「は……はっ……ハックシュン!!……うう、さびぃ……」
「うわ、これまたすごいくしゃみですね……」
「対策はとってたんだが、どうにも間に合わなかったっぽいな……ズズッ……」
「うぅ……ごめんね、司令官……」
「いや、俺が貧弱すぎただけだよ。イムヤが気に病むことは無いさ」
本日の秘書艦である大淀に大層心配され、イムヤには泣きそうな顔で謝られる。
原因は何であれ、ただの風邪で泣かれては精神的に堪えるので、とりあえず頭を撫でつつイムヤを慰める。
もうそろそろ梅雨入りかと言わんばかりの暑さにも関わらず、鼻水とくしゃみに耐えながら執務をしているのはもちろん龍二である。
「むしろこの機会に、提督には体を休めてもらいましょう」
「別に疲れてる訳じゃないぞ?」
「そんな訳ないじゃないですか。知ってるんですよ?秘書艦が帰った後もひっそりと仕事してるの」
「うげ……」
「そうなの?司令官がんばりすぎよ……」
「未だに書類仕事とか苦手でさ……その位しないと間に合わないんだ。かと言って遅くまで秘書艦をお願いするのも悪いし……」
「それで体調を崩されては本末転倒です!とりあえず今日はもうお休みください。あとの執務は私の方でやりますので」
「いや、でもそういう訳には……」
「デモもへったくれもありません!そんな状態の提督に仕事させられる訳ないじゃないですか。いいからベッドへGOです!」
「わ、わかったよ……」
大淀に背中を押されながら執務室を追い出される龍二。
そんな龍二の背中を、イムヤは心配そうに見つめていた。
「ふぅ……これでやっと休んでもらえますね。あとで明石に診察をお願いしておかないと……」
「大淀さん、私も執務手伝うわ!……司令官は気にするなって言ってたけど、やっぱり私が原因だから……」
「イムヤちゃん……」
必死な表情で手伝いを買って出るイムヤを思わず見つめてしまう大淀。
季節の変わり目だとか、鍛え方が足りないとか、理由は幾つかあるかもしれないが、最も大きな原因とすればやはり自分が一番に来るだろう。
時は昨日に遡る……
◇
イムヤが着任してから早1週間。
鎮守府唯一の潜水艦という事で、イムヤはいろいろな面で重宝されていた。
この日も、鎮守府の駆逐艦や軽巡洋艦の対潜演習に駆り出されていたところだった。
「では本日の対戦演習は、阿武隈を旗艦に響・初春・皐月の4人で行う」
「「「「はい!」」」」
「イムヤ、ここ最近ずっと演習に駆り出しちゃってるが……大丈夫か?」
「大丈夫よ、任せて司令官!」
「ありがとう。もし辛かったらすぐに言ってくれよ?演習とは言え危険が無いわけじゃないんだから」
「分かったわ!」
「では各自所定の位置へ移動してくれ」
提督の指示のもと、今回の演習メンバーが所定の位置まで移動していく。
私も移動を始めるが、どうにも今日は体が重い気がする。
(司令官の言う通り疲れが溜まってるのかな?)
先ほどの龍二の言葉を思い出し、一瞬報告しておこうと思ったが、すぐに思い直して移動を再開する。
せっかく司令官が頼ってくれているのだ、そこへ水を差すようなことはしたくない。
それに、最初こそ戸惑いが大きかった鎮守府メンバーの対潜行動も、最近はまさに成長期と言ったところだ。
ここで下手に歩みを止めてしまうより、伸ばせるときに伸ばした方がいいだろう。
そんなことを考えつつ所定のポイントまで移動し、身を隠すために潜航を開始する。
ある程度まで潜ったあたりで空砲が鳴り響き、演習が開始されたことを告げた。
(さて、そろそろこっちも行動開始かな?)
