呉鎮守府より   作:流星彗

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ティータイムハ昏キ海ノ底デ

 

 道が見えない。

 彼は、昏い底で思い悩んでいた。

 

 悩む要因はいくつかあったが、一つは、南西提督が消えたことだ。輸送を繰り返すことに努め、勢力拡大も敵の撃破も進んで行わなかった彼は、かの神によって粛清された。

 近隣の深海提督が粛清によって消えたことに、彼もまた圧を感じた。自分も下手をすれば南西提督のように消えてしまう。それを感じ取ったからこそ、何とかしなければと思わざるを得なかった。

 

 一つは中部提督と、代替わりした南方提督の戦力拡張だ。特に中部提督である美空星司の躍進は大きい。襲撃の作戦自体は失敗に終わっている。しかし彼がもたらした水鬼の開発は、深海勢力にとって大きな躍進をもたらすきっかけとなるだろう。

 

 先代南方提督をその手で殺し、代替わりした深海吹雪もパラオ泊地襲撃作戦こそ失敗しているが、彼女自身も戦い、戦力となることを示した。星司から与えられた空母水鬼も保有しているし、戦力拡張は果たしている。次に向けて準備を進めればきっと他の艦隊に劣らない戦力となることは間違いない。

 

 そうして動きを見せている二つの勢力に比べると、印度提督はあまり大きく動けていない。

 印度提督は瀬川が睨んだ通り、ベンガル湾やアラビア海周辺を担当する深海提督だ。欧州から逃げてくる、進出してくる艦隊や、アジアやインドから欧州へと渡ろうとする艦隊を撃破する役割を担っている。

 

 だが、現在はリンガ泊地の瀬川によって、その活躍を大きく奪われていた。順調に力をつけてきた瀬川率いるリンガ艦隊は、立ちはだかる深海印度艦隊を何度も撃破してきた。時に泊地へと迫ってくる艦隊もあったが、それを全て退けた。

 

 もし次に粛清するようなことがあれば、印度提督がそれに選ばれるに違いない。そうしたプレッシャーが、印度提督をずっと苛んでいた。

 戦果を挙げなければ。

 その思いの下に新しい深海棲艦を開発しようとしているのだが、その心得がない彼にとって、どのように開発、調整を進めればいいのかわからない。そのジレンマも襲ってくる。

 

 彼の感情の乱れを表すように、何度も何度も瞳が明滅している。フードの下には骸の部分が口元に残ってはいるものの、それ以外は深海棲艦らしい肌が覆っている。紫色に光る瞳の明滅が、昏い部屋を何度も照らしている中、不意に通信が繋がれてきた音が響いた。

 びくっと肩を震わせ、恐る恐る振り返る印度提督。

 一定のリズムで響く音に、とりあえず出なければと、通信を繋ぐと、出てきたのは白い女性だった。

 

「久しいわね、印度。調子はどうかしら?」

「欧州……!? あ、ああ……問題ない。何の用だ?」

「……下手ね。そんな様子で問題ないと? 何も知らずに私がこうして通信を入れたとでも思っているのかしら? だとしたら、ええ、随分と調子が悪いようね。思考回路はきちんと動作している?」

 

 と、そう言ったところで、ふと気づいたように一つ頷いた。「ああ、ごめんなさい」と感情のこもらない謝罪をした後、

 

「お前は私たちと違って人から転じたものだったわね。元々思考回路は持っていなかったから、動作も何もなかったわね」

 

 その言葉の通りか、あるいは上手く回るような頭をしていないのだろうなと、皮肉ったような言い回しか。くすりとも笑わず、真顔でそのような毒を吐く。しかも彼女は優雅に椅子に座り、紅茶を飲みながらである。

 

「そんなお前に通信を繋いだ理由、それは時が近いということを警告するためよ」

「時……ま、まさか……」

「この世との別れ、永遠なる眠り。そっちの海域が空席になるということよ。ああ、でもただ空席になるだけでなく、そこにある椅子もなくなるでしょう」

「南西だけでなく印度も消えると……!? そんなことをすれば、リンガは増々増長するはず! それを許すというのか、欧州?」

「今もなお増長し続けるでしょう。お前が消えたところで、何の影響もない。仮に増長のままに西へと進出したとしても、私が潰す」

 

 堂々とそう宣言し、カップを掲げる。その所作は実に優雅で、それが出来ると自負して疑わない。自信に満ち溢れた彼女は間違いなくそれをやってのけるだろうと、印度提督も感じてしまう程だ。

 

 故により感じる。

 自分は、もう死ぬのだと。

 人間としての死を経て、深海提督としての死も迎えようとしている。二度とない、永遠の終わりが、そこまで来ていることを実感し、より恐怖に震え始める。

 

