与えられたタオルケットに横になっても、あやかは眠る事など出来なかった
身体中の筋肉が強ばって、緊張が解けなかった
疲れていた筈だが、それを認識する事が出来なかった
幸いな事にリーダー格はあれから紳士的な態度を豹変させる事も無く、廃屋のトイレ跡であやかに用を済まさせると、夜は森に獣やお化けが出るよと囁いて、広間で眠る様に促した
そう聞かせれば、拘束を解いたままでも逃げ出さないと思ったのだろう
あやかは始め、割れた便座しかないトイレ跡で用を足す事に抵抗を覚えた
ドアの向こうにはリーダー格の男も居たし、荒れ放題のトイレ跡には、今にもお化けが現れそうな不気味さがあった
だが拐われてから緊張の連続で、あやかの膀胱は既にはち切れる寸前までパンパンパンであった
更にはここで用を足さねば、あの男達の面前で公開放尿ショーをさせられるのではないか、とのませたエロ妄想も働いて、知恵故障なりの恥を忍びつつ放尿音を響かせた
結果それで幾らか気持ちも落ち着き、男達がいびきを響かせ始めた事もあり、漸く思慮を巡らす余裕は生まれてきた
(まどか姉… さやか姉…)
愛する姉達の顔が瞼に浮かぶ
きっと今頃はあやかの身を案じて右往左往しているに違い無い
姉達だって今夜は眠れはしないだろう
昼間は零れなかった涙が流れた
それも取り戻した落ち着きの由縁かも知れない
三千万… それがどれ程の大金なのかは、あやかには分からない
分かりはしないが、あやかは一生を掛けてそれを返却していく意思を固めた
もう夏祭りにもお小遣いなど求めない
晩御飯も暖かい白飯があればそれで良い
たまに目玉焼きの白身とか、鮭の皮とかが貰えれば十分だ
贅沢を言えばこれまで通り、まどか姉特製カレーのルーだけは頂きたい
あれは美味しいのだ… まどか姉のカレーは天下一品なのだ……
あの絶妙なスパイスと、溶けた野菜の深い甘味…
そう、あれは織平ヶ浜に燦然と輝く夏の太陽の様な……
知恵故障は二つの事を同時には考えられない
思考は何時しかそんな至極呑気で取り留めの無い妄想へと変わり、やがてあやかも微かな寝息を立て始めた
「!? ……あら、おはよう… 少しお寝坊ですわね……」
リビングに姿を現した長妹に気付き、まどかは味噌汁をかき混ぜながら声を掛けた
「お、おはよう、まどか姉…」
普段と何一つ変わらぬ姉のその姿…
さやかはひょっとして昨晩の出来事は自分が見た夢なのではないか、そんな可能性を思い立ち、割りと真剣にそれを数瞬吟味した
そうさせる程に、その後ろ姿はどっしりと落ち着き払っていた
「さぁ 頂きましょう…」
味噌汁を並べ終え、まどかかテーブルに着く
「………………」
促されるまま、さやかも対面に腰を掛けた
今日もその暑さを予感させる太陽の光が、早くも庭の樹木を直視困難な程に爛々と照らし上げる
「水分はこまめに取りますのよ」
その光景に細めた視線を送っていたまどかが、まるで母が聞かせる様にそう呟いて、味噌汁椀に口を付けた
「うん………」
小さく頷いたさやかは、愚妹がこの場に不在である理由を今一度確かめるかの様に、昨晩からずっと心配しているそれを尋ねた
「まどか姉… その… お金… 借りられるの…?」
「……ん?」
まどかは鯵の身を裂いていた箸を止め、視線をさやかに向ける
「何か欲しい物がありますの?」
「えっ!? ……ううん… そうじゃなくて……」
さやかはいよいよ本格的に混乱し始めた
本当に自分は夢でも見ていたのかな…?
アイツは宿泊訓練にでも行ったんだっけ…?
