呉鎮守府より   作:流星彗

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1章・呉鎮守府配属
喪失


 

「――サア、水底ニ落チテイクガイイ……!」

 

 響く轟音が耳に届く。次いで聞こえるは、悲鳴と苦悶の声だ。

 空は異形の飛行物体が我が物顔で跋扈し、黒煙がもくもくと立ち上っている。空を守るはずの味方の艦載機の姿はほとんどなく、制空権は敵に完全に掌握されていた。

 

「何故だ……どうしてこうなった」

 

 そんな光景を前に、男は震える声でそう呟く。

 

「提督! 撤退命令を! これ以上戦線を維持する事は出来ません!」

 

 傍に控える眼鏡をかけた少女がそう提案する。

 どう考えてもこれ以上の戦闘は無意味であった。

 主力となる機動部隊は壊滅し、制空権を奪われている。その上で敵の主力が次々と戦線を押し上げ、こちらの陣形を崩していく。おまけに電探によれば、潜水艦も確認されている。この混乱した状況の中で対潜へと意識を回すことは不可能に近い。

 

『報告! 扶桑、伊勢大破! 護衛撤退しようにも、敵の追撃が……ぁっ!?』

 

 また一つ、応答が消えた。

 通信を担う少女、大淀は震える手を握りしめ、隣に立つ提督へと詰め寄る。

 

「提督! 撤退命令を! これ以上被害を増やすつもりですかッ!?」

「…………許可、出来ない」

「なんですって……?」

「もう、私は終わりだ……。離脱しても私は上から切り捨てられるだけ。は、はは……終わりなんだよ、大淀」

 

 虚ろな目で提督は両手を台に乗せながら言う。

 元々彼はアカデミーで優秀な成績を収め、呉鎮守府へと就任した男だった。次々と戦果を挙げ、大将から一目置かれる立場へとのし上がっていった。

 だが、新たに確認された敵の存在によって、彼の道は歪んでしまった。

 満足に戦果を挙げられなくなり、認めてくれたはずの大将からは激励ではなく侮蔑の言葉が投げられる。それに焦り、戦果を取り戻そうと無理をし始めた。だが無理な艦隊運用によってより艦隊に不備が生じるという悪循環。

 やがて彼は先日、最後通告が届いた。

 

 次に失敗をしようものならば、呼び戻す。

 

 それは、実質的な左遷だった。

 空いた席には今年アカデミーから卒業する首席あたりが座るのだろう。自分は大本営の後方支援か雑用か、あるいはどこかの泊地の雑用にでも流される。

 そんな事はごめんだった。ここまでやってきたのだ。この席から降りるわけにはいかないのだ。

 

 そんな彼に報告が届いた。

 ソロモン海域にて強力な深海棲艦の反応有り。

 

 これだ。

 ここで戦果を挙げずにいつ挙げるのか。

 

 呉鎮守府に所属する艦娘全員を動かしトラック泊地を経由して南方、ソロモンへとやって来た。

 

 その結果が――これだった。

 

「ただで終わってなるものか。あれを落とす。何としてでも落とす……! そうでなくとも、大打撃を与えてやらないといけないんだよ、大淀ぉ!!」

 

 そう叫び、通信機を奪って提督は叫ぶ。

 

「船の警備をしている者達! 君達も前線に出るんだ! あれに魚雷をぶっ放してやれ! 支援砲撃も食らわせるんだッ! 長門ぉ! ここが踏ん張りどころだ! 沈んでいった赤城達の無念を晴らせぇ!」

「しょ、正気ですか!? この船の警備まで前に出したら、あなたもどうなるか――」

「私よりも敵を沈めるのが優先される! どうせ散るならば、敵を沈めながら散るまでだ! それが帝国海軍というものだろうッ! さあ、行け!」

 

 狂ったように叫びながら命令し、船を警備していた艦娘達は苦虫を噛みしめる様な表情を浮かべるも、従った。離れていく水雷戦隊を艦橋から見下ろしながら、大淀もまた唇を噛みしめる。

