呉鎮守府より   作:流星彗

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配属命令

「今、なんとおっしゃいました?」

 

 青天の霹靂とはこの事だろうか。

 彼、海藤(かいどう)(なぎ)は目の前にいる女性、美空(みそら)陽子(ようこ)に思わずそう言ってしまった。

 黒髪は少しぼさっとしており、顔は多少汚れている。170を超える身長に鍛えられた体と軍人らしいところは残っているが、数分前まで作業場で徹夜していた影響も見られた。今日突然呼び出されたかと思ったら単刀直入にあんな事を言われてしまったのだ。彼にとっては無理ない事であった。

 

「この私にもう一度言わせるとは。だが良い。それだけ貴様にとっては驚くに値する事なのでしょう。理解しているつもりよ。だから、もう一度だけ告げましょう」

 

 ふぅ、と煙管を口に含んで煙を吐く。年配の女性特有の落ち着きと威厳を兼ね備えた女性だ。黒髪を結い上げて纏めており、煙管を手にするその様子は様になっている。今度はその手に一枚の紙を取り、凪へと手渡しながら改めて告げることにした。

 

「海藤凪。貴様に呉鎮守府への提督着任を命ずる」

 

 どうやら夢でも聞き間違いでもないらしい。

 凪は彼女の言葉を頭の中で反芻しながら渡された辞令に目を通す。

 確かにそこには自分の名前と、呉鎮守府就任についての配置転換の命が書かれている。それを決定したのが、この美空大将だという事も。

 最近昇格してより発言力を高めたそうだが、どうして自分なんかを提督へと推したのか。

 凪は一度瞑目し、「お訊きしてもよろしいでしょうか」と求める。

 

「許可する」

「何故、私なのでしょう? 呉鎮守府の席が空いたことは私も承知しています。ですが、つい最近アカデミーで卒業式があったはずです。今年の首席が呉に向かうものと私は思っていたのですが」

「確かに、他の大将らも今は今年の主席を座らせようとしたようね。でも、私はそれよりも貴様を推すべきだと判断した」

 

 何故なのか、とじっと彼女を見つめる。

 煙管を灰皿へと置き、美空は机の上で手を組みながらじっと凪を見据える。

 

「納得いかないようね? 無理ないか。去年の卒業生にして、成績で言えば第四位。なのに自ら志願して整備開発を担当する職員という後方に下がったのだから。普通ならば私達のような立場の後ろに控えて補佐する仕事に就くというのに」

 

 アカデミーは海軍の知識を学ぶ場だ。若くて才ある者らが集まり、座学と実技を学んでいく。その中で成績優秀な卒業生がそれぞれの鎮守府の提督となる。

 席がなくとも、大本営などに所属する先達らの補佐役として就き、新たな泊地の設立や何らかの事情によって提督の席が空いたとき、彼らの推薦によって提督となる事が可能だ。

 逆にトップクラスの成績を収められなかった場合は、整備員などの後方支援の仕事であったり、事務仕事であったり、あるいは海軍そのものから離れて普通の仕事に就いたりする事となる。

 凪は成績四位という高い成績を収めながら、どういうわけか整備員として一年を過ごした。大本営に集まる装備のチェックや修理、あるいは大将らが利用する船の整備などを行ってきたのだ。

 まるで提督になる事を辞退するかのように。

 

「知っての通り、アカデミーは卒業到達率が低い。毎年卒業するのは成績トップ十以内でしかないというエリートのみ。それ以外の生徒は皆、ふるい落とされていくシステムを採用しているわ。だからというべきか、卒業生は皆、考えもエリートになる。それはすなわち提督も然り」

 

 提督になるという事は、自分達はあのアカデミーで卒業したのだ、という箔が付く。他の生徒達とは違うのだ。自分達は選ばれた存在なのだ、という思考だ。

 ほとんどの提督はそうであり、大本営に所属する軍人らの後ろ盾を得て増々それが強くなる。

 

