神を殺す、その日まで。   作: 紫水晶

5 / 5
※7月2日 4:00に追記しました。


第5話 白と黒 ―VS 神酒―

「ふっ!」

「ギャァ!!」

 

左足で踏み込み、右手に握った短剣で袈裟切りを繰り出す。

それだけで目の前のゴブリンは胴体が真っ二つになり、崩れ落ちる。

 

「せっ!」

「ギイッ!?」

 

短剣を振り切った体勢から、前に踏み込んだ勢いを殺さぬよう体を前に流すように意識する。

そのまま右足を踏み出し、左から右へと水平を意識して右腕を振り抜く。この時、インパクトの瞬間に右手のスナップを効かせることを忘れないようにする。

すると、ゴブリンの後ろで機会を伺っていた2体目のゴブリンが断末魔をあげた。短剣の手応えから絶命したことが分かる。

 

「はっ!」

「グガアッ!?」

 

右方向に流れる体に逆らわず、握り拳を作った左手を右側から迫っていたコボルトの顔面に向けてコンパクトに振り抜く。

僕の攻撃が終了したと思っていただろうコボルトは、その碌に防御できないまま犬歯を宙に舞わせつつ吹っ飛んでいった。

でも、これで終わりじゃない。

 

「「ガアアッ!!」」

 

3体のモンスターから離れて見ていた2体のコボルトが、僕に吹っ飛ばされた同胞には目もくれずに襲い掛かってくる。

隙を見せた獲物に襲い掛かるその様は、まさに獣だ。

 

「せやぁっ!!」

 

でも、僕が見せたのは隙じゃない。エサだ。

僕の身体は右方向に回転しようとする。

僕は、右方向に回転しようとする体を加速させるように左足のつま先に力を入れて、右方向へギュっと体を絞るようにツイスト回転を加えて跳躍する。

そのまま右足のつま先を腰当たりの高さまで浮かせ、僕の身体に集まっている回転の力を全て右足のかかとへと集めて思い切り振り抜く。

 

「「――アアッ!?」」

 

そうして繰り出された僕の後ろ回し蹴りは、カウンターとなってコボルト達を2匹纏めて蹴り飛ばした。

冒険者として4カ月もの間戦い培ったステイタスは、蹴りだけでコボルト達を絶命まで追い込んだみたいだ。

 

「よし、終わり!」

 

4階層に降り立った直後、僕の目の前で誕生した5体のモンスターとの一戦は僕の勝利で幕を閉じた。

多対一の戦闘も、4階層までのレベルなら少しは慣れてきた。

 

◇◇◇

 

彼女、リュー氏と出会ったあの日。

彼女は、右手に握った木刀を中心に、左手や両足といった四肢を用いた体術を交えてモンスターを蹂躙していた。

そして思った。

彼女の戦い方はとても参考になる、と。

 

『短剣やナイフを使う人は、体術や武術を併用している人が多い』

 

これは、僕のアドバイザーであるフリージアさんの先輩であるアイナ・チュールさんの言葉だ。

彼女がアドバイザーを務めた冒険者の中には現在第一級冒険者として名を馳せている人がいるらしく、だからか言葉に説得力があった。

確かに、今はまだいいものの今後大型のモンスターが出てきた際、短剣でしか攻撃できないと攻撃を受け止められて反撃を受けてしまう。短剣の攻撃力は決して高いほうではないんだから。

短剣の長所である取り回しやすさ、小回りの良さを活かすならば、体術や武術を含めた連撃が最も適したバトル・スタイルということ、らしい。

 

特に僕の場合、短剣による攻撃はこれまでは全て単発、多くても二撃までだった。でも、これからソロでやっていくにはそれじゃ足りないことがあの怪物進呈(パス・パレード)でよく分かった。

それから僕はリュー氏の動きをもとに、短剣と四肢による攻撃を組み合わせた連撃の攻撃パターンを構築していくことにした。

 

 

◇◇◇

 

そうして1カ月。短剣での攻撃にパンチ、キックとリュー氏と比べるのもおこがましいほどの出来だけど、多対一をこなせる程度には出来るようになっていた。

 

「――よし、採るか」

 

ゴブリンとコボルト、計5体の群れとの戦闘を終えた僕は、そのまま魔石の採取に入る。

真っ二つに斬れたゴブリンの胸肉を抉り、首と左腕のないゴブリンの胴体を弄り、顔面の陥没したコボルトの胸を斬り、腹部の破裂したコボルト達の胸肉を捌く。

それぞれの死体から魔石を採取した後には、灰だけがその場に残った。

魔石を抜き取ったモンスターは核を失ったことで灰になる。ダンジョンに入るまでは見たことのなかったある種幻想的な現象も、もう見慣れたものだ。

 

「ホント、比べるのもおこがましいよな……」

 

ふと、気が抜けたのかさっき思ってたことが口に出た。

僕とリュー氏を、比べる。

神殺しを正義とした刃と、人助けに悪の撲滅を正義とした刃を?

 

「ハハッ」

 

ホント、おこがましい。

だいたい、僕のは、違う。

何が正義だ。そんなものは後付けだ。

 

 

 

根本の願いは『あの神を殺したい』だろうが。

 

 

 

「……今日は、帰ろう」

 

自己嫌悪が止まらない。今日はもう、探索に集中できそうにないな。

こんな状態でダンジョンに居たら死ぬ。

少し、休もう。

 

 

 

ダンジョンからの帰り道。

いつもより少ない量しか入っていないバックパックが、やけに重く感じた。

 

 

◆◆◆

 

 

ダンジョンから街に出ると、空はまだ青かった。

 

「……青空だと、なんかいい気分になれない」

 

たぶん『今日も頑張った』感が出ないからかな。むしろ『もう終わり?』って問われてる感じがする。

いや、綺麗なのは間違いないんだけど。

 

「まあ、あんま頑張れてないし」

 

冒険終わりの青空はあんまり好きじゃないことが分かった。

休日ならいいんだけど……

 

「と、2時30分か」

 

広場の魔石時計が指していた時間は、非常に中途半端な時間だった。

だからだろう、広場にほとんど冒険者が居ない。ま、この時間なら居る方がおかしいもんな。

それにしても、2時30分か……

 

「……たまには、いいかな?」

 

最近は結構順調に冒険できてるし、今日も連撃でモンスターの群れを一掃できた。

僕、頑張ってるよね?

