風上家に生まれて   作:新六毛

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ミズタマリスト立志伝中 3

織平市に入る頃から雨は一層激しさを増した

タクシーのワイパーが激しく往訪する

無線機から配車の手配に大童な営業所の空気が伝わってくる

少女は窓を走る雨粒の群れの向こうに意識を向けた

並走する大きな川の向こうに、灰色に霞む街並み

何処かで見た様な、実際に何度も見てきた、日本中にありふれた平凡な街並み

きっと記憶に留める間もなく、この街とも直ぐにお別れになる事だろう

そんな事をぼんやりと考える少女の目に、ただならぬ光景が飛び込んで来たのはその時だった

 

「!?」

 

思わず前のめりになって窓ガラスに顔を押し付ける

 

「う、運転手さん! 止まるんだじぇ!」

 

唐突な少女の叫びに、運転手は思わず急ブレーキを掛ける

タイヤが羽の様に水飛沫を跳ね上げた

 

「ど、どうしたの!?」

「あ、あれ!」

 

少女が指差す方向を運転手は見遣る

雨に曇る川沿いの土手原、二つの小さな影が水嵩の増した川に向かって長い竿を突き出している

 

「おいおい、危ないなぁ~」

 

何をしているのかは分からないが、運転手は当然その危険性を憂慮して呟く

 

「た、助けに行かなくちゃだじぇ… 降ろして欲しいんだじぇ!」

 

少女は後部座席のドアノブをガチャガチャと引く

運転手にはどしゃ降りの中、無謀な遊びに興じてる様に見えたその様だが、物を見る視点が彼よりずっと低い彼女は、あの小さな影達が必死に助けを求めているのを感じ取れたのだ

突き出した竿の先には小さな段ボール箱が見えた

あの影達は、それが濁流に流されるのを必死に押し留めているのだ

それが分かったのだ

元々困っている者を捨て置けない質ではある

だがそれ以上に、大雨に打たれながらも必死に何かを守ろうと苦闘するその姿に、上手く言い表せない複雑な感情… 自分の姿を重ねた同情心を抱いたのかも知れない

 

「えぇ…? あぁ……」

 

どしゃ降りの中、車外に出たいという少女の願いに躊躇はしたが、かと言って確かに見過ごす事もできない

運転手はロックを解除して後部ドアを解放した

競走馬がゲートを開かれた様に、少女は傍らの手提げ鞄を拐うと雨の中に飛び出した

大粒の滴りが少女の全身を打つ

スニーカーが水飛沫を跳ね上げる

そのまま泥濘む土手原の草の上を滑り下りる

 

「ボウズ達! あと三分堪えるんだじぇ!」

 

「「!?」」

 

背後からの唐突な叫びに、ボウズと呼ばれた二人の少年が振り返る

まだその顔にあどけなさの残る兄とおぼしき一人は、長さ三メートル程の竹竿を川に突き出し、流される段ボール箱を必死に押さえる

弟とおぼしきもう一人は、その腰の辺りを押さえて心ばかりのサポートを演ずる

そしてその段ボール箱の中からは、小さく白い子猫の耳が、落ち着き無く右往左往しているのが覗いて見えた

少女の予想はほぼ的中していた

彼女が二人の側に駆け寄った時には既に、その手提げ鞄の中から鈍い光沢を湛えたそれが引き抜かれていた

元々施されていた真っ赤なペイントは、使い込まれた長い年月により半分以上が剥げ落ち、鋭かった切っ先も磨耗し丸みを帯びていた

放り投げた手提げ鞄が地面を叩くのと、そのショベルが最初の一撃を大地に叩き込むのはほぼ同時であった

 

「えぇっ!?」

「お、お姉ちゃん!?」

 

彼らから見れば頼れる大人の部類の登場に、てっきりこの窮地を収めてくれるものだと抱いた期待はしかし、目の前であっさり裏切られた

駆け付けて来てくれた"お姉さん"は、何故か唐突にスコップで泥寧の地面を掘り始める

 

「お……」

「あ……」

 

