呉鎮守府より   作:流星彗

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北方提督3

 

 数分前、舞鶴艦隊を落とせという北方提督の指示を受け取った後のこと。ウラナスカ島の防衛線を少しずつ切り崩し、北方棲姫へと迫ろうとする舞鶴艦隊だが、展開される艦載機と、リ級フラグシップとル級フラグシップの砲撃により、一進一退の状況にもつれ込んでいた。

 水雷戦隊を撃破して戦線を押し上げても、装甲が強固なリ級フラグシップとル級フラグシップの壁と、強力な砲撃で押し返され、ダメ押しとして白猫艦載機の攻撃が飛来する。

 また北方棲姫の射程内なのか、彼女からの砲撃も加えられている。小さな体で他の姫級に比べて小さな艤装をよっこらしょと構え、砲撃を仕掛けてくる姿は可愛らしくはあるが、しかし彼女は姫級だ。その威力はル級フラグシップに引けを取らない。

 しかしこの艦娘と深海棲艦の攻防にも、少しの間が生まれる。弾を装填する時間、魚雷を装填する時間、そして艦載機の攻撃が落ち着き、補給に戻る時間など、それぞれの間がある。

 そこを見逃さず、舞鶴一水戦や大湊の鳳翔などの空母が切り込む。一気に距離を詰めての雷撃を敢行し、ル級フラグシップを撃沈させて更に前へ。それを援護すべく鳳翔らから放たれた矢が、艦載機へと変貌し、追加の魚雷を放り込む。

 防衛線の一角に空いた穴。そこになだれ込む艦娘たち。それを何とかして留めようとする深海棲艦たちだが、進軍する一水戦らに向きなおれば、先ほどまで正面で向かい合っていた立ち位置が、艦娘たちが側面から攻撃を仕掛ける形に切り替わる。

 砲門もそちらに向けられているため、T字有利を取られないならば、単に横っ腹を晒している状態にしかならない。

 

「とおおぉぉぉ!! つげきですわー!」

 

 気の抜けるような掛け声と共に熊野率いる水上打撃部隊が、その横っ腹を食い破る。膠着状態はここに破られた。この好機を逃すまいと、士気を上げて前進する舞鶴艦隊。だがそれを止めるべく、北方棲姫も動く。

 ミトンの手を合掌し、ぐっと力を込めれば、赤黒い力が結集する。それを頭上に掲げれば、その赤黒いオーラをまとった白猫艦載機が出現し、ぶんっ! と音を立てて分裂した。天に掲げた手を勢いよく振り下ろせば、その軌跡に従って白猫艦載機が出撃する。

 過去見たことない発艦方法に、モニターで見ていた渡辺は「何だ今のは!?」と驚きを見せるが、前進する足を今止めるわけにはいかない。対空を意識するように命じる中で、距離が近くなっていたため、すぐに艦娘たちへと迫りくる。

 今までよりも早い航行速度に、対空迎撃も万全とはいかない。次々と降り注ぐ爆弾と、機銃の雨。爆弾が爆発することで立ち昇る水柱。いくら回避などに力を注いだとはいえ、被弾ゼロで切り抜けられるはずもなかった。

 

「一旦退避! 態勢を立て直すわ!」

 

 五十鈴の命令に従い、一水戦が反転するも、後方でも白猫艦載機が攻撃を仕掛けていた。三式弾を放って対抗する熊野ら重巡だが、赤黒い力をまとった死を運ぶ風の如く、白猫艦載機が次々と水上打撃部隊へと襲い掛かる。

 駆逐艦や軽巡に比べると、速度で少し劣る重巡や航巡では、一水戦に比べて被弾を増やしてしまっていた。空母の艦載機によるカバーも限界があり、被弾を重ねて悲鳴を漏らす。

 すかさず周りにいる深海棲艦らも追撃を行い、せっかく前進した艦娘たちは、反転して後退するしかなくなった。

 

「カエレ……カエレッ!」

 

 北方棲姫による追撃の砲撃と艦載機の展開。それらも加わり、指揮艦へと退避する艦娘たちの背中にも容赦なく攻撃を加えてくる。それをカバーするために主力艦隊や、二水戦、三水戦などもフォローするが、敵陣の中からの撤退だ。被弾を重ねてしまうのも無理なかった。