じゃあ、たまにはご褒美をもらってもおかしくない。うん、おかしくない。

ていうか、気分転換でもしなきゃやってられない。

 

「よし、いこう」

 

そうと決まれば、さっさと帰らなきゃ。

まずは武具の手入れ。その後体拭いて、着替えて、――

 

 

 

「あれ、あの子は……」

「ええ、おそらくは……」

 

このときの僕は自己嫌悪に陥っていて、かつ自分へのご褒美に浮かれていて、そして僕自身が思っている以上に疲れていたんだと思う。

そんな僕が、あの時広場に居た冒険者に見られていただなんて気付けるはずもなかった。

 

 

◆◆◆

 

中央広場(セントラルパーク)から西南のメインストリートを行き、メインストリートの脇道に入り狭隘な路を歩いていく。

市壁に近い場所に位置する、オラリオの隅っこにひっそりと建てられたその店は、そこにあると知らなければ到底辿り着けない立地条件だ。

平屋だとしても非常に低くこじんまりとしたその店は『小人の隠れ家亭』という酒場である。

以前オラリオの飲食店でバイトしていた際に聞いたことのあったこの酒場は、その特徴から一度来て見たかった場所だった。

 

「ホントに隠れ家のような店だなぁ」

 

ここに来るまでの道のりを思い浮かべながら苦笑しつつ、ギィ、という木製の扉特有の音を奏ながら店の扉を開ける。

すると、中から素早く一人の小人族(パルゥム)店員(ウエイトレス)さんがこちらに近付いてきた。

 

「いらっしゃいませ。御一人様でよろしいですか?」

「あ、はい、大丈夫です」

「かしこまりました。では、カウンターのお好きな席にどうぞ」

 

店員(ウエイトレス)さんの言葉に従って、店の入り口から離れている奥側の席に座る。席に座るときにカウンターの中にいる料理人(シェフ)が向けてくれた微笑みと会釈が、この店が僕を歓迎していると言ってくれているみたいだった。

座った椅子は小人族(パルゥム)の僕に丁度いい高さであり、座り心地も凄く良い。

 

(ああ、小人族(パルゥム)の体格に合わせてコーディネートされてるんだ)

 

よくよく店内を見渡せば、天井の高さや机の高さといった大きさは勿論、椅子の背もたれの形状等は人間(ヒューマン)亜人(デミヒューマン)小人族(パルゥム)の細かな骨格の差異にも対応させた物を使用している。間違いなく、全て特注だろう。

小人族(パルゥム)への細やかな心遣いが、もてなされていると感じることができる。

 

(だからこんな立地でも人は来るのかな)

 

今は午後4時と中途半端な時間にも拘らず、店内は小人族(パルゥム)のお客さんで賑わっている。

悪条件である立地でこれだけ集客できるのは、やはり他種族と比べて蔑視されやすい小人族(パルゥム)が安心できる、小人族(パルゥム)の居場所だからなんだろう。

 

「お客様、こちらが本日のメニューになります」

「あ、ありがとうございます」

 

僕が店内をキョロキョロし終わる頃合いを見計らってくれたのか、丁度いいタイミングで店員(ウエイトレス)さんが僕にメニューを渡してくれた。

 

(料理は一番安いサラダで40ヴァリス、お酒は50ヴァリスのものから高いもので6000ヴァリスまでか。値段設定からして冒険者だけがターゲットじゃないんだな、ここ)

 

オラリオには冒険者であろうがなかろうが、様々な種族の人間が集まる。

冒険者でない小人族(パルゥム)もお客様と想定してるのだろう。

まだ夕食には早い時間帯ということもあり、僕は40ヴァリスのサラダと60ヴァリスのジャガイモのパンケーキ、それと120ヴァリスの果実酒を注文する。

純白のヘッドドレスと給仕服で身を包んだ愛らしい外見の彼女は、注文を承った後にペコリと音のつきそうな動作で頭を下げてカウンターの奥に入っていった。

店員(ウエイトレス)さんの対応といい料理人(シェフ)の対応といい、非常に感じのいい印象を受ける。

 

(うん、たしかに居心地がいいな)

 

尊重されている。小人族(パルゥム)同士であるからこそ、そのことがより嬉しく思えるのかもしれない。

同族ならではの安堵、というものなのかな。

 

「お待たせしました。こちら、サラダとパンケーキに果実酒となります」

「ああ、ありがとうございます」

 

そんなことを考えているうちに料理が運ばれてきた。

一目見て新鮮だと分かる葉野菜にトマトの赤色がアクセントとなった、彩り豊かなサラダ。ジャガイモの土の香りがほのかに漂う焼きたてのパンケーキ。芳しい香りのする木製の酒瓶になみなみと入った、果物の新鮮な香りとアルコールのツンとした香りが漂う果実酒。

とても美味しそうな料理の数々は、半日程度とはいえダンジョン探索で疲れている僕の食欲をおおいに刺激する。

 

「いただきます」

 

久々の外食だ。楽しまなきゃ。

 

 

◇◇◇

 

 

「――ふぅ。美味しかった」

 

サラダとパンケーキはそれぞれとても軽い味で食べやすいこともあり、あっというまに平らげてしまった。

食べ始めてから今までの20分、とても幸せな時間を過ごせたと思う。

少々値は張るが、たまにはこんな食事もいいものだね。

 

「っ!プハー、あーおいしー!」

 

木製のコップに注がれた果実酒を呷ると、甘酸っぱい果汁と少量のアルコールが僕の口内に幸せを齎してくれる。

うん、幸せだ。

アルコールが少し回ったのか、頭も少しぼうっとしている。

 