 返された通信機を手に、少し提督から離れると、「神通さん、聞こえますか?」と声をかける。

 

『はい』

「……もしもの時は、お願いいたします」

『――わかりました。引きずってでも』

「すみません、あなたにこのような事を任せてしまって」

『いえ、お気になさらず。……では』

 

 通信を終えた大淀は顔を上げて海を見つめる。

 もう、何を言っても変わらないならば、それを受け入れるしかない。命令は下されたのだ。自分達艦娘は、提督からの命令に逆らう事は許されない。ならば、この結末の後に対しての備えは必要だ。

 この事は提督は知らない。大淀の独断だった。

 知れば提督はこの行動を止める命令を下すだろう。そうならない事を祈るしかない。

 

 

「全砲門、開けッ! てぇーー!」

 

 勇ましい掛け声に呼応し、主砲が一斉射される。放たれた弾丸は狙い通りに敵へと吸い込まれていくが、前方には主力艦隊がそろい踏みだ。

 敵の戦艦が二隻に、空母が二隻。相変わらず艦載機が我が物顔で頭上を飛び回り、駆逐達の対空砲でも対処しきれない。

 ダメ押しとして敵旗艦が健在だ。先程から砲撃をしても、庇うように戦艦や重巡が立ちはだかってしまう。その空いた穴などなかったかのように、軽巡や駆逐がフォローしてくる。

 

「ちぃ、これでは……!」

 

 頭上から嫌な高音が聞こえたのに反応し、長門は避けようとした。だが間に合わず、至近で爆発したそれに被弾してしまう。その隙を逃さない敵ではなく、飛来した砲弾の追撃で主砲一基が破損してしまった。

 

「航跡確認! 魚雷です!!」

「なにぃ!?」

 

 護衛についていた吹雪が報告。見れば、確かに魚雷が四本こちらに向かってきていた。回避も間に合わない。これでは多大な被害は免れない。

 ここまでなのか。

 長門が覚悟した刹那、吹雪をはじめとする吹雪型三人が前に出た。

 次いで発生する爆発と、立ち上る水柱。長門を庇って彼女たちが被弾したのは明白だった。

 

「な、なにをしているお前達!?」

「……っ、長門さんは下がっていてください……! ここは、私達が引き受けますから!」

「馬鹿な事を言うな! あれを水雷戦隊だけで抑えるなど――」

 

 その言葉の続きを言う前に、背後で大爆発が発生した。

 数キロ背後の事だが、あそこに何があるのかは長門達にもわかっていた。「おい、大淀!? 応答しろ!」と呼びかけても、彼女は応えてはくれなかった。それが意味する事は、長門にも、吹雪達にも理解できた。

 そんな彼女の腕を引く手がある。

 いつの間にそこにいたのだろうか。神通と妙高が神妙な顔で長門を引いて航行していた。

 

「……生き残っている、全艦隊に告げます。撤退戦をはじめます」

「殿は私が。神通さん、後はお願いいたしますね」

 

 周りを見れば、警備から離れたと思われる水雷戦隊がすれ違っていく。彼女達の顔には覚悟が浮かんでいた。そんな彼女らを指揮する立場であるはずの神通は相変わらず長門の手を引いたまま航行している。

 

「おい待て、神通。これは何の真似だ?」

「……大淀さんより、命じられました。長門さん、あなたにはこれから、私と共にトラック泊地へ向かっていただきます……」

「馬鹿な!? 私に生き残れというのか!? 彼女らを置いて!?」

「ごめんなさい……。ですが、このまま全滅すれば、呉鎮守府には何も残りません。それはつまり、提督は戦果を挙げるために無謀な突撃をした結果、所有する全艦娘を全て喪失し、戦死した……。何も遺さぬ最期を迎えた、という結末となります。あのような命令を下した提督ですが、何も遺さないで終わる程、哀れな事はありません……」

 

