一見して、人間の子供である。
ちょっと人形のように整い過ぎた顔立ちと思えなくもないが、パチクリさせている目や、ころころ変わる好奇心旺盛な表情は、大人しさの象徴でもある人形と呼ぶには程遠い。傾いた太陽が茜色に周囲を染め上げても、彼等の顔の眩さは寸分たりとも衰えない。その顔は五秒以上一点を見つめる事はなく、忙しなくあっちこっちに向けられていた。
正しく元気な子供だ。そうとしか表現出来ない。
それでも、彼等は人間ではない。
「ねーねー、どっちが高く跳べるか競争しよー」
黒髪の女の子が、そのような提案をする。断られるとは寸分も思っていない、無邪気で勝ち気な表情を浮かべている。
「いいよー」
女の子からの提案を、黒髪の男の子は寸分も迷わず、満面の笑みで受けた。
「「いっせーのーせっ!」」
そして二匹は声を合わせ、同時にジャンプ。
自分の足の力だけで、垂直方向に
空高く跳んだ二匹はやがて重力に引かれて落下。ズドンッ! と爆音を轟かせて着地する。大地が揺れ、彼女達が降り立った『庭』の中にある一軒家も僅かに揺れた。
「ねーねーパパっ! どっちが高く跳んでた!?」
「ボクだよね! ボクの方が高かったよね!」
幼い二匹は目にも留まらぬ速さで駆け、庭の隅に立っていた大男――――キャスパリーグを問い詰める。
キャスパリーグは優しく微笑みながら、大仰に唸り、ゆっくりとした口調で語り掛けた。
「そうだな。どっちも同じぐらいに見えたから、引き分けかな」
「なんだぁ。同じかぁ」
「えぇー、ボクの方が絶対高かったよぅ」
「何よ、パパが嘘吐いてるっていうの?」
「ぱ、パパは嘘吐きじゃないけど、でも……」
「ほらほらケンカはするな。引き分けなら、次の勝負をすれば良い。そうだな、腕相撲でもしたらどうだ?」
「流石パパ! それなら勝ち負けハッキリするね!」
「よーし! 今度は勝つぞー!」
キャスパリーグの意見に、幼子達は素直に賛同。庭の一角に寝そべり、腕相撲を始めた。込めた腕の力によるものか、庭の一部が陥没したが……仲良くじゃれ合う姿は微笑ましいの一言に尽きる。
キャスパリーグはそんな二匹の姿を、優しい眼差しで眺めていた。
「本当に父親になってるみたいねぇ」
そんなキャスパリーグの姿を、庭の隅からミリオンが眺めている。
ミリオンの隣に居る花中も、無言のままこくこくと頷く。声は出てこない。それほどまでに心の中は驚きに満ちていた。ちなみにこの場には花中を後ろから抱き締めているフィアも居るが、感想どころか興味もないのか、虚空を見つめてぼーっとしているだけである。
キャスパリーグと出会ってから、ざっと一時間は経っただろうか。
今、花中達は大桐家の庭に集まっている。出会った市街地では『一悶着』あり、騒ぎが大きくなってきたからだ。不本意ながら、大桐家の周りは丸一年以上前の出来事により廃墟と化しており、未だ人気は殆どない。ここなら多少の『やんちゃ』があっても大きな騒ぎにはならないだろうという判断から、一旦場所を移したのである。尤もこの判断を下したのは花中ではなく、居候のミリオンであるが。この時花中は『一悶着』の所為で失神していたので。
結果的にこの判断は正解だった。キャスパリーグの子供達……ミュータント化した子猫達は、人間の子供と同じくじっとしている事が出来ない性格だったのだから。
「驚きました。でも、猫なら、普通……なのかな?」
「まぁ、最低でも二歳以上な訳だから、そりゃ父親になっていてもおかしくはないでしょうけどね。でも猫の雄って、子育てなんかしなかったと思うんだけど」
「それは、家族が引き裂かれた事が原因、かも知れませんね」
「あー、それはありそうな話ね。生物の生態なんてなんでも例外が付きものだし、枠に嵌める事ほど馬鹿馬鹿しい考えもないか」
「そうですね……でも、やっぱり驚きました。本当に」
ミリオンと花中は言葉と推測を交わし、目の前の光景を理解しようと努める。それほどまでに、キャスパリーグが自分の子供を連れてきた事は驚きだった。
――――そう、『赤の他人』である花中達ですら驚くほどだ。
ならば
何故ならミィはずっと、目を丸くして呆けていたのだから。
「……さっきから何を見ているんだ、お前は」
「え? あ、いや、だって……」
キャスパリーグに声を掛けられ、ミィはようやく我に返る。しかし冷静になったとは言い難く、右往左往して戸惑うばかり。
妹のなんとも情けない姿に、キャスパリーグは大きなため息を吐いた。
「そんなに俺に父親は似合わんか」
「似合わないというか……その、あたしなんか割とトラウマだから、子供とか作るの避けちゃってたし……勝手に、兄さんも同じだと思ってて」
「……その点については、否定はしないが」
「じゃあ、なんで子供出来てんのさ」
ミィが尋ねると、キャスパリーグはそっぽを向いてしまった。花中の目には、心なしかその頬が赤くなっているように見える。
何故、そんな反応を?
