あやかはその晩、ずっと思案した
これから自分はどうやって食い扶持を得れば良いのだろうか…?
あやかが勤まるお仕事が、果たしてこの世に存在するのだろうか…?
新聞配達は…… 朝が苦手だし…
コンビニのレジは…… 数学が苦手だし…
畑仕事は…… 疲れるし…
麻雀は…… ルールが分からないし…
募金箱をぶら下げて通りに立つのはどうだろう…?
名付けて"あやか救済募金"…
楽そうだが何か屈辱的である…
あやかにも譲れぬ物があるのだ…
ならば踊って歌を聞かせるのはどうだろう!?
それで評判になってテレビに出て、歌って踊れるプリンセスアイドルとしてスターダムにのし上がり、やがては豪邸に住んでご馳走を食べて、素敵な王子様から大きなダイヤモンドの指輪をプレゼントされて……
そうダイヤモンド…
「……………………」
あの伝説のダイヤモンドメダルを目指した日々が、もう遠い過去の出来事だった様に感じる
あの日、夕焼け空に誓った夢…
みんなの汗まみれで楽しそうな笑顔…
もう帰らない日々……
あやかは無意識に唇を噛み締めた
『カタッ…』
その時、不意にあやかの部屋のドアが開いた
何時もならドアの外の気配を見逃す筈などないのに、今日は将来の不安と過去の思い出に心を奪われ、不覚を取った
微かに流れ来るシトラスの香りから、ドアの向こうに居るのがさやか姉だと分かった
寝た振りをしつつ、布団の中で身を強ばらせた
間もなくさやか姉必殺の回転飛び膝蹴りが、あやかのボディに炸裂する事だろう
万が一にも寝入っていたら、内臓の一つや二つは持って行かれたかも知れない
『カチャン…』
だが、暫しの沈黙の後、ドアは何事も無い様に静かに閉められた
あやかは肩透かしを食らった気持ちで、闇の中で何度か目を屡叩かせた
さやか姉があやかの寝込みを襲って、何もせずに帰る事などあろうか…?
否、あり得ない
しかも去り際ですら静かにドアを閉めた
これではまるで、可愛い妹の… あやかの寝顔を見に来たようではないか…?
「……………………」
あやかは胸に得体の知れないモヤモヤが広がるのを感じ、それを宥め透かすかの様に身を屈めて布団に潜った
そしてそのまま、何時しか浅い眠りに落ちていった…
「あ~や~か~ちゃ~ん! 行~き~ま~しょ~う!」
「!!」
あやかは反射的に飛び起きた
その声の主が麦波ちゃんだと気付いたからだ
窓のから外の様子を見ると、そこには麦波ちゃんと月火ちゃん、そして松葉杖をついた鹿目ちゃんの姿があった
「ウェヒヒ! あれは風上のあやかちゃん、間違いない!!」
あやかの姿を認めた鹿目ちゃんが、嬉しそうに大声を上げた
月火ちゃんも此方を見上げ、そしてオドオドしながら手を振ってくる
(ゆ、夢なのだ!?)
あやかは頬をつねるが夢は醒めない
「「あ~や~か~ちゃ~ん! 行~き~ま~しょ~う!!」」
今度は三人の合唱だった
ドタドタと足音が響いてさやか姉が飛び込んで来た
今度こそはと身を屈める
「ねぇ アンタ! 友達迎えに来てるじゃない! 早く行ってあげなさいよ!」
またしても予想外のさやか姉だった
「……………でも……」
あやかは顔を伏せた
学校の無駄欠席から、昨夜のまどか姉とのやり取りである
もう学校には行かないと宣言したし、今日からは自活… プリンセスアイドルを目指す必要が……
「あやか、お願いだから… お願いだから早く行って! まどか姉の事だったら一緒に謝ってあげる! だからお願い! 早く!!」
「えっ……… ええっ!?」
あやかは自分の耳を疑った
あのさやか姉が自分にお願いをしている
しかも、まどか姉に一緒に謝るとまで…!
何が起きたのか分からない
これではまるで、昨晩部屋を覗きに来た優しいさやか姉が本物という事ではないか!?