「……きれいだったなー」

 

そんな僕の頭に浮かんできたのは、1カ月前のあの光景。

疾風のようにモンスターの群れを縦横無尽に駆け巡り、一網打尽にしたリュー氏の姿だった。

 

「かっこよかったな……」

 

モンスターに殺されかけていた弱者(ぼく)を助ける姿は、まるでお伽話に出てくる英雄のようで。

苦難の末に身に付けた力を助けるために使うその姿は、凄くかっこよかった。

 

「……あの時、彼女のように助けたいと思ってしまった。リュー氏の生き方に、憧れた」

 

色で例えるなら純白。

モンスターだけでなく人間の悪意(くろ)に立ち向かう正義の冒険者。

弱きを助け悪を裁くその(さま)は、とても魅力的だった。

でも、僕は――

 

「黒。――を殺すために冒険者になった僕の生き方は、ただ黒い」

 

だから僕がリュー氏に、彼女に憧れるのは間違っているのだろう。

冒険者になった目的と彼女の生き方はあまりにもかけ離れている。そう思っていた。

だけど、もしかしたら。

 

「黒でも、白になれるかもしれない」

 

初めてゴブリンを倒した時、僕は高揚を感じた。

初めてダンジョンから出た時、茜色の空に感動を覚えた。

ステイタスを更新した時、これまでの努力が認められたことに充実感を得た。

斬撃、刺突と少しでも短剣を使いこなせるようになった時、純粋に喜びを感じた。

 

これらは全て、僕の目的とは関係のない所で生まれた、でも今確かに僕が感じている生きがいだ。

そして、この生きがいは、たぶん。

 

「生涯を費やすには、十分すぎる生き方だ」

 

ここにリュー氏の(さま)悪意(くろ)に立ち向かう白の生き方を重ねても問題はない。

いやむしろ、身に付けた技や強さが他の誰かのためになるんだ。それは間違いなく、素晴らしいことだろう。

じゃあ、それなら。

 

「そもそも神を、――を殺す必要なんて――」

 

 

 

 

 

「すまない、隣を失礼する」

 

ふと、僕の横から声を掛けられた。

酒に任せて耽っていた思考、心に向けていた目をかぶりを振ることで外へと戻す。

声の方向を見ると、小人族(パルゥム)の夫婦が僕の方を向いて軽く頭を下げていた。

 

 

 

ええ、どうぞ。

 

とは言えなかった。

 

 

 

「何か、御用でしょうか?」

 

この二人、見覚えがある。

男性は、小人族(パルゥム)用にフィッティングされた光沢のある黒のスーツを着ていた。

女性は、スーツ姿の男性の隣に居ても可笑しくない程には華やかな紫色のドレスを着ていた。

式典に出るというよりはオシャレなデート服、と言ったところか。

ということは、彼らを見た際は違う服装。そして、彼らの纏う雰囲気からして冒険者。小人族(パルゥム)の夫婦で冒険者の顔見知り……――!

 

「いや、用と言う程ではないのだが。少し話をしたいと思ってね」

 

そう言いつつ僕の隣に腰掛ける、彼等は。

 

「ソーマ・ファミリアの少年よ」

 

ペロー・アーデとトレイメン・アーデ。

ソーマ・ファミリアの冒険者だ。

 

 

◇◇◇

 

 

「ああ、安心してほしい。キミのことは他の誰にも話していない。本当だ」

 

ほがらかに、誤魔化すように弁明するのは、ペロー・アーデ。

思考と身体、両方が硬直した僕をほぐすように言葉を紡ぐ。

 

「ただ、以前にホームでキミのことを見かけたんだ。その時のキミの姿が印象に残っていてね。今日キミを見かけたものだから、少々話をしたいと思って話しかけた次第だよ」

「主人の言っていることは本当よ。貴方にとって害になるようなことは、決してしていないわ」

 

ペロー夫君に続いてトレイメン夫人も言葉を紡ぐ。

彼等の言葉から察するに、ステイタス更新のためにホームに訪れた姿を見られたみたいだ。

でも、ファミリアの冒険者がいない時間を見計らったはずなんだけど……

 

「私と主人にはこどもがいるの。まだ6歳の女の子でね、その日はあの子が怪我をしてしまったから昼頃にはダンジョンからホームに帰ってきてたのよ」

 

トレイメン夫人の言葉を聞いて思い出す。

リリルカ・アーデ。

出生率の低いソーマ・ファミリアで唯一10歳を下回る、女の子だ。

噂では既に何らかの手段でお金を稼がせているらしかったが、この様子だとダンジョンに連れて行っている可能性が高い。

つまり、何らかのトラブルでいつもより早くダンジョンから帰ってきていた彼等は、無人であるはずのホームに僕が居たところを見たというわけか。

いや、でも。

 

「僕がホームに居る時は、姿は隠していた筈だけど……?」

 

そう、僕が神ソーマにステイタス更新をお願いする際は、念には念をと思って黒のローブで身を包んでいる。

小人族(パルゥム)ということは外見からでも分かるかもしれないけど、僕を特定出来たのは何でだ?

 

「ああ、やっぱり気付いていなかったんだな」

「???」

 

僕が疑問に思っていると、ペロー夫君は苦笑しながらそう言った。

奥の席を見ると、トレイメン夫人は微笑ましいとでも言うように僕を温かい眼差しで見ていた。

気付いていない?なににだ?

 

「貴方、背筋がピンと伸びていたのよ」

 

僕に微笑みを向けていたトレイメン夫人がネタばらしをするかのように話してくれる。

背筋?……!!

 

「気付いたみたいだね。小人族(パルゥム)で背筋が伸びている、堂々と歩くことのできる者はそう多くはないんだ。下級冒険者や『神の恩恵(ファルナ)』無しともなれば、その数は激減する」

「ましてやソーマ・ファミリアの中、ですもの。違和感だらけでしたわよ」

 

そうか。小人族(パルゥム)である僕が堂々と歩く、それがそもそもおかしいんだ。

そんなことにも気付かなかったなんて……!!

