彼女は生き物に好かれやすい   作:彼岸花ノ丘

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あなたはだあれ6

 人が住めない廃墟のど真ん中。

 人々が家に帰り、外を出歩かない時刻。

 誘拐をする上で、ここまでの好条件は早々ないだろう。逃げ込める家はなく、助けてくれる大人も居らず、叫んだ声は何処にも届かない。誘拐される側からすれば絶望的な状況だ。

 ましてや相手が何十という数なら、どう考えても逃げきれるとは思えない。

 防護服姿の輩達と対峙した花中は、自分達が置かれている状況をそのように理会した。『誘拐』の被害者である清夏がガタガタと震え、一番近くに居たミィの背に隠れてしまうのも無理ない事だろう。花中としても正直かなり怖い。今すぐ逃げ出したいのが正直な気持ちだ。

 しかし花中はフィア達の強さを知る身である。人間である防護服姿の連中が、彼女達に敵うとは到底思えない。一番の親友であるフィアと手を繋げば、胸の奥底から勇気がぐんぐんと湧いてくる。傍にはミリオンも立ち、ミィは清夏の近くに居てくれているのだ。こんなにも頼もしい力に囲まれているのだから怖がる意味など何処にもない。

 だから花中には目の前の、ほんの十メートルほど離れた位置で待ち構える防護服姿の集団と向き合う事が出来た。

「……あの、なんの、ご用でしょうかっ」

 出来るだけ強気に、されどあくまで穏便に、花中は防護服姿の連中に呼び掛ける。

 防護服姿の連中は、誰一人として花中の言葉に反応しなかった。無論彼等は昨日襲ってきた連中と同じ格好……スズメバチ駆除業者のような防護服で頭から爪先まで包んでいるため、その顔は表に出ていない。だから眉を顰めただとか、口を曲げたなどの、些末な表情変化を察知する事は不可能だ。

 しかしそれでも、呼び掛けられて身動ぎ一つしないのはおかしいだろう。

 まるで投げ掛けた言葉が自分に向けられたものとは思っていないかのような、そんな違和感を覚える反応。植物と会話を試みるような、決定的な意識の違いを花中は感じてしまう。彼等は、自分と同じ人間である筈なのに。

 やはり、彼等は何かがおかしい。何かが……

 考えを巡らせ、防護服姿の連中を理解しようとする花中だったが――――残念な事に、あちらにその気はないらしい。

 防護服姿の連中は花中の話などまるで聞こえていなかったかのように、淡々とその手に持っていた筒状の機械を花中達に向けてきたのだから。

「雑魚の分際で懲りませんねぇ!」

 『敵意』を察知したフィアは、花中の意見など聞きもせず、ミリオンやミィを差し置いてその手を大きく振り上げる。

 すると上げた腕は、ぐにゃぐにゃと鞭のように伸びていく。

 『身体』を変形させたフィアは獰猛な笑みを浮かべると、伸ばした腕を鞭のように振るった! 人間相手に本気を出すまでもないと思っているのか、振られた腕の速さは花中の目にも見える程度。しかし明らかに自動車よりも速いそれの軌跡は、全力でスイングしたバットのようにも見える。

 ならばフィアの腕に薙ぎ払われた防護服姿の連中は、バットで思いっきり殴られたような打撃を受けたに違いない。攻撃を受けた十数人は身体を大きく傾かせ、にも拘わらず呻き一つ上げず吹き飛ばされる。数メートル先の地面に落ちた彼等は、そのままピクリとも動かなくなった。

 その気になれば数十人纏めて倒すなんて造作もないだろうに十数人程度で留めたのは、フィアなりの警告か、はたまた長く遊ぶための手加減か。難を逃れた防護服姿の連中は三十人ほど居たが、先日襲ってきた者達と同じく、誰一人として倒された仲間を見て逃げる事も怯む事もない。淡々と筒状の機械を構え、再攻撃を仕掛けんとばかりに揺れるフィアの腕へと向けるだけ。

