翌日、淵上の言っていた通り、7時に部屋に訪れてきた。起床して軽くシャワーをしていたので問題なく迎え入れ、共に朝食バイキングへと向かった。並んでいるのはどこのバイキングでも見られるような洋食メニュー。白米や味噌汁といった和食もあるが、多くは洋食ものだった。
腹の調子を考えて控えめに料理をとっていき、淵上と一緒の席でいただいていく。美空大将はどうしたのだろうか、と思っていると、どうやら先に食べて別の用事に向かっていったようだ。
目の前でこうして食べているのだが、会話はほぼない。昨日あんな別れ方をしたのだ。それを蒸し返す度胸は凪にはないし、関西弁で話しかけてみようか? とちらりと思いはしたものの、あんな反応をここでされたら彼女が恥をかきそうだ。
それもまたよろしくなさそうなので、静かに朝食を進めることになった。
やがて朝食を終え、準備を整えるとチェックアウトを済ませる。そのまま東京駅へと向かい、列車の切符を購入したところで、向こうから美空大将がやってくるのが見えた。どうやらわざわざ見送りに来てくれたらしい。
「おつかれさま。貴様の健闘を祈るわ」
「はい。改めて、ご馳走様でした。いい機会を与えてくれたこと、感謝します」
「気にする事はないわ。また、共に食事をしましょう。あと土産を郵送しておいたわ。貴様の所の艦娘達にも食わせてあげなさい」
「え? わざわざそんなものを……? よろしいのですか?」
「構わん。戦った艦娘達にも労いの言葉だけでなく、良い物を食わせてやるのもまた上に立つ者のやる事よ。もちろんそのための間宮食堂ではあるが、東京の良いレストランの一品もまたこういう機会に振る舞ってやるものよ。貴様だけではなく、ね」
「……ありがとうございます。美空大将殿」
こういう振る舞いをする事を当然とばかりにしてのける器もまた、美空大将の良いところなのだろう。そこは尊敬に値する人物だ。凪もこの一か月でそれは本当に思っている。
でも、だからといって美空陽子という人物を完全に信用しているわけではない。まだ彼女には疑問を感じる部分はあるのだから。それが明らかにならない限り、彼女との壁は消えることはない。
そして見送ってくれているのは美空大将だけではない。ホテルからずっとついてきた淵上もまた、そこで相変わらずの仏頂面を見せている。その服装は昨日のような私服ではなく、美空大将の補佐をする時の軍服になっている。
「淵上さんも、見送りありがとう」
「……いえ。昨日は醜態を見せたわね。あれは、忘れて」
「いやぁ、それは無理かなぁ……。あんな姿、そう忘れられるものじゃあないよ。しっかりと俺の記憶に刻まれてしまったかな」
「……いつものあんたなら、すんなり流すのに……!」
ぐぬぬ、と少しばかり紅潮しながら歯噛みする。昨日今日で結構変わったものだなぁと思いながら、どうどうと落ち着かせるように両手を軽く挙げた。
「まあまあ、落ち着きぃな。しばらくは会わないだろうし、君の周りに言いふらすような事もする気もない。その辺りは安心してくれていいよ」
「あたしは、あんな姿を身内以外に覚えられるんが恥ずかしい、っちゅう話をしとるんや。無理やり忘れさせたろか? いい加減にせんと、しばくぞ」
「おう、なかなか激しいなぁおい。美空大将殿、こっちが淵上さんの素だったりしますか?」
「そうね。子供の頃はなかなかやんちゃなものだったわよ。今では落ち着いて猫被ってたけど、一度剥がれてしまったら、もうダメね。私としては懐かしい気分になってとてもいいのだけど、ふふふ」
澄ました顔は何処へやら。今の彼女は気の強さを感じさせる鋭い目つきをしている。彼女の場合は気の強さが前面に押し出されたようだった。
それにしてもこうまで変わるとは……どれだけ猫を被っていたんだろう。だがいつも仏頂面をしているよりかは、こう感情をあらわにした方がまだ魅力的かもしれない。
「落ち着きなさいな、湊。ここは駅前よ? 人目に付くわよ」
「っ……そうでした。失礼しました、伯母様」
「それにしてもやっぱり関西人同士だと、こうなってしまうのね。ふふ、海藤」
「あ、はい」
「こんな娘だけど、改めてこれからも仲良くしてあげてくれるかしら?」
「え、ええ……私でよろしければ」