 

 

『フィアナ』信仰の衰退。

長所であった『勇気』さえも失った小人族(パルゥム)は、堕ちに堕ちた。

本能的に劣等感を感じてしまった小人族(パルゥム)は、自然と頭を垂れることが増えていった。心に体が引き摺られるように。まるでそれが当たり前のように。

ランクアップを果たした者や何かしらの職に就いて自信を取り戻した者は別だが、それでも小人族(パルゥム)、ましてや酒に溺れたソーマ・ファミリアの小人族(パルゥム)で背筋が伸びているというのはよくよく考えなくても違和感がある。さらに、僕の装備は駆けだし冒険者のものだ。

ローブを纏ってはいたものの背筋の伸びた、しかし所作自体は拙い小人族(パルゥム)。背筋の伸びた、しかし恰好が駆け出し冒険者の小人族(パルゥム)

その二つが同一人物であることを見抜くなんて、容易いだろうに。

 

「……僕は訳あってソーマ・ファミリアの人達に存在を知られることを避けています。どうか、僕の存在を他言しないでいただけないでしょうか」

 

そう言って僕はアーデ夫妻に頭を下げる。

ここで他の団員に、それこそ団長にでも僕の存在が伝わればおしまいだ。

既にアーデ夫妻に僕の存在がばれている以上、僕に出来ることは頼むことしかない。

今の僕には、彼等を出し抜けるだけの腹芸なんてできやしないんだ。腕ずくで黙らせるなんてのも5階層にも進出できていない僕に出来る手段じゃない。

ここで、アーデ夫妻に縋るしかないんだ……!!

 

「……分かった。だが、条件がある」

 

僕の頭上から聞こえてきたのは、そんな声だった。

 

……なんとなく、そう来るとは思っていた。

彼等は初めに言っていた。

『キミのことは他の誰にも話していない』。『貴方にとって害になるようなことは、決してしていないわ』。どの言葉も、過去形だ。

『これからもしない』とは、一言もいっていない。

 

「キミは、神酒(ソーマ)に溺れていないね?それの是非と、是である場合はどうして神酒(ソーマ)に溺れていないか。その理由を教えてくれ」

「それさえ教えて頂ければ、私達は貴方の存在を誰にも話しません」

 

でも、これは想定外だ。

僕は思わず頭をあげ、アーデ夫妻の顔をまじまじと見てしまった。

ペロー夫君も、トレイメン夫人も、張り詰めた表情で僕を見ていた。

 

(僕が神酒(ソーマ)に酔わない理由?彼等は、ソーマ・ファミリアからの改宗(コンバーション)を目指しているのか?でも……)

 

正直、神酒(ソーマ)に酔わない方法を見付けたところであの団長がみすみす改宗(コンバーション)を見過ごす筈がない。それは僕よりも彼等の方が分かっているだろう。

じゃあ、この質問の意はなんだ?

 

(――いや、何にせよ僕に答えないという選択肢はない)

 

幸い、僕が酔っていない理由自体は目的に支障のない範囲で話すことができる。

なら、ひとまず話してみよう。話はそれからだ。

 

「分かりました、お話します。まず、僕が神酒(ソーマ)に溺れているか、という質問の答えは否です。僕は神酒(ソーマ)に囚われていません」

 

先程の質問からして僕の答えは予想していたのだろう。だがそれでもアーデ夫妻は驚愕を隠しきれていなかった。

 

「……神酒(ソーマ)を飲んだ際、神の恩恵(ファルナ)は既に授かっていたのか?」

「いえ、僕は神酒(ソーマ)を飲んだ後に神の恩恵(ファルナ)を授かりました」

「――何をどうすれば、神の恩恵(ファルナ)無しで神酒(ソーマ)に抗えるの……?」

 

思わず、といったふうに話に割り込んできたトレイメン夫人の声は、震えていた。

予想していても、やはり信じられないのだろう。神酒(ソーマ)を飲んでいるがゆえに、あの絶対的な幸福感に抗えるイメージすら湧かないのだろう。

でも、僕にとっては違う。

 

「どうやって、という程のことでもないですがね。とりあえず、僕が初めて神酒(ソーマ)を飲んだ時のことをお話します」

 

僕は、神酒(ソーマ)に溺れることが、負けることが許されなかっただけなのだから。

 

 

◆◆◆ ◇◇◇

 

あれは、銀髪の女神が彼を連れ去ってから1週間後のことだった。

もともと飲食店のバイトとはいえオラリオで暮らしていた僕は、ファミリアや神に対する最低限の知識は得ていた。

彼が連れ去られて独りになったあの日。僕はバイトを辞め、1週間もの間ソーマ・ファミリアのホームの近くに滞在して団員の動きをつぶさに観察していた。

だからこそ、ファミリアの構成員と会うこともなく、神ソーマと一対一で会うことができたんだ。

 

「……誰だ、お前は」

 

それが、神ソーマの初めの言葉だったと思う。まあ、自分のホームに見知らぬ小人族(パルゥム)が居たんだ。当然の反応だろう。

 

「僕を、貴方の眷属にして下さい」

「……入団希望なら、私の眷属に言え」

 

神ソーマは、趣味神だと言われていた。

その所以の一つとして、酒造り以外の全ての事柄を雑務とし、雑務を全て眷属に委任していることが挙げられる。

だからこそ、この返答も予想できた。そして、それでは駄目だということも。

 

「いえ、僕は貴方の眷属に知られることなく入団を希望します」

「……知らん。私は忙しい――」

 

「そうでなければ、神に勝てないから」

「――何だと?」

 

喰いついた。

僕は以前、神ソーマが眷属に自身の造った酒を振る舞っていると聞いたことがあった。

そのあまりもの美味しさに、眷属がみな心を奪われているということも。

そして現在神ソーマは、酒を造る以外の全てのことを眷属に委任していることから、眷属に何の思い入れもないことが分かる。

そこから、僕は想像した。

 

