風上家に生まれて   作:新六毛

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太陽を目指すアセンブリ 5

あやかは辺りを見回し、誰もいない事を確認する

遠く街外れの林の入口、もう何年も放置され、殆ど廃材に近い形となった建築資材の仮置場

それも宵闇迫る頃合いともなれば、人気などあろう筈もないが、それでも毎回あやかはこの行動を欠かさない

だがそれは所謂、知恵故障による状況判断云々に因る物では無い

約束なのだ

誰にもつけられていない事を確認する…

それを証明する小芝居

もう"プレイ"は始まっているのだ

 

「白ウサギさん… こんばんはなのだ……」

 

資材の山の更に奥、排水溝ブロックが積み重なった一角

その中のとある狭い隙間を抜けて行くと、程無く小さなスペースが開け、そこに子供の背丈程の径を持つ、コンクリート製の土管が横たわる

あやかはその前でポツリとそう呟いて、その中へと潜って行く

抜ける先が排水溝ブロックで塞がれたそこは、さながらカプセルホテルの就寝スペースの様な閉塞空間となっていた

 

「どうぞどうぞ、良く来たね~」

 

薄暗いそこに、少し嗄れた声が木霊した

僅かに差し込む遠い街灯の光に、土管の奥で二つの黒い目がギロリと輝いた

 

「今夜もお泊まりに来たのだ…」

 

そう言って伸ばしたあやかの手に、その瞳の持ち主は捕捉された

薄汚れて草臥れたウサギのぬいぐるみ

あやかの冒頭の言葉がなければ、"白"とは思えぬ風合いを醸し出す小汚さ

腰を落として向きを変え、それを膝に抱いて正対する

 

「そうかそうか、泊まってけ泊まって~」

 

声に合わせて、ウサギがコミカルに踊った

無論、ぬいぐるみが声を発する訳は無い

その裏声はあやかの物である

 

「どうしたどうした、渋い顔をして~」

「べ、別に渋くなんかないのだ あやかは元気いっぱいなのだ!」

 

膝の上のぬいぐるみと会話を交わす… 体のあやか

頭がおかしくなったのでは無い

否、頭はおかしいのだ

ただ、この一連の小芝居は、その壊れた知性の産物では無い

否、産物なのだが、それはそんな単純で幼稚な代物では無いのだ

 

「まぁいいまぁいい、ほぅら、お菓子でもお食べ」

 

そうウサギに喋らせると、彼を傍らに置いて、その側の小さな缶箱を開ける

中には幾つかの、キャンディやビスケットの小包みがあった

あわかはその一つを手に取り、包装を捻り広げ、大きく口を開けて頬張った

 

「はむはむ… 甘くて美味しいのだ~」

 

チョコレートを含んだデンプンの塊が、あやかの咥内で唾液にとろける

これは謂わば、あやかの非常食である

そして謂わば、ここはあやかの避難場所… シェルターである

様々な理由により頻繁に家を逐われ、又は逃げ出すあやかの、仮の住家なのである

尤も、本人にはその意識は薄い

あやかにとってここは、秘密の花園… ならぬ秘密の資材置場… ならぬ不思議の国の入り口… 否、不思議の国そのものなのである

ある朝、登校途中に出会った白ウサギさん

彼を追いかけて辿り着いた先が、この資材置場の、この土管なのである

誰かが捨てて行ったのか、忘れて行ったのか、雨風に曝されて草臥れたウサギのぬいぐるみが、たまたま偶然にもその側にあり、その偶然が知恵の壊れたあやかの中で、元々それ程の厚みが無かった現実と空想の境を完全に崩壊させる

 

不思議の国のアリス

 

小学生の頃、先生に読んで貰った様な気がするし、テレビの人形劇で見た様な気もする

内容など殆ど覚えていないが、とにかく自分もウサギさんに導かれて、こんな素敵で不思議な場所にやって来れたのだ

あやかの中でアリスが自分になり、自分がアリスになった

白ウサギさんはアニメチックなぬいぐるみとなって、物語同様に自我を持ち、あやかの心に語り掛けてきた

そう、ただの人形遊びに見える一連のそれは実は、あやかの口と肉体を経由して行われる、歴とした不思議の国の物語… コミュニケーションなのだ

 

……少なくともあやかにとっては……

 