 しかし此度彼等が構えた筒状の機械から吐き出されたのは、青色の炎だった。

 射出口が絞られているのだろうか、機械から噴いた炎はまるでガスバーナーのように細く、勢いがあるものだった。炎は二~三メートルほどしか伸びておらず射程こそ短いが、近くに陣取るフィアの腕へと当てるには十分。三十を超える炎が、二メートルほど離れたフィアの腕を炙る。

 しかしフィアにその程度の炎など通じない。超高圧かつ謎原理により、通常の二十倍もの沸点……即ち二千度もの耐熱性を誇るのだ。あんなちっぽけな炎が効く筈もない。

 と、花中は思っていた。

「……ちっ」

 ところがフィアは舌打ちをするや、防護服姿の連中を薙ぎ払っていた腕を()()()()()のだ。

 そのまま一気に全員を倒すと思っていた花中は驚きで目を見開く。フィアが戻した腕は白煙をぶすぶすと上げていて、フィアはそんな自らの腕を不機嫌そうな眼差しで眺める。

「……ふん。ちょっとは遊び甲斐のある奴になったじゃないですが。だったら少し合わせてあげますよォッ!」

 直後苛立ちを隠さない咆哮を上げ、再び腕を伸ばし、防護服姿の連中へと襲い掛かる!

 防護服姿の連中は再び火焔で応戦するも、今度のフィアの腕は止まらない。一気に間合いを詰められ、行く手を遮る数十人全員を纏めて薙ぎ払った。先程より勢いがあるのか、何人かは車に撥ねられたかのように吹き飛び、ごろごろと大地に転がる。もう、誰一人として動かない。

 かくして花中達を襲った防護服姿の連中は、呆気なく壊滅した。普通に考えれば、これでも十分圧倒的な力を見せ付けたと言えよう。

 しかし花中は疑念を覚える。

 フィアは手加減をしていた。でなければ一瞬にして防護服姿の連中はバラバラのぐちゃぐちゃになっていただろう。だからそんな心の隙を突かれたと思えば、さして不思議ではない。

 それでも花中にはしっくり来ないのだ……ミュータント(フィア)がただの人間が繰り出した攻撃に怯み、手を弛めたという事実が。

「……フィアちゃん。あの、どうか、したの? 体調、悪かったり、する?」

「ん? ああ先程の事ですか? いやはやお恥ずかしいこの私とした事が奴等の力を少々甘く見ていました」

 尋ねてみれば、フィアは言葉通り恥ずかしそうに頬を掻く。そこに緊張感や虚栄は感じられない。「うっかり」していたと言いたげな態度だ。

 実際フィアにとってはその程度の出来事なのだろう。

「先程の炎で腕の水が分解されました。人間も意外とやりますね」

 しかし花中にとって、この言葉はフィアのように流せるものではなかった。

 フィアの腕の耐熱性は二千度。この温度を超えると、水分子が形を維持出来なくなるため、フィアの能力でも耐えられなくなる。

 二千度以上という温度自体は、今の人類の科学力ならば生み出す事はさして難しくない。しかしそれらは大きな機械を用いたり、熱源に近いという制約がある。防護服姿の連中が放った炎の射出口とフィアの腕は、花中の目測では二メートル以上離れていた。そこまで離れると如何にバーナーのように炎を集束させたとしても道中でエネルギーの多くは失われ、温度は著しく下がる筈。

 加えてフィアの腕は大質量の水の塊だ。お風呂のお湯が簡単には温まらないように、質量の大きさは温度上昇の妨げになる。おまけに循環による冷却機能も備わっているのだ。かつてミリオンと戦った時の事を考えると、フィアの操る水を短時間で分解するには五~六千度以上の炎が必要になるだろう……いや、こんなのは炎とは呼べない。最早プラズマである。

 即ち先の防護服姿の連中が保有していた武器は、()()()()()()である可能性が高い。果たしてそのようなSF的武器を、今の人類に作れるのだろうか……?

