風上家に生まれて   作:新六毛

65 / 92
雨蛙の憂鬱 3

「多分… あの建物よ!」

 

硫黄の香り漂う温泉街

昭和情緒の面影残る、趣あるその直中を行く三姉妹の先頭で、さやかが彼方を指差した

 

「凄いのだ! 高級で立派な感じなのだ!」

 

あやかの歓声は三姉妹の心の代弁だった

歴史を蓄積した温泉街、その背景に聳え立つ近代和風の十数階建は、見ようによっては景観をぶち壊す、殺風景なまでの高級感を漂わせてそこに聳立していた

 

「まどか姉… あれは~… きっと凄く高い宿なんじゃない?」

 

両手を後ろに組んで、まどか姉と肩を並べたさやかは、少しからかう様にはにかんで、その顔を覗き込んだ

 

「ふふっ そうね… 値段に見合うお宿だと良いですわね」

 

まどかはそう言って、前を見たまま微笑んだ

彼女の束ねた長い黒髪と、華奢にも見える細い身体の線が、古い温泉街ととてもマッチしていた

そう、まるで温泉宿の女将みたいに…

さやかはそんな印象を抱いた

 

「……早く美味しい物、食べたいのだ ……あ、温かい温泉にも入りたいのだ」

 

仲良く肩を寄せ合う姉達の姿に、自分もそこに加わりたくなったあやかは、適当な言葉を紡いでから、二人に歩調を合わせて近付いた

途中、ちらりと向けられたまどか姉の視線に、悲しい条件反射で身を竦ませたが、当然もうお仕置きなど施される筈など無く、二人の姉はあやかを挟んでその手を握り、夕暮れ空に流れる湯煙の下を、横一列となって歩いて行くのだった

あやかは遠い昔、幼き日の光景を思い出した

あの日もそう、夕焼け空に向かって歩いていた

まどか姉に左手を、さやか姉に右手を握られて、美味しい晩御飯の支度をしているであろう母の元へ…

頬を流れる一滴に、太陽の紅が射し込んで、琥珀の様に輝いて見せた

 

 

 

 

 

「遠い所、ようこそおいで下さいました お疲れでございましょう ささっ、此方へ…」

 

玄関から見上げる宿の偉容は、遠景よりも更に高級感に溢れ、場違いにも通じる滑稽すら滲ませて、あやかをしても思わず笑いを込み上げさせる程だった

そんなポカンとした立ち尽くす三姉妹を、仲居頭と思しき和装の中年女性が出迎える

直ぐ様、別の仲居と男衆もロビーから飛び出して来て、姉達が持つ手荷物を受け取った

あやかには宿の接客に関する知識は無いが、それでも十分と丁寧で親切な印象を覚えた

 

狂騒モード…

 

もし普段のあやかなら、御殿で大人に傅かれるという非日常により、生まれ持ってのプリンセス願望を大いに刺激され、奇声を上げながらの、プリンセスダンスなる多動障害を発症していたに違いない

だが今のあやかは、親切な仲居さん達に笑顔で会釈をする、気立ての良い、可愛らしい女の子でしかなかった

まるで健常者…

つまり、それ程に彼女の患う病は重篤な局面にあると言えた

皮肉にも命を蝕む病魔が、最期の時を迎えて、彼女の失われた人間性を取り戻させていたのだ

 

「さぁ、此方へ… 今、お茶などお持ち致します」

 

吹き抜けの広々としたロビー

そこに招き入れられた三姉妹は、そのままソファーの一組を進められ、腰を下ろした

柔らか過ぎるそのクッションは、寧ろ座り心地の悪さを感じて、あやかは何度も腰の角度を正した

 

「凄いわね~…」

 

さやか姉の囁きに大きく頷いた後、改めて吹き抜けの天井を見上げる

そこには天の川が架かっていた

無数の光球の連なる電飾を、あやかの前衛的知恵故障感覚はそう捉えた

天の川の中では、一頭の大きな白鯨が優雅に泳いでいた

吊るされた和紙の巨大なオブジェが、あやかの目にはそう見えた

 

「……凄いのだ……」

 

あやかの瞳の中のキラキラは、電飾の光を反射しての物だけでは無かった

そのキラキラを瞬きの中に納めて、今度は視線を周りへとに向けた

黒光りするピカピカの石、あやかが名を知らない黒大理石が敷き詰められた床は艶やかで、鏡の様に景色を反射して見せた

ロビーの一角には日本庭園が模してあり、その中央には錦鯉が泳ぐ池もあった

元気な頃のあやかなら、水面に顔を近付けて、錦鯉とコミュニケーションを取っていただろう

…が、やはり今の彼女は身体の重さを感じて、それを行うテンションには無かった

 

