呉鎮守府より   作:流星彗

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南方棲戦姫2

 セピア色に染まった記憶だ。

 だが、彼女にとって、その記憶しか持たずに再びこの世で目覚めたという事でもあった。

 自分が一体何者なのか。

 それが彼女がこの世に復活した時に形成される第一要素。目覚めた時に見えたのは深い海の底の光景。沈んだ場所とは違っていたが、そこは多くの鉄が沈む場所であり、自分の仲間達が存在する場所だった。

 頭によぎったのは何故自分が沈んだのかという理由。

 

 そうだ、自分は二度と祖国へ帰らぬ旅に出たのだ。

 自分は、死ぬために出撃したのだ。

 

 なんと、無念な事だろうか。

 当時の日本において最高の造船技術、軍事技術を込めて作られた存在。その結果、有史において戦艦としては世界最大の排水量と主砲口径を持つものとして生まれ落ちた。

 きっと、それを用いて祖国を守り、敵を撃滅する兵器として活躍する事だろう。

 そう思っていたのに……なんと、なんと無念な事か。

 あまりにも切り札すぎてまともな戦いを経験することなく、そして国民達には秘匿され続けた。

 その結果、戦艦や兵器ではなくホテルとまで揶揄される始末。屈辱的な事この上ない。

 

 その最期は敵に情報を渡さないための散華。

 敵を撃滅する戦いではなく、敵に撃沈されるための出撃。まるで地獄の片道切符のように、帰還するための燃料を考えない補給での出撃だ。

 

 何故こうなったのか。

 まともに戦えない、戦う事が出来ない兵器に、何の意味があるというのか。

 自分は国を守るために生まれたのではないのか。

 このような結末になると言うならば、自分は何のために生まれたのか?

 

 その感情が、彼女を深海棲艦へと堕とす事となった。

 余分な記憶、余分な感情は全て切り捨てられた。かつて共に戦ったはずの仲間、共に死出の旅へと送られた仲間達の名前や姿は全て消えた。

 だが、一つ残ったものがあった。

 

 戦艦長門。

 

 その存在が、より彼女に憎悪というものを増幅させるものとなったのだ。それが彼女を形成する第二要素。

 秘匿され続けた自分と違い、国民に愛され続けた戦艦だ。妹がいるようだが、そんな事は彼女にとってはどうでもいい。世界のビッグセブンの一つであり、日本が誇る戦艦の一つとして名が知られた存在。その結果、終戦まで長門こそ日本が誇る戦艦なのだとまで国民に思われる始末。

 長門もまともな戦闘を経験していないというのに、自分と違って終戦までおめおめと生き延びていった。

 何故自分は死に、長門は生き延びたのか。

 自分と彼女の違いは何だと言うのか。

 その嫉妬心をはじめとする様々な負の感情を増幅させ、深海棲艦としての力を高めるエンジンとしたのだ。

 故に彼女は長門を嫌悪する。何としてでも長門を沈めるのだと闘争心をあらわにする。それが、彼女を生み出したものの意図通りだとしても。

 今回こそは、自分は兵器なのだという事を知らしめるのだ。

 兵器とは、主のために敵を殺すもの。

 敵とは何だ? それは、艦娘だ。

 艦娘どもを殺し、深海棲艦を増やしていくのだ。

 そして何としてでも長門という艦娘を殺しつくす。そうして自分は、長門よりも優れた存在であることを改めて示すのだ。

 

 もう自分は、ホテルなどと揶揄されるような存在ではない。

 かつての日本における最強の戦艦である事を、貴様達に思い出させてやろうではないか。

 

 

「沈メ、長門ォ! 鉄屑ト成リ果テ、私ノ目ノ前カラ消エウセルガイイ!」

 

 長門から飛来する弾丸を回避しながら、南方棲戦姫が砲撃する。重武装を両腕に装備しているが、左足のブースターブーツがエンジンを吹かし、回避行動をとっているのだ。

 その上で頭上に迫る艦載機も肩付近にある砲が迎撃を行っている。例え爆弾が投下されようとも、深海棲艦としてのオーラが威力を軽減し、抜かれたとしても傷を癒していく。

 なんだ、これは。

 こんな敵を、どう倒せばいいと言うのだ!?

