「まどか姉、今日はどうするつもり?」
さやか姉の声には張りと艶があった
張りと艶… それがどんな物なのか、実はあやかは良く分からない
分からないが、何となくそんな物がある気がしたのだ
楽しい事を目の当たりにした、頗る機嫌の良い次姉の声
さやか姉がご機嫌な時はあやかも嬉しかった
理由がよく分からない、自分にとっては理不尽なお仕置きを下される可能性が著しく減るからだ
ただ今のさやか姉のご機嫌が、自分に対するお仕置きへの期待から産み出されている事はあやかにも理解できた
嬉しくは無い、次姉のご機嫌だ
考えたくはない… 考えたくはないが……
時々、姉達は楽しむ為に自分にお仕置きをしているのではないか…
その様な事を夢想する事がある
勿論、お仕置きされるのは絶対に自分が悪い筈なのだ
あやかは姉達が大好きだ
お母さんが亡くなった後、母代わりに自分を育ててくれた姉達だ
姉達が居なければ、到底一人では生きて行けない
そんな姉達を嫌いになる訳が無い
……無いのだが………
時々… 本当に時々……
あやかは天国のお母さんの所に行きたくなる……
あやかは自分が足りない子である事を理解している
"普通"ではないのだ
だから姉達に叱られるし、叱られる理由も良く分からないのだ…
全部自分が悪いのだ……
それでも… 時々……
どうしてもお母さんに会いたくなって……
「どうするって…… 反省の色もありませんし… 流石に私も疲れましたわ……」
長姉は組んだ腕を漸く解いて、緩く結んだ長髪をゆっくりと撫でた
心底うんざりというオーラが滲み溢れていた
床に正座し、吐瀉物をしごき取ったティッシュを膝の上で抱えるあやかは、只々自分が情けなかった
妹達を養う為に雀荘で夜遅くまで働くまどか姉
そんな長姉が忙しい最中作ってくれたお弁当を恥ずかしがった自分が…
だけどあやかの気持ちも分かって欲しかったのだ
明日は… 明日は……
みんなと交換できる様なおかずを入れて欲しかったのだ……
「それじゃ、今日もここから先は私に任せてくれる?」
ここまでは何時もの光景 予定調和だ
今の風上家では長姉まどかの意向が絶対なのだ
さやか姉でさえ口答えなどあり得ない
何時もそう
まどか姉が決定し、さやか姉が実行するのだ
あやかはもう覚悟している
何度も経験したシーン
この後まどか姉がお仕置きの執行を許可し、直後にさやか姉の膝が顔面に飛んでくるのだ
いや、今日は床を汚したから、床に頭を叩き突けられるかも…
その上から何度も後頭部を踏み潰されるのかも…
やはり泣いてしまったのは痛かった
泣かなければ晩御飯抜きと、おでこでの煙草消しで済んだのかも知れない…
出来れば顔面への痛撃は避けたい
明日クラスのみんなに無様な顔は見せたくない
そうクラスのみんなに…
早くみんなに会いたいのだ……
雫先生………
「……良いですわよ…… でも夜も遅いですから、近所迷惑にならない様にね……」
執行が許可された
「ふふっ もう、まどか姉ったら~ 私を暴力女みたいに言わないでよ~」
だが執行官が見せたのは予想外の反応だった
まどか姉、そしてあやかは思わずさやか姉の顔に視線を向ける
「あやかだって、大事なお友達が居るものね~ 今回ばかりはさやか姉も悪いわ だ・か・ら……」
あり得ない筈の"口答え"
さやか姉は二人の視線を意識しながら、長い髪を大袈裟に撫で上げた
風上家は近所で知らぬ者の居ない美人一家である
取り分け母亡き後、成長と共に容姿に磨きのかかる二人の姉の噂は、近隣の町々まで響いていた
その一人、さやかの白磁の様な染み一つない美顔に、女神の様に歪みの無い真円の笑みが浮かんだ
もしもこの場に男が居れば、その者が男色の趣味でもない限り、間違いなく心奪われた事だろう
「私、さやかが明日のお弁当を作ってあげるわっ!」
言い終わると共に見せた可憐なウインクに、実の妹であるあやかでさえ心が瞬時に温まり、肉体を支配していた恐怖が一瞬で溶け去った
あやかの目には、大好きな雫先生の笑顔と、さやか姉の笑顔が被って見えた
本当に大好きだった、あの遠い日のさやか姉…
幼い日の帰り道、あやかの手を引きながら振り向いて見せた、あの笑顔…
夕焼けの中のあの優しい笑顔…
本当のさやか姉が… 帰ってきたのだ……?
そんな事はきっと無いと、心の何処かで警戒していながらも、あやかはどうしても儚い期待を抱かずには居られなかった
そして、まどか姉だけが長妹の腹の内を読み取り、彼女を霞ませる程の妖艶な笑みを浮かべて瞳の奥に光を漂わせた