風上家に生まれて   作:新六毛

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雨蛙の憂鬱 16

「付いて来ないでよ…」

「ももちゃん…… うぅ……」

 

あやかはそれでも、ももの背中を追う

 

「…付いてくるならせめてそれ外して……」

 

ももはあやかの胸を指差す

これを外せば、まどか姉との約束を反故にする事になる…

あやかは一瞬躊躇したが、結局それを首から外して反対向きにし、それを胸の前で抱きかかえた

既にあの場所から離れた時点で、まどか姉との約束を破っているのである

今更フリップを下げていたからと言って、許される訳ではあるまい

尤も、あやかは破るつもりは無かったのだ

ただ、ももの顔を見た瞬間、それまで保っていた心の箍が外れたのだ

残された僅かな時間、見知らぬ温泉街で、意味の分からぬ厳しい戦いに参加する事を強いられ、その最中に最愛のお姉達に見捨てられ、辱しめを受ける事を命じられ、そして涙と途方に暮れる

そんな中、顔を上げたそこに居たのが、ここではお姉達以外の只一人の知り合い、新しいお友達、ももちゃんだったのだ

やはり暫く怪訝な顔をみせて、その場を立ち去ろとした彼女を、あやかは発作的に追ってしまったのだ

縋れる相手が彼女しかいないのだ

何もかも疲れてしまったあやかは、彼女の温もりを欲したのだった

 

「ホントに付いて来る気なの…?」

「ももちゃ~ん…… うぅ、グスン……」

 

あやかはももの胸元に飛び込む

ロビーの外れ、錦鯉の遊泳する日本庭園を模した一角、そこに架かる橋の上で抱き合う格好となった二人

 

「ちょ… ちょっと……!」

 

向けられる幾つかの奇異の目に、ももは居た堪れなくなった

 

「……こっちに来なさいよ……」

 

あやかを一度引き離し、その袖口を引っ張った

連れて行って何をしてやるとも考えていないが、取り敢えずこの場所から逃れたかったのだ

一方のあやかの方は、ももの優しさに触れたと勘違いして、啜り泣きのボルテージを加速させる

ロビーから内庭に抜け、そのまま手入れの行き届いた、明媚な庭園部を貫く小路を行く

暫く歩くと、紫紅葉と紫陽花の植え込みをがあり、その向こうに背の高い広葉樹に囲まれた離れ屋が現れた

 

「……ちょっとだけ休ませてあげる… 少ししたら帰るのよ……」

 

ももは振り向いて、同年代のあやかを幼子の様にに諭す

 

「う、うひょぉ~……!?」

 

あやかの狂騒モードが本前兆に突入する

 

「こ、これ…… も、ももちゃんの… お家なのだ!?」

「チッ……」

 

そんな訳ないでしょ、と突っ込む気力も失せ、代わりに舌を打ってから、ももは玄関口に向かう

 

「ほぇ~……」

 

あやかの方は、目の前に現れた豪邸に釘付けである

温泉旅館の目の前に、こんなお家があったなら、毎日温泉にも入り放題だし、旅館に泊まるにも電車に揺られる必要も無い

まさに夢のマイホーム

外観も立地も、超お金持ちに許されるそれだと、知恵故障なりにあやかは思った

あやかの知恵の病は、その進行のスピードを緩めてはいなかった

尤も、ももはその病があったからこそ、あやかに心を許したのであるが…

 

「待って~ ももちゃ~ん!」

 

置いてかれた事に気付いてあやかは走る

そのままももの背中に貼り付いて、玄関を潜った

古いお屋敷の様な、ガラス張りの引き戸

長い年月の経過を感じさせるそれだが、そこに汚れや歪みは一所も無かった

きっと何人ものお手伝いさんが、毎日の様に手入れをし、磨いているのだろう

あやかはそんなブルジョアジーな光景を思い描いた

 

「お邪魔しますのだ…」

 

あやかのお部屋程もある広い玄関、その奥には、切り株のスライスや細かい模様の描かれた大皿など、よく分からない物が幾つも飾ってあった

上がり口から続く長い廊下も、まるで唐揚げを落として滑らせた様に、ピカピカでツルツルだった

きっと何人ものお手伝いさんが… あやかは思った

 

「……はい」

 

ももはあやかの為にスリッパを用意した

 

「ありがとうなのだ…! ももちゃん、このご恩は一生忘れないのだ!」

「チッ……」

 

ももはまた舌打ちをした

よくこんな娘を擁して、彼女らは準決勝に進出したものだ

ももは皮肉抜きに感心した

認めたくはないが、三女より優れた姉達というのも存在するのだろう

それだけ三姉妹の深遠は計り知れない物なのだ

 

「お腹空いてるんでしょ… あれ食べて良いわ……」

 

玄関から直ぐの八畳間

その襖を開けて、ももはあやかを促した

 

「……それを食べたら帰ってね……」

「う、うわぁ~…… 凄いのだぁ~……」

 

重厚な座敷机の上に、和紙を被った御膳が用意されていた

隙間から覗く品々とその量から、あやか達がお宿で食するご馳走の、更に数ランク上の物だと直ぐに分かった

そういう事には目敏いあやかなのだ

 

「はっ!? も、ももちゃん…… もしかして、これって……」

 

何かに気付いたあやかは、ももの顔を覗き込む

 

「良いのよ、別に… 食べ飽きたから……」

「あ、あやかの為に用意していてくれたのだ!?」

 

今日も微妙に会話は噛み合わない

 

「えぇ… そうよ… だから早く食べて… 早く帰ってね……」

 