――神ソーマは、もう(・・)人間に興味を抱いていない

――神ソーマは、人間を見下しきっている、と。

 

その想像は外れていなかったみたいだ。

 

「僕は神に勝ち、神を殺す。そのために、貴方のファミリアの一員になりたい。神ソーマ、貴方以外の誰にも知られることなく」

 

これは、僕の本心だ。これからの一生を神殺しのために費やすという、決意表明だ。

言葉を紡ぐごとに心が燃え盛るのを感じる。

ラキアのキチガイ共が放った炎よりも強く、大きく、激しく、黒く、燃え盛る。

 

「御託はいい。お前今、神に勝つ、そう言ったな」

「はい」

「不可能だ。『神の恩恵(ファルナ)』を与えたところで酒に溺れるお前達が、戯言をほざくな」

 

戯言か。僕の目的が、燃え盛る炎が、生涯を掛けて放った決意が、戯言か。

――上等だ。

 

「戯言かどうか、試してみるか?」

「何だと?」

「僕の目的が戯言かどうか。全てを掛けて告げた決意が、この燃え盛る心が、酒如きに溺れるかどうか。試してみるかと言っている」

 

酒如き。

僕がそう言った瞬間、ソーマからとてつもない怒気を感じた。

当然だ。僕は侮辱したのだから。この神が途轍もない年月を費やして造り上げた神の酒と言われる、『神の力(アルカナム)』の一切混じっていない至高の作品を、『如き』と言ったのだから。

だが、それは僕も同じ。

12年という僕の人生を根こそぎ燃やしたことへの殺意、唯一残った彼を目の前で歪ませたことへの殺意、それらをコイツは『戯言』だとほざいたんだ。

侮辱して、何が悪い。

 

「――飲め。そして言ってみろ。『神に勝つ』と。『神を殺す』と。酒を飲むことよりそれらを望むと、そのうえで私のファミリアに入りたいと、そう言えるものなら言ってみろ」

 

殺気すら滲ませたソーマが僕に差し出したのは、杯。

憤怒の形相とは裏腹に丁寧に注がれ、扱われたその杯を手に取ると、中には透明の液体が入っていた。

受け取った杯を口に近づけようとした、その時。

 

――幸せを、感じた。

 

(っ!?!?微かに嗅いだ香りだけで、これか……!!)

 

分かっているつもりだった。でも、実際目の当たりにすると驚かずにはいられない。

鼻を近付けて嗅いだわけではない。空気に混じり微かに漂う、ただそれだけの残り香とさえ言えないような香りで問答無用の幸せを叩き付けてきた。

 

(実際に飲めば、どれだけの幸福が待っているんだろうな……)

 

これが、神が長きに渡り研鑽を続け完成させた物。

人間では『神の恩恵(ファルナ)』があろうと到底辿り着けないと噂される、まさしく神の一品。

神の、作りし物。

 

「っ!!」

 

これ以上考えたら怖気づくだけだ。

近付く杯から押し寄せる幸せに手を止めず、何とか神酒(ソーマ)を口に注ぎ込む。

 

――世界から、色が消えた。

――世界から、音が消えた。

――味覚と嗅覚以外の全てが、僕から抜け落ちた。

 

全てを呑みこむような陶酔感。頭が真っ白になった。嫌なことは何もかも、忘れさせてくれた。

凄まじいまでの心地よさ。これが幸せというものだ、と突きつけられているかのようだ。夢や目的等より遥かに良い幸福を、与えてくれた。

美味い。幸せだ。もうこれさえあれば、何も必要ない。

頭が、心が真っ白になっていく。それは、とても澄んだ白色。思考、感情、感覚、それらは神酒(ソーマ)を味わい感じることだけに使えと、命じてくる。白に染まれと、命じてくる。

美味い、と幸せ、の2つが僕の全てを塗りつぶしていく。

神酒(ソーマ)を含んだ口から掌の指先へと、足のつま先へと、脳の天辺へと白が広がっていく。

僕は、今、白になっている。

僕の表情筋が、口角を歪めようとする。

顔に満面の笑みを浮かべることを要求する。

 

 

 

 

「は?」

 

 

 

 

 

笑顔?

 

僕が、神の一品で、笑顔?

 

――僕の村は燃えた。キチガイ共の放った炎の熱さを。齎した絶望を。奪われた思い出を。消えた故郷を。僕は、知っている。

 

――父は死んだ。母は死んだ。妹は死んだ。遺言を残すことなく、死んでいった。崩れる家屋に巻き込まれ、悲鳴を上げ、押しつぶされていった。潰れきった父の肉塊を、顔の潰れた母の死に様を、喉の潰れた妹の死に顔を、僕は、知っている。

 

――忘れない。神アレスの王国ラキア。貴様らの暴虐を、僕は忘れない。

 

――僕は彼とオラリオまで逃げてきた。たった一人、故郷で死ななかった僕以外の友達。神を憎み、神を恨み、けれどもう神と関わらないと誓い合った、僕の友達。

 

――その誓いを、その恨みを、その憎しみを、彼の心を、一瞬で歪ませたその瞬間を、僕は知っている。人が変わる瞬間を、歪む瞬間を、僕は知っている。

 

――『私のファミリアに入りなさい』『はい、貴女に付いていきます』その瞬間、彼の心は終わった。神に歪められた。

 

――忘れない。神フレイヤ。貴様の気まぐれを、僕は忘れない。

 

ソーマの神酒(ソーマ)に屈するということは、神に歪められるということだ。

 

アレスの軍隊に蹂躙されるように。

 

フレイヤの美貌に狂わされるように。

 

神に負ける、そういうことだ。

 

また、負けるのか?

 

 

 

 

 

「ふ、ざ、けるなあぁーーーーーー!!!!!!」

 

 

 

 

 

ゴウッッッッ!!!!!!

