日も暮れ、大淀を交えて資源や遠征地についてや、編成の組換えなどの話し合いが終わった凪は、一息ついて淹れてくれた紅茶を飲み干す。長門は戦艦と空母を相手にした訓練の指導、神通はそろそろ遠征から戻ってくる頃合いだったため、ここにはいない。
書き終えた新たな編成を確認し、これでいいだろうか、ともう一度頭の中で問いかける。
そこにはこうあった。
第一水雷戦隊、旗艦神通。北上、夕立、響、綾波、雪風。
第二水雷戦隊、旗艦球磨。利根、足柄、川内、夕張、皐月。
第一主力部隊、旗艦長門。山城、日向、摩耶、翔鶴、瑞鶴。
第二主力部隊、旗艦妙高。阿武隈、初霜、霞、千歳、祥鳳。
千歳については、水上機母艦ではなく、軽空母にする事で第二主力部隊が完成する。つまり、千歳と祥鳳という二人の軽空母と、随伴する艦娘達という構図だ。これはある意味航空戦隊ともいえるものかもしれない。
とはいえ、これはあくまでも大きな戦闘になった場合においての編成予定であり、遠征に出したり訓練したりする場合は以前のものを運用する事になっている。。
一水戦に関してはこれでもう完成形といっていいだろう。二水戦に関しては駆逐を盛り込み、利根と足柄といった重巡を他の部隊に回せる余地がある。だが今は建造する予定はないので、しばらくはこのままで行く事になるだろう。
また新たな訓練プランとして、戦艦と空母を両方に編成し、撃ち合わせるやり方も今ならば出来る。こうすることで、泊地棲姫といった姫級を相手にした場合の戦闘方法も訓練出来る。
その場合はやはり山城と日向、翔鶴と瑞鶴、千歳と祥鳳を両方に配置し、そこに三人を盛り込んでの訓練だろうか。そうなると、早いところ千歳を改造しなければ。もう改造可能なレベルにはなっているのだから。
と、訓練プランを書き進めていると、パソコンに通話が入ったという音が鳴らされた。
誰だろうか、とクリックすると、通話画面に見慣れた顔が映し出される。
「よう、凪。おひさ」
「おう、久しぶり。どしたん」
気さくな笑みを浮かべて手を挙げてくる東地。そして画面に入ってきたのは、お茶をそっと置いていった長身の女性。少し茶色がかかった黒髪を左でサイドテールにし、青い袴を着こなした和服美人。航空母艦、加賀だった。
それを見た凪は何気なく、
「秘書艦?」
「おう、うちの秘書艦。うちの艦隊じゃ結構長い付き合いをしてるんだよ、この加賀さん」
「初めまして。噂は耳にしているわ、呉鎮守府の……海藤さんだったかしら?」
「どうもです。って噂……、どんな?」
「そりゃーお前さん、半月しか運営してないのに、泊地棲姫をやっちまったっていう話だろうよ。やるねえ、凪ぃ。俺でも一か月は艦隊練度を上げてたってのに。なにしたらそうなるんだ?」
「偶然だよ。別に変なことはしてないさ」
そして凪はどのようにして泊地棲姫を撃沈させるに至ったかを話していく。それを聞いた東地はなるほどな、と頷いてお茶を口に含んだ。その表情はどこかおもしろいものを見たかのような笑みだった。
「万全の状態になる前に殴り込み、ねえ。確かにそれくらいしかお前さんが勝てる手段はなかったかもしれないな。普段のお前からしたら考えられねえ素早い手回し。……でもま、お前はそういう事が出来るって俺は知ってるから驚きはしねえよ。相手の動きから何らかの変化を感じ取り、行動する。そうやって面倒事は避け、大きな被害を被らないようにする。それがお前だもんな」
「それ、褒めてんの?」
「おう、七割くらいは褒めてると思うぜ?」
「三割は?」
「んー、ちょいと貶したり、おもしろがったりしているかね? 一部の奴らはそれを臆病者だとか言うだろうからよ。でも、俺は別にそういうのもいいとは思ってるからさ。被害を減らすってのは大事なこった。せっかく育てた娘らを轟沈させるのは忍びねえ」
何も隠すことなく、真っ直ぐにすらすらとそう言える東地が凪には好ましい。普通に笑って会話できる相手として東地は貴重だった。すると、引き出しを開けて何やら新聞らしきものを手に、モニターへと一つの記事を示してくる。
「ほれ、最近出た記事。ちょっと小さ目だけど、お前の戦果について書かれてるぜ」
「は? 取材受けてないんやけど」
「おう、美空大将殿の方に取材が行ったみたいだな。お前の代わりに色々答えて終了だそうだ。たぶん、美空大将殿がストップ掛けたかもしれんな?」
