風上家に生まれて   作:新六毛

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ミズタマリスト立志伝中 10

優希は傘をさしたまま、ゆっくりと膝を折った

藤棚の支柱の根元から、ゾウの乗り物の支えまで、大きな水溜まりが広がり、水銀灯の光を湛えたそこに雨垂れが波紋を描く

宝石の様にキラキラと乱反射するそれが、彼女の網膜をリズミカルに刺激する

ふと視線を反らすと、水溜まりの縁から一本の細い溝が穿かれ、近くの砂場に面した別の小さな水溜まりまで繋がっているが見えた

 

「まだまだなんだじぇ…」

 

ポツリと呟いたその言葉に侮蔑の色は無い

それはただ、これからこの道を歩まんとする名も知らぬ後人に対する、更なる精進と発展を願った、祈りに近い何かでかった

その溝にも雨垂れは絶え間なく波紋を描き、漣を幾重にも生み出し続ける

 

『雨水は何人も差別はしない』

 

彼女の座右の銘を具現するかの様なその光景に、やはり水溜まりは良いものだと感慨に耽る

ただ、"暁のアクアビーナス"なる偉人と見える事ができなかった事が心残りではある

磨き続けた己の技量を、その女神に評価して貰いたかった

自分のミズタマリストとしての腕前を…

 

「優希ちゃ~ん!!」

「!?」

 

名前を呼ばれて立ち上がる

ほんの数日でこんな当たり前の行動が取れる様になった自分に驚いた

それもこれも皆、彼女… 彼女を初めとする"仲良し"達のお陰である

 

「待ったのだ?」

「今来た所だじぇ! お姉さんは許してくれたのじぇ?」

「……うん! 予約してきたのだ!」

「……予約?」

 

二人は並んで公園を後にする

帰宅ラッシュの光の帯

雨煙に濡れるヘッドライトとテールライトの群れが、カクテル光線の様に二人を淡く包み込む

 

「……あやかちゃんは、暁のアクアビーナスって知ってるのじぇ?」

「アクア… ビーナス…?」

 

通り掛かったコンビニの奥から、芳しい揚げ物の香りが漂ってくる

 

「んん~ 良い匂いなのだ~」

 

腹を空かせた子犬の様に、あやかの口角から涎が垂れる

 

「ふふっ お腹を空かせた方がご馳走も美味しく食べられるのじぇ」

 

優希ちゃんのはにかみに、流石のあやかも羞恥心を覚えて涎を拭う

 

「あやか、ビーナスより焼きナスの方が好きなのだ!」

「ふふっ 流石に焼きナスは無いと思うんだじぇ」

 

必死に誤魔化したつもりが、結局食べ物の話になり、あやかも観念して笑いを溢す

 

「ふふふっ」

「ふふふだじぇ」

 

恥ずかしそうに頭を掻くあやかの脇を優希ちゃんは駆け出し、少し先で一棟の建物を指差した

 

「あそこに住んでるのじぇ! 何も無い所だけど、ゆっくりしていくのじぇ!」

 

打ちっぱなしのコンクリート壁が特徴と言えば特徴の、マッチ箱のような四角い建物

同じようなドアが幾つも並ぶその三階建ての一室が、優希ちゃんの仮の住処だという

ウィークリーマンションなる言葉を知らないあやかの目には、都会的でお洒落な佇まいにも見えた

 

「行くのじぇ!」

 

今度は優希があやかの手を取って走り出した

歩道橋の階段を駆け登り、光の河を跨いで、二人はその建物に吸い込まれて行った

 

 

 

 

 

「ヒィ~~~」

 

濡れたスカートの裾を叩きながら、さやかは玄関を潜る

傘もほとんど意味を成さない程のどしゃ降り

先日の天気予報を思い出す

コートを掛け、洗面所の棚からバスタオルを引き摺り出すと、湿気を吸った長い髪に押し当てながらリビングへ向かった

壁をまさぐりスイッチを押す

LEDが直ぐ様闇を払った

そのまま台所に向かい、冷蔵庫から飲みかけのペットボトルを取り出す

道場で部活代わりの少林寺拳法を嗜んだ彼女の喉は、天候に関わらずカラカラであった

それを一気に飲み干すと、視界の隅に違和感を覚えた

 

「……うん?」

 

それはテーブルに置かれた一枚の紙切れ

さやかは手を伸ばしてそれを拐った

 

