呉鎮守府より   作:流星彗

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不器用な二人

 

 昼過ぎに佐世保から船が来航する。せかせかと降りてきた湊が出迎えに来た凪の姿を確認すると、顔を貸せと言わんばかりに首をしゃくり、親指で一点を示して歩いていく。

 先導するように歩く湊の背中に、「他の子たちはいいのかい?」と問いかけると、「羽黒にやることは言ってある。那珂にも任せているから、問題ない」と返ってくる。付け加えるように指を立てながら、

 

「前もって神通に話は通してあるから大丈夫だと思う。秘書艦になったんでしょ、あの子?」

「そうだけど、随分と話が早いね。いいけども。昨日、みんなに休みを伝えてあるから、俺としては自由にしてかまわないけどね」

 

 と、確認を取るために通信を神通に繋ぐと、本当に前もって神通と話が済んでいるようだった。神通も希望する艦娘には演習をしてもいいということで話がまとまり、他の艦娘らと共有することになった。

 そして湊に連れていかれた先は、意外にも間宮食堂だった。ここで何をするのだろうか? と疑問に思う間もなく、「失礼するわよ」と湊は中へと入っていく。

 

「いらっしゃいませ。あら、佐世保の淵上さんですね。あ、提督も。どうされましたか?」

「台所借りても? あと、食材も見ても?」

「え? ええ、かまいませんが、料理を?」

「作らせてもらう。で、食わせるから。いい?」

「作るの? マジで?」

 

 いったい何がどうしてそうなったのだろうか。まるで意味が分からない展開に凪は困惑するばかりだ。湊が作るということは、年下女性の手料理をこれから食べるということだろうか? しかもあの淵上湊からだ。疑問ばかりが頭を回ってしまう。

 

「確認だけど、食えるの? 食欲は? 腹の調子は?」

「え? あー……ちょっと食欲は薄めかな……。そんなに食べられる気はしない」

「そ。じゃあそんなあんたに入りそうなもので。ほら、ぼさっと突っ立ってないで、そこにでも座んなさい」

 

 と、冷蔵庫を確認しつつ、指で席を示すと、言われるがままに着席した。間宮も目をぱちくりとさせつつ、そろりそろりと凪に近づいて、「何かあったんです?」と小声で問いかけてくる。しかし凪としても「いや、俺にも何が何だか」と、首を傾げるばかりだ。

 

「何だってこのようなことに?」

「いや、うん……俺の顔を見るなりこっちに駆けつけてきたものだから」

「そうなのですね。……確かに、あまり良いものではありません。私でも眠るなり、何かお腹に入れておくなりをさせたい顔をしてらっしゃいます。なるほど、淵上さんが呉へと駆けつけてきた気持ちは理解できます」

「間宮から見てもひどいか。うん、自分でも理解はできるよ。……でもそれを湊がするのが……」

 

 今でこそ距離は縮まっているだろうと言えるかもしれないが、元は人嫌いで素っ気ない女性として知られている淵上湊が、まさか自分のために手作り料理を振る舞うなど、想像できるものではなかった。

 いや、素っ気ない一面もまた、年下女性という枠で見ると、少し可愛い所があると見られるくらいには軟化しているかもしれない。何せ神通とのケッコンカッコカリについても、何だかんだでしっかり相談に乗ってくれただけでなく、後押しまでしてくれたのだ。

 初対面の時と比べると、言葉を交わす時間もだいぶ増えたし、いい先輩後輩、友人関係といえるのではないだろうか。となれば、手作り料理を振る舞われるくらいには――いや、それは急に距離を縮めすぎじゃないだろうか? そんな風にまた自分で疑問を感じてしまうくらい、凪は困惑していた。

 しばらく経っていい匂いがしてきた頃、「お待たせ」という声とともに出来上がった料理が運ばれてきた。白米、卵焼き、玉ねぎのみそ汁、豆腐サラダというシンプルなメニューである。軽めのものということで、肉や魚といったものは省いたらしい。

 

「どうぞ」

「いただきます」

 

 促されたので手を合わせ、まずはみそ汁から手を付けることにする。豆腐と玉ねぎを具としたみそ汁だ。口に含み、軽くしゃきっとした玉ねぎと豆腐と一緒にいただくと、じんわりと優しい味が口に広がっていく。

 続いて卵焼きに箸を入れてみると、じゅわっと汁が滲み出てきた。もしやと思い、卵焼きを食べてみると、卵の旨味と一緒に手が加えられている出汁の味がゆっくりと広がってきた。まさかのだし巻き卵に、少しだけテンションが上がっている自分がいる。やわらかく、それでいて出汁の旨味と卵の旨味が溶け合ったものが口に広がる感覚。これだけで十分なおかずだ。白米も心なしか進んでしまう。

 そんな様子を、対面に座っている湊がじっと見守っている。野菜と豆腐とともにドレッシングが和えられている豆腐サラダにも手を付けたところで、はっと凪が湊に気付いた。今さらながら、夢中で食べていることに気恥ずかしさを覚え、「とてもおいしいよ、ありがとう」と、感想とお礼を述べる。