「花中ぁ……も、もう、終わった……?」

 思考に没頭しかける花中だったが、ふと聞こえたか細い声で我を取り戻す。

 振り向けば、ミィの背中から顔を覗かせている清夏が、花中の事を潤んだ眼差しで見つめていた。

 出来ればこのまま思索に耽りたい、が、泣きそうな『女の子』を無視出来るほど花中は冷淡ではない。考え事は一旦頭の隅へと追いやり、花中は心からの笑みを浮かべて清夏を安心させようとした。

「まだだと思うよー」

「というより今のは前座ですね」

「面倒臭いわねぇ」

 されどケダモノ達の言葉が、清夏のみならず花中の顔さえも強張らせる。

 ――――廃屋として放棄された家々の陰から、次々と現れる防護服姿の『人間』達。

 まるで巣から続々と現れるアリのように、無数の防護服姿の連中が花中達を包囲する。数は、先程現れた連中よりも少し多いぐらい。一体何時から潜んでいたのか……訊けばフィア達はさらりと答えてくれるだろうが、花中はそんな気など起きなかった。

 それよりも気に掛かるのは、彼等が身に着けた装備の方。

 新たに現れた彼等の装備は、ほんのついさっき撃退した防護服姿の連中とも、清夏と出会ったあの日に襲撃してきた連中とも異なるものだった。全員ボンベのようなものを背負い、筒状の機材を構えている事には変わりない。が、その見た目はよりメカニカルな、近未来的外観となっていた。

 嫌な予感がする。

「全く懲りない連中ですね。叩き潰してやりますよ!」

 花中の悪寒を余所に、フィアは即座に動き出した! 髪をざわざわと動かし、伸ばし、周辺を埋め付くさんとする。一見して妖怪のそれであり、清夏がますます顔を青くするのも無理ない。花中だって、今のフィアの姿は割と怖いと思う。

 しかし防護服姿の連中は何も感じていないのか。筒状の武器を構えた彼等は容赦なく引き金を引く。

 するとその筒から、もわもわとした白煙が出てきた。

 炎ではない? 凡そ攻撃らしからぬ行為に花中は疑念を抱く。煙はやがて花中やフィアの下まで届いたが、生身の人間である花中にも肌がヒリヒリするなどの『ダメージ』は入らない。一体これはなんだ? なんのために彼等はこんなものを撒いている?

 その疑問に答えてくれたのは、フィアだった。

「ふぎゃぶっ!?」

 普段なら絶対に出さないような、可愛げのない悲鳴を上げる形で。

「ふぃ、フィアちゃん!? どうし……」

「ななななんれふがごのにぼいばぁぁぁ!? はにゃが! はにゃぐわぁああぁっ!?」

 初めて聞いた悲鳴に驚き、思わず声を掛ける花中だったが、フィアはその場でひっくり返るや声にならない叫びを上げる。酷く聞き取り辛いその叫びが悪臭に悶え苦しむ想いの吐露だと気付くのに、花中は少なくない時間を必要とした。

 魚類であるフィアは、人間とは比較にならないほど優秀な嗅覚を誇る。

 人間ですら、『非殺傷兵器』として悪臭のする液体が有効なのだ。その鋭敏な嗅覚を刺激する『悪臭』が撒かれたなら、フィアにとっては核兵器よりも恐ろしい攻撃となるだろう。ましてやフィアは視力が弱い分、感覚器が伝える情報の多くを嗅覚に依存している。嗅覚さえ潰してしまえば、フィアは無力化したも同然になるだろう。

 防護服姿の連中がばら撒いた煙は、悪臭のするガスだったのだ。それも人間である花中が平気なあたり、魚類に選択的な効果がある代物。フィアは大気中の匂い成分を取り込んで外界の様子を探っているが、それが裏目に出た形だ。

