風上家に生まれて   作:新六毛

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あやかにも譲れぬ物がある 9

「……う…… うん…?」

 

階下でさやか姉の明るい、行ってきますの声がした

いつの間にか辺りは明るくなっていた

目覚ましを掛け忘れたあやかは完全なる寝坊である

何時もなら激しいボディコンタクトで起こしに来てくれるさやか姉も、今し方家を出た様だ

 

「……………………」

 

のそのそとベッドの下から這い出て、階下の様子に意識を集中する

本来ならあやかも朝ごはんを食べて登校しなければならない時間である

だが、さやか姉は起こしに来ず、まどか姉の呼ぶ声もしない

昨夜の事を思い出す

 

(見捨てられたのだ…?)

 

その予感は、まどか姉が玄関の鍵を閉めて出勤した事で確信へと変わった

窓の外に目を向けると、抜ける様な秋の青空が広がり、その手前を小鳥の群れが横切った

 

「……………………」

 

微かな可能性を信じてゆっくりとドアを開き、誰も居ない筈のそこで足音を忍ばせ、階下へと降りて行く

リビングのドアを引くと、そこには細やかながら愛情の籠った、あやかの特別朝メニューがテーブルの上に用意してあり、お姉達の謝罪の書き置きが側に添えられていた…

そんな光景を僅かに期待したが、叶う事は無かった

 

(あやかはもう本当に見捨てられたのだ…? 要らない子なのだ…?)

 

誰も居ないあやかのお家は、今朝はとても広く感じられた

あやかは階段を上り自室に向かう

学習机の椅子に掛けた鞄を手に取り、登校の準備を始めるが、途中でその手を止めた

 

「ふぅ……」

 

小さいため息をつくと、もう何度も読み古したぼろぼろの漫画本を手に取り、ベッドの上に横になった

あやかはもう頑張るのをやめる事にした

どうせ誰もあやかの事を大切な存在とは思ってくれないのだ

今この瞬間、世界からあやかの存在が消えたとしても、誰も気に留めたりはしないのだ

それが分かってしまった

麦波ちゃんは迎えに来たあやかに顔すら見せないのだ

鹿目ちゃんはきっともうあやかの顔を覚えていないのだ

月火ちゃんはあやかとはリボンの練習をしたくないのだ

雫先生はその月火ちゃんがあやかより大事なのだ

サッカー部の男の子達にはあやかは邪魔者なのだ

さやか姉はとにかくイジワルで、まどか姉はあやかの味方はしてくれないのだ…

誰もあやかを好きになってくれないなら、あやかも誰かを好きになるのをやめよう

気に入られなくて良いのだ

嫌われても良いのだ

もう頑張らなくて良いのだ

そう考えると、なんだか急に気持ちが楽になってきた

そんな気がした

 

『グゥ~~……』

 

気持ちが楽になったせいか、お腹の虫が鳴いた

あやかは再び階段を忍び足で下りて行き、普段立ち入る事の許されない台所に侵入した

自分の家にこんな景色があったのだ…

数年振りの台所の風景は、それからだいぶ背の伸びたあやかにの目にはとても新鮮に映った

冷蔵庫の前に立ち、そのドアに恐る恐る手を伸ばす

これも今のあやかには決して許されない行為

掛けるべき力の分量さえ分からず、ドアを開けるのに手こずった

 

「うわぁ~~~…」

 

それでも苦労して開けたそれは、まるでご馳走の宝箱の様な光景を内包していた

美味しそうな物が所狭しと詰め込まれてあるが、そのままで食せる物はあまり無かった

料理の方法は分からないし、勝手に食べた事がバレたら、それこそ酷いお仕置きを受けよう…

あやかは漬物の入った小鉢から沢庵を一枚摘まんで口に運ぶ

この程度ならバレはしまい

 

「うふぅ~ 美味しいのだ~」

 

沢庵ぐらいなら普段のあやかでも食せるが、こっそり食べるそれは何時もと違う高級な風合いがした気がした

その足で今度はリビングに向かう

茶箪笥の一番右上、そこに塩煎餅がある事は承知しているのだ

居る筈も無い誰かの視線をキョロキョロと意識してから、あやかはそれをそっと開いた

見当通り、そこには塩煎餅の袋が鎮座していた

お姉達がテレビを見ながら摘まんでいるのを、涎を垂らして眺めていたのは無駄では無かったのだ

これもバレない様に一つだけ取り出し、漫画の様な大口を広げて一口に頬張る

 

「しょっぱのだ~~」

 