人付き合いが苦手な凪へと多くの取材陣が行かないように手回しをし、自分が答えて終了させる事で打ち切らせたんじゃないか、というのが東地の弁だ。まだまだ提督としては新人だし、凪を推した自分だけが相手をする事で、自分の名を更に高める記事を書かせるようにしたらしい。
凪よりも美空大将が注目される。自分を売る事で凪を守ったのかもしれないが、大部分は前者の意図が大きいんじゃないかと凪は思った。とはいえこれ以上の推察は無意味だろう。恐らくあの人は何も語らないだろうから。
「お前も記事になった事あったっけ?」
「あー、こっちは南方だからなぁ。たぶんねえな。あの南方棲戦姫を落としたら記事にはなるかもしんねえけどな。でも、前回は失敗したからな。偵察はしているけど、まだ出現はしてねえ」
南方棲戦姫。
それがかつて先代呉鎮守府の提督を戦死に追いやり、艦隊を壊滅させた存在だ。南方、ソロモン海域にて出現が確認され、その強大な力からただの姫ではなく、戦姫と呼称されるに至ったという。
かのソロモンの海から出現しただけあって、その纏う憎悪や怨念の力が凄まじく、それが奴の力を引き上げているのではないかと言われている。特徴的なのがその三連装砲。観測した者曰く、その口径からしてかの大和型の主砲に酷似していたとか。
だからこそ、美空大将が大和型の艦娘の構築を急いでいるという話だった。
「……南方棲戦姫、か。まだ、南方は静かなんかい?」
「おう、今の所はまだ荒れてはいねえよ。俺だけでなく深山は偵察はしてるんだけど……。あいつはなぁ、戦いとなったら全然動かないからなぁ……戦力としては期待できねえよ」
「ああ、あいつか……。名簿みたけど、不動の深山、って呼ばれてるんやったか?」
「そうそう。艦隊を鍛えるし、偵察もして情報収集はする。でも、大きな戦いは最低限の防衛はして殲滅しにはいかない。かの戦姫が出てきた時も、積極的に攻めるような事はせずに、守りに入り続けてやり過ごしたからな。でも逆に言えば守りに入ったことで、艦隊の被害を抑えたともいえる。その分、奴らの戦力を把握して大本営に送り付けたからな。そういう意味では実に有能ではある」
だが積極的に戦わなかった臆病者という印象の方が、他の者達により刻まれたともいえる。先代呉提督の戦いでも、援護はせずに鎮守府の守りを固めたのだから、彼の不動っぷりが窺える。
その姿勢は、自分の周りが無事ならばそれで良い、他の者達がどうなろうとも知らぬ。と如実に語るものでもある。
だが凪としてはその考えは理解できないわけではない。凪も自分より他の人物らが持ち上げられ、目立つのを良しとし、自分はそれに埋没する事で目立たないようにする。こうすることで他人の視線から身を守り、やり過ごしていくのだ。
自己防衛の手段として、凪は彼のやり方に多少の理解を示す。
しかし深山がそれで解雇されないのは、南方棲戦姫が出現した際に様々な情報を送っただけではない。
凪と東地と同じ年に卒業した第2位であり、トラック、リンガと同じ時期に設立されたラバウル基地へと配属。東地もやったことだが、彼もまた南方の資源開拓や、南方の状況に目を光らせ続けられる戦力を育成したという実績があるためだ。彼を引き摺り下ろし、代わりに誰か提督をあてがったとして、育っている艦隊をうまく運用できなければ一気に瓦解する。そうなれば、トラックの東地だけで偵察しなければならないのだ。
そうするくらいならば、まだ深山が提督をつづけた方がマシのため、今もなおラバウルの提督を続けているのだった。
「ま、でも凪にとっては関わらねえだろ。こっちは」
「……そうでもないかもしれないんだよなぁ」
「あん? どういうこった?」
美空大将とのやりとりや、佐世保の越智提督についての話をすると、東地は少し渋い表情を浮かべはじめた。お茶を飲み干すと、加賀がすぐに新しく淹れる中、軽く頭を掻きはじめる。
「佐世保かー……まじか。こりゃあれだな。まず間違いなく、お前さん護衛として連れてこられるぞ」
「……というと?」
「自分が戦姫を沈めるために、露払いさせたり、あるいは主力をぶつけるために自分の周りを護衛させたり……。あいつの艦隊主力に被害を出させないようにするために、お前さんが使われるってことだ」
「やっぱりそうなるか。めんどくさ……」
「俺も動かされるんだろうなー。やだねー、エリートのお坊ちゃんは。自分の戦果のために他人を顎で使うんだもんよ。協力し合うって発想がないんですかねえ」