 そして、撤退戦こそが被害を産みやすい。

 回避行動を取りながら対空射撃をするも、その合間を潜り抜けてくる白猫艦載機。やはり今までの艦載機とは違うのだということを、ありありと見せつけてくる。開かれた口、ぎらぎらと輝く赤い瞳。気のせいでなければ、艦載機の飛行音に加え、獣の鳴く声も聞こえるようだ。それが迫りくることに、一筋の恐怖心が煽られそうになる。

 

「――っ!」

 

 撤退する熊野たちの背中に、次々と投下される爆弾。殿を務めていた熊野は、はっとした顔で前にいる鈴谷の背中を押し、防御態勢を取る。「熊野っ!?」という鈴谷の驚く声が、爆発に飲み込まれる熊野に向けられる。

 だが熊野は爆風の中から、「お行きなさい、鈴谷! 次が来ますわよ!」と、振り返ることなく撤退するように檄を飛ばす。それでも、と鈴谷は手を伸ばそうとするが、しかし迫りくるリ級フラグシップに歯噛みし、舞鶴の指揮艦を目指した。

 追いついてきたリ級フラグシップは、燃え上がる艤装から離れる熊野の体を見下ろす。被弾を重ねていた中で、白猫艦爆の直撃を受けたのだ。艤装はもう使えず、その服も焼け焦げ、呼吸も乱れている。

 そんな熊野を回収できぬよう、改めて防衛線が築かれる。リ級フラグシップはぐっと熊野の髪を掴んで、その顔を覗き込んだ。その目はまだ死んではいない。鈴谷たちが無事に撤退することを祈り、そして改めて戦線が築かれ、この戦いを勝利で納めてくれるだろうと信じている。

 無言で見つめていたリ級フラグシップだが、後方にいるリ級エリートに熊野の体を放り投げ、連れていけと人には理解できない言葉で指示する。残骸となっている艤装も他の深海棲艦が回収し、それぞれ海中へと沈んでいった。

 

 

 煙幕の中、大湊一水戦は盛大に暴れる。視界を閉ざし、敵からの攻撃から身を守る煙幕戦法だが、これは自分たちも同様に敵の位置が正確にわからないという弊害をもたらす。そのため敵もでたらめに攻撃を仕掛けてこようものなら、こちら側も危険が増す。

 短期間の間に、どれだけ被害をもたらし、迅速に移動できるかにかかっているが、水雷戦隊ならではの雷撃の連打により、こちらでもウラナスカ島の防衛線の一角を切り崩すことには成功した。

 リ級フラグシップ率いる水雷戦隊を複数壊滅させ、煙幕を抜けて側面から回り込もうとした多摩たちだったが、多摩は第六感による危機察知により、手を出して「回避にゃ!」と叫ぶ。その場から飛びのくようにすると、進路上と先ほどまでいた場所に次々と砲弾が撃ち込まれた。

 海上を滑るようにしながらも、何とか態勢を立て直せば、視界にじっと多摩たちを見据えている存在が佇んでいるのがわかった。

 

「ふむ、獣の感性か? あるいは部下を率いてきたものだからこその察知力か。どちらにせよ、悪くない。だからこそやりがいがあろう」

「にゃ……お前が、この艦隊の頭かにゃ?」

「然り。故にこそ、我を沈めることができれば、汝らの勝ち。わかりやすかろう。とはいえそう簡単に沈むのかといえば、それは否である」

 

 淡々と語る北方提督の目は、紺色のオーラを放ちながらも、その瞳は冷えている。言葉を紡ぐ唇は微笑を形作っているのだが、別に彼女は笑っているわけではない。ただありのままの事実を語っているだけに過ぎない。

 この戦いで自分は沈められるかどうかという点は考慮しているが、果たして目の前にいる多摩たちがそれを実現できるのか? そういった疑問と期待、そしてこの戦いにおける一番の目的。複雑な心境を抱えながらもそれを抑えている。

 三笠は古い時代の戦艦ではあるが、深海棲艦ならではのスペックの底上げも少なからず施されている。それを打ち破れるかどうか、大湊一水戦で試してみよう。

 その心で静かに携えている刀を抜く。

 

「斬り込むなら、来るがいい。汝らの全力に我は応えよう」

「なら、俺が斬り込む! 多摩ぁ、その間に周りを処理しろ!」

 