「あら~。青春してるわねぇ」
そんな疑問を花中が抱いていたところ、何故かミリオンがくすくすと笑い出す。
キャスパリーグは居心地の悪そうな眼光で睨み付けるが、ミリオンは全く動じない。それどころか一層嬉しそうに笑っている。まるで親戚の子供の『良い場面』を見たおばちゃんのような、若干鬱陶しい笑みだ。
ミリオンとは、かれこれ二年近くなる付き合い。花中はミリオンが察したものを理解し、故にミリオンと同じ笑みを浮かべる。
恐らくキャスパリーグは『可愛い女の子』に出会ったのだろう。トラウマやらなんやらが全部吹っ飛ぶぐらいの。
意見を伺うようにこちらへと振り返ったミィも、花中とミリオンの意図を察したようだ。ニヤニヤと笑みを浮かべる。一人と二匹からのニヤニヤ攻撃。キャスパリーグの顔が誰の目にも明らかなぐらい赤くなるまで、そう時間は掛からなかった。
「ええい、鬱陶しいぞこの雌共がっ!」
「うふふふふ。恥ずかしがらなくても良いのよ。恋って素敵な事なんだから」
「はいっ! とても良いと思います!」
「ねぇねぇ、今度その可愛い奥さん、あたしに紹介してよーほれほれー」
「うぬぐぐぐぐ……」
唸りながら覇気を纏うキャスパリーグだが、どすどすとミィの肘打ちを黙って受ける辺り図星を突かれているのだろう。女三人の姦しさに押され、雄であるキャスパリーグは口を閉ざしてしまう。しかし女子達の攻勢は留まらない。
「なんとまぁ恋だの子供だのなんてくだらない話題でよくそこまで盛り上がれますねぇ」
フィアがぽつりと『本音』を漏らさなければ、もうしばらくキャスパリーグは弄られ続けただろう。
「あら、さかなちゃんったらズバッと切り捨てるわねぇ」
「くだらなくなんてないでしょー。身内が子供連れてきたんだからさぁ」
「分かりませんねぇ。私だって先日卵を産みましたけど自分の卵を見ても何も感じませんでしたよ。ましてや他人の子なんて興味もありませんね」
「……え? フィアちゃん、何時の間に卵産んでたの?」
「んー確か二週間ぐらい前かと」
花中が尋ねると、フィアはあっさりと打ち明ける。思い返せば二週間ほど前、確かにふらっと一匹で出掛けた時があったが……二時間ほどで帰ってきたのでまさかそんな大仕事をしていたとは思ってもおらず、教えられていなかった花中はちょっと動揺した。
しかしフィアにとっては、産卵なんてものは精々「お腹が軽くなった」程度のものなのだろう。花中に産卵の事を言わなかったのも、言う必要がある事柄と認識すらしていなかったに違いない。
「それより今はコイツが来た理由を尋ねる方が先決だと思うのですが」
故にフィアは、この場に居る誰よりも『客観的』かつ『合理的』であった。
確かにそれは大きな謎である。
キャスパリーグは花中達と敵対した事のある身。一応その敵対関係は水に流したとはいえ、子供が産まれたから見せに来るような親しい間柄ではない。いや、ミィだけなら肉親なのであり得るだろうが……再会直後、キャスパリーグは花中に用があるような口振りだった。
二年ぶりの再会。その間の接点は ― うっかり忘れてしまうぐらい ― なし。どんな用事があるのか、見当も付かない。
ただ、フィアが尋ねてからキャスパリーグの表情が僅かながら強張ったところを見るに……あまり、能天気な話題ではないのだろうと察せられた。
「最初に、確認したい前提条件がある。人間、お前はここ三ヶ月ほどの間に、九州まで来た事はあるか?」
「え? 九州ですか? いえ、寄ってはいませんけど……」
キャスパリーグからの問いに、花中は正直に答える。フィア達の機動力に任せて遠征する事は多々あったが、九州方面に行った事はまだない。二月頃『スズメバチ』達から逃げた時でさえ、関西方面止まりだ。強いて言うなら飛行機で海外に出た時、上空を通ったかも知れないぐらいだが……あれは一年半前の出来事なので期間外である。
