こんなところで足止めを食うなんて、思いもしなかったわ)
先に殺させてしまった場合も、勿論報酬はなくなる。もしあの男が銃器で殺害するのなら、なんとか誤魔化せるかもしれないが、そんな保障はどこにもない。仲介屋やその背景にいる組織がどの程度の情報力を有しているかもわからないし、ある程度の組織力を持っている集団を相手に、誤魔化せる力も、自信も、休にはなかった。
となると、やはり五人組三十五郎は自身の手で殺さねばなるまい。
(そうと決まれば手早く済ませましょうか)
得意気に喋る嵌賀愛舐。彼が跨がる馬に視線を向けないよう、努めて鎧を見据える。
ふと、休は思い至った。
(いや、待って)
(もしかしたら、馬への銃撃にも対応するかもしれない)
自身を防御できるのなら、馬も護れてもおかしくない。というか、まず間違いなく防御できるだろう。そう確信させるほどの実力を、嵌賀愛舐は持っている。
ならばどうするか。少なくとも、愛舐を馬から降ろさなければ、休とは勝負にならない。
(――よし)
「つまりッ!あの一撃は我輩と五人組殿との親愛と友愛と敬愛からなる、必中必殺の一撃と称しても過言ではないのだ!その攻撃により怨敵、そう!あえて名付けるならば『
肝心なところを聞き逃していたようで、何が何やら訳が分からなかったが、どうやら五人組三十五郎に従うに至る経緯らしかった。彼らの出会いには壮絶な戦いがあったようだが、しかしこの騎士の言うことだ。誇大に誇張された物語であったとしても、全く不思議に思わない。
「それはそれは、ご立派なことで」
休は白々しく褒める。ほとんど聞いていなかったが、それを明らかにして怒らせても仕方ない。
予想外の動きをされたら困る。
「私とは違って、人生に目的があるみたいでなによりだわ」
「うむッ!貴様は惰性で生きているようなものだからな!」愛舐は言う。「貴様の顔がそう言っておるわッ!」
「顔?」
「貴様のそのつまらなさそうな顔のことよ!決闘の最中にそのような顔をするな!不愉快であろうが!」
がちゃん、と鎧を鳴らす。それに応じてか、黒馬も短く唸った。
「決闘とは、己の意地と矜持のぶつけ合いである!貴様の全身には、意思も誇りも、己がこうあらんとする僅かながらの自尊心すらも存在せぬわ!」
ランスを高々と掲げ、雷鳴のように怒鳴る愛舐。
対する休は、淡々と返す。
「見識の違いね」休は言った。「殺しは殺し。どんなに飾りたてようと、生き物を殺しているのには変わりない。必要なのは、食い食われる覚悟。全てを糧に活かし、全てを贄に捧げる気概。生きるために殺す、その責に感謝も罪悪も抱かない信念。それが、生き物を殺す、ということ」
生活するために生きる。生きるために殺す。それが休の殺人規範だ。
そこには意地もなければ矜持もない。いや、意地も矜持も、意思も誇りも不必要だ。自尊心など真っ先に捨てるべきなのだ。
「自分のために殺すことをよしとし、他人のために死ぬこともよしとする。それが殺人者の絶対条件よ。決闘だなんて、人の世でも時代遅れな価値観、持ち込まないでほしいわ。 あえてあなたの言葉を借りるなら、そうね」
不愉快よ、と休は言った。しかし愛舐のように怒っているわけでも、蔑んでいるわけでも、軽んじているわけでもない、無感情な言葉だった。
不愉快だとは、実際には思っていない。だが、口をついて出てきたのは、そうした言葉だった。
偽りない本音。
それが愛舐のペースを崩す。
「貴様ッ!我が騎士道を愚弄するか!?」
「さあ?騎士道なんて知らないから、愚弄しているかも分からないわ。ただ、そうね。これだけは言えるわ」
休はライフルを素早く構える。
「決闘だというのなら、油断は禁物よ」
発砲する。目標は先の通り、黒馬の右前脚、膝付近。
「ふぅんッ!」
予想通り、愛舐はランスを突き出し弾を跳ねさせた。やはりこの騎士の実力は規格外だ。真正面からの正攻法では、休に勝ち目はない。
ならば正攻法でなければいいだけのこと。
当たらない攻撃を繰り出したのは、再開の狼煙と殺害の布石。
「またも不意討ちとは、卑怯なり!貴様とは最早文言を交わすにも値せぬ!!神妙に我が鎗にかかり死ねぃ!」
手綱を繰り、馬を走らせる。右手に握るランスは瓦礫に乗る休に向き、細い身体を突き貫こうと、一直線に駆けた。
(ランスは馬上で突く道具。故に突きこそが最強の攻撃となる)