 

「おい、聞こえてるか、越智!? さっさと正気に戻って、てめぇの艦隊に指示を出して纏め上げろや!」

 

 東地が声を荒げて越智のいる指揮艦へ怒鳴りつける。だが通信が開いているのかどうかわからない。応答がないのだ。舌打ちして大淀へ「発光信号! 応答しろ、と向こうの馬鹿野郎に送ってやれ!」と指示を出す。

 

「崩すにはリボンを破壊するしかないな。神通の報告によれば、あれが深海棲艦としての力を凝縮したものらしい。あれがある限り、傷が癒えていくみたいだぞ」

「馬鹿かよ……自動回復持ちのボスとか、どこのRPGのラスボスなんだよ」

「……だが、同時に自分の体の内部を傷つけるらしい。南方棲戦鬼が傷を癒し続けとったら、頭の痛みが発生し、口や目から血が流れ落ちたって話もある」

「へえ。つまり、長期戦になればそうなるかもしれないってか? ……馬鹿かよ。あれを相手に長期戦とか、こっちが死ぬわ……」

「せやな……。やはり勝ちの目を取るにはあれを何とかするしかない。空母達に何としても破壊してもらうように通達。あとはそれまで、潜水艦を止め続ける。今はそれしかあらへんな」

 

 そんな相談をする中、東地が送った大淀から「応答ありません……」と報告が来ると、「……これだからお坊ちゃんは……!」とまた何かを勢いよく蹴り飛ばした。

 

「もういい、あの馬鹿野郎はほっとけ! だが、艦娘達は見捨てられねぇ! 大淀さん! あの馬鹿の艦娘達へと通信繋いでくれ! これから、あの娘達を俺達の指揮下に入れる!」

「は、はい!」

 

 凪の言ったとおりだった。

 勝利に浮かれた者が叩き落されれば、脆いのだと。その浮かれ方がより高く、遠くなっていれば、叩き落される距離も長くなり、より強いダメージが精神に与えられる。高みに上るという事はそういうものなのだ。

 凪は胃薬を飲みながら、越智の艦娘達に同情する。完璧な艦隊決戦と謳い上げた艦隊に風穴を開けられ、多くの仲間を失った。まだ混乱している事だろう。だが、何とか持ち直してほしい。そして、共に戦ってほしい。

 東地が艦娘達へと通信を繋ぐ中、少しだけ回復した顔色でモニターを見上げた。

 

 

「そこじゃ、ヨ級フラグシップがいるぞ!」

「クマー! 爆雷投射クマー!」

 

 利根の索敵能力を生かし、球磨達が爆雷を投射して撃沈を図っていく。そこにいるのは神通達一水戦と、足柄を抜いた二水戦。そして阿武隈だ。足柄は砲雷撃戦に参加するために二水戦を離れ、長門達と合流していた。

 重巡は潜水艦相手には無力。ならば、戦闘が出来る長門達と合流したのだ。利根はその索敵能力の高さを生かし、隠れている潜水艦を探すために残っていた。

 東地の水雷戦隊もまた同様の采配を行っている。

 軽巡駆逐が潜水艦を潰しに回り、重巡は南方棲戦姫をはじめとする敵を相手にする。越智の艦娘達も指揮下に入ると、すぐさまそのように配置を変えた。

 結果、左右に軽巡駆逐が展開。中心の前面に重巡、その後ろに戦艦、そしてそのまた後ろに空母と護衛駆逐が配置。これを基本陣形として体勢が立て直された。また負傷者はその都度後方へと送られる事となった。

 

「さあ、準備が出来た子達から順次発艦させなさい。腕に自信のある人は、南方棲戦姫の頭部を狙って。それ以外は、少しでも多く護衛を落としなさい」

 

 空母達を纏め上げるのは、東地の秘書艦である加賀だった。越智の艦隊を纏めていた赤城達空母が沈んでしまったため、その役目を引き継いだのだ。間に合わなかった、という悔しさはあるが、それだけヨ級フラグシップらが行った奇襲による混乱が大きかったとも言える。

 また越智が一時後退ではなく、戦闘続行を指示したのも影響しているだろう。被害を拡大させないために退くのではなく、早く敵を沈めて終わらせるのだ、という思考が仇となった。

 

「次ハ加賀、カ……。イイ加減、目障リニナッテキタワネ。羽虫ガ……落チナサイ!」

 