 

 

 

殺意が、黒の炎が心を火種に燃え上がる。

 

熱い。暑い。アツい。

 

燃え盛る黒い炎が心臓から血流に乗って体全体に広がっていくのを感じる。

 

幸福で満たされていた、白に染められた僕の身体を血流に乗った黒の炎で再度塗りつぶす。

 

神酒(ソーマ)を飲む前よりずっと強い黒の炎で、僕の身体を支配する。

 

全身を満たしてなお燃え盛る殺意の炎は、もう体の内側に収まらない。

 

「神に勝つ」

 

殺意の炎が、言葉と共に溢れだす。

 

「……何だと?」

 

ソーマが驚愕を顔に浮かべて問い直す。

その顔が癪に障る。際限なく燃え盛る殺意を抑えることなく、言葉に乗せる形で垂れ流す。

 

「神に勝つ。絶対に。必ず。神を殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。酒?酒が齎すのは一時の幸福だ。で、僕が一時のために殺意を捨てるとでも?ましてや、神の造りし物に負けるとでも?――それだけは、ありえない。僕は神に負けない。神に勝つというこの想いだけは、負ける訳にはいかない。負ける訳には、いかないんだ!!」

 

確かに、今の僕では物理的には勝てないだろう。

僕は、戦ったことがない。冒険者や軍隊を持つアイツラに勝てる筈がない。

だが、心は別だ。

勝つ。殺す。そのために全てを費やす。この想い、決意だけは、神にだろうと負けない。いや、神にだけは、負ける訳にはいかない。

 

「僕は『神酒(ソーマ)』に溺れない。神に勝ち、殺す。そのために、僕の存在をファミリアの構成員に知らせることなく入団させろ――これでいいか、神ソーマ」

 

僕は、強くなる。何年かかろうと、何十年かかろうと、必ず強くなる。

身を隠し、器を昇華させ、自分の力を蓄えていく。

殺意の炎を燃え上がらせ、殺意の刃を砥ぎ、必ずやアイツラを燃やし、殺す。

そのために、まずは。

お前のファミリアに入れろ――ソーマ。

 

 

◆◆◆ ◇◇◇

 

 

「んーと、まあこんな感じですかね」

 

僕はあの時の記憶を掘り返しつつ、感情の種類が殺意であることやその対象が神であること等知られてはいけない個所だけぼやかして神酒(ソーマ)に勝った経緯を伝えた。

 

「…………なん、と……いう…………」

「…………………………………………」

 

苦笑する僕に反して、ペロー夫君は呻き声をあげ、トレイメン夫人は言葉を発することができないでいた。

二人とも、僕に対して恐怖を滲ませていた。

 

(そんなに怖いことなのかな?)

 

銀髪の神に狂わされて以来、碌に自身の心情を打ち明けてこなかった僕には、この時の自分が他の人から見てどう映るか正直分かっていなかった。

でも、彼らの反応を見る限りだと、普通ではないことは良く分かった。

 

(まあ、こういうことが出来てたら今のソーマ・ファミリアはないのか)

 

結局、ソーマは約束通り僕を入団させてくれた。他の眷属に知らせることなく、定期的なステイタス更新を約束したうえで。

もし、僕のように神酒(ソーマ)に溺れない人がいれば、ソーマ・ファミリアは神ソーマがファミリアの経営にもっと身を乗り出していたことだろう。

あの神は、かつて自身の造り上げた至高の酒を褒美として僕達人間に振る舞うくらいには愛を持っていたのだから。

 

「つまり神酒(ソーマ)に溺れないようにするには、『絶対に負ける訳にはいかない!!』的な何かを心の底から願う、てのが方法になるかと思います」

「…………それが出来れば苦労しない、というのが正直な感想だな」

 

僕の提案はペロー夫君に苦笑で返されてしまった。トレイメン夫人に至っては未だ言葉を発せれていない。

……とりあえず、これで黙っていて貰えると良いのだけど。

 

「……分かった。話してくれてありがとう。約束通り、私達はキミの存在を他言しない。いいな、お前」

「……ええ、そうね。私も誓うわ」

「ありがとうございます!」

 

良かった。

こんなとこで目的が潰えることが無くて、本当によかった。

 

「……貴方、この子になら……」

「ああ、俺もそう思っていたところだ」

 

僕が肩の力を抜いて安堵していると、何やら二人は頷き合い決心した面立ちで僕に話掛けてきた。

 

「……なあ、もう一つ、私達のお願いを聞いてくれないか?」

「……なんでしょうか?」

 

再度張り詰めた空気を感じながらも、ペロー夫君の話の先を促す。

少しの嫌な予感を感じながらも、彼は口を開いた。

 

 

 

「私達の娘であるリリルカのことを、助けてやってくれないか?」

「……はい?」

 

話が唐突すぎて、何を言っているのか理解できなかった。

何故自分達の娘を、初対面の僕に任せるようなことを?

 

「先程も少しお話しましたが、私達は娘を、リリルカをダンジョンに連れて行っています。少しでも利益を増やすために、サポーターとして」

 

……確かに彼女は言っていた。6歳の娘が怪我をしたからダンジョンから帰ってきた、と。

2人ともダンジョンに居たにもかかわらず、何故娘が怪我をしたと分かったのか。

その答えは単純明快。娘もダンジョンに居て、怪我をするさまを見ていたのだから。

 

「だが当然、6歳の娘がダンジョンに潜って無事で居られる筈がない。ましてやリリルカは戦闘に関するセンスがないからな。ストレスも相当なものだろう」

「今の状況で既にボロボロなのです。このまま私達に使われていれば、間違いなくあの娘は壊れてしまいます」

「ちょ、ちょっと待ってください」

 

彼等の言っている言葉の意味が分からない。

 

「それなら、何故貴方達は娘をダンジョンに連れて行くのですか?」

「その答えは簡単だ。リリルカを連れて行った方が稼ぎが良いからだ」

「あの娘はサポーターとして優秀なスキルが発現しています。たとえ戦闘で足手纏いとなり、ポーションを使うことになったとしても、それを取り返すだけの働きをするのです」

 

