帰還した艦娘達はすぐさま入渠ドックへ送られた。バケツを使って迅速に治療を行う中、艦橋では東地との通信が開かれていた。
「慢心ってこえぇな……まさかあんな事になるなんて」
「辛勝、って感じだろうか」
南方棲鬼から南方棲戦鬼へと変貌、際限なく湧き出てくる深海棲艦の群れ。
そして何より傷が回復する、という異様な力。
何も知らない、というのは怖いということを改めて認識した。もしも援軍が間に合わなかったら、を想像すると……最悪の展開になっていたかもしれない。
この「かもしれない」がより恐怖を感じさせる。
回避できたが、可能性を示してしまっただけでもアウトだろう。
「やっぱり鬼級だろうと、舐めてかかっちゃやばいって事だな。泊地棲鬼や装甲空母鬼に慣れて、感覚がマヒしてしまった」
頭を抱えて渋い表情を浮かべている。それだけ自身の最初の選択が間違っていたのだと反省している。だが反省しているならば、次に生かすことが出来る。
だがその反省の時間は、長くはくれなかった。
突然越智が通信に入り込んできたのである。
「南方棲戦姫は見つかったのかい?」
「……現在偵察中です。発見したならまもなく報告が来るでしょう」
「そうかい。……やれやれ、まったく。無駄に時間をかけてくれちゃって……もう少し、スマートに勝てないのかい?」
お前が参戦していたらもっと早く撃沈出来たはずだ、とツッコミたいが、凪は心の中に留めておいた。
南方棲戦鬼との戦いにおいて、越智はずっと傍観を決め込んだ。戦況を見ていたかどうかは知らないが、彼は今の今まで何もしていない。本命である南方棲戦姫との戦いに備え、完全に艦娘を温存している。
「だがそれもやむなしだろうね。所詮君達は一年と三か月しか提督をしていない。艦隊練度が足りていないって事なのさ。……今に見ているといい。二年の経験が作り上げる、完璧な艦隊決戦をね」
「……楽しみにしていますよ、越智提督」
少し含みを持たせた言葉だったが、彼は気づいていないだろう。優雅に髪をかき上げて自己陶酔に浸っているのだから。
ふと、通信が入った。
偵察を向かわせた艦載機からのものだった。
「艦載機から打電です。我、南方棲戦姫を発見せり!」
続けてモニターにそれが映し出される。
姿は南方棲鬼とよく似ている。白髪ツインテールをなびかせ、右目が前髪に隠れている。だが南方棲鬼はビキニに黒ジャンパーを羽織っていたはずなのに、南方棲戦姫はそれがない。
パンツではなく、前張りのようなものが股間部に見られるが、服もブラも何もない。胸の所は髪で隠しているという、所謂髪ブラだった。
大丈夫か? 色々大丈夫か? と突っ込みたくなるスタイルをしているが、その両手にある異様な物が、その気持ちを挫いていく。
それは手甲と呼べるほど生易しい物ではない。二の腕からすっぽりと覆うように艤装が嵌められている。手は戦艦主砲、手の甲には重巡主砲が魔物の口の部分から生えている。そしてまた一つ魔物の口があるが、その周囲にはまるでハリネズミのように砲門が備えられている。
それが両腕。重武装を女性の腕にぎっしりとはめ込んでいるのだ。ほぼ全裸の人間の女性の風貌に、あまりにも不釣り合いすぎる不気味な艤装の対比が、見るものの心をよりざわつかせ、そして逆に美しいと感じさせるものがあった。
南方棲鬼にはブーツがあったが、南方棲戦姫は左足にブースターらしきものを備え付けたブーツを履いているだけ。右足はただの靴らしきものがあるだけ、という対比もある。
最後にそのツインテールを形作るリボンは、南方棲戦鬼と同じく赤いオーラを放つ蝶の羽根のようなものだった。恐らく南方棲戦鬼と同じく、深海棲艦の力が凝縮されているのではないだろうか。
「ふ、ふふふ……ついに姫君が来たか。ならば満を持して僕の出番だね。君達はそこで見ているがいい、僕の雄姿をね!」
「あ、おい。待て、せん――」
