風上家に生まれて   作:新六毛

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ミズタマリスト立志伝中 2

「お世話になったんだじぇ…」

 

少女は職員室の扉を開けると、深々と頭を下げた

両脇に結んだ小さなお下げが揺れる

 

「あぁ… え~と…… (誰だっけ?)」

 

一番近くの机に掛けた、がたいの良い男性教諭が、斜向かいの女性教諭に小声で助けを求めた

 

「え~~と… 確か養護学級の~…… (誰さんだっけ~…)」

 

女性教諭は彼女の所属に覚えはあった様だが、残念ながら名前は出て来なかった

微妙な空気が流れる職員室

運が悪く、彼女を知る数少ない教諭は席を外していた

だが少女は少しも気にする素振りも見せず、ニコニコとした笑顔を湛えた顔を上げて続けた

 

「駐車場の水捌けを良くしておいたのじぇ… せめてもの恩返しだじぇ……」

 

それだけを告げると、再びペコリと頭を下げて、職員室を後にした

致し方ないのだ

長くても一ヶ月、短けれ一週間

顔を覚えて貰う暇も無く、名前すらも覚束無い

パチンコ屋の新装開店だけを狙う、所謂開店プロを生業とする彼女の父

その特異な職業の所以で、彼女は渡り鳥の様に日本各地を転校して回るのだ

友達の一人も、想い出の一つも、何もできた事は無い

だが、それを特に寂しいとも思った事も無い

物心付いた時からずっとこの暮らしを続けているのだ

寂しさを感じる程の温もりも、終ぞ覚える事は無かったのだ

 

「お世話になったんだじぇ…」

 

校門を出た所で振り返り、もう一度この二週間を過ごした学舎に頭を下げた

どれ程縁が浅かろうとも、彼女はそれを無下に扱う事は無かった

 

一期一会…

 

渡り鳥の様な暮らしを送るからこそ、そんな彼女の知らない言葉の精神を、その本能で理解していたのかも知れない

寧ろ彼女にとっては、繰り返される短い出会いと別れそれこそが、生きる証の全てとも言い替える事ができた

だからこそ、"せめてもの恩返し"も疎かにはしないのだ

 

「…………」

 

今ではもう珍しい、使い古された折り畳み式携帯電話を開いて、彼女は登録された番号をプッシュする

 

『プルルルル… プルルルル……』

 

左耳に押し付けたそれは、何度かの呼び出し音の後、漸く回線を接続する

 

「あぁ… お父さんなのじぇ? ちゃんとお別の挨拶……」

 

一瞬開いた笑顔の華、だがそれは直ぐに萎んでしまう

留守番サービスに繋がったからだ

彼女は事務的に伝言を残すと、予め父が登録して置いてくれた、もう一つの番号をプッシュする

 

「……………………」

 

父一人、娘一人…

彼女にとって唯一の家族にして、自分以外の世界の構成者

最近その父とも顔を会わせる機会がめっきり減った

何時も指定された場所に向かい、予約済みのウィークリーマンションに住まい、最寄りの学校に通って、また直ぐに転校するのだ

本当は会って話たい事も山程ある

一人でコンビニのお弁当を食べるのは味気無い

せめて自分にもお母さんが居れば…

そう思う時もある

制服や体操着の解れは上手く繕えない

遠足にスーパーのホットドッグを持って行っても、おかず交換会には参加できないのだ

幼い頃に亡くなった母の顔は余り思い出せない

悲しくて思い出したくないのかも知れない

父は母の話を聞かせてはくれなかった

だが、優しくて美しかったその面影をこうして偲ぶ時が、彼女の人知れぬ、寂しくも細やかな幸せの時なのである

心の中で、母と会話をするのだ

 

幾許かの時が過ぎ、彼女の前に一台のタクシーが止まった

手提げ鞄とショルダーバッグ、数少ない所持品が詰まったそれと後部座席に乗り込む

 

「どちらまで…?」

「お… 織平市まで… お願いするのじぇ……」

 

走り出した車窓から、今一度学舎を振り返る

 

(喜んでくれると嬉しいのじぇ…)

 

彼女は心の中でそう呟くと、小さく手を振って永久の別れを告げた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ピシャッ』

 

何があやかの頬を叩いた

 

「う… ううん?」

 

