工廠へと向かう廊下に足音が一つ。
手に持ったレシピ集を確認しながら、龍二はこの後の建造について思いを巡らせる。
「戦艦2隻を狙うか、それとも戦艦と空母を1隻ずつ…。コスト削減のために重巡と空母って手もあるけど、戦艦相手にどこまでやれるのか…」
ぶつぶつと呟きながら、それでも足は止めない。
のらりくらりと躱してきた大本営からの出撃要請だが、今回ばかりは出撃せざるをえなさそうだ。
なにせ今回の目的は「製油所地帯沿岸の防衛」である。
この作戦が失敗すれば、輸入に頼れない現在ただでさえ厳しい燃料事情がさらに悪化するのは目に見えている。
もちろん鎮守府の運営にも燃料は必須である以上、それだけは避けねばならない。
しかも作戦決行は1週間後。
建造だけならまだしも、確実に任務を遂行するために錬度を上げる必要もある。
正直なところ、1週間では足りないくらいである。
「でも戦艦レシピで狙ったところで、必ずしも戦艦が出るわけじゃないしなぁ」
先ほどから思考が堂々巡りしている気もするが、戦艦級の深海棲艦の実力が如何ほどなのかが分からないので仕方ない。
今まで出現した深海棲艦は駆逐級、軽巡級、雷巡級のみで、戦艦級どころか重巡級ですら未知数なのである。
だとしても、こちらも艦娘達の命がかかっている以上、何としてでも最善策を取らなくてはならない。
一瞬、頼れる初期艦殿に相談してみるかとも考えたが、慌てて考え直す。
現在叢雲は近海の哨戒中であり、普段から頼りっぱなしの彼女にこれ以上気苦労を与えたくない。
それに…
「いつまでもおんぶにだっこじゃあ、格好付かないもんな…」
半ば強制的に提督にされたとはいえ、龍二にもプライドというものがある。
今の頼りっぱなしな現状で「何がプライドか」と言われそうだが、それでも貫き通したい思いがある。
愛する彼女との平和な暮らしを目指す、という思いが。
今でもその思いは変わっていない。はずなのに…
「今朝はやっちまったなぁ…。なんで拒まなかったんだよ、俺…」
いつの間にか思考は今朝の風呂場での出来事にシフトしていた。
神通との混浴&キス未遂事件である。
愛佳という人生で初めての、そして最愛の恋人がいるにも関わらず、神通に迫られそれを止めることができなかった自分を恨む。
学生時代は色恋沙汰などには縁が無く、唯一親しく接していた女性は祖母と愛佳のみ。
そんな女慣れしていない龍二にとって、今朝のような色っぽい出来事はまさにクリティカルヒットな訳だが、自分をずっと見守ってくれていた愛佳の手前、どうしても一途でありたいのだ。
…龍二本人は知らないが、愛佳の尽力で学校生活に溶け込めるようになってからというもの、龍二に思いを寄せる女性は日に日に増えていった。
祖父母譲りの優しい性格、飛びぬけてはいないものの程よく整った外見、そして最終的には首席で卒業するほど学力も優秀。
おまけに愛佳のお蔭で日常生活でも笑うことが増え、本人の与り知らぬ所でフラグがばっさばっさと起き上がっていったのだった。
残念なことに、その頃には既に龍二と愛佳の間には長年連れ添った夫婦の様な雰囲気があり、既に2人は付き合っているという噂も蔓延していたこともあって、それらのフラグ群はバッキバキにへし折られるわけだが。
「それにここ最近、妙にみんなが寄ってくるような気がするんだよな…」
実際の所最近ではなく最初からなのだが、鎮守府の運営が始まったころは忙しくてそれどころではなかったのだから仕方ない。
最近では食事やお茶会に誘われる事など日常茶飯事。そして極め付けが今朝の事件である。
みんなに嫌われていないことを喜ぶべきか、それとも男女の節度を守るようにと叱責するべきか…。
そんな事を悩みながら工廠へと向かう。
向かう途中に用事を済ませるために持ってきた小銭を、左手でこねくり回しながら。
◇
「よしっ、綾波さんのはこれで大丈夫かな。次は…敷波さんの艤装ね」
工廠の片隅で、明石は汗だくになりながら艤装のチェックを行う。
いつもの制服ではなく下はツナギ、上はTシャツ1枚という工場のおっちゃんチックな服装なのだが、真面目な顔で艤装のチェックを行う明石にはこれ以上ないくらいに似合っていた。
