呉鎮守府より   作:流星彗

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三笠ノ提案

 霧の中、航行する人影が複数。ここはアラスカ湾付近であり、時折自然現象として霧、もやが発生する海域だった。しかし以前より奇妙な報告がたびたびあがっており、サンディエゴ海軍基地から調査隊が派遣されていた。

 レーダーを用いて周辺海域を探査しようとしているのは、アメリカの軽巡ヘレナ。高性能なレーダーを保有している艦娘だが、どういうわけかもやの中ではこのレーダーが機能していない。何も捉えないかと思いきや、妙なものを捉え、瞬時に消えるなど、正確な観測ができていない。

 別動隊として行動しているアメリカ軽巡、クリーブランドも同じようにレーダーで観測しているのだが、正確にできず、二つの水雷戦隊はゆっくりと航行しながら調査を進めていた。

 

「そちらはどうかしら、クリーブランド?」

「ダメだね、全然見えない。報告にあった通り、入った船を強制的に迷わせる海域と化しているようだ」

「どう考えても自然なものじゃないようね。ということは深海の力が働いているに違いないわ。……それにしても、私自慢のレーダーが機能しないって、本当に面倒ね。実に腹立たしいったらありゃしないわ」

「まあまあ、落ち着きなよヘレナ。周りに気を付けつつ、じっくり調査を進めよう。こうまでして奥へと入らせないようにしているんだから、きっとここには何かがあるのは間違いない。それが何度もうちに攻め入り、先のミッドウェーで逃がした敵戦力であることを祈るばかりだね」

 

 もやで見えづらいからこそ、スピードを落としてヘレナたち水雷戦隊はもやの中を往く。方向感覚すら怪しいため、細心の注意を払いながらの航行になる。加えてここで敵襲を受ける可能性すらあるため、精神をすり減らしながらになってしまう。

 それでも彼女たちは、きっとここに探し求めているものがあるに違いないと信じ、この日だけではなく、その後も繰り返しこの海域を訪ね、調査を進めていくこととなった。

 

 

「つまり、次はもう見据えているということか」

「そういうことです。いやぁ、ギークの作戦に一応乗ったかいがあったというもんですよ。参考になるものと出会い、この目で確認できましたからネ」

 

 思い出すようにくつくつと笑うのは北米提督だ。傍らにあるコンソールを叩き、それに呼応して何かが動く。電子音のようなものを響かせ、ポッドの中にいるものが調整されていく。それは飛行場姫や港湾棲姫のような白い女性のようだ。今までの基地型の深海棲艦を踏襲した種となる存在から調整しているらしい。

 ここから北米提督が得たものと、彼の考えを含んだ何かへと進化していくのだろう。つまり彼が想定しているのは新たなタイプの基地型深海棲艦ということだ。これを用いることで、アメリカ西海岸を落としきる算段らしいが、急に張り切りだしたなと、北方提督は少し冷ややかだった。

 今までサンディエゴ海軍などと小競り合いを繰り返していたようだが、それだけ中部提督の美空星司の作戦に感化されたのだろうか。同じ元人間同士、影響しあったのかもしれない。と、自分を外してはいるが、彼女もまた星司によって自ら出撃しようと動き出した、いわゆる感化された一人だ。人のことは言えない。

 

「それで? その種はどこで芽吹かせると云うのか?」

「今のところ想定しているのはパールハーバーですよ。かつての大戦の始まりを告げた基地、いい感じに花が開きそうだと思わないですかネ?」

「……ああ、パールハーバー。なるほど、悪くはない選択肢と云えよう。だが、あそこは現在も活動中、先の作戦でも汝は前もって戦力を削いでいったうちの一つだ。芽吹かせるならば、削ぐには留まらぬだろうよ」

「ええ。ですから作戦時は、完全に落としきる。そのための戦力も揃えねばなりません。だから決行日は数か月先になりそうです。それまで自分はここで小さく動くだけになるでしょう」

「左様か。米国での作戦となれば、我としては汝がどのような動きをするか、ここより見守るしかあるまいよ。健闘を祈る」

「感謝します。あなたも、神の加護があらんことを」

 

 と、コンソールを操作する手を止め、北米提督は静かに指で十字を切り、祈った。相変わらず様になっているものだと感じながら、通信を切った北方提督、三笠は静かに息をつく。傍らに置いてあった湯呑に手を伸ばし、軽く口に含むと、「カアチャ、終ワッタ……?」と後ろから声がかかる。