東地の言葉を最後まで聞くことなく、越智は通信を切っていった。軽く手を伸ばしている東地が、ゆっくりと手を下ろしながら言葉を続けていった。
「――水艦が、って……聞かねえのな」
「……放置しておくか。進言を聞かないっていうんなら、それもいい。ただ、俺達の艦隊をもしもの時のために備えておこう」
「それしかねえな。しかし、俺達の戦いを見ているんなら、潜水艦に対して何らかの対策をするものだけど……」
その時、越智の指揮艦から艦娘達が出撃していった。ざっと見る限りでは、やはり戦艦、空母を主体とした艦隊がずらり。軽巡、駆逐は最低限しか護衛させていないが、まったくいないわけではないらしい。
それを見届けた東地は「……いることはいるか」と一息つく。
「だがさっきの戦いじゃ結構な潜水艦がいたんだよな……?」
「らしいよ。……どうだい、神通?」
「ええ。撃沈数は二十は下りません。どれもがノーマルとエリートだけでしたが、この先となると、フラグシップは必ずいるでしょう。となると、生半可な対潜能力では、どうにもなりませんよ」
「…………終わったな。俺らが何かするまでもなく、自滅するぞ、あれ」
「とりあえず、いつでも出撃できるようにしておいて。緊急時は、出撃する。今出撃したら、あれがうるさそうだ」
「承知いたしました」
一礼した神通が艦娘達の下へと駆けていく。大淀が淹れてくれた紅茶を口に含み、喉を潤す凪は、大淀が提出した資料に目を通す。
この戦いにおいて消費した資源、バケツ、被害状況。二戦して結構資材が減っている。東地も多く艦娘を出している事から、凪以上に消費している事だろう。
ふと、艦橋に長門が入ってきた。モニターに映る南方棲戦姫を見上げると、すっと目を細めた。
「気になるかい、あれが」
「気にならないわけはない。私にとっては忘れられない敵だ」
赤く染まったかの海で、奴の姿を遠くに見た。奇襲によって壊滅した航空戦隊、それによって我が物顔で飛行する敵艦載機。対空迎撃をしようにも、水上にも無数の敵がひしめいている。
数の力で上から捻り潰されていく光景。この上ない完敗の中、遠くで奴は不敵に笑っていたのだ。
それが、当然の光景なのだ、と。
海の底へと消えていったかつての艦娘達。もしかしたら、今回の戦いで深海棲艦と成り果てた仲間達がいたかもしれない。……だが、それを考えないようにする。
それに艦娘が沈んだら深海棲艦となってしまう、という確かな保証はない。その可能性が高い、というだけで、絶対にそうなるとは決まっていないのだ。それがそうなっていてほしいという願望でしかないとしても。
だが長門はうっすらと考えてしまう。海の底へと沈んだのだ。奴らが目を付けないはずがない。あの無数に湧き出てくる敵の中に、かつての仲間がいた、と考えるだけで胸糞悪くなってしまう。同時に、申し訳なさもあった。
だからこそ、終わらせなければならない。
モニターに映る怨敵、南方棲戦姫を沈める事で、この戦いを終わらせる。
願わくば、この手でケリをつけてやりたい。長門はぐっと拳を握りしめた。その様子を横目で凪がそっと見守っていた。
指揮艦を出撃した艦隊は以下のもの。
第一水上打撃部隊、長門、陸奥、扶桑、山城、高雄、愛宕。
第二水上打撃部隊、金剛、比叡、榛名、霧島、摩耶、鳥海。
第三水上打撃部隊、伊勢、日向、妙高、那智、足柄、羽黒。
第一航空戦隊、赤城、加賀、千歳改二、千代田改二、吹雪、綾波。
第二航空戦隊、蒼龍、飛龍、龍驤、祥鳳、白露、朝潮。
第一水雷戦隊、古鷹、加古、球磨、多摩、時雨、村雨。
第二水雷戦隊、青葉、最上、川内、長良、白雪、深雪。
合計するとなんと四十二人もの艦娘が航行しているのだ。逆にいえば、これだけの艦娘を保有していながら、この時のためにとっておいたともいえる。全ては南方棲戦姫を撃沈させるため、先程までの戦いに助力を送らなかったのだ。