花中からの返答に、キャスパリーグは何か考え込むように目を伏せた。口は硬く閉じられ、呟きすら漏らさない。これでは彼が何を考えているかなど当然分からない。
「ねぇ、考え込む前にちゃんと教えてよ」
痺れを切らしたように、彼の妹であるミィが尋ねた。
キャスパリーグは小さく鼻息を吐き、それから妹の問いに淡々と答える。
「……俺があの雌と会ったのは、一年前、九州での話だ。子供達もそこで儲けている」
「あら、なら今は九州暮らしなのね」
「そうだ。まぁ、俺はその気になれば九州から遠く離れられるが……大部分の子供や妻はそうもいかん。離れる理由もないから、ずっと九州で暮らしている。子供達が産まれたのは今年の四月だ」
「一月も経ってんじゃん。顔ぐらい見せに来れば良いのに。兄さんの足ならこっちまで半日ぐらいで来れるでしょ」
産まれて一月後の連絡と知り、ミィがぼそりと悪態を吐く。子育てで大変だった、という言い訳をせず言葉を詰まらせる辺り、キャスパリーグも悪いとは思っているようだ。
とはいえそれは本題ではない部分。キャスパリーグは咳払いで一旦流れを断ち切り、自分の話を再開する。
「産まれた子供達六匹のうち、今回連れてきた二匹。アイツらだけが力を持った。そしてアイツらが俺達のような力に目覚めたのは、産まれて間もなくの事だ」
語られた彼の言葉は、ミィの悪態がどうでも良くなるぐらいの衝撃を花中に与えた。
力に目覚めた。つまりキャスパリーグの子供達がミュータント化したのは、産まれた四月頃。
驚くべき事である。何故ならミュータント化には伝達脳波……花中のような、ごく一部の人間が放つ脳波を必要とする。それを受けるまでは、機能こそあれど他の同種と大して変わらない存在でしかない。
そして花中はここ三ヶ月、つまりキャスパリーグの子供達が産まれた一ヶ月前+猫の妊娠期間の間、九州には立ち寄っていない。
ここから考えられる仮説は二つ。一つは伝達脳波を持つ『何者』かが九州で暮らすキャスパリーグ達の傍を通ったか。
或いはキャスパリーグの子供達は、
前者である場合について考えてみよう。伝達脳波を放つ人間は稀少だ。ミリオンが数十億人と調べて、ようやく一人見付かる程度には。偶々通りかかるというのは中々考え辛い気もする……が、何時ぞやのゴリラや東北で暮らしていた清夏、そして中国に出現した怪鳥。花中の出向いていない地域でも、ミュータントは続々と現れていた。
もしかするとその人物は日本中、或いは世界中を歩き回っているのかも知れない。その何者かがキャスパリーグ達の傍を通ったというのは、あり得る話だろう。しかし何故世界中を飛び回っているのか? 理由が仕事 ― 例えば多国籍企業の取締役など ― にあるのならば、そうおかしな事ではあるまい。
だが、もしも意図的にミュータントの覚醒を促しているのならば……それもミュータントの危険性を承知でやっているとすれば、穏やかな話ではない。なんのメリットも思い付かないが、故に人類の滅亡を企てているという可能性も否定しきれなくなる。
とはいえ前者であれば、まだ『普通』の出来事だ。目的については兎も角、起こるべくして起きた事象でしかない。最悪その人物を『始末』してしまえば、この事態を止める事が出来る筈だ。
しかしもしも後者であれば、人間にとっては最悪のシナリオである。
キャスパリーグの子供達に人間は必要ない。産まれてくる彼女達の子孫は片っ端からミュータントとして覚醒し、現代の地球生態系の捕食者を尽く圧倒するだろう。当然人間によるコントロールなど受け付けず、好き勝手に狩りと繁殖をする。腹が減れば、人間を餌として食べる事も十分に可能だ。人間に直接危害を加えずとも、崩壊した生態系の中で人類が生存出来るとは、花中には思えない。
いずれ彼女達は人類種を駆逐ないし支配するだろう。例え当人達にその気がなくとも、だ。
