呉鎮守府より   作:流星彗

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始まりは突然に

 

 装備の強化が各鎮守府に広まったことで、それぞれの鎮守府の明石が、それぞれの鎮守府の艦娘の装備を次々と強化、調整を行う日々となる。鎮守府に一人明石がいるなら、どこでも装備強化の恩恵が受けられ、各鎮守府で共有された戦闘技術の訓練に加え、装備調整までかけられたことで、目に見えて日本海軍の艦娘の戦力は向上する。

 ネットワークを通じて明石の強化が施されたことにより、国内だけではなく、トラック泊地やパラオ泊地などにも、明石のもたらす装備強化を享受できる。ここ、パラオ泊地でも工廠で明石が艦娘たちの装備の調整を行っており、強化された装備を受け取った艦娘たちは、その変化に驚きを隠せなかった。

 単純な威力の向上だけではなく、命中精度が良くなったり、純粋に使いやすくなったりと、扱いやすくなったことで変わるものもある。そうした艦娘たちの喜びの声を聞いた香月は、この明石の強化を施す元となった人物、海藤凪について思いを馳せる。

 今年の春、パラオ泊地へと着任する際に同道した提督だ。去年呉鎮守府に着任した時から各地で成果を挙げているが、それ以前は母親である美空大将が抱える第三課で働いていたという。

 しかもアカデミーの卒業後に、望んで第三課に入ったのだから驚きだ。そんな彼が美空大将によって引き抜かれ、一年でこれだけの成果を挙げるなんて信じられない。しかも戦果を挙げるだけでなく、明石やその前に共有された戦闘技術も彼から広められたという。

 弾着観測射撃、青の力、明石の調整、色々と日本海軍に貢献しながら、彼は驕らず、自分のペースを崩さない。そんな人間を香月は知らない。いや、いるとするなら恐らく、兄である星司が重なるかもしれない。

 彼もまた自分の好きなことをしていたい性質であり、機械いじりが好きだった点も凪に重なる。しかし彼は香月が覚えている限り、幼少から自分から提督になろうとはしなかった。第三課に志願し、そしてそれ以降もずっとそこで働き続ける人間だった。

 だからもしも美空星司が提督だったらどうなっていたか、という想像に意味はない。星司だったら凪よりも上手くやる、このような成果を挙げているなどの比較に意味はない。

 あの日の言葉通り、第三課で過ごし、散っていった。いつかの日語っていた、「僕が作った誰かと会わせてあげたいものだ」という言葉は果たされない。あの有能な星司のことだ、生きていたら今は第三課でも上の地位を獲得し、艦娘開発に携わっていただろう。そうすれば彼がデザインした艦娘が配信され、それを香月が建造し、艦隊に加えていただろうに。

 その約束は果たされず、しかし星司にどこか似ている凪が広めた技術を取り入れる今日。意識せざるを得ない、海藤凪はどういう人間なのかを。

 

「…………なんだこいつ」

 

 配属されてから間もない期間で、泊地棲姫と遭遇し、撃破。その後は佐世保の越智とトラック泊地の茂樹と組み、南方棲戦姫を撃破。秋にはソロモン海域の平定の一助となり、その頃にはすでに今の艦隊の戦力は十分に固められていた。

 こうした戦果を挙げることと並行して趣味を活かして工廠に篭り、装備いじりもしていたとか。ただ艦娘の練度を上げ、指揮するだけではなく、こうした影の助力も微々たるものだが、戦果を挙げる要因の一つとなっていただろう。

 運はあったかもしれない。しかしこうした小さな積み重ねがあってこそ、呉鎮守府は戦果を挙げることができたのは間違いない。

 果たして自分は、あんな風にできるだろうか。星司を殺された恨み、復讐心で提督となった自分に、あんなことができるのか? 日々研鑽を積み重ねているが、呉鎮守府の海藤凪が辿った道に比べれば平穏だ。大きな実戦をこなし、大きな経験を積む機会がない。

 別に戦いを求めているわけじゃない。平穏なのはある意味いいことだ。しかし演習ばかりというのも暇に思えてしまう。

 要は焦っているのだ。

 星司を殺した深海棲艦、深海の勢力はどんな奴らなのか。そいつに対する復讐を成し遂げるには、強くならなければいけない。

 星司は南太平洋で死んだ。ソロモンへ向かう途中で死んだのだ。当時はまだトラック泊地やパラオ泊地はない。護衛していた艦娘の抵抗もむなしく全滅したという。深海提督とやらがいるならば、中部提督か南方提督か、どちらかが星司を殺したに違いない。大きな個体がなく、ただの量産型ならば、どちらかの海域一帯の深海棲艦を駆逐する。

