彼女は生き物に好かれやすい   作:彼岸花ノ丘

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大桐玲奈の襲来7

 唐突に、部屋の中に甲高い音が鳴り響いた。

 その音の雰囲気と近しいものを挙げるとすれば、緊急地震速報のアラームだろうか。本能的な危機感を煽る音色だ。

 小心者な花中は一気に縮み上がり、畳の上で正座した体勢のままぴょんっと飛び跳ねてしまう。フィアも不快そうに眉間に皺を寄せ、音の正体を探ろうとしている様子。

 玲奈だけが、音に対して行動を起こした。彼女は音が聞こえるや自らのズボンに手を入れ、片手で収まるぐらい小さな通信端末を取り出す。端末のボタンを押し、玲奈はそれを自らの耳に当てた。

「はい、こちら大桐玲奈……………うん、うん……そう、分かったわ。準備は大丈夫。迎えだけ用意してくれれば……分かった。ありがとう」

 玲奈は通信端末に向け淡々と言葉を交わし、特段揉める事もなく話が進む。しばらくして耳から離した端末のボタンを押し、玲奈は大きなため息を吐く。

 それから真剣な顔を、花中に見せた。

「花中。ママはちょっと急なお仕事が入ったから、出掛けないといけなくなっちゃった」

「……夢路さんを、追うの?」

「ええ、そうよ」

 花中が問えば、玲奈は隠しもせずに答えてくれた。そして花中のすぐ傍まで顔を近付けてくる。

「大丈夫。あとはママ達に任せて。ママが帰ってくるまで家で留守番しててちょうだい」

「……うん」

「もしかしたら帰ってくるのは何日も後になるかも知れないけど、学校にも行っちゃ駄目。お休みするって伝えるのよ……多分、休校になると思うけど」

「……うん」

 母からの言いつけに、花中はただただ頷く。反論や疑問は言葉にしない。したい言葉は、たくさんあったのに。

 話を終えると玲奈は花中の頭を優しく撫で、それからぎゅっと花中を抱き締めてきた。

 玲奈は何も言わず、花中の身体を強く抱き続ける。少し苦しい。けれども花中は母からの抱擁を押し退ける事はせず、自分からも抱き締めた。しばしじっと、家族の温もりを自分の身に刻み込む。

 やがて、玲奈の方から抱擁を止める。花中と向き合った顔には、満面の笑みが浮かんでいた。

「うしっ! 花中成分も十分補給出来た! これならちゃんとお仕事出来る!」

「……うん。ママ、頑張って」

「ええっ! おっと、そうそう忘れる前に……フィアちゃん、ちょっと良い?」

「はい?」

 花中との話を終えた玲奈は、今度はフィアに声を掛ける。

 よもや話し掛けてくるとは思わなかったのか、フィアはキョトンとした様子。対する玲奈は、少しだけその顔を真摯なものに変えていた。

「もしも危険な事があったら、あなたの力で花中を守ってくれないかしら」

「あん? そんな事あなたに言われなくてもやりますけど。花中さんは私の一番の友達なのですから」

「そう言ってくれて嬉しいわ。ありがとう」

「……んー?」

 玲奈からお礼を言われ、フィアは首を傾げる。フィアからすれば、花中を守るのは『()()()()()()()事』である。何故感謝されたのか、理解出来ないに違いない。子育てなどした事もされた事もない彼女には、母親の気持ちなどさっぱり分からないのだから。

 だけど人間である花中には、想像するぐらいは出来る。

「あの、ママ――――」

 母を呼ぼうとした花中だが、しかしその声は不意に外から聞こえてきた音に妨げられる。

 バラバラという独特な音色。ヘリコプターのプロペラ音だ。されどやたらと大きい。まるで、すぐ近くを飛んでいるかのよう。

 否、実際近くまで来ているのだ。

 何しろ家が、微かではあるが軋み始めたのだから。

「やれやれ、仕事が早いのも考え物ね。花中、迎えが来たからもう行くわね」

「……うん」

 言いかけた言葉を飲み込み、こくりと頷いた。玲奈は和室を出て玄関へと向かう。花中も玄関まで向かい、母を見送ろうとする。フィアは花中の隣にぴったりと寄り添いながら付いてきた。