前者にしろ後者にしろ、人類にとって好ましくない事態である。そしてどちらにしても、人類が滅亡する事は大袈裟でなくあり得る。
しかしながら、だからどうしよう、という考えを花中は持ったなかったが。いずれ起きるであろう人類種の破滅が、なんか思ったより近いどころかこの目で見る羽目になりそうと思っただけ。ある意味想定内の出来事と言えよう。
「一応言っておくが、俺の子に手を出すようなら容赦せんぞ」
なのでキャスパリーグからあらぬ疑いを向けられても、そうした考えが端からない花中はキョトンとするだけだった。
「え? 手出し、ですか?」
「花中がそんな事考える訳ないでしょ。優しいし、ビビりな癖に結構能天気なんだから」
「そうねぇ。はなちゃん、恐がりな割には本当にヤバいものは平気で受け入れるわよね」
「花中さんはもう少し警戒心を持った方が良いと思います」
「……まぁ、コイツにそんな度胸もないか」
意識していなかった事を指摘されてちょっとぼんやりしただけなのに、何故かキャスパリーグどころか友達三匹からも呆れられる。中々の無礼ぶりに、花中はぷくっと頬を膨らませた。その程度で怯むほど、花中以外の生命体は弱くないが。
「なんにせよ、先の返答については信じよう。お前が嘘を吐く理由もないだろうからな」
「ま、ミュータント化して良かったんじゃない? これなら家族が人間に
「……ふん」
ミリオンからの意地の悪い問いに、キャスパリーグは鼻を鳴らすのみ。されどその顔に浮かぶのは、優しい笑みだ。
彼は人間に家族を殺されている。
人間からすればそれは致し方ない ― そう、庭に糞をするとか植木鉢がひっくり返されるとかの『被害』を防ぐための ― 行いだったが、猫である彼からすれば愛する肉親達への暴虐。家族への愛が深いが故に、人間への憎悪が彼の心を蝕む。
そんな彼が人間の力ではどう足掻こうと奪えない家族を得たのは、偶然か、それとも生命の奇跡なのか。
『人間』という立場からすれば、偶然であってほしいところ。科学的見地からいっても偶然以外の何ものでもない。けれども大桐花中という個人としては……奇跡を信じたいと思った。
「ところであなたのその大切な家族とやらは何処かに行ってしまったみたいですけどよろしいのですか?」
なお、そんな気持ちはフィアの一言であっさり彼方へと吹き飛んでしまったが。
「えっ?」
「んにゃ?」
「あら?」
「……えっ?」
キャスパリーグが、ミィが、ミリオンが、そして花中が、一斉に同じ方向へと振り返る。
気付けば、大桐家の庭に子供達の姿はない。植木が引っこ抜かれていたり、大地にクレーター的な陥没が出来ていたり、庭を囲う塀に穴が開いていたりしていたが、この数々のイタズラをしたであろう犯人の姿は何処にもない。
耳を澄ましてみたが、声も聞こえてこなかった。あんなにも元気に、楽しげにはしゃいでいたのに。
つまり、キャスパリーグの子供達はこの近くに居ない。
フィアがハッキリと言葉にし、見れば明らかなこの事実を理解するのに、花中達はそれなりの時間を必要とした。
「ちょ……ちょ、ええええええええええっ!? なな、な、なんでぇ!?」
「どどどどど何処行った!?」
花中の困惑した悲鳴が響き、花中と同じぐらい動揺したキャスパリーグが右往左往する。しかしどれだけ探しても、キャスパリーグの子供達の姿は見付からない。
「さかなちゃん、あなたまさかあの子達が何処かに行くのを見てたんじゃ……」
「見てましたけどまぁ別にどうでも良いかなぁっと」
「全然どうでも良くないよフィアちゃんっ!? 小さい子供から目を離しちゃダメでしょ!?」
「子供なんて別に見てなくても平気じゃないですか? 私なんてそれこそ食べ物も取れないうちから一匹で生きてきた筈ですからね」
「それはアンタが魚だからでしょーが!」
