風上家に生まれて   作:新六毛

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ミズタマリスト立志伝中 11

「お父さんだじぇ!」

 

電光石火とはこの事かと思わせるスピードで、優希ちゃんは玄関へと出迎える

あやかもその後を追う

優希ちゃんに負けてはいられない

あやかも大人でしっかり者のご挨拶を披露するのだ

 

「お、お邪魔しています… のだ…」

 

だが、優希ちゃんのお帰りなさい、に続いたあやかの大人な挨拶は尻窄みとなる

優希ちゃんのお父さんであろうその中年男性の厳つい顔に、あやかは恐怖を覚えて気を飲まれたのだ

そしてその厳つさが、持ち前の物だけではない事も感じ取ったのだ

そういう物を敏感に感じとれるアンテナを、あやかは風上家での暮らしで身に付けていたのだ

 

「お、お父さん… この子が昨日話した、風上あやかちゃんなのじぇ」

 

優希ちゃんの声色に滲んだ動揺も見逃さなかった

つまりそれは、あやかの感じた恐怖が気のせいでは無い事を物語った

 

「……騒がしくするなって言っただろ」

 

低く野太く愛想の無い声だった

間違い無く、優希ちゃんのお父さんはすこぶる機嫌が悪い

あやかの読みは外れなかった

 

「さ、騒がしくしてないのじぇ… じぇ… じぇ!?」

 

明らかに対応に窮する優希ちゃんの肩を乱暴に押し退け、"お父さん"は大股に奥の部屋へと進んで行った

よろけた彼女をあやかが抱きかかえる

 

「お、お父さん… ご馳走はじぇ…? 夜のご飯のご馳走はじぇ?」

 

手ぶらで帰宅した父の後を、優希ちゃんが責める様な口調で問い質しながら追う

 

「…なっ!? 何してるんだじぇ! それは次の学校の給食費……」

 

二人の姿の消えたその部屋から、優希ちゃんの悲鳴に近いが叫び声

 

「うるせぇぇぇっ! 親に向かって口答えするなっ!!」

 

直後に"お父さん"の怒号と、何かを叩く乾いた衝撃音、そして短い優希ちゃんの完全な悲鳴がほぼ同時に響いた

 

「優希ちゃん!?」

 

繰り広げられる緊張の展開に、気を飲まれたまま身動ぎ一つできなかったあやかだったが、親友の悲鳴にその身体の呪縛が解かれた

駆け付けたその部屋の入り口で、床の上に伏せる彼女の姿を見た

間違い無い、"お父さん"に打たれたのだ

一瞬、その"お父さん"と目があった

凡そ暴力と恐怖には耐性を持つ事を自認するあやかだったが、たったその一瞬の恐怖で軽く失禁した

それほどの迫力だった

所詮、お姉達の怒気など雌のそれでしかないことを、足りない知恵のあやかでも瞬時に理解した

男とはこれ程恐ろしく暴力的な生き物なのか…

血の気が引き、目の前が白み始めた

薄れ行く意識を覚醒させたのは、またしても親友の悲痛な叫び声だった

 

「だぁっ!? ダメだじぇ! それはもうしない約束だじぇぇぇ!!」

 

頭を振って視線を正せば、何やらショルダーバッグの中に手を伸ばす"お父さん"と、それを必死に止めようとする優希ちゃんの姿だった

 

『バチン!』

 

空気の震える様な衝撃音の後、優希ちゃんは人形の様に吹き飛んだ

自身の経験則から分かる

今のは危険な衝撃である

 

「優希ちゃん!!」

 

あやかは咄嗟に優希ちゃんの上に覆い被さった

さやか姉なら倒れた所に追撃である

それを予見して身を挺したのだ

だかそれは来なかった

 

「やめてよぉぉぉ!!」

 