 対空砲撃を行いながら迫ってくる重巡の砲撃をもやり過ごす。着弾しようともその装甲を完全に貫くことは出来ず、何かしたのか? とでも言うように首をかしげて見せた。

 だが魚雷まで迫ってくるとすっと目を細める。対空砲撃を行っていた砲の仰角を落とし、魚雷を迎撃し始めた。その隙をついて艦爆が爆弾を投下。リボン付近で爆発していくのだが、リボンを霧散させられない。

 でも効いていないわけではない。赤い粒子が宙に飛び散って消えているのだ。ダメージは通っている。

 

「無駄ナ足掻キヲ。ドレダケコイツラヲ沈メタトシテモ、我ラハ再ビ水底カラ蘇ルノヨ!」

 

 南方棲戦姫を中心に波紋が広がっていく。その波紋に呼応するように海の底から何かが反応し、波紋が周囲でいくつも発生していくのだ。

 そして奴らは再び浮上する。しかも奇襲を仕掛けるように、駆逐達が勢いよく飛び出し、喰らいついてくるのだ。南方棲戦鬼の時、金剛達にしたように歯をむき出しにし、その体へと。

 だが長門がその拳で殴り飛ばし、届かない所は副砲で迎撃。その隙をついてきたタ級フラグシップの砲撃を感知して回避し、反撃するように主砲を撃つ。

 

「撃て! どんどん撃てぇ! 長門さん達に砲撃を届かせるんじゃないわよ!」

 

 足柄や妙高をはじめとする重巡達が、再び浮上してきたタ級フラグシップやル級フラグシップを撃沈すべく、魚雷を装填して射出。重巡と言えどもフラグシップの戦艦を相手に砲撃を行ってもなかなかダメージは通らない。

 砲の性能や練度が足りない。それを感じ取ったが故に魚雷で沈める事を選択した。

 東地の下にいる重巡や、越智艦隊から合流した青葉、古鷹もまた同様だ。浮上してくる敵を再び水底へ送り返すために立ち回る。

 そんな彼女達の戦いがあってこそ、長門達戦艦は南方棲戦姫と戦える。

 

「Holy shit! どれだけ硬いんデスか、あれは!? 化け物デスか!?」

「お、お姉様、落ち着いてください! って、ひぇー!?」

 

 やかましい、とでも言いたげな南方棲戦姫の砲撃が比叡へと届き、その体が吹き飛んでしまった。「比叡!?」という金剛の叫びの中、比叡の服が吹き飛び、中破状態で着水する。

 だが南方棲戦姫の意識が金剛達へと向けられたことで、長門、山城、日向の砲撃チャンスが生まれた。三人の徹甲弾が放たれ、次々と南方棲戦姫へと着弾する。右腕の艤装、胸、そして頭部へと貫いた弾丸は彼女のオーラを突き抜けていく。

 まともに通ったか? と思われたそれは、しかしすぐに傷が塞がっていく。だが攻撃を受けた時に生まれた隙をついて、加賀が放った艦載機の攻撃が南方棲戦姫の右のリボンを完全に吹き飛ばした。

 

「――ッ、グ……! ナ、ニ……!?」

「……生まれた隙は見逃さない。戦いの基本よ。不利があろうとも、連携して戦えば勝利は掴み取れる。当然の事よ」

「言ウコトハ立派ネ、加賀……! 流石ハカツテノ日本ノ化ケ物、一航戦トイッタトコロ、カシラ……。ッ、クゥ……頭、ガ……!」

 

 頭を押さえようにも、両腕が物々しい艤装で覆われているためそれが出来ない。ただ苦悶の表情を浮かべて前かがみになってしまう。それもまた隙を晒している事に繋がる。加賀に続くべく、翔鶴と瑞鶴の艦攻や艦爆が攻撃を仕掛けていった。

 それは千歳や祥鳳という軽空母も同様であり、速急に戦いを終わらせるための集中攻撃であった。しかしそんな中で南方棲戦姫はじっと攻撃を耐え続ける。まるでかつての戦いのように、空母の放った艦載機の攻撃を受け続けた時のように。

 それがより彼女にとっての記憶を刺激し、同時に負の感情を刺激した。

 

「ァァァアアアアーーー!! ソレガ、ドウシタァ!? 私ハ、健在ダ……! 私ハ、モウ……ヤラレハシナイ……!」

 