 靴を掃き終えた玲奈は玄関のドアを開ける。予想通り外にはヘリコプターが待機していて、すぐ飛び立てるようにするためかプロペラを回転させたままにしていた。開けた扉からローターが奏でる騒音と、金属の塊を浮かび上がらせるほどの風が入り込み、落ち葉などのゴミと共に花中の身体を叩く。

 同じく風と音を受ける玲奈は、ぐっと身体に力を込めた後ヘリコプター目指して走り出そうとし、

「ママ! 最後に一つだけ!」

 その背中に花中が大声で呼び掛けると、玲奈はつんのめりながらも立ち止まった。くるりと振り返り、時間がない中でも崩していない笑顔を振り向かせる。それからヘリコプターのローター音に負けない、大きな声で返事をした。

「なぁに!」

「あの! 夢路さんを捕まえて……どうするの!?」

「……………」

 花中が尋ねると、玲奈は一瞬口許を強張らせる――――が、すぐに柔らかな笑みを浮かべた。

「勿論治療するわ! 私の大事な部下なんだから!」

 それから堂々と、大きな声で答える。

 玲奈は花中の反応を待たず、ヘリコプターへと再び走り出す。花中はもう、玲奈を呼び止めない。玲奈が素早く乗り込むと、ヘリコプターのドアが閉まる。

 やがてヘリコプターは飛び上がり、どんどん空高く昇っていく。プロペラ音も遠くなり、数十秒もすれば、完全な静寂が周囲に戻ってきた。

 開けっ放しのドアの向こうには、もう何もない。

 けれども花中はそこから動かず、じっと外を見続けた。フィアも花中から離れず、やれやれとばかりに肩を竦める。

「いやはや随分と忙しい人でしたねぇ」

「……うん」

「ああいうのを仕事人間と言うんですよね? テレビで見ました」

「……うん」

「ところで花中さん一つ質問なのですが」

「……うん」

 花中はフィアの言葉に上の空な返事をする。フィアは花中の返事に気持ちが入っていない事に気付いていないのか、特段口調を変えたり、花中の顔を覗き込んだりはしない。

「何故逃げた人間を捕まえてほしいと私に頼まないのです?」

 それはこの質問をぶつけてきた時も変わらない。

 けれども花中は、その問いにはすぐに答えられなかった。

「……なんで、そう思ったの」

「いやー何時もならすぐ頼ってくるじゃないですか。花中さんと花中さんの親の話は難しくてよく分からなかったですけど多分逃げた人間が他の人間を襲うって事ですよね? 花中さんはそういうの嫌いだったと思うのですが」

 無意識に訊き返せば、フィアはつらつらと理由を答える。

 実にフィアらしい、率直な疑問。

 その疑問は全て図星だった。フィアの言う通り、普段なら間違いなくフィアを頼っている。人間に犠牲が出るなんて、誰かの幸せな生活が壊されるなんて、そんなのは我慢ならないのだから。

「……もしも、頼んだら……止めて、くれる……?」

「んーあんまり気は乗りませんけど人間一人捕まえるぐらい簡単ですしやっても構いませんよ。ああそれとも殺しておきますか?」

 花中が試しに尋ねれば、フィアは渋々ではあったが肯定してくれる。それぐらいの予想はしていた。フィアは極めて物臭だが、『虫けら』を捕まえたり潰したりする事が出来ない弱者ではない。ミュータントのような『強敵』ならば兎も角、片手間で出来る事なら頼めば存外やってくれる。

 フィアの力ならば、栄を捕まえる事など造作もあるまい。寄生蜂の力で身体能力が向上していたとしても、フィア達はそれこそ怪物を屠るほどの力があるのだ。元を辿ればただの人間である栄に敵う筈がない。

 そう、元を辿ればただの人間。

 夢路栄は、人間だ。

「……わたし、は……どうしたら、良いのかな……」

「? どうとは?」

「だって、夢路さんは人間で……でも、人を襲うって……」

「みたいですねー」

 フィアは淡々と同意し、それの何が問題なのかと訊きたげに眉を顰める。フィアの気持ちを察しながら、花中は口を閉ざした。

 今までも、様々な脅威と花中は対峙してきた。

 人を好んで食べるミュータント、人を餌にして増える怪物、人の世を破壊する異星生命体……どれも人外だ。人間と他の命に『価値』の差があるとは思わないが、花中は人間である。だから人間と『人間以外』の命なら、人間の方を()()()()