 そう語る神通もまた、苦い表情を浮かべている。見れば、数人の駆逐艦が護衛としてついてきていた。彼女らもトラック泊地まで撤退してくれるのだろう。そして残りは全て、背後から追撃してくる深海棲艦の意識を引きつける役目を担っている。

 相変わらず砲撃と爆発音が聞こえてくる中、長門もまたぐっと拳を握りしめて決断した。

 

「……わかった」

 

 苦しい、了承の言葉だった。

 そして背後にいる艦娘達に伝えるように通信を開く。

 

「皆の衆、辛い役目を背負わせてしまった事、このような最期を迎えさせる事、申し訳なく思う」

 

 背後から敵艦載機が飛来する。いくつかは対空砲撃によって撃墜させるが、一本の魚雷が投下された。「魚雷です!」という報告に、全員がその射線から避けるように方向を変える。

 

「共に過ごし、共に研鑽し、共に戦いを過ごした日々。その結末がこのようなものであったこと、口惜しい事だろう。……私も同感だ。そして私はお前達を置いておめおめと背を向けて去ろうとしている。すまない、本当にすまない」

『謝る事はないわ、長門』

 

 聞こえてきたのはいつも近くにいてくれた姉妹艦の声だった。聞きなれた穏やかな声が、ざわつく長門の心にすっと入ってくる。

 

『私達以上に、あなたが一番苦しい選択をしているって、わかっているわよ。あなたの性分ではないものね。そんなあなたを守るために戦う。誇らしい事だわ。この身は、ただ敵を殲滅するためだけのものじゃない。誰かを守るために在るのだと、最後に証明できるのだから』

「陸奥……」

『私達にあなたを守らせて。あなたの下へはあれを行かせない。だから、安心していきなさい。そして、次の提督によろしく伝えて頂戴』

「…………すまない、陸奥」

『あら、違うでしょう? 私に最後に聞かせる言葉が、謝罪なんてひどいわ』

 

 くすり、と微笑が聞こえてきた。

 姿は見えないのに、いつものお茶目なウインク顔が頭に浮かぶ。そうだ、こんな言葉を贈りたいわけじゃない。こういう時に言う言葉は、

 

「ありがとう、陸奥」

 

 通信が途切れる。

 言葉が届いたのかどうかすらわからない。爆発音が掻き消したのか、あるいは陸奥が――いや、やめよう。そんな結末を想像するなど。

 視界には魚雷が補給するための資材を乗せていた部屋にでも当たった事で大爆発を起こしたらしい。轟々と燃え、分割されて横転し、ほとんど沈んでいる船がある。提督が乗船し、この南方まで自分達が乗って来た船だ。

 そして電探には敵の存在がある事を教えてくれる。

 潜水艦か?

 駆逐達が警戒態勢に移行する中で長門は更に速度を上げていく。低速艦であったとしても、最大船速ならば潜水艦からは逃げられるはずだ。

 それに空母が放った艦載機も長門達を追っていたものはいなくなっている。対空砲撃による撃墜と、補充のために帰還していったためだ。あとはあの船を撃沈させた深海棲艦を切り抜ければ、この海域からは離脱できるはず。

 そんな長門の希望を砕くように、左舷から航跡が確認された。

 回避するために転換するも一本は被弾するという航跡。だがやはりというべきか、またしても護衛の一人が代わりに被弾した。また一人、犠牲になってしまった。

 

「爆雷よーい! てぇー!」

 

 だが彼女らは護衛する役目を投げ出すような真似はしない。最後まで長門と神通へと潜水艦を近づけぬために戦い続ける。

 掛け声を背後に聞きながら長門と神通は海域から離脱していく。

 だが最後に、長門は肩越しに戦場を見つめた。

 相変わらず黒煙が立ち上り、砲撃音と爆発音が響く海域。長門はその光景を忘れることはないだろう。

 ソロモンの海は、仲間の艦娘が流した血のように赤く、深色(みいろ)に染まっていた。

 

 

 


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