「ずっと思ってたんだけどさぁ~… コイツ知障だろ?」
昨夜のいやらしい野球帽の男が、誰に言うでも無く呟いた
話の文脈から、"コイツ"が自分を指す事は理解できた
そして"知障"が足りない子である自分を貶める言葉である事も知っていた
「やっぱり? ……あやかちゃん、特殊学級なん?」
もう薄々は勘付いていたのだろう、その知恵故障だけが放つオーラを…
男達は特に推測を巡らすわけでも無く、端から決めつけてあやかを知恵故障認定した
「あ、あやかは特殊学級じゃないのだ! 仲良し学級なのだ!」
あやかは自分が足りない子である事は自覚している
それを直す為に、まどか姉は愛情の籠った特別メニューを毎日拵えくれ、時には厳しく躾てくれるのだ
自分が"普通"で無い事は分かっている
だが、同時に自分が"特殊"な生き物だとは思っては居ない
それを認めたくも無い
自分にだって手はあり、足もあり、頭も付いて、目だって見える
呼吸をし、ご飯を食べ、ウンチをし、布団で寝るのだ
何も"特殊"などでは無い
"特殊学級"
それはあやかが人生に於いて、最も意味嫌う言葉である
だから立場も弁えず、声を荒げて抗弁した
「ホントに特殊学級なのかよw あぁ 今は呼び名が違うのかw」
男達が大笑いした
自分が笑われている事は理解できた
悔しさと恥ずかしさに顔が紅潮し、それを見られるのが嫌で顔を俯けた
「あの風上まどかの妹が知的障害だったなんてな」
「見た目は可愛いのに残念だな~」
「俺は全然抱けるけどね~」
また男達が大笑いした
今度はまどか姉すら笑われている気がして、あやかは唇を噛み締めた
「おいっ あんまり余計な事を喋るな…」
その時、朝から一人その場を離れていたリーダー格が広間に姿を見せ、低い声で仲間達を制した
あやかは彼が自分を庇ってくれた気がして、反射的に潤んだ瞳をそちらに向けた
「あんまり俺達の事を知られると… 生かして帰す事が出来なくなる…」
「!!」
しかし、次いで彼の口から出た言葉に、それが単なる自分の思い込みであった事を思い知る
リーダー格は近くの男に何事が耳打ちし、男が頷いてその場を去ると、それを契機にお遊戯会は閉会となった
あやかは再び階段の手刷りに後ろ手を縛られ、塩化ナトリウム溶液製造機として、乾ききった広間の板床に潤いを与える作業に従事する事になった
男の何人かは車を駆って買い出しに赴いた様だ
リーダー格は携帯電話を片手に、野球帽と何かを打ち合わせしている様に見えた
人里離れた山奥の廃屋
数奇な運命で繋がった六人が、それぞれの時間を過ごしていく
夏の太陽はそんな下界の人間模様などお構い無しに、ゆっくりゆっくりと天頂を渡ってやがて傾き始め、そして何時しか辺りでヒグラシが鳴き始めた
「た… ただいま……」
さやかは玄関のドアを開け切ってから帰宅の挨拶をした
本来そこにまどか姉のハイヒールが無ければ、さやかはそんな事などしたりはしない
そんなキャラでは無い
だが、今日は何故か声を絞り出した
返事がある事をほんの少し期待した、などとは絶対に彼女は認めまい
何故か何時もより広く感じるリビングに鞄を放り投げると、さやかは冷蔵庫を開け、麦茶の冷水筒に口を付けて直飲みする
同じ事をあやかがやれば勿論ただでは置かない
何かにつけてあの愚妹の事が頭を過る
昨日からずっとそうだった
断じて心配などしてはいない
寧ろあの知恵故障に思考を奪われている現実が事が腹立たしかった
アイツがどうなろうとも構わない
ただ、風上家その物が舐められている気がして、さやかは落ち着かないのだ
そう思う事にした
『ジリリリリリリリ…』
「!!」
その時、黒電話がベルを鳴らした
まるでさやかが家に帰ったのを見透かしたかの様に…
否、もしかしたらずっと鳴り続けていたのかも知れない
その電話の主は間違いなく誘拐犯であろう
さやかの脳裏に、電話が繋がらず苛つく犯人の姿が浮かぶ
腹立ち紛れのナイフを口に押し込まれた愚妹の姿が浮かぶ
口から血を流し、小便を漏らしながら助けを求める愚妹の姿が…
「……………………」
意を決して受話器に手を伸ばす
まどか姉が居なければ何も出来ないが、その電話の向こうから、必死に命乞いするアイツの声が聞こえた気がしたのだ
「…………はい、風上です……」
「金は用意出来たか?」
予想よりも低く、そして乾いた男の声だった
「い… 妹は無事なの…? お金は… 無事が確認できてからよ…!」
必死に強がった
アイツの為では無い 風上家の面子の為だ
再びそう自分に言い聞かせた
「妹さんは今の所無事だ… 約束は守る… 三千万は…?」
妹の声を聞かせて… そう言い掛けたが、その妹に掛けるべき言葉が何も思い浮かばず、それを見送った
「お、お金は… 姉が準備してるわ… もう少し待って……」
さやかの立場では、それ以外に言える事は無かった
「姉……? 誰だお前!?」
受話器の向こうの声が少し上擦る
聡明なさやかはこの瞬間、全てを理解した
アイツが自分の代わりに拐われた事を…
さやかが言葉を詰まらせているうちに、電話はガチャンと一方的に切られた
「……………………」
さやかの胸を黒い霞みが覆って行く
何とも言えない後ろめたさ…
犯人はまどか姉に二人の妹がいる事を知らなかったのだ
もしかしたら今、電話の向こうでナイフを口に押し込まれているのは、自分だったのかも知れなかったのだ
少し落ち着いて考えれば分かる
どうせ拐って暇潰しにイタズラするつもりなら、あんな知恵故障よりはるかに顔もスタイルも圧倒的に優れている自分の方を拐う筈なのだ
犯人は間違えたのだ
自分の代わりに慰み者になったアイツ…
それを思うと、例えその非が自分に無くとも、何とも言えない後ろめたさをさやかは感じるのだった…