 ぶわっと赤いオーラが球状に膨らみ、降り注ぐ攻撃を全て吹き飛ばした。目から放たれる赤い燐光が勢いを増し、彼女の怒りを如実に語る。左のリボンしかない深海棲艦のオーラの結晶だが、それでも彼女の脅威は完全に失われていない。

 その影響なのか、指揮艦との通信が不能となった。繋ごうとしてもノイズが走って不明瞭になっている。

 サイドテールとなった南方棲戦姫だが、そんな事など気にも留めずに勢いよく海を踏みつける。乱暴な呼びかけだが、それに呼応してまた深海棲艦が浮上する。

 

「鉄屑ハマダマダアル……! ソレトモ、貴様達ノ仲間モ呼ンダ方ガイイカ? ココハ私ノ領域、私ガ呼ベバアレラハ呼応スルゾ……!」

「やめろ!」

「イヤ、モウスデニ遅イカ。モシカスルト長門、前ノ戦イデ沈ンダモノガ混ジッテイルカモシレナイワネ?」

 

 その言葉に、ぴくりと長門が反応してしまった。それを見逃さず、南方棲戦姫が砲撃を加え、長門を中破に追い込んでしまった。「長門!?」と加賀が叫び、少し考えて一つの光を手に、矢を番えた。

 それを放ち、烈風となったそれは真っ直ぐに長門へと向かっていく。海上を滑りながら受け身を取り、体勢を立て直す長門へと烈風妖精が光の玉を長門へと投げつけた。それは一人の妖精となり、長門の艤装の中へと入り込んでいく。

 その様子を見ていた長門は何が来たのだろうかと、肩越しに加賀へと振り返った。

 

「持っておきなさい。どうやらあれはあなたに執着しているようだから」

「……なるほど。すまない、恩に着る」

 

 その妖精がなんであるか、妖精と繋がった事で把握した長門は小さく会釈する。一息ついて自身の被害状況を確かめる。艤装に関しては主砲が一基破損、ダメージとしては中破。だが戦えないわけではない。

 山城も日向もいる、東地や越智の艦娘もいる。まだ希望を捨てるものではない。

 

「主砲、てぇーー!」

「瑞雲も参戦しろ。発艦!」

 

 側面に回り込みながら山城が砲撃し、日向も航空戦に瑞雲を参加させる。瑞雲では微々たるダメージにしかならないだろうが、それでも爆弾を投下する戦力は多いに越したことはない。

 南方棲戦姫に山城の弾丸が着弾し、爆ぜる。右側のオーラが失われた事で、右側の防御力が薄くなっている。山城はそこを見逃さなかった。

 

「調子ニ乗ルナ……欠陥戦艦ガァッ!」

「……突然の罵倒、不幸だわ……。でも、それがどうしたってのよ! もう一度欠陥戦艦とか言ってみなさいよ! どんどん徹甲弾ぶち込むわよッ!!」

 

 やってはいけない指の形をしながら次弾装填を急がせる。青筋を立てる山城に苦笑しながら、日向が山城の装填時間で南方棲戦姫へと攻撃を加えていった。

 それを止めるべく護衛要塞が隊列を組んで浮上、魚雷を一斉に発射した。主砲は使えない。副砲や機銃で魚雷を誘爆させながら退避する。やはりというべきかこの無限ループにも近い、深海棲艦の復活がネックだろう。どれだけ沈めても奴らは何度でも蘇る。その肉壁を打ち破るたびに弾薬を消費してしまうため、少しずつ攻撃の威力が低下していくのだ。

 はやく、はやくその力を奪わなければならない。

 

「負ケラレナイ、絶対ニ、私ハ、貴様ヨリモ優レタ存在デアルコトヲ、証明スルノダ!」

「お前……どうして、そこまで……誰だ、お前は誰なんだ!?」

「察セラレナイ、所詮長門、貴様ニトッテ私トハ、ソノ程度ノ存在トイウワケ」

「違う! お前達深海棲艦というものが、私達にはまだ全てを理解できていない! だからお前が何者なのか、私にはそれに思い至れる情報がないのだ!」

「……ソウ、ナラバ教エテアゲマショウカ。私ガ何者ダッタノカ。私ハ――」

 

 艤装の目が怪しく赤く輝きだす。彼女の怒りに呼応するように呻き声をあげ、機械が軋むような音を立てる。ガシャン、と戦艦主砲が動き、砲門がぎろりと長門を睨むように照準を合わせた。

