風上家に生まれて   作:新六毛

29 / 92
あやかの長い夜 7

「風上さ~ん、検温ですよ~ おはよ~、風上さ~ん…」

 

今朝も看護婦に起こされた

寝惚け眼で体温計を脇に挟み、隣のベッドを見遣る

今日もそこに掛かるカーテン

あやかはよしこの顔が早く見たかった

看護婦が体温計を持って病室を出ると、早速声を掛ける

 

「おはよう、よしこちゃん! 昨日はゆっくり寝れたのだ?」

 

少し間を置いて、カーテンが少しだけ広げられた

 

「おはよう…………」

 

そこに見えたよしこの顔は、あやかの期待とは裏腹に、窶れ、憔悴仕切っている風に見えた

 

「……よしこちゃん? 治療、痛かったのだ…?」

 

心配になってあやかは身を起こす

 

「うん…… 痛かったよ… もう少し… 休むね……」

 

そう言ってよしこはカーテンを引いた

 

「うん… お休みなのだ……」

 

あやかのテンションは急激に萎む

本当なら今日は、昔、山の上で見た満点の星空の話を聞かせてあげたかった

退院した後に二人で行く星狩りについても、相談という名のお喋りがしたかった

だが今日のよしこの様子では、とても楽しい会話などできる状態では無い

それどころか静かにして休ませてあげなければ…

あやかは今日は特に遅いであろう時計の針を凝視して、長い一日の始まりにため息をついた

 

 

 

 

 

「プラチナ面会!」

 

その日の午後、独特の台詞回しが特徴的な月火ちゃんがお見舞いにやって来た

 

「すぴ~… すぴ~…」

 

だが、それを予見していたあやかは狸寝入りでやり過ごす

当然、月火ちゃんを疎んででは無い

隣のよしこを気遣ってだ

 

「プ、プラチナ塩対応……」

 

月火ちゃんは肩透かしを食らった様だが、直ぐに気を取り直したらしく、新しい折り鶴達と、よく分からない折り紙のオブジェをベッドの枕元に置いて、漫画の様な抜き足差し足で病室を出て行った

彼女と同じ芸術肌のあるあやかは、彼女の作ったオブジェがジャッコランタンである事を直感で見抜く

きっとあやかの怪我が早く治る様にとの願いを込めた物なのだろう

 

(ありがとうなのだ… そしてゴメンなさいなのだ、月火ちゃん……)

 

あやかは遠ざかる彼女の足音に、心の中で詫びを入れた

 

 

 

 

 

夕方にはさやか姉が面会に訪れた

まどか姉に持たされたというカット林檎の詰まったタッパーを布団の上に放り投げ、毎日静かで穏やかな日々が送れている的な事を一方的に語って帰って行った

何だか良く分からないが、とにかく幸せそうなさやか姉の姿にあやかも心を癒された

 

 

 

 

 

その日の夕食を終えても、よしこが顔を覗かせる事は無かった

 

「よしこちゃん… 大丈夫なのだ…?」

 

ずっと声を掛けるタイミングを探っていたが、このままでは一日が終わってしまう

あやかは思いきってカーテンの向こうに囁き掛けた

小さな"うん"が聞こえた

相変わらず元気は無かったが、あやかは少し安心した

 

「おやすみなのだ… また明日なのだ……」

 

あやかはそう呟くと、消灯を待たずに布団を被った

早く寝れば、早く明日が来る筈…

明日が来れば、退院の日も近付く筈なのだ

 

 

 

 

 

「……ちゃん… ……あやかちゃん……」

 

誰かの呼ぶ声で意識が揺り動かされる

朝は本当に早く来た

濁る頭でそんな事を考える

 

「…………あやかちゃん……」

 

今一度名を呼ばれて、漸く意識の焦点が定まる

 

「…………よしこちゃん?」

 

朝では無かった

闇に閉ざされた病室

声の主はカーテンの向こうの彼女しかいない

 

「ど、どしたのだ!? どこか痛い痛いなのだ!?」

 

異常がなければ起こされる筈は無い

昼間の彼女の様子を思い起こせば、その声が助けを求める物だと容易に想像がつく

あやかの声は緊張に上擦る

 

「起こしてゴメンね… 今夜もお願いがあったの……」

 

だが、その声は予想に反して穏やかだった

あやかはホッと胸を撫で下ろす

 

「なんなのだ? あやかにお任せなのだ…!」

 

それどころか、昼間に比べれば明らかに元気を取り戻したよしこに、あやかのテンションは真夜中にも関わらず上昇する

 

「……こっちに… 来てくれる…?」

「うん…!」

 

昨晩と同じ様に、あやかは手摺に掴まりながらよしこの元に歩み寄る

心なしか昨晩より身体の痛みも薄らいだ気がする

 

「今日も天の川、見て見るのだ…?」

 

あやかの問いに答える様に、カーテンが静かに開いた

上半身を起こしたよしこが待っていた

 

「ううん… 天の川はもういいよ… その代わり……」

 

よしこはそう言い掛けて、ベッド脇の棚に手を伸ばす

 

「これなのだ?」

 

あやかはよしこの心を読んで、そこに置かれた黒いポーチを取って差し出す

 

「ありがとう…」

 

お礼を述べたが、よしこはそれを取ろうとしなかった

 

「……あやかちゃん… その中に櫛が入ってるんだ…」

「うん…? お任せなのだ」

 

ポーチのチャックを開いて中を覗く

化粧用具や乳液の小瓶、やはり女の子の持ち物といった小道具類の間に、小さな鼈甲の飴色があった

 

「キレイな櫛さんなのだ~……」

 

単純なあやかは感嘆のため息を漏らしながら、小さなそれをよしこに手渡す

だが、よしこはそれを取らない

 

「あやかちゃん、それ…… あたしの右手に結んで……」

「う…… うん…?」

 

言われる意味が分からなかった

櫛を手に結んでどうするのか…?

