「それじゃぁ… 第一ラウンド… 始め!!」
同時に間合いを詰める一瞬の動きに、ギャラリーはそこに無いゴングの音を聞いた気がした
「やぁっ!!」
先手を取ったのはさやかだった
鋭い上段前蹴りを放つ
準決勝で見たあの三女は化け物だったが、この相手にはそれ程の危険な香りはしない
得意なこの種目で、確実にラウンドをモノにしたい…
そんな思いで放った必殺はだが、ヒラリと余裕を持って躱される
「くっ!」
その蹴り足を軸にして、今度は後ろ回し蹴りを放つ
だがそれも、後方宙返りという華麗な回避技によって躱される
カクテルライトを纏って踊る長い髪
どよめくギャラリー
(コイツ…!)
さやかとまどかの予想を覆し、この相手は相当の手練れであった
「……ごめんなさいね… 余り痛くしないから……」
そんな囁きが相手から聞こえた
…と、思った瞬間
「グフッ!?」
さやかの鳩尾に衝撃が走った
「……えっ?」
何が起きたか分からなかった
ただ、目の前に居た筈の対戦相手が、いつの間にか自分の肩に顔を埋め、そして気が遠くなっていくのを感じた
当身…
崩れ行く視界の中で、さやかは自分がそれを加えられた事を漸く理解した
(……そんな………)
目に止まらず、確かに大きな痛みも感じない
(……ここまで………)
腕に覚えのあった自分が、まるで赤子の様に捻られる
まどか姉との組手でも、ここまで力の差を感じた事はない
無念と衝撃とを声に出す事もかなわぬまま、さやかはリングに横たわった
静まり返る会場…
「さやかっ!?」
「……さ、さやか姉っ!?」
まどかとあやかにとっても、信じられない光景だった
さやか同様、何が起きたか分からなかった
「……ごめんなさいね………」
ひまわりは倒れたさやかに一声掛けると、ゆっくりと背中を向けた
それを見たレフェリーが、青コーナーの勝利を宣言せんと、右手を掲げる
「!?」
と、その動きとひまわりがピタリと止まった
「さ、さやか!?」
気絶したと思われたさやかが、その右手でひまわりの足首を捉えていたのだ
「ま… まだ負けてないわよ… この程度じゃ落ちはしない…!」
そう声を震わせながら、さやかはゆっくりと立ち上がる
「……ほうら、昨日と同じ過ち…… ちゃんと止めを刺さないから……」
青コーナーのポストに寄り掛かりながら、ももは眉を潜めて毒突いた
「おおっと赤コーナー、さやか選手… まだやれるようです!」
ギャラリーから大きな歓声が上がる
ファイティングポーズを取り、再びひまわりと対峙する
「……早く終わらせなさいよ… 時間が無いって言ってるの… 直ぐに潰して……」
ももの声を背中に受けたひまわりは暫く目を瞑り、そしてゆっくりと見開いて、構えを取り直す
「……実力差は分かった筈なのに……」
「とやっ!!」
リングを蹴って飛翔したさやかが拳を突き出す
体重が乗った重い一撃が、確実にひまわりを捉えた
あやかは経験則から、その威力の凄まじさを想像して思わず顔を顰めた
「ぎゃっ!?」
だが、直後にリングの上を転がったのは、またしてもさやかだった
強圧な何かに弾き飛ばされた様に、受け身を取る事も叶わぬまま、無様に四肢を投げ出す
「そんな……」
「しゃ、しゃやか姉ぇ~……」
再び沈痛な呻きが赤コーナーから漏れる
それでも尚、産まれたての子牛様に震えながら、その身を起き上がらせようとするさやか
「……早く潰せよ!」
それを物憂げな表情で眺めるひまわりの背中に、ももが激を飛ばす
その声はあやかにも届いたが、よもや自分の姉の事を言っているとは思わず、必死にありもしないココナッツの実をリング上に探す
「……もう、立ち上がらないで……」
消え入りそうな声でつぶやいて…
「ゲブッ!?」
ひまわりは四つん這いのさやかの腹を蹴り上げた
ゴム人形の様にリングの上を転がるさやか
「いやぁぁ~ん…!」
もうあやかは直視できなかった
顔を反らして両手で覆う
「さやか、もういいですわ! ギブアップなさい!」
「ウゥ…… イヤ… よ…… 最優秀… 三姉妹は…… アタシ達… なんだか…… ら!」
苦痛に悶えながらも、風上三姉妹の禁忌である長姉への口答えをやってのけたさやか
リングに突っ伏すその頭部に影が差した
「うぅぅ……」
追い撃ちを予感しても、さやかの身体はもう自由が利かなかった
ダメージに対する耐性だけはあやか以下だったのかも知れない
ゆっくりと見上げたその先に、カクテルライトを背にしたひまわりが、鎌首の様に右足を