所定のポイントで潜っているだけでは演習にならないので、こちらも移動を開始する。
移動を始めて間もなく、艤装からいつもとは違う異音が奏でられている事に気付く。
(あれ、何か変な音が……それにスピードも出ない……)
艦娘は、艤装が損傷した際にそのダメージが衣服や身体に一部フィードバックされる。
逆もまた然りで、日常生活で身体の方が異常をきたせば、最悪艤装にまで影響を及ぼしてしまう。
もちろん艤装単体が不調になる場合もあるが、その辺りの見極めは今の所妖精に頼るしかない。
(マズい、みんなもう来てる!とりあえず浮上して皆に知らせないと……メインタンクブロー!)
演習用の爆雷(妖精作。殺傷能力はないが衝撃は発生する空砲のような爆雷)とはいえ、当たり所がマズければ最悪の場合もあり得る。
とりあえず演習の中止を呼びかけるために浮上しようとするが、何度試みてもメインタンクが反応しない。
(嘘、ブローできないなんて……)
阿武隈達がすぐ傍まで来ているのか、水上艦の航行音が聞こえてくる。
魚雷を警戒しながらも真っすぐこちらへ向かってきている所を見るに、既にソナーでこちらの場所は把握されているだろう。
このまま留まれば爆雷の雨あられが降り注ぐのは火を見るよりも明らかだが、いかんせん航行も浮上もできない。
迫る危機に慌てて対処法を考えるイムヤだが、無情にもその上から爆雷が投下される。
そしてイムヤの眼前で炸裂し、彼女の意識を刈り取っていった。
◇
「イムヤ!!」
「提督、ちょっと落ちつ……あーもうっ!」
演習の一部始終を、船に乗って至近距離から見ていた龍二は、無線で阿武隈が『イムヤが浮上して来ない』と言った瞬間に海へ飛び込んだ。
一緒に乗っていた大淀が止めようとするも一歩及ばず、ボートの脇に大きな水柱が上がった。
慌てて飛び込もうとした大淀だが、不幸な事に艤装を背負ってきてしまった為、このまま飛び込んでも海上に浮かんでしまう。
かと言って妖精が居ない状態で艤装を外すのには時間がかかるため、とりあえず思い止まるしかなかった。
「提督、無事でいて下さいね……!」
ボートに備え付けの工具で艤装の解除に取り掛かった大淀は、祈るようにして海上を見つめていた。
◇
「それでイムヤちゃんを助けたはいいが、鎮守府までずぶ濡れの状態で帰ってきたと……ん~、38.4度……普通に風邪ですね」
「いやはや面目ない……」
「全く、提督は無茶しすぎです!今回はただの風邪だからよかったものの、重いケガや病気を患ったら万が一があるんですからね?私の専門は人間じゃなくて艦娘の修理なんですから」
「でも風邪くらいでイムヤを助けられたんだ、安いもんだろ?」
「もちろん仲間を見捨てろ、なんて事は言いませんよ。ただ、それくらい皆提督の事を心配してるって事は理解してくださいね?」
「ああ、肝に銘じておくよ」
「ならいいです。とりあえずあとは安静にして、栄養のあるものを食べれば大丈夫です。食欲はありますか?」
「ああ、大丈夫そうだ。おかゆや雑炊みたいなやつなら食べられそうだ」
「なら間宮さんに作ってもらうようお願いしときます。それまでちゃんと安静にしてて下さい」
「わかったわかった」
風邪の様子を見に来てくれた明石が、食堂へ向かう為龍二の私室を出ようとする。
と、そこで一度足を止めた明石はこちらを振り向くと、「思ったより早く食事にありつけそうですよ?」と言いながら去っていった。
どういう意味だ?と一瞬疑問に思ったが、すぐに理由が理解できた。
お盆に一人用の土鍋を乗せたイムヤが、すれ違いで入ってきたからだ。
「司令官、具合はどう?」
「熱はあるけど寒気はもう収まったし、だいぶ落ち着いたよ」
「よかった……」
「だから心配するなって言ったろ?ただの風邪なんだから」
「それでもごめんなさい……」
何だかんだで真面目なイムヤは、どうしても自分が許せないのだろう。
どうしたものかと考えていると、ふと手に持っている土鍋の存在を思い出した。