 夢路栄は人間だ。例えその身が今、どんな状態であったとしても。その栄を殺すという事は、人間を殺すという事に他ならない。

 勿論人喰いと化した栄を野放しに出来ない事は分かっている。それに恐らく栄はもう()()()なのだろう……母に最後に投げ付けた疑問への答えを、花中は忘れていない。治療すると言っていたが、自分の母は素直な人間だ。だから最初から決めていた答えなら、一瞬でも言い淀んだりはしない。きっともう治らなくて、栄が大人しく従わないのなら殺すしかないのだ。

 母の組織も、同じ事を考えている筈。ならばフィアがやってくれるなら、その方が安全だとも思う。

 だけど、それでも花中は思う。

 人間が自分の手で起こした不始末から、人間の世界を守るために、人間を殺してくれと、人間以外の生き物に頼む。

 もしもそれをしてしまったら、まるで神様に縋るような、自分の力で立つのも諦めたような気がして……次の困難が来た時に、人間はもう立ち向かえなくなると思ってしまった。

 だから花中は、『神様』に頼むのを躊躇してしまう。

「まぁ花中さんが良いのなら私は何もしませんけどね。面倒臭いですし花中さんの傍から離れたくないですし」

「……うん。ごめんね、なんか、気を遣わせちゃって」

「気を遣ったつもりなんてありませんが」

 花中の『気遣い』にフィアは首を傾げる。思った事を、思ったまま話す。実にフィアらしい在り方に、花中はくすりと笑みが零れた。

 フィアの能天気さに当てられ、花中の気持ちもほんの少し前向きになる。よくよく考えれば、栄が具体的にどれほど強くなったのかは分からない。ミリオンの手から抜け出したのも身体の軟体ぶりを活用しただけで、強引な力押しは一切していないのだ。

 もしかするとちゃんと武装した人間が複数人で挑めば簡単に捕まえられる程度かも知れないし、寄生された事でなんらかの弱点が生じるのかも知れない。手遅れだというのも、自分の思い違いという可能性だってある。或いはフィアという圧倒的な敵が現れたら、寄生蜂の生存本能が刺激されて、もっと恐ろしい怪物になってしまうかも知れない。

 人を襲うというフレーズで考え方が凝り固まっていた。気持ちを解して多面的に考えれば、「フィアに助けてもらう」のが最善ではないかも知れないと思える。

 専門家である母に全て任せるのが、きっと一番良いのだろう。

「……フィアちゃん、ありがとうっ」

「んぁ? んー……そうですか」

 思うがまま花中は感謝の言葉と共にフィアに抱き付き、抱き付かれたフィアは一瞬怪訝そうに眉を顰めるもすぐに笑顔を浮かべる。大好きな花中に抱き付かれて、考えるのを止めたようだった。

 べたべたと友達に甘え、花中はフィアの身体に顔を埋める。

 きっと大丈夫。

 頭の中で何度も唱える言葉以外、聞きたくなかったから――――

 

 

 

 眼下に広がる都市。

 東京などと比べれば些か見劣りするが、高層ビルが建ち並んでいる姿は正に大都市と呼べよう。ヘリコプターに乗っている玲奈は、『自宅』から十数キロほど離れた位置に存在するこの都市を眺めていた。

 夜の十一時を過ぎても建物の明かりは未だ煌々と輝いていて、道路にはたくさんの人や車の姿が見られる。それは普段通りの光景であり、大きな喧噪は起きていないようだと窺い知れた。行き交う人々の小さなシルエットにも、慌ただしさはない。都市は今も日常を保っていると思われる。

 しかし玲奈は知っている。その平穏は、仮初めに過ぎないと。

 この都市部の何処かに、夢路栄が潜んでいるのだから。

 『ミネルヴァのフクロウ』の優秀なメンバーが彼女の居場所を突き止めてくれた。栄がやったと思われる、『人喰い』の痕跡も見付けている。一般人と思われるものだけでなく、栄の仲間と覚しき痕跡も、だ。残念ながら栄の仲間達はとても優秀で、自分達が何処の組織に属しているかの証拠は残さなかったが……少なくとも数十人はいたと思われる。

