風上家に生まれて   作:新六毛

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あやかの長い夜 9

「よしこちゃん……」

 

その夜はあやかから声を掛けた

少しの間を置いて、カーテンが少しだけ開く

手首の先を失ったよしこの右手が見切れた

 

「あやかちゃん… 今夜は屋上に行きたいんだ……」

「………うん」

 

あやかはベッドを抜け出すと、今度は真っ直ぐおば様の車椅子を引き出して、よしこのベッドの脇に番える

カーテンを開けようと苦闘するよしこの代わりに、それを押し開く

肘を立てて身を起こそうとする彼女の腋に手を差し伸べる

 

「いいのだ?」

「うん」

 

タイミングを計ってよしこの身体を持ち上げる

顔が歪むレベルの激痛が背中と腰に走る

快方に向かっているとは言え、未だ万全には程遠い

それでも歯を食い縛り、よしこの身体を車椅子の座席に移す

 

「ゴメンね… ありがとう……」

 

よしこの礼に答える代わりに、あやかは自分のベッドから毛布を引き出し、包帯にくるまれた彼女の身体にそっと掛ける

 

「それじゃ… ゆっくり行くのだ……」

 

小声でそう言うと、車椅子の背後に回り、グリップを握って体重を掛ける

予想より力を必要としたが、痛みを感じる程では無かった

車椅子はスルスルと病室を抜け出して行く

既に消灯から大分過ぎた廊下には、誰の姿も無い

ナースステーションを避けて遠回りをする

昨夜を過ごした非常階段の手前、エレベーターに辿り着きボタンを押す

静かにカーゴが開いて、あやかとよしこはそれに乗り込んだ

よしこは何も話さなかった

あやかも何も喋らなかった

やがてカーゴは屋上に着き、扉が開く

短い廊下の先、アルミドアの手前で向きを変え、お尻でそれを押し開く

湿度の高い夜の空気が流れ込み、全身に纏わり付く

お尻でドアを押さえながら、そこで再び向きを変え、コンクリートのスロープを下る

二人は屋上へと辿り着いた

 

「夏だね……」

 

よしこが呟いた

 

「天の川… 見えるのだ…?」

 

あやかは夜の闇を仰いだ

 

「見える……?」

「う~~ん……」

 

だがそこには大きな輝星が幾つか瞬くだけ

天の川は見つからない

 

「最後に見たかったな… 天の川……」

 

あやかは何かを言い掛けて、取り止めた

 

「あやかちゃん… 退院しても、私に会いに来てくれる……?」

 

よしこが尋ねた

 

「勿論なのだ…… 友達なのだ……」

 

あやかは答えた

夏の夜風が二人を包んで流れた

 

「みんなそう言うんだ… でも… だ~れも来てくれなかった……」

 

「あやかは違うのだ……」

 

グリップを握る手に力が籠る

 

「私はね… 本当はもっと早くに死んじゃう筈だったの……」

 

あやかはもう逃げようとは思わなかった

全てをただ受け止める事にしたのだ

 

「五歳の時からずっと病院で… でも手が掛かるから、あちこちたらい回しで……」

 

「………………うん……」

 

車椅子の背もたれにあやかは顔を埋めた

 

「お父さんも、お母さんも… もう何年も会いに来てくれないの……」

 

「でも、あやかは違うのだ……」

 

よしこが少し首を捻ったのが分かった

 

「そうだね… あやかちゃんだけだね……」

 

再び夜風が流れ、よしこの長い髪とあやかの頬を撫でる

 

「でも時間切れみたい……」

 

あやかは必死に感情を殺した

 

「違うか… 何とか間に合ったんだね… あやかちゃんと出会うのに……」

 

口の中に血の味がした

噛み締めた下唇から滲んだのだ

 

「あやかちゃん… お顔を見せて…… 今夜でこの目も取られるの……」

 

「うぅぅ…… ぐぅぅぅ………」

 

遂に堪える事は出来なかった

 

「治らないなら… なんでこんな酷い事をするのだ……? よしこちゃんが何をしたのだ……?」

 

誰に言うでもないあやかのその言葉は震えていた

 

「モルモットなんだよ… 治療法を生み出す為の……」

 

対照的に、よしこの言葉は他人事の様に落ち着いていた

 

「でもあやかちゃんのお陰で… 最後に思い出が作れたから…… さぁ… お顔を見せて……」

 

よしこに請われ、あやかは背もたれから顔を離す

そして涙を拭うと、こちらに傾げる彼女の顔を覗き込んだ

あの宝石の様な青い瞳は真っ赤に充血し、眼孔は黒く変色していた

 

「可愛いね… あやかちゃん……」

 

「さやか姉にはよくアンモナイトに似てるって言われるのだ……」

 

「ふふふっ… 何それ、面白い……」

 

「ふふふ… 何だか分からないのだ……」

 

「ふふふっ…」

「へへへっ…」

 

「あやかちゃん… 今夜も寝た振りをしていてね……」

 

「おりょ!?」

 

あやかは素っ頓狂な声をあげる

 

「天の川… うっすら見えるのだ…! ほらっ!?」

 

「ホントだ… 私にも見えるよ……」

 

何時しか二人の頭上に淡い光の帯が浮かんでいた

「ありがとう… あやかちゃん……」

 

二人は暫くそうやって夜空を眺めていた

 

 

 

 

 

「あやか、忘れ物はありません事?」

「無いのだ!」

「そのタッパーは我が家のではありませんの?」

「うおっ!? 忘れてたのだ!」

「そのゴミは袋にお入れなさいな」

「ゴミでは無いのだ! ジャッコランタンなのだ!」

「それも何とかランタンですの?」

「違うのだ! これは鼻をチンしたゴミなのだ!」

「ふざけてるの?」

「すみません…… のだ」

 

退院の日が訪れ、あやかはまどか姉とベッド周りを片付ける

予定の半分、一週間での退院

あやかの昆虫的回復力の賜物である

 

「あぁ 待って欲しいのだ…!?」

 

自分を置いてすこすこと病室を出るまどか姉の背中に追い縋る

 

「………………」

 

病室を出る寸前でピタリと足を止め、後ろを振り返る

あやかとよしこの過ごしたベッドは、今はもう綺麗に整えられ、嘗てそこに過ごした時の名残は何も無い

あやかは手にしたエコバッグから、千羽鶴の一匹を千切ると、嘗てよしこが横たわっていたベッドの枕元にそっと置いた

 

「よしこちゃん、あやかは絶対にまた来るのだ… それまで少しだけ、バイバイなのだ……」

 

あの明くる日、目覚めるともうそこによしこの姿は無かった

帰って来なかったと、言うのが的確なのかも知れない

あやかは誰にも彼女の行方を尋ね無かった

彼女が帰って来るその日まで、あやかは心で寝た振りを続ける事にしたのだ

 

「待ってなのだぁ、まどか姉ぇ!!」

 

踵を返し、あやかはまどか姉を追って病室を出て行った

 

 

 

 

 

織平市の中心部から遠く離れた峠の頂に、古い山寺がある

その奥、見晴らしの良い崖に沿って、数十基の墓群が広がる

そこから少しだけ離れた草むらに、朽ち果て倒壊した一つの墓石があった

今、そこを夏の風が一陣吹き抜け、供えられた桔梗の萎びた薄紫を舞い散らした

その花弁はまるで白鷺の様に、青い空をどこまでも登って行き、そしてやがて見えなくなった

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