さやか姉はベッドの上で固まるあやかの手を取り、鞄と洋服をもう一方の手に掛けて、強引に部屋から連れ出す
さやかはどうしても直ぐにあやかを送り出したかった
唐突に響いた騒々しい声に外を見れば、あやかの学友達が玄関先に屯しているではないか
見る者が見れば、一目で知恵故障と分かる娘達…
それが此方に呼び掛けているとなれば、ご近所に知恵故障に所縁ある家だと思われかねない
それだけは絶対に避けたいのだ
あやかはさやか姉の手の温もりに全神経を集中していた
いつ以来だろう、柔らかさやか姉の手に引かれるのは…
また昔みたいに仲良くなれるのだ…?
あやかは溢れる涙に曇る瞳で、ため息が出る程美しい次姉の横顔を見詰め続けた
「まどか姉、あやかが学校行くって!」
「お友達を待たせないの! トーストは頬張って行きなさい」
後ろ姿にそれだけ語るまどか姉の語調は、普段の彼女と何も変わらなかった
まどかもさやかとほぼ同じ動機で、昨日の無礼を赦免する事にした
よもやあやかの学友が迎えに来ようとは…
知恵故障の行動を甘く見過ぎたか…
本来、今日もあやかが登校を渋れば、あばらの二、三本でもへし折って、玄関から叩き出す予定だった
もしもう少しタイミングが擦れていれば彼女らの目に、一生忘れられない壮絶なドメスティックバイオレンスシーンを焼き付ける所だった
「自重、自重…」
ついつい忘れがちになるキュインモールでの誓いを思い出し、今日は幸運の女神と天国の母に感謝するまどかだった
「まどか姉、ごめんごごご!?」
そんなまどか姉に謝罪の言葉を紡ごうとするあやかの口に、さやか姉がトーストを押し込んだ
「みんな待ってるんだから早くしなさいよ!」
「んごごごごごほっ!?」
息を詰まらせながらも強引に玄関に引き立てられるあやかは、重大な忘れ物を思い出し、腕を回してさやか姉に訴えた
「何よっ!? あぁ、あれね!」
さやか姉は飛ぶ様なスピードで階段を駆け上り、そして一瞬にしてそれを手にして舞い戻った
「これでしょ…… って、まどか姉コレ!?」
あやかが欲したのがクルクルパーのリボンだと理解し、学習机の脇に立て掛けてあったそれを拐って戻ったさやかは、己の手にあるリボンを見て思わずまどか姉を呼んだ
「どうしましたの… 早くお行きな…!?」
さやかの調子外れな声に煽られて玄関に顔を見せたまどかは、やはりそのリボンを見て言葉を詰まらす
「あやか、貴女これ何処から引っ張り出しましたの?」
あやかは訳も分からぬまま、ただまた姉達から叱られるのかと、トーストを啄みながら頭を垂れた
何処から引っ張り出したなど、あやかの薄い大脳新皮質に覚えがある筈がない
「あやか、これはお母様が赤ん坊だった貴女を背負う為に使った帯紐ですのよ」
「!!」
口内の水分を奪う炭水化物の塊と格闘していたあやかは、その言葉に咀嚼を停止する
そんな思い出の詰まったリボンだったとは、知る由も無かった
本番の時はもっときっと立派なリボンをとの意識もあり、ぞんざいに扱った事もあったと言えばあった
悪気は勿論無かったが、これでは姉達に叱られて当然だ
「………ごへんにゃはいはのだ……モグ… モグ…」
漸く幾らかスペースの生まれた口で、謝罪の言葉を紡ぐ
「…………………ふん」
暫くそんなあやかを見詰めていたまどかは、何かに踏ん切りをつけた様に息を吐き、言葉を続けた
「………大事に使いますのよ 家事に勤しんでいたお母様が、背負う貴女が擦れ落ちぬ様にと、着物の帯から切り出した物なのですから…」
「!! ………あひがほうなほだ! あひゃひゃ、はいはもんどへだるを、かなはずほるほだ!!」
「「あ~や~か~ちゃ~ん!!」」
「ほら、早く行きなさいよっ!」
さやか姉に背中を押されて玄関を飛び出すあやか
「お、おひゃよう… はのだ」
「鹿目ちゃんのペースなんだから、遅刻しちゃうよ~」
「ウェヒヒ! 実はもうそんなに痛くない!」
「プラチナ女優!」
あの日から昨日までの出来事がまるで夢だったかの様に、仲良し学級の仲良し四人組は肩を並べて歩き始めた
秋の透明で乾いた一陣の風が、そんな四人をクルクルと包んで、高い青空にパーっと弾けた