風上家に生まれて   作:新六毛

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風上家に生まれて1

「早く食べないと、いつまでも片付きませんわよ」

 

傍らに立つ姉が、組んだ右腕の指で顎を撫でながら、冷たい視線と冷たい言葉を投げ下ろしてくる

 

「……もう許して欲しいのだ……」

 

あやかは涙を浮かべながらも、必死に媚びた笑みを彼女に向け、慈悲を求める

長い髪を緩く結んだこの長姉"まどか"は、二人いるあやかの姉の中では、まだ慈悲深い方ではある

少なくとも荒々しい暴力に拠ったお仕置きがされないだけ、あやかはそう思っている

だか、今日のまどかの怒りは相当なものであった

 

「それを平らげないなら、明日から貴女のご飯はありません事よ」

 

「……でもまどか姉… 脱臭剤はご飯じゃないのだ…… 食べられないのだ……」

 

方々が欠けたあやかの茶碗

小学生の頃… まだ母親が存命だった頃、買って貰ったパンダ柄のお茶碗

今のあやかには些か小さいそれに山と盛られているのは、透明なゼリーの粒

それが冷蔵庫の脱臭剤である事は、流石のあやかにも理解できていた

 

「ふぅ……」

 

まどかは小さくため息をつくと、食卓の隅から煙草とライターを拐い、それに火を着ける

 

「……何処がいいかしら? おでこ? ほっぺ? それとも鼻頭?」

 

あやかは思わずヒッと身を強ばらせる

荒々しい暴力は振るわないまどか姉だが、この煙草の火を使ったお仕置きだけは頻繁に施されてきた

まどかの身体を注意深く観察すれば、あちこちに残るその痕跡

その一つ一つに纏わるおぞましい記憶が、あやかの脳裏にフラッシュバックする

 

「はぁっ…!」

 

あやかは覚悟を決めて箸を取る

嘗ての懐かしい日、母の作ってくれた大好物の回鍋肉を、炊きたてのご飯と共に乗せたパンダのお茶碗

今はそこに盛られた化学物質の塊を、あやかは目を瞑って掻き込んだ

 

(オエッ!?)

 

表現し難い苦味と酸味が口の中に広がる

吐き出しそうになる衝動を必死に押さえて、それを喉の奥に通した

手を止めてはダメなのだ… 苦しくなるだけなのだ…

悲しい経験録から無意識に呼び起こした教訓を元に、あやかは手を休めず、無理矢理脱臭剤の透明なイクラ粒を頬張っていく

 

(グフッ… モグッ… ゴクン… ウプッ……)

 

気が付くと箸先がカチャカチャと茶碗の底を突いた

ゆっくりと目を開け、ほぼ空になったお茶碗と、卑屈な笑みをまどか姉に向ける

 

「ふぅぅ~……」

 

まどかは肺に溜まった煙をあやかの顔面に向かって吐き出す

安い香水の様な、甘ったるく下品な外国煙草のその香り

極限状態に張り詰めたあやかの交感神経は、その悪臭に堪える事が出来なかった

 

「おべべべぇぇぇぇっ……!!」

 

箸と茶碗に両手を塞がれたあやかにそのリバースを押し止める事は不可能だった

黄色い胃液と透明の粒々が、食卓とあやかの胸元から床の上にポタポタと垂れた

 

「………………」

 

まどかは身動ぎもせず、ゴミを見る様な更に冷たい視線で、あやかの全身を舐める

 

「うぇ… うぇ…… ぐすっ… うぇぇ……」

 

あやかの涙腺は遂に決壊した

泣く事だけはどうして避けたかった

二人の姉はあやかの泣き声を嫌っていた

もしかしたら隣近所に聞かれれるのを嫌がっていたのかも知れない

泣けばその時点で最大級のお仕置きが施されるのだ

 

『ドス… ドス… ドス……』

 

案の定、あやかの泣き声を聞き付けたもう一人の姉、"さやか"の階段を下る足音が聞こえて来た

あやかにとっては、まさに恐怖の象徴

この次姉に比べれば、目の前のまどかでさえ慈母に見える

足音が近付く度にあやかの身体が緊張に強ばる

嘔吐の悪心と次姉の恐怖に、意識が白み始めるのを感じた

いっそこのまま意識を失ってしまいたい…

あやかは箸と茶碗を握りしめながらそう願った

 

「……またあやかがやらかしたの、まどか姉……って! 何コレ汚な~い!!」

 

ダイニングのドアを開けたさやかが絶叫する

 

「ごめぇんなのだ…! ごめぇんなのだ!」

 

その声にあやかの身を拘束していた緊張が逆の意味で弾け、漸く食卓の上のティッシュに手を伸ばし、慌てて事後処理を開始する

 

「今日は一体何をやらかしたのよ~?」

 

さやかは眉間に皺を寄せながら、吐瀉物まみれの妹を避ける様に、弧を描きながら長姉の元に近付く

 

「私が作って差し上げたお昼のお弁当が、お気に召さなかったみたいですわ~」

 

再び煙草の煙を長く吐きながらまどかは答えた

 

「へぇ~ 随分偉くなったわね~あやか~ お姉ちゃん、コワイナ~w」

 

さやかは 口角をこれでもかと吊り上げながら、床を這う妹を睨み付ける

 

「ち、違うのだ… 違うのだ…!」

 

吐瀉物を擦りながら、あやかはこの日何度目かの釈明の機会を求めた

 

「何がどう違うのかしら…?」

 

能面の様に無表情のまどかの呟きには、苛つきをも越えた疲労感が滲んでいた

それはつまり、この妹に対する一連のおぞましい加虐が、彼女の中では高い正当性を持って行われている事を物語っていた

決して知恵故障の妹を面白半分になぶっている訳ではないのだ

母代わりの躾でり、教育であるのだ

 

「違うの… だ……」

 

床の上にポツリと透明な滴が垂れた

それを利用して、吐瀉物の後をもう一度磨く

 

(あやかはただ……)

 

きっかけとなったのは今日のお昼休みだった

あやかは心の中で姉に釈明するかの様に、今日の出来事を反芻した

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