「イムヤ、その土鍋はもしかして……」
「あ、そうだった。間宮さんに習って卵雑炊を作ってみたの。美味しいかどうか分からないけど……食べてくれる?」
「ああ、ちょうどお腹すいてたんだ。ありがたくいただくよ」
「よかった!じゃあ準備するからちょっと待っててね!」
そう言うや否やベッドの脇に膝立ちになったかと思うと、自ら手に取ったレンゲで雑炊を掬いはじめた。
これはまさか……
「ふーっ、ふーっ……は、はい司令官、あーん」
「ちょっ、イムヤ?自分で食べられるぞ?」
「私がしてあげたいの!……だめ?」
「ダメってことはないけど……」
「じゃあはい、あーん!」
「いや、あの……」
「あーん!!!」
「……はむっ」
どうしても「あーん」をしたいのか、頑なに食べさせようとしてくるイムヤに折れた龍二は、掬われた雑炊を頬張る。
……うん、うまい。
程よい塩気とふわっとした卵の食感がなんとも心地良い。
間宮に教わったからか、それともイムヤの元々の腕が良いのか分からないが、とりあえず龍二を想ってしっかりと作られている事が分かる、あたたかい味だった。
「はふはふっ……うん、すごく美味しいよ、イムヤ」
「ホント!?よかったぁ♪……じゃあ次、はいあーん!」
「……これ最後までやるの?」
「もちろんよ!」
「マジか……まあ風邪の時位は素直に甘えるか」
どうせ何度言ってもこちらが折れる未来しか見えないので、恥ずかしさはあれど早々に抵抗を諦める。
そんな恥ずかしがっている時間も長くは続かず、いつの間にか土鍋は空になっていた。
「ふう、ご馳走さま」
「お粗末様でした!」
「お腹いっぱい食べたら眠くなって来たな……」
「なら寝ちゃった方がいいよ!今は体を休めないと……」
「それもそうだな……ふあぁ~、悪いけどこのまま寝るわ」
「うん、わかったわ!」
程よい眠気に誘われた龍二は、そのまま体をベッドへと預ける。
心地良い満腹感は眠気をさらに加速させ、すぐに意識が薄れ始めた。
沈みゆく意識の端で、なにやらもぞもぞと蠢く気配を感じてなんとか目を開けると、提督指定(本人談)のスクール水着一枚になったイムヤがベッドへ潜り込もうとしていた。
「っておい!何やってんだイムヤ!」
「へ?いや、こういう時は人肌で温めるのが良いって聞いて……でも恥ずかしいから水着だけ残したんだけど……」
「……一応聞いておくけど、誰に聞いた?」
「青葉さん」
「やっぱりか……この前の罰が甘かったらしいな……倍プッシュだ」
「??」
間違った知識を植え付けられた事に気付いていないイムヤは、頭にはてなマークを浮かべていた。
まあ全てが間違いじゃないかも知れないが、付き合ってもいない異性にやるべき事ではないのは確かだ。
とりあえず首を傾げているイムヤに説明しようとした瞬間、部屋のドアが勢いよく開かれた。
「イムヤちゃん、そこまでは許してませんよ!」
「大淀が気付かなかったら危ない所でした……」
「大淀さんに明石さんも……」
「……これは面倒な事になってきたぞ」
責任を感じているイムヤに看病を任せはしたが、まさか添い寝まで行くとは思っていなかったのだろう。
怒り心頭な2人だが、どうせ数分後には矛先が青葉に向いているだろう。
……仕方ない、俺からの罰は無しにしておいてやろう。
「提督もっ!そうやって油断してたらあっさりと食べられちゃうんですからね!」
「今の提督はオオカミの群れの中の羊なんですから!」
「うわ、とばっちりが来たよ……」
「やっぱり司令官は人気者ね!」
「今は嬉しくないな……」
もはやイムヤそっちのけな2人に、ただただ苦笑を浮かべているイムヤ。
とりあえず、俺から青葉への制裁が一瞬で復活した事は言うまでもない……
青葉が完全に被害担当艦になっている件について。
まあ自分が蒔いた種だからね、仕方ないね。
そしてまたもイムヤネタになってしまいました。
他の艦娘も書けよ!と言われそうですね。申し訳ありません。