 しかし臭いに苦しむだけならまだマシだ。

 臭いを嗅いだという事は、鼻から体内に臭い物質が入ったという事。なら、もしもその悪臭のする物質が有毒ならば……

「うぐぅぅ……!」

「ふぃ、フィアちゃん!?」

 ひっくり返ったフィアが、明らかに臭いとは別の苦しみ方を始めた。咄嗟に寄り添う花中だったが、どうすれば良いのか分からず、右往左往する事しか出来ない。

「ふ、にゃあァ……ち、力が抜ける……」

「ひっ!? ど、どうしたの!? ねぇっ!?」

 そんな花中に追い討ちを掛けるように、今度はミィが倒れてしまう。傍に居た清夏は今まで守ってくれていた少女の異常に慌てふためき、されどミィは立ち上がろうとする素振りすら取らない。煙にはフィアだけでなく、ミィにとっても有害な物質が含まれていたのか。

 一瞬にして二匹の友達が倒れ、花中は頭の中が真っ白になる……されどすぐに、此処に決して毒が効かない反則的な『存在』が居る事を思い出した。

 ミリオンである。

 ウイルスである彼女に毒は効かないし、五感もないので臭いも感じない。防護服姿の連中が何を撒いているかは分からないが、ミリオンだけは絶対に屈する訳がないのだ。

「み、ミリオンさん! あの、ふぃ、フィアちゃん達を……!」

 助けてほしい。傍に立つミリオンにその願いを伝えようと、一際大きく花中は口を開き、

「ごめんなさい、今は無理だわ」

 しかしそれを告げるよりも早く、ミリオンが音を上げた。

 開いた口から、乾いた吐息が漏れる。

 ――――あり得ない。あり得ない。絶対にあり得ない。

 ミリオンが戦闘能力を喪失する事だけは、絶対にあり得ない筈なのに。

「な、なん、で……!?」

「ガスが熱を吸収しちゃうのよ。私が使う高熱を余さずに。分離しようにもガスの粘性が高くて絡まっちゃう。どうにもならないわ」

「そん、な……」

「まさかこれほどものを人間が用意するなんて。いえ、なんか妙ね。この理不尽な感じは人間の科学じゃなくて、むしろ……でもその割にはいまいち……」

 ぶつぶつとミリオンは考えを独りごちていたが、花中にそれを聞き取るだけの余裕はなかった。全身から力が抜け、未だ苦しむフィアの傍にへたり込んでしまう。

 なんだ、これは?

 フィア達の圧倒的な力なら、人間なんて簡単に叩き潰せる筈なのに。どうしてフィア達は苦戦しているのか。こんな事はあり得ない。

 花中の脳裏を否定の言葉が駆け巡るが、防護服姿の連中が消える事はない。それどころか奴等のうちの十数人が一歩ずつ、着実に近付いてくる。その手にフィア達を苦しめていた物とは違う、より大きく、ゴテゴテとした筒を構えた体勢で。

 そして彼等の手が引き金を引こうとした

「っクソがぁ!」

 瞬間、フィアが花中を突き飛ばした!

 加減する余裕がなかったのか、フィアの力は人のそれを超えており、花中の身体は石ころのように何メートルも転がってしまう。打撃の痛みで意識が跳び、転がった時の痛みで我に返る。擦り傷が身体中に出来ていて、花中は痛みに呻いた。

 続けて、今度は清夏が花中の方へと飛んでくる。見ればミィが片腕を伸ばしており、清夏もまた花中と同様に突き飛ばされたのだと分かった。

 最早暴力といって差し支えない打撃。されど、花中にはフィア達を批難する事など出来ない。

 何故ならフィアは今、花中と清夏が居た事などお構いなしに放たれた『光』に襲われていたのだから。

「ぐぬううううううぅぅぅっ!?」

「うぎぎぃぃ……!」

「……………」

 光を浴びたフィアとミィは苦しみの声を上げ、痛覚を持たないミリオンは無言ながらも険しい顔で防護服姿の連中を睨み付ける。

 光と呼んだそれが、白色に煌めく電撃であると気付くのに花中は少なからず時間を有した。電撃は筒を構えた防護服姿の連中と同じ十を超える数が放たれ、フィア達に何度も何度と打ち付けられる。その度にフィア達は苦悶の声を上げていた。