 木曾もまた抜刀し、果敢に北方提督へと斬りかかり、北方提督もまた小さく笑みを浮かべてそれを受け止めた。木曾が自分から斬り込んでくる、その勇気に彼女は笑った。そしてすぐさま多摩も「散開!」と指示しつつ、北方提督に追従してきたリ級フラグシップや、ル級フラグシップへと砲撃を仕掛けた。

 軽巡や駆逐では、リ級フラグシップやル級フラグシップの装甲を砲撃で抜くのは難しい。そしてそれは旧型とはいえ戦艦である北方提督の装甲も同様だ。大きくダメージを通すならば、雷撃を行うしかない。

 しかし先ほどの煙幕で雷撃を行っているため、再装填するまでは使用できない。その時間を稼ぐための砲撃と、木曾の斬り結びだった。

 一合、二合と刃が打ち合わされる。初太刀こそ自分を引き付けるための大きな振り下ろしだったが、そこからは突き、払いと素早い刀の軌跡を披露するも、その全てを北方提督は防いでいる。

 迷彩柄の木曾のマントと、漆黒の北方提督のマント、お互いにマントをなびかせ、海上で繰り広げられる人ならざる者の、人のような刀の戦い。大湊で凪の艦隊と戦った時に見せたような戦いよりも、遥かに切羽詰まった斬り合いだ。

 当然である。あれは演習であり、こちらは命のやり取り。刀の捌きを間違えれば斬られてしまう。

 

「ふんっ!」

 

 刀を弾きつつ距離を取り、副砲による砲撃を仕掛けるが、それがどうしたとばかりに刀で弾く北方提督。その隙をついて回り込み、再装填された魚雷を撃ち込むが、見抜いていたとばかりに、副砲で処理される。

 爆発によって立ち上る水柱によってお互いの姿が隠されるが、それを待っていたとばかりに木曾は手にした一本の魚雷を投擲した。水柱を貫き、その奥にいる北方提督に着弾する魚雷だが、翻したマントによって爆発のダメージを体に全て届かせるのを防いだ。

 

「大したやり方だ。だが、それを我は知っている。奇しくもあれを意識する輩がデータを共有してきたからな。残念だ」

 

 事前に中部提督から情報共有はある程度行われていた。基地型深海棲艦などのデータだけでなく、呉鎮守府や佐世保鎮守府の艦娘や、その戦い方も共有されていた。この一年で伸びてきたというだけでなく、中部提督が呉の凪を強く意識していたために、スパイまで送り込んでいたのだ。

 それによって抜き取られたデータには、戦い方をまとめた演習データも含まれている。それをも共有していたため、魚雷を投擲するというやり方も、北方提督へと伝わっている。また、北方提督もまたウェーク島での戦いを観戦している。全てではないにしろ、実戦の中で披露されたものも、彼女は認識している。

 煙幕を用いた戦い方、立ち上った水柱によって隠された姿の奥からの攻撃、それらからどうしてくるのか。考えられることを認識していれば、それに対して備えるだけでいい。

 

「そこか」

 

 落ち着く水柱から飛び出すであろう方向へと、北方提督は先んじて砲撃を行う。だが水柱からは何も出てこない。はて、また回り込んでくるものと考えていた北方提督は、少し怪訝な顔をする。

 そんな北方提督へと迫るのは、遠距離から飛来してくる砲弾の音だった。それに気づいてからの反射的な行動は、彼女が積み重ねた経験によるものだった。先ほどまで立っていた場所だけでなく、多摩が押し留めていたル級フラグシップにも、徹甲弾が貫通し、ル級フラグシップが悲鳴を上げる。

 煙幕の奥にいた水上打撃部隊が、隙を見逃さずに砲撃を仕掛けてきたのだ。陸奥や金剛という戦艦の長距離射撃に加え、艦載機の援助を防ぐための三式弾を、妙高や古鷹が空に打ち上げ、北方提督を支援する艦載機の動きを阻害している。

 そうしてこの一帯だけ制空権を得れば、主力艦隊の鳳翔や赤城が送り込んだ一部の艦爆と艦攻が、北方提督を落とすべく飛来してきた。対空装備を持たない彼女にとってそれは一番の危機だが、それを止めるのがツ級だ。

 アトランタ級ならではの自慢の対空砲が一斉に火を噴き、迫りくる艦爆と艦攻を落としていく。ツ級によって守られる北方提督はいったん距離を取りつつも、ツ級を守るべく雷と電の前に立ち、彼女たちを遠ざけるべく砲撃を仕掛ける。