 そういう気概で臨んでいるが、こうも何もないと焦ってしまう。ミッドウェー海戦からしばらく経った現在は10月末、変化があったのはソロモン海域がまた動き出したということだけ。しかしそちらはラバウル基地の深山が対処しており、香月が出ることはない。深山からも助力は必要ないという言葉がかけられており、今は大きな戦いに備えて力を蓄える時だとも言われている。

 一方南西海域、いわゆるフィリピン方面だが、こちらも大きな動きがない。あちらはリンガ泊地があり、瀬川という提督がいる。彼は茂樹や凪の同期であり、卒業とともにリンガ泊地へと着任したそうだが、南西海域だけでなく西方海域も担当しているようだ。

 たびたび西方海域に遠征し、深海勢力と艦隊決戦をしたことがあるらしい。去年は装甲空母姫率いる艦隊、今年はインド洋で小競り合いをしたとのことだ。また欧州から来る提督の出迎えや、欧州へと出張する艦隊の護衛もしているようで、西との繋がりを途切れないようにする大きな役割を担っているようだ。

 その割には茂樹が語る瀬川の印象が気になるところだ。

 何でも彼曰く、

 

「瀬川? ああ、あいつを一言で言ったら『バカ』だよ」

「バカ? でもアカデミーを卒業したんでしょ? それなりに優秀なんじゃねえんすか?」

「まあ、成績で言えば優秀かもしれねえな。でも、やっぱりバカだよ、あいつは」

 

 香月は知らないが、大湊に行った凪も、宮下からこう聞かされている。「主席はちゃらちゃらした熱い馬鹿、ラバウルにいったのは引きこもり。そしてリンガはリンガで肉達磨でアレな馬鹿」と。

 話したことはないが、一体どんな人物なのだろうかと気になるのだが、凪と比べるとそれほど大きな動きをしているわけではないため、よくわからない。

 自分と誰かを比較し、その結果として自分は劣っているのではないか、成果を挙げられていないということに、頭がいっぱいになっている。これは優秀だった兄を追いかけ、そして追いかける相手だった兄を失い、がむしゃらに走り続けてきた結果だった。

 目標だった人物を奪った敵が憎い、こうした感情に気持ちが集約。しかし念願の提督になったというのに、その敵と戦う大きな機会がないもどかしさ。敵の拠点でも見つかれば話は早いのだが、それもない。

 ついガリガリと頭を掻きむしりながら唸ってしまう香月に、「失礼します」と声がかかる。パラオ泊地の秘書艦、赤城だった。

 

「気持ちが荒れているところすみませんが、報告です。本日の朝の演習がすべて終わり、その結果をまとめてきました。目を通しておいてくださいね」

「……ああ。そこに置いといて」

「……ふぅ、やれやれ。そんなに戦果や成果を求めるのですか、提督? 戦いなどなく、平穏に過ごせていれば問題ないでしょう」

 

 報告書を机に置き、やれやれと嘆息した赤城はそう言うが、香月にとってはそれは苛立ちの要因でしかない。強く机を叩き、「それじゃああの人らにいつまで経っても追いつけねぇジャンかよ!」と叫ぶ。

 

「オレはな、一刻も早く一戦級の力を手にし、大きな作戦の中でも足を引っ張らずに戦えなきゃなんねえんだよ! ソロモン海域がきな臭ぇことになってんのに、オレは待機だと? 冗談じゃねえ! オレらも動き、原因究明することができれば、素早く解決できるだろうよ。でもそれができねえってことは、オレたちがまだよえぇってことだ。認められてねえんだよ!」

 

 ウェーク島での戦いを実際に見てきたからこそわかる。あの時戦っていた艦娘たちを思い出せば、自分たちの艦隊がどれだけ差があるかがわかる。加えてトラック泊地との演習でもまざまざと差を突き付けられている。その差を埋めることは、未だにできていない。

 弾着観測射撃や強撃を習得し、青の力も習得している艦娘がいないというのも、拍車をかけている。だが、トラック艦隊と比べるというのがそもそも無理がある。彼らは二年の月日を経験しているのに対し、パラオ艦隊はまだ半年だ。それで差を縮めようというのが気が早すぎる。

