「おっはよ~なのだ! 風上あやか、推参なのだ!!」
勢い良く仲良し学級の扉を開けて、元気良く挨拶するあやか
「おはよう風上さん ちょっぴり遅刻だよ それに推参は自分で言っちゃダメな言葉かな」
教卓の前で雫先生がそれに応えた
「ウェヒヒ! 推参なり風上のあやかちゃん!」
「鹿目さん、席を立たない」
今日もあやかを中心に笑いの華が咲く
「寝坊したの~?」
着席したあやかに麦波ちゃんが振り向いて尋ねた
「違うのだ! まどか姉にアイロンさんを掛けて貰っていたのだ!」
昨夜あれからあやかのセーラー服を洗濯してくれたまどか姉
あやかが眠りに落ちるまで、乾燥機の回る音もしていた
朝起きて階下に向かえば、もうそこに真っ白になったセーラー服が掛けてあった
「ありがとうなのだ! まどか姉、大好きなのだ!」
緑の染みを見た時、本当はそれを着て学校に行くのが恥ずかしいと思っていた
だけどあの状況では洗って欲しいとは言えず、無理をして強がった
結果的にお仕置きは受けたが、まどか姉はこうしてちゃんとセーラー服を綺麗にしてくれた
やっぱり姉達は正しく、悪いのはあやかなのである
「お待ちなさい…」
背後からの凛とした声に、悲しい反射で身を竦めたあやか
謝罪と共に振り返った先で、まどか姉は折檻とは別の目的で手を伸ばしていた
「余り強く乾燥機は掛けられませんでしたわ まだ湿っぽいですわね」
セーラー服の袖口を指で挟んで擦りながら、まどか姉は呟いた
「ついでですからアイロンで仕上げて差し上げますわ 今少しお待ちなさい」
「いいのだ! 自然に乾くのだ! まどか姉、ありがとーなのだ!」
多少の湿りなど気にする自分ではないし、これ以上のまどか姉の手を焼かせる訳にはいかない
そんなあやかの純粋な思いだった
だが、昨日に次いで投げ掛けられた、笑われるのは誰なのか? …の問いに、あやかは恭しくにセーラー服を差し出す
それを拐ったまどか姉は、颯爽と廊下を渡って自室に向かい、あやかも子犬の様にその後を追う
極端に私物の少ない誰かとは違い、正しい意味で整理整頓がなされた、清潔感溢れる八畳間
クローゼットの下から引き出されたのは、使い古されて所々色のくすんだアイロンテーブルと、更に年季の入ったスチームアイロン、あやかの記憶にも朧気に残るそれだった
「………………」
畳の上にに正座し、伸ばしたあやかのセーラー服にアイロンを押し付けるその姿…
何故か目尻から溢れ落ちる涙をそのままに、あやかはその後ろ姿をじっと眺めていた
「はい、それでは皆さん 今日はホームルームの前に、皆さんに紹介する人が居ます」
雫先生の声に、仲良し学級の空気に明らかに揺らめいた
日常の中の非日常…
己らの存在自体が世の摂理から半身はみ出しているとも言える知恵故障娘達は、そんな現世からの小さな脱出口に目敏く反応する
きっとこの場所が、己らが生きて行くに相応しくない世界だと、本能に近い何かで感じているのかも知れない
常に楽しい事を探してる… 彼女達の体感する無意識の絶望から目を反らし、綺麗事に拘る人間なら、そんな風にも表現するかも知れない
ともかく今の雫先生の言葉には、そんな非現実への期待を煽られるだけの魅力があったのは事実だ
「今から職員室迎えに行って来ます それまで静かにね」