すぐさま偵察機が放たれ、敵戦力の動きを確認する。その結果は、数分後に明らかとなった。
何と先兵として鬼と姫が前へと出てきたのだ。
人型は白髪のポニーテール、セーラー服らしきものを着込み、足から下は魔物のような艤装と繋がっている。魔物の上あごはまるで鮫のように先端が鋭利に尖り、見方を変えればそれは飛行甲板のようにも見える。
鋭く曲がった爪が生えた両腕を備え、両肩には単装砲が二基積みあがって装備している
かの敵は装甲空母鬼と呼称される存在だ。
周囲には空母ヲ級フラグシップ、空母ヲ級エリート、軽母ヌ級エリートという航空戦隊を編成している。護衛には駆逐ニ級エリートや駆逐ハ級エリートが複数配置されていた。
そして姫級は、装甲空母姫と呼ばれるものだ。
人型としては装甲空母鬼と似ているが、こちらはセーラー服はない。南方棲戦姫と同じく素っ裸に近しい。深海棲艦は姫になると裸になるという決まりがあるのだろうか。
だがこちらも魔物のような艤装が存在し、それに少し腰掛けているかのようだ。二つの口が左右に伸び、上あごはやはり飛行甲板のように平らになっている。
周りに単装砲がいくつか生え、周囲を囲むように複数の小さな護衛要塞のような球体が飛行しているようだ。
彼女の周囲には戦艦タ級フラグシップ、空母ヲ級フラグシップ、重巡リ級フラグシップ、そして無数の護衛要塞が護衛している。
南方棲戦姫を守る最後の先兵というだけあって、その顔ぶれは強力な個体ばかり。むしろ、この艦隊が主力艦隊といってもいい程のものだった。
『これが最後の前座だろう。さあ、殲滅するんだ。僕の後輩達に、情けない姿を見せるんじゃないよ』
「はい。では皆さん、用意はいい?」
『はい!!』
「攻撃、開始!!」
赤城の命により攻撃が開始された。空母は艦載機を発艦させ、戦艦や重巡達は射程内へと入れるために更に前へ。敵も装甲空母鬼と装甲空母姫、ヲ級フラグシップをはじめとする空母達が次々と艦載機を出撃させた。
その数は圧巻と言っていいだろう。まるで空を埋め尽くさんとするばかりの無数の艦載機。遠くで見れば鳥の群れというより虫の群れに見えかねないほどのものが、黒雲を作りあげるかのように飛び立っているのだ。
それらがお互い射程内に入ると、艦戦がドックファイトを開始。あちこちで爆発が起き、犠牲となった艦載機が錐もみ回転しながら海へと落ちていく。
そんな中を抜けきった艦載機が次々と攻撃態勢へ移行。対空砲撃を掻い潜って攻撃してくる。
「全砲門、開けッ!」
射程内に入った戦艦達が一斉に砲撃開始。続くように数隻のタ級フラグシップと、装甲空母鬼、装甲空母姫が砲撃を開始する。装甲空母と名がついているが、その艤装には主砲が存在しているため、砲撃戦にも参加できるのだ。
砲撃戦が始まったが、戦艦の数でいえば艦娘側の方が多い。
また主砲の砲門数でいっても有利だったため、着弾数は艦娘側の方が多い。艦載機の攻撃も含めれば、どちらが優勢なのか一目でわかる。
その戦いの様子を、手出しせずにじっとヨ級フラグシップをはじめとする潜水艦が見守っていた。相変わらず人間の耳には何を言っているのかわからない言葉で、南方棲戦姫へと報告している。
「フン、ナカナカ壮観デハナイカ。ヨホド艦隊決戦ニ自信ガアルト見エル」
遠くで起こっている戦いに目を細めながら、南方棲戦姫は優雅に微笑んでいる。
護衛要塞を椅子として利用しながら、その時を待っているのだ。
「ヨウヤク出テキタノダ。前座クライ楽シムトイイ……、ソレガ最後ノ戦闘トナルダロウカラナ。――サア、行クガイイ。配置ニツキ、ソノ時ヲ待チナサイ」
指示を受け、潜水艦達が移動を開始する。それを見送った南方棲戦姫は文字通り座して待つ。今まで出てこなかった指揮艦の艦娘達はいい気になっている事だろう。いや、いい気になっているのは彼女達の提督だろうか?