 フィア達が苦しんでいる。苦しんでいるという事は、ダメージがあるという事。

 早く、助けないと――――

「花中さん……早く逃げてください……!」

 打開策を考えようとする花中だったが、その思考を引き留めたのはフィアの言葉だった。

「ふぃ、フィアちゃん!? どうして……」

「どうしてもこうしても危ないからです……その小娘を連れて出来るだけ遠くに逃げてください……!」

「でも!」

 逃げるよう促すフィアに、花中は感情的に反論する――――が、花中とてフィアとの付き合いは長い。フィアが何を考えているのか、その瞳を見れば分かる。

 フィアの目は、憤怒のそれで歪んでいた。

 いや、フィアだけではない。ミィも、ミリオンも、その眼差しに怒りが浮かんでいる。されど彼女達の口許は、獰猛でおぞましい笑みを浮かべていた。さながら猛獣が、楽しい遊び相手を見付けたかのように。

 だとすれば彼女達は……

「花中、わ、わたし、どうしたら……」

 花中の服を、縋るように清夏が掴んでくる。今にも泣きそうな顔を、すっかり青くしていた。

 きっと今の清夏はこれからどうしたら良いか分からず、頭の中が真っ白に違いない。それはとても不安で、辛くて、苦しい事だ。中学生の未熟な心では、その苦痛に耐え続けるのは酷だろう。

 だから年上である自分が引っ張らねばならないと、花中は覚悟を決める。

 幸いにして、答えは既に出していた。

「……逃げます!」

「う、うん……でも、フィア達が」

「大丈夫です!」

 大きな声で清夏の心配を押し込むと、花中は清夏の手を掴んで引っ張る。始めは躊躇うように踏み留まろうとする清夏だったが、やがて花中の足に合わせて走り出した。

 二人だけでの逃走。花中はその最中、置いていく友達三匹の方へと一度振り返る。フィア達は未だ電撃に耐えるばかりで、攻撃を始めていない。

 だから、

「みんな……思いっきり、やっちゃって!」

 花中は別れ際に、この言葉を送った。

 三匹からの返事を待たず、花中は今度こそ本気で走る。廃墟と化した町中は至る所に瓦礫の山があり、思ったように進めない。それでも花中は出来るだけ真っ直ぐ、一秒でも早く、一メートルでも遠くまで、逃げようとする。

 その最中に、ズドンッ! と身体を突き上げてくるような音と震動がやってきた。方角は、恐らくフィア達が居る方。

 花中は思わず足を止め、ごくりと息を飲む。されどすぐに頭を振りかぶり、再び走ろうとした。

 清夏が動かなかったため、二メートルも進めなかったが。

「御酒、さん?」

「……もう、嫌」

 どうしたのだろうか? 花中がそんな疑問と共に清夏の名を呼ぶと、清夏の口からは悲痛な声が漏れる。

 その言葉の意味を花中が理解する前に、清夏は想いを爆発させた。

「もう嫌! なんで……なんでこんな事になるの!? なんでよ!」

「み、御酒さん。あの、落ち着い」

「あんな奴等が来るなんて知らなかった! あんな、フィア達も苦しめるような奴等がいるなんて……知らなくて……だから……わたしを、狙って……」

「御酒、さん……」

「わたしが、此処に来たから……わたしなんかの、ために……みんなが……う、うぅ、うううう……!」

 花中の声も届かず、清夏はその場に蹲りながら嗚咽を漏らし始める。

 花中は、清夏にそれ以上声を掛けられなかった。

 清夏は思い詰めている。自分と一緒に居た所為でフィア達を危険に巻き込んでしまったと。

 それは、確かにその通りだろう。清夏と出会わなければ、恐らくあの防護服姿の連中と戦う日なんてものは来なかった、或いは来たとしても遠い未来の事だったに違いない。だから花中には清夏の言葉を否定出来ないし、否定したところで清夏の心には届くまい。