呆気に取られたのは、その謎の行動だけでは無い

否、その行動自体に由来するのだが、尚も少年達を驚かせたのは、そのスピードである

"お姉さん"がスコップで大地を撫でると、一瞬にしてそこに溝が穿かれた

その表現は決して大袈裟では無く、少年達の目には実際そう見えた

まるで魔法…

どしゃ降りの中、泥濘む地面に溝を打つ魔法など憧れもしないが、それが幼い彼等にも人の成せる技を超越している事は理解できたのだ

 

「おい、危ないだろ!」

 

その時、三人の元に正真正銘の大人、タクシーの運転手が駆け付ける

 

「子猫の入った段ボール箱が流れて来て…!」

 

少年の一人のその言葉で、運転手も漸く状況を飲み込んだ

手にしたビニール傘を放ると、刻々と増す水嵩に大分不安定な姿勢を強いられ始めたもう一人の少年から、その手にした竹竿を譲り受ける

 

「くっそ……」

 

頼もしい大人の力に、少しだけその距離を縮めたかに見えた段ボール箱

だが勢いを増す水の力はそれすら凌駕し、結局は運転手も身動きの取れない状態となる

強引に手繰り寄せる事も出来そうだが、既に水を大分吸った段ボール箱がその圧力に耐えられそうにない

誰の目にも残された時間が僅かである事は痛感できた

 

「ボウズ達! 手が空いたなら手伝いのじぇ!」

 

再び背後から響いたお姉さんの声

 

「!? て、手伝う?」

「どうすればいいの!?」

 

何をしているのか皆目見当が付かないのだから手伝い様が無い

ただ少し目を離した間に、お姉さんが大地に刻む溝は遠大な距離となっており、それはまるで畑の畝の様に辺りを何度も往訪し、膨大な土塊を産み出していた

 

「その廃土を集めて… 彼処に盛り上げるのじぇ! 急ぐのじぇ!」

 

地面を穿っていたスコップを一瞬差し向け指示を出す

 

「う…「うん!」」

 

相変わらず意味は分からないが、その余りの気迫に飲まれた少年達は言われるがまま、掻き出された土塊を手に集め、お姉さんの指示した濁流の侵食するずき側に運ぶ

 

「急ぐのじぇ!!」

 

更に煽られ少年達が機敏に動き回る

竹竿を支える運転手は何かを言いたげだったが、その真剣な行動に何らかの奇跡が起こりそうな気配を感じて、黙って唾を飲んだ

 

「!?」

 

丁度その時、その手が掴む竹竿のバランスが崩れた

 

「お、おい! もう持たないぞ!」

 

段ボール箱が圧力に耐えかねて変形し始めた

 

「……よしっ! できたのじぇ! ボウズ達、離れるのじぇ!!」

 

そう叫ぶと、お姉さんは少年達が何とか堆く積み上げた土塊の側、波打つ川面と己の掘削した溝との間の薄い暖衝帯に駆け寄る

すれ違う様に少年達がその場を離れる

 

……それはほんのほんの一掻き……

 

……まるで魔法使いが杖を振るうかの様だった……

 

……お姉さんがスコップの先でその暖衝帯に溝を刻むと……

 

 

 

『ゴボッ… ゴボッ… ゴボゴボゴボボッ!』

 

 

 

濁った濁流の一部が、決壊した暖衝帯から溝の中に流れ始める

それは少年達が築いた土塊の山に激突し、向きを変えて、お姉さんが幾重にも掘り進めた溝群の中に進入する

その勢いで溝と溝の境が押し崩され、忽ちその場に褐色の巨大な水溜まりを生み出した

 

「す…「凄っ!!」

 

否、これの何が凄いのかは分からない

ただ目の前のお姉さんは確実に水を… 暴れる川の流れの一部を操ったのだ

それが分かった

本当にこのお姉さんは魔法使いではないのか…?

