呉鎮守府より   作:流星彗

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告白

 

 神通はどこにいったのだろう、と呼びに来られた工廠への道を歩きながら、もう一つのことを考える。それはどのようにして話を切り出そうかというものだ。感情論を抜きにするにしても、こういうケッコンカッコカリについて打ち明けるのは、少しくらいはムードがあった方がいいのだろうか。それともすぱっと切り出すべきか。

 こういう経験値が全くない凪にとって、これすらも高いハードルだった。いざやるぞと意気込んでも、心臓がバクバクで汗もかいてきた。年頃の少年が初めて異性に告白するようなものだ。そんなことを、まさか自分がするとは思ってもみなかった。

 これが青春をする少年の気持ちというやつかと、どこか他人事のように考えていると、夕張が向こうから駆けてくるのが見えた。一体どうしたというのだろうかと考えていると、そのまま腕を取られて道を外れ、木陰に連れ込まれてしまう。

 なんだなんだと混乱していると、「ちょっといいですか?」と夕張が呼吸を整えながら切り出してくる。それに頷くと、

 

「ちょっと神通さんがやばそうなんですけど……」

「やばいとは?」

「神通さん、色々と自分の中に抑え込む性格しているじゃないですか。それがいよいよもって抑え込むことで、悪い影響が出そうになっているんですよ」

「…………その、抑え込む感情ってまさか……」

「あ、提督も気づいていました? そうです、あなたへの……想いです」

 

 最後は言いづらそうにしたが、夕張ははっきりとそれを告げた。湊の予測通りのことに、凪もついに頭を抱えてしまう。だが逆に言えばタイミングはいいかもしれない。今まさにそのために動こうとしているのだから。

 

「それで――」

「――わかった。今、神通と話がしたかったところだよ。都合がいい。神通はどこに?」

「埠頭にいます。話っていうのは、もしかして? 提督、腹くくりました?」

「そうだね。湊に背中押すついでに尻も叩かれたんで、少し話をしてくる。ありがとう、夕張。知らせてくれて」

 

 礼を言いつつ片手を上げ、埠頭に向けて走り出す凪の背中を、夕張は少し考えつつ見送る。あの凪をいよいよ動かしたという湊。聞けば美空大将や長門にも相談していたらしいが、それでもはっきりとした答えを出せずにいたが、湊に尻を叩かれたとは。

 あれだろうか。年下女性にも相談したことで、いよいよ腹をくくったというやつだろうか。だとするとやはり、凪と湊は割と相性がいいのかもしれない。それはそれで興味深いのだが、いよいよ凪と神通の話が動くのだ。

 これは見届けなくてはいけないとばかりに、どこかおもしろそうな表情で夕張もまた静かに駆けだした。

 

 

 埠頭の先で海を眺めながら物憂げな表情を浮かべている神通を見つけた凪は、少し呼吸を落ち着かせながら、しかしその儚げながらも美しいと感じる様に、少し見惚れていた。改二になった時もそうだったが、どうにも神通は以前よりも美しいと素直に感じてしまう。

 女性に元々慣れていないということもあるが、より美人になったことで、この一年で慣れたとは思っても、美人には近づきづらいというコミュ障ならではの意識が蘇ってしまった。しかも今の自分はそんな彼女にケッコンカッコカリについて打ち明けようとしている。どうしても意識せざるを得ない。

 緊張で生唾を飲みつつも、「神通」と呼びかけながら彼女に近づいていく。

 

「あ……提督」

 

 驚きながらも、一礼を返してくれる神通。彼女に向かい合いながらも、まだ切り出す言葉を探し続けていた。頭を掻きつつ神通の隣に並び、埠頭の先に広がる海を眺める。二人で海を眺める形になってしまったが、神通がちらちらと凪を伺うように見てくるのを感じるが、とりあえず話を始めなければいけないだろう。流れに任せれば何とかなる、沈黙は良くないと判断して凪は口を開く。

 

「君には本当に世話になっている。一水戦旗艦というのもそうだけど、プライベートでも本当に世話になりっぱなしだ」

「いえ、私は私の務めを果たしているだけです」

「それでも、俺は改めてお礼を伝えたい。ありがとう」

 

 そうして頭を下げれば、照れたように視線を逸らす。それは意識している女性の顔のようにも感じる。しかしそれを口にはしないという控えめな性格が伺えるが、今日はそれを解消するために来たのだ。

 

「今日はお礼を伝えるだけではない、謝罪をするために来たんだ」

「謝罪、ですか? それは何故でしょう? あなたが謝るようなことは何も」

「俺がなかなか意を決しなかったから、君に色々溜め込ませてしまった。打ち明けることをさせず、俺のためにそれをひた隠しにさせてしまった。そのせいで、君は色んな人に心配されるようになってしまった。それは、全て俺の責任だ」

 

 意識していても、それを伝えることをしなかったのは、神通の性格もあるだろうが、凪が女性が苦手ということもあるし、提督と艦娘という関係性もそうだろう。それを崩すようなことは、彼女の性格上考えられることではなかった。