「…………まどか姉… お… でんき…? …お元気ですか… あやかは元気です… しばら… く~? お家を留守に… します…… たがさない…? ……さがさない…? 探さないで下さい…………」

 

ミミズののたくった様な文字は解読に労を要したが、やっとの事でその全文を読み上げたさやかの表情が忽ち強ばる

 

「ちょっ… ちょっとコレって!? 」

 

クールビューティーなる姉に憧れ、目標としていたさやかは思わずそれを忘れ、裏返った声と共に空のペットボトルを床に落とした

 

 

 

 

 

「お邪魔するのじぇ!」

 

あやかの挨拶を待たずに、優希ちゃんが先に声を上げた

 

「お邪魔するのだ!」

 

スチールドアの向こうは質素だが清潔感の漂う空間だった

生活の香りがしない、などという文言をあやかは持ち合わせていなかった

優希ちゃんに続いて靴を脱ぐと、直ぐ側の部屋に案内された

 

「お父さんはもうちょっと遅くなるのじぇ それまで私と遊ぶのじぇ!」

 

誤飲や過度の自慰行為などによる自傷を恐れる長姉の教育方針により、世の女子中学生と比べて極端に私物の少ないあやか

その彼女の感覚でも、その部屋は清潔感を通り越した寂しさ、殺風景という言葉を知っていれば、まさにそんな無機質な印象を覚えた

部屋の隅に段ボール箱が一つ二つ…

小さなクッションが真ん中にポツン…

その他は小型のテレビが壁際に佇むだけ…

 

「………………」

 

あやかは足りない知能で、必死にそのお部屋の褒めるべき所をさがした

自分の部屋にお招きした時に、優希ちゃんが見せてくれたあのリアクション…

あの時感じた嬉しさを、今日の彼女にお返ししようとずっと考えていた

 

"女の子らしいお部屋"

 

しかしどこをどう取っても、その言葉を満たす要件を、あやかは見つける事ができなかった

 

「そこに座るんだじぇ!」

 

一昨日の自分がそうした様に、優希ちゃんはあやかにクッションを座布団にと勧めた

 

「う… 宇宙船みたいなお部屋なのだ!」

 

それがあやかが懸命に絞り出した褒め言葉だった

 

「宇宙… 船?」

 

その言葉に優希ちゃんはぐるりと自室を見回した

 

「確かに… あやかちゃんの可愛いお部屋とは違って、みすぼらしいお部屋だじぇ……」

 

そして恥ずかしそうに頭を掻いた

 

「うぅ………………」

 

流石のあやかも己の知恵故障を恥じた

辱しめてどうするのだ?

なんでもっと気の効いた事が言えないのか?

余りの己の憎たらしさに戒めをと、太腿の裏を思い切りつねり上げる

 

「痛いぃっ!!」

「じぇっ!?」

 

だか余りの怒りと知恵故障故に、力のコントロールがままならず、想像以上の激痛が走って思わず悲鳴を上げてしまう

 

「だ、大丈夫じぇ!? 何があったじぇ!?」

 

優希ちゃんも当然狼狽える

 

「だ、大丈夫なのだ… ちょっとチクッとしたのだ……」

「そうなのじぇ? ……はっ! あやかちゃん、立つのじぇ!」

 

唐突に叫び、優希ちゃんはあやかを立ち上がらせた

そして座布団として差し出したクッションを…

 

「……じぇっ!」

 

気合いと共に裏返す

 

「……ふ~ 大丈夫だじぇ……」

「な、何かあったのだ?」

 

優希ちゃんの謎の行動に今度はあやかが戸惑う

 

「じぇじぇ… たまに大ムカデが出るのじぇ… このお部屋… あやかちゃんが噛まれたかと心配したんだじぇ!」

 

(うわぁぁぁ…………)

 

この世の凡そ動く物、小さい物の全ての物を可愛いと感じる、独特の壊れた感性を持つあやかにしても、ムカデ、ゲジゲジの類いは苦手なのである

小生意気にも、そういう所は女の子的な要素を持ち合わせているのだ

 

「安心して座るんだじぇ」

 

客人が大ムカデの出る部屋で痛いと叫べば、それは既に危惧すべき状況な筈だが、優希ちゃんもまた知恵故障なのである

最も、あやかも大ムカデに噛まれた訳でもないのだが…

 

「あやかちゃん、麻雀知ってるのじぇ?」

「まーじゃん? …本当の麻雀は知らないのだ でもパイ遊びは好きなのだ!」

 