代わりに腹の下から再び響く悲痛な叫び

あやかは違和感を覚えた

独特のあの口調が耳に届かなかったからだ

咄嗟に視線を背後に向ければ、"お父さん"がバッグの中から小さな白い布切れを鷲掴みにして引き抜いていた

直ぐにそれが下着だと… 優希ちゃんの下着だと分かった

 

「……これしかねーのかっ!? これだけじゃ幾らにもならねーぞっ!!」

 

そう吐き捨てて、"お父さん"は此方にズカズカ歩み寄り、そのゴツい手を突き出してきた

咄嗟にあやかは身を強ばらせ、同時に腹の下の優希ちゃんも身を縮ませた

 

「や、やめてなのだぁっ! どうしてこんな事するのだぁっ! 優希ちゃんが… かわいそうなのだぁぁっ!!」

 

自分でもビックリする様な声量だった

涙も吹き出していた

知恵の足りないあやかでも、本能に近い部分で、"お父さん"の目的を読み取ったのだ

こんな事って…

"お父さん"が娘からお金を巻き上げ、暴力をふるい、あまつさえ下着を奪ってそれすら売り捌く…

そんな事があり得るのか…

"お父さん"なる存在をイメージでしか描いてこなかったあやか

その涙は優希ちゃんを同情してのものではなかった

 

「……チッ!」

 

"お父さん"は暫しあやかと目を合わせると、ばつの悪そうに顔をしかめ、大きく舌打ちしてから大股に部屋を出て行った

暴力が自身にも及ぶ事を予測したが、珍しくその勘は外れた

軈て玄関のスチールドアを乱暴に叩き突ける音が響いて、そして再び静寂が訪れた

 

「う…… う…… うぅ……」

 

その静けさは、程無く優希ちゃんの啜り泣きによって破られた

 

「優希ちゃん……」

 

あやかはまたしても、掛けるべき気の効いた台詞を見つけられなかった

 

「どうして私ばかり… 私ばかりこんな… こんなんなんだじぇ……」

 

震えるその肩に手を伸ばす

 

「優希ちゃん… 怪我… してないのだ!?」

 

それでも必死に言葉を紡いだ

だか、触れたその手は乱暴に振り払われた

 

「あやかちゃんなんかに… あやかちゃんなんかに、私の気持ちは分からないんだじぇ!!」

 

振り絞った様な叫びと共に、優希ちゃんは立ち上がり部屋を駆け出して行く

 

「優希ちゃん!?」

 

追い縋るあやかを置き去りにして、優希ちゃんも"お父さん"の消えた玄関から飛び出て行った

 

「ゆ、優希ちゃん!?」

 

あやかもスニーカーを爪先に引っ掛け、直ぐ様その後を追う

外はどしゃ降りの雨だった

傘を持って来るのを忘れたが、そんな事はどうでもよい様に感じた

何をどうして良いのか、彼女にどんな言葉を掛けて良いのか、知恵故障の自分には皆目見当はつかない

だがこのまま彼女を一人にしてはいけない

そんな警鐘が熱い心と薄い脳裏に響いていた

二人で手を繋いで渡った歩道橋

その袂の先を駆けて行く優希ちゃんの背中があった

 

「優希ちゃーーーん!!」

 

あやかは今一度その名を叫びながら、彼女の姿を追う

スニーカーが雨水を跳ね上げ、白い水飛沫を夜の街明かりに浮かび上がらせた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇ! みんなで橘屋さんに金魚見に行こうよ!」

「良いねぇ! 行こう行こう!」

「それじゃ競争ね!」

「じぇじぇ! 楽しそうなんだじぇ!」

 

私は懸命に走ったが、自転車に乗る三人との距離はみるみる離れていく

このまま暫く道なりに進めば、金魚商の橘屋まではそう遠くない距離である

だが私は足を止め、今来た道を引き返す事にした

途中に咲いていたカスミソウを何本か摘んで、それの匂いを嗅ぎながら、学校で習ったお歌をずっと歌っていた

 

「あら優希ちゃん…? …ったくうちの子は… あれ程優希ちゃんも交ぜてあげなさいって言ったのに……」

 

