まどかは茹で上げた素麺の滑りを水道水で取り、次いで氷水で満たしたボールに浸して締めた
それを桶に移してテーブルへと運ぶ
「あのバカ、何やってんだろ…」
席に着いていたさやかは、時計を見ながら一人毒突いた
あのバカとは勿論あやかの事である
既にまどか姉と約束した門限を、一時間もオーバーしているのだ
これは風上家に於て極めて重罪である、"家庭反逆罪"の適用が検討されるレベルである
「さぁ いただきましょう」
だがまどか姉はそう言って、あやかの不在を気にする素振りも見せず席に着く
「美味しそうね いただきま~す!」
促され、さやかも箸を取る
さやかは心の内で、今夜あやかに施すお仕置きの内容をあれこれ思案し、そして己の身体の芯が熱くなっていくのを感じていた
その時だった
『ジリリリリリリ……』
「「!?」」
家の電話が鳴った
二人は大袈裟な程、身体をそれに反応させ、思わず互いの顔を見合わせた
無理もない
その家電… 時代錯誤的な迄にレトロな黒電話が鳴る事など、今では滅多に無い事だからだ
母がまたその母、つまり三姉妹の祖母から引き渡された黒電話
謂れは良く分からないが、母がとても大切にしていたそれを、姉妹はどうしても新しい物に替える事が出来なかった
携帯が普及し、母が亡くなり、その電話がベルを鳴らす事など、そう言えばもう何年も無かった様な気がした
それが今鳴った…
微かな胸騒ぎが、見詰め合う二人の胸に過る
まどかは席を立ち、未だ震え続けるそれに歩み寄る
そして意を決して受話器を取った
「……はい、風上… ですが………」
あやかの感覚では、少なくとも車内には五人の気配があった
運転席と助手席、あやかを挟む二列目の二人、そしてあやかに後ろから猿轡を噛ませた三列目の一人
何れも男で、黒っぽい服に身を包み、帽子やサングラス、マスクで顔を隠しているのが、ルームミラーを介して確認できた
男達は道中、一言も発し無かった
そうだと言える根拠は何も無いが、極めて用意周到に計画された行動… そんな印象を受けた
あやかは足りない知能で、必死に脱出や助けを求める方策を探ったが、何も思い浮かばなかった
大の男五人に小娘一人である それは無理も無かった
車は何度か方向転換を繰り返した
フロントガラスに映る光景は、何時しか深い山野に変わっていた
「おいっ」
初めて声を聞いた
運転席の男の声だ
その声に反応し、右隣の男が強い力であやかの頭を伏せさせた
首が折れるかと思う程の握力だった
恐らくあやかが外の景色を覗くのを嫌ったのだろう
「ほ、ほへんらはい… ほへんらはいらのら! もう見らいのはっ!」
あやかは男達の勘気を宥めようと、必死に謝罪の言葉を紡いだ
あやかは自分がこのまま殺される、という最悪の結末を予感して、悪心を覚え始めていた
「うぅ… ほへんはらい…… はふへへ… はろはへぇ… はやはへぇ……」
今まで幾度と無く感じた姉達への恐怖など、今のこの瞬間のそれと比べれば、全くの戯れ事に等かった
これが死の恐怖なら、姉達のお仕置きなど頬擦りと表現しても過言では無かった
心の中で更に五十三回、その愛しい姉達の名を叫んだ頃、車は大きく重心を傾けて旋回し、そこでエンジンを止めた
ドアが一斉に開く
「おい、下りろ!」
ドスの効いた野太い声
従おうとしたあやかの反応より早く、容赦の無い強い力があやかを車外に引き摺り出した
「ひはいっ」
地面に摺られたあやかは曇った悲鳴をあげる
Tシャツ後ろ首が引っ張られ、あやかは人形の様に半ば宙を浮きながら男達に連行される
無理矢理車に引き込まれててから此の方、男達のあやかに対する扱いには一切の手加減が無かった
知恵故障とは言え、あやかは自分が女の子であり、女の子は如何なる場合もぞんざいには扱われない、という認識はあった
故に男達の容赦の無い粗暴さが、極限の恐怖をあやかに覚えさせたのだ
視線を上げると、そこは森の中に開けた小さな空き地だった
その奥に一軒の廃屋が見えた
あやかの感覚ではそれは、お金持ちの別荘跡か、お菓子か何かのお店跡の様に見えた
あやかを引き摺りながら、男達はその建物の朽ち果てたドアを押し開いて、中へと入って行く
廃屋特有の饐えた匂いが鼻を突く
広間とおぼしきその空間の足元には、最早元が何なのかも分からぬ廃材とガラクタが、埃を纏って層を成し、隙間無く広がっていた
嘗てはきっとお洒落な出窓であった物は、あちこちガラスが割れ、その向こうに鬱蒼と茂る緑の姿を見せた
男達とあやかが歩く度に床が大きく鳴り、埃が舞い上がる
部屋の奥には二階に続く曲がり階段が、瀟洒な面影を今も残して佇んでいた
天井には多分シャンデリアだった物の残骸が垂れてあり、その真下にはその遺骸が散らばっていた
先頭を行く男がそれらを足で払い、こちらに向き直って顎をしゃくった
それに応じてあやかを引き摺る男が歩を進め、階段の登り口、手摺の支柱にあやかの後ろ手を縛り付けた
別の男が近付き、あやかの口から猿轡を外した
「ぷはぁぁ……」
ビールでも飲み干したかの様な能天気な溜息をつくが、無論ふざけている訳では無い
極限の緊張に猿轡で呼吸が苦しかったのは事実である
今度は先頭に立っていた男が歩み寄り、膝を折ってあやかに顔を近付ける
サングラスとマスクで表情は伺い知る事は出来ないが、少なくとも激しい敵意を向けている事だけは感じられた
あやかには全く身に覚えの無い憎しみ…
あやかは男の顔を直視する事が出来なかった
「あやかちゃん… 乱暴な真似をしてゴメンね~……」
何故か自分の名を知る男の言葉は、その内容とは裏腹に冷たく無機質で、それどころか侮蔑の情すら感じ取れた
男がズボンのポケットに手を回し、それをゆっくり引き抜いてあやかの眼前に突き出す
『シュッ』
そんな空気を裂く音がして、男の手からバタフライナイフが飛び出した
「ひぃっ!?」
あやかは目を丸めて悲鳴を上げる
「あやかちゃん… 痛い目に会いたくなかったら、お兄さん達に協力してね~…… お兄さん達は、あやかちゃんに恨みがある訳じゃ無いんだ~……」
何故かその言葉に微かな安堵を得る自分
あやかは知恵故障なりにその滑稽さを心の中で自嘲した
藁にもすがる… 少しでも肯定的な状況を信じたいのは、健常者も知恵故障も同じなのであろう
だが同時にその言葉に微かな違和感も覚えた
恨みが無いとすれば、何故自分を拐ったのか…?
「今から君のお姉ちゃんに電話をするから、いい声で鳴いてね~…… 下手な真似をしたら~……」
言い掛けて、男はナイフをあやかの首筋に押し付けた
「殺しちゃうよ~……」
あやかは軽く失禁した