あそこまで育てた自分達の艦娘の力をこれでもか、と装甲空母姫達に見せつけているのだ。その勢いを殺さないままに、自分を撃沈させる心づもりだろう。
だが、ぬるい。
そんな思い通りに戦いが上手くいくはずもない。
それを思い知らせてやろうではないか。
四か月前に同じ道を辿ったあの提督達のように。
まさしく蹂躙といっていいものだった。越智提督が前座と言い切った理由もわかる。
だが先ほどの凪や東地の時とは違い、出している戦力の差もあるだろう。それでもその戦いは最初から最後まで艦娘の優位に立っていた。
空母の艦載機が絶えず発艦して航空攻撃を行い、距離を詰めた戦艦と重巡の砲撃が飛び交う。多少の被弾など気にもせず、攻撃によって押し切ってしまったのだ。
なるほど、ああいうものを見せられては大型艦信者になるのも頷ける。
小型より中型、中型より大型。大型艦による強力な攻撃で強引にまかり通り、大型艦らしい強固な装甲によって攻撃を耐えきる。
力こそ正義。
まさしくそれを信じ、育成した結果がそこにあった。
今頃越智は艦橋に踏ん反り返ってにんまりとしながら、優雅に髪をかき上げている事だろう。その光景が容易に頭に浮かぶようだ。
だが何故だろう。
凪はじわりと痛みを感じていた。こういう時、碌なことがないのだということを凪は知っている。
不安やストレスを感じた時にも胃が痛むが、今は緊張した時のような胸のざわめき、気持ち悪さを感じている。きゅっと胸が締め付けられるかのような感覚だ。
それを感じると、何か良くない事が起きるのだと凪は感じる。それは先程の南方棲戦鬼の変化前にも感じていた。だが、あの時よりも強い不快感を凪は味わっている。
「……茂樹」
「おい、すんげぇ顔色悪いぞ、凪。大丈夫か?」
モニターに映っている東地が心配そうな表情を浮かべている。隣にいる長門も「大丈夫か、提督。医務室にいくか?」と介抱してくれている。その中で、凪は「……奴ら、動くぞ」と呟いた。
「人ってのは、勝ってる時ほど調子づく。あの越智なら、間違いなくそうなる。……その分、叩き落されれば脆い。あの戦姫、それを狙っている……」
「あ、ああ、確かにそうなるだろうな。でも、タイミングが分からねえだろう」
「…………んく、ふぅ……奴らにとって撃沈される事は何も怖い事はない。だからこそ、戦力を潜水艦に偵察させている可能性がある」
大淀が水を持ってきてくれたので、途中それを飲みながら凪は説明する。
「どういうことだ? 潜水艦は水雷組が撃沈しているはず。……って、そうか。ここは洋上。周りに島も何もねえ……」
「艦娘達が通るルート、索敵範囲外を通って、潜水艦が偵察に来ている可能性が否定できない。俺達から、戦力がどれだけ出ているのかを探っている。結果、南方棲鬼の前にはずらりと潜水艦隊が待ち構えていた。それによって茂樹の三水戦は足止めを食らい、一時的な窮地に陥った」
あのおかしいくらいの潜水艦の数。あそこで金剛達を沈めるのだ、という意図も感じただろうが、三水戦という戦力をあそこに留めておくという意図もあっただろう。だから二隊で南方棲鬼と当たる事になった。
水上艦ならば、容赦なく蹂躙されるという事が分かっているため、このような配置をしたのではないかと凪は指摘した。それは今、まさにあそこで起きている出来事でもある。