 

「――日本ノ技術ノ結晶、戦艦大和ッ!! 死出ノ旅ノ果テ、深海ヨリ舞イ戻ッタ! 貴様ラ艦娘ドモヲ、戦艦長門ヲ沈メルタメニ!」

 

 憤怒の叫びと共に轟音が空を切り裂く。長門に届くはずだったそれは、横から引っ張った比叡によって外された。少し呆然としていた長門は、比叡に礼を言うべく口を開こうとするが、それより早く口を開いた者がいた。

 

「Oh my god!? Youが大和ですって!? Holy shit! なんの冗談デース!?」

 

 びしっと南方棲戦姫へと指さしながら金剛が叫ぶ。南方棲戦姫はうるさそうに「冗談? 冗談デコンナコトガ言エルトデモ?」と逆に問う。だが金剛は譲らないようだった。

 

「大和ならば同じ国の戦艦である長門を強く憎むはずがないデース! 何らかの間違いデス! もし本当にそうなってしまったと言うならば、Crazyな現実デス……! Fu○king、深海棲艦ッ! ワタシは絶対に大和をそんな風にしやがった深海棲艦を許しまセーン!!」

「お、お姉様、落ち着いてください! 言っちゃいけない言葉、使っちゃってますよ!」

「これが落ち着いていられるってんデスか比叡! あの大和をこんな、こんな姿にしやがったんデスよ!? Oh my god! マジでFu○kingデスよ!!」

 

 キィー! と金剛が唸り声を上げて比叡の体を揺さぶる。周りが戦闘状態のままだというのに、南方棲戦姫を指さしながらこの現実を受け入れがたいと嘆いている。そのせいか、何やら普通の金剛ならばやらないような言葉づかいになってしまっていた。

 これはある意味東地のキレた時のような、粗暴な言葉づかいの影響と言えよう。

 そして長門はというと、目の前にいるのがかの大和のなれの果てと知り、深いため息をつきながら立ち上がる。その目も敵を睨むようなものではなく、まるで深い悲しみを抱いているかのようなものになっていた。

 

「……何カシラ、長門。ソノ目ハ? 哀レンデイルツモリカシラ?」

「……そうだな。お前がそうなってしまった運命を哀れんでいる。お前が大和ならば、あそこにいる初霜や霞、そして向こうにいる雪風を覚えているものと思ったが、そうではないのだな?」

「初霜? 霞? ……雪風……? …………サテ、知ラナイワネ。貴様ノ言葉カラスレバ、私ニ縁アル存在ナノダロウケド、生憎ネ。私ノ記憶ニハ存在シナイワ」

 

 深海棲艦として蘇ったことで、失われた記憶。

 艦娘としての敵対勢力の情報は、深海側の情報共有で行われるが、深海棲艦になる前に縁がある艦の存在は知識にはない。だから彼女達、坊ノ岬沖海戦において大和と同行した艦についての情報も、南方棲戦姫には存在しない。

 その事が、長門には哀れに思えた。

 艦娘と同じく艦から生まれたと思われる深海棲艦。だが艦娘は艦としての記憶のほとんどを引き継いで生れ落ち、深海棲艦は負の部分を抽出して生れ落ちたとでもいうのだろうか。

 それは、とても悲しい事だ。

 沈んだのは確かに悲しい事だ。でも、だからといってそればかりを記憶にとどめて生まれ変わるなど、哀れでしかない。

 

「――南方棲戦姫、お前の願いは何だ?」

「言ッタハズヨ、長門。貴様ヲ沈メル。ソウスルコトデ、私ハ兵器トシテ、戦艦トシテノ立場ヲ取リ戻ス……! 私達ハ、貴様達ハ所詮兵器! 敵ヲ沈メル兵器ナノヨッ! ナラバ、殺シアウ運命ニアル! ソレカラ逃レラレルコトハナイ! 言葉ヲ交ワス時間ハコレデ終ワリヨ!」 

 

 装填し終えた砲を長門へと向け、南方棲戦姫は再び告げる。怨嗟にまみれた瞳の奥には、確固たる意志が存在している。

 自分達は兵器。否定する事など出来ない確かな現実。

 その運命は敵を滅ぼす武器であるが故に、壊れるまで戦い続けるだけ。

 

