「じゃあねきーくん、今日は楽しかった!ありがとね!」
「ああ、じゃあまた、明日」
「うん!おやすみ!」
玄関で別れを告げ、彼女が家に入ったのを確認して踵を返す。
今日は晴天だった、絶好のデート日和だったというわけだ。
仄の行きたがってた水族館にも行けたし、隣接する遊園地でも楽しめた。
初の休日デートは、成功に終わったわけだ。
既に陽は落ちていた。冬も目の前というのもあってか暗くなるのが早い。
さあ、明日も学校だ。
これからの幸せに想いを馳せながら家路を辿る途中、ポケットが震えた。
取り出した携帯の画面には、【カミサマ】という文字が。
こんな名前を登録した覚えはないと、不審に思いながらも通話ボタンを押して、耳に当てる。
忘れかけていた声が、俺を呼んだ。
『ハロハローおにーさん。どう?初のデートは楽しかった?』
「……お前はストーカーかよ」
『私は神様だからね、なんでもお見通しなのよ。
これから話さなきゃいけないことがあるから、前に会った場所で待ってるね。じゃ』
「え?あ、おい!!」
一方的に用件だけ告げられると、神様と名乗る少女はさっさと電話を切ってしまった。
面倒だなとため息を吐くが、行かないわけには行かない。
何がどうであれ、彼女には感謝してもしきれない恩がある。例えこの幸せが夢や偽りだったとしても、満たされている自分にとってはこの上ない褒美だった。
感謝の念の方が大きくて、いつしか不穏な予感も忘れて例の歩道橋へと向かった。
忌まわしい記憶の場所であり
奇跡を目の当たりにした場所で
ある意味、俺の思い出の場所である。
向かう途中で雨も降り出したが、傘を持っていなかった俺には関係のない話だった。
「ハーイおにーさん、調子はどう?」
少女は手を上げて俺を呼ぶ。
「……ありがとな」
「え、……え?なになに、どしたの急に」
例の歩道橋にて少女を見かけると、不意に感謝の言葉が出てきた。
少女は変わらず、季節外れのワンピース姿だった。
「あんたには感謝してるよ。昨日のことが、全部夢みたいだ」
昨日、篠崎仄は死んでいた。通夜にも出席して、棺桶の中で眠る彼女を見た。
真っ白で綺麗だった。綺麗すぎて人形のようで、まるで【最初から人形だったかのように】、彼女には現実味がなかった。
でもそれは、今となっては全部悪夢になったのだ。
「ふーん、そっかそっか。ま、感謝されることは嫌なことじゃないからね、全然、ノープログラムだよ」
照れたように笑う少女はまさに少女だった。こんな幼い子が神様だというのは、きっと誰も気付きはしないだろう。
降り出した雨は小雨に変わってきた。傘を差していない俺を見て神様は「寒くない?風邪引くよ?」と心配してくれたが、今は幸せと言う名の傘が俺を雨から守ってくれている。気にならないさ。
俺の答えに少女は微笑む、ややあって、彼女は欄干に腰掛けた。
「驚かないで聞いて欲しいんだけどね」
「おう」
「彼女さん、このままだとあと三時間で消えちゃうよ?」
「……は?」
雨雲を眺めて放った少女の言葉は、またもや突飛過ぎて理解が追いつかなかった。
それでも少女は構わず続ける。
「この地球にはね?居住生存出来る人数が決まってるんだ。そんで実を言うと、今は定員オーバーなの、丁度、彼女さんが生き返って一人分。
だからこのままだと、彼女さんは今日の零時には消えちゃうの」
「ち、ちょっと待て、一体……何の話を……」
「彼女さんの命は今の状態、【幻】だということを理解してね。彼女の存在は今すんごい不安定なの、それを安定させるには、誰か一人消さなきゃいけない。
あ、ちなみにもう分かってると思うけど、彼女さんは生き返ったわけじゃないからね?彼女さんが死んだっていう事実を挿げ替えただけだから」
「消すって……?」
「殺す、って、いうことだよ」
「!?」
衝撃の事実に俺は言葉を失った。未だに彼女の言葉の意味が分からない。生存できる人数?定員オーバー?なんのことだ一体。
「……な、なんだよそれぇ、聞いてないぞ!そんなの信じられるかよっ!仄が……消える?…………それって」
「彼女さんの【死んだ事実が復活】するの。つまりー、彼女さんは」
「……ど、どうせ、嘘なんだろ?俺をからかうために、そんな嘘を」
「生き返った事実は受け入れたのに、消えちゃうってことはウソだと言うの?