休は冷静に穂先を見る。今まさに休の腹部を貫こうとするランスを、休は沈着に見据えていた。
(しかし、ランスは突きが強力であると同時に、突く以外に決定的な攻撃方法がない武器でもある)
ランスが届く十数センチ手前。
これを捌くか、それとも躱すか。
捌くのはリスクが高い。
襲い来るランスを捌くにはライフルの銃身を用いるのが、現状ではベターだが、愛舐の攻撃は鉄の扉をぶち抜くほどの威力だ。捌ききる自信がないし、接触の衝撃でライフルが故障してしまう恐れもある。また、ライフルが壊れた場合、それ以外に休は武器を持ち合わせていない。唯一の武器を失う可能性がある行動は、まず避けたい。
躱すのは意味がない。
突きを躱したところで、そのまま薙ぎに来られるだけだ。その攻撃も躱したとしても、先程と同様に消耗戦になるだけである。仕切り直しに持ち込んだ意味がなくなる。
では、どうするか。
「――――っ!!」
休の取った行動は両方。
捌くと同時に躱す。
つまり、休は穂先に飛び乗ったのだ。
「ッ、うぬぅぅゥゥッ!?」
驚倒する愛舐をよそに、休は次の行動を起こす。
踏み出した右足を踏み込み、跳び上がる。休の身体は宙返りするように、騎乗する愛舐を大きく跳び越えて、
ぱぁん
と発砲し、手綱を狙い撃ち抜いた。
「ぬッ!? ウオオオオォォォォッ!?」
手綱が切れた黒馬は多少体勢を崩したものの、構わず直進する。しかし、それに乗る愛舐は話が別だ。慣性に従って愛舐は前方に投げ出され、鞍から腰が浮く。
騎馬が乱れれば、騎手はそれ以上にバランスを崩す。馬の気性や騎手の能力、馬具の整備不良、外部からのトラブルなどで、騎手が落馬することは多い。ましてや愛舐が投げ出された先は、休みが乗っていた、巨大な瓦礫だ。鎧を着込んでいるとはいえ、その衝撃は大きいはず。
だが、嵌賀愛舐は超人である。
「オオオおおおォォぉぉッ!」
愛舐は落馬しないよう太股で馬の胴を挟みつつ腹に足を引っ掛ける。そして素早く切れた手綱を掴んで引いた。荒々しい乱暴な方法だが、恐らく愛舐にしかできない妙技と言っていい。通常ならば、何も手が打てずに、瓦礫に衝突して終わりだ。
愛舐はランスを杭のように瓦礫に突き刺し、平衡を保った。危機的状況の中で、力任せでない繊細な技量を発揮するあたり、やはりこの男は身体能力だけのプレイヤーではない。武具の扱いも一流だ。
「――まったく、本当にとんでもない人」
常人ならば落馬は避けられない状況を打破した愛舐の行動は、流石の一言に尽きる。
だが、愛舐はこの時、多少のダメージを負ってでも瓦礫にぶつかるべきだった。ランスで瓦礫を破壊し、無数の破片を浴びながらも駆け抜けるべきだった。
敵に背後を取られるくらいならば、そうするべきだったのだ。
「――ッ!」
愛舐も気付いたが、もう遅い。
「それでも」その頃には、休は既に引き金を引いていた。「ようやく、第一段階は、クリア」
放たれた銃弾は黒馬の臀部に命中し。
体内を掻き毟りながら胸部を貫いた。
「――――貴ぃ様ああああぁぁぁぁアアアアァァァァッ!!」
膝を折った馬から飛び降り、瓦礫に突き刺さったランスではなく、腰の剣を抜き、襲い来る愛舐。
「あら、鎗は使わないのね」
怒る愛舐とは対照的に、冷静に呟く。
騎士の決闘において鎗は馬上で扱うもの、なんてことは休は知らないし、知っていたところで、次にやることは変わらない。
鎧を鳴らして迫る愛舐は、叩き斬るように剣を振り下ろす。休の左肩から袈裟に両断せんとするそれは、ランスよりも速くて重い。
それを右回りに避ける休。前に兜のスリットを狙われた愛舐は、それをさせまいと盾を掲げる。だが、休が狙っていたのは、兜の奥ではなかった。
銃口は兜にも鎧にも向いていない。
狙いは、愛舐の右籠手。
「……っ!!」
ぱぁん、と銃弾は手首を貫き、籠手の内側を跳弾して掌を突き破った。
「ッガアァァァァッ!?」愛舐は剣を落とし、膝をつく。「貴様、小娘えええェェェェッ!!」
弾丸を通さないほどに厚く重い鎧。それもフルプレートアーマーとなると、一見すると、隙間なく金属で覆われた、完全に防備された防具と思われるが、実はそうではない。
例えば、休が狙ったように兜のスリット。または腋を始めとした間接部など、先の歴史的背景を除いても、案外弱点は多い。