「主砲ヲ構エロ、長門ッ! 死ヌナラバ、戦イノ中デ死ネ! ソレガ、兵器トシテノ理想的ナ最期トイウモノデショウ!?」

「そうだな。それは否定しない、南方棲戦姫。私も、戦いの中で死ねるとするならば、それは本望ではある。だがな、一つ反論させてもらおう――」

 

 南方棲戦姫の言通り、主砲が南方棲戦姫へと照準を合わせ、砲撃体勢に入る。中破によって服がボロボロになろうとも、長門の目は死んでいない。先程まであった悲しみを含んだ瞳はなくなり、戦う者としての強い戦意が宿っていた。

 

「――私もいずれは戦いの中で死ぬだろう。だがそれは、今日じゃないッ!」

「ホザケ、長門ォ!!」

 

 砲撃は同時だった。睨みあう二人の纏う空気に誰も手出しが出来なかった中、二人の砲撃が戦闘再開を告げる狼煙となる。お互い放った弾丸はそれぞれ二発ずつ着弾した。

 南方棲戦姫へはリボンと胸。リボンの羽根が一つ飛び散る程のダメージとなり、また深海棲艦としての力が大きく減少した。それだけでなく、南方棲戦鬼と同じく、頭に強い痛みを引き起こし、左目から血涙を流し始める。

 長門へは右肩に腹と着弾し、大きな爆発を引き起こした。それによって右腕が吹き飛び、腹にも大きな火傷の痕が刻まれる。どう見ても大破状態であり、これ以上の戦闘続行は危険と判断出来るものだった。

 

「長門さん!? それ以上は危険です、後方へ下がってください!」

 

 近くにいた妙高が思わず叫び、介抱へと向かった。金剛と比叡も長門を庇うように前へと出、援護射撃を行う。だが同じように南方棲戦姫を守るべくタ級フラグシップが二隻出現し、金剛と比叡を止めにかかる。

 その護衛を振り切り、長門を沈めるべく南方棲戦姫が回り込みながら次弾装填を行う。それだけでなく魚雷を構築し、「トドメダ、長門……!」と宣告しながら長門へと投げつけた。

 高速で長門へと迫る魚雷。まず間違いなく直撃コースだった。

 

「ソノ魚雷ガ、貴様ノ死ヲ告ゲル死神ヨ……! フ、フフ……アッハハハハハハァァァ!!」

「――それは、雪風がゆるしません!!」

 

 突然入り込んだ幼い声、それが長門へと向かっていく魚雷を撃ち抜き、爆発させた。更に白煙が広がっていき、長門と妙高の姿を隠していく。その出来事に南方棲戦姫が混乱し、「ナ、ナニ……?」と思わず動きを止めてしまった。

 その数秒の時間が、南方棲戦姫の命運を分けた。

 

「魚雷装填、よく狙い、撃て!」

 

 静かな指示に従い、彼女達は一斉に魚雷を発射する。潜水艦の処理を終え、今やっと主戦場へと合流を果たした一水戦だ。十を超える魚雷に襲われ、次々と爆ぜるその攻撃に、バランスを崩して右に傾き始める南方棲戦姫。

 何とか転倒する事を耐えるも、そこにいる一水戦の面々に歯噛みする。特に神通という存在は南方棲戦姫にとって屈辱の片割れだった。

 

「神通……アノ時逃ガシタ神通カ……!」

「ええ。長門さんがそうであるように、私もまたあなたには借りがあります。一撃くらいは、と当てさせていただきました。あとは、彼女に譲りましょう」

「ナニ……?」

 

 刹那、白煙を切り裂いて弾丸が飛来した。それは膝立している南方棲戦姫の頭部を撃ち抜き、リボンを完全に霧散させた。凝縮された深海棲艦としての力が失われ、そして南方棲戦鬼がそうであるように、南方棲戦姫もまた悲鳴を上げた。

 そして彼女は白煙の中から飛び出してきた。副砲の照準を合わせ、次々と南方棲戦姫へと撃ち込みながら距離を詰め、勢いをつけて右拳を振り抜く。

 

「ふんッ!」

 

 それは南方棲戦姫の頬を打ち抜き、彼女を海面に叩きつける。最初に言葉を交わした通り、その憎たらしい顔を殴り飛ばしてやったのだ。

 頭の痛みに加えて頬の痛みを感じながら、南方棲戦姫は長門を見上げる。

 先程沈めた長門とは逆の立場だ。

 あの長門よりも弱い、呉鎮守府の長門に自分は倒れ伏し、見下されている。力の大部分を失った事で沈んだ仲間達を呼び出せない。傷の回復も出来ない。

 傷の回復……?