いくら知恵故障とは言え、それが意味のある行動とは思えなかった

 

「……お願い、あやかちゃん… 何でもいいよ… きつく結んで……」

「う、うん……」

 

それでもよしこに急かされ、あやかは訳も分からぬまま適当な結束道具を辺りに探す

そして自分のベッドの枕元にあった、ジャッコランタンに結ばれた金色のリボンに目を付け、それを解いてから再びよしこの側に戻る

 

「……どう結べば良いのだ…?」

「親指と… 人差し指で掴んでるみたいに……」

 

器用とは言い難い人間のあやかだが、何とかよしこの願いを叶えるべく奮闘し、彼女の右手の指に櫛を結び付ける事に成功する

 

「できたのだ…!」

「……ありがとう… あと… そこの鏡で私を写してくれる…?」

 

言われるがままに、あやかは棚の上の立ち鏡を手に取り、それを胸に当ててよしこを写す

 

「これでいいのだ?」

「うん… ありがとう……」

 

よしこは礼を呟くと、あやかが結んだ右手の櫛で、包帯の間から零れる長い髪をすく

 

「よしこちゃん、髪ならあやかがとかしてあげるのだ…!」

 

そう言うと、あやかは鏡を布団の上に置いてよしこににじり寄る

 

「ううん… いいんだよ…… 自分でやりたいの…… 自分の手でとかせるのは… 今夜が最後だから…… 最後、の思い出に……」

「えっ…?」

 

よしこの言葉はまたしてもあやかには理解不能だった

 

「…………今夜も寝た振りをしていてね… あやかちゃん……」

 

あやかを諭す様に語り掛けるよしこ

だが、その言葉尻と一連の不可解なお願いに不吉な物を感じたあやかは、今夜はその言葉に素直に頷く事ができなかった

 

「……よしこちゃん…? どうして… 最後なのだ…? 髪の毛は… いつでもとかせるのだ…… 変な事を言っちゃ… ダメなのだ……」

 

あやかのお得意の本能が、心の奥で警鐘を鳴らし始めた

 

"嫌な予感"

 

風上家で研ぎ澄まされたあやかの生存本能がこれを察知して、誤りだった事など今まで一度も無かった

 

 

 

「………今夜切り落とすのよ… この両腕を……」

 

 

 

よしこは櫛を結わえた右手に左手を添え、あやかの方へとゆっくり突き出した

あやかの心の中で何者かが短い悲鳴をあげた

 

「ど… どうして……? そんな嘘ついちゃダメなのだ… ホントになっちゃうのだ……」

 

信じられない話だし、嘘であって欲しいが、その願いが今から否定されるであろうという予感をあやかはしていた

 

「嘘じゃないよ… もう殆ど動かないんだ… この手…… 感覚が無いの… 腐っちゃてるんだ……」

 

「そ… そんな…… お医者の先生は… お医者の先生が治して……」

 

「昨日は最後に自分の足で歩きたかったの… 今日は最後に自分の手で髪をとかしたかったの……」

 

よしこは左の腕でカーテンを押し広げる

広がったあやかの視界の隅に、包帯に巻かれた彼女の両足が映った

膝から下の無くなった彼女の両足が…

彼女の深夜のストレッチャー移動は、治療の為では無かったのだ…

 

「うぅぅ…… うぅぅん… ずくっ… ぐすす………」

 

あやかは静かに啜り泣きを始めた

掛ける言葉が見当たらなかった

 

「あやかちゃんのお陰で思い出が作れたよ… ありがとう……」

 

全てを悟ったかの様な、さっぱりとした表情と声だった

 

「これ… 外してくれる……?」

 

櫛の巻かれた右手を差し伸べてきた

唇を噛みながら涙を流すあやかは、震える両手をそれに伸ばす

 

「……でもやっぱりいいや… このままで……」

 

よしこは不意に手を引っ込めると、ゆっくりとその身を倒して横になった

 

「カーテンを閉めてくれる…? ……今夜も寝た振りをしていてね……」

 

「……出来ないのだ!」

 

あやかは震えた声で叫んだ

拒否する事が何になる訳でも無いが拒んだ

恐らく現実を拒んだ

 

「あやかちゃん… 昨日のお話… 聞かせてくれる…? ほら… 山の上で見た……」

 

「出来ないのだ!!」

 

あやかは痛む身体を最速に動かして病室を出て行く

よしこちゃんが自分に側に居て欲しい事は分かっていた

とても非道い事をしている自覚はあった

だが、もうどうしてもそこに居る事が出来なかった

両足を落とされ、これから両手を落とされる彼女にどんな声を掛ければ良いのだ…?

何て励ませば良いのだ…?

 

宛も無く廊下をさ迷い、非常階段の踊り場に辿り着いたあやかは、そこで膝を抱えて踞った

残酷過ぎる現実から少しでも離れて、逃れたかったのだ

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。