 このまま活動を続けたら栄がどうなるか、玲奈は知っていた。急がなければならない。

 ちらりと、玲奈はヘリコプター内を一瞥する。同乗しているのはパイロットである初老の男性と、ノートパソコンを真剣な眼差しで睨みながら操作している若い男性の二人。そして若い男性の方は、臨時で玲奈の下に付いた部下と説明を受けている。まだ自己紹介ぐらいしか交わしていないが、真面目な人だという印象を玲奈は持っていた。

 玲奈は部下となった若い男に尋ねる。

「……戦闘員はどれだけ揃ったの?」

「大桐博士が要請した数の四割ほどと聞いています。ですがこれ以上は難しいです。現在人員の多くがシベリアにて生じた緊急の封じ込めに動員されていて、こちらに回せるメンバーがもういないと上層部より通達されています」

「シベリア……ああ、あのトンデモ生物か。アレの封じ込めは、まぁ、栄の百倍ぐらい優先度は高いわね。仕方ない。じゃあ外部協力者は?」

「来ません」

 若い男性からの報告に、玲奈は片手で隠した口許を忌々しげに歪める。

 『ミネルヴァのフクロウ』以外にも、この世界には怪物と関わりを持つ組織が幾つか存在する。理念の違いから共同研究や活動は殆ど行われていないが……例えば今回のように緊急を要する事例が発生した際は、協力する事も珍しくない。立場や考え方は違えど、皆人類のために戦っているからこそ可能なのだ。

 しかしながら此度は、その協力がないとの事。つまり要求した分の半分未満の戦力でどうにかしろというのが、上の総意という訳である。正直上司の顔面を一発ぶん殴りたいと玲奈は思った。

 とはいえ上層部の判断は極めて妥当である。少なくとも玲奈が彼等の立場なら、同じ命令を出す。

「……タイミングが悪い、と考えるより、狙われたと思うべきかしら」

 本部の人員を持っていったという『緊急の封じ込め』……これは、栄を送り込んできた組織が画策した工作である可能性が高い。目的は勿論、栄が強奪した寄生蜂を無事確保するためだ。

 ここで下手に外部から人員を招いたらどうなる? 勿論彼等はこちらの邪魔を徹底的にしてくるだろう。誰が敵かも分からぬ疑心暗鬼状態では、作戦遂行にも支障がある。下手をすれば同士討ちを始めかねない。

 身内で用意出来た、要求の四割の戦力でなんとかする。忌々しい事にこれがベストな作戦だった。

「ま、肝心な時に人手が足りないのは何時もの事ね。昔、夫と二人きりでやった大怪獣誘導作戦に比べれば百倍マシ」

「どんな修羅場を経験してるんですか、大桐博士……」

「そうねぇ、ひー、ふー、みー……五回は人類文明を救ってきたわね。なら、六回目もなんとかなるっしょ」

 何処までも前向きな言葉を口にして、玲奈は部下と己を鼓舞する。パンッ! と力強く自らの頬を叩き、ほんのり頬を赤らめた顔に笑みを浮かべさせた。

「良し! 戦術班に通信繋いで! これ以上の戦力補充はなく、我々研究班による判断を中継する必要性なし! よってこれ以降の部隊指揮権を戦術班へ移行する! 今後我々研究班は戦術班の指揮に従う!」

「了解……通達しました。返信は、了解、との事。我々は上空から異常がないか監視せよと指示もされています」

「OK。パイロットさん、それじゃよろしくー」

「了解」

 助手越しに伝えられた『上』からの指示を受け入れ、玲奈達は空からの探索を始めた。

 とはいえ見付け出すのは至難の業だ。何しろ栄の大きさは、それこそ人間大でしかない。高度を下げようにもビルが邪魔をして、顔を識別するのに双眼鏡が必要な高さからの捜索を余儀なくされている。一応組織の人工衛星を回してもらっているが、自転軸との兼ね合いからこの都市の上空に来るまであと二時間は掛かるらしい。何もしないよりはマシと信じて、目視で探すしかない。

 せめて一般人を避難させる事が出来れば、もう少し探索もやりやすくなるのだが……栄はケダモノではなく人間だ。広域放送などで避難指示を出せば、当然栄も聞き付けてしまう。避難する人々の行列に紛れ込もうものなら、捜索は一層困難になるに違いない。