 戦艦の砲撃だ。駆逐艦である雷と電にとっては当たり所が悪ければ致命傷になる。雷撃を仕掛けようとしたが、副砲もまた狙いを定めていたため、断念せざるを得なかった。

 

「善き哉、大湊。木曾、だったか。水雷戦隊から抜けて一騎打ちと見せて、水上打撃部隊の接近と照準合わせの時間を確保か。それだけではないな」

 

 と、副砲の一部がツ級の奥の方へと向けられ、水面に向けて砲撃を仕掛ける。そこにはいつの間に接近していたのか魚雷があり、副砲の砲撃を受けて爆発する。一水戦や水上打撃部隊の雷撃ではない。潜んでいた潜水艦による静かな雷撃だった。どうやらそれも見破られたらしい。

 

「いいぞ。その殺意、心地よい」

 

 持ちうる手段を駆使して、なんとしてでも北方提督を落とすという宮下と、それに従う艦娘たちの意思。それを感じ取って北方提督は笑みを浮かべる。それらの果てに自分を沈められるならばそれで良し、素直に受け入れる心づもりではある彼女だが、同時にここを任せられているという自負もある。

 また自分に付き従っているものたちや北方棲姫もいる。それらがいる中で大人しく沈むというのも性には合わない。どうせならばお互いの力をぶつけあう苛烈な戦いの果てに沈めばいい。それがかつて沈まず、今もなお日本に現存している三笠としての意地だ。

 手にした刀を一振り、そして目の前に持ち直し、その刀身をゆっくりと撫でながら、「では礼の一つとし、深海らしいものの一つを披露しよう」と不敵に笑う。

 

「っ! 散開、防御態勢にゃ! まとまっていると、一気にやられる予感がするにゃ!」

 

 刀身に目のオーラと同じく紺色の淡い光がまとわれていく。続けて刀を片手で回転させ、艤装の右側に装備されている魚雷発射管へと刀の柄を当てる。すると、装填されている魚雷の一本が光り、魚雷そのものが一筋の光と化す。

 その瞬間、北方提督の一本の魚雷は、敵を貫く武装ではなく、刀を強化させる光のパーツとなった。突き立てた刀の柄へと吸い込まれ、柄から刀身へと光が立ち昇る。

 刀を両手で構え、ぐっと引いたそれを神速の突きとして放つ。すると、切っ先から紺色の鋭い光が多摩たち一水戦へと迫っていく。反応が遅れれば間違いなく貫かれる昏い闇だが、あらかじめ多摩が一水戦のメンバーに声を上げていたため、直撃を避けることができた。

 だが放たれた闇の閃光は海を巻き込んで空を走り、多摩がその激流によって体の右半身が巻き込まれ、体勢を崩して吹き飛ばされる。周りに指示を出している時間と、それを見越した北方提督の微調整により、巻き込まれてしまったようだ。

 

「多摩ッ!? ちぃ……子日、荒潮! 多摩を連れて撤退しろ! ここは俺が止める! 雷、電! 援護しろ!」

「わかったわ! 子日ちゃん、私が肩を貸すから、周りをお願いね」

「わかりました!」

 

 荒潮が多摩に肩を貸し、子日が護衛しつつ撤退する。それと入れ替わるように、妙高ら水上打撃部隊が前に出、木曾が撤退ルートを防ぐように回り込みつつ、雷と電のフォローを受けつつ北方提督に迫る。

 北方提督は刀を軽く振りながら、何かを呟いていたが、迫ってくる木曾が振るう刀を受け止め、じっとその顔を見つめる。

 

「てめぇ……さっきのあれはなんだ!?」

「あれか? 手遊(てすさ)びのようなものだ。汝らで云えば妖精の力のような、摩訶不思議な力の使い方よ。深海の力をこのように――」

 

 ぐっと力を込めれば、また刀身に鈍い光がまとわれていく。このまま鍔迫り合いをしては危険だと察知した木曾が下がるが、北方提督はその光を霧散させ、代わりに艤装の砲門を木曾に合わせて砲撃する。

 砲撃に切り替えられたことで、何とか直撃を避けるべく、バックしながら蛇行しつつ、魚雷を北方提督へと放つ。高速で射出されたその一本が北方提督へと直撃したが、大して揺るがず、少しバランスを崩す程度に留められた。

