風上家に生まれて   作:新六毛

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あやかの長い夜 6

夕食のお膳に向かい、ほうれん草のお浸しを突つきながら、あやかはまた取り留めのない話を切り出す

あれからずっとあやかだけが喋り続けた

よしこは時々混じるあやかの問いかけに、極めて短い肯定と否定の呻きに似た声を上げるだけだった

ホントはよしこの話を聞きたかった

色々尋ねてみたかった

だがいざそれを切り出そうとすると、どうしても心が引けてしまう

未だ開こうとはしないカーテンが、彼女の心の中の壁の様な気がして、あやかはそこに踏み込む勇気が持てなかった

そう、勇気が無かった… きっと知る事が怖かったのだ…

 

「今日もご馳走さまでしたのだ!」

 

いつの間にか顎の痛みも薄らいで、昨日より幾分大きな声で食後の礼をする

看護婦がカートを押して出て行くと、再び病室は二人だけの空間となった

 

「……………………」

 

流石に話す話題もなくなり、あやかはベッドに横たわり天井を見上げる

古い蛍光灯から音が聞こえる気がする

首を傾ける

昨日より少し賑やかになった折り鶴の向こうに、クリーム色のカーテン

 

「……よしこちゃん… 退院したら、あやかのお家にあそびに来て欲しいのだ」

 

あやかは逆に結論から導く事にした

相手を良く知って、親しくなるのが友情の結論なら、最初に親しくなってから良く知っても良い筈だ

故障した知恵が珍しく柔軟な発想を閃かせる

それに怪我を治して退院する、というのは二人の共通の目標であり、連帯感を強める効果もある筈だ

 

「……………………」

 

だが、せっかくのあやかの機智に富んだ親交策にリアクションが無い

 

「大丈夫なのだ! まどか姉が厳しいのはあやかだけなのだ! さやか姉なんか毎日甘々なのだ! ずるいのだ!」

 

もしかしたら先程のまどか姉の怒気に恐れをなしているのかも知れない

そんな思いでフォローするが、やはりカーテンの向こうからの返事は無い

 

「……………………」

 

これ以上、無理強いもできない

フレンド登録してくれただけでも大きな前進なのだ

どうせ入院はまだまだ続く

ゆっくり時間を掛けて仲良くなれば良い

あやかはそう考えて、再び顔を天井へと向けた

 

「………………あやかちゃん…」

「!?」

 

不意に名前を呼ばれてドキッとなる

自己紹介以来の意味のある言葉の羅列

当初抱いたそれより、更に透明な印象のある声だった

 

「な、なんなのだ!?」

 

あやかは努めて明るく返事を返した

カーテンが少しだけ開いて、また彼女の青い瞳が見えた

 

「お願いが…… あるの……」

「う… うん! あやか、何でも聞いてあげるのだ!」

 

あやかに出来る事など大して無いが、その気持ちに偽りは無かった

漸く取れたコミュニケーション

あやかの待ち望んだそれ…

 

「消灯したら… 行きたい所があるの……」

「うん… うん! 任せるのだ! あやか、手伝うのだ!」

 

あやかの脳裏に昨晩の光景が過る

彼女は介添えが必要なのだ

あやかは目を見開き、大きく頷いて見せる

それに応える様に、よしこも瞳をゆっくり閉じて見せた

 

 

 

 

 

時計の針が九時を指すと、またあのメロディーが流れて、蛍光灯の光が掻き消えた

あやかは握った布団の端を鼻の上まで被せて、じっとカーテンを見遣る

何の動きも無い

幾許かの時間が流れた

あやかは声を掛けようかとも思ったが、もしかしたら彼女は寝てしまったのかも知れないと思い、それを取り止め、己も布団を頭から被った

 

『シュゥゥ……』

 

カーテンレールをガイドが走った

 

「!?」

 

その音に反応してあやかは布団から顔を出す

少し寝ていたかも知れない

先程よりちょっとだけ大きく開かれたカーテンの隙間から、よしこの包帯まみれの顔が見える

 

「…………ごめんね… 大丈夫……?」

「だ、大丈夫なのだ……」

 

明らかに自分より大丈夫ではないよしこに気を掛けられて、あやかは思わず恐縮してしまう

 

「ま… 待っててなのだ……」

 

あやかはベッドの手摺に手を掛け、身体を起こす

布団の上を滑って床のスリッパに爪先を伸ばす

 

「……っうぅ」

 

痛みを堪えて立ち上がる

"手伝う"と言っても、あやかとて身体の自由はまだ利かない

何とか自力でおトイレに立てる程度である

だがそれを覚られないように、背筋を伸ばして痛い胸を張る

手摺に掴まりながらベッドの対面に回り、カーテンの前に立つ

あやか迎え入れるかの様に、それは大きく開かれる

ベッドの上のよしこも手摺にしがみ付き、身体を起こそうとしている

 

「無理しちゃダメなのだ… 今、車椅子を持ってくるのだ……」

 

よしこに声を掛けられてから、おば様が寝ていたベッドの隣に、彼女の使っていた車椅子が残されている事をずっと意識していた

あれを使えば、あやかでも何とか介添え出来る筈…

 

「車椅子はいいよ… 自分の足で立ちたいの… 肩を貸して……」

 

よしこの言葉は予想外だった

ストレッチャーでの移動が必要な彼女が、自分の足で立つ事などできるのか…?

