一台のバスが曲がりくねった峠道を登って行く
急カーブの連続に車体が揺れる
最後部に陣取った美しい三人の姉妹も、その動きに釣られて細い身体を左右に揺らす
タイヤがアスファルトを噛む振動が、シートを通して臀部に伝わり、彼女達の艶やかな髪裾を震わせる
やがて峠の頂きが近付き、バスはスピードを落とす
目的地のバス停は、そこに少しだけ広がった砂利の路側帯に立っていた
『プシュ~……』
エアーが抜けて、折戸が開く
小さな巾着袋を手に下げた長女、まどかが下車する
次に白百合とラベンダーの花束を抱えた次女、さやかが姿を見せる
最後に少し遅れて三女のあやかがステップを降り…
「うぼぼぼげぇぇぇぇぇ……」
その場に四つん這いになって、盛大に嘔吐した
「キモ……」
その姿にチラリと視線をくれたさやかは、顔をしかめて一言そう吐き出し、そこから伸びる石段の上を何事も無い様に行く姉の背中を追った
降車客は彼女達だけだったようだ
バスはエンジンを吹かして、今度は峠の道を下って行った
「ま… 待って…… 置いてかないで… なのだ……」
胃の中を空っぽにし、幾らか気分の落ち着いたあやかは、二人の姉の後を慌てて追う
蝉の鳴き声が辺りの杉林に木霊する
遠く山間に見えるは織平市の町並みか
澄んだ山頂の空気は乾いて爽やか
一陣の風が、石段を駆け上がるあやかを追い抜いて、入道雲の浮かぶ青空へと登って行った
母の命日であるこの日に三人で墓参りをする事が、もう何年も続く風上家の習わしである
数十段を昇り切ると、そこで空間は急に開ける
大きくはない古い山寺と、その奥に佇む数十基の墓標
更にその向こうに、深緑の山嶺と夏の空が広がった
まどかが水桶に湧水を汲み、柄杓を携えて墓群の中を行く
さやかは母が好きだった花々の香りを鼻腔に満たし、在りし日のその姿に思いを馳せた
あやかは吐瀉物で汚れた口元と手の甲を湧水で濯いで二人の後を追う
母の墓は一際見晴らしの良い崖の際にあった
まどかは荷物を置くと、素手で墓所の草むしりを始める
さやかも並んで草むしりを始める
あやかはそこから見える遠望に心を打たれ、弾む心を鼻歌で表現していた
「あやか……」
どの位そうしていただろうか、墓所の外れで桔梗の花を摘んでいたあやかは、まどか姉の呼ぶ声で振り返る
既に墓所の草は綺麗に除かれ、その墓前には美しい花々が備えられていた
あやかは慌てて居並ぶ姉の列に加わる
長姉まどかが手を合わせて頭を下げる
それに合わせて二人の妹も祈りを捧げた
蝉時雨と、夏のそよ風が杉の梢で奏でる柔らかな音色だけが、余りに美しい三姉妹の、美し過ぎるその姿を包んだ
あやかはこの一年中に起きた様々な出来事や、その思い出を母に語って聞かせた
母はきっと喜んでくれただろう
微笑むその姿が脳裏に浮かんだ
暫くして隣のまどか姉が立ち上がる気配がした
それに合わせてあやかも瞼を開く
今年も滞りなく、母の墓参は終了した
けんけんぱーの要領で、石段を一つ抜かしに跳ねて下りるあやかは、後から来る姉達を見上げて口を開いた
「今年もお蕎麦… 食べて行くのだ?」
例年墓参り後に、この近くにある蕎麦屋で食事をして帰る事が、三姉妹のもう一つの習慣となっていた
お斎的な意味があったのかも知れない
そんな事など思いも及ばぬ知恵故障は只々、年に何度も無い外食の期待に胸を踊らせる
「どうせ食べたってゲーになるだけでしょ? このゲー製造機! 勿体ないからアンタはそこらの虫でも食ってなさいよ!」
当然それを見透かす次姉さやかは、苦々しく顔を歪めて毒づく
「ど、どうしてそんな事言うのだ…? 虫さんなんて美味しくないのだ… あやかもお蕎麦さん食べたいのだ……」
