風上家に生まれて   作:新六毛

32 / 92
あやかがそこで過ごした夏 1

滲む汗があやかの全身に纏わり付く

割れた窓の隙間から流れ込む微かな風も、彼女を包む茹だる様な熱気を僅かに震わすだけだった

額を滑り落ちた汗の一滴が、鼻の筋を撫でて唇の端に迫る

それを爬虫類の様に舌を伸ばして舐め取る

当然その程度では、彼女の直面している極限の渇きが癒される筈は無い

 

「あ… あやか… 喉がカラカラなのだ…… お水さん… コーラさん… 飲みたいのだ……」

 

もう殆ど分泌されない唾液を何度も飲み込み、掠れる声を潤わそうとするが、効果は無かった

 

「………飲ませて下さい…! あやか… 死んじゃう… のだっ!!」

 

まさに絞り出す

命の極限を本能に近い部分で感じ始めたあやかは、可能な限りの力を込めて必死に懇願する

 

『……………………』

 

だが、あやかの文字通り懸命の呼び掛けにも、遂に答えは帰らなかった

 

「あやか… あやか… 死んじゃう…… 死んじゃう… のだぁ……」

 

涙も枯れていた

死に至る緩慢で生真面目な苦痛だけが、あやかの側で彼女を捉えて離さなかった

 

「助けてぇ… なのだぁ…… まどか姉ぇ… さやか姉ぇ……」

 

霞み行く意識を頭を振って取り戻す

どうしてこんな事に…

ほんの数日前の記憶が、もう数年も前の事に感じられた…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あやかは断然林檎飴を押すのだ! あれはコスパに優れてるのだ!」

「ウェヒヒ~ やはりたこ焼きは外せないかも~」

 

華やかな浴衣に身を包んだ三人とTシャツ姿の一人

その日、学校の側にある神社の境内で、毎年恒例の夏祭りが催されていた

仲良し学級の仲良し四人組は、今年も申し合わせて一緒に祭りを楽しむ運びとなった

 

「みんなで食べるとお好み焼きも美味しいんだよ~」

「プラチナ賛同!」

 

夏祭りの醍醐味の一つ… というか、知恵故障娘達にとっての祭りの主目的、"屋台フード"

去年の反省を踏まえ、今年は皆で同じ物を食べる事にした

去年の反省…

そう、去年の夏祭りでは、銘々が好きな物をチョイスし、それを互いに少しずつ分け合うという極めて建設的な計画が立てられた

だがそこは知恵故障、最初のフランクフルトの分配からピースの大小を巡る口論が勃発し、最後のかき氷に至る頃にはシロップの濃淡を巡って取っ組み合いにまで発展していた

あの忌まわしき悪夢を再見せぬ為に、今年は皆で同じ物をチョイスする事にしたのだ

 

「で、でも林檎飴が絶対一番美味しいのだ! お願いだから林檎飴にするのだ!」

 

それ故に、あやかはどうしても林檎飴を押さねばならなかった

あやかがまどか姉から与えられたお小遣い百五十円では、到底粉物には手が届かないのだ

林檎飴以外のチョイスでは、仲良し学級の決定に一人反意を示す形になってしまう

仲良し学級の面々と仲良しで居られなくなるかも知れないのだ

それだけはどうしても避けたかったのだ

 

「ウェヒヒ! それじゃお好み焼きでいいかも…!」

「それじゃ、多数決できまりだね~」

「プラチナ可決!」

 

「…………………」

 

一枚三百円、どの辺りがそうなのか分からない広島風と銘打たれた屋台に群がる、あやか以外の娘三人

 

「お好み焼き四枚下さいなんだよ~!」

「プラチナ空腹!」

「ウェヒ!? …風上のあやかちゃんが… いない!?」

 

三人がそのあやかの姿が見えない事に気付いたのは、ほんの数秒後の事だった

食べ物に気を引かれた知恵故障娘達にしては異例の早さである

それでも見渡しの利く夏祭り祭場に、あやかの姿を認める事は出来なかった

それはつまり、断固たる決意に基づく逃走なのであった

 

「あれ~? ……おトイレかなぁ~……」

 

そんなあやかの心の内など知りようもない三人を代表するかの様に呟いた麦波ちゃんは、目の上にかざした掌で夏の日差しを遮りながら、いつまでも見つかる筈もないその姿を探し続けていた

 

 

 

 

 

夏祭りに向かう人の群れに坑がいながら、あやかは長い石段を駆け下りて行った

 

「……………………」

 

お金が足りないと言えば、きっとみんなで出し合って補填してくれたに違いない

だが、それではあやかのプライドが許さないのだ

あやかは仲良し学級のプリンセスであり、貢物は受けても施しは受けないのだ

あやかは夏祭りを中座する事にした

理由は後からどうとでもつけられる

お腹が痛くなったとでもしておこう

たとえそれでみんなと仲良しでいられ無くなるとしても、あやかには他に選択肢などないのだ

 

「はぁ… はぁ… はぁ…」

 

石段を下りきると、そのままの勢いで路地裏に駆け込んだ

目的地などない

出来るだけ祭りの喧騒から遠ざかりたかった

家に戻ろうかとも思ったが、お小遣いを貰った手前、早く帰れば不正搾取を疑われ、お仕置きが執行されかねない

適当に時間も潰さねばならない

流れる汗もそのままに、宛も無く細い路地を走り回る

やがて街を抜け、田園地帯へとやって来た

青苗を撫でる風が微かにあやかの体温を低下させる

それはあやかが更なる涼を求め、無意識にそよ風のそよぐ先に視線を向けた時だった

 

『キキィィッ!!』

 

ブレーキパッドがタイヤホイールを擦るけたたましい音が、あやかのずき側で響いた

 

「!?」

 

反射的にその方向に顔を向けたあやかの視界を、大きな黒塗りのワンボックスカー… のスライドドアが占有した

あり得ない程の至近距離

その理由に思考を巡らす間もなく、目の前のドアは勢い良く開かれ、次の瞬間あやかの身体は宙に浮いた

 

「うわっ!?」

 

短い悲鳴を上げた時にはもう、あやかの身体はその車内に引き摺り込まれていた

スライドドアが閉じられ、夏の陽の光が遮られると同時に、凄まじいエンジン音を響かせて車は急発進した

強力な加速重によって後方に押し付けられるあやかの身体

その時初めて、自身のあちこちを押さえ付ける無数のごつい手の存在を意識した

 

「な、なんなのだ!? 誰なのだ!?」

 

あやかの脳裏に、いつか見たテレビドラマの誘拐シーンが浮かんだ

 

「ダ、ダメなのだ! 誘拐はダメなのだぁっ!! やぁぁぁっっ!! まどか姉ぇぇぇっ!?」

 

あやかの叫びに答える者は無く、代わりに口元を覆う布の感触を覚えた

 

「ふぐぅぅぅっ!?」

 

声を封じられると同時に頭を強くシートに押し付けられた

あやかはその余りの力強さと自身の置かれた状況に、完全に抵抗の気力を失い、その細い身体をカタカタと震わせるばかりとなった

 

(まどか姉ぇ…! さやか姉ぇ…! た、助けてぇ…! 助けてなのだぁ…!)

 

あやかは車が長い距離をひた走り、どこかで漸くエンジンを止めるまで、ひたすら心の中で姉達に助けを求め続けた

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。