 凪がするべきことは、そんな控えめな神通が立ち止まることなく、前に進ませるきっかけを与えてやることだ。今日凪の尻を叩くことで前に進ませた湊のように。

 

「待たせてすまなかった。神通、君の抑えたものを、今ここで打ち明けてほしい。本当の気持ちを解き放ってほしい。俺は、それを聞く義務がある」

「……しかし、私は……そうすることで、あなたに重荷を背負わせることになります」

「それは君の考えだ。重荷になるかどうかは俺が決めることだ」

 

 今ここで聞くのだという強い意志で神通を促すと、少し俯いて瞑目してしまう。だが辛さによる瞑目ではない。本当にそうしていいのかという困惑と、気持ちを伝えることに対する気恥ずかしさ、彼女自身の控えめさなど、色々な感情がごちゃ混ぜになってしまい、頬に赤みがさしている。

 しかし凪はここまで促すだけであり、急かすようなことはしなかった。彼女にも改めて気持ちを整理させる時間が必要だ。待たせはしたが、伝えるためにも準備は必要だ。

 どれだけの時間が経っただろう。時間の感覚もあやふやだが、それでも、彼女は一歩踏み出す勇気を振り絞った。「――は」と、蚊の鳴くような声が漏れて出る。

 

「……私は、困惑していました。改二になったとき、私の中でそれまでの気持ちが増幅したように感じられました」

 

 俯いたままではあるが、神通は言葉を選ぶように、ゆっくりと語りだした。それを凪は静かに耳を傾ける。

 

「これが改二の影響かと最初は思っていましたが、それにしては自分の中で大きな変化が起きすぎて、どうしていいかわかりませんでした。長門さんなどにも相談をしてしまい、心配をかけてしまいました」

 

 そうだね、と凪は相槌を打つ。実際凪も長門と話をすることで、神通がそんなことになっていることを知り、凪もまたどうしていいかと悩むことになってしまった。お互いがお互いを意識し、立ち止まることになってしまったのだ。

 

「……それでも、自分の中で高まるこれは、本当にそうなのかと私は判断が付きませんでした。提督をお慕いしているのは確かです。私の気持ちはあの日から変わることはなく、あなたを主と定め、全力でお支えすることを誓ったのですから」

「……うん」

「ですが、これがただの敬愛ではなく、愛情、恋慕であるならば、その誓いは崩れる。一線を越えるような感情の大きさを認めてしまえば、自ら立てた誓いを自ら破り、艦娘として支えるのではなく、まるで人間の女性のような立ち位置を私が、この私が求めてしまうことなど、私自身が許せません。あの子たちの模範にもなれない一水戦旗艦など、どうしてなれましょうか!?」

 

 堰を切ったように、神通は顔を上げて叫ぶ。その頬は興奮にも似た赤みが差し、目には雫が浮かぶ。そこまで思いつめたのかと凪もまた胸が痛んだ。そうまで悩ませたのは自分に責任だと、自責の念すら浮かぶ。

 

「だから私は、抑えるしかなかったのです。あなたを支える一人の艦娘として在り続けるために」

「……わかった。でも、それでは君自身が苦しむことになる。それを知ってしまった以上、君をそのままにはしておけない」

 

 ハンカチを取り出し、その涙を拭ってやりながら「俺はね、神通」と切り出し、

 

「改めて言うまでもなく、女性の扱いってやつを全く知らないからさ、正直どうしていいかわからないんだよね。こうして告白を聞き、涙を拭い、そうしてどうすればいいか、その正しい答えが全く分からない。そんなダメな奴なんだよ。普通に女性に好かれる要素ってやつをおよそ持ち合わせていない、そんな風に自己評価を低く見積もるくらいに、縁もないからね。経験値を積む機会すらない、クソ野郎さ」

 

 でも、それでも前に進まなければならない。これ以上神通を苦しませるわけにはいかないのだから。「そんな俺でも、できることがある」と、ポケットからあの指輪を取り出し、神通に見せると、彼女は驚きに目を見開く。

 

「美空大将が確立させた新たなるシステム。『ケッコンカッコカリ』、それを君と果すことで、俺の答えとさせてほしい」

「え、でもそれは……」

「実際にするわけではない、それは俺もわかってはいるけれど、しかしこれ以外に確かな形として君の気持に応えられるものはない。言葉とともに、確かな証を送ることで、君の気持を受け入れよう。それに、これを結ぶことで君の誓いは崩れることはない。愛情を前面に押し出したとしても、艦娘として変わることなく、あの日の誓いを維持したまま俺のそばに居続けられる」

 

 それは間違いない。艦娘として支え続ける、あの日交わした誓いが崩れることなど、凪もまた望んではいない。凪だけでなく、この呉鎮守府にとって神通はかけがえのない存在なのだ。彼女のいない呉鎮守府はもう考えられないものになっている。

 このケッコンカッコカリを成立させても、彼女との関係は変わることはない。

 