装甲空母鬼と装甲空母姫率いる艦隊でも、前座にしかならない程の蹂躙。ならば、南方棲戦姫がとる行動は容易に思いつく。
「前座には俺達の持つ艦隊が出た。その光景も見ていただろうさ……二隻の指揮艦から出た艦娘を」
そこまで言えば東地にも何となく見えてくる。冷や汗をかきながら頭を押さえ、「……そして今、三隻目から主力が出た」と絞り出すように言う。
「ところが、その主力は対潜水艦の戦力は少ない。大型艦が揃った艦隊決戦の部隊。……潜水艦にとってこれ以上ないカモ。その情報は間違いなく、あっちに伝わっている」
「ってことは、南方棲戦姫の周辺には……!」
「南方棲鬼の時と同じさ。多数の潜水艦が円陣組んでお待ちかねだろうよ……」
その戦場に今、赤城率いる艦隊が入場する。あまり被害がない状態での南方棲戦姫との対面。それは普通ならばまだ勝利に希望があるものだ。これだけの戦力を整えているのだ。敗北などそんなに想定するものではない。
迫ってくる艦載機を出迎えるように、南方棲戦姫やヲ級フラグシップ、ヌ級エリートから順次発艦する。交戦を始める艦載機を気にすることなく、南方棲戦姫は目を細めて笑みを浮かべた。
「歓迎シヨウ、艦娘ドモ……ココガ、貴様達ノ死出ノ旅ノ終ワリヨ」
「死出の旅? どういうこと?」
「言葉通リノ意味ヨ。ゴ苦労、ト言ッテアゲヨウ。貴様達ハ、ココデ沈ムノヨ。死ガワカッテイル出撃ホド、無為ナ戦イトイウモノハナイ。……同情スルワ、赤城。貴様ノ提督ノ慢心ニヨリ、貴様達ハ沈ムノダカラ」
降り注ぐ艦爆の攻撃を涼しい顔でやり過ごしながら、南方棲戦姫は不敵に笑うのだ。すっと赤城を指さす腕から生える砲が、対空迎撃を軽々とこなす。それを逃れた爆弾がその身に着弾しようとも、強力な深海棲艦が持ちうる赤いオーラの膜が威力を軽減している。
『それ以上の戯言を許すんじゃない。撃て! 沈めるんだ!』
越智提督の命に従い、戦艦達が砲撃を開始する。激しい撃ち合いの中でも、南方棲戦姫はゆるりと動きながら語り続ける。その異様な艤装から生える三連装砲が唸りながら。
「ヤレヤレ、愚カナ……何モ気ヅカナイナンテネ。ナラバ、見届ケルガイイ、人間。自ラ送リ出シタ艦娘ドモガ沈ミユク光景ヲネ」
不意に、強い爆発と大きな水柱が発生した。次いで聞こえる女性の悲鳴。見れば、扶桑が大打撃を受けていた。続いて高雄、愛宕と被弾した艦娘の悲鳴が響き渡る。
「な、なに!?」
突然の出来事に誰もが困惑していた。だが扶桑達とは反対側、青葉達水雷戦隊側からも被害が発生した。川内、深雪と魚雷が直撃し、大きなダメージを与えていくのだ。
見れば、次々と魚雷が迫ってきているのがわかった。だが、その方向には誰もいない。それが意味するのは、潜水艦が潜んでいるという事。
「そんな、何の反応も……!」
「長距離雷撃……貴様ラ艦娘トハ違ウノヨ……。例エ近クニイヨウトモ、果タシテ貴様達ニ何ガ出来ル? 潜水艦ヲ相手ニスル、ロクナ水雷戦隊ヲ連レテコナカッタ、貴様達ニ……!」
混乱は焦りを生み、焦りは動きを鈍くする。すぐさま長良や球磨が指示を出し、潜水艦の位置を探ったが、そんな時間を与える深海棲艦ではない。護衛要塞が接近し、砲撃を行ってくるのだ。