 しかし側面から雷と電が追加の魚雷を差し込み、バランスを崩した北方提督へと複数着弾する。これは流石に効いただろうと思われたが、それもまた大したダメージを受けているような顔をしていない。

 

「さて、どれだ?」

 

 逆に何かを気にするように視線をあらぬ方へと向けている。

 しかし、それでいて砲撃もこなしているようで、雷撃をこなす木曾と、放たれた魚雷に副砲を斉射していた。雷撃を止めつつも、どこか隙を晒しているかのような余裕を見せる北方提督についに堪忍袋の緒が切れたのか、木曾はぐっと力を込め、雷撃の強撃を放つ。

 狙いを定めた渾身の一撃。その気配を察知した北方提督の視線がやっと木曾に向けられた時には、すでに高速で放たれた魚雷が迫っていた。だが、北方提督はそれでも笑みを隠さない。

 迫ってくる魚雷のギリギリのタイミングを見極め、身体を捻りながらその場から跳ぶ。推進によって舞い上がる水しぶきを受け、旋回する身体に合わせてなびくマントを翻しながら、直撃だけでなく推進の余波すら切り抜ける。魚雷は背後数メートルにいた深海棲艦に直撃し、爆発する様を背中に受けながら綺麗に北方提督が着水する。

 その動きに「てめぇ……」と思わず木曾が声を漏らすのも仕方がない。だがそんな木曾でも予期せぬことがあった。離れたところにいた鳳翔が着水の瞬間を狙ったのか、鋭い眼差しで北方提督を見据え、低姿勢から矢を放つ。

 今までに出したことがないほどの高速で水面を滑り、矢を放つ鳳翔の手には、淡く光る燐光があった。いつもの穏やかな表情と打って変わり、鋭い眼光には気のせいか手と同じような淡い光が灯っているように見える。

 

「……!?」

 

 その戦意に反応し、北方提督も視線を向けるよりも早く、反射的に身体を逸らしていた。刹那、矢が通り過ぎ、それは複数の艦載機へと変化しながら空へと舞い上がる。だが飛来する矢はそれだけではなかった。

 もう一射、鳳翔は放っていた。それは海面を滑るように飛行し、これもまた複数の艦攻へと変化する。今までにない程のスピードを出し、北方提督へと雷撃を仕掛けていく。加えて空へと上がったのは艦爆だ。反転し、急降下してくるそれらは、次々と爆弾を投下していく。

 上と側面の二方向からの攻撃に、知らず北方提督は笑みを深くした。

 

「やりおる」

 

 と、素直に鳳翔を称賛し、魚雷だけを避けて爆弾の数発を甘んじて受けた。そのダメージは、先ほど受けたものより重く体に響いた。恐らく放ったときのあの光が関係しているのだろうと推測し、分析する。

 そして至った答えが、自分が多摩へと放ったものの模倣か、あるいは多摩が落ちたことに対する怒りで無意識に振るったか、というものだ。どちらにせよただの艦娘がここでその力を振るえたことに、北方提督は希望を得る。

 先ほどの自分の攻撃を見て、瞬時に自分もまた近しいものを行使できる大湊の鳳翔。彼女の持ちうる才能と、行使できる力量。それでこそ披露してみせた甲斐があるというもの。

 もしかすると、本当にいずれやってくれるのではないだろうかという、胸の高鳴りが抑えられなかった。

 ぱんぱん、と軽く服やマントの汚れを落とすようにはたきながら、

 

「見事なり、そこな空母。我は素直に汝を称賛する。今のはなかなかに効いた。それができるのであれば、いずれ至れよう。そして――ああ、これか?」

 

 と呟けば、木曾たちの耳に宮下の驚いたような声が聞こえてきた。

 

「聞こえるな? 大湊の提督。聞こえるなら応答されたし」

「……何故」

「なに、戦場を見渡し、指示を出すために通信を繋いでいよう? 幾度かやり取りをしていれば、我とて朧気ながらも察知する。そこで介入を試みたまでよ。汝とは、一度話をしてみたかったからな」

「わざわざわたしと会話を? そうして有利を取っている中で? どういうつもりでしょう? 先ほどからあなたの行動は不可解です」

「不可解か?」

「ええ。最初から最後まで後ろで指揮していれば良いものを、わざわざ多摩たちの前まで出てくるその行動。更には通信に割り込み、わたしとの会話を望む。深海棲艦らしくない行動です。先ほどの妙な攻撃も、多摩に致命傷を与えるという意図があったでしょうが、大きな危機を与えることで、わたしが反応することを読み、割り込み成功の確率を上げるのが本命と見ましたが、如何?」