「これは君と俺を結ぶ信頼の証だ。気持ちを抑える必要もないし、恥じる必要もない。ありのままの君のままでいてほしい。俺はそう望んでいる」

「…………よろしいのですか?」

「作った人も、相談した人も所詮はシステム的なものなのだ、と言ったけれどね……俺はシステムとはいえ、指輪まで用いるし、名前もあれだし、と悩み続けたんだよね。でも、うん。結局行きつく先は、俺が君を受け入れるかどうかだし、俺が君をどう思っているかでしかないと結論付けた。……時間はかかったけどね、本当にすまない」

 

 色々と回りくどい言い回しをしたが、それも気恥ずかしさからだ。神通もまた、着任当初のような視線のせわしなさと、汗をかき続ける凪を見て、察した。彼もまた、人付き合いの慣れなさから、こうして今もなお惑い続けているのだと。

 

「俺はね、神通。最初に言ったように君には本当に感謝している。そんな君を好きにならないはずはないし、君から好意を向けられて嬉しくないはずもない。こんな自分にはもったいないと思ってさえいる。君に対する好意の証、これを送ることで、君の好意への返礼とさせてほしい。……受け取ってくれるかな?」

 

 たった二文字すら言えない回りくどさ、それもまた凪らしいとさえ思えるその様に、どこからかイラついたような空気を感じる。ちらりと神通が視線を逸らすと、なるほど、心配をかけた人たちがそこにいるのだろうと察した。

 こんな自分たちに、彼女らにも申し訳ないことをした。それにあの凪が覚悟を決めて差し出してくれたのだ。受け取らないという答えはどこにあるというのか。

 

「――喜んで。変わることのない忠誠を、そして、それ以上にあなたへの親愛を。この神通、どこまでもあなたと共に歩き続けましょう」

 

 そっと胸に手を当て、返礼をする。左手を差し出せば、嵌めるべきところにケッコンカッコカリの指輪を通してもらった。すると、その指輪が静かに光を放ち、神通を温かく包み込んでいった。

 自分の中で、新しい何かが開かれるような感覚。今まで抑えていたものが、指輪から放たれる光を通じて解放される感覚。そうして自分は新たなる一歩を踏み出すのだ。

 感情も、力も、このケッコンカッコカリによって前へと進むための力となる。

 それ以上に、愛おしさが、嬉しさが溢れて止まらない。さっきまでは自分の感情に苦しみながら涙を流したが、今は違う。そっと左手と、嵌められた指輪を撫でながら、それをかみしめる神通。

 顔を上げた神通のその顔は、涙に濡れながらも、嬉しさを隠しきれない少女のような可憐さと、愛に溢れた女性の顔で、またしても凪の言葉を失わせる程の美しさがあった。

 

 

「やれやれ、ようやくか」

 

 と、嘆息しながらも、嬉しさを隠しきれない長門をはじめ、夕張や夕立など、凪と神通の様子が気になって仕方がない面々が、港の陰からそっと隠れた。先ほどまでそっと顔を出しながら様子をうかがっていたが、上手くいったことで、全員が安堵していた。

 夕張が凪の後を追いかける中、途中で長門や一水戦のメンバーと出会い、何をしているのかと訊かれたが、これから神通に事件が起きそうだと端折って言ってしまったことで、全員が心配のあまりついてきてしまった。

 だが雰囲気が雰囲気だったので、声を掛けずにとりあえず隠れて様子を見ようと意見が一致し、今の今までずっと陰で見守っていたのだ。

 しかしあまりの凪の回りくどさと歯切れの悪さに、夕張がもどかしさに飛び出していきそうだったが、それは長門が抑え込んだ。そして成就した際には喜びのあまり夕立と雪風が飛び出しそうになったが、それを北上と綾波が抑え込んだ。Верныйは相変わらずクールに様子を見守るだけだったが、成就の際には表情こそ変わりはしなかったが、嬉しさは滲ませていたようで、うんうんと頷きながら喜びをかみしめるように、どこか体がうずうずとしている。本当は神通のもとに行って喜びを共有したいだろうという気持ちが伺えた。

 

「これでひとまずは安心ってところかしら?」

「うむ。気持ちを抑える必要はもうなくなったのだからな。ありのままの神通として、これからも過ごしてくれることだろう」

「そうね。私もそうだけど、長門さんも肩の荷が下りたって感じ?」

「まさしく。本当に世話の焼ける提督だ。……今回は神通も、だがな。これで後は訓練などに熱が入ることだろう」

 

 そういえば、と長門は空を見上げる。

 今月は6月、梅雨の時期。しかし幸いにも空は快晴で、今日の善き日にはぴったりの空模様だ。

 同時に6月と言えばジューンブライド、システムとはいえ、あの二人が結ばれるにもぴったりの月と言える。

 様々なタイミングの良さもあり、今日という日は二人にとって、いや呉鎮守府にとっても、間違いなく善き日になったに違いない。あの二人に心からの祝福を、長門は微笑を浮かべながら静かに夕張たちを促した。しばらくはあの二人をそっとしておくべきだろう。そう信じてその場を去っていった。

 

 


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