「ウェヒヒ~? もう分裂はしたのかな~?」
「鹿目さん、覗いちゃダメよ 刺激しない様に…」
母ウサギの出産を分裂と宣う鹿目ちゃんの暴挙を、雫先生が嗜める
「頑張ってね~」
「プラチナ神秘」
「みんな、静かになのだ!」
「あやかちゃん、静かにするのじぇ…」
裏庭の隅のウサギ小屋
授業の一環として、ここの管理を任されているのが仲良し学級である
母ウサギの妊娠に気付き、産箱を用意して二週間
自ら運び込んだ枯れ草の上で、大きなお腹の母ウサギが大きく息をしていた
「だいたい出産は朝方みたいね… 今日はそっとして置きましょう もしかしたら明日には生まれるかも…」
雫先生の諭され、一同は大袈裟な忍び足でその場を離れる
「明日生まれるといいのだ ね、優希ちゃん?」
「うん… 赤ちゃんのお顔を見たいんだじぇ… 間に合って欲しいんだじぇ…」
「………?」
優希ちゃんの呟きにあやかの笑顔が曇った
一週間のお付き合い…
初対面の時に口にした彼女の言葉が思い起こされる
各地の学校を転々とする渡り鳥… 自分をそんな風に表現していた
せっかく仲良くなれたのに…
忘れていた訳では無い
ただ、何らか大人の事情的な奇跡が起こり、ずっとこのまま一緒に居られる…
そんな妄想に近い淡い願望を抱いていたのだ
悲しい事を考えたくなかったのかも知れない
「優希ちゃん、きょうは私のお家に来てよ~」
麦波ちゃんの言葉だった
風上家で昨晩催された歓交会の様子は、既に優希ちゃんの口からクラスの皆に知れ渡っていた
二人のお姉さんの美しさと優しさ…
ご馳走の数とそのクオリティー…
良家らしい厳しい躾とお家のルール…
身振り手振りでその素晴らしさを熱弁する優希ちゃんに、皆も改めてあやかにお招きをせがむ程であった
あやかが屡々皆に語って聞かせる己のプリンセスライフが、図らずして優希ちゃんの口から立証される形となったのだ
あやか的には頗るご満悦である
そんなあやかに対抗心を燃やした訳ではないだろうが、クラスのリーダーを自認し、尚且つ知恵故障の分際で、お友達をお家に招いてのお茶会なる崇高な趣味を持つ麦波ちゃんも、優希ちゃんの接待に名乗りを上げたのだ
彼女なりの真心であろう
「嬉しいんだじぇ… でも今日はホントにご遠慮するのじぇ……」
だがそんな麦波ちゃんの厚意は退けられる
「うぅ…… 私のお家には来てくれないの~?」
あやかとのあからさまな対応の違いに、やはり何処かでは抱いていた嫉妬のささくれを逆撫でされ、麦波ちゃんは早くも涙声になる
「違うんだじぇ 今日は先約が… 久しぶりにお父さんと会えるんだじぇ!」
自らが発するその言葉に、自分自身の心が高揚する…
そんな抜ける様な笑顔を見せた優希ちゃんが、すまなそうに麦波ちゃんの二の腕を撫でる
「そ… そうなんだ… それじゃ仕方ないね~……」
「優希ちゃん、お父さんに会えるのだ!? 良かったのだ!」
尚も残念がる麦波ちゃんから、我が事の様に喜ぶあやかに笑顔を向けて、優希ちゃんは大きく頷いた
「二ヶ月ぶりなんだじぇ!」
「そ、そんなになのだ!?」
あやかは優希ちゃんの大人びた態度の理由を垣間見た気がした
「ウェヒヒ~! それじゃ今日は私が麦波ちゃんのご招待を賜ってもよいかも!」
「!? うん、そうだね~ 今日は鹿目ちゃんをお誘いするよ~」
鹿目ちゃんの当人は全く意図していない発作的ナイスアシストで、麦波ちゃんも機嫌を取り戻した様だ
そうして仲良し学級は、その知恵故障さ故に、今日も無事に仲睦まじい時を刻んで行く事が確定されたのである
「早く夜が来て欲しいんだじぇ… でも、みんなともずっとこうしていたいんだじぇ……」
優希ちゃんのそんな呟きを、あやかはその日何度も聞くのだった
翌朝、母ウサギは無事に五羽の子ウサギを出産し、独特のイカれた感性を持つ知恵故障娘達により、それぞれ『ちゅー吉』『ビリー』『チップ』『フリー』『マークツー』という、愛嬌の欠片も無い荒唐無稽な名前を付けらる事となった
その日の午後、あやかは自室で時計を穴が空くほど眺めていた
知恵故障独特の特殊な脳波ベクトルにより、目から何らかのビームが発っせられ、実際にそこに穴が穿つのではないか?