 加えて夜遅くという時間帯を考慮すれば、大きな混乱が生じる事もあり得る。パニックに陥った人々の中に栄が入り込めば、恐らく見付けるのは不可能。行方知れずとなった栄が、何処かの国や地域で人を喰らい続ける……これが最悪のパターンだ。この最悪を引き起こすぐらいなら、例え一般人が犠牲になろうとも避難指示を出さない方がまだマシである。

 無論玲奈はこれ以上の犠牲を出すつもりなんてない。一秒でも早く栄を見付け、とっ捕まえてやるつもりだ。

「何処に隠れてる……栄……!」

 かつての助手の名を呟きながら、玲奈は双眼鏡越しに地上を凝視し――――

「う、うわぁっ!?」

 パイロットの叫びが、玲奈の集中を妨げる。

 されど玲奈に悪態を吐く暇もない。

 パイロットが悲鳴を上げた直後、金属が拉げ、ガラスの砕ける音が鳴り、ヘリコプターが大きく傾いたのだから。

「きゃあっ!?」

「ひぃっ!?」

 玲奈は悲鳴を上げつつも顔を上げ、反射的に身を丸めた部下の背中に手を付けて自らの体勢を保つ。見据えるのは、ヘリコプター前方を覆うフロントガラス。

 故に玲奈は目を見開き、その身を強張らせる。

 そこに居たのは――――栄だったから。

「はぁい、玲奈さん。三時間ぶりでしたか?」

「ぅ、が、か、か」

「あ、『新入り』いただいてまーす」

 フロントガラスに張り付いていた栄は暢気な声を発しながら、フロントガラスをぶち破っている右手で触れていたパイロットをちゅるんと吸い取る。操縦席に、もう人の姿はない。

 何故、栄がこのヘリコプターのガラスに張り付いている?

 常人ならば思考の停止する光景。しかし数多の怪物を研究し、覚えているだけで五度人類を救ってきた玲奈の頭脳は即座に状況を理解した。

 既に何十人かの人間を取り込んだ栄は、そのエネルギーを元にして驚異的な身体機能を獲得したのだろう。視力も格段に向上し、ヘリコプターに乗る自分達を視認。数百メートルもの高さを跳躍し、跳び乗ってきたのだ。

 恐るべき身体能力。自宅では組織に二十四時間(丸一日)以内の部隊展開を求めたが……僅か数時間で栄は、玲奈の想像を絶するほどの身体能力を手にしていた。二十四時間後にはどんな化け物になっているか、予測も付かない。

 しかし玲奈にとって、何よりも恐ろしいのは。

「さぁ、玲奈さん。私と一つになりましょう?」

 栄の言葉に、()()()()()()()()()()事だった。

「っ!」

 身の危険を覚えた玲奈の行動は速かった。ヘリコプターのドアを蹴破るように空けるや隣に居た部下の服を掴み、

 なんの躊躇もなく、ヘリコプターから跳び降りた。

「えっ……えひぃいいいいっ!?」

「黙ってて! 舌噛むわよ!」

 身体が自由落下を始めてから叫ぶ部下を、玲奈は強い言葉で黙らせる。

 空中で身を翻した玲奈は、自分達がつい先程まで乗っていたヘリコプターを確認。パイロットを失ったヘリはふらふらと揺れ、やがて地上目掛けて落ち始める。栄にヘリコプターの操縦技術があるかは知らないが、栄が跳び付いた拍子に色々壊れるような音がしていた。恐らく操縦不能だろう。このまま墜落する筈だ。

 その際に生じる地上への被害は気になるが、まずは自分の身の心配だと玲奈は思考を切り替える。このままでは地面に激突して、自分も部下もお陀仏なのだから。

 玲奈は再び身を翻し、部下を抱きかかえた体勢で自分の身体を弄る。するとカチリと音が鳴り、刹那、玲奈の着ている白衣を裂くように、何かが飛び出した!