そう言って何故か己の胸元をまさぐるあやか

 

「ふふっ 私も本当の麻雀は知らないのじぇ でもパイ遊びは好きなのじぇ!」

 

優希ちゃんは立ち上がると、部屋の隅に置かれた段ボール箱の中から、黒い小箱を取り出す

 

「私と麻雀ごっこで遊ぶのじぇ!」

「うん!」

 

 

 

何故かとても広く感じるその部屋で、向き合った二人の少女が、一心不乱に麻雀パイをまさぐる

カチンカチンと音を立て、それは時に整然と横並びをし、または縦に積み上げる

 

「これ見てなのだ! ほら綺麗なのだ!」

 

イーピンを3つ並べて、あやかはドヤ顔を優希ちゃんに向ける

 

「ほんとだじぇ! でもこれも凄いんだじぇ! 大技だじぇ!」

 

優希ちゃんは四種の風牌を横に連ねて、更にその上にもう一段重ねるという大技を披露する

 

「だいすーしーなのだ! お寿司大好きなのだ!」

 

パイを積んでは崩し、崩してはまた積む…

傍目には到底建設的な遊戯には見えないが、人ならざる感性を持つ知恵故障達の目には、健常者のそれには映らぬ何かが見えるのだろう

事実、彼女らの目は何かを捉えてキラキラと輝いていた

 

「私もお寿司は大好きだじぇ お父さん、早く帰ってくるのじぇ」

 

風牌三段積みに挑む優希ちゃんは呟いた

 

「優希ちゃんのお父さんは、どんなお仕事しているのだ?」

 

優希ちゃんの渡り鳥暮らしが、その父の仕事の所以である事は、知恵故障であっても童では無いあやかは理解していた

 

「う~~ん…… それは秘密だじぇ……」

 

少しだけ間を置いて、優希ちゃんは答えをはぐらかせた

そして誤魔化す様に直ぐに質問を返す

 

「あやかちゃんのお姉さんは… 上のお姉さんはお仕事… 何かしてるのかだじぇ?」

 

家族の誰かが働かねば糊口は凌げぬ事は、知恵故障だって分かる

だからこそ優希は父を尊敬していたし、こんな暮らしが強いられる事を恨む事は無かった

ただ、良家の印象がある風上家では、その常識が通用しないのかも知れない

そんな思いもあっての質問だった

 

「まどか姉はじゃんそー屋さんで働いてるのだ!」

「じゃんそー屋さん… じぇ?」

 

優希の反芻にあやかは大きく頷いた

 

「じゃんそー屋さん… それは何を売ってるんだじぇ?」

「"夢"を売ってるって、前にまどか姉が教えてくれたのだ!」

「夢… なんて素敵なお店だじぇ!」

 

某かの光景を夢想する、うっとりとした優希ちゃんの表情が、あやかの虚栄心を心地好く刺激し、その鼻腔を大きく膨らませる

 

「……お姉さんはお仕事は忙しのじぇ? あやかちゃんとは遊んでくれるのじぇ?」

 

だが直後の問いに、そのドヤ鼻穴も瞬時に縮む

まるで心を見透かされた様な…

 

「あ… 遊んでくれるのだ! 昨日も一緒にパイ遊びしたのだ!」

 

…そうはさせじとばかりに声を張り上げる

嘘は口を突いて出た瞬間、あやかの中で真実となるのだ

 

「……あやかちゃんが羨ましいんだじぇ… 優しくて綺麗で素敵なお姉さんが二人もいて……」

 

今度の優希ちゃんの羨望は、あやかの心を良い方向には刺激しなかった

 

「私はいつも一人ぼっちなんだじぇ…」

 

そう言うと優希ちゃんは再び視線を落とし、パイ遊びに興じ始めた

 

「………………」

 

あやかは何か言葉を探したが、掛けるべきそれを見つける事ができなかった

あやかも目の前のパイの山に視線を戻し、所在無げその一つに指を伸ばした

 

「……でも、今は一人ぼっちじゃないんだじぇ! あやかちゃんも… クラスのみんなも居るのじぇ!」

 

その言葉に顔を上げれば、優希ちゃんの表情はあやかの想像とは異なり、初対面の時に見せた、あの透き通る秋空の様な爽やかだった

 

「うん!」

 

あやかも大きく頷いた

 

『ガチャガチャン』

「「!?」」

 

その時、玄関の鍵が開く音がした

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