『ピシャッ』

 

「だ… ダメなのだ……」

 

尚もそれは叩き続ける

 

『ピシャッ』

 

「ダメ… あやか赤ちゃん出来ちゃう… のだ……」

 

『ピシャッ ピシャッ』

 

「うひっ!?」

 

両瞼を同時に打ったその冷たい刺激に、あやかの惚けた意識が漸く覚醒する

跳ね起きて辺りを見回す

 

「ん~~…?」

 

それでも重い故障を患った知恵では、状況を瞬時に理解する事はできない

更に数発の刺激を頭頂に受けて、記憶と環境のピントがやっと照合する

 

「雨なのだっ! …麦波ちゃん、雨なのだ!」

 

傍らの親友を揺すって起こす

先程まで七色世界の書割を演じていた青空と白雲は消え去り、代わってそこは暗い曇天に支配され、雨粒が零れ落ちていた

 

「う、うん!?」

 

寝惚け眼を擦る麦波ちゃんも、一瞬の間を置いて現状を認識する

 

「教室に戻るのだ!」

「うん!」

 

二人が頷き合うのを合図としたかの様に、遠雷が響き、一陣の冷風が吹き抜け、そして雨脚が一気に強くなる

 

「うひぁぁぁっ!?」

「酷いんだよ~!」

 

早くも泥濘み始めた校庭を跳ねて、二人は何とか昇降口へと辿り着く

ずぶ濡れの上に泥玉模様がペイントされたセーラー服と互いの顔を見合わせて、二人は何かが急に可笑しくなり、腹を抱えて笑い始めた

 

「うふふふふぅ!」

「はははははっ!」

 

その時だった

至近距離に雷が落ちた

 

「二人とも!! 一体何処へ行っていたの!?」

 

まさに雷の様な怒号だった

咄嗟に顔を向けた先には、涙を浮かべた雫先生の姿があった

初めて見る雫先生の怒りに気を飲まれた二人は只々立ち尽くす

どんな時でも優しい姿しか見せてこなかった雫先生

その先生が初めて怒りを顕にし、肩を震わせているのだ

 

「「………………」」

 

その原因が己達にある事ぐらいは、知恵故障であっても理解できた

昼休みに天気が変わってしまうぐらいの間お昼寝していれば、当然今は五時限目… 最悪六時限目かも知れない…

怒られた悲しみより恐怖より、そうさせてしまった悲しみの方が大きかった

雫先生が大股に距離を詰めて来る

もしかしたら打たれるのかも知れない

そう思ってあやかはほんの少し身構えた

 

「!?…………」

 

だが、あやかと麦波ちゃんを襲ったのは鋭い平手打ちでは無く、柔らかい雫先生の抱擁だった

 

「本当にもう… 心配させて……」

 

大人の女性の甘い香りと共に、雫先生の啜り泣きが聞こえてきた

きっと姿の見えない二人の事をずっと探し回っていたのだろう

様々な最悪のケースを想像したに違いない

あやか達には知る由も無いが、他の教諭達からはその指導方法が甘過ぎると批判もされていたのだ

自分も激しく責めていたのだ

 

「うぅぅ……」

「ごめんなさいなんだよ~……」

 

あやかと麦波ちゃんも感情の堰が決壊する

あの優しい雫先生を心配させ、怒らせ、泣かせるという愚行…

然しもの知恵故障娘達も己の罪深さを反省した

今度は二人が雫先生を強く抱き締める

 

「さぁ 教室に戻りましょう 他の二人も心配しているわ」

 

見上げる雫先生の表情は、もう何時もの優しい雫先生のそれだった

 

「……っとその前に… そんな姿じゃ風邪引いちゃうわね 先生のロッカーにいきましょう 着替えを貸してあげるわ」

 

同じ女性としてもまどか姉、さやか姉に匹敵する憧れの存在、雫先生

そのお洋服を貸して貰えるというサプライズは、あやかのプリンセス願望を不意に満たし、薄い大脳新皮質から悲しみの原因を吹き飛ばした

 

「うひょょょょぉ! いいのだ!? 嬉しいのだっ!」

 

そんな能天気なあやかの姿を、やや引き気味に眺める麦波ちゃん

雫先生は更にそんな二人を眺めて、幸せそうな笑みを浮かべた

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