せっかくの楽しみを阻害された気がして、あやかは潤んだ瞳で抗議の視線をさやか姉へと向ける
あやかは知恵故障ではあるが、二人の姉に対する態度は明確に分けていた
一切の抗議や反抗的態度をとらない長姉まどかと、下手からのみ抗議の意思を表明する次姉さやか
舐めている訳ではない 歳が近い分だけ甘えているのだ
(昆虫の様な目ね……)
その抗議を向けられたさやかは、あやかの目を見てそう思った
大きくクリクリした瞳と言えば聞こえが良いが、その実、ただ黒目がちなだけで光を… 知性の光を灯さない、妹のガラス玉の様な瞳が頗る気味悪かった
『ジ~~~……』
その時、丁度頭上をクマゼミが鳴きながら通り過ぎた
さやかは子供の頃に見た、蝉の死骸を思い出していた
あの黒い、ビーズ玉の様な目玉…
此方に向けられる妹の瞳は、正にあの目玉と瓜二つだ
そう思った
(キモい… とにかくキモい……)
自分とまどか姉が汗を流してお墓の草むしりをしている間、このキモい妹はずっと鼻歌を奏でて、野花を摘んでいたのだ
コイツには目の前のお墓に誰が眠っているのかも、何の為に手を合わせているのかも、きっと分からないのだろう
只々、頭の中はお蕎麦の事でいっぱいだったのだろう
正に虫だ…
眉間に皺を寄せてその姿を睨むさやかは、思わず背中を虫酸が走り身震いした
冷たいその視線に堪えきれ無くなったのか、はたまた五秒前の事を忘却したのか、あやかは再び前を向いて石段を下り始める
さやかはその臀部に長い足の爪先を伸ばす
小突いてやろう…
そんなつもりだった
キモい分際で小生意気な妹を、ちょっと脅かしてやろう…
本当にそんなつもりだった
転ばせても良い…
その位には思っていた
そんな思いでさやかの爪先は、あやかの腰と臀部の間を小突いた
それは丁度、あやかが下段に向けて跳躍を見せようとした瞬間だった
普通に下りるだけなら、きっと何の問題も無かったであろう
ただあやかは……
あやかは知恵故障であった
常人には予測不能な無駄なアクションが常に付きまとった
それは今回も同じだった
あやかは僅か一段下に下りるのに、両足でステップを踏んだ
さやかの爪先が小突いたのは、正にそのタイミングだった
「うひやっぁ!?」
正に棒が倒れる様だった
あやかが身体を浮かせた瞬間、その重心は大きく前方ずれ、そしてその場で前転するかの様にして頭を石段に叩き突けた
「びゃっ!?」
牛蛙が潰れた様な悲鳴を上げ、そしてあやかはそのまま石段を転がり落ちる
「ばっ!? ……ぼっ!? ……びっ!?」
身体を強かに打ち突ける度に響く危険な呻き声
受け身も取る事も儘ならず、ゴム人形の様相で転げるあやかは、そのまま一番下まで落ちてその場に伸びた
「ちょぉっ!?」
「あやかぁっ!?」
然しもの姉達も余りの凄惨なその光景に目を見開き、大きな悲鳴を上げる
常日頃、死んでくれたら良いのに…と残酷な夢想するさやかでさえ、実際に血を分けた妹のその無残な姿を目の当たりにすると、我を忘れてその側に駆け寄った
きっかけを作った負い目もあった
死んで欲しいとは願ったが、殺したいと思った訳では無い、そんな言い訳にもならない言い訳を、心の中で何度も反芻した
「ちょっと、あやか!? ふざけないでよ! しっかりしなさい!!」
さやかは痣と血にまみれたあやかの顔を抱き抱える
鬼にはなり切れない鬼姉の姿である
「あやか? ……あやか!?」
まどか姉も追い付き、あやかの顔を覗き込む
間違いなくこの五年で最も姉達の同情を集めた瞬間であった
「う…… う~ん……」
あやかは激痛に遠退く意識の中で、懐かしい母の姿を見た気がした