やだやだ、と愚痴りだすと、お茶を淹れ終えた加賀が画面の向こうにいる凪へと、すみませんね、と一礼した。気にするな、という風に手を振って微笑する。こういうところもアカデミー時代にあったことなので慣れている。
自分も紅茶を飲むか、とカップを手にすると、空になっていた。それに気づいた大淀が新しく淹れてくれる。どうも、と目礼し、グチグチとエリートのお坊ちゃんがどうだのと語り続ける東地の話を聞き流していく中、話を切り替えるために凪は話題を提供する事にする。
「あー、茂樹。ちょっと訊きたいことがあるんやけど、いいかい?」
「――ってなわけで、ああ? なんだい、どうした?」
「艦娘との……特に、会話がきつそうな相手とのコミュニケーションって、どうしたらいい?」
「なんだいなんだい、お前らしい悩みだなぁおい。会話がきつそうって、そりゃまたどんな艦娘を建造しちゃったのよ。お前がきついって思う程って、あれだろ? まさか霞でも作ったんじゃねえだろうな?」
「…………」
「……え? マジで?」
モニターの向こうで呆然としているのだが、彼の言う通りである。「……ん、霞だよ」と絞り出すように言えば、まじかー……とあちゃーという風に頭に手を当てた。
「霞を引いちゃったかー」
「ああ、引いてしまった」
「どんな感じなのよ?」
「……こんな感じだ」
と、凪は説明する。
ある日の事、凪は霞を見かけたのだ。訓練の休憩をしていたらしく、「お、おはよう。おつかれさま」と声をかけた。すると霞はじっと凪を見上げ、小さく鼻を鳴らす。
「ふん、おはよう。……あんたさ、こんな見た目の私にいつまで経ってもびくびくと……そんなんで私達の司令官なんて務まるの? なさけないったら!」
「…………」
「どうしたの? 人が苦手だから、しっかり私を見れないってのは聞いたわ。でも、だからといっていつまでたってもそうびくびくされちゃあ、私としてもあんたが司令官ってのも認められないわよ? 司令官ならもう少ししゃきっとしたらどうなの?」
「お、おう……」
「はぁー、こんなんじゃ先が思いやられるわね。じゃ、私訓練あるからもう行くわ」
そんな事があったことを話していると、東地はだんだん可愛そうな人を見るような目になっていく。同情が含んだものであり、うんうんと頷いている。
やがて腕を組むと、「さすがだねえ、霞は」としみじみと呟いた。
「あの娘はしっかりと提督の目を見て話すからなぁ……。その戦歴からあの性格は形作られた。きつい性格ではあるが、悪い子じゃない。……んだけど、そのきつさからあの娘を苦手とする提督は見かけられるな。アカデミーでもいるしなぁ……」
アカデミーや大本営にも艦娘はいる。アカデミーは学生らの実習のために、大本営では防衛や警備のために。他には漁師の護衛についていき、漁の手助けをするのだ。
そしてアカデミーでは構築されている艦娘は一通り存在している。という事は、霞もいたという事でもあり、基本的な性格の変わらない霞は、学生であろうともあのような対応をする。それによって霞に苦手意識を持つ可能性は大きいだろう。
「……でも、慣れてくれば何とかなるさ。きっかけとしては、まあ……二つはあるかな」
「マジ? なんだい、それは」
「一つは戦果を挙げる事。提督としての格を示す。無能な提督っぷりを示してたら、マジで愛想尽かされてしまうからな。……もう一つは、甘味。見た目通り、子供っぽいところがあるからな。甘い物でご機嫌取りさ。間宮さんとこの甘味とか、そうでなくともどこかの店の甘味とか、ご褒美とかで食わせてやるのさ」
「前者はいいとして、後者はそんなものでいいのか?」
「きっかけだけなら、それでもいいんだよ。そっから仲良くなっていけるかは、そこら辺は凪次第になってしまうんだけどな」
最終的には凪の力で霞と仲良くするかどうかになってしまうが、何事もそうするしかない。特に霞に対しては、自らの力でぶつかっていかなければ、彼女の信頼を勝ち取れるはずがない。
「ま、がんばれや、凪。仲良くなっていったら、あの霞も可愛く見えてくるもんだぜ」
「ほんまか?」
「今はわからずとも、いずれはわかるさ。長い付き合いになっていけばな」
とにかく助言は得られた。提督としての力を示すか、甘味などの食べ物で釣るか。
提督としての力は最近泊地棲姫を倒した事がそれに当たるだろうが、その時には霞はいなかった。次に示せそうな機会といえば、南方棲戦姫になるだろうが……難しいだろうか。