 

 その問いかけに北方提督は笑みを浮かべて応える。

 手にしている刀を納め、軽く拍手をすることで宮下を讃えた。

 

「然り。ああすればこ奴らに通信を繋ぎ、精度が上がると判断した。目論見通り、こうして汝と言の葉を交わせた。それだけで我は満足である」

「どうしてそこまで?」

「興味。我と幾度と戦い、時には我が拠点付近まで迫ってきた大湊の提督がどのような者か知りたかった。それがこのような声色をした女子とは、より興味が湧こうもの。なるほど、あの小僧が抱いた感情とはこのようなものかと、今更ながら我も感じている」

 

 だが同時にまた人に近づいているのかもしれない、と複雑な心境も抱いていた。やはり自分もまた歪になってきている。このような戦場においてこのような感傷を抱くなど、どうかしているとしか思えない。

 

「今回こうして顔を出したのは、あの童女の付き添いだったが、汝という存在をより身近に感じたかった理由もある。果たして汝は、我を討ち滅ぼせるだけの力を持つ存在か否か。その片鱗を知りたかった」

「……わたしは北方海域の担当ですから、いずれはそうなるかもしれませんが、もしやわたしを改めて試したと?」

「だが、それは今ではないな。あの空母の先ほどの攻撃ならばあるいはと思えるが、その他の艦娘では、どうやら我の守りを貫くには至らないらしい。残念だ、まだ汝らは我を沈められない。眠りにつく時はまだ先らしい。……一つ問おう。汝、我のこれを見て感づくだけの知識は?」

「そう問いを投げかけるということは、本当にあなたは……三笠だと?」

 

 返ってくる問いかけに、ふっと北方提督は微笑を浮かべ、木曾たちに背を向けた。その背中に立ちはだかるように、ル級フラグシップやリ級フラグシップ、ツ級が固める。そして北方提督は「童女、もう一つ見せてやれ。ん、お手玉だ」と指示を出し、北方棲姫の下へと航行する。

 

「ワカッタ……」

 

 遠く、北方棲姫が北方提督の命令に従い、両手を胸の前にかざす。バチバチと赤黒い力が、ミトンが嵌められた両手の間で凝縮されると、次々と白猫艦載機が生み出され、北方棲姫はそれを次々と宙に投げる。

 赤黒い力は投げられる白猫艦載機にもまとわれ、北方棲姫はそれをお手玉のように両手で何度も何度も回しながら投げていく。その様は、まさに子供の遊びそのものだ。しかしお手玉するにつれて白猫艦載機に集められた力が蓄積されるのは、不穏な空気を次第に高めていく。

 やがて何度かのお手玉の後、パンと合掌すると、弾けたように一斉に白猫艦載機が空高く舞い上がり、一斉に分裂した。艦戦、艦爆、艦攻と三種類の白猫艦載機が無数に展開され、それぞれが楕円を描くように宙を旋回。

 赤黒い力が白猫艦載機の軌跡に従って楕円を実際に描き、それが無数に空に描かれる様は、まるで小型のハリケーンが形成されているかのようだ。

 高まった力を解き放つように、北方棲姫がそのつぶらな赤い瞳を爛々と輝かせ、バッと勢いよく右手を前に出す。

 

「……カエレッ!!」

 

 それは艦娘たちに向けられた怒りの言葉。その声に従うように、一斉に白猫艦載機がウラナスカ島の防衛線を再び崩そうとする艦娘たちの上空に迫る。

 異質な力をまとった艦載機の群れだ。そのもたらす被害は甚大なものになるだろう。先ほども見た攻撃に、渡辺も「一時後退して防御態勢! 空母たちは艦載機を展開! 三式弾も放て!」と指示を出し、宮下も同様の命令を出す。

 そんな中で宮下の通信に未だに割り込んでいる北方提督の声が、宮下と大湊の艦娘にだけ届けられる。

 

「時間稼ぎはこれまでだ。今回の我の役目は汝らをここに引き寄せる囮である。本気でやるならばより多数を沈め、戦力を削るべきだろうが、正直我としてはどちらでも良いこと。そもそも我自身が出撃する予定はなかった故な」