…女性としては悲しむべきなのだろうが、似合っているものは仕方ない。
本来であれば酒保の営業が仕事なのだが、工作艦として簡単な艤装のメンテナンスを行える明石は、時折こうして工廠での仕事を頼まれる。
今回は出撃メンバーと遠征メンバーが同時に帰還してしまい、妖精だけではメンテナンスが追い付かないということで急遽依頼されたわけだ。
本人も機械いじりが好きなようで喜んで頼まれてくれるので、龍二としても非常に助かっている。
「でも流石に今日は暑すぎね…。早く終わらせてお風呂に入りたいなぁ」
そこまで呟き、ふと今朝の騒動を思い出す。
朝一で起こった大事件の噂は瞬く間に広がり、朝食の時間には既に全艦娘の耳に入っていた。
(神通さん、勇気あるなぁ…。もしその場にいたのが私だったら…)
そこまでできただろうかと考え、あまりの恥ずかしさに慌てて妄想を掻き消す。
妄想の時点でこれでは、話しかけるどころか気絶してもおかしくないかもしれない。
思わぬ形で神通との差を見せつけられた明石は、艤装をいじる手を止めつつ少しだけ凹む。
確かに神通とは違い戦闘向きの能力ではないし、最初はただの一目惚れだったのかもしれないが…
(私だって、提督のこと…)
私という存在を生み出してくれたこと、出会った時に見せてくれた太陽のような笑顔、いつも私達の体を気遣ってくれる優しい性格。
きっかけはどうであれ、彼を慕う理由などいくらでも出てくる。
それだけに、今回の事件は明石にとっていろいろな意味で大打撃だったのだ。
「いけない、こんな気持ちのまま仕事してちゃダメよね」
ネガティブな思考に満たされそうになる頭をブンブンと横に振り、気合を入れなおす。
私に出来ることを最大限にこなす、これが今の私にできる精一杯のアプローチ。
いずれ私も勇気が持てたら、その時に改めて行動すればいい。
「よしっ、残りの作業も頑張りますかっ!」
すっぱりと気持ちを切り替えた明石は、再び艤装のメンテナンスに戻る。
目に汗が流れ落ちるのも構わずに作業へ没頭していく。
そんな明石の背後から、ゆっくりと物音を立てずに忍び寄る影が1つ。
その人影は手に持っているものを明石のうなじへ押し当てると…
「お疲れさま、明石」
「わっひゃあああああああああああああ!!!」
「うおっ!?」
思いっきり集中していた時に冷たいものを首に当てられ、思わず手に持っていたスパナを放り投げながら立ち上がる明石。
そしてそのスパナが頭部に当たるのをギリギリ躱す龍二。
工作艦とはいえ艦娘の力で投げられたスパナが頭に当たっていたらどうなっていたことか。
ちなみに首に当てられたのはスポーツドリンクで、龍二が途中の自販機で差し入れの為買ったものである。
「てっ、ててて提督!?」
「す、すまん。そこまで驚くとは…」
「もうっ、メンテナンス中はいろいろと危険なんですから、もう驚かさないで下さいね!」
「ああ、危険性は身をもって経験したからもうしない…」
「?」
あまりにビックリしすぎたせいで、手からスパナがすっぽ抜けた事に気付いていない明石。
ポカンとしている明石に、手に持っていたスポーツドリンクを渡す。
「なんでもないよ。…改めて、これ差し入れね」
「あ、ありがとうございますっ!」
受け取ったスポーツドリンクをプルタブを剥がし、一気に流しこむ。
身体の内側から冷えていくような感覚が実に心地いい。
「ごめんな、こんなに暑い日にメンテナンス頼んじゃって…」
「いえいえ、気にしないでください。機械いじりは大好きですから!」
「でもこの暑さだし、熱中症や脱水症になったら大変だからね」
「提督…そもそも私達艦娘って熱中症とかになるんでしょうか?」
「それは…わからん!」
そう言って2人で笑いあう。
ああ、この空気のなんと居心地のいいことか。
彼はどの艦娘にも分け隔てなく接してくれる。
もちろんその笑顔を独占したいという気持ちもあるが、非戦闘艦である私にもこうして笑いかけてくれる…今はそれで十分だ。