 パラシュートである。

 小型軽量化を重ねた一品。基本的に二人分の重量を想定したものではないそれは、だが着実に地表目掛け突き進む玲奈達の身体を減速させる。

 十分、とは言えないまでも、命が助かるという意味では『安全』な水準まで減速した玲奈は、着地の瞬間に受け身を取って衝撃をいなす。玲奈はどうにか着地し、部下の男は小さな呻き声を漏らしつつ怪我なく大地に戻れた。

 玲奈達が降り立ったのは、都市の中にある公園だった。決して小さなところではなく、植えられた木々が全方位をぐるりと囲っている。敷地内が明るいのは、公園内にある街灯が煌々と辺りを照らしているからだ。でなければ都市の明かりは木々に阻まれ、この場を満たすのは明かりではなく暗闇だったに違いない。

 幸いにして周りに人の姿はなく、着地した自分達を撮影しようとする野次馬は一人としていない。誤魔化す手段など幾らでもあるが、新たな始末書は避けられそうだと玲奈は安堵の息を吐く。

 されど吐き出した分だけ吸い込もうとする当然の仕草は、ズドンッ! と鳴り響いた轟音によって妨げられた。

「……高度三百メートルからパラシュートなしで着地って、今時ゲームキャラでも死ぬと思うんだけど」

 呆れたように玲奈はぼやき、生きていた部下の男は唖然とした顔を見せる。

 音がした方を見れば、舞い上がった粉塵や石が煙幕のように広がっていた。それらは数秒で重力に引かれて落ち、中心に立つ者……栄の姿を露わにする。

 栄はしゃがんだような体勢で、玲奈達を見ていた。ゆっくりと立ち上がる動きに、ダメージを負ったような気配はない。ニタニタと笑みを浮かべ、何事もないかのように佇んでいる。

「もぉー、玲奈さんったら本当にアクティブなんですからー。何もヘリコプターから跳び降りなくても良いじゃないですかぁ。パラシュートがあっても、二人分の重さじゃ減速しきれなくて死んじゃうかもですよ?」

「生憎、孫の顔を見るまで死ぬつもりはないの。ま、アンタに喰われるぐらいなら、落下死の方が万倍マシだと思うけどね」

「喰われる?」

 玲奈の皮肉混じりの言葉に、栄はキョトンとした様子で首を傾げる。それからポンッと手を叩き、楽しげに笑った。あたかも、()()()勘違いに気付いたかのように。

「ああ、成程。玲奈さんは勘違いしてますよ。私は、何も人間を食べてる訳じゃありません」

「食べてない? なら、アンタがヘリのパイロットにしたのは何? 吸収なんて、頓知利かせたら鈍器でぶん殴るわよ」

「おお、怖い。勿論そんな事は言いません……ちょっと、協力してもらってるだけです」

「協力?」

 栄の物言いに、今度は玲奈が首を傾げる。

 栄は目を爛々と輝かせ、如何にも素晴らしい事であるかのように語り始めた。

「この世界には、恐ろしい怪物が山ほど棲み着いています。中には人間が持つ全ての軍隊を、纏めて蹂躙出来るような種もいました」

「ええ、そうね。あなたにはたっぷり教えたわ……大切な助手だって思ったから」

「人間は、何時滅ぼされてもおかしくない。これは由々しき事態です。ましてや今の人類には、纏まりがあるとは到底思えません」

「……そうかしら。昔は酷いものだったけど、最近は割と一致団結してない?」

 栄の意見に、玲奈は反論をぶつける。今の栄が気に入らないから、なんて稚拙な理由からではない。

 去年までなら、栄の言い分に幾らか賛同しただろう。しかし『異星生命体』の存在を知り、数多の怪物に都市を滅ぼされた事で、人類同士は確実に歩み寄っている。無論そこに裏がないとは言わないし、生態系の観点から見て最善とは言い難い対応も多いが……玲奈としては、今の人類がそこまで悪いものとは思わなかった。