後ろで「あたしは別に……」とぶつぶつと呟いている湊を無視して、美空大将は凪と握手を交わしている。やれやれ、と美空大将がため息をつくと、腕時計を確認して「そろそろね」と一歩下がった。
列車の時間がやってきたのだ。凪は姿勢を正し、敬礼をする。美空と淵上も返礼し、凪は駅へと入っていった。
軽く後ろを振り返れば、美空が何やら淵上に話しかけているようで、それに対して渋い表情を浮かべている。また何か凪について話しているんだろうな、と推察できるが、その話の内容はもう聞こえてはこなかった。
数時間の時を経て、ようやく呉鎮守府に帰ってきた。
そう、もう帰ってきた、と感じるくらいには、呉鎮守府に馴染んでしまっている。ここは自分の居場所なのだと、離れて改めて実感する。自分は変わっているのだと感じた。
執務室に向かう途中、中庭を通ると休憩しているらしい夕立の姿が見えた。凪に気付くと、「あ、てーとくさん! おかえりー」と立ち上がって駆け寄ってくる。ぱたぱたと近づいてくる様は、まるで主人を見つけた犬のようで、尻尾がぶんぶん振り回されているように幻視した。
「ただいま。休憩中かい?」
「うん。もう少ししたら遠征に出ることになってるんだよ。さっきまでは水雷の訓練だったよー」
「そうか。ふむ……」
首を傾げながらじっと夕立を見下ろす。ん? と首を同じように傾げながら夕立がその視線を受け止める。
夕立の様子を見つめている凪は、昨日今日の変化を何となく感じ取る。一か月近く訓練や見つめていたことで、報告書に記された変化を目で見てとれるようになりつつあった。
とはいえまた火力が伸びたかな、という程度ぐらいにしかわからない。あとわかりやすさでいえば、調子がよさそうだとどこかキラキラしているのが視えてくるのだ。これは比喩でもなんでもなく、提督を続けていると艦娘の調子が良くなってくると、キラキラしたものが周りに浮かんでいるのが視えてくるらしい。
艦娘との良好な関係を築いてくるとそうなるらしく、それが凪にも視え始めたということは夕立らとは関係が良好になっている証だった。今の夕立も微量ながらキラキラしているのが視える。訓練で調子が出てきているってことか、と凪は思った。
「提督さん、目を合わせてくれるようになった?」
「ん? ……ああ、うん。少しずつ慣らしていこうと思ってね。君なら大丈夫みたいだ」
「そっか。うん、嬉しいよ。ちゃんとあたしを見てくれて」
美人さんに分類される艦娘は少し難しいが、夕立のような少し幼さがある艦娘ならば大丈夫だと自分で判断できるようになっていた。夕立は妹分のように思える。そう考えれば視線を合わせられる。
そっと手を伸ばし、きょとんとしている夕立の首元をそっと撫でてやる。工廠でやったような、顎を軽く上げてからの猫くすぐり。するとまるでごろごろと喉を鳴らして喜ぶ猫のように、目を細めて受けいれていた。
しばらく喉をくすぐり、最後にぽんぽんと頭を撫でてやると「じゃ、他の娘達の様子も見に行ってみるよ」と歩き出すと「じゃ、あたしもー」と、とてとてと後ろをついてくる。
海に出てくると、丁度第三水雷戦隊が訓練をしているところだった。
相手をしているのは第二水雷戦隊。砲撃を切り抜けての雷撃を行っているらしい。まだまだ荒があるが、砲撃を切り抜ける、という点において回避の訓練にもなっている。
埠頭で訓練の指示をしていた神通が凪に気付いて振り返った。
「あら、おかえりなさいませ。提督」
「ただいま。訓練はどうかな?」
「水雷としての力を底上げしているところですね。回避と雷撃、そして提督がお帰りになってからは夜戦の訓練を盛り込んでいこうかと」
「夜戦か。そうだね、それもまた日本の水雷の華か」
攻撃と同時に回避も重点的に練度を上げることを図った。
泊地棲姫にとどめを刺した、隠れてからの奇襲の雷撃もまた水雷の戦術の一つではある。しかしこれは駆逐艦向きであり、軽巡や重巡がやるような事ではない。
そしてかつての日本海軍の水雷屋といえば、雷撃と夜戦だろう。他の国よりも魚雷開発を主に行った結果、長距離雷撃や酸素魚雷が生まれ、一本で家が買える程に高価な花火をどんどん発射したという。