違う。そういうことを聞きたいんじゃない。

何かが決定的にずれている。

 

「貴方達は、リリルカさんに傷ついて欲しくないんですよね?」

「ああ、勿論だ」

「ええ、そうです」

 

何を当たり前のことを、とでも言うかのように彼等は言った。

正直、イラッときた。

 

「それなら、利益云々関係なく連れて行かなければ良い話でしょう!」

 

そう、それだけの話だ。僕に頼む必要なんて欠片もない。

 

「それは、できないんだ」

「なんでですか!?」

「私達は、リリルカと接する時に金のことを考えてしまうからだ」

「あの娘が利益に繋がると分かっている以上、お金への欲望に逆らうことは出来ないんです」

「……何を、言っているんですか?貴方達は」

 

実の娘より金が大事?確かにそういう人はいるかもしれない。到底理解できないけど。

でも、今おかしいのはそこじゃない。

 

なんでこの人達は、娘を助けてほしいと僕に頼んだんだ?

彼等の言い分だと、娘に傷ついて欲しくないなんてとても思えない。

 

「ああ、キミからしたら私達の言い分は支離滅裂なのだろうな。すまない」

「簡単に言ってしまうと、私達は神酒(ソーマ)に魅了されたのよ。骨の髄まで、どうしようもないほどに」

 

ソーマ・ファミリアの構成員は皆、神酒(ソーマ)に魅了、つまり酔っている。

神ソーマは、その神酒(ソーマ)をファミリアへの納金の褒美として振る舞っている。その結果、ソーマ・ファミリアの構成員はより多く納金するため、より多くの神酒(ソーマ)を飲むためにあらゆる手段を使って金策を張り巡らすようになった。

ペロー夫君とトレイメン夫人も、その例に漏れなかったというわけだ。

だからこそ、この話はおかしい。

 

「じゃあなんで、貴方達はリリルカさんに傷ついて欲しくないと思うんですか?」

 

ソーマ・ファミリアの構成員で幼子に金を求める人は他にもいる。

でも、その人達は皆幼子に傷ついて欲しくないなんて欠片も思っていないだろう。

その人達の頭の中は、隅から隅まで神酒(ソーマ)に支配されているだろうから。

 

「……私達は、リリルカが生まれたときに思った。この娘は、絶対に守ると」

「だからこそ、神酒(ソーマ)から逃れようと思ってファミリアからの脱却を試みたこともありましたわ。結果はご覧の有様ですが……」

 

おそらく、団長であるザニスの進言で神酒(ソーマ)を飲まされたんだろう。

そして、心を折られた。

 

「それでも、リリルカを育てるための時間、金、手間は作った。たとえ納金の額が足りなくて神酒(ソーマ)が飲めなくても、そこだけは譲らなかった」

「決して誇れるような生き方ではないでしょうが、それでも私達なりに神酒(ソーマ)の誘惑に抗い続けました。あの時までは……」

 

………………ああ、ああ、もしかして。

 

「『サポーター(荷物持ち)としてなら使えるんじゃないか?』と、思ってしまったんですか?」

 

ソロでダンジョン探索をしている僕には、その気持ちは痛いほどに分かる。

戦闘なんて出来なくていい。守る労力を割いてもいい。ただ、荷物を、戦利品を持っていてくれる存在をどれだけ望んだことか。

ある程度動けるようになった我が子を見て、彼等は思ってしまったのか。我が子が、金になると。

 

「……ああ。それからは地獄だった。それまではリリルカの存在は直接的な利益に繋がらなかった。だからこそ、金に捕らわれることなく愛情だけで接することが出来ていた。だが、私達はリリルカと利益を繋げてしまった」

「あの娘と会っていない時は正常な思考で居られるのです。でも、あの娘と面と向き合うと駄目なんです。私達は、お金が絡むと、もう駄目なんです」

 

つまりは、神酒(ソーマ)か。

神酒(ソーマ)に抗えなかった彼等は、娘への愛さえも神酒(ソーマ)に塗りつぶされかけたんだ。

でも、それでもなんとか、娘と向き合っていない時は娘のことを思いやれる。だからこそ、今、僕に頼んだのか。

同じファミリアであり、神酒(ソーマ)に捕らわれていない僕に。

 

「具体的に、僕に何を望みますか?」

 

といっても、望みは決まっている。

神ソーマに神酒(ソーマ)を振る舞わせないようにすること。それか神酒(ソーマ)の酔いを醒まさせる何かを作ってもらうことだろう。

だが、それはできない。そうすれば、ソーマ・ファミリアに秩序が戻ってしまうから。

 

「「私達が死んだ後、娘を雇ってほしい」」

 

そんなことを思っていたから、僕は本当に驚いた。

雇ってほしいというのも勿論だけど、その前の言葉だ。

 

「死んだ、後……?」

「ああ、私達は近いうちに死ぬ。おそらく、持って半年だろうな」

 

何を言っているか分からない。なんで、そうなる?