花中達が叱っても、フィアは首を傾げるだけ。親に育てられた経験も子を育てる本能もないフィアに、子供を放置する事がどれだけ不味いかなんて分かる筈もなかった。
それに自分達もキャスパリーグの子供達から目を離していたのだから、結果的にフィアと同罪である。一方的に責めるというのは身勝手が過ぎるというものだ。自己嫌悪は花中の心を蝕み、お陰でパニック状態の頭が少しだけ冷める。
「うおおぉーいっ!? お前達何処行ったーっ!?」
だからこそフィアに責任を押し付けるよりも、キャスパリーグのように子供達を探す方が先決だと気付けた。
「あ、あの! キャスパリーグさん! お子さん達の名前は!?」
「あ、ああ。クリュとポルだ。雌の方がクリュで、雄がポル」
「クリュちゃんと、ポルくんですね。分かりました、わたし達も探します!」
「私も近くを探してみるわ。とはいえ、ミュータント化してるならこの辺りにいる保証もないけどね」
花中に頼まれる前に、ミリオンはその身体を霧散させる。ミィも姿を消し、キャスパリーグも目に見えない速さで動き出した。
残る花中は、フィアと向き合う。
「フィアちゃん! キャスパリーグさんの子供達の臭いって、追える!?」
「ふふんそのぐらい余裕です。花中さんのお頼みであればやってみせましょう」
花中の頼みを受けたフィアは、花中を抱き上げるやくんくんと鼻を鳴らす。フィアの嗅覚は文字通り人外レベルの鋭さ。雨などで消えない限り、キャスパリーグの子達を追うのは造作もあるまい。
フィアはすぐに方向を定めるや、軽い足取りで跳躍。十数メートルもの距離を一瞬で跳び越えながら進む。車のような速さだ。これならキャスパリーグの子供達が遠くに行っててもすぐ追い付けるだろう。
同時に、キャスパリーグの子供達がかなり遠くまで行ってしまった事も物語っていた。
「しかし解せませんねぇ」
跳びながら、フィアがぽつりと疑問の言葉を漏らす。抱かれたままの花中は顔を上げ、怪訝そうなフィアの表情を見た。
「えと。何か分からない事があるの、フィアちゃん?」
「何かも何もどうして花中さん達が慌てているのかが分かりません。子供をわざわざ守る事についてはまぁ好みとか趣味みたいなものだと思えば理解出来なくもありませんが……何故こんなにも慌てて探すのです?」
「それは、小さい子は未熟だから……」
「ミュータントになっているのですから未熟でもなんでも別に慌てる必要はないと思いますけどねぇ」
花中の答えに、やはり納得出来ないとばかりにフィアは自分の意見を述べる。
その意見は、確かに正しい。幼いとはいえミュータント化しているのだ。庭で見せていた身体能力からして、人間に駆除されてしまう危険がないのは間違いない。
しかし、心はどうか。
哺乳類の子供の心は未熟だ。というより『学習』による臨機応変な成長を行うためには、可変性のある心を持たざるを得ない。キャスパリーグの子供達は人間の幼子のように無垢な姿を見せていたが、アレは演技ではなく本心の筈である。
何も知らない子供であるなら、騙そうとする輩が現れても不思議ではない。急いで親の監視下に入れなければ、危ない思想の持ち主に唆されて、人間的な意味でのテロや犯罪に荷担させられ……
「もしも、悪い人に唆されたら、大変だもん。だから早く見付けて、守らないと」
「ふーむ。どんな人間とつるもうが本人の勝手だと思いますが……まぁ会わせたくないと思うのも勝手ですね」
花中の説明にフィアは納得こそしなかったが、興味がない故にその考えを尊重する。人間とは違うフィアの『優しさ』に、花中は頬を緩めた。
フィアがやる気になってくれたなら、すぐにキャスパリーグの子供達は見付かるだろう。
先程は不安を語ったが、可能性自体は高くない筈だ。案外子供らしい純粋な正義感から、不埒者をボコボコにしてヒーローになっているかも知れない。悪い方ばかりに考えるのはまだ早いだろう。
大丈夫。きっと、きっと。