擡げる姿が見えた
「やれよっ!」
青コーナーから激が飛んだ
さやかとひまわりが視線を交わらす
深い栗色のその瞳の中には、悲しみとも慈しみとも言われぬ、虚ろな感情の迸りが滲んでおり、それを見たさやかは、抵抗する事を放棄した
「……やりなさいよ………」
戦う者としては不埒極まる面構えのその相手に、さやかは仰向けになって言い放った
敵に情けを掛けられる…
それだけは絶対に受け入れられない
たとえ試合に敗れても、戦いに敗れる訳にはいかないのだ
「さやか!!」
「しゃやか姉ぇ!?」
次の瞬間の凄惨を思い描いて、悲鳴に近い声が赤コーナーから上がる
「……………………」
「……………………」
さやかは目を瞑って動かなかった
ひまわりもそのまま動かなかった
幾許かの時が流れた
「レフェリー… 赤コーナーの彼女は戦意喪失ね……」
均衡を破ったのはひまわりの声だった
「!? ……た、確かに赤コーナー、風上さやか選手、戦闘続行の意思無しと見なします… したがって第一ラウンド、勝者青コーナー、大空ひまわり選手!」
呆気に取られた様な空気が、リングとその周囲に流れた
「ちょ… ちょっと!」
さやかは痛む身体を半身起こして抗議するが、ひまわりは背中を向けて青コーナーへと下がって行く
拍手もブーイングも起こらぬまま、第一ラウンドは終了した
「しゃやか姉!」
あやかはリングサイドを飛び出して、さやか姉の元に駆け寄る
少し遅れてまどかも長妹の元に寄り添った
「良くやりましたわ… 後はわたくしに任せなさい……」
「そなのだ! さやか姉は頑張ったのだ!」
まさにココナッツの様に粉砕されるかと思ったさやか姉のおつむ
それがこうしてここにあるのは、ももちゃんのお姉ちゃんの優しさのお陰である事は、あやかにも理解できた
ももちゃんとも、ももちゃんのお姉ちゃんとも、あやかはフレンドであり、一方さやか姉はあやかの歴としたお姉であり、つまりあやかを悲しませない為の配慮なのだ
そう解釈した
だから自分がちゃんとお礼をしなければと、あやかは立ち上がって青コーナーに顔を向けた
『バチンッ!』
丁度その目に、信じられない光景が飛び込んできた
「も、ももちゃん!?」
ももちゃんがビンタをしたのである
ももちゃんのお姉ちゃんであるひまわりを…
「……なんで言われた通りにしないのよ?」
凡そ目上の者に対するものとは思えない、その態度と台詞
あやかは次の瞬間、オイタなももちゃんがお姉ちゃんからお仕置きを受けると思い、思わず目の前を手で覆った
「……ごめんなさい… 許して、もも………」
だが、またしても信じられない事に、許しを乞うたのは打たれたお姉ちゃんの方だった
「ごめんなさい、ごめんなさいって… 貴女いつも口ばっかりね… ホント、最後の最後まで役立たず……」
それだけを吐き捨てると、ももちゃんはプイと背中を向けてしまう
後には済まなそうに頬を擦るお姉ちゃん
「……………………」
あやかは何も言えなくなって口籠もる
どんな理由があって妹が姉を打てるのか…?
あやかがもし同じ事をやれば、きっと身体中の血を全部噴き出すまでお仕置きされて、殺処分である
案外、風上家以外では普通の光景なのか…?
否、そんな筈は無い…
妹が姉を打つなど、あやかの人生の教本、テレビドラマでも見た事は無い
「……さぁ、それでは第二ラウンド! …対戦種目は…… これだっ!!」
あやかの悶々は、レフェリーの能天気なコールに掻き消される
『猛毒苺タルト大食い対決』
「キタァァァァァァァァァァッ!!」
あやかの絶叫が木霊する
希望を現実にする力か、現実を希望として読み取る力か、あやかのイカれた知恵が時に見せる奇跡
もうこの瞬間、あやかの口内には唾液が溢れ、胃壁は活発に脈動を始める
知恵故障狂騒モード発動
「ももちゃん! ももちゃん!」
就いては対戦相手と言うより、あやかの中では最早お茶会のお伴とも言うべき意中の彼女に手招きする
もうつい今し方の彼女に対する違和感など、一瞬にして霧散してしまうのが、そして大好きなお菓子の名前に、物騒なワードが含まれている事を認知できないのが、この知恵故障狂騒モードの威力なのである
"苺" "タルト" "大食い" "ももちゃん" で幸せニコニコ脳内役満成立なのである
恐るべし知恵故障、これを恰幅の良い男が患えば、屡々無差別大量殺人などの惨劇に繋がるのも頷ける
「わたくしが行きますわ…」
だが、その狂騒モードに水を注す一声
まどか姉が一歩を進み出る