道すがら、お友達のお母さんに会った

違うんだじぇ… 私は用事がね… お母さんのお見舞に…

そう言って弁解をしておいた

あの子の為というより、自分のプライドの為であった気もする

 

自分が周りの子達と色々と違うという事は、この頃にはもう理解していた

母は私が物心付いた時から病院暮らしで、父は朝早くから夜遅くまでお仕事

親戚と呼べる存在を知らない私は、夕方までを学校の保健室で過ごし、その後は近所の"お友達"のお家を、あちこち輪番で預かって貰っていた

そんな毎日を送っている存在は自分以外に知らなかったし、そもそもその"お友達"とも同じクラスでは無かった

自分のクラスメイトは歳の離れた男の子が一人だけだった

どうやら自分は特殊な存在であるらしい

それも悪い方での特殊な存在

それにも多分、その頃気付いた

嫌でも大人達の会話は耳に入り、気付かされた

病気の妻と知的障害の娘の面倒をろくに見もせず、日がな一日パチンコに明け暮れる駄目な男…

変わった一家、呪われた血、あの親にしてこの子あり…

どれだけ強く耳を押さえても、大人達の会話は耳の奥に響いてきた

遊び相手もいない私を哀れみ、友達になる様に親に諭された子もいた

あの子達もそうだ

悪い子達では無かったが、特殊な自分とはどうしても波長が合わなかった

幼心に… 知恵故障心に… 迷惑を掛けなく無いとの思いもあった

私が居るせいで心置きなく遊べない、という空気を察していたのだ

多分、私は知恵以外の部分では、あの子達の能力と大きな差は無かった筈だ

だから、そんな私はいつも適当な所で"お友達"との関係を切り上げ、一人で時間を潰す様になった

折り紙遊びは大好きだったが、預けられたお家ではどこでも余り折り紙は分けて貰えなかった

綺麗な物だから高い物なのだろう

当然と言えば当然である

そこで私が没頭したのが砂遊びだった

ある時昵懇となった一人の老婆に、その楽しさを教えられ、それから夢中になったのだ

私が母におねだりし、それでは五歳の誕生日にと、わざわざ玩具屋さんに注目までして病院に届けて貰った真っ赤なスコップ…

その誕生日プレゼントが、母と自分を繋ぐ唯一の"形在る物"になろうとは、この時は思いもしなかった

スコップでの砂遊びは確かにとても良いものだった

なんせ砂は無尽にあるのだ

気兼ねも必要無い

母がくれたスコップで砂を運び、土を均す

その時、私は側に母の息吹きを感じていた様な気がする

ある大雨の降った日、預けられた"お友達"のお家のお庭に、大きな水溜まりができていた事があった

通行に困難を訴えていた"お友達"の家族の為に、私はスコップで溝を穿ち、水溜まりの水を排水路へと誘導した

母と力を合わせた、"せめてもの恩返し"のつもりである

忽ち水溜まりは消え去り、そして私は生まれて初めて、人からお礼の言葉を賜った

つもりだった恩返しが、幾らか本当の価値を生み出した気がした瞬間だった

それからだ

私がミズタマリストとして、水溜まりに魅せられていったのは…

それから程無く、退院間近と聞かされていた母が急に亡くなり、父と共に流浪の生活を送る事になる

いつの日か、憧れる"普通の人間"になれる事を夢みながら…

 

 

 

「……お母さんは大事にするんだじぇ…」

 

金網の向こうで母親を囲み、一つの輪になって眠る子ウサギ達

それを目を細めて見詰める優希は呟いた

雨滴とも涙とも知れぬ雫が一滴、顎を撫でてからポツリと大地に垂れた

尚も降り頻る雨がトタンの屋根を激しく叩くが、何故かその音色に不思議な安らぎを覚えるのだった

 

「……優希ちゃん… やっぱりここにいたのだ… あやか、見失って焦ったのだ……」

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