そして夜戦もまたおかしいくらい訓練し、各所で様々な戦が語り継がれる程のものを引き起こしたとか。特に夜戦の駆逐艦ほど怖いものはない。小回りの良さを生かして立ち回り、近距離雷撃をぶちかます。まさに敵を駆逐するその様が駆逐艦としての本気。
そこまで育てる事が出来ればいいだろうが、まだまだこれからだ。
だが、今の時点で光るものがある艦娘がいた。
「いっきますねー!」
突撃を仕掛けて魚雷を発射。すれ違いざまに放たれたそれらは数発皐月へと命中し、それは中、大破判定となった。逆に皐月から放たれた魚雷は一本至近距離を通過したが、命中には至らない。
軽やかに滑るように離脱していくその駆逐、雪風はブイサインをしながら反転してくる。
双眼鏡を覗き込みながら凪はじっと雪風の様子を窺っていた。反航戦、同航戦と切り替えながら双方が砲撃し、雷撃していく訓練なのだが、最近加わったばかりだというのに、高いポテンシャルを感じる。
「……さすがは雪風、と言った方がいいのかな。艦娘としての見た目とは裏腹に、秘められた能力は高いのかな?」
「ですね。先代には雪風さんはいませんでしたが、艦や艦娘としての知識は私にもあります。あの子はまず間違いなく伸びます。……色々持っているのは伊達ではありませんからね」
「期待の新人ってやつっぽい?」
ちなみに開戦時の二水戦には雪風がいたらしい。艦としては神通の元部下のようだ。その記憶もあるかもしれない。そういう部分での縁もあってか、神通の眼差しは暖かくも確かな信頼と期待があった。
その様子を見て、凪は先日から考えていたことを神通に相談する事にした。
「神通、君が率いる一水戦だけど、水雷屋で固めて敵を撃滅する部隊にしようと考えてるんだけど、どうだい?」
「ええ、必要ですね、その部隊は。この先、大きな敵を相手にする場合、戦場を駆け抜け、掻き乱し、離脱できる高速の水雷戦隊。それを編成なさるのであれば、私達が必ずや戦果を挙げてみせましょう」
「となると、千歳を抜いて一人入れることになるけれど……」
「……恐らく、私の頭に浮かんでいる娘、提督も同じ顔をしていらっしゃるものと考えますが」
「まあ、そうなるよね。育てるかい?」
「ええ、しっかりと育ててごらんにいれましょう。となると、訓練の量を増やさねばなりませんか。明日から忙しくなりそうですね」
「その分強くなれるなら、夕立、頑張ってついていくよ!」
「ふふ、頼もしいですね、夕立ちゃん。さて、となると――」
口元に指を当ててぶつぶつと呟きはじめる神通に、ああ、鬼教官が目覚めつつあるかな、と凪は肩を竦める。だが基礎はもうしっかりと仕込まれただろう。これからは質を上げていく訓練になる。それは必要な事なので、止めることはするまい。
でも、気がかりなことはある。
「倒れない程度にお願いするよ。部隊の娘達も、神通、君もね」
「はい。倒れた方から忠告されれば、気を付けなければなりませんね」
「はは、こりゃ一本取られたか。じゃ、俺はもう行くね」
「はい。……改めて、おかえりなさいませ。提督」
「おつかれさま、提督さん」
凪に向き直って一礼する神通と敬礼する夕立に軽く手を振り、凪は鎮守府へと向かっていく。歩きながら頭の中では新たに編成し直す戦力を考えていた。
一水戦の入れ替えに伴い、他にも調整する事が出てくるだろう。
工廠の傍を通れば、いつの間にか工事がほぼ最終段階に入りつつある。早いものだ。これも妖精の不思議なパワーによるものか。その恩恵に預かれるのは海軍や陸軍関連のものなのだが、それでも迅速に拠点や施設が建設される早さが凄まじいのはいいことだ。
となると、装備が一気に増やせるのだが、その分資材の量が減る。
凪がいない間も遠征はちょくちょくしてくれているはずだから、増えているだろうがそれも大淀に言って報告書を提出してもらおう。
――と、こうしてここに帰って来てから頭がすぐに提督の業務に切り替わっている辺り、もう自分は呉鎮守府の提督なのだと改めて自覚する。
あれだけ気が乗らなかった仕事だというのに、もう身に染みているのだ。
だが、悪くはない。
これもまたあの日の出来事があってこそだろう。凪は前向きになりつつある事を自覚できるくらいには変わっていたのだった。