そんな事を考えていると、急に龍二の顔が真顔になり、その後耳まで真っ赤になり、最後にはぷいと横に逸らされてしまった。
「あ、あの提督、どうかしましたか?」
「いや…」
「私なにか失礼なことをしちゃいましたか…?」
「そういうわけじゃないんだが…あの、な…」
「??」
「俺も今気づいたばかりなのは信じて欲しいんだが…その、服が…な」
「服?……っ!!?」
龍二に促され自分の服を見て見ると、そこには肌色の双丘とそれを支える布地がぴっちりと張り付いていた。
なんとなく選んだTシャツの白が、それらをキッチリと浮き上がらせている。
「………い」
「…い?」
「いやああああああああああああああっ!?!!?」
「ふごっ!?」
あられもない姿に気が付いた明石は、作業中であることも忘れ工廠を走り去っていく。
去り際に投げられたアルミ缶が龍二の額に命中するが、幸いなことに飲みきった後だったので大事には至らなかった。
…死ぬほど痛かったが。
「あーあ、やってしまいましたなぁ」
「いつつ…見てたんですか」
「最初の悲鳴の段階で、みんなの注目の的になってましたよ」
そう言うと工廠長は周りを見渡す。
龍二もそれに倣うと、コンテナの上やら柱の陰からこちらを除く妖精たちの姿があった。
「今朝の騒動といい、何だかんだでいい思いできたんじゃないですか?」
「やめてくださいよ、大変だったんですから…」
「こんなところにまで噂が…」とため息交じりにぼやきつつ、工廠長に戦艦と空母レシピでの建造をお願いする。
戦艦や空母は建造に時間がかかるらしく完成は明日になるとのことなので、とりあえず明日からの予定を考える。
ちなみに、工廠長は最後までニヤニヤしていた。さすがは面白い事が大好きな妖精である。
◇
時刻は二二三〇。
いつも通り大淀と本日の秘書艦である叢雲を部屋に帰らせた後、残業する気にも眠る気にもなれなかった龍二は1人防波堤を歩いていた。
昼間の暑さが残っていて寝苦しいというのもあるが、それ以上に気になるのが艦娘達との距離だ。
恋人がいるというのにこの体たらく…情けないことこの上ない。
「はぁ…」
愛佳への罪悪感から、本日何度目か分からないため息が出る。
あの後は特に事件も無かった(そうそうあっても困るが)のだが、今ですらこの状態なのだから、執務も上の空だったことは否めない。
恐らく叢雲や大淀には気付かれていただろう。
その証拠に、龍二の隣に1つの人影が現れた。
「今日はずいぶん参ってるみたいね」
「叢雲か…どうした?」
「暑すぎて眠れないから夕涼みに来ただけよ」
「そうか…」
もちろんそれは建前で、ただ単純に龍二が心配だっただけなのだが。
龍二も気づいてはいたが、余計なことを言って怒らせても仕方ないので黙っておく。
「今朝の事、まだ気にしてるの?」
「…」
「あれは神通さんの方が迫ったんでしょ?」
「ああ、そうだけど…信じてくれるのか?」
「アンタみたいな気弱な男に、そんな勇気あるわけないでしょ…」
「ぐぅ…」
言い返したいところではあるが、的を得ている為思わず閉口してしまう。
確かに神通と同じ立場に立った場合、あんな大胆な行動をとれる気がしない。
「…そんなに艦娘と恋仲になるのが嫌?」
「いや、そういうわけじゃないんだ」
「…まさか神通さんが嫌いなの?」
「それも違う。彼女も含め、みんなの事は心から信用してるよ」
「…じゃあ、何をそんなに悩んでるの?」
…今思えば、この時がある種運命の分かれ道だったのかもしれない。
いずれ知られていた事だとは思うが、言うタイミングを考えれば違う未来があったかもしれない。
未来の自分がぼやいているが、今の龍二がそんな事を知る由も無く。
そして特大の爆弾を落としていくのであった。
「故郷に…残してきた恋人がいるからさ」
「……………は?」
たっぷり5秒は溜めただろうか。
何を言ってるのか分からない、といった感じの声が思わず叢雲の口から出る。
すっかり冷えた夜風が、静かに2人の間を流れていく。
これからの大騒動に備えるかのように、ただただ静かに…
ついにバレましたね
艦娘達はどう出るのか?