 でも、実戦を経験すれば、その差を大きく縮められるかもしれない。その願望を抱いているからこそ、香月は戦いを求めている。

 彼の叫びとその心境を察した赤城は、また嘆息一つつき、「そうして気をはやらせれば、痛い目を見ますが?」と窘める。

 

「急く気持ちは理解できます。……いえ、私は目標にされる側なので、追いすがる者の気持ちを完全に理解することはできないかもしれませんけれど、それでも、気持ちに寄り添うことはできましょう」

 

 一航戦というかつての海軍における両翼の一角、赤城。その実力は当時においては化け物級であり、敵国からも恐れられた存在だ。一航戦の兵士を目標にしていた人たちも大勢いたことだろう。

 でも、だからこそ追う側ではない。香月が抱えているものの全てを推し量れないかもしれないけれど、しかし赤城はそんな彼の秘書艦だ。焦ったからこそ失敗する可能性が生まれるならば、それを止めるのが彼女の役割である。

 

「冷静さを失ってはなりません。もどかしくとも、今は着実な一歩を少しずつ進める時です。大丈夫です。焦らずとも、チャンスというものはいずれ転がってくるものです。大事なのはそれを見逃さないようにすること。焦り、冷静さを失っては、そのチャンスすら取りこぼします。そうなっては、何も得ることはできませんよ。あなたもそれは本意ではないでしょう?」

 

 静かに言い聞かせるように、赤城はそう語る。その言葉に香月も少しずつ落ち着きを取り戻したのか、ゆっくりと深呼吸をし、「……ごめん、言い過ぎた」と小声で呟く。その様子に、「結構です。お茶にしましょうか」とにっこりと笑って準備をする。

 お茶を淹れ、香月の前に置く。香月もそれに息を吹きかけ、静かに口をつけたその時、

 

「ん? これは……」

「どうした、赤城?」

「――――敵襲ッ!! 大淀さん、警報を鳴らして!」

 

 通信をすぐさま繋いで大淀へと叫ぶ赤城の言葉に、香月も横を向いてお茶を吹き出し、「何ぃぃーーー!?」と叫んでしまう。次いで基地全体へと警報が鳴り響き、

 

「東南東より敵艦隊出現! 艦載機が飛来しています! 空母は迎撃機を上げて!」

 

 と、すかさず赤城が通信先へと指示を出し、基地からは大淀による放送が響く。

 

「深海棲艦が出現しました! 艦隊、戦闘態勢へ! 民間人は誘導に従い、シェルターに避難を!」

 

 そうした放送が繰り返される中、香月と赤城は執務室を飛び出し、指令室へと走る。移動中でも香月は赤城に聞かずにはいられなかった。

 

「おい、本当に襲撃が!?」

「ええ、巡回している偵察機より確認されています。敵は少なくとも機動部隊、水上打撃部隊、水雷戦隊と艦隊を組んでいます。……その中には、未確認の個体もいますね」

「間違いなく、ここを目指してるってのか?」

「はい。良かったですね、提督。戦いが、敵が向こうから来ましたよ? あなたが求めていたものが、都合よく転がり込んできた形です。考えられる最悪な形ですが」

 

 と、どこか冷たく、皮肉めいた声色で、赤城が言う。そのことに香月は、冷や汗とは違う何かが頬を流れるような感じがした。確かに戦いを求めていたし、深海棲艦との遭遇は求めていただろう。

 しかし、よもやここが襲撃されるなど想定していなかった。自分が着任する前も襲撃されていなかったという、比較的平和なパラオ。それが今、襲撃を受けようとしているのだ。

 求めていたものが向こうからやってきたことを喜んでみせろと、静かな赤城の瞳が語っている。それに対し、香月は瞑目し、拳を震わせる。

 

「……ハッ、素直に喜べやしねえよこんなの。悪かった、赤城。さっきは馬鹿なことを言った。許してくれ」

「結構です。では、できうる限りのことを致しましょう。私は出撃します。提督も、ご武運を」

「ああ、よろしく頼む」

 

 敬礼をし、赤城は基地の入り口から駆け出していく。香月も指令室へと急ぐように警報が鳴り響く基地内を走り抜ける。パラオ泊地への襲撃、それは下手をすればこの基地が壊滅し、自分もまた死ぬ可能性があるということ。

 いや、死ぬ可能性はどこだって変わりはしない。海上で指揮艦に乗船していたとしても、敵の攻撃が飛来したらそれで終わりだ。あちらに比べれば、こっちの方が死ぬ確率は低いかもしれない。

 でも、切り抜ける。いや、切り抜けなければならない。

 ここで戦果を挙げ、経験を積めば、茂樹たちに少しでも近づけるかもしれないのだから。そして死んだ兄である星司の仇を討つ、長い旅路の始まりでもある。

 

(兄貴、見ていてくれ。こっからがオレという提督の始まりだ!)