そう告げると、雫先生は小さくウインクしてから教室を出て行った
「ねぇ、一体誰かな~?」
早速麦波ちゃんが皆を振り返り、級長的存在らしく、総員の気持ちを代弁した
「あやか、キスマイがいいのだ! みっくんに会いたいのだ! うぉぉぉぉっ!!」
願望と現実の明確な区別が苦手な知恵故障
取り分け成長の無い知恵を補うが如く、日頃増大する性欲だけは既に一人前のあやかは、憧れのアイドルとの対面を思い描いて、興奮の雄叫びならぬ雌叫びを響かせる
きっとこの時、小生意気にも生殖器を湿らせていたに違い無い
「ほ、ほんとかなぁ!? 芸能人の人が来たのかなぁ!?」
他人に影響されやすいのも知恵故障の特徴である
あやかの叫びは、麦波ちゃんの予期した答えの遥か数万キロも先の物だったが、その興奮が麦波ちゃんのテンションも引っ掛け上擦らせる
あやかより多少は大脳新皮質に厚みがあるとは言え、麦波ちゃんも所詮は知恵故障なのである
「ウェヒ…… これは… ダメかも分かんねかも……」
そんな中、鹿目ちゃんが沈んだ顔をのぞかせる
「ど、どうしたの~? 鹿目ちゃん?」
「……!? ……!?」
「プラチナ不吉!」
一人深刻なその雰囲気に、やはり影響を及ばされる三人
「これは…… レッドテレビクンの襲来に違い無い!」
「「レッドテレビクン!?」」
三人の調子外れな声がシンクロする
「な、なんなのだ!? 鹿目のまどかちゃん!? レッ… レッドテレビクンって何なのだ!?」
今度はあやかが皆を代弁した
「レッドテレビクン… それはっ! ……ウェヒ~… 言えないっ! 恐ろしくて言えないっ!! 」
そう言うと、鹿目ちゃんは頭を抱えて机に突っ伏す
「な、な、なんなのぉ~!?」
「プ、プ、プ、プラチナ恐怖!!」
「いやぁぁぁぁ……んん!?」
普段見せないその怯え切った様に、他の三人も忽ち恐慌を起こす
あの能秋晴れの鹿目ちゃんをここまで怯えさすその存在とは…?
レッドテレビクンという謎の襲撃者の姿が、最大限の恐怖に誇張され、それぞれの脳裏に浮かび上がる
もうその瞬間、それは彼女達の中では現実となる
例えそれが恐怖であっても、彼女らの待ちわびた非現実な現実である事に違いは無いのだ
「い、嫌なのだ…! 怖いのだ…!」
常日頃、恐怖と暴力に人一倍馴染みを持つあやかをしても、得体の知れないその異形の者に対してはその耐性を発揮できず、己の机と椅子を押しては引き摺り、忙しなく教室内を右往左往する
恐らくはバリケードを築きたい的なイメージなのだろが、四組しかない仲良し学級の机ではそれらしき物を構築するのは困難で、そもそもその作り方も分からない
「プ、プラチナ逃走…」
月火ちゃんは涙を浮かべながら、鞄に机の中身を滅茶苦茶に詰め込み始める
恐らくは自分だけでも助かりたいという本能の囁きに身を委ねたのだろう
皆がレッドテレビクンに食べられている間に逃げ出す算段なのだ
遠くに転校する事になっても困らない様に、机の中身は全部持ち帰る気なのだ
「で、でも~!? 雫先生だよぉ~? 雫先生の紹介なんだよ~!?」
思い思いの皆の姿に視線をさ迷わせながら、壊れたロボットダンスの様にその場で地団駄踏む麦波ちゃんだけは、やはり幾分高いその知能指数により、冷静な疑問をその場に呈する
雫先生がそんな危険な化け物を自分達に引き合わせるだろうか?