 よく見れば、長門が失ったはずの右腕がある。ボロボロになったはずの服も直り、破損したはずの艤装も修理されている。一体何があったというのだ?

 

「……加賀、トラック提督には感謝せねばならないな。あの時送られたものがなければ、もしかしたら私は沈んでいただろうよ」

 

 妙高によって繋ぎ止められていたが、長門はあれ以上攻撃を受ければ轟沈していた。それだけダメージを受けていたのだが、それによって効果を発揮したものがあった。

 応急修理女神。

 いわゆるダメコンというもので、破損した箇所を修理して戦闘続行を可能とする妖精だ。この応急修理女神というものはとんでもない妖精であり、バケツを使用したかのように破損した部分を完全に修復し、それだけでなく燃料弾薬も完全回復というとんでもない回復をこなしてしまう。

 だがその分貴重な妖精であり、生み出すのはなかなか難しいそうだ。

 その恩恵を受けた長門は、失われた右腕が再生し、艤装も完全修復しただけでなく燃料弾薬も回復。それによって南方棲戦姫に強いダメージを与える事が出来たのだ。

 

「……私達の勝ちだ」

「……ハッ、ハハハ……負ケ? 私ノ、負ケダト……? コンナ、コンナ艦隊ニ……、有利ニ立ッテイタハズノ、私達ガ……!」

 

 怒りか悔しさによって体を震わせる南方棲戦姫。だが艤装は負けを認めていないのか、唸り声を上げながら砲を動かしていた。それに目ざとく気付いた神通が魚雷を投げつけ、右腕の艤装を黙らせた。

 反対側の艤装も金剛が副砲で撃ち抜き、破損させる。赤いオーラという防壁が失われれば、副砲であろうともダメージが通ってしまっている。

 抵抗も無意味。その状況に、南方棲戦姫は完全に敗北を認めざるを得なかった。呻き声を上げていた艤装は、まるで悲鳴のような声を上げながら崩れ落ちていく。それだけでなく、南方棲戦姫の体の傷から絶えず血が流れ落ち、その身もまた細かい破片となって崩れ落ちはじめた。

 

「な、なんだ……それは……?」

「……代償、ヨ。アノ力ハ、深海側トシテモ実験ノ最中。強イ再生力ナドノ効果ヲモタラス代ワリニ、細胞ノ死ヲ早メル……。トハイエ、死ヲ恐レヌ我ラニトッテ、ソンナ代償ハアッテナイヨウナモノダケド……」

 

 答えながら南方棲戦姫の体は次第に沈み始めた。艤装は黒い肉体と砲が分離し始め、次々と深い海の底へと沈んでいく。白髪のロングヘアーとなった南方棲戦姫もまた、艤装の後を追うように、倒れ伏しながらゆっくりと沈んでいく。

 その様子を長門は複雑な心境で見下ろしていた。そんな長門に、南方棲戦姫は小さく笑みを浮かべる。

 

「ナンダ、ソノ顔ハ? 勝者ガスルヨウナ顔デハナイワネ?」

「……最初こそ、お前を必ず沈めるのだ、と考えていたのだがな。お前があの大和だというならば、複雑にもなるだろう。本当のお前がどう思っていたのかは知らないが、私にとって少なくとも大和という存在は、誇りある戦艦の仲間であると認識しているのだから」

「……フン、誇リダノナンダノ、ソンナ綺麗ナ言葉ハ、我ラニハ意味ヲ持タナイ。我ラニトッテ、意味ノアルコトハ、我ラノ敵ヲ全テ沈メル事……。誇リダノ信念ダノ、ソシテ仲間トイウ言葉モマタ意味ハナイノヨ」

「では何故貴様は、兵器としての自分に拘った? 少なくともお前は、兵器で在ろうとしたのだろう? それは兵器としての誇りがあったからじゃないのか? ホテルと揶揄される自分が許せない。兵器としての、世界に誇れる戦艦としての自分を示すために、私という存在を嫌悪し、沈めるのだと意気込んだのではないのか? ……戦艦の矜持がお前の中に確かにあったんじゃないのか!?」

「――――」

 