 だけど、清夏が一つ勘違いをしているのも事実。

 花中は清夏の前にしゃがみ込み、そっと抱き締める。清夏の身体は、花中が抱いた瞬間びくりと震え、以降は凍えるように小さく震えた。花中は何も言わず、嗚咽だけが辺りに響く。大地がどれだけ揺れようと、爆音が何度轟こうと、花中はその場を動かずに清夏を無言のまま抱き締める。

 花中が声を掛けたのは、その嗚咽が荒い吐息ぐらいまで小さくなってからだった。

「……わたしには、御酒さんの言葉を、否定する事は、出来ません。確かに、御酒さんと一緒に、居たから、フィアちゃん達は、あの人達と、戦う事になったと、思います」

「うん……ごめん、なさい……」

「謝らないでください。だって、御酒さんは一つ、勘違いをしているんですから」

「……勘違い?」

 清夏は顔を上げ、花中と目を合わせる。泣き腫らして真っ赤になった目に、花中は優しくて自慢げな笑みを返した。

「フィアちゃん達に、御酒さんを守る意図は、微塵もありません」

 そしてハッキリと、友達の意思を代弁する。

 あまりにも堂々とした、それでいて淡泊な物言いに、清夏はキョトンとしたように目を丸くした。不信や疑念すら抱けないぐらい呆気に取られたと言わんばかりに。

「……………は?」

「だって、みんな自分の事しか、考えてないですもん。だからもし、あの人達と戦うのが、嫌になったら、さっさと御酒さんを、あの人達に、渡してます。わたしが止めてもそうする筈です。あ、ミィさんは、別ですよ? あの子は、割と人間に優しいですから」

「は、はぁ……ぁ、いや、いやいや!? 自分の事しか考えてないなら、なんでわたしを助けてくれたのよ!?」

「あれは多分、助けたように見えた、だけですね」

「み、見えただけって、ならなんでアイツ等はわたし達を逃がして……」

 清夏の疑問に、花中は苦笑いを浮かべる。その疑問への答えはあるが、一瞬だけ花中は頬を引き攣らせた。

「……思いっきり暴れるには、邪魔だからかと」

 何分この言葉は、自分にも突き刺さるものなので。

「邪魔だから?」

「はい。だって、みんな、下手をしなくても、町を滅茶苦茶にするぐらい、強いですし。この廃墟とか、フィアちゃんが、やらかした、跡ですから」

「えっ!? こ、これ、フィアがやったの!?」

 自分の周りにある廃墟の原因が、まさか一日だけとはいえ寝食を共にした相手だと知り、清夏は明らかな動揺を見せる。まるで戦場のような跡地なのだ。それがただ一匹の仕業と知れば、心も取り乱すというものであろう。同じ『ミュータント(超能力者)』でありながら、未熟な自身との格の違いを感じたのかも知れない。

「さっきの、人達は、とても強い、相手でした。だから、少しだけ、本気を出そうと、したのでしょう。その時、わたし達がちょこまかしていては、邪魔だったんだと、思います」

「う、うーん……いや、確かにわたしなんかが居ても、役には立てそうにないけど……でも……」

 花中の説明にいくらか納得を示しつつも、清夏の言葉は段々と擦れていく。どれだけ理屈を並べても、助けられたという『事実』は揺らがない。それが鎖となって清夏の心に絡まり、負い目になっているのだろうか。

