篠崎仄(ほのか)の死は突然だった。
下校時はいつも一緒に帰っていた、方向が分かれる三叉路の辺りまでは他愛もない会話に華を咲かせていた。
だがその日、歩道橋の足元で、彼女はJIS+2D60殺されていたJIS+2D61。ナイフで胸を一刺し……おまけに念を入れたのか、腹部にも数カ所の刺し傷があったそうだ。
彼女とその場を別れて、一分と経っていなかった。
その日は小雨の降る日であった。その程度なら悲鳴を上げれば聞こえていてもおかしくはないのだが、交通量の多い国道が隣接していたのが仇となったのか、俺はその声を聞くことはなかった。
もちろん、犯人の姿も見ていない。
その話を聞いたのは夕食を済ませた後の事だった。突然仄からの着信に、出たのは良いが相手の声が彼女の両親であったことに首を傾げた。
そして、訃報を聞いて、耳を疑った。信じたくはなかったが、通夜の知らせを聞いて、行かないわけにはいかない。
大切な人、だったから。
彼女とは小学校からの腐れ縁だ。高校でも互いに受験校を話したわけではないのに、また一緒に通えると思った時は思わず笑ってしまった。一番近くで、家族の次に長く側にいた俺たちだ。彼女の事は誰よりも知っている。
だから、付き合う時ほど新鮮なものは無かった。
登下校を共にするのは日課になっていた、それに勉強を教えてもらうのだって、当たり前の事になっていた。付き合い始めるまでは、お互い彼氏彼女の関係になるとは微塵も思わなかった。
意識し始めたのは友人の言葉だった。それから妙に彼女が気になって、気付いたら、告白をしていた。
楽しかった毎日が、今となっては全てが嘘のように思えた。
通夜に出席した。
お香を添える際に、彼女が眠る棺桶の側で、彼女の父親が言う。
「ありがとう」と。
隣の母親も言う。
「ごめんね」と。
理解が出来なかった。
どうして謝るんだ。
なんで感謝されるんだ。
どちらも俺に向ける言葉じゃないだろう。
娘を何故助けなかったと
娘を殺したのはお前同然だと
娘を返してくれと
俺を恨むべきじゃないのか。
……俺はどうすることも出来ないけど。
複雑な感情に苛まれ、泣かないと決めた決意が音を立てて崩れ
声を押し殺すのだって忘れ
一生分と言っていいほどの、涙を流した。
通夜が終わり、そのあとは遺族以外は帰ることになった。
俺たちの家族も是非残ってくれとのことだったが、俺だけは先に帰る事にした。
あそこにいたら、これから先、目を覚ます事のない彼女の近くにいたら、どうにかなってしまいそうだったから。
重い足取りで家路を目指す途中、気付けば例の歩道橋の上にいた。
いつも仄が降りて行く階段は足元まで封鎖されていた。注意色の黄色いテープが貼られ、強くなる雨脚の中警察が忙しそうにしている。
そういえば、傘を忘れた。まだ二回しか着たことのなかった喪服もびしょ濡れだ。
もう頬を濡らしているのが涙か雨かも、寒さだって分からないほどに。
歩道橋の真ん中で足を止め、何処までも伸びる国道を眺めていた。
雨で数百メートル先が霞んで見える。音も次第に大きくなる。
でも全部全部、どうでもいい。
もうこの世界に仄はいない。そんな世界に何の価値があるというのか。
歩道橋の高さは約五、六メートルほどの高さ。その下では止まることなく車が通り抜けて行っている。
……ここから飛び降りたら、仄に会えるだろうか。
欄干に手をかけていた。
次の瞬間には足も掛けていた。
そこで、不意に背後から声をかけられた。
「何してるの、おにーさん」
雨にも負けない明るい声にハッと声の主に振り返ると、少女がそこにいた。
ピンクのような赤のような、とにかく奇抜な色のショートカット。
冬が近いというのに、半袖のワンピース。しかもこの雨の日に素足ときた。
ただ目を疑ったのは、この雨の中傘を差していないというのに、彼女は一切濡れていなかった。
まるで雨が彼女を避けているかのように。
「ここから飛び降りたら、死んじゃうよ?」
「……なんだよ、お前、関係ないだろ」
「死んでも彼女には会えないよ?なのに死のうとしてる?無意味なのに?」
少女は小首を傾げてこちらを見ている。
「なんだよお前、あっち行け。怒るぞ」
「目を真っ赤に腫らして辛そーなおにーさんに、一つだけ願い事を叶えてあげましょう」
「え?」
少女が指を鳴らすと、背景は一瞬にして黒に塗り潰される。
俺たちの立っている足場だけが残るように、階段も下の国道も近くの建物も、全てが闇に呑み込まれて行く。
雨もいつの間にか何処かへ消えて、無音の世界が広がる。
そうして、俺と少女の二人きりの空間が出来上がる。
「私は神様、おにーさんの願い事を、何でも一つだけ叶えてあげますけど?」
「な、なんだよ、これ……」
「彼女さん、残念だったね。大切な人がいなくなると、辛いよね。分かるよーその気持ち」
メソメソと泣き真似をする少女。なんだこいつ、おちょくってるのか?
「もしさ、彼女さんを生き返らせる事が出来るって言ったら、どーする?」
「は?」
「嬉しいよね?彼女さんに、また会いたいよね?会えたら、嬉しいよね?」
「……いい加減にしろ。俺を馬鹿にしてるのか?」
「そうじゃないよ。で、どう?」
「……どうって」
仄が生き返る……そんな夢みたいな事が起きたら、どんなに幸せか。
まだあいつとは恋人になってから日が浅い。試験が重なって遊びにも行けてない、勉強だって見てもらいたい所はたくさんある。
何より、またあいつの笑顔が見たい。
やけっぱちで、俺は呟く。
「んなこと、出来るのか?」
「心の奥底から、そう願えば叶わない願いはないんだよ。さあ、どうするおにーさん。
貴方のふかーいふかーい奥底に眠っている、切なる願い、それはなーんだ?」
こいつがどんなペテン師かは知らない。もしかしたら変なとこに連れられて、怖いお兄さん達が出てきて痛い目を見るかもしれない。
……どーでもいい。
縋れる藁があるなら、それに頼るだけだ。言ってみるだけなら誰も咎めはしない。
「……仄に、会いたい、もう一度」
「……願いは聞き入れましたー。目が覚めたら、またここに来て?伝えることがあるから」
「なんだと?」
「それじゃー準備はいい?いち!にーのッ!さーーーーッッん!!!」
それは本当に目にも止まらぬ速さだった。
少女の手から光輝く立方体の箱のような物が現れると、少女はそれを勢い良く地面に投げ付けた。
投げ付けられた箱は風船が割れたような破裂音を響かせると、中から現れた光が視界を真っ白に塗りつぶす。
次の瞬間、目が覚めたそこは、自室のベッドの上だった。
状況を理解するより先に、近くで電子音が鳴り響く。
電話が鳴っている。着信画面には
【篠崎仄】
目を疑った。小一時間そこから目を離せないでいたが、気付いたら通話ボタンを押していた。
そこから聞こえた声に、俺は息を呑んだ。
『あ、やっと出た!きーくん?今日遊びに行くって約束、忘れてないよね?』
その声は、とても聴き慣れた声。
愛しい声。
もう聞けないと嘆いていた声。
もう一度聞きたいと切望していた声。
思わず笑みがこぼれ、震えは止まらない。
ややあって、俺は歓喜の叫びを押し殺し、いつもの調子で答えた。
「ああ、忘れてないよ」
……to be contine.