 だが、栄は首を横に振る。

「確かに、今までよりはマシだと思います。ですがマシなだけです。こんな程度では、本当に恐ろしい怪物が現れたなら、あっという間に滅ぼされてしまう」

「それは、否定出来ないけどね。だからそうならないよう、私達は怪物の研究をしているんだけど」

「いいえ、それでは手緩い。私達は、確実に滅ぼされない力を手にしなければなりません。だからこそ、人類は『一つ』にならねばならない」

「……あなた、まさか」

 ハッとする玲奈。

 栄は心底嬉しそうに、獰猛に、微笑む。

 そして栄は何一つ罪悪感なしに、それどころか誇るように語るのだ。

「全ての人類を、一つに纏め上げます。七十億を超える人類が一つの生命となれば、どんな敵にも立ち向かえる……そうは思いませんか?」

 ()()()()()()()()()()()、と。

「……それは、あなたの目的? それとも組織としての狙い?」

「私の意思です。組織としての目的は標本から得られた成分を研究し、怪物の闊歩する環境に適応した兵士を作るためでしたが、自分が寄生されてよく分かりました……そんなつまらない使い方じゃない、もっと素晴らしい使い方があると」

「へぇ、それは良かったわね。ところでその考えは、お仲間には受け入れてもらえたのかしら? あなたが仲間を喰ったのは、分かってるんだけど」

「流石『ミネルヴァのフクロウ』。仕事が早い……残念ながら、中々分かってもらえませんでした。なので体験する方が早いかなーと思いまして無理矢理取り込みました」

「かつての仲間まで喰うとは、完全に畜生ね」

「だから協力ですって。細胞単位で混ざっているからか、ちょっと混濁気味ですけど記憶も引き継いでますよ。後で娘さんも取り込まないと、お父さん寂しがっちゃうなーとか思ったり」

 玲奈がどれだけ嫌悪を示そうと、栄はけらけらと笑うばかり。眉一つ動かさない。

 こんな反応を取る人間は二通りだけ。ろくに話を聞いていないか、確固たる信念があるか。

 玲奈の印象では、栄は明らかに後者だ。例えその信念を支えるものが、ホルモンバランスが崩れた事で生じた狂気だとしても。

「娘さんも可哀想ね。大事なお父さんの最期が、ハチの苗床なんて」

 玲奈に出来るのは、精々嫌味をぶつける事だけ。

 それさえも、相手が理解しなければ意味がないのだが。

「苗床? なんの話ですか?」

「……そうよね、知らないわよね。なら教えてあげるけど、その衝動は寄生蜂があなたに命じているものよ。自分の繁殖をより有利にするための――――」

「ああ、その事ですか。分かっていないのは玲奈さんの方ですよ? 寄生蜂は今、私の体内で()()()()()()()のですから。何しろちょっと前に、死骸をぺっと出しちゃいましたからね」

「……え……?」

 栄の言葉に、玲奈は一瞬呆けた。されど玲奈の聡明な頭脳は即座に論理的に働き、栄の言葉を分析する。

 だからこそ、玲奈は瞬きをした頃には顔を真っ青にしたのだが。

 考えられない話ではない。

 大抵の多細胞生物には免疫が備わっている。この免疫は病原菌やウイルスだけでなく、寄生虫にも反応して攻撃を行う。例えば昆虫類では、異物をタンパク質で取り囲み、体外へと排出する仕組みがある。

 この攻撃は非常に強力なものであり、なんの手立てなしに切り抜けられるものではない。そのため寄生虫は宿主の免疫システムを攻略するような、独特の進化を遂げているものだ。

 ところがこの免疫機能には、種によってかなり差異がある。そのためある種の攻略方法が他種に使えるとは限らない……というより、まず役に立たない。そのため宿主毎に独自の対策が必要になり、これが寄生虫の多様性を作り出す一因となっている。

 つまり間違った宿主に入った寄生虫は、大抵殺されてしまうのだ。栄の体内に産み付けられた卵も、人間の免疫によって駆逐されたとしてもおかしくはない。

 問題は、もう寄生蜂が体内にいないのに栄の『能力』が失われていない事。

 もしも寄生蜂が生きていれば、十分に育った栄の体内で繁殖し、やがて外界へと飛び出しただろう。人間に寄生する恐ろしい怪物の飛散だが、同時に超人的身体能力を持たない羽虫でもある。人の手が入っていない環境に暮らしていた種なので、殺虫剤への耐性は皆無な筈。

 そのためどんな最悪の結果になろうとも、最後は殺虫剤の力でどうにかなると考えていた。一般人の犠牲を強いてでも栄を見失いたくなかったのも、羽化した成虫を一網打尽にするためには栄の居場所の特定が必要だったから。玲奈が考える最悪とは、どうにもならないほど寄生蜂が人間社会に拡散している状態だった。