「…………!?」
「プラ……?」
「ウェヒ?」
まるで悪夢から目を覚ましたかの様に、三人が顔を上げて動きを止める
『ガラガラ…』
「「ヒィッ!?」」
その時、教室の引き戸が唐突に開かれた
四人は思わず身を強ばらせてそこに視線を注ぐ
麦波ちゃんの言葉が完全に形となって恐怖を全て取り除くには、知恵故障的には余りに時間が無さ過ぎた
あやかに至っては僅かに失禁さえしていた
"レッドテレビクン"
未だ頭の隅に残るその言葉に身体を震わせながら、そこから姿を現わす何者かに身構えた
「静かにしていてねって言ったのにな~?」
だが現れたのは、そんなお小言と共に頬を膨らませた愛しい雫先生と、その背後に付き従う、見慣れぬ学生服に身を包んだお団子ショートヘアーの女の子だった
「はい、みんな席に戻って… 今日は新しいお友達を紹介します」
仲良し学級にやって来たのはレッドテレビクンなる怪物では無かった
「ええっと… それじゃ自己紹介して」
教卓の前に立った雫先生は、傍らの少女の肩に手を置いてそれを促した
「自己紹介はいいんだじぇ… どうせ一週間だけのお付き合いだじぇ… ちょっとの間だけ、教室の隅を間借りするのじぇ…」
言葉の内容とは裏腹に、そう嘯く少女の顔は秋の空の様にさっぱり爽やかだった
あやかはそんな第一印象を持った
「ダメよ! そんな事言わないの! さぁ、しっかり自己紹介して!」
少しだけ強めた語調で、雫先生は再度少女を促した
その言葉に込められた力は、小生意気で冷めきった転入生の態度をを咎める為だけの物では無かった
祈りにも似た何かだった
「……分かったんだじぇ……」
少女は暫く雫先生の顔を見詰めていたが、その優しさの中に強い心の芯を認めて観念した
「私の名前は優希… 片岡優希だじぇ… えっと… ここに来る前は山洋中学校に居たんだじぇ… 二週間だけ… 渾名は… コジキのおなほ… とかふろーしゃの嫁… だったんだじぇ… みんなも好きな名前で「はいっ!」」
雫先生は声を張り上げ、あれ程促した転入生の自己紹介を唐突に遮った
「それではそうだな~… 片岡さんはその後ろの真ん中… 麦波さん、ちょっと手伝って!」
そう言うと雫先生は再び廊下に出て行き、そして机を一つ抱えて戻って来た
後を追った麦波ちゃんも椅子を抱えて帰って来る
「ここ… 鹿目さんと風上さんの間が片岡さんの席ね 二人とも、ううん… みんな仲良くしてあげてね!」
照れ笑いとも苦笑いともつかない微妙な表情で、転入生はあやかと鹿目ちゃんの間に置かれた席に腰を下ろした
「あやかはあやか、風上あやかなのだ! 好きな怪盗はルパン三世なのだ!」
自己紹介と言えばあやかの専売特許である
お手本を披露とばかりに完璧なフレンド申請を飛ばした
「じぇじぇ…?」
転入生はあやかに顔を向け、目を屡叩かせて固まる
「……私に… 私に言ってるのかじぇ?」
他に誰が居るのか? …との微かな苛立ちも込めて、顎の下に両手の拳を添えたあやかは大きく頷く
「よ、宜しくだじぇ… 私は片岡優希だじぇ… 好きな絵柄はお魚柄だじぇ……」
日常の中の非日常…
あやか達が常日頃望んでいたそれは、新しいお友達の登場という、考えられる中で最良の形で具現化された
あやかはレッドテレビクンなる鹿目ちゃんの妄想に怯えていたつい今し方の事などすっかり忘れて、速攻でフレンド申請を承認返ししてくれた新しいお友達を、ニコニコの笑顔でずっと見詰めていた
言葉を交わさなくと分かる… それが例え初対面であっても…
初めは緊張の為か、どちらかと言うと無愛想な印象のあった転入生…
だが、健常者には分からない知恵故障独特の脳波チャンネルが二人のアニマを結び付け、一時間後にはまるで前世からの親友だったかの様に彼女らの間を密にした
そしてそれは仲良し学級全体としても同じ事だった
雫先生はその光景に胸を撫で下ろし、こんな純真で心優しい天使達を地上に遣わした事を、改めて神に感謝するのだった