「いやだ……死にたくない、お、俺は……まだ死にたくない!」

「何そのありきたりな命乞いは。人は、追い詰められれば、もう少しまともな抵抗を見せるのではないのかしら? それすら出来ないとは、人以下の存在か? ああ、そも、今のお前は人でなしだったか」

「チャンスを、生き延びるチャンスをくれ……! いや、ください……消えたくない、俺はまだ……」

「チャンス? 私にチャンスを求めるか。粛清の是非は私が決めることではないのだけど」

 

 新しく紅茶を追加して、また口に含みつつ、視線をモニターから逸らして何かへと見やる。ソーサーへとカップを置き、コンソールへと指を滑らせた。すると、印度提督側のモニターに何かが表示される。

 

 そこには基地型の深海棲艦のデータが表示されていた。港湾棲姫のデータらしいのだが、少し改良が加えられているようだった。これを送り付けられて、どうしろというのだろうかと首を傾げていると、

 

「私が改良したポート・ダーウィンのデータよ。これを更に改良し、好きに使いなさい」

「ダーウィン? 基地型でどうしろと……?」

「それ以降は自分で考えなさいな。思考回路がなくとも、回せる頭くらいはあるでしょう。それもないというのならば、チャンスを掴めず、そのまま消えるだけ。他にも配信されているデータはあるのだし、どうにかすればいい」

 

 それに、と紅茶を口にしつつ、言葉を続ける。

 

「私としては、お前が消えようが消えまいがどうでもいいのよ。一つのデータは与えたけれど、これは情けでしかない。あまりにもお前が哀れだから、お前の求めるチャンスになりえるものをくれてやったに過ぎない。だから、これを活かして這い上がるかどうかは、お前次第。……でも、私はお前に期待はしていない。足掻くだけ足掻いて、消えたとしても何も心は痛まない。それだけは言っておくわね」

「…………っ」

 

 残酷な言葉に、小さく拳を震わせることしかできない。彼の感情に呼応してなのか、赤黒い電光が、小さくバチッ、バチッと何度か弾ける。その様子に、欧州提督は目を細めた。「では、話は以上よ。せいぜい消えないように奮戦しなさい」と言い残して通信が切れる。

 

 だが、通信を終えても印度提督は動けなかった。自分は今、崖の一歩手前にいる。失敗すれば足を取られて奈落の底へと真っ逆さまだ。上手くやれば崖から離れることはできるだろうが、果たして自分にそれができるのか?

 

「……やら、なくては……俺は、俺は……戻る。生きて……人に……帰らなくては」

 

 震える声で呟きながら、同じく震える両手を見る。そこには生前のものとは違う色合いをした手がある。動揺する心を表すように目の光が明滅する中、ふらりとコンソールの前に立ち、送られてきたデータを確認していった。

 

 一方、欧州提督は「追い込みは上々」と息をついてカップを傾ける。あのように厳しく追い込んだのは彼女の予定通りだった。そして、想像通りの反応を見せた。精神が追い詰められ、赤黒い電光を発した。恐らくあのまま進行すれば、狙い通りの結果に導けるだろうと踏んでいる。

 

 この一連の流れも含めての粛清だ。目指すべき状況に導くために必要な手順だと命じられたならば、欧州提督はそれに従うまでである。そこに自分の感情を含める理由はない。かの神の意思に従い、行動する。それが欧州提督である。

 

「土壌は成熟し、種も育ち、祈りは底へ、しかし器は未だ至らず。あれも少し追い込んだことで、多少は進行したようだけれど、未だ足らず。でも……ふむ、翔鶴は悪くはなし」

 

 モニターに映る現在の状況を再確認し、欧州提督はそう呟く。そんな彼女へと「着実に進行、しているといっていいのかしらぁ?」と声がかかった。あら、と目だけでそちらを見やり、手にしているカップをソーサーに置くと、もう一つのカップを出してやる。

 

「あなたも飲むかしら、リシュリュー?」

「ええ、頂こうかしら」

 

 台の向こうの席に座ったのは、欧州提督と同じく白髪の女性。リシュリューと呼ばれた彼女は豊かな胸元と、他の深海棲艦の姫級らと比べて多くの髪の量を持つ女性だと見て取れる。

 欧州提督が用意したカップへと紅茶を注ぐと、深海リシュリューは小さく礼を述べて口に含む。その味に小さく息をついて、

 

「本気で印度には消えてもらうことになる流れなのよね?」

「リンガに何度も敗れ、奴らが幅を利かせるようになっている。最早、印度に止める力はない。そうして蓄積された負の力。無駄にするよりは、あの方のために礎とする方がまだ価値があるもの」