 肩越しに振り替えれば、そこには北方棲姫がとてとてと近寄ってくるところだった。その後ろには、以前まではいなかった少女がゆっくりと後をついてきている。湯呑を置けば、三笠の胸元に北方棲姫が飛び込み、くりくりとしたつぶらな目で見上げてくる。

 

「ああ、終わったが、どうした童女よ」

「遊ンデホシイソウデスワヨ」

「ふむ、遊びか。とはいえ童の遊びは粗方やりつくしたろう。熊野、現代はどのような遊びがあるか?」

「……ソレヲワタクシニ訊クト? アナタガ?」

「時代の違いよ。我は所詮、汝らと比べれば昔の存在。加えて、蘇ってもなお、こうして海の下で行動するばかり。上のことなど知らぬ。それに対し熊野、汝ならば少なからず現代に触れている。何かあろう?」

 

 その少女を、三笠は熊野と呼んだ。先のウラナスカ島での戦いの折、舞鶴の艦娘の中で撃沈された熊野が回収され、深海棲艦として復活したのが、この少女だった。

 深海棲艦となったことで、その髪は黒髪を主としつつも、所々が白髪に染まるという二色タイプとなっている。長さは変わらずロングヘア―のポニーテールままだが、自分の置かれている状況を認識していると同時に、艦娘の熊野としての記憶もある程度保持しているのか、最初から不機嫌そうな表情を崩していない。

 全体的に栗色のカラーだった彼女の出で立ちは、黒と白のカラーリングをしたブレザーの学生服となっていた。戦いの中で受けたダメージの名残として、点々と服が焼け焦げた跡があり、そこから青白いお腹の肌が見えている。

 そして深海棲艦となった影響か、瞳もぼんやりとした青に変化し、額からは小さく一対の角が生えかけていた。

 

「知リマセンワ。知ッテイタトシテモ、ワタクシハアナタ方ニ与スルヨウナ真似ハ致シマセン」

「左様か。だが、汝の気持ちは理解できる。堕ちてから日が浅い。まだまだ艦娘としての意識は残っていよう。だからこそ我は汝を比較的自由にしている。それはつまり、今ここで汝が我を討ちに動いたとしても、何ら問題はないということだ」

 

 と、北方棲姫を横に置いて、熊野を挑発した。三笠の言葉に、小さく熊野は息をのみ、横目で彼女の様子を窺った。三笠は自然体を貫いている。戦闘態勢を取っているわけではない。

 ただ微笑を浮かべて椅子に座っているだけだ。だが、熊野はそれでも彼女を殺せるイメージが浮かばない。艤装は取り上げられていない。どういうわけか深海なりの修理を施されて返却されており、彼女の意思一つで艦娘の時のように顕現し、動かすことができる。

 それでもなお、熊野は三笠の雰囲気に呑まれている。指一つ動かし、主砲を構えて撃ち放つ、そのイメージができても、それが目の前にいる三笠に通じるのか? その疑問ばかりが頭を埋めていた。

 北方棲姫も二人の雰囲気を感じ取ったのか、おろおろと二人を交互に見上げて困惑している。「カアチャ、ネエチャ?」と舌足らずな呼びかけだが、それに二人は反応しない。

 

「どうした熊野。殺るのか、殺らぬのか? そうした迷いを抱いていては、どうにもならぬな」

 

 と、つまらなそうにため息をつくと、ゆっくりと立ち上がる。その動きに呼応するように、熊野は意を固めて動いた。瞬時に主砲を顕現させ、引き金に指を添えて発砲。だが、三笠はそれを読んでいたかのように瞬時に距離を詰め、主砲の先端を床に向けさせた。

 そのまま彼女の腕を極めて主砲を手放させ、流れるように床へと這いつくばらせる。呻き声を漏らす熊野の上に位置取りながら、「それではダメだな、熊野」とたしなめるように言う。

 発砲音に反応したのか、深海棲艦がぞろぞろと集まってくるが、三笠は静かに、

 

「何も問題はない。去れ」

 

 と、熊野を押さえつけながら言う。本当に大丈夫なのか? と何人かが身構えたが、「問題ない」と再度言う。三笠がそこまで言うならば、と構えを解いて去っていき、三笠は熊野へと視線を落とした。

 

「迷っていてはダメだ。それでは敵を殺せない」

「……ッ、コノヨウナワタクシニシタノハ、アナタタチデショウ!? 何故、何故ワタクシニ、コノヨウナ二度目、イイエ、三度目を与エタノデス!? ワタクシハ、アノママ眠ッテイタ方ガ良カッタデスワ!」

「そうだな。我にもその気持ちはよくわかる。どうして我はこの世に、このような形で目覚めてしまったのか。今でもわからないままだ」

 