「やってやる……! 負けたらそれで終わり、背水ってやつジャンよぉ……! 逆に滾るシチュエーションじゃねえかこんちくしょうがよぉ!」

 

 自分を鼓舞するように、香月は吼えながら指令室へと飛び込み、

 

「オレは腹ぁ括った! お前らも気張っていけよ! 全戦力を以てして、パラオを守りぬくんだ!」

 

 と、通信を通じて艦娘たちへと檄を飛ばした。

 

 

「そう、いよいよ始まるんだね。頑張るんだよ吹雪。ぜひともパラオを落としてくれ」

 

 深海長門の艤装の制作をしながら、報告を耳にした星司はそう言った。彼の背後にはソファーベッドに腰かけ、じっと作業を眺めている深海長門がいる。工廠の入り口には、その二人が見えるように位置取って佇むアンノウンがおり、報告を終えて退出するソ級を見送っている。

 深海長門の要望通り、工廠には彼女の寝床としてソファーベッドが設置された。普段はあそこに座り、眠るときは背もたれを倒して、そのまま眠っている。背もたれに腕を回し、足を組んで座る様はどこか優雅だが、その眼差しは冷たく、無言でじっと観察する姿はどこか圧すら感じる。

 でも彼女はそれ以上何かをする様子を見せることはなかった。無言で、星司の作業の全てを観察するだけであり、攻撃を仕掛ける様子も、口を出す様子もない。それが逆に不気味である。

 そして星司は最初こそ見られていることに居心地の悪さを感じていたものの、何もしないならそれで結構とばかりに、彼女の艤装である魔物の制作に集中した。あらかじめ用意してあったラフ画、設計図に従ってできあがっていくそれは、戦艦棲姫の艤装に似ているが、魔物の進化の様子が異なり始めている。それが戦艦棲姫の武蔵モデルとの差になってくるだろう。

 その作業の中、アンノウンがふと口をはさんでしまう。

 

「いいのかい? 本当にパラオを攻め落としてしまってさぁ」

「何も問題はない。成功しても失敗しても、それが吹雪にとって良い経験になるだろうね」

「でもあそこにいるのは弟なんだろう? 人間ってやつは、あー……家族? そういうのって大事にするんじゃないのかい?」

 

 その言葉に、星司は手を止める。

 そう、家族だ。記憶を取り戻している今なら、香月がどういう存在なのかを理解している。でも、それがどうしたのだと、星司は作業を続行する。家族だからこそ、弟だからこそ、吹雪にとって良い経験値稼ぎをする好都合な相手なんだと、割り切った。

 

(香月、抵抗は程々にして、吹雪の手で死んでくれ。そうなってくれれば、僕としては非常に助かる)

 

 できることなら知りたくはなかったとは思う。その点でいえばアンノウンは余計なことを言ってくれたものだと思う。でも、知ってしまったのならばそれはそれでいい。昔のやり取りの通り、香月は提督を目指し、その目標を達成した。それは喜ぶべきことだ。

 でも、それは同時に悲しいことだ。深海勢力に属する今の自分にとって、香月が提督になるということは敵対するということなのだから。提督にならず、海軍の別の地位にあれば、戦うことはなかったというのに。どうして提督になるくらい頑張ってしまったんだろう。そんなことを思ってしまう。

 

(僕たちがパラオを攻め落とすのは心苦しい。僕の手で君を殺すなど、そのようなことを進んでやろうとは思わないさ)

 

 だから、と星司は静かに天を仰ぐ。その先にある海上、パラオ泊地を想いながら、彼は静かに笑うのだ。

 

「いつかどこかの戦場で、僕たちが出会うことがないように、今日、パラオで死ぬのが幸せなことだろう?」

 

 星司は香月のことを知っていても、香月は星司のことをまだ知らない。知らないままに終わることができれば、それはどれほど幸福なことか。無知ゆえの安らかな終わりを、星司はこの冷たい海の底で願わずにはいられなかった。

 




14秋は使われたBGMがどれも好きなやつ
難易度的にも程よいのも良かったです

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