 だが、栄の体内に寄生蜂がいなければ、彼女の『成長』は止まらない。際限なく他者を吸収し、肥大化し、パワーを増大させていく。

 そうして強くなった栄を、人類は止められるのか? 恐らく殺虫剤なんて効かないのに。

「玲奈さん、分かってくれましたか? 私はあのハチには殺されません。私なら人類の未来を切り開ける。さぁ、共に生きましょう」

 動揺する玲奈に、栄はゆっくりと手を伸ばす。部下の男は「ひっ!」と小さな悲鳴を上げたが、腰が抜けているのか動けないでいる。

 玲奈は男の前に立ち、自らを盾にするようにして栄の前に立つ。

「ああ、その勇ましい姿……私、玲奈さんの自然主義的な考え方に共感はしていませんけど、その勇敢さは好きでした。あなたと一つになったら、きっと私はもっと素晴らしい高みへと至れます」

 光悦としながら、栄はどんどん迫ってくる。玲奈は身体をじりじりと仰け反らせ、それでも栄の前からは退かず――――

「そうね、あなたは理解出来ないわよね。独りぼっちが一番強いなんて考える捻くれ者には」

 ぽつりと、自信に満ちた言葉を呟いた。

 瞬間、栄の頭部で爆発が起きた!

「ぐ、あぅっ……!? 今のは……!」

 大きく身を仰け反らせ、爆風の中から栄は頭を出す。爆発の直撃を受けた頭部は原形を保っていたが、しかし黒焦げたように煤塗れとなっていた。それからすぐに、自分の背後を振り向く。

 栄の背後には、数人の迷彩服姿の男達が居た。

 自衛官のような服装をした彼等は、半数が大きな銃を持っていた。残りの半数が持つのは筒状の武装……ロケットランチャーと呼ばれる類のもの。一本のロケットランチャーから煙が上っており、栄を攻撃したものがこの現代兵器だと語る。

「増援!? このタイミングで……」

「残念。このタイミングだからこそ、よ」

 苛立ちを露わにする栄に、玲奈は少しだけ誇らしげに答えた。

 さながら、その言葉を合図とするかのように。

 公園内に植えられた木々の影から、続々と迷彩服姿の男達が現れる。彼等は一様に ― 日本の住宅地に似付かわしくない、重々しくて殺傷力の高い ― 『兵器』を持っていた。それらの兵器は全て栄へと向けられ、何時でも撃てるよう引き金に指が掛けられている。

 栄も、ここにきてようやく理解しただろう。玲奈がずっと時間稼ぎをしていたのだと。通信端末の電源を入れっぱなしにし、逆探知してきた仲間が自身を包囲するまで待っていたのだ。

「独りぼっちじゃ、こんな事は出来ないわよね? 仲間がいる事の大切さが身に染みて理解出来たかしら?」

 思惑通りに事が運び、今度は玲奈が栄に諦める事を勧める。

 栄は表情を強張らせながら、ぐるりと自身の周りを一望。包囲に隙がない事を、己の目で確かめた。

 すると栄は、にたりと笑みを浮かべる。

「いやぁ、玲奈さん最高ですね。やっぱり、あなたの事は大好きです」

「……どういう意味?」

「どういうも何も、そのままの意味ですよ」

 問い詰める玲奈の前で、栄は両腕を広げた。

 それはさながら歓喜を示すように。

 或いは自らを祝福するかのように。

 歪な感情を露わにする栄に、未だ正面から対峙している玲奈のみならず、包囲する兵士達にも緊張が走る。されど栄は気に留める素振りもない。己に敵意を向ける者全てと顔を合わせるように、くるりと舞う。

 栄の顔には、満面の笑みが浮かんでいた。全ての人間を慈しむ、母の如く優しい微笑みだった。

 あまりにも純朴で無垢な表情に、誰もが一瞬にして敵意を抜かれてしまう。霧散した緊張感。その中で舞い終えた栄は、玲奈を正面に見据えながら告げる。

「こんなにもたくさんの『協力者』を呼んでくださるなんて。さぁ、みんなで一つになりましょう?」

 狂いきった心から生まれた、善意に満ちた願いを……




反撃開始。
結果は、うん(謎の曖昧さ)

次回は明日投稿予定です。

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