だが、それを庇うように重巡や戦艦が前に出、砲弾を受け止めて反撃。少しでも護衛要塞を撃沈していく。その間に対潜攻撃を行うが、それを掻い潜って潜水艦は次弾装填。次の魚雷を撃ちこんできた。
その様子を見ている南方棲戦姫は軽く上空を見回す。恐らく越智達が見ているだろうという推測をして。
「見テイルカ、人間。コレガ貴様ノゴ自慢ノ艦隊ノ終焉ヨ。マタ、コノ海ノ底ニ艦娘ガ沈ンデイク。素晴ラシイ事ダ。我ラノ勝利ノ証ガマタ増エルノダカラ」
『ぐ、こんな、こんなバカな事がぁ……! 早く、早く沈めるんだ!』
歯噛みしながら越智が通信で指示を出す。撤退ではなく、戦闘続行。それはあの日の出来事と同じだった。
瓦解する艦隊の中で、艦娘達は最期の時まで抵抗を続ける。
南方棲戦姫はそれを見ながら笑みを浮かべるのだが、同時に歴史が繰り返されるのだと冷めた心を持っていた。
絶対的な数と戦力を前に、崩れ去る艦隊。抵抗は意味を持たず、出来る事は死期を伸ばす事だけ。飛来する弾丸と魚雷、そして艦載機の群れ。その中心に自分はいる。
なまじ装甲が分厚いために、被弾し続ける時間は長い。それはすなわち、苦しみの時間が長引いているということだ。
片道切符を手に、祖国を離れた死出の旅。同行した艦の名前も姿もわからない。覚えているのは襲い来る敵と、自身の出来事。そして、自身と比べたとある戦艦の事だ。
「……フフ、苦シミ続ケナサイ。ソレガヨリ強イ負ノ感情ヲ作リアゲ、貴様達ハヨリ良イ深海ノ者トナルノダカラ。サア、モット苦痛ヲ味ワエ……ソウ、ソコニイル、長門ォ!」
南方棲戦姫が視線を巡らせ、長門の姿を確認した瞬間、砲門が唸りを上げる。放たれた弾丸は、回避行動をとっていた長門へと一発着弾し、その服を吹き飛ばした。
だがそれでも小破で留まっている。高い練度がもたらした強靭な体がそれに耐えたのだ。それを見た南方棲戦姫は薄らと笑みを浮かべた。
「ソレデイイ、長門。貴様ハ、タダデハ沈マセナイ。存分ニ苦シミナガラ沈ンデイケ」
「どういうことだ? 何故私に対して……!」
「ソレハ、貴様ガ長門ダカラヨ!」
それは蹂躙と言えるものだった。
そして同時に、立場が逆転したともいえる。
先程まで艦娘側がしていたこと。赤城率いる艦隊が装甲空母姫らを相手にしてきた事を、南方棲戦姫が彼女達にしているだけの事だった。
潜水艦という手出しされないものからの攻撃と、南方棲戦姫が呼び寄せる数にものを言わせた暴力。狩るものと狩られるもの、それらがはっきりと分かれた戦場。
越智提督はそれを見ている事しか出来ない。南方棲戦姫があえて残した偵察機から送られてくるものを、喚きながら見ているだけだ。
悲鳴を上げて沈んでいく艦娘達。何とかその凶弾を逃げる事が出来ても、それは嬲られる時間が伸びただけ。それを南方棲戦姫は愉悦にまみれた笑みで見届けるのだ。
「滑稽ネ、実ニ滑稽ダワ。普段勝利ノ喜ビニ彩ラレタ顔カラ、死ヲ恐レタモノヘト変ワッテイクノハネ……!」
足を撃ち抜き、長門の体を踏みつけながら南方棲戦姫はじっと彼女の顔を見下ろす。傷口を踏まれて苦悶の顔を浮かべる彼女の顔をじっと見つめ、南方棲戦姫は小さく鼻を鳴らす。
「……ダトイウノニ、流石ト言ウベキナノカシラ……。折レヌノネ、長門」
「当然、だ……私は戦艦長門。その最期の時まで、私は私で在り続ける……! お前達などに、情けない顔を見せるわけにはいかないのだ!」