「そういう輩は総じて心に隙を生むわ。自分は大丈夫、自分は間違っていない。小さな積み重ねが大きな慢心を生む。そうして間違いを起こした時、それは大きな傷跡となって跳ね返ってくるもの。そうなれば、ずるずるとそれを引きずっていき、多大な被害を生み出す。そう、先代呉提督のようにね」

 

 凪も先代については耳にしていた。

 何せ被害が甚大だったのだ。噂にならないはずがない。これによって大本営も大騒ぎである。特に推していた大将も批判の対象になっているんじゃないかと思えば、数か月前からもうあれはダメだな、という話もしていたので、切り捨てていたようなものだったという話もある。

 それによって立場を維持しようとしているようだ。

 美空は煙管を手にし、先端を凪へと向ける。

 

「それに対して貴様は自ら後方に下がるという選択をした。アカデミーでの振る舞いもエリート臭くはない。ならば、今までとは違う提督の姿を見せてくれることでしょう、と判断したわ。それに資料によれば現在トラック泊地に所属している東地(とうち)とは友人関係にあるようね? 彼もまた貴様と近い性分をしているそうじゃない。貴様の影響かしら?」

 

 報告書のファイルを手にして示しながら言うが、凪は休めの体勢になって瞑目する。

 

「……さて、どうでしょう。あいつが私と会う前がどうだったかは私は存じませんから」

「……まあいいわ。それに私としても、貴様がどうして後方に下がるという選択をしたのかは理解しているつもりよ。貴様の父の影響でしょう?」

 

 その指摘にぴくりと僅かな反応を示した。沈黙を通すが、それが答えなのだと美空は理解する。

 

「その点もあるからこそ、私は貴様をあえて推す。父がああなったにもかかわらず、アカデミーに入学、そして卒業してみせた貴様をね。そしてわかっているだろうが、貴様に拒否権はない。これはもう正式な辞令なのだから」

「……承知いたしました。海藤凪、謹んで拝命いたします」

「よろしい。私は貴様に期待をしている。貴様ならばきっと良い提督となってくれるだろうとね」

「どうしてそこまで私などに? 失礼ながら、私は大将殿と会ったのは、恐らく一度きりだったのではないかと思われるのですが」

「公開演習の時か? 確かにそうね。でも、だからこそ貴様の実力をあの時推し量る事が出来た。そして貴様が所属した部署も良かった」

 

 彼女の立場は軍備、兵器を管轄する長。奇しくも凪はその末端で働いてきたのだ。

 凪の存在を覚えていたならば、末端であろうとも機会があれば引き抜く心づもりでいたのかもしれない。それが今日、果たされたというわけだ。

 

「自分で言うのもなんだけど、私が後ろ盾に居れば貴様は得をするかもしれないわよ?」

「といいますと?」

「我が第三課においての役割は昔の艦から艦娘へと変化させるための設計図、彼女らの装備を構築するための設計図を作りあげ、データ化する事にある。それを再現するためには妖精らのご機嫌を窺わなければならないが、それでもかつての艦や装備を深海棲艦へと通すための構築は不可欠なもの。海藤も整備員をしていたならばそれは理解できているはず」

「ええ。現在艦娘は百にも満たない顔ぶれでしたね」

「これからも新たなる艦娘を産みだし、各鎮守府へと配備させなければならない。そこで私と繋がっておけば、いち早くそのデータを貴様へと送る事が出来る。普通ならば妖精のご機嫌次第だけど、確実にその艦娘や装備を貴様の鎮守府に配備させるための手段を送ろう。そうすれば、貴様は他の鎮守府よりも先に進むことが出来る」

 

 戦力を揃え、増強させる事は大事な事だ。このアドバンテージがあるならば、例え後から提督業を始めたとしても、他の鎮守府の戦力に追いつくことが出来るかもしれない。

 とはいえ例えメンツが揃ったとしても、それをうまく育てる事が出来るのかは提督、すなわち凪の手腕にかかっているのは当たり前の事。美空の言う事はあくまでも戦力を補強する支援だけ。そこから先は全て凪次第だ。