そうしてここは、あやかにとって特別な場所になった

特別なので、そうそう毎日は来れない

特別な場所は、取って置きでなければならないのだ

毎日来ては取って置きにはならない

その位の感性は持ち合わせているのだ

あやかがここを訪れるのは、例えば今夜の様な、まどか姉の逆鱗に触れた時…

理由はあれこれあり過ぎて特定できないが、二階のあやかのお部屋から、大事な学習机が庭に放り投げられた所を見ると、これは暫くは家には帰れそうに無い

下校途中にお腹を壊してトイレが間に合わず、ウンチを漏らした時は丸二日間をここで過ごした

今回のまどか姉の怒りのボルテージは、その時を完全に上回っている

大事な大事なあやかの学習机…

お母さんに近くのイオンで買って貰った、あやかと彼女を繋ぐ、数少ない形ある物の一つ…

それが滅茶滅茶に壊れた

何年も懸けてせっせと集めたお気に入りの色鉛筆も、バラバラになって飛び散った

パンダさんのイラストが描いてある筆箱、それだけでも持って逃げたかったが、重い机の下敷きになってどうする事もできなかった

"あやかちゃん、僕に構わず逃げて!"

パンダさんの声が聞こえた気がして、あやかは一目散に庭を飛び出した

後ろから飛んできた何かが、あやかの頬をかすめて、そこに赤い血の線を描いた

 

「……………………」

 

その跡を今撫でてみると、そこはもう小さな瘡蓋になっていた

 

「どうしたどうした? やっぱり元気が無いな!?」

 

ウサギさんには何もかもお見通しなのだ

あやかはそんな感想を抱いて、傍らの彼をを見詰める

尤も、あやかがここを訪れる時は大抵元気の無い時である

それは己でも否定はしない

ただ、ここに来れば、もうそれだけで大分心が癒されるのだ

ウサギさんには何でも話せる、打ち明けられる

雫先生や仲良し学級の面々の前では、どうしてもプリンセスとしての振る舞いを要求される

プリンセスはどんなに辛くても、それを滲ませる事は憚られるのだ

だが、ここは違う

ここでのあやかは、迷子のアリスなのだ

弱くても、情けなくても良いのだ、許されるのだ

だからここに来るのだ

 

「ウサギさん… あやか… もう生きてるのが辛いのだ……」

 

いつの間にか登った満月が、土管の中を覗き込んでいた

あやかは缶箱の底から、もう一つ別の紙箱を取り出す

トランプである

テレビもラジオも無い不思議の国の、長い夜のお供として、あやかがいつの日か持ち出した物だ

何せ家に置いても遊んでくれる相手はいないのだ

ウサギさんとて遊んでくれはしないが、あやかは知っているのだ

不思議の国のアリスには、トランプの兵隊さん達が出てくる事を…

 

「……………………」

 

紙箱から抜き出したトランプを、一枚一枚膝先に並べていく

不思議の国のあやかの… あやかの不思議の国の、その衛兵達である

その一兵の上に落ちた何かを、満月の透明な光がキラキラと照らし上げた

そのキラキラは徐々に数を増し、そしてあやかの嗚咽を引き寄せた

 

「ウゥ… どうしてお母さん… あやかを置いて… グスン… あやか… 早くお母さんの所に… お母さんの所に行きたいのだ…… ヒック……」

 

あやかの啜り泣きが土管の中に反響した

自分はいったい何の為に生まれて、何故ゆえにこんな土管の中で涙を流すのか?

悲しみや苦しみ、寂しさや惨めさを味わう為に生きていると言うのなら、逸そ生まれ来なければ良かった

そう思い立って、唇を強く噛んだ

血の味が咥内に広がる

あやかはプリンセスである

そう思い込まなければ、幸せそうなクラスメイト達と同じ空間には居られなかったのだ

あやかは不思議の国のアリスである

そう思い込まなければ、こんな冷たく無機質な空間で夜を明かせなかったのだ

ふと、甘い香りが鼻腔を擽った… 気がした

どこかで覚えのある、とても懐かしいその香り…

 

(お母さん? そこに居るのだ? あやかを心配して出て来たのだ? それともお説教に来たのだ?)

 

あやかはその香りの先に母の姿がある様な気がして、反射的に面を上げ、土管の入り口の向こうに広がる闇を凝視した

 

 

 

「ふざけるんじゃないにゃ……」

「ひぃっ!?」

 

 

 

背後からの声だった

ビクッとなって、悲鳴と共に後ろを振り返るあやか

「だ、誰!? …なのだ!?」

 

だが、当然そこには誰の姿も無かった

誰の姿も無かったが、あやかは確実に誰かがそこに居るのを感じ取っていた

そして少なくとも、それがお母さんでは無い事も確信できた

 

「……………………」

 

恐怖に強張る身体をゆっくりと後退させながら、姿の見えない何者かと視線を交合わせる…

交合わせている感覚があった

お化けか幽霊か、きっとその類いには違い無く、逃げ出したい衝動に駆られたが、腰が抜けて思う様にならなかった

 