いやでもそんな筈は……
「アイツの… あやかの… 身代金…… もしもキツいなら、あたしも学校辞めて働くから……」
無論、知恵故障のアイツの為などでは無い
まどか姉一人に苦労を負わせたく無いからだ
「あぁ その事…… ふふっ 貴女はそんな事、心配する必要はありませんわ… 普段通りに過ごす事、それが犯罪に屈しないという事ですのよ…」
さやかは度々、姉の大きさを痛感させられる
母が亡くなった時、姉は今の自分と幾らも歳が違わなかった
二人の妹を養い、炊事洗濯のほぼ全てを一人でこなし、それでいて愚痴の一つを溢す事も無い
自分に同じ事が出来るかと問われれば、間違い無く答えはNOだ
何もかも、胸のサイズから肝の太さまで、余りにスケールのデカ過ぎる姉…
さやかはその余りの大きさに心底恐怖した
背中を冷たい汗がながれ、気温に反比例して身体中がキンキンに冷えていった
何の味も感じられ無い朝食を、美味しい美味しいと何度も言い聞かせながら口に運んだ
「さやか、学校の行き帰りには十分気を付けますのよ… 当面寄り道も禁止ですわ……」
その言葉を付け加えたまどか姉の声だけは、老婆心に満ちて不安気に感じられた
「さ、三枚… なのだ」
あやかは一気に三枚の交換を申し出る
ハートの4とスペードの1とクラブのクイーン…
「豚だ~」
「ツーペア!」
「ワンペ!」
「う~ん… 1が三枚揃ったのだ…」
男達に続いて手札をオープンにする
「あやかちゃん強ぇ~なぁ~」
「へへっ…」
何もやる事の無い山奥の廃屋
男達が始めたトランプに、あやかも参加させられた
あやかが知ってるトランプ遊びは絵合わせしか無かったが、男達は懇切にルールを説明し、何とか短時間で知恵故障の頭脳でも遊戯に参加出来るレベルとなった
あやかは決して乗り気では無かったが、囚われの身では他にする事も無く、暇を潰せばそれだけ姉達に会える時が近付くとの思いもあり、何とか楽しむ様に心を前向きにした
それにもし断って男達の機嫌を損ね、"それじゃみんなであやかちゃんの身体で遊ぼう"的な展開になっては困るとの、小憎たらしい程に思い上がった憂慮も働いた
「それにしても今日も暑いな~」
男の一人がぼやいた
陽が昇るにつれ、廃屋の気温もぐんぐん高くなる
市街地の只中と比べれば、この山奥の森は幾分過ごしやすいかも知れない
だが、それはエアコンも扇風機も無いこの状況を補えるという程では無い
男達は身近な物を適当に団扇変わりにして扇ぎ始める
「ほらよっ」
一人がカードを配り、次のゲームが始まった
拐った者と拐われた者…
蒸し暑い廃屋の一室、それぞれの立場でトランプに興じる少女と男達
第三者の目がもしもここに在らば、その光景はさぞや滑稽でシュールな物に映ったであろう
「う~ん… あやか、交換無しなのだ」
「なにっ!?」
「うおっ!?」
早々に勝負を決めたあやかが手札をオープンする
「みんなハートで… 3、4、5、6、7… 強いのだ?」
「配牌でストレートフラッシュかよ~」
「凄っ!」
あやかの大役に、降参とばかりに手札をばら蒔く男達
「やっぱ、あやかちゃんは強ぇわ… 流石は風上まどかの妹よ…」
男の一人がまどか姉の名前を出してあやかの強運を讃えた
言葉の意味は良く分からなかったが、大好きなまどか姉と一緒に褒められた気がして、あやかは思わず顔を綻ばす
「やっぱりお姉ちゃんはトランプも強いのかい?」
話の流れから"お姉ちゃん"がまどか姉を指す事は知恵故障でも理解出来た
「う~ん… あやか、お姉達とトランプした事ないから… 分からないのだ… でもきっとまどか姉は強いのだ」
まどか姉が弱い事などある筈が無い、あやかはそう思って胸を張った
「そう言えばポーカーのルールも知らなかったな、あやかちゃん… お姉ちゃんは遊んでくれねーのか…?」
「う… うん…… ううん、そんな事ないのだ… たまに… たまには……」
男の言葉に、まどか姉との仲を疑われた気がしたあやかは反論を試みるが、そう言われれば確かにまどか姉と遊んだ記憶が見当たらない
それが何故なのかが分からず、思わず口を噤むで下を向く
「まどかちゃん、もしかしてお姉ちゃんと仲悪いのか?」
「そ、そ、そ、そんなに事ないのだ! あやか、お姉達と… まどか姉と、大、大、大の仲良しなのだ! この間も一緒にご飯食べたのだ!」
精一杯の抵抗を見せる
あやかには理想の家族像… 姉妹像があって、自分達風上三姉妹は世も羨む仲良しで、常に強い絆で結ばれていなければならないのだ
そうでなければ姉達から施される数々の激しいお仕置きを、正当な理由で消化できなくなってしまうのだ
あれが"愛"に基ずく物で無いなら、一体何だと言うのだ…
その為、姉妹の絆を疑う様な男の言葉を看過する事は出来なかったのだ
「一緒にご飯w?」
あやかの言葉に、男達がせせら笑う