 長門の言葉に、南方棲戦姫は沈黙し、目を開く。呆然としたその表情に、怒りや恨みという感情は存在していなかった。震える瞳が、そっと長門を見上げる。相変わらずそこには複雑な眼差しをしている長門がじっと見下ろしていた。

 だがその顔はどんどん遠くなる。

 その顔が潤み始めた。涙が浮かんだからではない。気づけば自分はまた海の中へと入っていた。だが長門に触れようと知らず手を伸ばしている。艤装は南方棲戦姫の体から離れようとしていた。

 

(――ソウ、カ。私ニモ、アッタノカ……誇リ、トイウモノガ……)

 

 何度も口にしていた言葉に、戦艦としての意地が、誇りが含んでいた事に彼女は気づいていなかった。それだけ彼女の感情は怒りと憎しみにまみれていたから。

 それが敗北によって取り払われた今、じんわりとその心に染み込んでいた。だがその心を宿す肉体はどんどん崩れていく。まるで壊れた船の残骸のように、細かな破片が海の底へとばらばらになって落ちていく。沈みゆく中で南方棲戦姫は、それでも届かない海上へと手を伸ばし続ける。

 

(戦イ……私ハ、マダ……戦イノ中ニ……。イヤ、ソレハ間モナク叶ウ……。我ラハ不滅……再ビ私ハ、深海棲艦卜シテ蘇ルハズ……)

 

 だがどうしてだろうか。あの時のようなどす黒い感情がほとんどない。まるで落ち着いた気持ちの中で彼女の意識が薄れ始めているのだ。

 光が差し込んだ。小さな光だ。それは長門の回復した右手に殴られた頬へと差し込み、小さな光の粒子となって舞い上がっていく。

 頬には熱がこもっていた。冷たくなっていく体、冷たい海の中で、その熱がじんわりと自己主張している。

 

(ソウ、ワタシモ、ワタシモ……モウ一度、ヨミガエル……。他ノ奴ラノヨウニ……次コソ、負ケテナルモノカ……長門……)

 

 再び深海棲艦として蘇り、長門と再戦するのだと願いながら、南方棲戦姫は完全に崩れ落ちた。

 だがその体から離れた小さな粒子は、南方棲戦姫と分離した一つの艤装へと集まって行き、浮上していく。

 南方棲戦姫が沈みきり、撤退しようとした長門だったが、静かに浮上してきたそれに気づいて振り返った。

 

「これは……」

 

 それは主砲だった。戦艦主砲である三連装砲。だがどういうわけか魔物の艤装ではなく、完全にむき出しとなっている兵器としての三連装砲である。そっと手を伸ばしても、深海棲艦特有の負の力は感じられない。

 辺りを見回しても南方棲戦姫から離れたと思われる艤装や、蹴散らしていった深海棲艦の死体はない。ただ一つ、これだけが浮上してきたのだ。

 

「どうかしましたか?」

「……どういうわけか、これだけがまた浮上してきた。今までこういったことはなかったはずだが……」

 

 戦いが終わって死体や艤装がまた浮上してきたケースはなかったはずだ。深海棲艦は撃沈されれば例外なくそのまま沈んでいく。だがどういうわけか、この主砲はその前例を覆した。これは何かあるかもしれない、と思わせるには十分なもの。

 通信が回復したようで、凪から言葉がかかった。

 

『持ち帰っていいよ。俺が責任を取る』

「わかりました」

『……無事でよかった。お疲れ様、長門』

 

 安堵したような凪の声を聞きながら、長門はそれを持ちあげる。「いえ、運が良かっただけですよ」と応えながら神通達と共に帰還していった。

 苦しい戦いだったが、今回も生き延びる事が出来た。

 一瞬死を覚悟したが、無事に終わって何よりである。新たな実例を手に、南方棲戦姫との戦いは辛勝によって終わりを迎えたのだった。

 

 

 




今でこそダイソンといったらあの人になっちゃいますけど、
たぶん元祖ダイソンって、南方棲戦姫ですよね。
5-3だったり5-5だったりで、壁になりますし。

そんな戦姫ちゃんのイベ復帰、もうないですかね……。
ボス前ブロックをダイソンやお姉さんに奪われ
ダイソンの立場もあの人に奪われ
夜戦火力第一位も、ろでおに奪われ
「戦姫」仲間も増えない……。

南方棲戦姫の明日はどっちだ。

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