 

「そ、ならいいけれど」

 

 小さく頷いた湊は、じっと凪の顔を見つめ、「で? そんなしょうもない面構えになってる理由は?」と、真っ向から切り込んでくる。みそ汁をすする手を止め、ゆっくりと机に椀を置き、

 

「急に来たのは、やっぱりそれが理由かな」

「それもある。昨日、どっかのお節介さんがわざわざ連絡をよこしてね。あんたのこと、気遣ってやってくれってさ」

「お節介さん?」

「本人のために、あえて誰かは言わない。で、とりあえず朝に通話入れたら、まあ予想通りというべきか、それ以上というべきか。モニター越しに見てもひどい顔。連絡よこした奴も、そりゃあ心配もするわと。しょうがないから、わざわざ来たわけ」

 

 と、そこでお茶を含んで一息つく。やれやれと、しょうがないという風な表情を浮かべているが、やっぱり以前までの彼女ならやらなさそうな行動には違いない。連絡を受けたからといって、それに従う義理はないと拒否しそうなものだったが、こうして来てくれたのだ。そのことに、感謝したい。

 

「そうなった理由だけど、それだけ、長門の喪失が辛かったと?」

「……まあ、そういうことになるのかな。自分でもここまでクるとは思わなかった」

「誰か近しい人が死ぬのは初めて?」

「……初めてだね」

 

 そういえばと思い出す。湊は身内を亡くしているのだ。従兄である美空星司を喪った経験がある。だからこうして心配してくれるのだろうか。少し俯いてしまう凪だった。

 

「そう。なら自分が思った以上に心にきてしまうっていうのは理解できる。でも、本当に難儀な性格してるわね、あんた」

 

 ぐいっとお茶を全部飲み干すと、すかさず間宮がお代わりを注いでくれる。それに軽く礼を述べながら、湊は凪の目を見つめる。その眼差しは、どこまでもまっすぐで、曇りのない綺麗な瞳をしていた。

 

「人と接するのが苦手なのに、親しい人にはできる限り真摯に対応しようとする。アンバランスなようでいて、しかしそれは歪なもの。親しくなったからには、自分にできることなら支えてやりたいという気持ちがある。一見人が良いように感じるけど、でも、それってどこか危ういわよね」

「…………」

「本来人と接するのが苦手なタイプって、うまくコミュニケーションが取れない奴らなのよね。だから極力いい関係を築けるのって、少数なのよ。それで満足する。でもその少数に対して、自分との縁が切れないように、何とかうまく対応して、繋ぎとめようとする。失いたくないから。そして、失ったその時、自分の中で大きな存在が消えてしまい、しばらく壊れる。……今のあんたね」

 

 その指摘に、凪は大きく息をついた。その通りだろう、と納得するものだった。一人になったときに気を抜き、時間の感覚を忘れるほどに茫然自失とし、崩れ落ちてしまった。それほどまでに自分自身というものが、わからなくなってしまっていた。まさに、ぽっかりと自分の中で穴が開いてしまったかのようなものだ。

 

「心とか、自分の中で築いてきたものが壊れたときって、直るもんじゃないのよね。直ったように見えて、実は歪に補強されているものでしかない。たぶん、あんたもそうでしょう。その空白、喪失感は、もう直らない。ごまかすのってあたし、あまり好きじゃないから、こうはっきり言ってしまうけど。凪先輩、あんたは、この先もその喪失感が小さくなったとしても、どこかに残り続ける」

「…………うん、そうだろうね」

「だから、それを埋めるのは、あんたの気力。そして、現実。失ったものは戻らない。これから積み重ねるもので、新しく補強するしかない。その歩みを取り戻すためにも、しっかり食べて、眠り、回復しなさい。そのために、あたしが来た」

 

 そう言うと、凪はやはりどこか意外そうな表情を浮かべてしまう。それに対して「何か?」と湊が首をかしげると、「いや、ね……」と歯切れ悪そうにしつつ、

 

「本当にありがたいし、世話になっておいて何なんだけどね、湊がそうしてくれるっていうのが、本当に意外でね。これは夢なんじゃないかと、今でもどこかで思ってしまっている」

「……ああ、ま、あんたの気持ちもわからないでもないわ。あたしとしても、たぶん以前までならこういうこと、絶対にしないし。そんな申し訳なさそうな顔をされても、怒らないわよ。否定できないから」

「では、何故そのようなことに? 何が、君をこういう行動に移させたんだい?」

 

 純粋な疑問だったが、その問いかけに湊は少し困ったように視線を逸らす。右へ、左へと視線を彷徨わせ、何かを思い出すように目を閉じながら天井を見上げる。もしかすると彼女もはっきりとした理由を整理できていないのだろうか。

 やがて瞳を開けた彼女は、「そうね、言うなれば、惜しいからかしら」と、小さく答えた。

 

「あんたがこの一年で築き上げた成果は素晴らしいもの。そして、伯母様によって大本営から西守派閥が取り除かれた今、よりあんたの成果が認められる環境になったのに、あんたをこのまま歩みを止めてしまうのが惜しい。伯母様もそうだけど、あたしもあんたのことは素直に認めてるのよ」