正月以来の塩煎餅に舌鼓を打った

その後、同じリビングにあった飴玉一個と、台所にあった味海苔を一袋拝借して、あやかは意気揚々と自室に引き上げた

満腹には程遠いが、上手くやればこれからずっとこうして生きて行ける… そんな糞ニートの様なお気楽な妄想に、あやかの薄い大脳新皮質は満たされ、アドレナリンを盛んに放出するのだった

一人とは何と気楽で安らぐものなのだろうあやかは漸くその人生で本当の幸せを見つけた気がした

 

…そう何度も強く自分に言い聞かせて、思い込む事にした

 

 

 

 

 

階下の賑やかな生活音で意識が覚醒された

寝ていた訳ではないが、ベッドに横たわりずっとぼうっとしていた

窓の外は宵闇に満たされ、遥か天空で名も知らぬ星が瞬いていた

無意識に姉達の足音に意識が向く

いつそれが此方を向いて、そしてこの部屋に侵入してくるのか…

それだけはどうしても無視できなかった

この様な態度を取り続ければ、いずれ激しいお仕置きを際限無く施される事になるとは理解している

たがらと言ってあやかに出来る事は何もない

ただ身体を丸めて殴られ、蹴られるしかない

もう嫌われても良いのだ

あやかから許しを乞うたり、慈悲を求めたりはしない

あやかにも譲れぬ物があるのだ

やがてあやかの大好きなカレーの匂いが階下から漂い始め、それに合わせる様に階段を踏み鳴らす足音が聞こえた

 

「!!」

 

覚悟はしていたが、どうしても身体がビクリと反応してしまう

悲しい条件反射

足音から推測するにまどか姉だ

あやかはベッドから起き上がると、ドアの前に立ち、目を瞑った

どうせお仕置きされるなら一刻も早い方が良い

その方が早く終わるのだ

 

「あやか…?」

 

まどか姉の声がして、直後にドアが静かに押し広げられた

 

「!? ……何をしてますの?」

 

目の前に立ち尽くすあやかの姿に、まどかも虚を突かれた

 

「早くお仕置きして欲しいのだ……」

 

ポツリと呟くあやかに、まどかは少しだけ目を見開いてから再び口を開いた

 

「貴女、今日学校サボったそうですわね どういうつもりですの?」

 

折檻から始まるかと思ったが、先ずはお説教からの様だった

あやかは瞼を開けてまどか姉の顔を見詰めた

 

「あやか、もう学校に行かないのだ……」

「行かないでどうするつもりですの…?」

「……………………」

 

どうすると言われても答えようがない

何も出来る事は無いのだ

 

「貴女、最近おかしいですわよ…」

 

そう言って、まどかは思わず吹き出しそうになる

この子がおかしいのは生まれつきではないか…

場と立場を重んじ、何とかその可笑しさを噛み殺す

 

「……あやか、もういいのだ… もう頑張ら無いのだ……」

「貴女が何か頑張っていた事かありましたの? あぁ… オリンピック… でしたっけ?」

 

さやか姉に同じ事を言われればカチンと来たかも知れないが、まどか姉の言葉には常に毒以外の成分も含まれていた

 

「……それは… …もういいのだ……」

 

あやかはその毒以外の成分に絆されて、思わず涙腺を緩め始める

 

「これから毎日家に居るつもりですの? そんな事は認めませんわよ 学校に行かないなら家からも出て行きなさい」

「ここは… あやかのお家なのだ……」

 

まどかはそれを生意気な口答えと感じたが、間違ってもいないと感じた

三姉妹が住まうこの一軒家は、母が残してくれた安息の空間である

立派な豪邸とはとても言えないが、母の温もりそのものなのだ…

例え長姉とは言え、妹をそこから追い出す事を、天国の母が許すだろうか…?

 

「分かりました… それでは好きになさい… その代わり、これからは全てを自分でやりますのよ! 食べ物も自分で働いて買いなさい!」

「………………まどか姉なんて… だいっ嫌いななだ……」

 

続けざまの口答え

咄嗟に右手を振り上げたが、その叩き突ける先が滂沱に濡れているのを認めて、その手を下ろした

 

「……………………」

「うぅぅ…… うぅ…… ぐすっ」

 

まどか姉はそのまま背中を向け、何も言わずに部屋を出て行った

本当の本当、今度と言う今度こそ、あやかは己が見捨てられたのを悟り、その場に突っ伏して号泣し始めた

どうしてごめんなさいが言えないのか…

あの素直で優しいあやかは何処へ行ってしまったのか…

 

「うぅぅうぇぇぇぇ…… うぇぇぇん……」

 

もう戻らないであろう、あの厳しくも楽しかった日々を惜しみ、止めど無い嗚咽を絞り出すあやか…

カレーの香りが誘う彼女の腹の虫の悲痛な叫び…

それらが悲しい二重奏となって、暗い室内に木霊した

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