 

「そこまで私に肩入れして、大将殿は何を得るのか。お訊きしても?」

「…………今はまだ言えないわね。でも、先代呉提督の戦死により、あれらの立場が僅かではあるけれど揺らいだのは知っているわね? 僅かな隙が生まれたここを逃すわけにはいかないの。海藤、その隙を突き、傷を広げる事が出来るかは貴様の働きも関わってくるでしょう。健闘を祈るわ」

「そうですか。つまり新艦娘や新装備に関しては、私への先行投資になるのですね」

「理解が早くて助かるわ」

 

 やれやれと嘆息するしかない。ただでそんな事をするはずはないと思っていたが、出世争いなのか、あるいは引き摺り下ろすための手段に用いられるのか。

 上は上で相変わらず腹の探り合いをしているらしい。昔と変わっていないのだと凪は若干辟易する。

 

「――そういえば大将殿。私が呉鎮守府に所属するならば、今年の首席の人はどうなるんです?」

「質問が多いな、海藤。だが良いだろう。気になるのも当然の事ね。それについては心配する事はないわ。私の補佐としてついてもらう事になっている」

「つまり、次の席が空いたときに?」

「ふふ、察しがいいわね。嫌いじゃないわ」

 

 要は凪と今年の首席。二人を抱え込む腹づもりのようだ。そこから何をするかは凪としては興味はないが、それに巻き込まれてしまったらしい。命令であるが故に辞退する事も出来ぬまま、流されていくだろう。

 厄介なことになったな、と改めて思ってしまう。

 

「質問は以上かしら?」

「……はい」

「では退出してよい」

「失礼いたします」

「それと海藤」

 

 敬礼して背を向けようとしたところで呼びかけられた。「はい?」と振り返ると、

 

「きちんと寝る事ね」

 

 と、目元を指さしてくる。凪もそっと目元をさすり、「失礼いたしました」と謝罪するように頭を下げ、退出した。

 扉を閉めて一息つくと、視界の端に人がいる事に気付いた。

 見ればそこには少女が佇んでいる。艶やかな黒髪をポニーテールにし、身長は155くらいだろうか。海軍の制服をきちっと着こなし、窓際に静かに佇んでいた。

 その顔には見覚えがあった。アカデミーに在籍していた頃にちょくちょく見かけた程度。だが時折合同演習を共にしたことがあったろうか、とアカデミー時代を思い返していると、彼女は一礼して近づいてきた。

 

「お久しぶり、と言った方がいい? 海藤先輩」

「俺のこと、知ってるんだ。えっと、淵上さんだったかな?」

 

 淵上(ふちがみ)(みなと)。それが彼女の名前だ。

 先程の美空大将と同じく海軍には珍しい女性の軍人である。そして話に聞いたことが正しいならば――

 

「――首席卒業、おめでとう。俺が在籍していた時も、確か成績トップだったっけ? すごいね」

「ありがとう。でもあんたは後方に下がったと聞いているけど、どういうこと? いい成績を収めたのに、わざわざそんな選択をするなんて、どうかしてるわ」

「ふつうはそう思うよね。でも、あの時の俺は、というか今でも俺は整備員や開発員の勤務を続けたかったんだけどね」

「変わってるわね。……それに、目にクマあるし、ひげも整ってないし、髪も若干ぼさっとしてる。それで大将殿の前に出たわけ?」

「ああ、呼び出されるまでずっと修理してたからね。よもや大将殿に呼び出されるなんて思いもしなかったからこの調子さ」

 

 付け加えるならば風呂にも入っていない。多少汗臭いだろう。

 若干淵上から距離を取っているのはそのためだった。そして早々に話を打ち切ろうとして「じゃ、俺はこれで失礼するよ。準備しないといけないからね」と一礼して傍を通り過ぎていく。

 その背中を少し見送った淵上だったが、何も言わず美空の部屋の扉をノックし、一声かけて入室していった。

 

 


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