「ひぇっ!?」

 

そのモチモチと動かす臀部を強い力に押されて、あやかは再び悲鳴を上げる

首を捻った先にはウサギさんが居た

二本足で直立し、短い両手を突き出して、あやかの尻擦りを制止… している様に見えた

 

「あやかちゃんあやかちゃん、今更自分だけ楽になろうなんて、虫が良すぎるよ~」

「キャァァァァッ!?」

 

ウサギさんが自律し、言葉を話した

あやかの不思議の国では当たり前の事だが、これは彼女の理想のそれでは無い

まるで何者かに取り憑かれ、操られている様…

 

「こ、怖い! 怖いのだ!! お母さん… まどか姉ぇ! た、助けてっ!!」

 

土管に反響するあやかの悲鳴

恐怖因って遂に感情の堰が決壊し、恐慌状態に陥る

 

「……助けて欲しいのかにゃ…? そんなに自由になりたいのかにゃ…?」

 

再び土管の奥から声がした

 

「!?」

 

ただ今度が違うのは、そこに人影があった事

 

「……だったらまた勝負するにゃ…?」

 

それは徐々に輪郭を露にし、あやかと年格好の似た少女の姿になった

甘い香りが噎せ反る程強くなる

 

「……せっかくだから、トランプで勝負といくかにゃ…?」

 

少女は手を伸ばす

物干し竿の様に長く伸びたそれは、もう明らかな化け物のそれである

それがトランプの一枚を摘まんで、ヒョイとあやかの鼻頭に突き出して見せた

おどけた道化師の横顔があやかには何故か、闇の中に伏せて明らかにならない少女の素顔の様な気がして、背中に冷たい一条が流れて行くのを感じた

 

「……勝ったら死ぬ事に… するのかにゃ…? それとも… 負けたら死ぬ事に… するのかにゃ…? …んん?」

 

少女の身体が滑る様に近付いてくる

 

「生き伸びた方が対価を支払うのにゃ… さぁ…… あやかちゃん!!」

 

絶叫と共に擡げられたその顔は、真っ赤に血塗られていた

 

「はぁぁ…………」

 

遂に緊張が極限を超えたあやかは、そこで意識を喪失させた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「赤い目玉のパンダ~ 広げたの鳳凰のつばさ~…」

 

呑気で調子外れな歌声が、ギプソフィラの花畑を流れる

歌の主は言うまでも無くタチアナ

大の字になって花の海に沈み、遥か天空を見上げてご機嫌に喉を鳴らす

黙々と花冠を編んでいたアーニャは手を休め、暫くその無邪気な盟友の姿を眺めた後、傍らのオイルランタンの火を落とす

スッと宵闇が深くなる

…と、それと入れ替わる様に、ギプソフィラの白い花弁が、淡い光を纏って辺り一面に浮かび上がる

無論、花が光る訳は無い

その光源はタチアナが望む天空にあった

 

「うわぁぁぁ……」

 

見上げたアーニャも思わず感嘆の呻きを漏らした

そこには目映い銀漢が横たわり、アーニャとタチアナとギプソフィラの花々を柔らかい光で照らし上げていた

 

「凄いのだぁ… こんな凄い星空は、タチアナ、初めて見たのだ…… 」

「ボクもなのにゃ……」

 

空を見上げる習慣は無かったし、そもそも夜に外出する事も無いのだ

煙突が煙を吐かない夜は、空の晴れる時もある…

そんな噂を耳にした気もするが、自分には関係の無い事だと歯牙にも掛けなかった

いつの間にか…

そう、本当にいつの間にか、花冠の制作に逐われているうちに夜は更け、そして晴れ渡る空が… 星空が姿を現していたのだ

 

「あの雲の上には、こんな綺麗な世界があったのにゃ…」

 

アーニャはタチアナに頭を並べてる様にして、その反対に横たわる

 

「アーニャ、知ってるのだ? あの小さなキラキラはみんな、朝を連れてくる太陽さんなのだ」

 

アーニャはタチアナに向けて首を傾げた

彼女がそんな知識を持っているのが不思議だった

 

「タチアナ達の身体を作る大体の物質は皆、あのお星さまの中で作られるのだ 言うなれば、あの星の世界はタチアナ達の故郷なのだ」

 

今までとは少し違う印象で、アーニャは彼女の横顔を眺めた

 

「……タチアナはどこでそんな事を知ったのにゃ?」

「昔、誰かに教えて貰った気がするのだ 誰だったかは思い出せないのだ」

 

視線を星の世界に戻した

乾いた夜風が吹き抜け、ギプソフィラの甘い香りを撒き散らした

 