 その声色は、本当に彼女の深い悩みを感じさせ、熊野は疑問を深めた。どうして三笠がそのような反応を示すのだ? 深海棲艦が自分の在り方を悩んでいるのか? 予想だにしないことに、思わず熊野は自分の上にいる三笠を見ようとした。

 

「こうして活動はしているが、我としては不本意なことだ。本音で言えば、さっさと眠りにつきたいとすら考えている。だが、それにしては我は色々抱えすぎた。今もなお増えている。この童女然り、汝然り。汝らを抱えておきながら、勝手に消えることなど、どうにも我の中に息づき、影響を与えている存在が許さぬらしい」

 

 と、三笠を心配するように寄り添う北方棲姫を撫でながら肩を竦める。小さく呻きながらも、熊野は立ち上がり、二人の様子を窺った。攻撃を仕掛けたというのに、三笠も北方棲姫も敵意を感じない。北方棲姫は敵意を持ってもおかしくはないだろうが、彼女はそれよりも、三笠を心配し、熊野に攻撃はしないでと、目で訴えかけるように見上げてくるだけだ。

 こんな深海棲艦を、熊野は知らない。

 

「だから我は戦場で死ぬ。我を殺せるだけの戦力を求める。先の戦いにおいて大湊に可能性を見出した。故にいずれ、大湊が我が艦隊を打ち破ることを期待している。……熊野、汝が先ほどのように個人で当たり、我を殺してくれても構わんが、それではできるはずもないな」

「ドウシテ、死ニタイト? 深海棲艦ハ、人類ヤ艦娘ヲ殺ス存在デショウ? 今マデ見テキタ存在ハ全テ、攻撃的ナ存在デシタ。アナタノヨウニ悩ミヲ抱エルヨウナ素振リハナカッタハズデス」

「深海に染まりきらない、それが我の歪みの一つよ」

 

 あっけらかんと、三笠は言い放った。

 

「最初期に目覚めた我は、他と同じく量産型の一つでしかないものだった。だが、その中で自己を確立し、最初期の深海提督として活動し、ここに回された。それからも戦い続けたが、艦としての記憶も取り戻していく過程の中で、どういうわけか深海としての意識から抜け出たのだ。我以外のものらは、変わらず深海らしい澱みの中に在ったというのにな。時を経て、最初期の存在は我と欧州だけになったが、欧州は澱みの中でもなお自己を確立している。欧州の振る舞いこそ我らを生み出した存在が想定している最高の個体であろうよ」

 

 深海棲艦として活動し、自己を確立してもなお、原初に定められた方針から揺るがず、自己の在り方を疑わず、行動し続ける。だからこそ欧州提督は強い存在だと、三笠は彼女を称賛する。対する自分はどうだ。深海棲艦としての在り方から逸れ、力こそ保有しているが、目的は深海棲艦のそれとは違い、自己の消滅である。

 かの神が想定したような深海棲艦ではないだろう。優れた兵器ではあるが、重大なバグを抱えた欠陥品、それが北方提督だ。

 

「そのような存在だから、このような童女を生み出すし、汝のような新たな深海棲艦を生み出してしまう。どうやら我が抱えた歪み(バグ)は感染するらしい。汝を悩ませるようなことになってしまったこと、謝罪しよう。我を気に入らぬ存在だからと、殺しに来ても納得しよう。……ただでは死なぬがな?」

「死ニタインジャアリマセンノ?」

「死に方は選ばせてもらうというものよ。しょうもない終わりを迎えるなど、我が名の名誉や沽券に関わる。終わりを迎えるのであれば、せめて綺麗な形で終わらせてほしいという、古い存在ならではの意地だ。だから熊野、我が汝に力を与えても構わない」

「……何デスッテ?」

 

 その言葉に、熊野は眉をひそめた。力を与える? こんな反抗心をむき出しにしている相手に? 敵に塩を送るどころの話ではないのではないかと、熊野は警戒心を強めた。そんな彼女に笑みを浮かべ、

 

「すでに大湊にはいくつかの技術を披露している。この童女も習得している技術だ。それを汝にも教えてやろう。それを以てして我を殺しても構わないし、別の場面で活かしても構わない。猶予をやろう、熊野。そうだな、来年の年末。それまでに我を殺せたら汝の勝ちだ。大湊の手を煩わせるまでもなく、深海の北方勢力は汝の手によって滅び去る」