花中は、そう祈るのだった。
どうにも自分の父親は、自分達の事を縛り過ぎている。
キャスパリーグの娘であるクリュは、常々そう思っていた。アレが危ないから離れろだの、あそこは危ないから近寄るなだの……しかも同じ事を何度も言ってくる有り様。
それが父親の愛情によるものなのは分かっているが、子供もまた自我を持つモノなのだ。あまりぎゃーぎゃー言われても鬱陶しい。自分の事は自分でやりたいし、偶には自由になりたくもなる。
ましてや、普段深入りを禁じられている『人間』と父親が話をしているところを見せられたなら。
――――ちょっとした反抗心を持ってしまうのも、仕方ないだろう。
「ねぇ、クリュ。そろそろ帰ろうよ」
そう考えていたクリュであったが、兄弟であるポルは違う考えらしい。クリュは足を止め、振り返る。
「どうしてよ、これからが遊びの本番じゃない」
「でも、パパにあまり人間と話しちゃダメって言われてるし……」
ポルは身を縮こまらせ、怯えるように辺りを見渡す。
クリュ達がいるのは、たくさんの人間が行き交っている駅前の広間だった。この地域の中では一番大きな駅で、周りにはたくさんのお店が並んでいる。平日の夕方だというのに人の姿は途絶える事を知らず、むしろ十分置きに駅から出てくる人の数は、刻々と増えていた。そしてそうした人間達は、胸や股間を毛皮で覆っているだけの二匹にチラチラと視線を向けている。
正しく人間だらけの場所だ。人間嫌いなパパなら、絶対に立ち入り禁止を命じてきただろう。
だからこそクリュはやってきた。
「そのパパが人間と話してたんじゃない。パパだけズルいわ、人間とたくさんお喋りするなんて。わたしがお願いしても、何時も駄目だって言うのに。猫同士のお喋りも悪くないけど、やっぱり『ちてき』になったんだから、こう、エレガントなお話がしたいじゃない。それが出来るのは人間しかいないわ」
「でもあの人間は、他の人間とちょっと違うよ。近くに居たの、人間じゃないみたいだし。だから何か、大切なお話があったんじゃないかな」
「……それはそうかもだけど」
ポルの意見に、クリュは反論出来ない。
反論は出来ないが、感情的に納得出来るかは別問題だ。
パパが大好きで、大好きだからこそ裏切られた気持ちになったクリュにとっては、特に。
「とにかく! 今なら人間とお喋りし放題よ! パパに見付かる前にたくさんお話ししてやるんだから!」
「う、うん……良いのかなぁ」
「良いの良いの! 行くわよ!」
ポルを引っ張り、クリュは駅から出てきた人間の一人に近付く。スーツを着た、若い男だ。
「ねぇねぇ、あなたなんでそんな黒い服を着て」
クリュは恐れも遠慮も知らず若い男に声を掛け、
「五月蝿い、あっち行け」
あっさりと門前払いされてしまった。
「ぇ、あ、ごめんなさい」
「くそ、なんで俺が一年も就職出来ねぇんだ……これも全部怪物共の……」
反射的に謝ってしまうクリュだったが、若い男はぶつぶつと呟きながら何処かに行ってしまう。
どうやら機嫌が悪かったらしい。そういう日もあるだろう。自分にもあるので、あの人間の気持ちはよく分かる……とクリュは思う事にした。
気を取り直し、クリュは再び人間に声を掛ける。私服姿の太った人間だ。春なのに汗を掻いており、人間からするとちょっと体臭がキツい。とはいえ産まれてこの方雨水以外受けた事のないクリュ達と比べれば、彼の体臭など圧倒的無臭だ。クリュは気にせず歩み寄る。
「ん、ふひ、ふひひひ」
……クリュを、それからポルを見た途端男は怪しい笑い声を漏らしたので、クリュ達は同時に後退りした。何をされたところでボコボコに出来ると思うが、なんというか、気持ち悪い。
クリュ達はそそくさと逃げ出した。人間では追跡不可能な、音速に迫るほどのスピードで。
「な、なんか思ってたのと違う人間ばかりなんだけどぉ!?」
「や、やっぱり、帰ろうよぅ。なんか怖いよ……」