甘味については間宮に頼めば出来そうだが、ただでそんなものあげてもしょうがない。なんでくれるのか、と疑問に感じてしまうだろう。
そういえば美空大将がお土産を送ってくれた、と言っていたっけ。あれは何だったのだろう。帰る時にお土産の中身について教えてくれなかったが……食べ物であることは間違いないだろう。ならば、お土産として振る舞えるいい機会だ。その際に霞と話が出来るかもしれない。
と、考えた所でふと思い出した事があった。
「そういや茂樹。お前、淵上さんが美空大将殿の姪だってこと、知ってたんか?」
「淵上? 淵上湊? ああ、知ってたよ?」
あっけからんと言い放つ。それに凪は少し頭を抱え、「聞いてへんぞ……」と呟いたのだが、何を言っているんだ、と東地が顔で語る。
「あの子を見かけた時に、俺言ったぞ?」
「え? マジで?」
「お前さん、ほんとに興味のない人に関しての情報は右から左へと受け流すよな~。まず間違いなく、俺は喋ったぞ。ほら、あれ。あのポニテの子。あの美空中将の姪っ子さんだぞ。美人だよな~……って感じで、俺は言いましたぞ?」
「…………記憶にねえ」
東地はこういう事に関しては嘘をつくような人ではないので、間違いなく彼は喋ったのだろう。だが凪はアカデミーの記憶を掘り起こしても、それらしきものが頭に蘇らない。
彼の言う通り、その紹介を右から左へ流していったんだろう。
ちなみに中将となっているのはアカデミーに通っていた頃は、まだ彼女は中将だったためだ。大将になったのは今年である。
しかし突然淵上について話し出した凪に疑問を感じたらしく、首を傾げて「なんでまた急に淵上の事を?」と問いかけてくる。人に興味を持たない、それも女性についてだ。美空大将の補佐とはいえ、彼女らは大本営にいる。東地の疑問も凪の事を知っているなら当然の事だろう。
「……いや、うん。二人に会ってきて、ね」
「あー美空大将殿に呼び出されたのね。泊地棲姫に関してかい?」
湯呑を手にしながら何気なく東地が言うのだが、
「…………飯食ってきた」
「ぶっ!?」
その答えにたまらずお茶を吹き出し、隣に控えていた加賀の服に掛かってしまう。
「げほ、げほ……ごめん、加賀さん……!」
「…………いえ、お気になさらず」
タオルを取りに行く加賀に謝りながら咳き込む東地に「大丈夫かー?」と声をかけるのだが、手を振って大丈夫だ、と応えてきた。しばらくして落ち着きを取り戻した東地は、ティッシュで涙と口元を拭き、大きく息を吐く。
「飯食って来たって、お前さん、あの美空大将殿と淵上と?」
「ん」
「とんでもねえな!? 大将殿と、アカデミー主席卒業の才女様だぞ!? なにそのイベント!?」
「知らんわい……」
どうしてそうなったのかを説明すると、東地は次第に落ち着いてくる。
凪が食事に気が回らない事は彼も知っていたので、いいものを食ってきたという点で何故かうんうんと頷いて、いいことだと呟いている。だがそれでも淵上と一緒に食事をしたことについて切り込み始めた。
「伯母さんを交えて姪っ子と食事とか、ぜってーその意図あるだろ美空大将殿は! なになに!? お前さん、あの才女様とくっつくの!?」
「……ねえよ」
「何が不満だよ。才色兼備のお嬢様だぞ。あー、でもいつも澄ました顔をしてて何考えているかわかんねえとこあるか。だがしかし、それも仲良くなっていけば、きっといい笑顔を見せてくれるんだろうぜ? その期待値もあるか。いいな! ギャップ萌えか!」
「……そーだねー」
東地は知るまい。
凪としてもよもやそうなるとは思わなかったが、あの仏頂面という仮面を取り払ったら、なかなか強かな関西人がそこに現れるのだ。東地の言うギャップ萌えにこれは該当するのか? 誰が想像するんだ、あんなもの。と心の中で留めておく。誰にもばらさない、と彼女に約束したのだ。言うわけにもいかない。
「だが、人に興味を抱かねえお前さんが、ようやくくっつきそうな女に会えたんだ。俺は祝福するぜ」
「だから、俺はそんな気はねえって」
「よっしゃ! 今日は飲もうか! まだまだ語りたい事はあるだろうよ! 加賀さん、酒!」
「おーい、聞いてるか、茂樹ー」
それからは電話越しに酒を飲みながら話し続ける事となってしまった。大淀や報告にやってきた長門と神通をも巻き込み、凪と東地のアカデミー時代の話にまで発展し、夜が更けるまでそれは続くのだった。