鎧は打撃による衝撃の吸収や、皮膚の摩擦防止のために、鎧の下に布製の衣服を着る必要がある。籠手も同様で、指先まで鋼で覆ったガントレットでも、素肌の上から直接装着することはない。それに籠手は武器を握る役目もあるため、掌も鋼で覆ってしまっては、武器を力強く握れない。そのため、掌が自由になるように造られているものが一般的だ。
愛舐の籠手も同様だ。ランスという重量武器を扱うためには、しっかり握れなければならない。だが、掌が自由になる造りになっているということは、その部分は装甲がないという意味だ。
蟻の一穴。それぐらいの隙さえあれば、休には十分。
「跳弾までは考えてなかったけど……まあ、そういえばそうよね。散々弾いてくれたわけだし」
休の予想以上にダメージを負った愛舐は、手の痛みに耐えつつ、休を睨みつける。
「で。どうする?」そんな愛舐に、休は銃口を突きつけた。「盾にする?それとも、剣にする?」
左手には盾が握られている。だが、盾で銃弾を防ぐことができても、攻撃することはできない。次第に追い詰められて殺されるだろう。
盾ではなく剣に持ち直せば、攻撃することはできる。しかし、落ちている剣に持ち変えている間に撃たれる可能性が高い。
延命か、誇りか。
どちらを選ぶにしろ、これで詰みだった。
「…………」
ちらりと、休は兜の奥の眼をようやく見ることができた。
その瞳に、諦観はない。
「ッ!」
愛舐が盾を投げて目眩ましにした頃には、休は左手に回っていた。
今まさに剣を掴んだ、という瞬間、休は再び発砲し、同じように手首を撃ち抜いた。
「ぐがァッ!?」
がしゃん、とうつ伏せに倒れた愛舐。最早勝ちの目はない。だが、それでも立ち上がろうと、肘を立てる。
「その諦めの悪さは、素直に感心するけれど」休は兜のスリットに銃口を射し込む。「あまり真似はしたくないわね」
「何を言うか小娘!決闘が意地と矜持によるものならば、その先の勝利を尊び、そのために全力を尽くすのは当然のこと!貴様のような腑抜けた小娘が、我が両手に風穴を開けた程度で、勝利を確信するのはまだまだ早いぞ!」
「……大怪我のくせに、全然元気ね。潔しが騎士道なんじゃあないの?」
いやそれは武士道か、なんてずれたことを言いながらも、休は愛舐から眼を離さない。
「どうでもいいんだけど……それで、何か言い残して置きたい言葉はある?」
「ないッ!」
愛舐は力強く答えた。
「何故ならば、この決闘に勝利するのは我輩だからだッ!!」
「強がるわね……ここからの逆転はないし、逆転はさせないわ」
「否、虚勢ではない!勝利とは、己が勝利せんと信じるからこそ、得られるものなのだ! それにッ!」愛舐は言う。「例え我輩がここで散るとしてもッ!我輩の同胞が貴様を殺すであろうからな!」
「同胞?」
五人組三十五郎の部下は、あの男が殺しているはずである。それはロビーの先程までの有り様を見れば明瞭だ。
それでも自信を持って語るということは、上階には嵌賀愛舐と同格の敵がいると見て間違いない。
(あの人はその敵と戦闘中?ありえないわけじゃあない、か)
(いずれにしろ、急いだ方がいいわね)
「信頼のおける同胞がいることの、何と心強いことかッ!後を任せて逝けることの、何と頼もしいことかッ!貴様には分かるまい、この素晴らしく美しい友情を!その一人で生きていることにすら飽いている貴様には、永遠に分かるまいッ!!」
「――そう」
休は、その言葉を戯言と切って捨てた。休には正直なところ意味が分からなかったし、何より急がなくてはならない。まともに取り合う余裕はなかった。
ただ、休自身も知らない心のどこかに、しこりとして残った。
それを自覚するのは、少なくとも今ではありえない。
「では。三途の彼岸まで、御機嫌よう」
引き金を引く。
銃声と共に、鎧から僅かに血飛沫が飛んだ。それが休のツナギにかかる。
「……まったく、血を落とすのは面倒なのに」
しかし気にしてはいられない。時間がない。
けれども、走ろうとしたところで、休は足を止めた。
「……ふむ」
気にかかったのは、愛舐が乗っていた黒馬だった。内臓を損傷しているはずだが、血溜まりの中で横たわりながらも、未だ生きているようである。
息は弱く絶え絶えで、長くはなさそうだ。
「…………うん。いらないわね」
休は黒馬の側を通りすぎた。
一階ロビーでの戦いは、決着がついた。
夢辻道休対嵌賀愛舐。
生き残ったのは、夢辻道休。
「あんな肉、硬くて食べれたものじゃない」
そう休は吐き捨てて、階段を駆け上がった。