いい加減、相手にするのも疲れたももは軽くあしらって、自身は屋敷の奥に向かう

無駄に曲がりくねり、動線を無視した長い廊下を経て、一番奥の間の襖を開ける

 

「あら、もも… 随分早かったわね……」

 

あの暗室で出迎えた女性

ももにとっては一番上の姉にあたる彼女が

、ウェーブヘアーを揺らして此方に向き直った

 

「……どうなの? 明日に間に合うの?」

 

またしても長姉である彼女の挨拶を無視するもも

その視線の先には、布団に横たわるもう一人の姉、あのティーカップを啜っていた女性の姿があった

 

「……ゴメンね、もも… でも大丈夫、ちょっと打っただけだから……」

 

上半身を擡げた彼女の表情は、言葉とは裏腹に苦痛に歪む

 

「……ほんと使えないわね…… でももういいわ… 後は余興だし……」

 

そう吐き捨てて、ももはプイと視線を彼方に反らした

 

「お、お邪魔ひてますのら! 風上あやかなのら!」

 

「「!?」」

 

口に何かを詰め込んだあやかが、襖の影から顔を覗かせ、頭を下げた

恐らくもも以外の住人の気配を感じて、良い子のご挨拶に来たつもりなのだろう

 

「もも… 不必要な馴れ合いは……」

 

長姉が憂いを帯びた表情で末妹を嗜める

 

「大丈夫よ… この娘は……」

 

そう言ってももは、自分の頭を人差し指で突く動作をした

 

「う、うん…… こんばんは、初めまして… ももと仲良くしてくれてありがとう… 姉のキクよ……」

「ふふっ… こんばんは… 同じく姉のひまわりよ…」

 

二人の姉は、あやかのフレンド申請を快諾した

 

「ゴクン…… ひまわりお姉さんは、具合悪いのだ? 心配なのだ…」

 

布団に寝そべるひまわりを見て、あやかは我が事の様な悲痛な表情を浮かべる

あやかにとってはもうお友達なので、心配なのは当たり前である

キクとひまわりは、ももが彼女に気を許した理由が何となく分かった

 

「ちょっと準々決勝でしくじっただけよ…… あっ… この娘のチームも準決勝に出るから… 順調に行けば、決勝で対戦ね……」

 

あやかと姉達の間に入り、簡単な状況説明をするもも

 

「さっ… ご飯食べたの? 食べたならもう帰って……」

「ま、まだ海老フライさんしか食べてないのだ!」

「早く食べないなら処分するわよ…」

「待ってなのだ! 直ぐ食べるのだ! ……ももちゃん、食べ終わったら、あやかとなぞなぞで遊ぶのだ!」

「遊ばないわよ……」

 

廊下の向こうに消えるあやかとももの声

キクとひまわりは複雑な笑みを浮かべて、互いを見詰め合った

 

(あれではまるで、本当に友達とじゃれ合っている様…)

 

手にする事を諦めた、普通の人としての当たり前の人生…

その一部を、選りに選ってこのタイミングで…

胸に込み上げる何かを、二人は必死に押さえ込んだ

涙は決して見せまいと、あの日天に誓ったのだから…

 

 

 

 

 

その夜、ももと姉達は久しぶりに川の字になって寝る事にした

恐らく三姉妹が布団でこうして寝れるのは、今夜が最後になるであろう

そんな思いが、いつもは頑ななももの心を、少しだけ素直にさせたのは事実だろう

誰も何も語らなかった

語り始めれば、語り尽くせぬ事になる事が分かっていたから…

明日の為に、体調は万全にせねばならない…

明日の為に、三姉妹は全てを犠牲にしてきたのだから…

 

『ドンドンドン!』

 

「「「!?」」」

 

うつらうつらと意識を沈めていく最中、玄関を叩く何者か…

ももとキクは跳ね起き、警戒心を研ぎ澄ます

互いに頷くと、手負いのひまわりにじっとりしている様に伝えて、ゆっくりと廊下を進んで行く

 

『ドンドンドン!』

 

更に玄関が殴打される

ももとキクは今一度視線を交わし、頷き合う

キクは枕元から持参したハンドバッグの中から、自動拳銃を取り出し、静かにリロードする

ももは片手に靴べらを握り、ゆっくりと玄関に迫る

 

「「………………」」

 

ももの左手が玄関の鍵に触れる

キクがその先に銃口を向ける

 

「ももちゃ~ん! 開けてなのだ~!」

 

「「!?」」

 

引き戸を開ければ、そこには先程帰した筈のあやかの姿

鼻の穴から鮮血をたれ流し、大きく肩を震わせ嗚咽を繰り返す

 

「ど、どうしたの…?」

 

緊張が解れたももは、柄にも無くあやかの肩に手を掛けた

 

「お姉が~…… まどか姉が~…… もう帰ってくるなって~…… うぇぇぇぇん!!」

 

あやかの号泣が、寝静まった闇夜に響く

 

「ちょ… ちょっと……」

 

困り果てたももはキクを振り返り、キクは暫く考えた後、大きく頷いた

 

 

 

 

 

川の字に一本が加わって、流石の主寝室も狭く感じる

珍客あやかは一頻り号泣した後、泣き疲れたのか、生理的欲求からか、もうももの肩に顔を寄せて、呑気な寝息を立てている

最後の一夜も水入らずかとはいかないか…

ももは自嘲したが、それも自分達らしいと思い直し、あやかに背を向け、布団を頭から被った

キクとひまわりは目を合わせ、間に眠る彼女らの布団をそっと整えた

時を刻む秒針の音だけが、闇の中にいつまでも木霊した

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