 なら花中に出来るのは、全ての幻想を打ち砕く事のみ。

「それに、戦うより、逃げる方が楽だと、思います。でも、フィアちゃん達は、それを選ばなかった。何故だと、思いますか?」

「え? 何故って……」

 花中に問われ、清夏は言葉を詰まらせる。フィア達の能力の片鱗を見たからこそ、花中の話に真実味を感じ、返す言葉がないのだろう。

 花中も、答えられない事は承知済み。何故ならその答えはあまりにも人間らしくないものだから。人間が人間に対して思う事なんて、早々ないような発想。

「けちょんけちょんに、したいんですよ。人間相手に、負けっぱなしなんて、癪ですから」

 極めて感情的で、ワガママで、人間を嘗めきった思考から生じるものなのだから。

「……所謂、人間風情がぁってやつ?」

「はい。それです。わたし達の気持ちなんて、これっぽっちも、考えてません」

「えと、つまり、わたしは……」

「本当に、邪魔なだけです。仮にあの場で棒立ちしていたなら、多分、平気で巻き込みますよ。特にフィアちゃんと、ミリオンさんは。いや、ミィさんも、結構酷いですからね。わたし、囮として、ぶん投げられた事、ありますし。あの場に居たら、何をされたか、分かりませんよ? 逃げて正解です。あの人達より、フィアちゃん達の方が、ずぅーっと危険なんですから」

「……………ぷふっ。何それぇ」

 身勝手極まりない答えに、清夏は吹き出すように笑い出す。負い目を感じた事が、あまりにも馬鹿馬鹿しくなったのだろう。花中も清夏の笑いにつられるように、顔を綻ばせた。

 清夏と花中の和やかな笑い声が交わされる。清夏の方はどんどんおかしくなってきたようで、目に再び涙が浮かんでいた。座り方もくずれ、今にも寝転がりそうである。

 花中は自分の中にも込み上がっている笑いを堪えながら、清夏の様子を窺う。

 彼女の心は今、とても落ち着いているように見える。普段通り、とは流石に言えないかも知れないが、さっきまでとは全然違う。

 今なら言える。受け止めてもらえる……そう思った花中は、清夏に伝えた。

「だから、わたしなんか、なんて、言わないでください。あなたは、なんか、なんて呼ばれるような人じゃ、ありませんから」

 自分の、正直な想いを。

 清夏の笑い声は、花中の一言でぴたりと止まる。ゆっくりと姿勢を整え、花中と向き合う。

 ややあって、清夏はこくんと頷いた。言葉はない。俯いていて表情も見えない。それでも花中は、その仕草だけでも嬉しく思う。

 なら、今はこれで満足だ。

「……そろそろ、行きましょう。少しは離れましたけど、もっと離れた方が、良いですから」

「え? でも、もう百メートルは、離れたと、思うけど」

「全然足りません。というか、むしろ危険区域です。五キロ、ううん、十キロは離れないと」

「キロ単位なの!? 何をどうしたらそんな事になる訳!?」

 仰天する清夏に、花中は「あははは」と乾ききった笑いを返す。「本当は十キロ離れても巻き込まれる恐れがありますけどねぇ」なんて言ったら清夏の意思が遠退くかも知れないので、しっかり黙っておいた。

 とはいえ、流石にそこまで広範囲に破壊が及ぶ可能性は低いとも考えている。強力な武器を持つとはいえ、相手は人間だ。フィア達がほんの少し本気を出せば、簡単に蹴散らせる筈である。

 ……爆音と震動は今でも続いているが、規模が増している様子はない。増援が途切れる事なく来ていて、その撃破を続けているのだろう。不安は残るが、自分達に出来るのは、彼女達の迷惑にならない事だけだ。

「さぁ、行きましょう」

 花中は清夏の手を掴み、清夏と同時に立ち上がる。息を合わせた訳でもないのに行動が重なった。それはただの偶然かも知れないが、ほんの少し距離が縮まったような気がして、花中は笑みが零れた。

 尤もその笑みは、直後に近くから聞こえた、瓦礫を踏むような足音が耳に届いた瞬間に消えてしまったが。

 ぞわりとした悪寒が、花中の背筋を走る。

 自分達の身を揺さぶる爆音と震動は未だ止まっておらず、フィア達は今も激戦を繰り広げている様子。フィア達が此処まで迎えに来た訳ではない。しかし一般人がこんな廃墟に来るとは思えないし、来たところでフィア達が奏でる破壊音を聞けば逃げていく筈だ。