「……お待たせ致しました… 本日は当館をご利用頂き、誠にありがとうございます…」

 

先程の仲居頭が再び姿を現し、三姉妹の前に緑の液体が満たされた、歪なお椀を差し出す

三つそれぞれが微妙に形の違うそのお椀に、あやかはきっとこのおばさんが手を滑らせて、お客様用のお揃いを割ってしまったのだと思い、彼女が旅館の偉い人にお仕置きされないかと、恥知らずな老婆心を働かせた

 

「……にが……」

 

そしてさやか姉を真似て、そのお椀を何度か回してから口に運んだが、小松菜ジュースだと思ったそれは苦くて渋い、お茶の出涸らしだった

お客さんに出すお茶としてはあり得ない

このおばさんはきっと、自分と同じおっちょこちょいなのだろうと、あやかは何だか親近感が湧いて思わず笑顔を向けた

まどか姉と何事が会話を交わしていた仲居頭は、そんなあやかの視線に気付いて、更ににこやかな笑顔を返してきた

 

「……それではお部屋にご案内致します」

 

一息もついたという頃合い、仲居頭に続いて三姉妹も立ち上がり、その後に続いて、これまた豪華絢爛なエレベーターの金色扉に吸い込まれて行った

 

 

 

 

 

「……ちょっとちょっと~… 凄く良い部屋じゃない~!」

「あやか、ここに住みたいのだ~」

 

ごゆっくり、何かありましたら、そんな言葉を残して仲居頭が消えた後、さやか姉とあやかは部屋の探索を開始した

そして想像以上の"良いお部屋"ぶりに、感嘆の声を漏らした

畳敷きの十二畳間と八畳間、ツインサイズのベッドが二つ並ぶ洋間、内風呂も檜造りの半露天

どこも高そうな調度品が備えられ、隅々まで清掃も行き届き、庶民感覚の対極に溢れていた

七階に位置するそこからは、昼間遊覧した太平洋の海原が微かに望まれ、眼下には先程散策した温泉街が、ぽつぽつと明かりを灯す様が見て取れた

それがまた、隔世の幻想感を醸し出していた

 

「アタシ、このベッドで寝る~!」

 

さやか姉が広いベッドにダイブする

 

「あやかはこっちなのだ!」

 

負けじとあやかは、隣のベッドの領有を宣言する

 

「ふふっ あやかはともかく… さやかもまだまだ子供ね」

 

顔を覗かせたまどか姉が、妹達のあどけない姿に思わず目を細める

 

「うふふっ だって~… そうだ! みんなでお風呂行こうよ!」

 

赤面のさやか姉は誤魔化す様に、宿の自慢でもあるという源泉温泉への、姉妹揃っての入浴を提案する

 

「やった~! あやかも温泉に入りたいのだ~!」

 

そうだ、そもそもこの旅の目的は湯治だった筈だ

その主役であるあやかは、わざとそれに気が付かない振りをして、大袈裟なリアクションを伴って喜んで見せる

事実、姉達と一緒にお風呂に入るという、風上家の手狭なユニットバスでは叶わない夢の実現は、あやかにとってとびきりの"想い出"になる筈であり、素直に嬉しくもあった

 

「ふふっ 先に二人でお行きなさい わたくしは大会の手続きを済ませておきますわ… 敵情視察も兼ねましてね」

 

だがまどか姉は、そんな事を言ってウインクをして見せると、ベッドルームを出て行ってしまった

 

「そっか… じゃあ、あやか 二人で行こうよ」

「?……うん!」

 

あやかはまどか姉の言葉が何か気に掛かったが、さやか姉の誘いに因って直ぐにそれは霧散した

三人姉妹で入りたかったが、それはまた後で…

たまには妹同士、水入らずも良いだろう

そんな風に思い直してバスタオルを小脇に抱えると、さやか姉の後を追って部屋を出た

そして再びエレベーターに乗って、最上階にあるという露天風呂へと向かうのだった

 

(まるで夢みたいなのだ……)

 

あやかは、ガラス張りのカーゴの向こうを流れる景色を見ながら、そんな色んな意味の籠った台詞を心の中で呟いた

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。