そりゃおにーさん、都合が良すぎるってもんだよ。ま、私からすればどっちでもいいけど。
このまま日付を過ぎるまで彼女と最後を過ごすのも良し、その後は良い夢だったと割り切れるなら、そういう結末もアリなんじゃないかな。選ぶのは全部、おにーさんだけど」
「だ、騙されない……騙されないぞ俺は!それに、それならなんで先に言わなかったんだ!」
「だっておにーさん、私のこと神様だって信じてなかったでしょ?だから前払いでやってあげたの、信用のために。神様も信用って大事だからさー。
この事を昨日言わなかったのは悪気があったわけじゃないよ?おにーさんの願いを先に叶えて、幸せにしてあげたほーが良いと思って。
ウソだと思うなら、どうぞご勝手に。言っとくけど今まで言ったこと、昨日のこと含めて全部、本当の事だからね?」
欄干から垂れる白い足をプラプラさせ、降り止まない雨を眺めて少女は退屈そうにしていた。
まるで他人事だ、いや、まさにその通りか。
きっと、少女の言うことは本当の事だろう。仄が死んでない世界が少女によって作られた、
俺が願ったから。
もしこのまま何もしなかったら、仄は消えてしまう。
仄が死んだ事実が息を吹き返す。
それを止めるためには、他の誰かを一人殺さなくちゃいけない。
六十数億という数字は現存する人間の数ではなくて、実際は【生存出来る人数】だったというわけだ。
仄はその中に入っていないという、そのために、今生きている誰かを蹴落とさなければならない。
どちらと決めることが出来ず頭の中がグチャグチャになる。愛する人を救うために、手に血を染めるのか。
それとも……。
……キンッ!
少女の足元に、乾いた音と水飛沫が響く。それは何処から現れたのか分からない、刃渡り十センチほどの果物ナイフだった。
空を仰いでいた少女はナイフに目をやり、小さな口を開く。
「そのナイフはあげるね。どう使おうが、おにーさんの自由。
ちなみに、日付が変わるまで、あと二時間切ったから」
少女の手のひらから昨夜見た例の立方体の箱が現れた。それはパタパタと展開され、中からデジタル化した数字が現れた。
22:14……察するに現在の時刻を示しているのだろう。
考えている時間は、無い、そういうことか。
「彼女さん、このままだと消えちゃうよ?」
「だ、だからって……!人を殺すだなんて、んなこと」
「それが悪いことだって?法に触れるって?人の道から外れるって?殺人鬼って蔑まれるって?
詭弁だね、全部。法律とかいう人が人であるためにと作られた自己満足のルールなんか、なんの意味もないよ。
生き物ってのは元々、食うか食われるかの世界で生きてきたの。その中でも知恵を付けた君たち人間は動物との境界線を引くために、JIS+2D60法JIS+2D61という名の囲いを作り、無理やり自覚させた。
【自分たちは法の下で生きる規律正しい崇高な存在、無知で野蛮な動物とは違う】ってね。
でも結局、人は人を殺める、仕方なく快楽を求め本能のままに衝動的に。
殺人鬼と言ってその人間を法で裁いて死刑にすれば、またそれも殺人。法で裁くのが正義だと決めつけるのは傲慢だよ、力を持っている人間の押し付け。
神である私の意志を無視して勝手に作るのはいいけど、あやふやなルールだけは勘弁してほしいよねー。そうやって守れないルールを作って、自己欺瞞を最大限に使ってさ、世の中は良くなった?
どうせ守れないなら、本能に身を任せれば良いんだよ。安っぽいプライドが人としての意識を保ってるって言うなら、捨てるべきだね。
大丈夫だよ、この世には無計画に産まれ、望んでないのに死に巡り合わせられてしまった悲しい命に溢れてる。
おにーさんの助けようとしている命は、無駄なもの?」
「……違う、違う違う。ひ、必要だ、俺はあいつを、あいつが死んだなんて、認めない」
「うん、なら、大丈夫だね」
「……嘘じゃ、ないよな」
「ん?」
「さっき言ったこと、本当だな?一人……一人だけ殺せば、仄は」
「うん、このまま普通に生き続けるよ。ちなみに殺すのは【人間】だからね?犬とか猫とか動物は関係無いから、殺さないこと。
人間なら誰でもいいからねー、両親兄弟姉妹彼氏彼女に親友、知らないおじさんお姉さんに、赤ちゃんでも可。お好きなように」
それだけ言うと、少女はぐわんと背中を剃り国道へと落ちた。慌てて下を覗いたが、少女はいなかった。
大きく深呼吸をして、ナイフを見る。
雨に濡れたナイフを拾い、無意識にそれを魅入る。
「あと……二時間、二時間ある」
そうだ、まだ二時間もある。考える時間はまだある。どちらかは、俺が決める、選択肢は俺の手元にあるのだから。
家路の途中、国道の一つ隣の道路脇にコンビニがある。人通りの少ないその通りには、暗くなるほど閑散としている。
コンビニには車が一台だけ停まっていた、乗用車。前席には誰も乗っていなかったが、エンジンは掛かったままだった。
よく見ると、後部座席にチャイルドシートが付いていた。そこには小さな女の子、まだ赤ちゃんだ。
コンビニに目を向けると、若い男女が二人、買い物をしているのが見えた。おそらく彼らの子供だろう。
後部座席の窓が少し空いているのは、一酸化炭素中毒防止のためだろうが、この雨の日に開けっ放しはいかがだろう。
それより何より、ドアが開いていたのだ。次第に強くなる雨の中、夫婦は外の雨に気付いていないのか、楽しそうに会話を弾ませている。
無意識に、ドアを開けていた。それに気づいた赤ちゃんは指をしゃぶりながらこちらを見ていた。虚ろな目をしている、恐らく眠いのだろう。
掛けてあった毛布を、赤ちゃんの身体を包むように掛けなおす。
そっと、その小さな口を手で塞ぐ。
それからの事は、きっと神様だけが知っている。
end.