もしその姿を認める者があらば、そんな錯覚を抱かせる程、あやかは身動ぎ一つせず膝頭を揃えて、その蛍光塗料の塗られた針の動きを見詰め続けた
(……遅いのだ………)
こんな日に限って姉達の… まどか姉の帰宅は遅い
また待つ程に長く感じられる物でもある
(あの長い針が"9"を指したら…)
家を出なければ間に合わなくなる
あやかの原初的な脳回路でもその位の計算は付く
「あやかちゃん…! 今日は私の家… 借りてるお部屋に来て欲しいんだじぇ…!」
朝一番、昇降口で出会った優希ちゃんに腕を掴まれ、耳元で囁かれた
「お父さんに一昨日の事を話したら、ちゃんとお礼をしなさいって… だじぇ!」
目をキラキラ輝かせて語る優希ちゃんの頬は紅潮し、昨晩の二ヶ月ぶりの父との対面が、期待にそぐわぬ感動的な物であったのを窺わせた
「今日はお父さんがお寿司やケーキやタコスを買って来てくれる約束なんだじぇ! …ホントはみんなも呼びたいけど… あんまり煩くすると次からお部屋を貸して貰えなくなるのじぇ… …だから内緒で… じぇ!」
鼻の穴を広げてウィンクして見せる優希ちゃん
あの余所余所しい初対面から僅か四日…
まるで本当にずっと昔からの親友だった様な錯覚を、あやかは覚えた
もうすぐお別れなのに…
お礼なんかしなくても良い筈なのに…
それでもそれを為すという事はつまり、特別な存在に対する誠意の表れ…
短い付き合いであっても、あやかと優希ちゃんは紛れもない親友になれたのだ
あやかはそれが嬉しかった
だか、あやかが返せる答えは、そんな親友の気持ちを裏切る物でしかなかった
「う、うん… 嬉しいのだ… あやかも行きたいのだ… でも……」
「じぇじぇ?」
優希ちゃんの顔が曇る
「お姉の許可がないと… 前もって許可を貰わないと… 勝手に遊びに行ったり、お呼ばれに行ったりしてはお仕… ダメなのだ……」
理由を聞かないで欲しい、とあやかは思った
長姉の施す知恵故障の治療を疑う訳ではないが、それはきっと誰にもなかなか理解できない事だとも思うからだ
「そうなのじぇ… あやかちゃんはお嬢様だから、お家のルールが厳しいのじぇ… 仕方ないのじぇ……」
優希ちゃんはあやかの想定の中で最も好意的な理由で解釈してくれた
「……またいつか… 機会があったら… だじぇ……」
寂しそうにそう呟いて背中を向けた優希ちゃん
そんな日がきっともう訪れない事は、知恵の壊れたあやかにも分かっている
彼女のその後ろ姿がゆっくりと離れて行く
それがそのまま文字通り、今生の別れとなる気がして、あやかは思わず呼び止めてしまった
「お、お姉にお願いしてみるのだ! ちょっと… ちょっと遅くなるかもなのだ!」
言ってから少しだけ後悔した
「じぇじぇ!?」
たが、振り向いた彼女の顔を見て、やっぱりこれで良かったのだと考えを改めた
一か八か、渾身のお願いをして見よう
最近何かと優しい塩梅のまどか姉だ、一縷の望みに賭けてみよう
もしかしたらさやか姉のお友達が来て、逆門限発動の可能性も無くは無い
たとえお仕置きを受ける事になっても、優希ちゃんの心の痛みよりは軽い筈なのだ
そう自分に思い聞かせ、小走りで優希ちゃんの手を取ると、肩を並べて仲良し学級の引き戸を潜るのだった
……そう、このまま無許可で家を出れば、間違いなくお仕置きは免れない
優希ちゃんの心の痛みよりはマシ… とは思うものの、やはりそれは避けられるなら避けたいのだ
