あやかは広い部屋の真ん中に一人佇んでいた
壁も床も天井も、全てが染み一つない純白の世界
窓も照明も無いが、そこは何故か眩しい光に満たされていて、また影を作るようなオブジェは何一つ存在しなかった
あやかは、その部屋の只中でじっと虚空を見詰めていた
「!?」
不意に壁の一部が切り取られたかの様に闇となり、そこから黒い人影が何体も侵入してくる
恐怖を感じたあやかは逃げ惑うが、直ぐに部屋の隅に追い立てられる
人影達の手に、光の槍が生えてくる
一番近くの人影がそれを掲げて、穂先をあやかに定める
「やめてっ!!」
叫ぶと同時に人影は光の槍をあやか目掛けて投げ付ける
それが身体の芯を貫くと同時に肩を強く揺らされた
「……さん!? 風上さん!? どうしたの…!?」
「…………………うん?」
そこはあの非常階段の踊り場だった
明かり取りの窓から夏の朝日が射し込んで来る
「こんな所で何をしているの!?」
看護婦は困惑の表情であやかの顔を覗き込む
何時しか寝てしまい、夢を見ていた様だ
「な… 何でもないのだ…… 道に迷っただけなのだ……」
良く分からない言い訳をして、あやかは迷った筈の道をとぼとぼと歩いて行く
病室の前に立ち戻り、ゆっくりと扉を開ける
「…………………………」
よしこのベッドは、今日もカーテンでしっかりと覆われていた
あやかは掛ける言葉も無く、そっとベッドに横たわる
やがて看護婦が検温に訪れ、その後朝食を済ます
あやかは一切声を出す事は無かった
直ぐにベッドに横になり、カーテンに背を向けて目を閉じた
昨日まであれ程苦痛だった、何も無い浪費するだけのこの時間
だが今日は、麻酔を打たれたかの様に眠りの世界に誘われた
睡眠不足もあったが、あやかの精神も疲弊仕切っていたのだ
「あやかちゃん、お見舞いに来たんだよ~」
お昼を終えても尚微睡むあやかの元に、今日は麦波ちゃんが訪れた
「だ、大丈夫~? 具合悪そうだよ~」
乾いた笑顔を向けるだけで反応に乏しいあやかを見て、麦波ちゃんはとても心配した
「大丈夫なのだ… 来てくれて嬉しいのだ……」
「全然大丈夫じゃなさそうだよ~…」
涙を浮かべる麦波ちゃんの姿に、あやかも釣られてなみだぐむ
「あやかちゃん、死なないでね~…」
「うん… がんばるのだ……」
きっと明日の仲良し学級には、"あやかちゃん重篤説"が流れる事だろう
実際、知恵故障娘達が理解出来なかっただけで十分に重篤だった訳だが、今のあやかが入院したての頃より弱っているのも事実だった
麦波ちゃんは今日の分の千羽鶴をあやかに手渡し、涙を擦りながら病室を後にして行った
「……………………」
あやかは隣のカーテンを見詰める
今、よしこちゃんは何を思っているのだろうか…?
あやかをどんな風に思っているのだろうか…?
怒っているだろうか? 悲しんでいるだろうか?
あやかを嫌いになった事だけは間違い無い、そう思った
(よしこちゃんにはあやかしか居ないのに…)
それは思い上がりの気持ちでは無かった
もしも… 麦波ちゃんや、鹿目ちゃんや、月火ちゃんが、よしこちゃんのお友達なら…
一体どうやって彼女に接するのだろうか…?
昨夜のあの場面なら、一体どうしたのだろうか…?
(よしこちゃんは、こんな自分しか居なくて可哀想なのだ……)
あやかは悶々とした思考の渦から逃れる様に目を瞑り、意識を閉ざした
ただひたすら眠りたかった
何もかも忘れて眠り続けたかった
「あやか、退院の日が少し早まるみたいですわよ…」
「うぇ!?」
夕方に訪れたまどか姉の第一声に、あやかは調子外れな声をあげる
確かに痛みは大分引いて来たが、退院が早まるとまでは予想して居なかった
「昆虫並の生命力だって、先生が驚いてらっしゃいましたわ~」
「……………………」
あやかはチラリと隣のベッドを見遣り、そして視線を落とす
「あら…? 余り嬉そうじゃありませんわね…… 何なら貴女向けの別の病院に、ずっと入院していてもよろしくてよ……」
「そ、そんな事ないのだ! あやか嬉しいのだ!ただ虫さん扱いされてカチンと来たのだ!」
「……な、な、な…… なに!?」
「ヒィィィッ!? ち、違う! そうじゃないのだっ!!」
あやかは見透かされた心根を取り繕おうと思ったのか、咄嗟に暴言を吐いてしまう
本来、まどか姉に対する物としては絶対にあり得ないその台詞
向けられた当の本人も自分の耳を疑う程だった
普段なら寝惚けて居てもあり得ない
完全によしこに意識が向いていたのだ
「ち、違うのだっ! お許し下さいのだっ!!」
暴君に命乞いするかの如く、必死に手を合わせて頭を振るあやか
「……フンッ! 帰って来るなっ!!」
ガチギレの象徴、マダム口調の喪失
まどか姉は今日はゴミの処分もせずに、肩を怒らせて病室を出て行った
「あぁ………」
この辺りが自分の"足りなさ"の現れなのだろう
不覚を呪い、あやかはベッドに崩れた
「あやかちゃん… 退院するんだ……」
「!? ……よ、よしこちゃん…?」
カーテンの向こうからの声は、昨日までと同じ穏やかさであった
「そうなんだ…… 良かったね……」
あやかは反応に窮した
言葉を紡ぎ出したかったが、何も出て来なかった
「…………ゴメンなのだ…… よしこちゃん……」
ただその一言、色んな意味を込めたそれだけを何とか絞り出す事が出来た
よしこはそれには返事を返さず、再び病室は沈黙に支配された
「あやかちゃん… 今夜もお願い、聞いてくれる……?」
何十分も経った様な錯覚の後、よしこがポツリと呟いた
「うん……」
あやかは声を出して頷いた