「待ちなさい! どういうつもり? これだけの優位を得ておいて撤退するというのですか!?」

「囮と我は云ったぞ? 囮らしく、時間を稼ぐだけで役目は果たした。だが最後の童女のものは、お披露目だ。今の深海が持ちうる力を示した。それにより汝らが後の戦いに役立てるか否か、その機会を与えたに過ぎない」

 

 今までの深海棲艦の鬼級や姫級では見せなかった能力。その一端をいくつか披露し、自戦力の力を示す。深海勢力はこれだけの力を付けているのだと誇示し、それを見ることによってどうするのか。

 北方提督はこの点でも、宮下を試している。心が折れるのか、あるいは情報を得、分析し、後々自分たちを打ち破るべく成長するのか。後者であれば願ったり叶ったりである。少なくとも鳳翔は片鱗を見せた。今は自分に届かずとも、いずれ彼女たちが全力の戦いの果てに自分を殺してくれればいいと期待する。そんな彼女の意図が隠されていた。

 

「そも、今回の我は小僧の作戦に付き合っただけに過ぎない。その時点で我は本気で汝らと戦う気など初めからない。童女を目覚めさせ、その遊びに付き添っただけである」

 

 と、北方棲姫の下へと帰ると、とてとてと北方棲姫が北方提督へと飛び掛かる。そんな小さな彼女を、その小さな体で優しく抱きしめてやると、軽く頭を撫でてやりつつ、今もなお白猫艦載機の攻撃から身を守り続ける艦娘と、その向こうにいる指揮艦を見やる。

 いや、正しくは宮下が乗船しているであろう大湊の指揮艦へと。

 

「またいずれ戦場であいまみえる時が来よう。……ふむ、来るかどうかははっきりとはわからぬが、その時が本当に来るならば、また矛を交えよう。その機会において果たして我が、最初から戦に乗り気になっているものかどうかはわからぬがな。そのために一応汝の名を聞いておこうか、女子」

「……宮下。宮下灯です」

「宮下灯、その名、覚えておくとしよう。今の我に名はないが、北方、そう他者から呼ばれている。かつて人から呼ばれていた名は――三笠。沈むことのなかった艦が、このように魔に堕ちた存在である」

 

 名乗りを終えると、北方棲姫を抱きかかえていない手で指を鳴らす。すると、攻撃態勢を解いた深海棲艦が次々と潜水を始めた。北方提督もまた北方棲姫を抱えつつ潜水し、それに追従するように北方棲姫の艤装もまた海へと飛び込んだ。

 空母から放たれた艦載機と交戦をしていた白猫艦載機の群れもまた赤黒い軌跡を描きながら、次々と海へと飛び込んでいき、呆然とする艦娘たちを置いて、何もかもが消え去ってしまう。

 いったい何だったのか。

 この戦いは何だったというのだろう。

 時間稼ぎ、そう北方提督は口にした。やはり自分たちはこのウラナスカ島におびき寄せられ、そして足止めされていた。そう考えるのが自然だろう。最初から最後まで、あの北方提督にいいようにもてあそばれた。

 道中何もしてこなかったがために、何もかもを疑ってかかったが、それすらも手のひらの上だったならば、完敗としか言いようがない。

 思わず椅子の肘掛けに手を打ち付けてしまうほどに、宮下は苛立ってしまう。あの北方提督にだけではない。それに引っ掛かり、不甲斐ない戦いをしてしまった自分に対しても腹が立っている。

 しかし足を止めてはいられない。敵は撤退したようだが、そう見せかけて奇襲をしてくる可能性も無きにしもあらず。恐らくそんなことを指示するような気質は北方提督にはないだろうが、渡辺はそれを疑っている。そのため警戒を艦娘に命じていた。

 宮下はこの戦いについて一旦報告するため、ミッドウェー方面に進軍した凪たちに通信を繋ごうとした。

 だが、繋がらない。

 まさかミッドウェー方面は通信阻害の力が働いているのだろうか? ならば日本の方に通信を繋いでみようと、大本営へと宛先を切り替える。だがどういうわけか、日本の方にも通信が繋がらない。

 

「どういうこと……? ミッドウェーならまだしも、何故日本にまで……」

 

 何故なのか、その理由を考える宮下の額と手に、知らず汗が浮かぶ。色々混乱させられる出来事が続いているが、それらを崩しかねない大本営への通信途絶。

 思い出される出陣前の凶兆。

 その真の意味はまさか、と思わざるを得ない兆候だった。

 

 


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