風上家に生まれて   作:新六毛

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あやかだけの神様 5

『チ…… チ…… チ……』

 

時計の秒針が刻む音が、あやかの自室に響く

明かりを点けるのも忘れたまま、あやかはずっとドアの前に正座し、聞き逃す筈も無い玄関の開く音をそうすまいと、耳をそばだてる

時計は既に十時に近い

 

遅い…

 

雀荘に勤める長姉まどかは今週は遅番であり、本来ならさやか姉が晩御飯の用意をする

あやかのカップラーメンのお湯も沸かしたりしてくれるのだ

まどか姉が遅番の時は、さやか姉も遅くなる傾向がある

だが、こんな時間まで遅いのは異例である

最早まどか姉も帰宅する時間…

さやか姉にも八時という門限が定められており、定めたまどか姉の意向は絶対不可侵なのである

無下にする事など、二人の妹は微塵も考える事は無い

 

『ガチャガチャ… ガタン……』

 

程無く玄関の鍵が開けられ、次いでドアの開く音がした

 

「!!」

 

解錠と玄関の開け方から、それがまどか姉の帰宅だと分かった

少しでも理不尽なお仕置きから逃れる為に、あやかの五感は常に研ぎ澄まされていた

この家に姉達と住み続ける限り、恐らく彼女は長生き出来ないだろう

あやかは飛び出したい衝動に駆られたが、何とか自重した

帰宅した姉達への面会が許されるのは、帰宅一時間後か、直接呼びつけられた時のみである

それまでは自室で"良い子"にしているのが、あやかに課せられたルール

本来の日なら、さやか姉が明るい声で長姉を出迎えた筈…

まどか姉も暗い我が家の様子から、異変を感じ取ったのかも知れない

 

「……さやか……?」

 

まどか姉の珍しく緊張した声が階下から聞こえた

あやかは意を決して、約束を破る事にする

さやか姉を心配しているのはあやかも同じなのだ

早く不安を共有したい

さやか姉がお出迎えしない以上、あやかがお出迎えしなければ…

そんな擦れた責任感もあった

 

「ま、まどか姉… お帰りなさいなのだ……」

 

出来るだけ感情を刺激しない様に、あやかは声のトーンを極力落とした

 

「さやかは…?」

 

約束違反を咎める訳でも無く、あやかが知る筈も無いであろうそれを尋ねるまどか姉

珍しい事である

それだけ彼女の動揺と混乱は本格的になっていた

 

 

 

 

 

「はい… はい… 分かりました… 何か手掛かりがありましたらお願い致します……」

 

まどか姉はあれから方々に電話を掛け続けた

警察にも既に連絡済みである

だが、さやか姉の手掛かりとなる情報は一切無かった

何時も通り学校を出て、何時もの曲がり角で友達と別れたという

 

「……………」

 

あやかの目の前のカップラーメンはもう冷えきっていた

こんな時でもあやかの為にお湯を沸かしてくれるのがまどか姉である

慕って当然である

しかし流石のあやかも、それに手を伸ばす気にはなれなかった

 

「はぁ……………」

 

ソファーに腰掛けるまどか姉は、大きなため息をついてスマホを膝の上に置いた

肩と頭をがくりと落として項垂れる

憔悴仕切ったまどか姉の姿を見るのは、揃って母の遺体と対面した時以来でる

 

まどかは最悪の事態も覚悟していた

格闘技の心得があるとは言え、そこはまだ小娘

複数の男達に連れ去られては…

どれだけ恐怖に震えている事だろう…

私の名前を呼び続けている事だろう…

或いはもう、名前を呼ぶ事すら…

明日の朝… 警察から連絡が入り… 何処ぞの雑木林で……

それを想像しただけで、まどかは胸を締め付けられ、呼吸が覚束なくなった

絶対に守ると誓った妹…

彼女を守れずして一体この先、何を大事にして生きて行けば良いのか…

否、もう生きては居られない…

まどかは天国の母に祈るしか出来ない自分が口惜しかった

 

 

 

「多分… さやか姉は大丈夫なのだ……」

 

あやかはまどか姉を励まそうとした

あやかもさやか姉は心配ではあるが、それはまどか姉の様な無惨なケースを想像しているのでは無く、顔が見れない事の心配である

居るべき存在がそこに居ない、喪失感から来る落ち着かなさである

何故なら、さやか姉はもう幸せになっている筈だからである

神さまにそうお願いしたのだから

ただその幸せのさやか姉が、一体何処で道草を食っているのかという心配、このままではまどか姉にお仕置きを受けちゃうよ、という老婆心である

 

「さやか姉は幸せなのだ… そんなに心配は要らないのだ……」

 

他意は無い

ありのままを述べただけである

まどか姉に神さまのお話をしても、きっと信じてはくれまい

そんな思いもあった

だが、まどか姉はその言葉を違う意味で受け取った

 

 

 

「……………なに?」

 

 

 

まどか姉がゆっくりとあやかに首を向ける

 

「さやか姉は幸せになったのだ! きっと大丈夫なのだ!」

 

まどか姉が静かに立ち上がり、あやかの元にゆっくりとにじり寄る

 

「まどか姉……?」

 

その顔が徐々に紅潮していく事に、あやかは緊張を覚えた

 

「……もういっぺん… 言ってみろ………」

 

何時ものマダム口調では無かった

 

「あの…!?」

 

弁解の言葉を言い終わる前に、あやかはTシャツの襟首を絞られて、顎を反らされた

Tシャツの裾からあやかの臍穴が見える

 

(こ、これは… 駄目なのだ……!!)