「早く作らなくて良いのかにゃ…」

 

花冠の話である

少なくともアーニャの目の前では、タチアナは一つもそれを作ってはいない

 

「今回は共同作業は無しなのにゃ…?」

 

忘れているとは思えないが、一応念を押してみる

 

「ハリーネは高く唄い~ 保留をピンクに変える~…」

 

答える代わりに、タチアナは再び呑気な歌声を響かせた

 

「なんでなのにゃ!! ボクを馬鹿にしてるのかにゃ!? 」

 

アーニャは飛び起き、足元のタチアナに怒鳴った

流石のタチアナも唄うのを止めたが、その両眼は銀漢を捉えたままだった

 

「死にたいのかにゃ!? 負けで良いのかにゃ!? タチアナがボクと組んだのは、ここで死ぬ為なのかにゃ!?」

 

今日の朝イチから… 正解に言えばこの数日、彼女の終始解脱した様な無気力な態度に、鬱積していた諸々の感情が爆発した

もう残ったのは自分達二人だけである

二人で力を合わせたからこそ、ここまで生き残れたのである

それが最後の一つの椅子を巡るこの段になって、恰も試合放棄の様な舐めきった態度を取る事が許せなかったのだ

 

「生き伸びて奴等に対価を支払わせるのにゃ!」

 

当然である、気概を示すべきである

でなければ、何の為のファーム暮らしだったのか

 

「タチアナは時々… 多分、夢を見るのだ…」

 

天空を見上げたまま、タチアナは呟いた

 

「夢の中のタチアナは… ううん、タチアナも、ドジでおっちょこちょいで、失敗ばかりしているのだ…」

 

目の前にいる貴女はそんな風では無い、と言ってやりたかったが、激昂した後ではバツが悪かった

 

「…でも、そこでの毎日は楽しいのだ 上手く言えないけど… そこには仲間が居るのだ… ここでの仲間とは、違う種類の仲間なのだ…」

 

自分達は夢を見る事は無いとされる

見たと言う者もいるが、立証する術がない

だからと言って、彼女を嘘つき呼ばわりする気は毛頭無い

彼女は嘘をつく様な娘では無い

 

「タチアナはそこでも夢を見るのだ… 怖い夢だったり、悲しい夢だったり… でも目が覚めると、いつもの仲間に囲まれいて、ホッとするのだ」

 

彼女の瞳の中に銀漢が流れていた

 

「タチアナは最近考えるのだ… 本当の夢はどっちかって… この世界のあの世界… どっちが本当の世界かって……」

 

無意識にアーニャは天空に瞳を向けた

タチアナの瞳の中を流れる星の大河が、確かに今もそこにあった

 

「だっておかしいのだ… タチアナはこの世界の事は何も知らないけど、あの世界の事はなんでも知っているのだ……」

 

「ボク達の身体がお星さまの中で作られるって話も… もしかしてその世界のお話かにゃ?」

 

「……タチアナ、お日様を見たのだ」

 

「お日様… にゃ?」

 

アーニャは太陽を見た記憶が無い

この澄んだ空も、夜明けと共に吐き出される大量の煙に、直ぐに覆われるのだ

 

「タチアナ… どうしてもあれが夢の世界の光景とは思えないのだ… だから……」

 

その時、星空を一滴の光の雫が流れ落ちた

 

「うわぁ……」

「にゃにゃ……」

 

アーニャとタチアナは、暫くその光の消えた先を、黙って見詰めていた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「イタッ…」

 

止めピンの針の先で、誤って左の人差し指の先を突いた

小さな赤い斑点が生まれたのを、直ぐ様唇で掬った

 

「同志アーニャ、急いで…」

 

その言葉に心の中で舌打ちし、大作を抱き抱えて走り出す

既に反重力エンジンには火が灯り、時相を震わすハミング音が高鳴り始める

船体に辿り着いたのはアーニャが最後だった

アームの駆動音が鳴ってハッチを閉じていく

 

「急いで!」

 

アーニャは目の前のカプセルに駆け寄り、その中に眠る少女… 自分と良く似た彼女の上に、そっとクロッカスの首飾りを置いた

待っていたかの様にカプセルは閉まりだし、足元では離陸の振動が響きだす

 

「アーニャ!?」

 

間一髪、アーニャはハッチの隙間から転がり出る

そのショートボブを、旋風が激しく掻き乱す

大きな影がアーニャの視界を横切った

 

「あぁ!? お日様にゃ!?」

 

見上げたその先、雲の中に朧気に浮かぶ光球があった

アーニャの首飾りを乗せたその船は、ゆっくりとその光に目掛けて飛んで行き、そして雲に隠れて見えなくなった

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