「無駄な犠牲は望まないのではないかしらぁ?」

「中部とのことかしら? ええ、確かに犠牲ありきの作戦は是とするべきではない。でも、此度のことはあの方の意思。それに、元が人であり、我らと違う存在ならば、心が痛まないのも事実。南西に続き、印度も空席となるでしょう」

「フリーとなったあの海域、南西の残党や印度の残党も回収するのかしらぁ? 上手く纏まるのかしらね」

「纏まるのかではない、私が、纏める。全てを」

 

 その強い言葉に、深海リシュリューは目を細める。確かな自信を孕んだ言葉に、彼女ならばやってのけるだろうと思わせてくれる。それだけのものを、彼女は持っているのだ。そうでなければ長年欧州周辺を相手に戦い続けていない。

 深海リシュリューも今の姿へと進化を遂げたのは最近だし、目覚めたのも欧州海域が赤く染め上げられた後のことだが、それだけでも十分欧州提督の強さを目の当たりにしている。

 

 彼女は強い。

 深海棲艦が跋扈する黎明期から活動し続ける女王であり、今もなお成長し続ける怪物だ。その彼女がやるというのならば、必ず成し遂げるだろう。

 

「それに必要とあらば、私自身も向こうに行くこともやぶさかではないわ」

「あなたが遠征? 大丈夫なのかしらぁ?」

「問題ないでしょう。いくら私の担当がこことはいえ、スカートを上げれば走れるもの。地中海を超えて向こうに行き、戦闘するのも苦ではない。その際にはあなたにも来てもらうつもりでいる。私たちという双璧があれば、増長する輩など物の敵ではないでしょう。違う?」

「いいえ、そう信頼を預けられれば、悪い気はしないわぁ。例えかつては国同士の関係がこじれていたとしてもね」

 

 その言葉に、欧州提督も笑みを浮かべる。

 彼女の言う通り国同士は仲が悪いだの微妙な関係と言われていたりするものだが、それは人間同士の話だ。人ではない彼女たちにとって、そういった人間関係は気にするものではない

 

「こじれるといえば、ずっと気になっているのだけれど」

「何かしら?」

「混ざりものである身って、どんな感じなのかしらぁ? あなたのその強さは、それによるものなのかしらぁ?」

「そうね。最初こそ確かに不調は続いたけれど、それは最初だけの話。今の私は何も問題はない」

 

 と、欧州提督は自分の手を見やる。最初期に生まれたものとして、色々と実験体が生れ落ちた。純粋な深海棲艦ばかりではなく、二つの艦の要素を混ぜ合わせたものも作られていた。欧州提督も元はそれに当たる。

 実験体としての宿命か、多くは不調を起こして使い物にならず、破壊されたものが多かったのだが、彼女はその苦境を乗り越え、自我を獲得し、進化して今に至る。

 

「今の私は空母主体にして、戦艦の要素を含むもの。どちらもロイヤルネイビーに縁あるものだから、大きく破綻することがなかったのが幸いしたともいえるけれど、最終的には私の意志がこの身を制御した。悪くはないわよ、こういうのも。遠方から二つの手段で敵を撃滅する。接近されようとも、装甲が防ぐ。穴を埋めるように立ち回れば、まず敗北はない。……結果、私の深海欧州艦隊(ロイヤルネイビー)は大きな敗北を喫することなく、今に至る。この実績が、私の歩みを証明している」

 

 だからと、拳を握り締めて彼女は自負するのだ。

 自分こそが、かの神における一番の戦力であり、かの神の意志を成し遂げるために全幅の信頼を預けられた戦士であると。

 その信頼に応えるために、何としてでもかの神の願いを叶えなければならない。長きにわたる戦いの最終目的が、それにあるのだから、果たさねばならない。それが例え、かつての祖国を滅ぼすことになろうとも、慈悲はない。

 

 かつても今も、誰かに使われるための兵器である自分は、そう在り続ける。

 かつては人間に、今はかの神に。使う誰かが変わっただけであり、その敵は同じ人間である。そこに艦娘という新たな敵が加わった。少し砲を向ける相手が増えただけに過ぎない。ならば深く悩み、考える必要もない。敵がどうであれ、兵器は使う主の勝利のために動くのみ。

 

「故に、私の道の先にこそあの方あり。遅れることなくついてきなさい、リシュリュー」

「いいでしょう。我らを導きたまえ、我らが深海欧州艦隊(ロイヤルネイビー)の旗艦様」

 

 二人はそっとカップを掲げ、改めて誓いを交わす。

 欧州のとある海の底で、静かに事が進められていく。彼女らの目指す先には、どのようなことが待っているのか。それは、まだ誰も知らない。人間や艦娘だけでなく、同じ深海勢力もまた知らないことだった。

 


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