嘗て門限を四分ばかり破ったあやかは、その日から二日間を庭のコブシの木の下で過ごす事になった
家に帰りたくないのなら、無理に帰って来る事は無いですわ…
玄関越しに向けられた、そんなまどか姉の冷たい台詞…
何度謝っても許しては貰えなかった
それどころか、それ以上大声を出すなら喉を潰しますわ、と凄まれ、あやかは渋々庭の隅のそこへ踞ったのだ
そのうち許してくれる筈…
そんな淡い期待はしかし、ついに夜になり朝訪れても叶う事はなかった
声を上げる事の許されなかったあやかは、朝露に曇るリビングの窓に、"ごめんなさい"を隙間なく書き記した
カーテンが開いて、それを認めたまどか姉が顔を覗かせた
漸く許された、と思ったあやかに対し、まどか姉は顎をしゃくって庭の外に出る事を促した
その場に土下座をしたがダメだった
春先の冷たい外気より、その刺すような視線はあやかの身体を凍てつかせた
当てもさ迷い歩いて辿り着いた小さな公園
飢えを凌ぐ為、タンポポの花を口に運んだ
余りの苦さに嘔吐いた
手の甲に止まったてんとう虫に無意識に舌を伸ばし、間一髪の所で人としての尊厳を保った
日が暮れて再び庭に戻り、コブシの木の下で膝を抱いて啜り泣いた
飢えと寒さで一睡もできなかった
翌朝、学校に向かうさやか姉の姿を認め、その足元にすがり着いた
わんわんと号泣した
喉を潰されるのは嫌だったが、もう押さえる事ができなかった
困り果てたさやか姉が玄関の奥に声を掛け、そしてあやかは漸く許されたのだ
あの苦しみ、悲しみ、飢えと寒さは、もう二度と味わいたくは無い
門限を破っただけでさえそれである
無断外出などとなったら…
……だが
優希ちゃんとの待ち合わせ
彼女の住まいを知らないあやかをエスコートする為、きっともう彼女は約束の公園に来ている筈なのだ
時計の針はもう"9"を回っている
このまま裏切るのか… 優希ちゃんを……
待ちぼうけさせるのか… 親友を……
あの日公園でてんとう虫に舌を伸ばした自分と、独り待ちぼうける彼女の姿が重なった
「うひょ!?」
その時、あやかの脳裏でくすんだ白熱電球が点灯した
知恵故障なりの名案を思い付いたのである
(書き置き…? お手紙を書いて置けば良いのだ!)
ドラマやアニメで見た事があるシーン
そう、メッセージを残せば良いのだ
なんでこんな単純な事に思い至らなかったのか
あやかは自分がおバカさんだと感じて、軽く頭を叩き、小さく舌を出した
直接お願いするのがベストである事に違いはないが、叶わないならお手紙でもベターな筈なのだ
誠心誠意心を込めて、可愛いパンダさんのイラストでも添えれば、きっとあやかの真心は伝わる筈…
あやかは暗い部屋に明かりを灯すと、学習机の引き出しからノートを取りだし、それを一枚破いて文章を認めた
多少の心得があるイラストで、パンダさんとまどか姉の姿を渾身で描き、それをリビングのテーブルに置いて、醤油瓶で重石とした
「……よしっ!」
満足気に頷くと、靴を履いて玄関を出る
もう時間が無い
…と、頭頂に冷たい刺激を感じて慌て駆け戻る
下校時から降っていた雨はまだ止まずにいた
あやかはまどか姉から下賜され、ずっと愛用している菜の花色のビニール傘を手に取ると、それを咲かせてから再び雨時雨の中に飛び出す
灯り始めた街灯が照らす濡れたアスファルトの上を、小さい黄色い花弁が小躍りしながら流れて行った