 

「私達の最高到達層は7階層です。そしてもう、これ以上下へと進むことはできないでしょう。これが、私達の限界です」

 

限界。たぶん、これ以上ステイタスが上昇しないということだろう。

ある一定の境で全くステイタスが上がらなくなる人がいると聞いたことがあるけど、彼等はまさしくそうなのだろう。

だけど、先に進めないことと死ぬことはイコールにならない。

 

「だけど、私達は先に進むでしょう。そのほうが、お金を稼げますから」

「現に今も、8階層への階段の前で何とか耐えている。行けば死ぬ、そう分かっていても行きたいと思ってしまう。この思いに耐えることが出来るのは、持って半年だと私達は考えている」

 

……ここまで、なのか。

そこまで、神酒(ソーマ)は人を駆り立てるのか。

勿論、ここまでの人はそうはいないと、思う。現に、ファミリアの中でも酔いに支配されない人は団長であるザニスや古参であるチャンドラをはじめ、数人知っている。

でも、ここまで支配される人がいるというのを、僕は知らなかった。

 

「勿論、死ぬときはリリルカをダンジョンには連れて行かないさ。どれだけ落ちぶれようが、そこだけはやり遂げてみせる。だが、このまま私達が死ねばリリルカは独りになってしまう」

「独りになったリリルカは、他の冒険者のサポーターとしてしか生きる道はないでしょう。ソーマ・ファミリアで戦闘の才能がないあの娘には、それ以外の選択肢がないんです」

「選択肢が、ない?」

「ああ。たとえリリルカにその気はなくても、神酒(ソーマ)を飲む機会はいずれ訪れる。そうすれば神酒(ソーマ)に酔う可能性は高いと言わざるを得ない。リリルカの親である私達がこのザマだからな」

神酒(ソーマ)に酔えばお金を欲します。幼いあの娘が納金するほどのお金を稼ぐには、それこそサポーターしかありません。そして、幼いあの娘を雇うとしたら、私達がサポーターとしてあの娘を使っているのを知っているソーマ・ファミリアの構成員ぐらいでしょう」

「だが、うちのファミリアの人間がリリルカに対してとる言動なんて予測できる。慈悲のない搾取、それ以外に考えられない」

「だからこそ、ソーマ・ファミリアの内情を知っていてかつ神酒(ソーマ)に酔っていない、ソーマ・ファミリアの人間に存在を知られていない貴方に頼みたいんです」

 

つまりは、こういうことか。

神酒(ソーマ)に支配された自分達では、娘であるリリルカを金のために使うことしかできない。

そして、遠くないうちに2人は死ぬ。それが確定された未来であるかのところまで、彼等は神酒(ソーマ)に犯されてる。

しかし、彼等が死んだ後リリルカは独りになってしまう。まだ6歳であり戦闘のセンスもないその娘は、このままでは搾取されるサポーターの未来しかない。

それならせめて、まともな冒険者のサポーターとしてやりたい。

……悪い話では、無いと思う。

一番の懸念だった、僕の存在がファミリア内に知られるということは問題ない。リリルカのほうが切羽詰まっている状況になるし、まだ6歳の幼子だ。

口で言いくるめればいいだけの話。

そして何より、サポーターの存在は僕にとってプラスになる。

 

「キミが自身の存在を秘匿したがっているのは承知している。だから、リリルカには素性を明かさなくても構わない。サポーターとして雇う期間もキミの好きにしていい。ただ、出来れば、少しでもリリルカが当たり前のように金を稼げる居場所になってやってほしい。私が望むのは、それだけだ」

「どうか、お願いできないでしょうか……!!」

 

 

◆◆◆

 

 

「ただいまー」

 

『小人の隠れ家亭』での食事と話し合いの後、僕はまっすぐ家まで戻ってきた。

魔石時計を確認すると、午後7時を示していた。

 

「結構話し込んでたんだなー」

 

僕の存在を秘匿してもらえることになった後、聞いた話は正直信じがたいものだった。そして、悲しすぎるお願いだった。

 

『どうか、お願いできないでしょうか……!!』

 

トレイメン夫人の懇願に、僕はあの時、はい、と言えなかった。

何故ならその願いを完全に叶えるためには、僕の目的を犠牲にする必要があったから。

本当は、僕が神ソーマに頼み込んで何かしらの対応をしてもらうのが一番なんだろう。僕は今、神ソーマに言葉が届く場所に近い所に居るのだから。でも、僕にそれはできない。

今の、秩序が無いファミリアであるからこそ、僕の存在が秘匿されやすいのだから。

そんな、僕自身のエゴで幼子1人を手助けすることに承諾できなかった。

 

「リュー氏なら、絶対に引き受けたんだろうな……」

 

そして必ず手を尽くす。自身の被る多少の不利益など目もくれず。

弱者の願いを聞き入れないなんて選択肢がそもそも、彼女にはないと思う。

だからこそあの人に、憧れたんだ。

でも。

 

「…………どうしようかなー」

 

僕はあの時、いいえ、とも言わなかった。

その願いは目的に、神を殺すのに不具合が生じる可能性があるにもかかわらず。

気の迷い、なのだろうか。

 

「……僕は黒だ。神を、――を、殺したい。生涯を掛けてでも成し得たいことだ、この目的は。この願いは」

 

冒険者の生き方だけでは絶対に満足できない。

神を、――を殺すために生きないと、僕は耐えられない。

それを今日、あの日の記憶を遡ったことで思い出した。

でも、それだけじゃないとも、思った。

 

「この(さつい)は絶対に捨てられない。でも、あの(せいぎ)を諦めることもしたくない」

 

だからこそ、僕は保留にした。アーデ夫妻の悲しすぎるお願いを。

 

「幸い、まだ時間はある、とは思う」

 

といってもこの時間も曖昧なものだが、あると信じたい。それまでに。

 

「決めないとな。生き方を」

 

(さつい)を宿して生きるか、(せいぎ)を宿して生きるか、はたまた別の道か。

 

「……寝よう」

 

そう簡単に決められることじゃないのは分かる。

とりあえず、今日は寝て。

明日また、ダンジョンに潜ろう。




サクラ・ヒース  Lv.1

所属:ソーマ・ファミリア
種族:小人族(パルゥム)
職業:冒険者
到達階層:4階層
武器:短剣(ギルド支給品)
防具:胸当て(ギルド支給品)
所持金:107800ヴァリス
冒険者歴:4カ月

ギルド支給品である短剣および胸当ての総額は10,000ヴァリス。
冒険者となって1カ月が経過した時点で所持金に余裕が出たこともあり、ギルドへと返済した。

力 :F 312
耐久:H 118
器用:F 381
敏捷:F 346
魔力:I 0

≪魔法≫
【     】
【     】

≪スキル≫
【     】

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。