 

心の中でも声が裏返った

あやかの本能が激しく警鐘を鳴らす

未曾有の何かが今、目の前に迫る

極限までエネルギーを蓄積した何かが、一気にそれを解き放つ

 

"超新星爆発"

 

あやかがもしそんな言葉を知っていれば、そう表現したであろう

 

まどかは己の血が滾るのを感じた

己の内面から姿を現そうとする魔物を、何とか理性で抑え込もうとするが、叶いそうに無い

雑木林の中で、無惨な全裸遺体を晒す長妹…

その姿を"幸せになった"と宣う次妹…

もうどうにも我慢が出来なかった

 

(お母さん… もう良いですわよね… わたくし… 頑張りましたわよね……)

 

 

 

「ぶぎゃっ!!!」

 

 

 

あやかは口の中で歯が砕ける音を聞いた

身体が吹き飛ばされ、食器棚に激突する

ガシャンと大きな音を立てて、ガラス戸と食器が砕け散る

細かな破片があやかの皮膚を切り裂いて、そこから真紅の雫を生み出した

 

「う… うはぁぁぁぁ……」

 

口内から溢れる鮮血を垂らしながら、あやかはそのガラス片を掻き分けて進む

逃れる為である

何処にという訳では無い

何処にも逃げ場が無い事は分かっている

それでも本能が… 命を保ちたいという生存本能が、あやかにそうさせる

 

「うあっ!?」

 

その頭頂の髪の毛を鷲掴みされた

身体が反らされる

 

「やぁっ!? やらぁぁぁぁっ!!」

 

手を振って必死にその手を払おうとする

 

「ぐぅっ!?」

 

こめかみに衝撃が走った

痛みとして認識は出来なかった

まどか姉の打撃は、さやか姉のそれとは次元が違かった

全てが痛みでは無く衝撃だった

命を削がれる衝撃だった

 

「がぁっっっ!?」

 

もう一撃

 

「ぎゃっ!?」

「ぶわっ!?」

「うぐぅっ!?」

 

更に三発

意識が遠退く

床に倒れたあやかの腹部に衝撃

 

「ぶっ!?」

 

胸部に衝撃

 

「かっ!?」

 

そして顔面に衝撃

 

「!?」

 

全てがブラックアウトした

 

 

 

 

 

『チッ…… チッ…… チッ……』

 

秒針が時を刻む音が大きく聞こえた

冷たい感触を背中に感じる

 

「う…… うん………? ……ヒッ!?」

 

身体を動かそうとして激痛が走る

何処が痛いのかは分からない 全身が痛い

思わず息が詰まる

 

「ふぅ…… はぁ……」

 

何とか呼吸を整え、痛む身体を庇いながら、上半身を起こす

辺りには割れたガラスと食器の欠片が散乱している

テーブルが大きく擦れて、椅子が二つ倒れていた

 

「はぁ…… はぁ…… はぁ……」

 

どれ程の時間がたったのだろうか、そこにはあやかしか居なかった

思わずホッとした

まどか姉はさやか姉を探しに出たのか、それとも連絡があったのか…

 

「パイパイパイパイパ~イ…」

「!?」

 

またあの奇声がした

あやかは痛む身体を捻って、声のしたリビングを望む

 

「神さま……」

 

口内も切った様で、舌を動かすと激痛が走る

 

「ささ… 最後の願い、申すのじゃ……」

 

「…………?」

 

小首を傾げるあやか

相変わらず神さまの言う事がイマイチ飲み込めない

 

「お願いは神さまに上げたのだ… あやかはもう… お願い出来ないのだ……」

 

小さく咳込みながら、絞り出す様にあやかは答えた

呼吸が楽にならない

身体の内部が傷付いているのかも知れない

 

「聞き分けの無い事を申すな… あと一つであろう……」

 

神さまは何事も無いかの様に、何時もの穏やかな視線を此方に向けてくる

 

「あやか、多分死んじゃうのだ… だから… お願いはいいのだ……」

 

助けて欲しいと願う気にはなれなかった

もういいと思った

 

「何を言う… 六つ目の願いで命は救ったであろう… いずれ痛みも引くであ~る…」

 

「!? ……あやか… お願いしたのだ……? 助けてって… 言っちゃったのだ……?」

 

神さまは小さく頷いた

意識を失う境で、無意識に祈ったのかも知れない

それが良い事だったのかは、今のあやかには分からなかった

 

「そだ… 神さま… まどか姉は……? さやか姉も帰って来ないのだ……」

 

あやかの側にずっと居たなら、神さまはその行方を知っているかも知れないと思った

 

「お主の上の姉御前は火星に飛ばして置いた…」

 

「………えっ……?」

 

「お主が行き先を指定せぬもなでな… 近くては意味も無かろうと思うたが… 離し過ぎたかの……?」

 

あやかの低い知能はその言葉を処理するのに、存外時間を要した

 

「………えぇ!? ……神さま…… 何で…… やだっ!? 何で!?」

 

あやかは血糊にまみれた口をパクパクとさせる

 

「お主の五つ目の願いであろう… こっちに来ないで、という……」

 

「………………はぁ?……………」

 

あやかは魂が抜け出るるかの様な、大き息をついた

 

「……まどか姉… 火星? 大丈夫なのだ? 死んじゃわないのだ…?」

 

「さぁの~… そんな事は分からぬ…」

 

「……………………」

 

あやかは自分が震えている事に気が付いた

 

「さやか姉は…… さやか姉は知らないのだ…?」

 

「下の姉御前の方か…? あれは鯨に命と形を変えてやったわ……」

 

「なんでっ!?」

 

あやかは絶叫した

全身に激痛が走る

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