再びそんな疑念が少年達の頭を過った

 

「おじさん! もういいのじぇ! 竿を離すのじぇ!!」

「……ん? お、おう!」

 

少年達同様、目の前のその光景に見入っていた運転手は、言われるがまま竿を引き上げ、段ボール箱をリリースした

もう疑わなかった

この少女は何かを計算してこの水溜まりを築いたのだ

頬に深い皺の刻まれる程の長い人生経験を持つ彼をしても、"魔法使い"、そんなふざけた言葉が脳裏を掠めた

 

「「ゴクリ……」」

 

少年達も息を飲む

余りの光景に忘れていたが、そうだ、大事なのは段ボール箱の子猫の運命だ

果たして彼等の見詰める中、川面を押し流される段ボールはその水溜まりの入り口に差し掛かる

 

「「!!」」

 

そしてそこで再び魔法の様な光景を目の当たりにする

一瞬そのまま流されるかとハラハラさせた刹那、その段ボール箱は生き物の様にガクリと向きを変え、自らその細い接続部に体当たりし、それを押し崩して水溜まりの中に踊り込んで来た

 

「や、やったぁぁぁぁっ!!」

「凄いやっ! 凄いやっ!!」

「どうなってんだこりゃ……」

 

少女を除く三人の感嘆の声が上がる

 

「へへっ… 間に合ったのじぇ……」

 

額に流れる汗とも雨水ともつかない水滴を拭う少女は、丁度目の前に漂って来た段ボール箱から、ずぶ濡れになった白い子猫を抱き上げる

 

『ミャァ~…』

 

まるでお礼の口付けをするかの様に、子猫は少女の鼻頭をペロリと舐める

 

「お姉さん凄いやっ!」

「どうしてどうして!?」

 

興奮冷めやらぬ少年達はお姉さんの元に駆け寄る

 

「へへっ ボウズ達が頑張ったお陰だじぇ ボウズ達がこの子を救ったんだじぇ」

 

その言葉は謙遜でも過大評価でも無いだろう

事実、少女は魔法を使った訳ではないのだ

胸の中の子猫を兄とおぼしき少年に手渡す

今度は彼の顔をペロペロと舐めて、小さな命は懸命にその健在をアピールした

 

「おい、そろそろ此処も危ない 上にあがるぞ!」

 

その言葉で暴れる川面に視線を戻せば、その水嵩はこの短い間にも更に上昇し、あの水溜まりの誘水口もいつの間にか濁流に洗われていた

 

((コクリ…))

 

三人は頷き合って運転手の後を追う

事を成し遂げた充実感が、軽いとは言えない彼等の疲労を心地好い物に変えていた

 

 

 

「ねぇ! お姉さんってもしかして… 暁のアクアビーナス!?」

 

タクシーの後部座に滑り込んだずぶ濡れの三人

運転手が貸してくれたハンドタオルを少女は受け取り、代わりにショルダーバックからバスタオルを取り出し少年達に与えた

それを受け取った兄とおぼしき少年が、お礼の代わりにそんな質問を彼女に寄越した

 

「暁の… アクアビーナス……?」

 

取り敢えず顔の滴りだけをなんとか拭った少女は、オウム返しに初めて聞くその厨二臭いワードを反芻した

 

「うん! 雨上がりの公園で、水溜まりを一つの水路で繋ぐ伝説の女の子! 水を操る女神様だって誰かが言ってた! …お姉さんの事でしょ!?」

 

今度はその向こうで、膝の上に子猫を抱く弟とおぼしき少年が、目を輝かせて少女を見詰めた

 

「ふふっ 私は女神様なんかじゃ無いのじぇ… この街にも今日初めて来た所なんだじぇ…」

 

少年の期待にそぐえない事に若干の後ろめたさを感じながらも、少女は己の心の奥底で何者かが脈動を始めたのに気が付いた

 

「え~~ お姉さんじゃ無いの~?」

「お姉さんもあんなに凄いのに~…」

 

少年達は互いの顔を見合わせて、納得行かない様に小首を傾げ合った

 

「……そんなに… そんなにその暁のアクアビーナスってのは、凄いのかじぇ?」

 

今度は少女が質問した

 

「凄いよ~! あんなの人間の仕業じゃないよ! 絶対水の女神様の魔法だよ!」

 

興奮気味に捲し立てる少年の目は、雨上がりの水溜まりに反射する太陽の様にキラキラと輝いていた

 

「そうなのじぇ…? 暁のアクアビーナス… 会ってみたいんだじぇ……」

 

そう呟いて窓の外に目を向けた少女

何時しか雨は小降りになり、西の空が微かな明るさを取り戻していた

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