 可能性はただ一つ。

 花中が振り向いた先に居たのは、思った通り、そして出来れば違っていてほしかった……防護服姿の連中だった。

「ひっ!? ひぅ……!」

 白装束を見た途端、清夏は悲鳴を上げて尻餅を撞いてしまう。花中は戸惑いながらも清夏の前に立ち、防護服姿の連中と清夏の間に割って入る。

 されど花中の足掻きはまるで無意味だった。

 次々と、防護服姿の連中が現れたからだ。瓦礫を乗り越えてきた者、廃屋の中から現れた者、道を歩いてきた者……三十人は居るだろうか。花中達二人を包囲するには十分な数であり、完全に逃げ道を塞がれてしまった。

 現れた防護服姿の連中の装備は二種。一つはフィア達に使われた武器よりも小さな、小銃のような機械。もう一つは、何か霧のようなものを吐いている筒だった。霧は広範囲に拡散し、恐らく呼気と共に花中達の体内に入っている筈だが、今のところ気分の不調は感じられない。清夏も ― こういうのも難だが ― 怯えているだけである。

 正体はなんであれ、このままでは捕まってしまう。フィア達の方は未だ戦っているようで……或いは増援で時間稼ぎをしているのか……助けは期待出来ない。

 だが、まだ手はある。

「御酒さん! 爆発で、この人達を、吹っ飛ばしちゃって、ください!」

 花中の頼みで、清夏はハッとしたように顔を上げた。

 そう、清夏はほんの数十分前まで特訓をし、能力のコントロールを手にした。未だフィア達の領域には達していないが、人間を再起不能にするぐらいの力はある。

 清夏もそれを理解し、自力で立ち上がるや防護服姿の連中に己の掌を向ける。防護服姿の連中は逃げも隠れもせず、じりじりと距離を詰めるだけ。

「い、何時までも……やられっぱなしって思うなぁっ!」

 勇ましい掛け声と共に、清夏の掌に光が集まり――――

 ぷすんっ、という音と共に小さな黒煙が噴き出た。

 確かに『爆ぜる』という意味では爆発の一種なのだろうが、市販の爆竹が弾けるよりもちっぽけなものでしかない。

 ……そして起きたのは、ただそれだけだった。

「……え?」

「あ、あれ? おかしいな……このっ! このぉっ!」

 清夏は必死に、何度も力を込める。その度に掌で爆発が起きるものの、小さな黒煙が舞い上がる程度の代物でしかない。直撃を受けても火傷するのが精々か。こんなものでは、人間を倒すなんて土台無理な話だ。

 清夏の顔はすっかり青ざめており、目を潤ませながらがむしゃらに爆発を起こそうとするが、やはり上手く出来ない。何が起きたのか。特訓のし過ぎでガス欠になったのか? タイミング悪く身体の調子がおかしくなったのか?

 或いは、奴等が何かしているのでは……

 答えを探ろうとして思考を巡らせる花中だったが、防護服姿の連中の一人が背後から拘束してきた事で途切れてしまう。大柄な『不審者』に腕を掴まれ、花中は無意識に悲鳴を上げようとして口を大きく開いた

 瞬間、花中の口許に布のようなものが当てられる。

 突然の行為に驚いたのも束の間、花中は自分の意識が急激に遠退くのを感じた。抗おうという意思を抱く間もなく、瞼は鉛のように重くなり、視界は擦れてしまう。

 花中の理性は、ほんの一瞬で掻き消えた。残る本能で出来たのも、ちらりと視線を動かす事だけ。

 自分と同じく布のようなものを口許に当てられ、ぐったりとした清夏の姿を見て、花中の意識は一旦途絶えるのだった――――




フィアがどう見ても悪役。
まぁ、普段からたかが人間如きと言っちゃう子なので仕方なし。

次回は3/30(土)投稿予定

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