「ぐぎぎ……でも……」
一秒で三百メートルほどを駆け、足を止めたクリュにポルが帰りを促す。二度の失敗によってクリュから自信は消えていたが、言い出しっぺという立場からそれを素直に認める事が出来ない。
このままでは上手く人間とお話出来るなんて思えない。だけど勝手な行動を起こした以上、何もしないままパパの下には戻りたくない。矛盾した想いが頭の中をぐるぐると駈け回り、前に進まない思考は身体の動きをも阻んで――――
「お困りですか?」
誰かが、声を掛けてきた。
ぞわりとした悪寒が、クリュの背筋を駆ける。ポルも同じく悪寒を覚えたのか、その身を強張らせた。
クリュ達は反射的に声がした方へと振り返る。
そこには、小さな子供が居た。
外見から判断するに、歳は十歳に満たない程度だろうか。クリュ達が取っている姿と大差ない年頃だ。髪は金色に輝いており、熟した稲穂のように美しい。顔立ちは人形のように不気味なほど整っていたが、自信に満ちた笑みがその顔に生気を与え、活き活きとした魅力を加える。服装はエプロンドレスと呼ばれる類の ― 端的にいえば幼女によく似合う ― ものを着ており、華奢で幼い容姿の少女とよくマッチしていた。
一言で語るならば美少女だ。手足や身体付きは華奢で、クリュ達の父親のような『強そう』な見た目ではない。
だが、クリュは震えた。
コイツは何かヤバい。本能がそう訴えている。戦って勝てるかどうかではなく、何かもっと、違う意味で関わってはいけないような……
「怖がらなくて良いのですよ。私は、あなた達と敵対しようなんて考えていません。むしろあなた達の困り事を解決しようかなと思いまして」
そう思っていた矢先、少女の方からクリュ達に接近してくる。
離れた方が良さそうだ。クリュはそう考えた。
「……別に困ってなんて」
「人間とお話ししたいんじゃないですか? それもエレガントな感じに」
しかしクリュが誤魔化そうとすると、謎の少女は平然と自分達の目的を言い当ててきたではないか。
恐ろしい事だった。人間と話したがっているというところを見抜くだけなら、遠くから自分達の事を監視していれば分かるだろう。しかしエレガントに話したいというのは、見ているだけでは分かる筈がない。それは少し前に、クリュが何気なく声に出した一言だけが示しているものだから。
なら、コイツは聞いていたのだ。
声が聞こえるぐらい近くで、ずっと……幼いとはいえ強い本能を持つ
恐ろしい。不気味だ。されどそれが同時に、勝ち気なクリュの興味を惹いた。
「……なんでわたし達を助けようってのよ?」
「おや。困っている方を助けるのに理由が必要ですか?」
「そうとは、限らないけど」
「ならば良いではないですか。細かい理由なんてどーでも」
「……怪しい」
「怪しいなら逃げれば良いのでは? 追いませんよ、別に」
猜疑心を隠さずにいても、少女はまるで動じない。それどころか図星を平然と突いてくる。
しかし、その言葉に悪意は感じない。
会話していてずっと思っていた事だ。どんな言葉にも、少女は悪意の感情を含めていない。少なくとも自分達を殺してやろうだとか、苦しませてやろうだとか、そんな考えはないようだ。
なら、話だけでも聞いてみようか。
「……良いわ。聞かせてよ、人間とお話しする方法」
「く、クリュ。やっぱり止めた方が」
「アンタは黙ってなさい」
ポルの制止を無視して、クリュは少女と向き合う。
少女は笑った。天使のように無邪気で、何一つ悪意がない、素敵な笑み。
その笑みと共に、少女は告げるのだ。
「簡単な事です。エレガントなお喋りをするには、エレガントな場所が必要。ならば私達で作れば良いのです……エレガントな空間を、ね」
無邪気故に、大胆な『提案』を――――
子供から目を離してはいけません。
うん、ほんと何するか分かりませんよ。
次回は明日投稿予定です。