「失敗シタラ、ドウナリマスノ?」

「さて、どうするか。そこまでは考えていない。しかし少なくとも来年の年末以降、我は大湊の様子を見に行くだろう。そこが一つの分かれ目よ。果たして汝はそれまでに我を殺せるだけの技術を得られるか否かの勝負だ。……だが、もう一つの懸念はあろう」

「ワタクシガ、思考マデ深海ニ堕チルカ否カ、デスワネ?」

「その通り。今はまだ染まりきっていなくとも、これからの一年で汝が我のように変化しないとも限らない。深海に染まれば自然と我の戦力の一つとして確立し、二年後の戦いに同行するだろう。果たして重巡の量産型か、あるいは新たなる深海のタイプ、熊野型として確立されるのか。その全ては汝にかかっているのだ。これは、そういう戦いだ」

 

 三笠のように自分を残したまま力を得て、三笠を殺せる機会を窺うのか、あるいは身も心も深海に堕ち、深海北方艦隊の一員となってしまうのか。しかも敵である三笠から、より強くなるための技術まで教え込まれるというわけのわからない特典までついている。

 色々と熊野にとって頭を痛め、悩まされる情報が目白押しだ。現状についても悩みが多いのに、この先についてもよくわからないことになってしまっている。一体どうすればいいのかと、判断に悩むところだった。

 しかし艦娘として考えれば、深海棲艦を倒すことこそ、自分たちに課せられた使命である。図らずも自分は、深海北方艦隊の拠点の中にいるのだ。三笠を倒せずとも、この拠点を破壊することはできるのではないだろうか。そうすれば彼女の艦隊を削り、大湊艦隊に優位を与えることができるだろう。

 だがこの思考はきっと三笠もしているはずだ。ただ自分を殺せるチャンスを与えていると口にしているが、言わないだけで拠点に対する攻撃も想定しているはず。彼女の目を見れば、その辺りについての考えは読み取れるかと考えたが、やはりというべきか、読み取らせない。

 今ここで問いかけてもはぐらかすか、認めたうえでやってみろと言外に挑発するだろう。恐らく彼女はそういうタイプだ。

 では彼女の誘いに乗らないで動くか? いや、それは色々と無理がある。周りはすべて敵だらけ、乗らないということは彼女からの保障を受け取らないということだ。となれば完全に敵陣で孤立し、攻撃を仕掛けられ、何もできないまま死ぬことになる。

 ある意味そうした終わりを迎えてもいいかもしれないが、艦娘としての矜持を失って死ぬことになる。それは、熊野としては恥ずべきことかもしれない。どうせ散るならば、一矢報いる機会を窺い、当たって砕ければいい。そのチャンスを向こうから提示されたのだ。

 ならば、それに乗り、自分をこんな姿にしたことを後悔させてやる。

 

「――乗リマショウ。後悔シナイコトデスワ、コノ熊野ヲ、手中ニ収メタコトヲ」

「いい覚悟だ。そういう気概、我は嫌いではない。学ぶがいい、熊野。そして見事、我を殺してみろ。我の期待、裏切ってくれるなよ?」

 

 そこで三笠は今まで見せたことがないような、見え透いた挑発を含んだいけ好かない笑みを浮かべてみせた。わざとらしく、熊野の精神を逆撫でし、自分に対してより反骨心などの感情を煽ってみせる。

 その見え透いた行為に、いよいよもって熊野がブチ切れる。今まで抑え込んでいた感情を爆発させるように大きく息を吸い、

 

「……ジョオォォトオォォデスワヨ、ワカリヤスク挑発シテクレヤガリマシタワネ、コノ――エエト? アナタ、誰デス!?」

「多数は北方と呼ぶが、いいだろう、汝はかつての名、三笠と呼んでくれて構わん」

「三笠……ソウ、カノ三笠デシタカ。……ダトシテモ、コノヨウナ挑発ヲサレテハ、三笠トイエドモ許シテハオケマセンワァ! コノワタクシ、熊野ガ引導ヲ渡シテクレヤガリマスワヨ! オ覚悟ハヨロシクテ、三笠サン!?」

「いい啖呵だ、熊野。この我についてくるがいい。教えられること、全てを教えてやろう」

 

 どこか楽しげに三笠は笑う。これまでの深海提督としての時間の中で、これだけ心を躍らせるようなことはなかったかもしれない。そんなことをふと感じながら、首をしゃくって北方棲姫とともに、工廠を後にする。熊野もそれについていくが、三笠と手をつなぎながら、北方棲姫は二人を見上げて、「カアチャ、ネエチャ……トテモ、楽シソウ」と、少し羨ましげな呟きが漏れて消えていった。

 


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