果たしてそれを手負いの自分が補佐できるのか…?

あやかは不安になったが、友達の願いを無下にはできない

よしこのベッドの縁に腰を下ろし、半身を起こした彼女の背中に手を回す

包帯のゴワゴワした感触と、それ越しに感じるよしこの体温

見た目よりずっと身体の線は細かった

よしこもあやかの肩に手を伸ばす

その時、あやかの鼻腔を強烈な消毒薬の臭いが刺激した

その臭いはずっと病室に漂っていたが、その発生源が漸く分かった

よしこの身体から立ち上るのだ

凡そ年頃の娘の身体から滲む香りでは無い

あやかはその余りの刺激臭に一瞬たじろぐが、直ぐに心の中で自分にタバコの火を押し付けた

自分が恥ずかしかった

怒りを通り越した憎しみすら感じた

ほんの一瞬でも友達の匂いを嫌悪した自分が許せ無かった

辛いのは彼女の方だと、何度噛み締めれば分かるのか…

だからあやかは敢えて彼女の胸元に顔をピタリと寄せ、そこを起点にしてよしこの身体を支え上げた

 

「……ありがとう… 大丈夫……?」

「だ… 全然大丈夫… なの… だ…… よしこちゃん… どこに行きたいのだ…?」

 

よしこの身体は、これまた想像より大分軽かった

そして予想よりずっと自由が利かないという事が分かった

不自由さが軽さに相殺されて、何とか今のあやかが支える事のできる、ギリギリのラインだった

 

「そこ… そこでいいよ……」

 

よしこは右手を少しだけ伸ばし、病室の窓の桟を指差す

 

「へっ!?」

 

てっきり表の空気が吸いたい、的な事を言われると想像していたあやかは面食らう

 

「そ、そこでいいのだ? あやか、全然大丈夫なのだ」

 

自分に気を使っているのかと思い、あやかは努めて余裕ある風に答える

 

「うん… そこでいいの…… 天の川… 見たくて……」

 

よしこのベッドから僅か十歩足らず…

ブラインドが下ろされたそこに、二人は寄り添いながらゆっくりゆっくり進む

五分は掛かったかも知れない

窓の側近くに丸椅子、あやかはそこによしこをゆっくりと座らせた

 

「……ありがとう……」

「全然どういたしましてなのだ…」

 

痛みを堪えたあやかの背中は汗でびっしょりだったが、覚られぬ様、大きな笑顔でよしこ答える

 

「………………」

 

よしこも笑顔を見せた

顔の半分を包帯に覆われているが、笑顔だとはっきり分かった

 

「!? ……気付かなくてゴメンなのだ」

 

あやかはハッとなり、慌てブラインドの紐を引く

スルスルとそれは上がって行き、その向こうに漆黒の宵闇が姿を現した

そこに目を凝らすよしこ

あやかも隣で同じくそうする

 

「やっぱり見えないね……」

 

病院の駐車場の街灯と、その先に広がる織平市の夜景

天の川を見るには余りにも明るい闇だった

 

「退院したら一緒にお山に登るのだ あやか、見た事あるのだ お山の上からは、こ~んなにお星様が見えるのだ」

 

寂しげなよしこを励ます様に、あやかは大袈裟に手を広げてその場に輪を描く

 

「…………無理だもん……」

 

ポツリとよしこは呟いた

 

「無理じゃないのだ! 途中まではバスで行けるのだ!」

 

さっきよりも更に小さく見えるよしこの背中に、あやかは可能な限りの明るい声を掛けた

 

「あやかちゃん、今夜も寝た振りをしていてね……」

「………?」

 

直ぐによしこの言葉の意味が理解できた

今夜も人目を忍んでの治療なのだろう

大きく頷くあやかに、よしこは手を伸ばした

 

「絶対一緒に見に行こうなのだ…」

 

あやかは再びよしこに肩を貸し、彼女のベッドまでゆっくりとエスコートした

 

その夜更け、ストレッチャーが病室に入ってくる気配を感じても、あやかは身動ぎ一つしなかった

ただ友達が一刻も早く完治する事を、布団の中で祈り続けた

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