「それは、どうも」

「そりゃあ伯母様だって、最初はあんたのことは『海藤迅の息子』だから、ここに据えたんでしょうけど、でもあんたはそれ以上の成果を見せた。これは、たぶん深海側、特に中部のセージさんが脅威に感じるほどにね。そう、今のあんたは誰もが認める『呉の海藤凪』なのよ。だからここで脱落してもらうわけにはいかない」

 

 かつて優秀な海軍提督だった海藤迅の息子として見られていたものが、今は一個人として認められている。敵にも、味方にも、誰もが父を通して自分を見ているのではなく、ありのままの自分を見ている。普通ならば喜ばしいことなのだろうが、しかし凪は素直にそれを喜ぶことはない。

 でも、ちょっとばかりの嬉しさはある。目の前にいる湊が、自分のことを素直に認めている。その事実に対しては、嬉しさを感じている自分がいる。何故だろうか、人の評価などあまり気にしない性質だったはずなのに、何故彼女に認められることに喜びを感じているのだろう。

 自分で自分が今、少しよくわかっていないことに首を傾げていると、それをどういう意味で捉えてしまったのか、湊が大きく息をついた。

 

「……はぁ、でも、ま、それは建前になるのかしらね。……間宮、そんな目で見るな。気持ちはわからなくもないけど、向けられる当の本人としては、腹立たしいわ」

「あら、それは失礼しました」

 

 どこかいたずらっぽく笑いながら口元に手を当てる間宮。彼女は何かがわかっているらしいのだが、凪にはよくわからない。先ほど建前と言っていたが、凪としてはそれでも十分納得できるような理由だと感じたのだ。

 凪自身としては少し不本意ではあるものの、色々と成果を挙げているとは感じているし、それもしっかりと評価されるに値するものだとは思っている。だがそれによって地位を向上させようとは考えていない。評価は受け取るが、昇進などは別に求めていないのだ。

 もしかすると湊もそれを承知の上で、こういうわかりやすい建前を口にしたのだろうか? だとすると、間宮があんな笑みを浮かべるほどの本音とは何なのだろう? そんな疑問を浮かべる中、どこか言いづらそうにしていた湊が、意を決するように空咳を何度かし、そのまま少し手で口元を隠しながら視線を逸らす。口だけではなく、鼻の周りも隠されているため、どうにも表情が読み取りづらいが、目はどことなく素直なもののように見える気がした。

 

「――純粋にあんたが心配やったから。そんな理由では納得せん?」

 

 驚くほどのストレートを突然投げられ、凪は硬直する。耳から入ってきた言葉が、本当にあの湊が口にしたのだろうかという疑問すら浮かんだ。だが幻聴ではなく、夢でもない。彼女は、凪を心配してここに来てくれたのだ。

 

「……いいや、そんなことはない。とても嬉しいよ。ありがとう」

「……そ。ならええけども」

 

 何だか気恥ずかしい空気になってしまい、お互いに視線を逸らしてしまう。手が止まっていた食事を再開する中で、湊はそのまま視線を逸らしたままお茶を口に含んでいる。そんな様子を見守っていた間宮も、静かにその場を離れ、台所へと入っていった。

 胸がざわつくような、くすぐられるような奇妙な感覚だが、それほど嫌悪感はない。こういう感覚を、少し前に感じた気がする。湊も同じような感覚を覚えているのだろうか、どこかそわそわしたような感じがする。

 先ほどまではまっすぐ凪を見据えていたのに、今ではそっぽを向いて座っている。居心地が悪そうにも見えるが、席を立つ様子はない。さっきまでの会話はぴたりと止まり、静寂の空間となってしまったのだが、どちらからも会話を始めるような雰囲気はなく、ただ静かに箸を進める凪と、そっぽを向いたまま、間宮が置いたお茶のおかわりを時折注ぎながら飲み進める湊。

 台所へと退いた間宮はそんな二人をそっと眺め、やれやれといった風に肩をすくめて苦笑を浮かべる。ふと、鍋に残っているみそ汁が目に留まり、ちょっと味見をしてみようかと小皿にとって口に含んでみる。

 

「……あら、これはこれは」

 

 優しい味わいだ。それでいてただ味噌を溶いただけではない。恐らくだし巻き卵に使った出汁も使っているかもしれない。こうしたところから手が込んでいる。普通みそ汁を出汁から手を加えるような手間はしないのだろうが、彼女はそうしなかった。

 単に凪を心配しに来たというだけではここまではしないだろう。あるいは料理から手抜きはしない気質なのだろうか。どちらにせよ、ここまでしてくれているのに、あんな風に遠回りから話を進めるとは、と間宮は目を細める。

 

「案外、似た者同士なのかもしれませんね」

 

 あの二人のこの先が、楽しみになっている間宮だったが、自分があれこれと口に出すことではないだろうし、他の人に広めることでもない。静かに見守り続けよう、そう決めるのだった。

 


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