「……腹立タシイ。見事ト褒メタイ気持チモウッスラトアルケド、デモ、ソレ以上ニ憎ラシイ。サラバダ、長門」
至近距離から重巡砲を撃ち抜き、長門の体が海の底へと消えていく。足から彼女の体が消え、沈んでいく姿を見送った南方棲戦姫は、接近してくる新たな気配を感じ取る。
まだ生き残りは何人かいる。
だがその奥に、新たな艦娘達が接近してきているのだ。
どれもがこの艦娘達よりもレベルが低い。しかし明らかに違う気配が多く混じっている。左右へと展開していく艦娘達は水雷戦隊。南方棲戦姫と当たる前に、やるべき事があるとわかっているのだ。
続いて迫ってきたのは新たなる艦載機。無数の翼が頭上へと迫りくる中、南方棲戦姫はある一点を見据える。
それは、先程自分が沈めた存在。でも、見た目こそ似てはいても、それは別の存在。
根本は同じでも、生れ落ちた場所が違うもの。
そうか、まだいたのか。
南方棲戦姫は、知らず笑みを浮かべる。しかもあれは以前感じたものとよく似ているものではないか。もしかすると、あの戦場にいたものではないか?
はやる気持ちを抑えて、南方棲戦姫はついつい彼女に向けて問いかけてしまった。
「ソコノ長門――前ニ逢ッタコトガアルカシラ?」
「ほう、覚えていてくれたのか。ありがたいな、南方棲戦姫。嬉しさのあまり、その憎たらしい顔を殴り飛ばしてしまいそうだ」
彼女は佐世保ではなく呉鎮守府より出陣した長門。鼓舞するように指を鳴らして左手へと打ち付ける。気合十分な姿を見せながら笑みを浮かべれば、南方棲戦姫もまた歓喜に震えたではないか。ぞくりと底冷えする様な殺気が放たれ、目から放たれる赤い燐光が勢いを増して輝きを増した。
「奇遇ネ、長門……! 私モ嬉シサノアマリ、貴様に蹴リヲ入レテアゲタイトコロダワ。アノ時、逃ガシタ長門ナノダロウ? ソロモンデ仕留メ損ナッタ二人ノ艦娘ノ片割レ……、ソレガ長門ト聞イテ、屈辱デ数日眠レナカッタワ……! コノ私ガ、ヨリニモヨッテ長門ヲ逃ガスダナンテネ……!」
「ほう、よほど長門という存在が気に入らないと見える。どうしてそんなに私に執着する?」
「ソレハ貴様ガ『戦艦長門』デアルガ故ニ! 私ハ『戦艦長門』トイウ存在ヲ嫌悪スル……! 故ニ私ハ、艦娘ノ長門ニハ、絶対ニ負ケラレナイノダ! 貴様ハ、私ノ前カラ消シサッテヤル!」
湧き上がる怒りと憎しみにより、空気が、海が震える。立ち上る赤いオーラが風を生みだし、白いツインテールを勢いよくなびかせるのだ。その様子を見ながら長門は、南方棲戦姫という存在が何者であるか、大いに気になった。
戦艦長門という存在を嫌悪する戦艦が、はたしていただろうか。
だが今、そんなことをのんきに考えている暇はない。
既に多くの犠牲者が存在する。艦隊を展開し、砲撃戦を開始する。
その中で彼女達は向かい合い、第二の戦を告げる叫びを響かせる。
片や勢いよく右手を振り抜いて、片やそのどす黒い狂気を乗せたものを撃つための凶器を敵へと向けて。
「ならば私はそれに抗おう! お前に打ち勝ち、お前との因縁にケリをつけてやる!」
「来ルガイイ、長門! 貴様ヲ沈メ、マタ一ツ、私ノ兵器トシテノ箔ヲツケテヤル! ソウ、私ハ――敵ヲ沈メル兵器ナノダァッ!」
二人の強い意志を乗せた言葉と弾丸が、空を走り抜けた。